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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

大久保清の墓

2014年06月26日 | 現代の病理
数日前、ケニス・ドゥカがいう「公認されない悲嘆」(1989年)のことをかきました。

死別の中でその悲しみが認められない在り様のことで、ケニス・ドゥカは4つ上げています。その4つ目に、「悼むことを公に認めてもらえない死で、犯罪者の処刑、自殺など」を上げています。

昨日、ウオーキング中に、ふとひと月前読んだ、大先輩の渡邉普相の記録『教誨師』の中に紹介してある大久保清の死刑のことを思い出しました。確かに、そこには死刑囚家族の公認されない悲嘆が示されていました。

大久保清(当時36歳)は、1971年3月から5月にかけて、群馬県下で画家を装い、若い女性に近づき言葉巧みに愛車に乗せ、人気のない場所で強姦、殺害し遺体は山中に埋めた。この手口で同年に2ヶ月足らずの内に8人を殺害し76年死刑執行されています。

その部分だけ転載します。

大久保には両親と兄姉がいた。兄とは事件の前から犬猿の仲で完全に縁が切れていたが、姉は最後まで大久保に手紙や下着を送ったりして弟との連絡を絶やさなかった。
 死刑が執行されて数力月してから、大久保の遺骨を預かっていた渡邉の三田の寺に、その姉がやってきた。
 「弟が大変お世話になりました。遺骨までお預けしてしまい申し訳ありません。今日は遺骨を引き取りに来るつもりだったのですが、実は困ったことになっているのです」
 そう言って姉が切り出した話には、渡邉も心を痛めることになる。
 大久保家は地元では裕福な旧家で、立派な墓地も構えていた。しかし事件が起きて、高齢の両親はすっかり体調を崩し、二束三文で屋敷を売り払って養老院に入った。(中略)

さらに大久保への死刑が執行されたという情報がどこかから漏れ、そのニュースが新聞の一面を飾ると、地元の人たちは「大久保の骨を町に戻してなるものか」と、一夜にして大久保家の墓を暴いてしまった。墓石は根こそぎ倒されて滅茶苦茶に壊され、先祖代々の遺骨や骨壷もすべて掘り出され、あたりに投げ出されたという。(中略)

「清の遺骨も、高齢の両親が亡くなっても、もう骨を納める場所もないのです」
 骨が透けて見えるほどに痩せこけた姉はそう言って涙を流した。(以上)

現在、大久保清の遺骨は、雑司ヶ谷霊園の一角に東京拘置所の共同墓地があるという。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-04-07 03:57:52
大久保清の父親は、大久保清の次兄が出征中、嫁つまり次男の妻を強姦し、やがて次男夫婦は離婚。次男が再婚した後その後妻にも強制性交したという。
大久保清の母親は、そんな夫がやらかしたことを責めるでもなく、嫌がる嫁をさらにいびりつづけたという。
入る墓がなんて無くていい。
そもそも、揃いも揃ってひどい人格の夫婦。こんな夫婦に溺愛されて育った三男・清は、少女にわいせつ行為を繰り返した。挙げ句に殺人、死体遺棄。
強姦された人やその親、強姦され殺された人たちの遺族の気持ちになってみれば、こんなまともじゃない夫婦がいたからこそ、大切な娘が不幸な憂き目にあったんだと考えるんじゃないか?
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