「5倫、8徳」
5倫の道という言葉があります。
この5倫とは、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の5つの関係での好ましい特質のことをいいます。
こういうことにのっとって、法律、規則を作っていけば、よい社会、組織になるということです。
哲学の第二命題というのは、このような知見を習得するなどして、社会の構成員になるには、どうしたらよいかというものです。
たとえば、海水浴に行くとして、そこで、もしも、のぐそをしたとします。
すると、その人は、煙たがられ、いやな思いをすると思います。
これは、極端な例ですが、似たようなことは多々あります。
そこに、共通の暗黙ルールというものがあるということです。
この暗黙ルールを得るには、どうしたらよいでしょうか。
結局、学習する以外にないわけです。
従い、哲学の第二命題は、必然的に、学習する方法についてというサブの命題を含みます。
また、その組織の構成員が、一人一人が主体的にこのルールについて考えたり、
構成員に守らせることについて考えたらどうでしょうか。
おそらく、一人で、考えるより、よりよいものになるでしょう。
古代ギリシア哲学が燦然と輝いているのは、まさに、この課題に取り組んだ結果、
一般市民全員でポリスの問題を議論しあったからです。
民主主義が生まれたのは、そういうわけだからです。
本当は、王様が支配するというのが、習わしだったんでしょうが、
一般市民全員で考えたほうがよいと、上の人たちが思い、
この大二命題は、大きく二つに分かれます。
自分で学ぶにはどうしたらよいか
ほかの人に学ばせるにはどうしたらよいかです。
教育の面もあります。
もちろん、ほかにもいろいろな教育の問題があります。
第二命題と2番目に大きな問題とされているのは、
結局、ポリスを繁栄させるために、必要だからです。
第一命題は、宗教的なものでした。
第二命題も宗教的な要素を含みます。
しかし、より、実践的なものです。
ごみを減らしたり、犯罪を減らしたりといった問題は、この第二命題そのものだといえます。
そして、それは、家庭の秩序作りにも応用されえます。
結局、昨今の社会問題の一つ、子供の反抗という問題は、
この第二命題に取り組むことをおろそかにしたこと、
あるいは、その知見を習得することをおろそかにしたことであるといえます。
昔から日本は、儒教により、その知見をえていたのですが、
時代が変わり、情報が氾濫し、大事な情報を得るというそういう
努力がなおざりにされてしまい、
必然的に、第二命題もなおざりにされてしまったのです。
多くの人は、趣味にあほみたいな時間を割きます。
しかし、多くの問題に備える命題への取り組みは、なおざりにします。
その結果、問題を予防できず、あるいは、適切に対処できず、
苦慮するのです。
第1、第2と番号が割り当てられたのは、これらをなおざりにしたら、
必ず、苦慮するという意味でしょう。
自分の人生観が確固としていなければ、必ず行き詰まり、
また、社会のルールが身についていなければ、必ず息詰まるということです。
こう考えていくとじゃあ、第3は、第4は・・・となります。
日本の教育、いえ、世界的に、このような教育は、なおざりにされているようです。
なぜか。それは、富へのあくなき欲求です。
しかし、それは、よい社会、秩序のある社会があって、初めて実現できるものです。
この問題を今まで、軽視してきた、社会は、今まで、問題を積み重ねてきましたし、
今後、さらに積み重なっていくでしょう。
哲学の第2命題は、その昔、日本では、出世するために必要なものでした。
儒教一般は、まさに、それだったからです。
今では、単なる処世術程度にしか見られていませんが、
昔は、出世するのに大事な知識でした。
その中でも5倫という知識がちゃんとみについているか
実践できるのかは、大事でした。
世の中に様々な組織がありますが、
その組織がどんなものをベースにして、ルールを作っているのかが、ばらばらだったら、
都合が悪いです。
ですので、昔の日本は、儒教をベースにしたのです。
中国に倣ったわけです。
ある組織を作るとき、その組織をどのような思想をベースにするかは大事です。
そうしたら、ほかのそのような思想をベースにした組織のやり方を応用できますし、
構成員にその思想のテキストを学ばせることも可能になります。
