二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

音楽感

2015-06-07 16:58:07 | 徒然に想う

圃場で汗を流していると、その風のすがすがしさに手を止めることがある。仰ぎ見れば、青い空が広がり、強い日差し。あぁ、見上げなければと後悔しても遅い…、よけい暑くなる。汗をぬぐい、張っている背中にいうことを聞かせ、またエイッと作業に戻る。こんなことを繰り返すも、実に何も苦痛にならない。…よくわからないが、今朝、ベートーヴェンの『6つのバガテル』Op.126を聞き出した。するとどうだ、そんな作業情景が脳裏に浮かんできたじゃないか。

そういえばと、いつぞやか聞いた有機農家の奥様の言葉を思い出した。その方はピアノが得意、プロ並み(プロだったという噂か冗談かを聞いたこともある)。あるとき、音楽の話になって、「ショパンを聞いたり弾いたりしていると、風が流れゆく麦畑を想像する。それはきっとショパンが農民と近い関係にあったからじゃないかしら」と。ピアノ曲をあまり聞いたことがなかった庵主にはよくわからなかった。でも、ショパンを聞くとミレーの作品を思い描くことはなくはなかった。

モーツァルト、ねぇ。まるで天使が舞うような神がかった世界。いや、神に愛されたものが作り出した世界。モーツァルトをコード進行で見ると、ビートルズも同じようなものだと聞いたことがある。怒られてしまうが、そこなんだ、彼らの曲を聴いていると、実際の汗や涙に結びつかない気がして、現実感がなくなってしまう。勇気を出さないと、なかなか聞けない。

思うに、ベートーヴェンにせよショパンにせよ、彼らは農民のエネルギーを感じ楽曲に込めていたんじゃなかろうか。そして自然や大地への礼賛をも込めた。だかこそ、庵主のようなものでも、「自然=大地=農民」と一体化することができ、情景を思い描くことができる。神、天上じゃない、「大地の豊穣の」神に愛を捧げた者たちだと感じる。ストーンズには油の香り、働くものに感じる香り…。結局、汗が滴り落ちる、そこに究極がある。だから好きなのかもしれぬ。

 

《土寄する 音聞き入るか 青き山》 

 

今日の一枚:昨日の15時過ぎ。ジャガイモの土寄せをして一息入れた。