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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

生きづらさの民俗学①

2024年08月26日 | 現代の病理
『生きづらさの民俗学――日常の中の差別・排除を捉える』(2023/11/4・及川祥平編集, 著,川松あかり編集, 著,辻元侑生編集, 著)からの転載です。


1。現代日本における「生きづらさ」とは何か
 実際、「生きづらい」とか、「生きにくい」などという言い回しは、現代社会や現代人を論じる際に多用されている感じがする。みなさんもどこかしらで見聞きしたことがあるのではないだろうか。そんななかで、「生きづらさ」を自分事として実感している人も、少なからずいよう。

 それにもかかわらず、「生きづらさ」は、現代に近づくほどますます多くの人びとの心を蝕みっつあるようだ。「死にづらい」現代日本における「生きづらさ」とはいったい何なのだろうか。
 全国紙の新聞記事データベースを使って、「生きづらさ」を調査した藤川奈月によると、1980年代には「生きづらい」とか「生きづらさ」という言葉は、まだそれはど用いられることがなかったという。学術雑誌にこの言葉を最初に認められるのは、1981年の『精神神経学雑誌』83巻12号だ。ここでは、退院して地城に暮らす精神障害者への障害と抑圧を指して「生きづらさ」という言葉が用いられている。2012年の段階でそれまでの「生きづらさ」という用語をめぐる議論を整理した家族社会学行の山下美紀は、「生きづらさ」はもともと医療や福祉の分野で、従来の障害概念の枠組みには馴染みにくく、目に見えにくい、精神障害や発達障害を包摂するために用いられるようになった用語だったと述べている。
 山下によれば、その後「生きづらさ」は教育現場でも注目されるようになり、さらに社会学者や運動家・実践家によっても用いられるようになっていった。前述の藤川も、「生きづらい」・「生きづらさ」という表現は、1990年代後から徐々に新聞紙面上への登場回数を増やし、2000年代後半に大幅に増加したという。その後の動向を辿ってみると、一時減少する時もあるものの、全体としては、2022年現在に向かってこれらの言葉の使川頻度は増加し続けてきたことがわかる。
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