富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

キリスト者の走るべき道のりとは」 テモテへの手紙二、4章7~8節

2018-06-25 00:09:06 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

  聖霊降臨節第6主日  2018年6月24日(日)   午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 佐藤 洋子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ わが心)

交読詩編   33(主に従う人よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳) テモテへの手紙二、4章7~8節(p.394)

説  教    「キリスト者の走るべき道のりとは」

祈 祷                鈴木 博牧師

讃美歌(21) 528(あなたの道を)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

                                  次週礼拝 7月1日(日) 午後5時~5時50分

                                   聖書 ガラテヤの信徒への手紙、5章2~11節

                                 説教題 「愛の実践を伴う信仰」

                                 讃美歌(21) 141 394 24 交読詩編52篇

      本日の聖書 テモテへの手紙二、4章7~8節     

 4:7わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。 4:8今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

               本日の説教

  パウロは7節で「立派に戦い抜き、走りとおし、守りぬきました」と言います。このことは、私たちのパウロに対する「評価」と一致します。パウロ無しでは、キリスト教は存在しなかったとさえ言われます。「功成り名を遂げた」パウロです。

 しかし、パウロの生涯は、彼が言う「難破や鞭打ち」などの困難があったどころではなく、結果的に失敗でした。歴史的に言えば、パウロの開拓した教会は、決してその当時のキリスト教会の中心的なものではありませんでした。そして、パウロも、ペトロも、主の兄弟ヤコブも紀元70年半ばに死んでしまったのでした。そして、70年にはエルサレムが破壊されてしまいます。

 しかし、不思議なことにキリスト教は、その後も発展していきます。それはまさに、パウロの残した「福音」という遺産によるものでした。

 では、パウロ自身は、その志半ばで終わった歩みを、なぜ「戦い抜き、走りとおし、守り抜き」というように、過去形で言うことが出来たのでしょうか。これは、「神の視点」、または「信仰の視点」からではないでしょうか。

 「自分の働きやその結果が、どんなに小さくても、神のご計画の一部であるという自覚は、信仰により、「すでになった達成感」を感じさせるものなのかも知れません。でも、私たちはその視点を確かなものとして持っているでしょうか。それは、なかなか難しいこおです。

 実際には、今を生きる私たちは、本当に先の分からない人生を歩んでいます。息子が反抗期のころ、ゲームばかりしていたので、将来に備えて何か別ことをやったらいいよ」と言ったら、「将来のことなんか分かるものか!」と逆に言われたことがありました。確かに一理ありますが、私たちの人生では、分からないなりに、将来のために備える必要があるはずです。はっきり言えば、私たちは「分からないこと」のために日々一生懸命生きているのではないでしょうか。

 そんな時、指針としての「神のご計画」が分かれば、どんなに楽でしょう。しかし、ことはそんなに簡単ではありません。

 太宰治の「ヴィヨンの妻」という小説の中で、主人公である妻が、夫の不貞ふゃ放蕩に悩まされるなか、ふと小さな平穏な時が与えられたとき、「神様はいるんでしょうか?」夫にいいます。夫が「いるんでしょうね~。」と答えると、さらに「神様がいるなら、出てきてください」と言います。

 パウロの生涯も、本当は、そんなことを言いたくなる連続だったに違いありません。私たしも、そう言いたくなる時が何度あることでしょうか。

 実際、神様の「決められた道」というのも、なかなかはっきりしません。そんな時は、信仰においても、はっきりしたものが欲しいということになります。聖書では「しるし」とも言われます。しかし「しるしを求める」信仰は不信仰として描かれています。

 確かなことは「私たちが救われている」ということです。パウロの言う「福音」です。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされているのです」(ロマ3:24)

 これだけでいいのです。パウロは言います。「人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。」

 とすれば、第二テモテのパウロの言葉は、自分が成し遂げたことの誇りではなく、勧めということになるでしょう。8節の最後に「だれにでも授けてくださいます。」とあるように。

