
↑ 地図は聖書大百科(創元社)より転写
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日本キリスト教 富 谷 教 会
週 報 降誕節第七主日 2014年2月16日(日) 5時~5時50分
礼 拝
司会 永井 慎一兄
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 377(神はわが砦)
交読詩編 27(主はわたしの光)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 士師記4章1-16節
説 教 「女預言者・士師デボラ」 辺見宗邦牧師
祈 祷
賛美歌(21) 517(神の民よ)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2月23日(日)午後5時~5時50分
説教 「士師ギデオン」
聖書 士師記6章11-24節
交読詩篇 73 讃美歌496 512 24
本日の聖書 士師記4章1-16節
1エフドの死後、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、2主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。3イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけたからである。
4ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。 5彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた。
6さて、彼女は人を遣わして、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せて言った。「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。7わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と。」8バラクはデボラに言った。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。」9デボラは、「わたしも一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と答え、直ちにバラクと共にケデシュに向かった。10バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに召集した。一万人が彼に従って上り、彼と共にデボラも上った。11カイン人のヘベルがモーセのしゅうとホバブの人々、カインから離れて、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張っていた。
12シセラはアビノアムの子バラクがタボル山に上ったとの知らせを受けると、 13すべての戦車、すなわち九百両に及ぶ鉄の戦車に加えて自分に属するすべての軍隊を召集し、ハロシェト・ハゴイムからキション川に向かわせた。 14デボラはバラクに言った。「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか。」バラクは一万の兵を従え、タボル山を下った。 15主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた。 16バラクは、敵の戦車と軍勢をハロシェト・ハゴイムまで追いつめた。シセラの軍勢はすべて剣に倒れ、一人も残らなかった。
本日の説教
士師記では12人の士師と勇士バラクが登場します。そのうちの主な士師は、<デボラ>、<ギデオン>、<エフタ>、<サムソン>4人です。今日の聖書の個所の4章では、デボラという女預言者が士師として登場します。
「エフドの死後、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。」(士師記4:1,2節)
<エフドの死後>とありますが、これは3章12~30に登場した士師です。士師エフドがモアブ王とその兵士を打ち殺し、モアブを占領したので、イスラエルの国はその後80年間も平穏であったことが記されていました。
ところが、士師エフドが死ぬと、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行うようになりました。イスラエルの人々は異教の神々を取り入れ、主を捨て、周囲の神々に仕えたのです。永遠の神、信頼するに足りる神、あらゆる必要を豊かに満たし、導いて下さる神を忘れ、信仰的にも道徳的にも堕落したということです。
その罪に対して、主なる神は外国の王を用いてイスラエルに災いを下されます。<ハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に>任せて、イスラエルを略奪されるままにしたのです。ヤビンは<鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけ>ていました。(ヨシュア記11章1、10節に、ヨシュアがハッオルの王ヤビンを打ち殺したとあります。この時の王はハロシェト・ハゴイムに住んでいたヤビンの将軍シセラだったのを、編集者が間違えたと思われます。シセラはカナン連合軍の王でした。)
ハツォルは、イスラエル北方、ガリラヤ湖の北18㎞ほどにある都市で、ナフタリ族の領土の中にあります。将軍シセラの居住地ハロシェト・ハゴイムはゼブルン族の領土の中にあります。ナフタリやゼブルンはもちろんのこと、イスラエルの民は、このカナン王の手によって力ずくで支配され苦しみました。イスラエルの民はその苦しみの中で、悔い改め、主に助けを求めて叫びました。
ベニヤミン族出身のラピドトの妻で女預言者デボラ(「蜜蜂」という意味)が、士師としてイスラエルの裁判をするようになったのはそのころでした。彼女はエフライム山地のラマとベテルの間にある<デボラのなつめやしの木>の下に預言者の座を定めていました。イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていました。「ラマ」はエルサレムの北約10キロの所で、「ベテル」はその北側です。
<デボラのなつめやし>は士師デボラにちなむ名ではなく、イスラエルの父祖ヤコブの第二夫人リベカの乳母のデボラに由来するものです。彼女はベテルの下手にある樫の木の下に葬られ(創世記35章8)、そこから生えたものが<デボラのなつめやし>と呼ばれるようになっていて、預言者デボラはここを「裁きの座」に選んだのです。
