いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

女性力と100年。 gender mentalism in 100 years

2013-08-01 19:44:34 | 日記
 (1)安倍政権の成長戦略構想には女性力(gender mentalism)の活用も柱のひとつだ。国民総人口比率で男性よりも多く長寿であることから、重要な社会資本として社会を支える活力となるために政治、経済、社会、文化の成長には欠かせない圧倒的な人材力だ。

 ところが諸外国と比較して日本女性の社会進出の比率の低さがデータとともに指摘されて、国際社会での日本の評価の低さにつながっている。
 国会議員の女性進出が7.9%(昨年衆院選後統計)で女性研究者比率も14%と主要国では最低レベル(報道)だ。

 (2)出産という女性特性がハンディともいわれるが、世界の女性共有のものであり日本特有の事情でもない。近年は、日本の企業でも大学でも政治(首長)でも女性の活動、進出が目につくようになってきているが、それでも諸外国に比べれば最低レベルのものだ。

 (3)思想的(gender mentalism)、宗教的な背景が及ぼす影響力が女性の社会進出を決める要因のひとつだ。日本は特定宗教に属さない儒教思想が社会のパラダイム(paradigm)になってきて、社会は男性、家庭は女性の社会構造が長く続いてきた。

 諸外国は特定の宗教規範が社会正義のパラダイムとなって、女性尊重、社会進出を後押しし、または国、宗教によってはまったく社会進出を拒む極端な立場をとってきた。

 (3)情報化、グローバル社会を迎えて世界の人間価値観の共有化が進み、改善速度の違いはあるが総じて社会の女性力活用、進出は時代の「流れ」となって世界を動かしている。

 しかし、いつの時代も特異な精神性、意欲、能力を持った女性はいるもので、日本の100年前当時の帝国大学は入学は男性のみに許されていたが、開学間もない東北帝大(現東北大学)に女性3人が受験し入学を認められた(報道)とある。

 (4)受験を認めた大学の先進性も見事だが、果敢に絶対的無理難題に挑戦した女性のフロンティア精神性にも驚かされる。
 まだ特殊な社会でもあったからこそ、パラドックス(paradox)としてこの女性たちの行動、意欲、突破力は特殊なものでもなく力強い自覚による女性活力そのものであったのだ。

 大学もそれを受け入れる特殊な大きな「度量(generosity)」があり、女性にもその機会をひらく「度量」があった創造性時代でもあった。
 東京、大阪圏でなく地方都市だからこその自由な革新性も社会構造に根付いていた結果なのではないのか。

 (5)大学も創世記で斬新性があり、あたらしいものに前向きでフロンティア性があったのだろうが、その精神性(mentalism)が社会に定着しなかったのは残念だった。

 それから100年がたって、少子高年令化社会の中でこれから25年、50年先の社会革新のための成長戦略の柱のひとつに女性力の活用の必要性が主張されている。

 地方自治体の首長に女性の進出も目立ち、100年前の試行錯誤、度量のように大都市圏ではない地方からの斬新でフロンティアな社会構造改革が求められる。
 時代変革には地方主権、地方自治の確立が理念として求められている。

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