二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

邪な気持ち

2010-10-05 00:03:02 | 徒然に想う
神社に上がり参拝をすますと、境内の端に佇む御神木のコナラに左手の平を合わせ、頭上にひろがる梢を眺める。

何かを語ってくれるのじゃないかと思ってのこと。それに、あの桜の花のように何か啓示してくれそうな気がする。だが、庵主が心を閉ざしているのか、何も語ってくれない。

もちろん、会話出来るわけじゃない。ただ一回だけ木が語ってくれたことがある。去年の今頃、やはりタスマニアにいた。その時ジェラルディンとウーファーたちと大きなユーカリに登った。ジェラルディンは感じないのとしきりに言う。その時は解らなかった。ただ日本に帰る日、一人で登って何も考えず体を委ねてみた。ゆったり体を揺すりながら歌っている!

風に梢がそよぐ。それだけのこと。大きな幹だってその影響を受け動く。木は生きているから、動きを伝え合う、伝播させる。しごく当たり前のことなんだけど、そんなことがわかっていなかった。神社のコナラは庵主邪心を見抜き何も語ってくれない…のか。





今日の一枚:ヘッドランプを照らし梢を見上げた。太陽の光とは違う表情の御神木。

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