というわけで、社会ルールについて、社会倫理についての本は、ほかの読み物より価値があるといえます。
この問題は、奥が深いです。
第1も奥が深かったですが、古代ギリシアは、一緒くたにしてしまい、画一的に管理しました。
第2はしかし、もっと、複雑です。
一緒くたになどできません。
ただ、社会全体の国全体のルールというものは、できます。
ようするに、法律です。
それはつきつめれば、きりがないのは、いわずもがなです。
民法というものは、古い歴史がありますが、いまだに新しいものが積み重なってます。
きりがありません。
抜け穴もたくさんあり、問題視されたら、追加されるのです。
こんなもの全部勉強しきれないですし、覚えきれません。
ということは、ここに、要領をきかせないといけない必要があるわけです。
人生は、要領をいかにきかせたかにかかってます。
第2問題もしかりです。
限られた時間で、必要なものを覚えていかないといけません。
指導者がこれをしてくれたひとは、ラッキーです。
してもらえなければ、自分でしなければ、何も知らない状態で放り出される羽目になります。
すべての勉強、教育の最優先課題は、
どう要領をきかせるかでしょう。
必要なものを効率的にほうりこんでいかなければいけません。
第2命題は、非常に重要です。
知ってるか知らないか、実践するかしないかで人生は大きく変わります。
世の中の決まりがわかっている人は、
それだけ、アドバンテッジがあります。
知らない人は、ペナルティを受ける確率が上がり、
恐怖で引きこもりになりがちです。
ただ、本当に知ってるか、知ってるふりなだけかは、あります。
すべてを知り尽くすことなど不可能でしょう。
弁護士でも、しらない法律はたくさんあり、必要に応じ、調べるのです。
ですので、知ってる人に従うのが、ベストなのです。
そして、手伝いながら、学び、やがて、自立するのです。
獣がやがて、自立するのと似てます。
会社を経営する人は、お金儲けの仕組みを考える前に、
従業員に従わせるルールはどのようにすべきか、そして、それをどう教育していくのかを
考えた方がよいです。
場合によったら、懲罰をどうあたえるのかについて考えるべきです。
それがあって初めて、営利活動が成り立ちます。
恐怖による専制君主は、従業員が寄り付きません。
かといって、あまあまのなよなよ経営者は、しまりません。
体育会系の学生が、出世しやすいというのは、
結局、この第2命題について、体で覚えているからです。
彼らは、上級生を立てます。
また、指導者をたてます。
そして、ほかのクラブと同じクラブの部員を区別し、仲間意識を持とうとします。
実はこれらは、儒教の中に同じような教えがあったりします。
彼らは、子供のころから、こういうことをしつけられているので
社会人になっても、まあ、うまいことやりくりできるのです。
要するに、哲学の第二命題は、大事だ。向き合っていかないとだめだといいたいわけです。
そして、家族を作るとき、
この問題にいやおうなく向き合わせられ、
多くが、適当にするので、
乱れた子供が量産されるのが昨今なのです。
山本さんも、カードを販売する中で、その傾向は如実に見てこられたでしょう。
社会でどうやっていけばいいのか、教わらなかった子供たちは、
往々にして、不良グループに組み込まれ、
不幸な目にあうのです。
ただ、その親も知ってれば、教えたでしょう。
知らなかったから教えられなかったのです。
そういう風潮なのです。
ただ、今は、その分、自由で、昔のような堅苦しいものでなく、
より良いものを教えることも可能となりました。
よく、格差社会といいますが、
収入だけでなく、そのような面も格差が大きいのです。
子供は、5歳までで、情緒の基本が出来上がります。
切れやすいとか、嘘をつきやすいとか、そういうのは、ここまでが大きいです。
子供は親の生き写しとは、まさにこのことです。
そのご、12~4歳で、親より友人からの影響が大きくなります。
19歳で、まあ、どんな風にして生計を立てていくべきなのかの分岐点に立たされます。
そして、結婚して、同じことを教えていかないといけなくなります。
というわけで、子育ては、このような目安を持つべきです。
5歳までにどうあるべきか
12~4歳までに何を教えるべきか
19歳までに何を教えるべきか、
そして、結婚するまでに何を教え、準備させるべきか
大概、適当、ほったらかしです。
荒れ放題の畑でろくな作物ができないがごとく、
教育ができない家庭が量産されるのです。
