いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

体罰7倍。 corporal punishment sevenfold

2013-08-10 19:59:25 | 日記
 (1)かってはそれが大人の甲斐性、正義のようにあたり前の論理、倫理だった子どもの強制指導(結果としての体罰)が、受けた子どもの自死につながって社会悪として完全否定されて、時代は終戦直後の価値観、パラダイム(paradigm)の180度転換に見舞われたと同じ(経験はないが多分)「時代反転」を迎えている。

 教師による「体罰(corporal punishment)」が社会悪として教育精神性から対極にあるものとして完全否定された。

 (2)極めて当然の論理、倫理なのに、その程度、加重の多少にかかわらず「力」のあるものから「力」のないものへの強制指導など自己満足、自我の精神性世界としてとても教育指導などと呼べるものではなく、もっと別の方法論、確かな基準を考えだす生みだす必要があったのに、安易な方法論に埋没してその「反動」、「反転」としての必然として従来の教育指導への社会からの完全否定となった。

 (3)文科省の昨年1年間の全国小中高の体罰調査で、例年の7倍の6700件強の体罰被害実態があきらかとなった。体罰被害の社会悪意識の向上が社会に浸透しての教育現場の意識の変化が、隠すことの無意味、ここにきてようやく情報開示性の必要性の認識の高さが結果に出たのは間違いない。

 (4)「体罰」の程度も判断基準がむずかしいなどという社会必要悪論理は、そもそも肯定される必要もないことであったが(力のあるものから力のないものへの自己満足、自我精神性)、それでも成長期の子どもには必要悪として他に適当な指導方法がないと思われる根強い善良説もある。

 たとえば注意をうながすための子どもの頭を「コツン」と小突く(あるいはたたく)のは「体罰」というのかなど、いちいち列挙、対応策などしていたらきりがないだろう。だから、程度の差に関係なく力のあるものがないものを制御、支配する心的作用があってはならないと考えるべきだ。

 (5)よく、幼少期に甘やかすとその後の成長に悪影響(わがまま、ひとりよがり、協調性を欠く、乱暴などなど)を及ぼすといわれたものだが、成長途上の子どもの日々の変化のそんな時期に確定的に強い影響力を及ぼす効果はあるはずもなく、成長するに従って自律、自立心は自然に芽生えてくると考えるのが自然論理だ。

 (6)同調査では体罰として「素手で殴る」が61%、被害は83.4%が「障害なし」(打撲7.1%、切り傷・外傷3.1%)となっている。
 しかし事例すべてにわたって心理的(mental)、精神的(spirituality)傷害は一部の特殊な例外を除いて残るはずだ。

 (7)体罰による身体的傷害よりも心理的、精神的傷害の感受性度合いこそ、は握、分析、寄り添い方が重要であり課題だ。

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