 「決められた道のり」とも言える信仰生活でお、「分かること」と「分からないこと」があることを、認めましょう。「分かること」が私たちと神様の関係を決定します。この「分かること」が「福音」です。これこそが、分からないことだらけ人生を導いてくれます。パウロの言葉は、成功者としての言葉であるよりも、それを分かち合う勧めであったのですから。

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「宣教への派遣」 使徒言行録13章1~12節

2018-06-18 00:32:12 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

         日本キリスト教 富 谷 教 会   週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    聖霊降臨節第5主日 2018年6月17日(日)    午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 田中 恵子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 204(よろこびの日よ)

交読詩編  107(恵み深い主に感謝せよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)  使徒言行録13章1~12節(p.237)

説  教     「宣教への派遣」   辺見宗邦牧師

祈 祷     

聖餐式    72(まごころもて)

讃美歌(21) 403(聞けよ、愛と真理の)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

                             次週礼拝 6月24日(日) 午後5時~5時50分

                           説教者は、日本ルーテル同胞教団牧師の鈴木博先生です。

          聖書 テモテへの手紙二、4章7~8節

          説教題 「キリスト者の走るべき道のりとは」

          讃美歌(21) 355 528 24 交読詩編33篇

   本日の聖書 使徒言行録13章1~12節

 13:1アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。 2彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」 3そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。                                     4聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、 5サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。 6島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。 7この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。 8魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。 9パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、 10言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。 11今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。 12総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。

         本日の説教

 古代アンティオキアは、古代シリア地方北部の主要都市です。現在はトルコ領のアンタキアです。このアンティオキアに異邦人の教会が設立しました(11章19-26節)。この教会にエルサレムの教会は全権を委任した代表としてバルナバを派遣しました。

 バルナバの名が最初に出てくるのは、4章36節からです。エルサレムの最初の教会の信徒は持ち物を共有にしていましたが、レビ族の人で、使徒たちからバルナバー(「慰めの子」という意味)と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っている畑を売り、その代金を使徒たちに渡しました。弟子の仲間の加わろうとしてエルサレムに着いたサウロ(別名パウロ)を、皆は彼を弟子だとは信られず恐れましたが、バルナバは彼を使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、回心し、シリアのダマスコでイエスの名によって大胆に宣教したことを、使徒たちに説明しました(9章27-28)。サウロを殺そうとするギリシア語を話すユダヤ人からサウロを守るために、兄弟たちはサウロを故郷のタルソスへ出発させました。

 アンティオキアで、ギリシア語を話す人々に福音を告げ知らせたのは、キプロス島やキレネから来ていたユダヤ人たちでした。アンティオキア教会は異邦人の多い教会です。この教会に、エルサレム教会から宣教のために派遣されたのがバルナバです。バルナバは<立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた>ので、多くの人が主へと導かれました。バルナバはサウロを捜しに、パウロの故郷タルソスへ行き、見つけてアンティオキアへ連れ帰りました(11章25-26節)。二人は丸一年の間そこの教会にいて、多くの人を教えました。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになりました。

 バルナバとサウロは、ユダヤに住む兄弟たちのために、飢饉の援助品をエルサレムに届ける任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネ(12章12節)を連れてアンティオキアに帰りました(12章24節)。

 アンティオキアの教会には、バルナバ、ニゲル(ラテン名で「黒い」の意、アフリカ出身を暗示)と呼ばれるシメオン、キレネ人(アフリカ北部)のルキオ(11:20)、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスと一緒に育ったマナエン(パレスチナのユダヤ人信者、身分の高い家柄)、サウロ(小アジアのキリキアのタルソス出身)などの五人の預言する者や教師たちがいました。当時、預言者と教師の区別は、まだはっきりしていませんでした。

