仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「恥をかくのが怖い」から解放される本①

2024年08月09日 | 日記
『「恥をかくのが怖い」から解放される本: 自己肯定感を高めて、自分らしく生きるレッスン』(2024/4/3・イセル・サン著),阿弥陀仏を私の関係を考えるのに、参考になります。以下転載します。

恥というのは、「愛されていない」「問違っている」という感情です。デンマークのオーフス大学コミュニケーションと文化学部のカーステン・ステーエ博士が自著『恥』の中で考察したように、語源となっている「隠す」という言葉通り、恥は何かを、もしくは誰かを見えなくしてしまいます。博士の説明は、あなたが感じているのが恥かどうかを判断する有力な手がかりになります。つまり、他人の視線から身を隠したいと思うのなら、あなたは恥を感じていると言えるのです。
 誰しもが多少なりとも恥を感じたこと、あるはずです。最悪の場合、恥の感情により、自分自身への共感力が奪われ、ほんのわずかな優しさしか示せなくなってしまいます。

 恥のうち最も軽微なものに、何かを恥ずかしいとか気詰まりだとぼんやり感じる感情があります。そしてあなたが気付く前に、その感情は消えてしまうかもしれません。もしくは、他人の視線を一瞬避けてしまう程度の恥も、最も軽微な恥に分類されます。
 恥の度合いが大きければ大きいほど、あなたの頬は氷のように冷たく、もしくは逆に熱くなっていきます。身を隠したいという衝動も強くなるでしょう。あなたが頭をうなだれ、肩を落とし、椅子の上で体を小さく縮こまらせていることに、あなた自身は気付かないかもしれません。
 恥の感情は様々な要因によって強く大きくなります。文化や家族、職場、家庭、あるいは個人の中で、受け入れがたいこと、恥ずかしいこと、間違っていると考えられていることが、恥を増幅させる要因となるのです。
 言い問違いやシャツのシミ、問違って送ってしまった絵丈字を恥ずかしいと感じるかもしれません。他の人がどうでもよいというようなことや、まったく気に留めたこともないようなことを恥ずかしいと感じることもあるでしょう。(つづく)
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