二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

定植

2014-05-17 18:24:26 | 徒然に想う

雨が降らない、実に降らない。直播きしたものの出芽が悪くてしかたない。苗を育てたのは、葉の色が黄色がかってきてしまった。焦る気はないが、定植する…。

「育苗、半作」とか聞いた。山ほど学び実際確認していかなくてはならないことがある。



《美味いのを トマト定植 願いこめ》





今日の一枚:気付いたら一枚も取っていなかった。三日前の畑の様子。

 

 

追記:帰りの電車の中で、映像を選んだらダブってしまった。失礼しました。


ジャガイモの試し堀り

2014-05-16 15:31:20 | 徒然に想う
帰り道、電車の中でベビーカーの赤ん坊。その手を見ていたら、掘り出したばかりの新ジャガを思い出す。女の子? ジャガイモと一緒にしたら、ママが怒るかなぁ…。まぁ、一期一会ってことで。

《新ジャガの 小さき白さ 大地の子》





今日の一枚:お昼過ぎ、掘り出した時のもの。手袋の大きさと比べると、まだまだ。

アームス・レングス

2014-05-15 22:01:46 | 徒然に想う

今持ち合わせている経験・知識・道具で何がどうできるか、知りたい。ただそれだけのことで畑に通っている気がする。例えば、小川町駅から畑まで歩くと4、50分かかる。バスでは10分だ。時間の短縮のためとよく言われるが、歩くこともある。それは、四国にいって以来、自分にとって出来ることを楽しめたらと思うから。決して歩くのが好きなわけではない。

四国を歩いているとき、どれだけ地域の方々は歩いてるだけの庵主に優しかったか。正直、いい年した大人が平日から仕事もしないで、歩いているだけかとの視線も受けた。心の暗闇の中で、歩いているのだから苦しい、助けてくれないのは何故だと傲慢になった時さえある。でも、どうであれ、歩くというスピードの心地よさは捨てがたい、快適だと感じた。それだけは強烈に理解した。

1200キロ、自分の足でと思うから、自分で何とかしたかった。自分でできないことはしたくない。そう思えてから、一日に歩く距離が長くなろうが短くなろうが、そのことに何の差もなくなった。「自分」ということを考えすぎてはならないが、「私」が快適であればいい。やってならぬのは、「私」以外を必要以上に巻き込むこと。「私」の歩く速度は、「私」にだけ心地いい。ただ、それだけのこと。誰もが持っている速度を邪魔しないようにしなければならぬ。

 

 

今日の一枚:自己嫌悪に陥りそうな一日を過ごしてしまった。携帯の写真を見るとなぜか元気に。昨日撮ったローマン・カモミール。いくら蒔けどもこの株だけ花を見せてくれた。そんな可愛らしいのがまだまだある。この季節クローバーの花が盛りだ。


バラ

2014-05-12 22:38:41 | 徒然に想う

≪遠きバラ 雨に濡れしか 愛おしき≫

やはり季節の物を見落としてばかり。

 

今日の一枚:畑へ向かう道中、色とりどりのバラが咲いていた。モッコウバラばかりに気を取られていた。10時過ぎ。

 

 


挑戦、砕け散る

2014-05-12 21:59:33 | 徒然に想う

畑から家までの約90分、「五月の雨」と決めて、十句に挑戦。

≪さつき雨 待つ手に鶏糞 一握り≫

≪さつき雨 待ちし農夫の 笑顔かな≫

≪さつき雨 通りし後に 土の波紋≫

≪雨よ降れ 土埃舞う 五月かな≫

≪さつき雨 相合い傘に ポツポツと≫

≪風流れ 額に一つぶ さつき雨≫

≪五月雨を コウモリ越しに 耳澄ます≫

≪五月雨を ポツリポツリと 合羽ごし≫

力及ばず。写生だけでなく空想が多いのは観察力がないから。夕飯のあと、風呂に入り、「病床六尺」を読了。亡くなる直前まで維持される俳句と絵に関する強い感性。時折出てくる病苦の写実。「病床六尺」を綴るからこその強さなのか、何なのか…。

≪出る時の 傘に落ちたる 菖蒲かな≫

を8月30日の記載に見つけた。

 

≪子規の知る 五月雨の意味ぞ まだ知らず≫

 

 

今日の一枚:ジャガイモ(アンデス・レッド)の花。試しに畝に手を入れてみれば、1センチほどの芋を見つける。花が咲く、芋に蓄えたエネルギーを他に回す気がする。掘ってしまうべきか、待つべきか。11時前。 

 

 

 


雨乞い!