要するに、そういうことが課題として取り上げられてこなかったからです。
どうでもいいことばかりに時間を使い、そういう課題があるという事実にさえ
気づけなかったからです。
そういうわけで、こういう社会があるのです。
この第二命題は、よって
いろんな社会で共通するルールとは何か
どんな風に学ぶべきか
どんなふうに教育していくべきかという
そういう問題を含みます。
そして、様々な社会、組織ごとで、それらは個性が出てきます。
ただ、ホームランがうてるだけでは、プロ野球選手としては
うまくいかないと思います。
組織の中で、うまいことやっていけて初めて、その才能が生きるのです。
家庭をどう営むべきか、という命題は、ほとんどの人が直面する命題です。
いろんなことを考えますが、
根源的にこの第二命題の知見が生かされるということに気づく人は、
少ないです。
経営のプロは、経営での知見を応用し、うまいことやっているそうです。
それでまるく収まればいいですが、
彼らは、往々にして、教育という面をないがしろにします。
つまり、夫婦仲、家族仲は、うまいこといくのですが、
子供に社会人としての素養を教えるという面を軽んじてしまうのです。
彼らはビジネスライクですから、いちいち従業員に手取り足取りおしえないですから、
そういう結果となりがちなのです。
というわけで、また、霊感を感じましたので、よろしければ、記事に加えてください
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哲学の第3命題
哲学の第3の命題は何でしょうか。
それは、要するに、
知識をどうストックしていけばよいのかということです。
これが第3です。
しかし、第一も、第二もこのテクニックを使うことになるかと思います。
オーバーラップする部分は、あまり、気にせず、
要するに、第3は、知識をストックする技術全般ということです。
数々の命題を選別していった結果、これが第3にランクされたということです。
ですので、重要なのです。
要するに、たとえば、自動車の運転も、
ずっとやってれば、なれます。
すると、事故にあう確率は減っていくはずです。
しかし、不注意運転をする人は増えます。
というわけで、ベテランドライバーでも事故にあうのです。
教習所でならったことや、免許を取る際に覚えた交通法規も、
時がたつにつれ、忘れていきます。
日々の運転で、安全運転を学んでいけば、よいですが、
交通法規などは、復習の時間がいります。
というわけで、運転には、安全運転の技術を学んでいくことと、
学んだことを覚えていく2つのことが必要であるといえます。
ほとんどの人が、安全運転の技術を、頭のみで覚えています。
プロのドライバーは、いちいちノートにまとめたりしているでしょうが、
仕事で使うわけでないという人は、そんなことをする人はまれでしょう。
このことは、ほかの仕事やらなんやらにあてはまります。
パソコンの技術もそう、野球をはじめとするスポーツもそう、
囲碁などの趣味もそうです。
ギリシアの文化が花開いたのには、この命題が重要だという共通値があったという
ことに他ならないでしょう。
かれらは、ルーティーンを重んじました。
毎日の日課です。
毎日、自分の用事、家族の用事でやるべきこと、
そして、職業としてやるべきことを黙々とこなしていきました。
そして、その中に、この知識の蓄積をいれたのです。
彼らは、いまのわれわれのような、ノートを持ってませんでした。
従い、暗記術にたけていました。
覚えれる量は、それでも、少ないので、
彼らは、大事なことを取捨選択しました。
現代のわれわれより、この面で卓越していたのは、
不思議な現象です。
そして、彼らは、それを覚えて、羊皮紙などに記載しました。
それらは、きわめて重要なものでした。
もえて消えてしまうというわけには行けませんでした。
従い、彼らは、特に重要なものは、金属に彫り込んだりしました。
そういうわけで、ほとんどの市民は、彫刻に造詣がありました。
それぞれ、座右の銘になるようなものは、金属に彫り込んで、大切に保管したりしていました。
もちろん、石に彫り刻むのもありました。
毎日、重要なものを見返し、
復習しました。
ほとんどの人が、現代人の方が、賢いというと思います。
しかし、実際は、古代のギリシア人のこの記憶力には、及ばなかったでしょう。