 宣教命令は聖霊から発せられました。アンティオキア教会は、礼拝をし、断食をしていると、「聖霊によって」海外伝道が示されました。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」と聖霊が告げました。そこで、彼らはさらに断食して祈り、バルナバとサウロの上に手をおいて按手して宣教に派遣しました。ここから「パウロの第一伝道(宣教)旅行」(13-14章)が開始します。按手は選び分かつ聖霊の働きを受ける手段ですが、この場合の按手は、宣教への祝福、つまり神の恵みに委ねる按手でした。

 聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからバルナバの故郷のキプロス島に向け船出しました。セレウキアは アンティオキアの南西25キロ、オロンテス河口から8キロ北にある港町です。この旅行で、主導的な役割をしているのは聖霊であることが記されています。

  サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせました。東岸にあるサラミスは島最大のギリシア都市で、商業の中心地でした。ユダヤ人居留地もありました。二人は、バルナバのいとこ(コロサイ4:10)のヨハネ・マルコを伝道の記録をする助手にして連れていました。

 キプロスは紀元前57年、ローマに併合され、前22年に独立の州となり、ローマの元老院の支配する島で、地方総督によって統治されました。地方総督の行政所在地は島の南西にあったパフォスでした。パフォスはギリシア人の植民地です。

三人は、島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエス(「イエスの子」の意)という一人の偽預言者に出会いました。この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していました。教養あるローマ人も、重要な決断をするときには、喜んで魔術師や占星学者の助けを借りていました。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとしました。またの名、魔術師エリマ(ギリシア名、「賢い」の意)―彼の名前は魔術師という意味である―は二人に対抗して、地方総督をこの信仰(キリスト教)から遠ざけようとしました。自分の地位と利益が脅かされるのを恐れたからです。

 パウロ(ラテン名、ローマの市民権を持つている)とも呼ばれていたサウロ(ユダヤ名)は、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。」と言いました。

 「今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」と神のことばに対して、故意に逆らう者、伝道を妨害する者に、きびしい態度で対決しました。パウロはこの戦いが自分の力によってではなく、「主の御手」によることを示しています。

 するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探しました。総督はこの出来事を見て、主の教え、神の言葉に奇跡を起こす力があることに非常に驚き、信仰に入りました。

 エルサレム教会からのこれまでの発展は、ステファノの殉教の事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々によるもので、フェニキヤ、キプロス、アンティオキアと発展していきました。そしてその対象はユダヤ人でした。アンティオキアは、ギリシア語を話す異邦人の多い町だったので、キプロス島やキレネから来ていたユダヤ人キリスト者たちが、ギリシア語で福音を伝えたのです。

 アンティオキア教会は、信徒の伝道によって誕生した異邦人の多い教会です。そこに、エルサレム教会から指導者が遣わされ、信徒たちの教育に当たってのです。こうして成長した教会の人々は、キリスト教がまだ伝えられていない周囲の地域に、福音を宣べ伝えることの必要を強く感じて、その実現のために、礼拝の中で祈りがささげられていたと思われます。アンティオキア教会が、<主を礼拝し、断食して>いたときに<聖霊>が世界宣教への派遣を告げたのです。断食は祈りに専心するために行われました。この福音の進展への新たな歩みは、聖霊によって宣教者が告げられ、聖霊に従って教会は宣教者を<選び出し>、断食、祈り、按手をし、聖霊によって宣教者は送り出されたのです。パウロたちの宣教旅行の出発は、アンティオキア教会の礼拝にありました。教会が一致して、教会の頭(かしら)であるある主のみこころに従おうとしているときに、主ははっきりとみこころを示してくださり、わたしたちのなすべき宣教を示してくださるのです。