2014-05-12 16:08:16 | 徒然に想う
二畳庵の畑に向かう筋にある畑で、軽トラからなにやら下ろしている。リーフレタスなどがズラリ。聞けば、

「明日、雨とか。今のうちに、鶏糞蒔いとくんだ」


確かに! 庵主は肥料やりはしないが、枝豆とトウモロコシを蒔いてきた。

早く上がって、雨乞いしよう。


《さつき雨 待つ手に鶏糞 一握り》





今日の一枚:今日の収穫。大根を試しに。14時半頃。500円玉で大きさを。

横からの光線

2014-05-11 19:24:39 | 徒然に想う
ここ数日、6時になると家を出る支度を始め、半までには電車の中。朝陽が横から当たり、目の当たりにする世界がより立体的。畑につけば、すっかり、強い日差し。平面的…、残念。

この立体的な風景。最近は散歩もめっきり出ないが、そんな風景を朝追っていたことを思い出させてくれる。さて、朝の畑でと思うが、いつ家を出ることになるか…。

17時頃になると、そう、西から横からの光線になる。これに救われるのだ。「お疲れ様でした」と木々たちが手を振る、そんな光景に映る。

《サラサラと 五月のひかり 美しや》


これは早起きして出かけなけりゃならないな。





今日の一枚:17時半頃、畑の南西に連なる林。
畝の草を取っていると、不思議なものを見つける。二枚目がその一つ。砂浜での砂遊びのお城に似てる。左と右で土の塊の様子が全く違う。

収穫

2014-05-11 12:27:27 | 徒然に想う
昨日からキヌサヤが加わった。

ラディッシュ、カラシナ、ミズナ、シンタマネギ、コカブ。ビーツの葉、これは間引き菜。



今日の一枚:16時半頃、収穫を終えて。向かいの雑木林がきれい。

《青き山 色とりどりに 輝けり》

ダウン・シフター

2014-05-09 21:29:00 | 徒然に想う

ダウン・シフター、って言葉を初めて聞いた。今時のライフスタイルの一つとか。昔のような企業戦士ではなく、ある程度の収入を得ながら、家庭や自分の生活に重点を置く。会社で高い地位に就くことは二の次、それでいいと考える人たちらしい。都会においても、自分のリズムに合った生活を目指す。住むところはどこでもいい。稼いで稼ぎまくり、買いたいものは何でも買えるようになる。そうではない、とする人たちのことのようだ。

高知に行って、中山間地、限界集落を訪ねさせてもらった。そこで、自分の着地点ということばかり考えてきた。ところが、こんな見方もある、らいしい。地域を残す。つまり、自分の着地だけじゃない。その地域から都市部に出て行った人たちが「帰る」場所を残すという役割。こんなことを考えてみると…。地域をおこすということは、その場所の産業を活発化するだけではない。残すのも役割だ。ダウン・シフターたちには格好な役割かもしれない。

では、庵主はダウン・シフターか。そんな格好のいいものではない。家族の時間があるわけでもないし、自分の時間を大切にしたいだけじゃない。自分の食べる物に対して自分で納得していたいだけ。そのために行動する。自分の食べる物を畑からもらう為に時間を使えれば、それで十分。お給金よりも野菜たちが大切。つまるところ、自然から略奪し、自然を崩壊する。いわば、ダウン・デストロイヤー!

肩書きか…。それなら、「百姓」って語られるようになりたいと思う。

 

 

今日の一枚:久しぶりの青の時間の映像。朝じゃなく、夜へと向かう時間だ。住んでるマンションから北西を望む。19時頃。

 


ゆめ

2014-05-08 19:03:09 | 徒然に想う
夢を見た。

また四国を歩いている。どこだかの町でお祭りで、山車が出てる。それをゆっくり、庵主一人でなく二人。それと初老のご夫婦とで楽しんでたら15時。次の宿泊するところは8.9キロ先の町。我々は慌てて辞し、コースへと。いきなり山道のような急坂を下って。神社があって…。


夢を見た。

トマトとカボチャの苗たちが、腹減ったとか寒い寒いと文句を言ってる。ジャカシイワイ。友人に母性を見いだしたことがあって、苗たちの声が大きく聞こえる。分かった、って! そしたら、秋、御殿を建ててくれた。


テレビを見た。

徳島県牟岐町海部にある病院と徳島大学医学部の取り組み、K-system(間違えてるかも)を紹介。遠距離診断のためスマホでデータを送り行う。その病院、わきを歩いた。最初の夢を見た朝、点けたらいきなりの話題だった。


夢を見た。

畑に子ども達の歓声が響いてる。僕は肩車をしながら、子ども達に言ってる。「好きにしろぉ」。親達に言ってる。「ここでは、決してダメとは言わないでください」。そこに、青々した畑の大きな笑い声が響いた。そして「XXXXX」とつけたした。聞いた庵主と肩の上の子、みんな大笑い。

夢は夢、ではないと信じよう。夢そのものでなくとも、関連する現実がある。例え小さくとも…。





今日の一枚:11時45分頃、下り坂か、傘が太陽の周りに。