「Johnny Got His Gun - ジョニーは戦場へ行った」という映画がある。強烈な反戦映画。あるいは、なんとか一人の人間が社会との結びつきを再び取り戻そうとした矢先に完全否定される恐怖映画ともいえる。1971年につくられた映画で、いろいろな印象があるだろうし、解釈ができる。公開が71年のことだから、物議をかもしだしたに違いない。
いつどこで見たのか、定かではないが、おそらく大学の学祭のときじゃなかったろうか。「イチゴ白書」とか「2001年宇宙の旅」、「時計仕掛けのオレンジ」など70年代の初めころに公開されたものをよく見た時分のことだったと思う。そんな映画がふと見たくなった。折も折、台風。畑にも行けないし、通過して晴れても、土がぬかるんで何も作業ができない。ユーチューブで日本語吹き替え版を見つけ出し、台風一過の午後、ゆっくり鑑賞と決め込んだ。
今回の台風、まさに時々刻々と様相が変わったのには驚いた。9時半に歯医者に出かけた時は雨だけ。それから一時間くらいの範囲で風が出始め、30分毎位に、向きが東寄りから北、西と変わる。気が付けば11時半、西の空が切れ、丹沢山塊などがはっきりと見えだして。昨日からのことを考えると、台風本体の影響はあっという間だった。
この映画を見始めると、存在意義について考えはじめてしまう。主人公のジョニー、真っ向から存在意義を否定され、最後に封印されるから、そんなことなんかじゃないと言いたくなるのだ。存在意義は無い、のではない。ある。あることの証明過程は個によって異なる、まったく個それぞれのこと。もちろん、ここに大問題が潜んでいるのは重々承知。が、個それぞれのことは、それぞれのこと。倦鳥得茂樹,涸魚反源という一節が白楽天の詩にあるとか。その詩のまとめのことばで、「生きとし生けるもの全て、自分に適した過ごす場所を得ようとするものである」という意味だそうだ。この映画、実にいい。
今日の一枚:午後一時の空模様。雨雲なぞ一切ない。マンションのベランダから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます