仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「自己決定権」という罠②

2024年08月06日 | 現代の病理
『【増補決定版】「自己決定権」という罠:ナチスから新型コロナ感染症まで』(2020/12/25、小松美彦・今野哲男著)以下転載です。

▼自己決定権と、新自由主義という国家意思
 さて、ここで、自己決定権の考え方が、なぜ九〇年代の日本に広まっていったのかという話も戻り、私か考えるもう一つの要因とは、新自由上義の問題です。
 新自由主義とは、基本的には、国家経済が逼迫する昨今の大状況を背景に、個人の自由を前面に強く押し出す一方で、これを自己責任とセットにして事に当たろうとする考え方のことでしょう。たとえば出生前診断との絡みでいうと、障害やある種の遺伝病とされるものが出生前に判明した場合、それがわかった状態で産む産まないを決めるのは個々人の権利だが、いったんその決断をしたならば、その後に起こるさまざまな問題についても、個々人の責任で当たってもらいますよという考え方のことです。つまり、新自由主義のなかには、長引く世か的な経済不況の下で、国家財政にかかる福祉政策のコストの圧迫を軽減するために、国家として抱え込んだ国家の課題を、都合よく個人に転嫁、皺寄せしようとする動きがはじめからあるわけです。九〇年代に自己決定権が蔓延していった背景には、この事情が深く関係していることを、見逃してはならないと思います。
 出生前診断にせよ、遺伝子治療にせよ、あるいは尊厳死(消極的安楽死)といった延命治療の停止にかかわる問題にせよ、その裹には、新自由主義という名の新たな国家意思が働いていることは間違いありません。この問題は、住基ネット(住民基本台帳ネットワークシステム)に絡む「個人情報保護法」や、さらに「健康増進法」の施行といった殼近の問題につながっていることは言うまでもありません。優生思想につながりかねないというよりは、むしろ優生思想そのものだと思われるこれらの問題については、以ドであらためて論じることとして、ここではとりあえず、自己決定権という囗当たりのよい考え方が、国家権力の意図を隠すために有効に機能しているという見逃さない事実を、指摘するにとどめておきたいと思います。(つづく)
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