遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

自宅での葬儀

2007-07-09 | Weblog
義父は1年半 病人生活をしていましたから 葬儀の形についてはたびたび話題になりました。とりわけ 最後の入院をした時(一月半前)看護師長さんに 最終的なことを覚悟しておくようにいわれてからは 斎場で行うか 自宅で行うかたびたび話題になりました。

田舎のことですから 義父は自宅から出たいに決まっています。設計士だったから自宅を建て替えるときも 自宅で葬儀ができるような家を建てました。ただ、介護疲れから 義母が介護される状況になり 夫は昨年手術してからまだ万全ではないため 力からいけば 斎場にて執り行うほうが 万全であろうと残された家族は ほぼ結論を出していました。

しかし、心の底では『義父の気持ちを思えば自宅だが・・・』と 揺れ動いていました。義父が 自由の身になり自宅に帰ってきた時に、従来の習慣どおり取り持ちの方にお集まりいただき相談しました。皆さんは、当然自宅だと思ってみえましたから『斎場にて執り行いたいのです』という夫の言葉に、一瞬、気流がとまりました。しかし、喪主の意見を尊重するのがおとりもちなので・・・・しばらく『ぎこちない相談が続きました。』

9回裏 逆転ヒット・・・
その決定打は『斎場の場所が 不便であったこと』です。やはり 故人の意思に沿ったものにしましょうという結論。

大変でしたが やはり 正解でした。
本当に大変でしたが 義父は 皆さんに心のこもった葬儀をしてもらって大満足だと思います。私も 心残りなくて 涙が出るほどうれしいものでした。

大変な努力は やはり報われるものが大きいですね。

注;斎場による葬儀が悪いということではなく うちの地域が『自宅での葬儀』の地域なので、血に溶け込んでいる習慣なのです。私たちの世代にはほとんど昔風のやり方に対するこだわりは無いのです。われわれの親の代までだと思います。それほど おとりもちの負担は、大変です。他人の葬儀のために会社を休み、遠方に単身赴任の人はわざわざ帰ってくる・・・・というほどの力の入れようで本当に申し訳なくなります。他人のために協力して葬儀を行うという昔からの根強い土地の習慣です。

  
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