雨が降らない、実に降らない。直播きしたものの出芽が悪くてしかたない。苗を育てたのは、葉の色が黄色がかってきてしまった。焦る気はないが、定植する…。
「育苗、半作」とか聞いた。山ほど学び実際確認していかなくてはならないことがある。
《美味いのを トマト定植 願いこめ》
今日の一枚:気付いたら一枚も取っていなかった。三日前の畑の様子。
追記:帰りの電車の中で、映像を選んだらダブってしまった。失礼しました。
雨が降らない、実に降らない。直播きしたものの出芽が悪くてしかたない。苗を育てたのは、葉の色が黄色がかってきてしまった。焦る気はないが、定植する…。
「育苗、半作」とか聞いた。山ほど学び実際確認していかなくてはならないことがある。
《美味いのを トマト定植 願いこめ》
今日の一枚:気付いたら一枚も取っていなかった。三日前の畑の様子。
追記:帰りの電車の中で、映像を選んだらダブってしまった。失礼しました。
今持ち合わせている経験・知識・道具で何がどうできるか、知りたい。ただそれだけのことで畑に通っている気がする。例えば、小川町駅から畑まで歩くと4、50分かかる。バスでは10分だ。時間の短縮のためとよく言われるが、歩くこともある。それは、四国にいって以来、自分にとって出来ることを楽しめたらと思うから。決して歩くのが好きなわけではない。
四国を歩いているとき、どれだけ地域の方々は歩いてるだけの庵主に優しかったか。正直、いい年した大人が平日から仕事もしないで、歩いているだけかとの視線も受けた。心の暗闇の中で、歩いているのだから苦しい、助けてくれないのは何故だと傲慢になった時さえある。でも、どうであれ、歩くというスピードの心地よさは捨てがたい、快適だと感じた。それだけは強烈に理解した。
1200キロ、自分の足でと思うから、自分で何とかしたかった。自分でできないことはしたくない。そう思えてから、一日に歩く距離が長くなろうが短くなろうが、そのことに何の差もなくなった。「自分」ということを考えすぎてはならないが、「私」が快適であればいい。やってならぬのは、「私」以外を必要以上に巻き込むこと。「私」の歩く速度は、「私」にだけ心地いい。ただ、それだけのこと。誰もが持っている速度を邪魔しないようにしなければならぬ。
今日の一枚:自己嫌悪に陥りそうな一日を過ごしてしまった。携帯の写真を見るとなぜか元気に。昨日撮ったローマン・カモミール。いくら蒔けどもこの株だけ花を見せてくれた。そんな可愛らしいのがまだまだある。この季節クローバーの花が盛りだ。
畑から家までの約90分、「五月の雨」と決めて、十句に挑戦。
≪さつき雨 待つ手に鶏糞 一握り≫
≪さつき雨 待ちし農夫の 笑顔かな≫
≪さつき雨 通りし後に 土の波紋≫
≪雨よ降れ 土埃舞う 五月かな≫
≪さつき雨 相合い傘に ポツポツと≫
≪風流れ 額に一つぶ さつき雨≫
≪五月雨を コウモリ越しに 耳澄ます≫
≪五月雨を ポツリポツリと 合羽ごし≫
力及ばず。写生だけでなく空想が多いのは観察力がないから。夕飯のあと、風呂に入り、「病床六尺」を読了。亡くなる直前まで維持される俳句と絵に関する強い感性。時折出てくる病苦の写実。「病床六尺」を綴るからこその強さなのか、何なのか…。
≪出る時の 傘に落ちたる 菖蒲かな≫
を8月30日の記載に見つけた。
≪子規の知る 五月雨の意味ぞ まだ知らず≫
今日の一枚:ジャガイモ(アンデス・レッド)の花。試しに畝に手を入れてみれば、1センチほどの芋を見つける。花が咲く、芋に蓄えたエネルギーを他に回す気がする。掘ってしまうべきか、待つべきか。11時前。
ダウン・シフター、って言葉を初めて聞いた。今時のライフスタイルの一つとか。昔のような企業戦士ではなく、ある程度の収入を得ながら、家庭や自分の生活に重点を置く。会社で高い地位に就くことは二の次、それでいいと考える人たちらしい。都会においても、自分のリズムに合った生活を目指す。住むところはどこでもいい。稼いで稼ぎまくり、買いたいものは何でも買えるようになる。そうではない、とする人たちのことのようだ。
高知に行って、中山間地、限界集落を訪ねさせてもらった。そこで、自分の着地点ということばかり考えてきた。ところが、こんな見方もある、らいしい。地域を残す。つまり、自分の着地だけじゃない。その地域から都市部に出て行った人たちが「帰る」場所を残すという役割。こんなことを考えてみると…。地域をおこすということは、その場所の産業を活発化するだけではない。残すのも役割だ。ダウン・シフターたちには格好な役割かもしれない。
では、庵主はダウン・シフターか。そんな格好のいいものではない。家族の時間があるわけでもないし、自分の時間を大切にしたいだけじゃない。自分の食べる物に対して自分で納得していたいだけ。そのために行動する。自分の食べる物を畑からもらう為に時間を使えれば、それで十分。お給金よりも野菜たちが大切。つまるところ、自然から略奪し、自然を崩壊する。いわば、ダウン・デストロイヤー!
肩書きか…。それなら、「百姓」って語られるようになりたいと思う。
今日の一枚:久しぶりの青の時間の映像。朝じゃなく、夜へと向かう時間だ。住んでるマンションから北西を望む。19時頃。