神のお告げを聞いた預言者デボラは、ナフタリ族のアビノアムの子バラクを呼び、戦うように命じます。預言者とは、神の代弁者,つまり霊感により音信を受け、神のご意志や目的を知らせる「神の人」です。
「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と」、いう神の言葉を伝えました。
バラクは「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」と、答えたのです。イスラエル軍のリーダーとなるバラクは、自分たちよりも圧倒的に力が上のカナン軍との戦いを前にして、非常に大きな不安と恐れを抱いたのです。
デボラは「私は必ずあなたといっしょに行きます」と言い、けれども、この出陣でバラクは栄誉を得られない、と告げます。
デボラはバラクといっしょにケデシュへ行き、バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れてデボラと共に、タボル山に上りました。
一方敵のシセラは、バラクがタボル山に登った、という知らせに、鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、キション川に呼び集めました。
タボル山はイズレエルの大平原を一望できる。戦略上大事な位置を占める山です。お椀型の山で、海抜は588メートルです。
4章10からの戦記と5章に記されたデボラ戦勝賛歌から、戦いの様子が分かります。イスラエル軍はゼブルン族とナフタリ族などを中心とする農民兵。近くにモーセの義兄弟であるカイン人ホバブの子孫であるヘベル家が住んでいたと記録されていますが、イスラエルに加勢しません。
タボル山に登ってデボラは戦機を伺います。そこにカナンの軍隊がタボル山めざして、山の下、川の近くに陣を敷きました。その辺りは乾季の時は渇いた平地ですが、雨が降ると、泥沼に代わり、戦車部隊は全く役に立たなくなってしまうのです。
その時、「もろもろの星は天から戦いに加わりその軌道から、シセラと戦った。」(士師記5:20,21)とあるように、神が味方し、キション川周辺に雨を降らせ、辺り一帯を平地から泥沼に変えてしまったのです。
デボラは「立ちなさい。主がシセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか。」と言い、バラクに出陣を命じました。デボラは神ヤハウェがあなたの先に立って戦って下さるから、そのことを信じてたとえ相手が強敵であっても勇気を出して戦いなさいと励まし送りだしました。
バラクは軍勢とともにタボル山を駆け下ります。キション川のほとりが主戦場となります。メギドの水の流・キション川は増水して平原はぬかるみになり、戦車は全く役に立ちません。戦車は馬に車をひかせるもので、車に御者と弓や投げ槍をもった兵士の二人が乗りました。もう一人、盾を持った兵士が乗る3人乗りの戦車もありました。その車の部分に当時の最高の技術だった鉄をつかっていたのです。何と騎馬戦車の圧倒的優位のシセラ軍が敗北してしまいます。驢馬しか持たず、鎌、青銅の剣などの農民兵が勝利しました。
士師記4章17節以下は、敵将シセラの逃亡とカナン王ヤビンの滅亡が記されています。シセラは「ケデシュ」の方へ走って逃げ、ヘベル一族のところに逃げ込みました。
[ヘベルの一族は、モーセのしゅうとの一族で、カイン人(ケニ人)の住んでいる死海の南の地域から離れて、ガリラヤ地方のケデシュに近い、エロン・ベツァアナニムに天幕を張って住んでいました。]
ヘベル一族とヤビン王は見せかけの友好関係にあったようで、ヘベル家の長の妻ヤエルにテントに迎えられて、シセラはようやく息をつき、飲み物をとったあとヤエルに見張りを頼むと泥のような眠りにつきます。シセラが熟睡すると、ヤエルはテントを地面に固定している太く長い木釘を一本ぬきとってシセラに近づき、こめかみに木釘をあてて槌で打ち込みます。木釘はシセラの頭を貫通して地まで突き刺さりました。シセラを追ってバラクがやってくると、そこには無残な姿のシセラが横たわっていた。こうして将軍シセラと自慢の戦車軍団を失ったヤビン王は、次第にイスラエルに圧倒され、ついには滅ぼされました。
イスラエルの北方の人々が二十年もの間カナン人に支配され、苦しんでいたとき、神はカナン王の圧迫に先頭になった立ち向かうことのできる人物、女性のデボラを備えてくださったのです。デボラはイスラエルの中央部分で奉仕していたのですが、北方の人々を助けるために立ち上がりました。
神の導きのもとに、彼女の適切な状況判断、適切適時の決断と実行が、イスラエルを勝利に導きました。「立ちなさい」。この女性のツルの一声がバラクの軍隊を立ち上がらせたのです。どれほどの戦力や戦略があったとしても、戦う決断と立ち上がることなくしては、勝利は得られません。
主婦であったデボラが、イスラエルの母となり、預言者・士師として活躍したことにより、国は四十年にわたって平穏が回復されました。デボラと共に戦った勇士バラクも、ヘブル人への手紙11章22節の信仰列伝に、士師たち、ギデオン、サムソン、エフタとともに、その名が挙げられています。
蜜蜂を意味する「デボラ」という名は、西洋人女性の名として用いられています。ハリウッドの女優として一世を風靡したデボラ・カーもその一人です。
士師記5章は、神がイスラエルに大勝利をもたらしたことを祝って詠んだデボラの歌です。わたしたちは、敵の圧倒的な力を見るとき、神の偉大な力を見失ってしまいます。しかし神が味方であるなら、どんなに圧倒的な力にも打ち勝つことができるのです。
詩篇128篇は次のように歌っています。
「イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら、わたしたちに逆らう者が立ったとき、そのとき、わたしたちは生きながら敵意の炎に呑み込まれていたであろう。……主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のように、わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。…私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。」(詩篇124編1-8)
パウロもまた、ローマ人への手紙で「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ロマ書8章31節)と述べています。
予言書を発見しました、
見ていただけると光栄です。
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