月に一度くらい、アマゾンで本を購入することがあります。あとは図書館です。下記の本は、図書館になく購入しました。『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』(五十嵐 大著/文)、コーダとは「CODA」と書き、チャイルド・オブ・デフ・アダルト、耳の聞こえない親の子という意味です。
以下転載です。
ラベルがもたらす安堵感
「ラベリング」という言葉がある。これは特定の属性を持つ人物を類型化し、「あなたはOOだから」とそのラベルをもって仕分けてしまう行為を指す。ラベリングは「レッテルを貼る」とも言い換えられ、ここ最近は否定的な意味合いを持つ言葉として使われている。もちろん、それは当然だろう。人にはそれぞれにバックボーンがあり、考え方や価値観はグラデーションのようになっていて、同じ人なんて誰ひとり存在しない。共通する属性がめったからといって、雜に類型化するのは乱暴なことだ。
ところが、それが固定的に作用する場面もあるようだ。さまざまな社会的マイノリティの方々とお話をすると、「自分の立ち位置に名前があることに安心した」という声を聞くことが少なくない。他者から貼られたラベルによる偏見を伴う類型化は当事者を傷つけることにつながる一方で、本人が自分自身にラベルを貼る行為は「居場所の発見」というプラスの意味をもたらすこともある。
それはコーダであるぼく白身が実際に体験し、強く感じたことでもあった。
「コーダ」という言葉を知る前、半ば本気で「ぼくは孤独な人間なんだ」と思っていた。その感情が特に強く表れていたのは中学生から高校生の頃。いわゆる思春期だ。
一般的に悩みが増える時期ではあるが、ぼくは輪をかけて悩んでばかりいた。その大半は、耳の聴こえない親に関することだ。たとえば、複雑な胸の内をうまく手話で伝えることができない。囗話や筆談を用いたとしても、それはまるで伝言ゲームのように歪曲して伝わってしまう。結果、本当に理解してもらいたいことが、一番身近にいるはずの両親に届かない。そのもどかしさが募り募って、やがては爆発する。
「どうして聴こえないんだよ…」
言っても仕方ないことを何度も囗にした。そうやって両親を傷つけては、同時に自分も傷ついた。彼らがぼくのことを大切に育ててくれていることは理解しているはずなのに、どうしても聴こえないという事実を呑み込むことができない。そんな自分に嫌気が差した。
でも、その悩みを打ち明けられる相手はいなかった。それはなぜか。右を見ても左を見ても、どこの家庭の親も聴こえる人だったからだ。小学校・中学校の同級生でひとりだけ、聴こえない親を持つ女子生徒がいたものの、彼女はどうやら両親とうまくやっているように見えた。やはり、親の耳、が聴こえないことでこんなに悩み、苦しんでいるのは自分だけなのだ。そう思えば思うほど、ぼくが孤独な人間であることを強く突きつけられるようだった。
このように悩むコーダは決して珍しくない。2009年に出版された『コーダの世界』には次の一節がある。
ろう者や手話に関わらない生活をしているコーダの大半は、「コーダ」という言葉も知らず、そこに共有する体験や独特の文化があるという意識も持たないまま、自分と親との個人的な関係を生きている。ろう者や手話に関わっているコーダの場合でも、それぞれの地域ではあまりコーダと出会う機会がなく、さまざまな折に「自分はほかとは違う」ということを感じている。だから、聞こえない親を持つ聞こえる人と出会い、話をするようになると、相手の経験のなかに自分と似たような点を見つけ、急速に親近感を持つのだろう。
著者の渋谷智子さんが指摘する通り、思春期の頃のぼくは、自分に誰かと「共有する体験や独特の文化がある」だなんて思ってもみなかった。ぼくと両親との問で起きた出来事-つまり、聴こえない親との間に起きたすれ違いや衝突、あるいは理不尽にさらされる彼らを「守りたい」と切に願うこと、そして偏見という社会からの眼差しによる葛藤-そのすべてが極めて私的なもので、誰にも理解されないと思っていた。ゆえに、孤独感を募らせていたのだ。しかし、閉鎖空間にいるようだった人生が少しずつ開けていくのを感じたのは、コーダという言葉に出合ったことがきっかけ社会人向けの手話サークルで知り合った、ひとりの難聴者から「あなたはコーダなんだね」と言われたとき、生まれて初めて感じるような衝撃を受けた。自分のような生い立ちを持つ者を総称する言葉かおる。その事実は、たしかな安堵をもたらした。
名前が付けられるということは、同じ境遇にある人が一定数以上存在することを意味するだろう。つまり、ぼくはひとりではないということだ。
そのとき、ぼくは自分自身にコーダというラベルを貼った。それにより、聴こえない親との間に起きた、誰にも理解されないと思っていたごく私的な体験が、他者と共有できる体験に昇華されていったのだ。(以上)