彼らは、そして、大事な命題を取捨する。取り組むべき命題を取捨するというそういうことも重んじました。ここも、現代人が及ばないところです。
古代ギリシアでも、命題がなされるべき優先順位ができない状態の問題について
指摘していました。
命題のるつぼの状態です。
どうでもいいことばかりして日が暮れるのは、同じ現象です。
畑仕事に来たのに、そちらをせず、ほかのことをしてしまい、結局何もできずにおわるということも一緒です。
命題の優先順位は極めて重要な知見なのです。
そういうのもひっくるめて、第三命題は、知識のストックの方法についてです。
昔の方が、不便なのですが、その分、その不便さを乗り越えるうえで、
現代よりも優位に立つ能力を磨くことができたわけですが、
しかし、現代は、情報機器の進展で、さらに
ギリシア時代より、高度な蓄積が可能となりました。
ビッグデータの蓄積などです。
個人レベルでもこのことは可能ですが、
私たちは、パソコン上に膨大なデータを蓄積することが可能です。
ノートの情報は、引っ越しなどの際、なくなったりしますが、
電子データは、クラウド上で、半永久的に存続し続けます。
ギリシア時代の人より、暗記力は弱くても、
もっと、高度なものを用意することが可能となりました。
何につけ、知識の蓄積がカギを握ったりします。
ルーティーンワークの習慣が人生をより豊かにする秘訣だったりするわけです。
「第4命題」
哲学の第4命題は、
まあ、命題の優先順位についての知識です。
それは、どんな命題に向かい合っていかないといけないかという命題の全体像を含みます。
その中でどれがいかに大事かという問題です。
それらは、状況により、異なってきます。
臨機応変の対応も含まれるわけです。
「第5命題」
哲学の第5命題は、
非常事態への対処法についてです。
戦争もしかり、災害もしかり、
財産を失ってしまったということもしかり、
様々な面での非常事態にどう向き合っていくべきなのかということで、
じゃあ、どんな非常事態が想定されえるのかということも含まれます。
昔は、戦争がありました。
戦時において、どう対処するべきなのかという知見も含まれました。
この話は、興味深いです。
リスクマネージメントと呼ばれる経営学と一分野と大体重なります。
ただ、より、日常生活に関するものになります。
獣と人間の最大の違いは、これであるという人もいてます。
つまり、人は、非常事態、特に災害に備えて、くらすが、
獣は、想定する知恵がないということです。
保険についてとか、社会保障についての知見も含みます。
ギリシア時代は、陳腐なものだったでしょうが、
社会保障もほとんどなかったでしょうが、
しかし、保険は必要不可避のものとみなされ、
厳格なルールがあったようです。
ルールは、第2命題と重なります。
各命題は、重なり合い、相乗効果があるわけです。
非常事態のことばかり考えているわけには行けません。
なので、ここでルーティーンの問題が出てきます。
毎日とか毎週で、きまっただけ検討するというそういう形となるわけです。
「第6命題」
第6命題は、健康についての知見を収集することです。
健康あっての人生です。
第6と6番目に重要とされているのですが、
病気の人は、もっと、優先度が高いでしょう。
「第7命題」
七番目は、意思決定についての知見を得るということです。
これも奥が深い話です。
例えば、ある理事会は、6人いるべきなのか7人いるべきなのかという
問題があったとします。
7人だと、3対4にわかれるので、同数になるということはあり得ません。
しかし、6人ないしは8人のほうがよいときもあるとされています。
それは、構成員の一人をさばくとき、割れないからという理由です。
あるいは、議長や書記などの役職についた理事は、投票権をあたえないほうがよいという理由です。
このような集団で意思決定をする場合も含まれますが、
個人で意思決定をする場合も含まれます。
往々にして、それは、もう変えてはいけないものとなります。
変えた時のペナルティはどうするべきなのかというものも含まれます。
奥が深い世界となります。
「第8命題」
商事一般についての知見
これは、契約ごとも含まれるものです。
非常に幅が広いですが、商人でなくても、ある程度は知っておくべきとされ、
第8に大事とされました。
契約ごとは、しかし、商売のみにとどまらず、
生活全般にあります。
ですので、第8ではないという人もいてます。
「第9命題」
ライフラインについての知見