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「悪霊追放」 使徒言行録16章16~24節

2018-06-10 14:01:07 | キリスト教

          ↑ 古代デルフィ(デルポイ)神殿の遺跡は、ギリシャのユネスコ世界遺産に登録されています。デルフィは、アポロンを祀る神殿で下される信託で知られていました。古代ギリシャおよびローマ時代においては、アポロンの託宣を伝える巫女は多く居ました。「大地の裂け目」から吹き出すガスを吸った巫女は神がかりになって神託を告げました。その言葉を神官が書きとめ,伺いを立てた者に伝えていました。デルフォイの予言は、よく当たるということで、多くの巡礼者が殺到し、庶民の日常の悩みごとから、国家の政策に至るまで、多くの相談が寄せられました。

  981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

       日本キリスト教 富 谷 教 会    週  報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

      聖霊降臨節第4主日 2018年6月10日(日)     午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 田中 恵子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 496(しずけき夕べの)

交読詩編   32(いかに幸いなことでしょう)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)  使徒言行録16章16~24節(p.245)

説  教     「悪霊追放」   辺見宗邦牧師

祈 祷     

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

                                次週礼拝 6月17日(日) 午後5時~5時50分

                              聖書 使徒言行録13章1~12節

                              説教題 「宣教への派遣」

                              讃美歌(21)204 403 24 交読詩編107篇

     本日の聖書 使徒言行録16章16~24節

 16:16わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。 17彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」 18彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。 19ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。 20そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。 21ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」 22群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。 23そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。24この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。

           本日の説教

 パウロの宣教旅行は三回行われましたが、今日の聖書の箇所は第二回の宣教旅行(15:36~18:22)中の出来事で、初めてヨーロッパのギリシャ地方マケドニア州のフィリピでの出来事です。アレクサンドロス大王の父、フィリポス二世の名にちなんで、フィリピと名付けられた町です。紀元前42年からローマの植民都市おなっていました。最初の安息日、パウロの一行(パウロ、シラス、テモテ)は、町にはユダヤ教の会堂がなかったので、町の門から二キ離れたところにあるアンギテス川のほとりにある<祈りの場所>に行きました。そこにリディアという婦人が集まっていました。彼女は紫布を商う裕福な女性実業家であり、神をあがめていました。彼女の心はパウロたちの話を聞いて福音に開かれました。彼女も家族の者も洗礼を受け信者となり、自分の家を解放してパウロを泊まるように招き、その後も伝道者たちを迎え入れました。フィリピの伝道はこの家を根拠地として展開され、彼女の家はヨーロッパ最初の教会になりました。

 「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。」(16:16)

 <わたしたち>という記述があります。16章10節から始まって17節まで、次に20章5節-15節、21章1-18節、27章1-28章16節で用いられています。使徒言行録の著者ルカがパウロの旅に同行したのかどうかは確言できないが、<わたしたち>を用いることによって、者がありに劇のようあ感じと直接性を与え、物語をことに力強くするルカの手法であることは確実です。

  パウロとシラスは、祈りの場所に行く途中、占ないの霊(ピトンの霊)をもつ女奴隷に出会います。当時、デルフィ(アテネから西北へ122kmの距離にある)神殿に託宣を告げる神アポロンが礼拝されており、神がかりになった巫女(みこ)によって告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重されていました。「ピトンの霊」は、託宣の神アポロンが化身した大蛇なので、彼女は「デルフィの歩く託宣」でした。この女は、人々の運勢を占うことができたので、主人たちに金を儲けさせていました。

「彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。『この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。』」(16:17) 

   彼女は、パウロとシラスにつきまとい、彼らのことを、<この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです>と叫びました。汚れた霊につかれた者が聖霊に満たされた者にふれた時、狂乱状態に陥り、そこに超越的な力の存在を発見して叫び出すことがあります(マルコ1:23-24)。この女奴隷は、自分の持っている超自然的な力のゆえに、パウロが担っている福音の力を知ったのです。<いと高き神>という表現は、ユダヤ人の間では「いと高き者」と言って、神という言葉をつけないのが普通でしたが(使徒言行録7:48)、異邦人の間ではゼウス(ギリシャの最高神、アポロンはその子)の称号でもあります。

