いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

東電倫理の刑事責任。 criminal duty of the enterprise morals

2013-08-25 19:33:33 | 日記
 (1)政府はようやく汚染水対策を東電まかせではなくて政府が経費負担をして対応する方針を示したが、そもそも東電にすでに数兆円規模の資金供与(国民負担)しているのだから、東電に福島第一原発事故収束対応をまかせようが政府が前面に出て政策を実行しようが、国民にとっては国民投資(税)負担からの対策であることには変わりがない。

 東電による福島第一原発事故収束過程の貯蔵汚染水漏れは、次から次のズサンな対策、安全対応があきらかになって手がつけられない現場管理になっている。

 (2)原規委の原発事故現場視察からは東電の汚染水安全管理対策マニュアルも存在せずに、「場当たり的」な対策管理のもとに貯蔵タンクから漏れた汚染水が遮蔽(しゃへい)壁のノズルの開放された部分から外に漏れて海域にまで流出している事故状況があきらかとなった。

 さらに今また地盤沈下後に別の場所に移設した使い回しタンクから汚染水の漏水が発覚して、原発事業者東電の危機意識の欠如、安全感覚マヒの企業統治崩壊の実態があきらかとなった。

 (3)東電の定例の事故会見でも人ごとのような事故分析、解説はしてみせても、まるで問題意識の重要性、真剣さは伝わってこない。
 こんな企業の東電が刈羽柏崎原発の再稼働に向けては積極的に関係自治体に再稼働容認の働きかけをしている構図は、異常性を通り越して企業統治の錯乱(distraction)状態というほかはない。
 まともな企業活動判断が出来るものが存在しない愚弄集団化しているのではないのか。

 (4)廃炉までに40年が見込まれて、無責任に企業の未来を見限った東電からは技術者の流出が続いているとの報道もあり、とても原発事故収束の安全対応責任をまかせれる企業ではない実態が最近の貯蔵汚染水処理事故にあらわれている。一連の東電の事故対応は被災地、国民を愚弄するものだ。

 東電企業倫理の刑事責任(criminal duty of the enterprise morals)が問われる事態だ。

 (5)そのためには東電に代わる安全責任を持てる福島第一原発の事故現場組織、管理体制を再編成しなければならない。
 もちろん、いまさら東電のすべての機能を排除することなど出来ないのでそれも含めた政府、事業者、専門家の原子力村トライアングルが外国の原発先進的専門知識も取り入れて責任を持って事故収束、安全管理対策、対応すべきことだ。

 政府にその腹づもりはあるのか。

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