これは、一見、めちゃくちゃ大事そうですが、
特に、古代ギリシアみたいな昔だったら、特にだいじそうですが、
9番目です。
要するに、ライフラインの水やら、火だねやらについての知見です。
今のわれわれは知らなくても、当座は困りません。
ただ、やはり、知っているべきなのは事実です。
youtuberでもこういうことをしている人は人気があるようです。
現代において、こういうのにのめりこむ人がたたいてるようで、
以外に、現代人も詳しい人が多いです。
ただ、のめりこむほどのものでないのは事実です。
しかし、最低限知っておくべきことがあるのが事実です。
それはいったい何なのかは、地域によるでしょう。
寒い地方は、雪が降ったら、どう、食料飲料を確保するのかという情報は、
命にかかわったりします。
ときとして、地域社会の一員として、こういうのを共同で守る組織の構成員とならざるを得ない場合もあります。
「第10命題」
生活で必要な、習慣についての知識
まあ、この中で知識のストックという問題は、特に重要なので、独立したものとなったわけです。
そのほかにも、運動であったり、身だしなみであったり、様々な
必要な知識があります。
そういうことへの知識は、10番目に重要だとされました。
ただ、時により、非常に重要になることもあるでしょう。
というわけで、10大命題についてでした。
人生をより豊かに送りたければ、これらの命題を
定期的に、断続的に、考えたり調べたり、話し合ったりしてみてください。
きっと、よい報いとなりかえってくるでしょう。
これらの命題は、一つ一つが、何冊ものいや、
何十冊という本になりえるテーマだったりします。
昔も今も、共通するところは、多々あります。
昔の賢人のこういう指針を取り入れるのは、賢い選択でしょう。
というわけで、さらに霊感を受けましたので、
よろしければ、記事にしてください
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陰陽5行説
皆さんは、陰陽5行説というのを聞いたことがありますか
山本さんの話にもたびたび登場する宗教の話の中に、こういうのがあるようです。
これは、現代科学では、まあ、否定されている考えではあります。
5つの要素だけではなく、無数の要素が、入り混じっているのが実際で、
そんな単純なものではないというものです。
昔は、しかし、原子顕微鏡やら、実証主義に基づいた、理論などあるはずもないので、
人々は、自由にいろいろな理論を作って、色んな問題について納得していたのです。
実に、5行説というのは、春秋戦国時代に起源をもつようです。
昔は、戦乱の世であって、今以上に、愛国心、忠誠心を培うことが求められました。
ですので、忠誠心を持っていることを試すことが行われ、
忠誠心を非常にテストされていたようです。
5行説というのは、そのような背景から生み出されたものだということです。
つまり、木→火→土→金→水→木
というこういう連関関係から、当時の哲学者は、
戦乱のメリットを説いた模様です。
つまり、火が戦争です。
それで、土要するに、被支配民が生まれ、
金が蓄えられ、水、つまり、
穀物生産のための用水路が作られ、
そして、木、家臣団が生まれていくというものです。
こういうことですので、暦に組み込んで、
そういう法則を忘れないようにしようとしたということです。
つまり、全員で、領土的な野心を持とうとしていたということだそうです。
しかし、それは、表立っては、そのままで教えられました。
ここに、陰陽説の極意がわかります。
つまり、表の意味を持たせるのですが、裏の意味があり、
そっちが本当だということです。
なぜ、こんなことをしたのかは、その当時の時代背景があります。
つまり、支配されてしまったということを
その理論の裏の意味を共有することにより、
忘れないで、いつか、ひっくり返そうということです。
それを作り出した哲学者は、そういう意図でそういう話を作り出したのですが、
5行説は、独り歩きし、
やがて、占いの主要理論に組み込まれていきました。
もっともな理論だと思われたからです。
中国の占いは、統計的な要素があるとされてます。
それは、この5行説を応用しているからだそうです。
つまり、たとえば、金、富が得られる前には、
土つまり、師匠に服従する必要があり、
そのためには、火、つまり、厳しい指導にも耐える精神が鍛えられないと行けなくて