 「彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。『イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。』すると即座に、霊が彼女から出て行った。」(16:18)

 彼女は、心の病、精神の病、「悪霊」に捕らえられ、その虜にされている犠牲者です。おなじことを幾日も繰り返す若い女性のわめき声にうんざりして、パウロは、その霊に<イエス・キリストの名によって>この女から出て行けと命じました。イエス・キリストの主権と力によってこの女に内在する霊に命じたのです。すると即座に悪霊は出て行き、この女は癒され、悪霊から解放されました。

 「ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。」(16:19)

 女奴隷は悪霊から解放されて喜んだが、今まで占い女と取り引きをしていた彼女の所有者たちは、利益が得られず損害を被ったので、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場(アゴラ)に連行しました。

 「そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。『この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。』」(16:20-21)

 二人はイタリア法(ローマ植民都市法)に基づき、司法・行政を執行する二人の「都市政務官」に手渡されました。二人に対する告発は、クラウディウス帝がユダヤ人をローマから追放した(紀元49-50年)ことを利用し、二人がユダヤ人であることを指摘しました。町を混乱させていると騒乱罪を適用し、ローマ植民都市では許されなかった外国の宗教、つまりユダヤ教の風習を宣伝していると訴えたのです。この風習は、割礼ではなく、主の晩餐における<聖なる口づけ>(ローマ16:16)と思われています。

 「群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、『鞭で打て』と命じた。」(16:22)

 反ユダヤ的感情に動かさて群衆が騒ぎたて、騒乱になろうとしたのを見て、二人の都市政務官は、パウロたちの衣服を剥ぎ取り、、鞭で打つことを命じました。

 「そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。」(16:23-24)

 鞭打ちと投獄を行ったのは下役たち(35、38節)でしょう。下役たちは看守に厳重に見張ることを命じました。二人は<いちばん奥の牢>に入れられ、<木の足枷>をはめられました。

 物語は次のように展開します。真夜中頃、パウロとシラスは、賛美を歌って、祈っていると、突然地震が起こり、牢が揺れ動き、たちまち牢の戸が開き、すべての囚人の鎖も外れてしまいます。看守は目を覚まし、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃亡したと思い込んだ看守は責任をとって自殺しようとするが、パウロとシラスによってとどめられます。パウロは、「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいて、歌っている」と叫びます。この二人の前に看守はひれ伏し、この二人を外へ連れ出し、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょか」と尋ねます。パウロとシラスは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と言います。パウロたちは、主イエスによるたましいの根源的な救いの方法を示したのです。罪からの救い主として主イエスを信じ、イエスの十字架の贖いの死と、新しい命を与えるイエスの復活を信じ、主イエスにすべてを委ねて生きることを、「主イエスを信じなさい」という言葉の中で語っているのです。この看守と家族はパウロたちの語る「主のことば」を聞き、洗礼を受けたのです。看守とその家族は、二人を家に迎い入れて食事のもてなしをします。それは、「全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ」ことの具体的な表れでした。

  夜が明けると、政務官たちは、下役たちを差し向けて、パウロたちを釈放するように、看守に命じました。政務官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持っていることを聞いて恐れ、出向いてきてわびました。牢を出た二人は、リディアの家に行き、兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発しました。

 パウロたちがヨーロッパに足を踏み入れ、フィリピの伝道で最初に遭遇したことが占いの霊につかれた女奴隷との出会いであり、この霊の追放でした。パウロのフィリピにおける占いの霊の追放は、まさにキリスト教信仰による呪術からの解放の出来事でした。私たちの住む社会は、依然として呪術的な伝統が強く残っています。青森県の恐山のイタコの口寄せは有名です。不安のうちに人生を送る多くの人々の中には、自分の運命判断を占ってもらう人たちがいます。唯一の神を信じ、仲保者イエス・キリストに寄り頼むならば、人はすべての不安から解放されて自由になります。得体の知れないものを恐れて、占い師の鑑定を仰ぐ必要はなくなります。本当の平安への道がそこにあります。聖霊により、キリストの名によって、占いの霊の追放と、悪霊からの解放を祈り求めなければなりません。神の介入によって宣教の業が進められことを願わざるを得ません。

