遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

失われた風景 3

2007-12-09 | Weblog
自家用車が有るのは 余程の金持ち。
テレビは町内に一台。
外からも見える位置に置いあり、特別な番組は町内中が見に行った。
電話は 親子電話や 呼び出し電話で、電話が 有る家は 大抵 玄関に 電話を置いたものだった。
みな 廻りへの配慮に溢れていた。
幸せは お裾分けするものだった 古き良き時代。

みんなが 貧しかったから あまり 人を羨むこともしなかった。
日本は かつて こんな風に 優しさにみちた 豊かな国だった。
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失われた風景 2

2007-12-09 | Weblog
ご飯は鉄がま。ガスで炊いた。
洗濯機は 絞り機が付いていた。
全自動の今は 夢のよう。
食材は 商店街に買い物に行った。
野菜は八百屋、魚は魚屋、薬は薬屋。
全ての店が独立していた!
学校の校門脇で 何かと 出店があった。

町内には紙芝居やさんがやってきた。
こずかいの無い子は お菓子が買えず 遠くから見ていた。
飴細工やさん べっこう飴やさん 水飴やさん ‥‥

そうそう 忘れちゃいけない ロバのパン屋さん

包丁やハサミを研ぎに来る人、 薬屋さん、 金魚屋さんさえ来た。
豆腐屋さんがやって来たものだった。
大好きだったのは 「ばっかん屋」さん。
米と砂糖を持って飛び出ていくと 「ばっかん
と 米菓子の出来上がり。

こうみてくると 往来を絶えず人が行き過ぎていたのがわかる。

活気のある生活だった。
母は 子育てで悩まず
地域の子育てが 自然と出来ていた。

子ども達は 日々ワクワク 冒険をしていた。
日本中が 共通の 価値観を 持っていた。
子どもは風の子」 「助け合い」
お母さんはかならず 夕方には 晩ご飯を作り「ご飯だよ」呼ぶものだった。

朝は焚き火の中に 石を入れ 焼き石をハンカチに包んで暖を取った。
今は 使い捨てカイロがある。
焚き火なんかしようものなら 叱られる。
昔は必ず 誰かが落ち葉はきをして
通学する子どものために 焚き火をしてくれていたのだと 今更 思う。

古き 良き時代



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失われた風景 1

2007-12-09 | Weblog
毎日 近所の友達集団が 遊びを企画し作り上げて 日が暮れるまで遊んだ!
妹や 弟の世話もしながら 遊んでいたっけ!
なんて 豊かだったんだろう!あの時代。
近所の大人が誰彼となく 言葉をかけてくれた!
私たちは かなり 自発的に遊びながらしかも 見守られていた!
車は居ない。 みんな 砂利道だった。
リヤカーや 乳母車に乗せられた記憶がある。
嫌いな子は居なくて 個々の 人柄を 丸ごと受け止め遊んでいた!
私たちが 今 求めて得られない 子どもの時代の黄金期

私たち日本人は いつの間にか 大切なものを 忘れてしまった
自分の子ども時代が 甘い思いと共に今 胸に浮かぶ。

今と何が違う? 母親は 家事と内職におわれていたが
映画が大好きで しょっちゅう 連れ立って出掛けていた。
夜子どもが寝静まってから 出かけることもあった。
私は何度か 目を覚ましてしまい 内緒で連れて行って貰った。

みんな 貧しいながらも 生活を楽しんでいた。
今は 何故か 幸せ感が無い! 何故なんだろう!

かくゆう私は 団塊の世代
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