二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

新三ものの消化不良

2016-11-06 06:04:33 | 徒然に想う

昨日の夜、3日から6日にかけ宮の前公園で催されているイヴェント「越知 おいしいキャンプ・ウィーク」に行ってきた。パネルディカッションがあって、「越知の魅力を発信しよう(仮称)」ってテーマ。面白そうと、四本畑(集落内の文旦の木が4本あるところ、家から歩いてすぐ)での作業を片付け、出かけていった。

魅力を発信してどうするか。人に来てもらいたい。つまり、移住してもらうにためにどうするかってこと。この町の魅力の一つとして、仁淀川があって、自然が身近にある。それを楽しんでいただくのはどうか、キャンプや今でいうグランピングにつなげる。その拡散手段として、ブログは有効だろう、というわけだ。

今日から秋のお祭りが始まる。10日に神祭があって、貢神社の神様に集落内に移動してもらう。その目印となる「おはけ」を作り立てる。それが今日。以前は個人の家の庭先に立てたそうだ。が、その準備も大変で、今じゃなかなか、そういかない。出れる人が「老人里の家」という集会所(昔は小学校(中学校?))に集まり、そこの庭にしつらえる。で、次の日曜、神様に帰っていただき、「おはけ」を川に流すことで、終わりになる。「おはけ立て」「おはけ下ろし」という行事。これ、残っているところが少ない伝統行事。こういう行事、地域内のことだから、地域内で残していければいい。だが、過疎高齢化の波に抗っていかなければ・・・。残し方として、新しい風を呼ぶ?

まだ消化しきれてないが、移住って考えると結構複雑。今回参加してみて、例えば、期間の長さは様々として「日常の持ち運び先」という立場と、ずっとと考える「存続させるために」という立場が二極としてある。こうも言える、「風の人」と「土の人」だ。「風の人」はいつか居なくなるかもしれない。「土の人」はそこにいる。地域を持続させる、そのためにどうするか。どうするのが効率的なのか。意外に、「灯台下暗し」なんてことかも、しれない。そんなことを思い始めた。集落の人たちはどちらに来てほしいんだろう。



今日の一枚:夜の「仁淀川移動水族館」の様子。パネルディスカッションが終わった7時半過ぎ。魅力的な企画で、その目の前に流れてる川にいる生き物を捕まえて、展示してる。子供たちは、自分のとこの川にこんなにも生き物があいるんだと大喜びだそうだ。企画の意図とは違うかもしれないが、こういったことで子供たちがこの町に残ってくれる切っ掛けにつながらないかと思ってしまう。昼間、見に行けばよかった。




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