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「宣教する教会」 使徒言行録4章13~31節

2018-06-03 21:19:00 | キリスト教

      ↑ エルサレム博物館にあるヘロデ神殿の模型、ヘロデ神殿はB.C.20年完成、A.D70年まで存続しました。「神殿は、東西北の3方向を柱廊で囲まれ、南側はバシリカ(長方形の建物)に囲まれた広場の中に建てられていた。バシリカは集会所となったり、献納物の買い物などに使われていた。ユダヤ人だけが、東側の金の「ビューティフル・ゲイト(美しい門)」から神殿の中に入れたが、すぐそこには「女性のための広場」があった。さらにそこから男性だけが、15段の半円形の階段(聖職者たちが立って歌ったり楽器を奏でていた)を上って行け、献じたアレクサンドリアのユダヤ人の名をつけた「ニカノル・ゲイト」という銅の門をくぐることができた。門をくぐったすぐのところが、「イスラエル広場」で、一般の人はここまでしか入れなかった。このさらに奥に生贄を献じる台が据えられ、その後ろに高さ50メートルの神殿が立っていた。3種類の大理石が使われ、金の装飾がなされていた。」ヨセフスの説明によると高さが50キュビト(22㍍)あり,コリントしんちゅうの扉があったという門のことではないかと思われます。      東側から見た神殿模型

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380  FAX:022-358-1403 

   日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    聖霊降臨節第3主日  2018年6月3日(日)  午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 田中 恵子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 289(みどりもふかき)

交読詩編  107(恵み深い主に感謝せよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)  使徒言行録4章13~31節(p.216)

説  教     「宣教する教会」   辺見宗邦牧師

祈 祷     

讃美歌(21) 405(すべての人に)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

          次週礼拝 6月10日(日) 午後5時~5時50分

           聖書 使徒言行録16章16~24節

           説教題 「悪霊追放」

           讃美歌(21)496 355 24 交読詩編32篇

  本日の聖書 使徒言行録4章13~31節

 4:13議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。 14しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。 15そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、 16言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。 17しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」 18そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。 19しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。 20わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 21議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。 22このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。 23さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。 24これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。 25あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、
諸国の民はむなしいことを企てるのか。 26地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。』 27事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。 28そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。 29主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。 30どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」 31祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。

       本日の説教

 使徒言行録は一章で主イエスの復活と昇天を書き、二章では聖霊が弟子たちの上に降ったことを書いています。そして三章からはいよいよ弟子たちがイエス働きを受け継いで、具体的にさまざまな働きを開始した様子を伝えています。その三章で、弟子たちの中心であるペトロとヨハネが行った二つの業が記されいます。その一つは足の不自由な人を癒した業であり、もう一つは神殿での説教でした。癒しと教えはイエス御自身がなさった働きであり、弟子たちはイエスに倣って、その宣教の業を進めていったのです。

         

 ペトロは神殿の境内にある「美しの門」のそばで、足の悪い人を癒したとき、ペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(3章6節)と言いました。

 また、今日の聖書の中に登場する弟子たちも、神に向かって次のように祈っています。「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」(4章30節)と祈りました。