それは、木、つまり、風雪に耐えないと、そういう覚悟はできないというものです。
そして、水は、富からつながるものですが、
これは、突発的な災害であったり、そういうことだということです。
塞翁が馬という故事がありますが、
そういう思想だということです。
基本、中国の占いしは、うまくいってる人には、よくないことが起こるといい
よくないことが続いている人には、うまくいくというみたいです。
それは、要するに、こういうような思想からで、よくないことを堪えていれば、
うまくいくための基礎ができるものであるというそういう教訓がベースにあるようです。
というわけで、うまくいくということで、中国の占いに好んで採用されたのが、5行思想です。
もっともっと複雑なのですが、ベースはそれです。
陰陽道は、おもしろい話です。
陰陽師というのは、これは、まあ、祈祷士です。
なのですが、基本、陰陽道というのは、
思想の話でした。
ベースはつまり、世の中の陰陽関係を調べ、それを実社会に応用すべしというものです。
これは、古代ギリシアの哲学者も非常に研究しました。
古代ギリシアは、多神教の宗教がベースにあり、ゼウスやらポセイドンやらを崇拝しました。
クリエーターである神は、人間の教訓となるものを作っている
ポリフォーリズムがあるとし、
これを探すのが旅の極意であるとさえいった哲学者もいました。
そのほかの目的も併せ持ち、古代ギリシア人は旅行を重んじました。
そして、一人前になりたければ、苦しい旅をすべしと説きました。
その精神は、いまだに、欧米の若者がバックパッカーになって、
世界中旅しているのに見られます。
欧米の人は、古代ギリシア哲学をベースにしてますので、
その思想を現代でも受け継いでいるのです。
ただし、大概、キリスト教ですから、
古代ギリシア哲学と、キリスト教が2大ベース思想であるといえます。
また、当然、ローマ時代やら、ほかの時代の哲学も重んじています。
そういうのがわかってきたら、こういう人と交友関係を作りやすいということです。
ところで、陰陽道は思想の話です。
陰陽師は、ちょっと、違います。
あの人たちは、祈祷士です。
ただ、その、呪詛の様式に、陰陽道やら、五行説やら、
神秘的な中国思想を取り入れているということです。
この辺は、勘違いされがちなところです。
ところで、この陰陽道なのですが、
自然界やら人間社会やらにみられる、現象を観察し、
その陰陽関係から実生活で応用できる法則性を見出すというものです。
なので、道、陰陽道なのです。
別に陰陽関係でなくてもよいのではと思われますが、
とにかく、陰陽道の人は、そう説きました。
そして、その後裔の人たちは、たくさんの法則性を見出しました。
例を挙げてみますと、
たとえば、日と月の関係ですが、
これは、王様と皇后の関係に似ているというのです。
つまり、皇后はどう、ふるまえばよいのかわかるというのです。
王様が休んでいるときに、つつましく、太陽の日を反射するがごとくに、
まあ、それなりに、威厳をもってふるまえということです。
なるほどと思えますね。
同じく、これは、社長と、従業員にもあてはまるというのです。
従業員は、社長がいないときは、
まあ、それなりにつつましく、しかし、それなりに威厳をもって、
社長の代わりをするべきだというわけです。
自然界の減少から、日常世界でのいふるまいなどの指針が得られるのは、不思議ですが、
しかし、実際、指針になりそうなので、興味深いところです。
たとえば、蟻と蝶々の陰陽関係からも興味深い示唆を得ることができるというのです。
蝶々のほうが、華やかで自由に動き回り、これは陽です。
蟻が陰です。
しかし、いったん、蝶々は力尽きると
蟻の餌となります。このとき陰陽は逆転します。
同じようなことは、人間社会でも起こると思われます。
元気そうにしていた人が、むこうみずなことをしてしまい、
たとえば、捕まってしまって、牢屋に入れられてしまったとします。
一方、おとなしくしていた人が、その牢屋の番人だったりします。
まさに、陰陽が逆転したといえますね。
このことからわかるのは、
元気な人も、いずれは、力尽きるときが来るということで、
その元気を大事なことに使いなさいということです。
まあ、というわけで、ほかにも陰陽道士は、様々な知見を世に残しました。
そういう知見は、なるほどおと思える内容を多く含んでいます。
また、霊感を受けましたので、よろしければ、記事に加えてください。