「煩悩具足の凡夫」と自身の存在が指摘されることと、近い感覚があります。それは煩悩具足の凡夫にたったときに見える世界があるということでもあります。
以下転載です。
ラベルがもたらす安堵感
「ラベリング」という言葉がある。これは特定の属性を持つ人物を類型化し、「あなたはOOだから」とそのラベルをもって仕分けてしまう行為を指す。ラベリングは「レッテルを貼る」とも言い換えられ、ここ最近は否定的な意味合いを持つ言葉として使われている。もちろん、それは当然だろう。人にはそれぞれにバックボーンがあり、考え方や価値観はグラデーションのようになっていて、同じ人なんて誰ひとり存在しない。共通する属性がめったからといって、雜に類型化するのは乱暴なことだ。
ところが、それが固定的に作用する場面もあるようだ。さまざまな社会的マイノリティの方々とお話をすると、「自分の立ち位置に名前があることに安心した」という声を聞くことが少なくない。他者から貼られたラベルによる偏見を伴う類型化は当事者を傷つけることにつながる一方で、本人が自分自身にラベルを貼る行為は「居場所の発見」というプラスの意味をもたらすこともある。
それはコーダであるぼく白身が実際に体験し、強く感じたことでもあった。
「コーダ」という言葉を知る前、半ば本気で「ぼくは孤独な人間なんだ」と思っていた。その感情が特に強く表れていたのは中学生から高校生の頃。いわゆる思春期だ。
一般的に悩みが増える時期ではあるが、ぼくは輪をかけて悩んでばかりいた。その大半は、耳の聴こえない親に関することだ。たとえば、複雑な胸の内をうまく手話で伝えることができない。囗話や筆談を用いたとしても、それはまるで伝言ゲームのように歪曲して伝わってしまう。結果、本当に理解してもらいたいことが、一番身近にいるはずの両親に届かない。そのもどかしさが募り募って、やがては爆発する。
「どうして聴こえないんだよ…」
言っても仕方ないことを何度も囗にした。そうやって両親を傷つけては、同時に自分も傷ついた。彼らがぼくのことを大切に育ててくれていることは理解しているはずなのに、どうしても聴こえないという事実を呑み込むことができない。そんな自分に嫌気が差した。
でも、その悩みを打ち明けられる相手はいなかった。それはなぜか。右を見ても左を見ても、どこの家庭の親も聴こえる人だったからだ。小学校・中学校の同級生でひとりだけ、聴こえない親を持つ女子生徒がいたものの、彼女はどうやら両親とうまくやっているように見えた。やはり、親の耳、が聴こえないことでこんなに悩み、苦しんでいるのは自分だけなのだ。そう思えば思うほど、ぼくが孤独な人間であることを強く突きつけられるようだった。
このように悩むコーダは決して珍しくない。2009年に出版された『コーダの世界』には次の一節がある。
ろう者や手話に関わらない生活をしているコーダの大半は、「コーダ」という言葉も知らず、そこに共有する体験や独特の文化があるという意識も持たないまま、自分と親との個人的な関係を生きている。ろう者や手話に関わっているコーダの場合でも、それぞれの地域ではあまりコーダと出会う機会がなく、さまざまな折に「自分はほかとは違う」ということを感じている。だから、聞こえない親を持つ聞こえる人と出会い、話をするようになると、相手の経験のなかに自分と似たような点を見つけ、急速に親近感を持つのだろう。
著者の渋谷智子さんが指摘する通り、思春期の頃のぼくは、自分に誰かと「共有する体験や独特の文化がある」だなんて思ってもみなかった。ぼくと両親との問で起きた出来事-つまり、聴こえない親との間に起きたすれ違いや衝突、あるいは理不尽にさらされる彼らを「守りたい」と切に願うこと、そして偏見という社会からの眼差しによる葛藤-そのすべてが極めて私的なもので、誰にも理解されないと思っていた。ゆえに、孤独感を募らせていたのだ。しかし、閉鎖空間にいるようだった人生が少しずつ開けていくのを感じたのは、コーダという言葉に出合ったことがきっかけ社会人向けの手話サークルで知り合った、ひとりの難聴者から「あなたはコーダなんだね」と言われたとき、生まれて初めて感じるような衝撃を受けた。自分のような生い立ちを持つ者を総称する言葉かおる。その事実は、たしかな安堵をもたらした。
名前が付けられるということは、同じ境遇にある人が一定数以上存在することを意味するだろう。つまり、ぼくはひとりではないということだ。
そのとき、ぼくは自分自身にコーダというラベルを貼った。それにより、聴こえない親との間に起きた、誰にも理解されないと思っていたごく私的な体験が、他者と共有できる体験に昇華されていったのだ。(以上)
「煩悩具足の凡夫」と自身の存在が指摘されることと、近い感覚があります。それは煩悩具足の凡夫にたったときに見える世界があるということでもあります。