 名前を呼ぶことは、その人を呼び出すことです。「イエスの名を呼ぶ」ことは、その場に主イエスに来ていただくこと、現臨していただき、働いていただくことでした。 

     ソロモンの回廊

  生まれつき足の不自由な男を癒したことにより、「ソロモンの回廊」にいるペトロとヨハネ、足を癒された四十歳を過ぎた男の方へ民衆が一斉に集まりました。これを見たペトロは民衆に説教をしました。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか」と話し始めました。そしてイエスの十字架の死と復活を語り、わたしたちは、このことの証人です。イエスの名を信じる信仰がこの人を完全にいやしたのです、と語りました。イエスについての二人の言葉を聞いて信じた人は男だけで五千人ほどになりました。

 使徒言行録四章は、祭司たち神殿守衛長、サドカイ派などなどユダヤ教の指導者たちが、ペトロとヨハネの二人がイエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、いらだちを覚え、二人を捕らえて翌日まで牢に入れるという事件が起こったことを伝えています。翌日、二人は大祭司を始めとする議員、長老、律法学者たちの最高法院に引き出され、取り調べを受けました。この場面を、二人は、「無学な普通の人」であったが、「大胆な態度」で語り、イエスを証ししたので、皆驚いたと記しています。

 最初の尋問は、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」という問いかけでした。「ああいうこと」とはペトロが足の悪い人を癒した奇跡のことです。その時、ペトロは聖霊に満たされて、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と答えました。ここでも「イエス・キリストの名」が出てきます。「わたしたちが彼を癒したわけではない。イエス・キリストの名が、それをなさったのだ」と答えたのです。

 取り調べにあたった人々は、二人がイエスと一緒にいた者であることも分かりました。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、一言も言い返せませでした。そこで、彼らは相談して、このことがこれ以上民衆に広まらないように、今後決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように、二人に命じました。

  しかし、ペトロとヨハネは、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいことか、考えてくだい。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と答えました。議員たちは、二人を更に脅してから釈放しました。

 このようにして、二人は釈放されて仲間のところへ行き、祭司長たちた長老たちの言ったことを残らず話しました。これを聞いた人たちは、心を一つにし、神に向かって声をあげて言いました。「主よ」と、天地の創造主である神に呼ばわり、「あなたは聖霊によって、ダビデの口を通し、こうお告げになりました。「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。」(詩編第2篇1-2節)と詩篇のことばをあげ、まさにそのように、「事実、この都でヘロデ・アンティパス(イスラエルの領主)とポンティオ・ピラト(ローマ総督)は、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、神に油を注がれ救い主とされた、聖なる僕イエスに逆らいました。……主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、聖なる僕イエスの名によって、病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」と祈りました。大祭司たちに、使ってはならないと命じられた「イエス・キリストの名」によって彼らは祈ったのです。教会の人々はユダヤ当局者による迫害に対して、神の加護を求める祈りではなく、、大胆に神の言葉を語り証言できる力を祈り求めたのです。この祈りは、宣教の前進のための祈りでした。御言葉を語り、伝道するのは教会の務めです。

 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動きました。その場所が揺れ動いたことは、神の臨在の顕著な現れのしるしであり、使徒たちの祈りが応えられたことを意味します。。すると、皆、聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語り出しました。

 原始教会の人々は、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まって聖餐の食事をし、神を賛美していました(使徒言行録2章46-47)。この家の教会から、ペトロとヨハネは神殿での祈りに行き、足の不自由な男と出会い、イエス・キリストの名によって癒しました。それを機縁に民衆に説教することが出来ました。しかし、権力者たちの怒りを引き起こしましたが、その権力者たちに、キリストの力を証言しました。その後、再び教会の仲間たちの所に戻り、この権力者たちの脅迫を恐れず、宣教を続けるために、イエス・キリストの名によって、「大胆に」語り、癒し、働き続けることができるようにと、彼らは祈り求めました。このように、教会での礼拝と祈りの後に、宣教がなされるということが繰り返えされました。これは教会こそが宣教の源であることを示しています。わたしたちも、教会で「イエス・キリストの名」によって祈り、「大胆に」、イエス・キリストによって示された十字架と復活による救いと神の愛、キリストの愛を宣教してまいりましょう。

 

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