今持ち合わせている経験・知識・道具で何がどうできるか、知りたい。ただそれだけのことで畑に通っている気がする。例えば、小川町駅から畑まで歩くと4、50分かかる。バスでは10分だ。時間の短縮のためとよく言われるが、歩くこともある。それは、四国にいって以来、自分にとって出来ることを楽しめたらと思うから。決して歩くのが好きなわけではない。
四国を歩いているとき、どれだけ地域の方々は歩いてるだけの庵主に優しかったか。正直、いい年した大人が平日から仕事もしないで、歩いているだけかとの視線も受けた。心の暗闇の中で、歩いているのだから苦しい、助けてくれないのは何故だと傲慢になった時さえある。でも、どうであれ、歩くというスピードの心地よさは捨てがたい、快適だと感じた。それだけは強烈に理解した。
1200キロ、自分の足でと思うから、自分で何とかしたかった。自分でできないことはしたくない。そう思えてから、一日に歩く距離が長くなろうが短くなろうが、そのことに何の差もなくなった。「自分」ということを考えすぎてはならないが、「私」が快適であればいい。やってならぬのは、「私」以外を必要以上に巻き込むこと。「私」の歩く速度は、「私」にだけ心地いい。ただ、それだけのこと。誰もが持っている速度を邪魔しないようにしなければならぬ。
今日の一枚:自己嫌悪に陥りそうな一日を過ごしてしまった。携帯の写真を見るとなぜか元気に。昨日撮ったローマン・カモミール。いくら蒔けどもこの株だけ花を見せてくれた。そんな可愛らしいのがまだまだある。この季節クローバーの花が盛りだ。