アンという名のレトリーヴァーに出会った。ちょうどJRの陸橋の下をくぐった辺り、神社下の公園に向かう土手の上のこと。進んでいく先に小母さんと犬。犬はペッタリ地面に座り込んでいる。「すねている?」と思いながら近づいて行った。そのレトリーヴァー、ずっとこっちを見ている。頭の中では悪魔の甘いささやきが渦巻いてた。最近、揺らぐことは少なくなってきたが、なにかの拍子に此岸での生活の楽さにまけてしまいそうになる。
それはそうだ。毎日同じような時間に電車に乗って職場に向かい、同じようにルーティンをこなし・文句を言い・聞きながし、それで、ご飯を食べ帰る。帰宅後何もすることなく、一時間のうちには布団に入る。自分で自分をコントロールすることなく、歯車として動いていれば、それだけでなんでも済んでしまう。楽、このうえない。
ブドウ棚の下の木陰で鳥たちのさえずりを聞いていた。次どうしよう、暑くなってきたし。そう、あの村に代表されるところ、つまり彼岸では、そうはいかぬ。やることは、指示をもらうにしても、自分次第。決して歯車のように解決する必要などない。昼食だって、自分の体に聞いて欲しければ取る、それだけ。唯一決まっているのは、動物たちと生活していることを忘れないこと、夕飯をみんなと食べること。村の人たちを見ても、歯車として生活している人などいない。自分で自分をコントロールしている。生きている。
どれだけのことをどれだけ無駄にしてきたのだろう。仕方がないじゃないかと。ひとりで生きているんじゃないんだからと。理由はあれこれつけながら、歯車の一部であることに甘んじている。これからも続けようというのか。アンがリードをとってもらって、先に進庵主の右側にススッとやってきた。あれっと気付いて見たら、アンがじっと見ている。「どうしたの。負けちゃダメよ」そんなことを言っているような気がして、暖かい気持ちに包まれた。
今日の一枚:日の出から15分経った7時5分ころ、神社の展望台にて。
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