仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

学生とは?

2015年05月29日 | 日記
拙著、小説『親鸞物語』の一節です。

翌文治三(一一八七)年、範宴も十九歳となり堂僧として修行に励んでいた。
比叡山の僧には、当時、学生(がくしょう)と堂衆と堂僧があった。堂衆と堂僧は当初同じであったが、平安中期頃より貴族が出家するに際しては、従者である武士も主人に倣って髻(もとどり)を切り落して禿髪(かむろがみ)となり、仏事には雑役として従事したのが堂衆であった。堂衆は、扉の開閉や香華燈明を献備し堂の警護をする役を勤めたが、もとより道心があっての出家ではなかった。戒律や国の律令にしばられない立場が、次第に堂衆を暴走させ山法師となっていった。これに対して堂僧は、学生として修学を積んでいくための資力を持たないものが、修行を専らに勤める式衆として仏事を勤め、その傍らには勉学に励み、山法師の騒乱とは別世界の静けさを保っていた。(以上)

この学生について、「読売新聞」(27.5.27)に“「学生」とは誰を指す?”という記事がありました。転載しておきます。

学校で学問をする人を学生と言います。平安時代にも、中国・唐の制度にならって設けられた大学寮や、寺院で学ぶ学生がいました。このころは「がくしょう」と読み、学者の意
味でも使われました。
 江戸時代くらいから、勉強する人の意味で、「がくせい」と言うようになります。明治
時代以降、特に大学生を指す言い方として広まりました。
 小中学生も高校生も学校で 学んでいるという点では、学生には違いありませんが、新聞では、大学生を学生、中学生・高校生は生徒、小学生は自動と区別しています。これは、学校の制度を定めている学校教育法出の呼び方に従っています。
小学校では児童会、中学・高校になると生徒会になるのも、この分け方から来ているのでしょう。学生街は、大学を中心にして広がる街並みをいいます。学生運動、学生生活も、大学生が主役です。ただ、児童福祉法では18歳未満はみな児童です。JRの学生割引の対象は、中高生も含まれます。分け方は、場面によっても変わります。「学生の本分は勉強」というのは,小学生にも通じる教えですよ。「なぜなに日本語」三省堂刊。1800円税別)。より。
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