富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「異邦人にも聖霊が降る」

2015-06-28 09:19:21 | 説教

             ↑    ペトロとフィリポの宣教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」  (フィリピ4:6)

聖霊降臨節第6主日      2015年6月28日(日)  5時~5時50分 

礼   拝   

前 奏            奏楽   辺見トモ子姉

讃美歌(21)    6( つくりぬしを賛美します)

交読詩編    98(新しい歌を主に向かって歌え )   

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書  使徒言行録11章1~18節(共同訳[新]p.234)     

説 教   「異邦人にも聖霊が降る」 辺見宗邦牧師

聖餐式     56(主はいのちのパンをさき)

讃美歌(21)  405( すべての人に)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                                         次週礼拝 7月5日(日)午後5時~5時50分

                                         聖 書  使徒行伝20章7~12節

                                         説 教  「パウロ、青年を生き返らせる」  

                                         讃美歌(21)151 515 24

本日の説教

   今日の聖書の個所、使徒言行録11章に入る前に、エルサレム以外のユダヤの地やサマリヤの地、また異邦人に福音を伝えたフィリポとペトロのこれまでの働きについてお話しいたします。

 2章では、ペンテコステの日に聖霊が弟子たちに降り、主イエスの十二使徒の筆頭であるペトロは、この日から、エルサレム市内や、神殿でユダヤ人の民衆に福音を語り始めましたことが書かれています。使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われ、多くの男女が主を信じ、その数がますます増えました。

  6章には、使徒たちを補佐する七人の人が選ばれたことが記され、その中に、ステファノフィリポの名があります。

  7章では、ステファノの説教と殉教が記されています。サウロは、ステファノの死を目撃しましった。

  8章では、その日、エルサレムの教会に対する大迫害が起ったことが記されています。

  十二使徒以外の者は、ユダヤサマリアの地方に散って行きました。散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩きました。七人の補助者の一人に選ばれたフィリポサマリアの町に下って行き、人々にイエス・キリストの名についての福音を宣べ伝えました。人々は信じ、洗礼を受けました。

   エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロヨハネをそこへ派遣しました。ペトロとヨハネは人々が聖霊を受けられるように祈りました。サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサエムに帰りました。

   その後、フィリポエチオピアに帰るためガザの方に向かって旅していた宦官に福音を伝え、洗礼を授けてから、アゾトに姿を現し、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行きました。

   9には、ダマスコに向かったサウロ(ギリシヤ名パウロ)が回心して、ダマスコで福音を告げ知らせたことが記されています。

  こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方に増え、信者の数も増えていきました。

 9章32節以下には、ペトロが再びフィリポの伝道した後を訪ね、その働きを一層強めるため、海岸沿いの地域を巡回したことが記されています。ペトロはエルサレムの北西40キロにあるリダに行きました。すでに教会はフィリッポの宣教によって設立されており、そこには<聖なる者たち(信者の意)>がいました。ペトロはアイネアという八年前から床についていた中風の人を癒しました。このことがリダシャロン地方の人々の注目を集めました。

 ヤッファ(現在のテル・アビブ)にいる弟子たちが、ペトロがリダにいると聞いて二人の人を送り、急いで来てくださいと頼みました。リダとヤッファの距離は近く、18キロでした。ここもフィリポの伝道地でした。ペトロはタビタ[ギリシヤ名・ドルカス(カモシカの意)]という婦人の信者を生き返らせました。このことはヤッファ中に知れ渡リ、多くの人が主を信じました。

   ペトロはしばらくの間、ヤッファの革なめし職人のシモンの家に滞在しました。「皮なめし」という職業は、動物の死体にさわるので、ユダヤ人の間では汚れた職業とされていました。その家にペトロが滞在したのは神の不思議な導きによるものでした。この家に滞在したことが、ペトロがカイサリアの百人隊長コルネリウスへ福音を伝えることになるのです。

   10には、シモンの家に滞在したペトロが、翌日この家の屋上に祈るために上がったとき、幻を見たことが記されています。昼の十二時頃でした。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思いました。ペトロは夢心地になっていると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見ました。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。食べても良い清い生き物と、律法で食べることを禁じられている清くない生き物とが混じっていました。すると、「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」という声がしました。しかし、ぺトロは「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」と答えました。すると、また声が聞こえてきました。「神が清めた物を、清くないなどと、あんたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられました。その幻はどんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないことを示す幻でした。

   ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、カイサリアのコルネリウスから差し向けられた人々が、シモン・ペトロを迎えにきました。霊がペトロに、「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらはないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」と言いました。それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせました。

   コルネリオは、カイサリアに駐屯している「イタリア隊」という部隊の百人隊長です。このコルネリオから、話を聞かせてほしいとペトロは招かれたのです。カイサリアはヤッファから北へ50キロの所にあります。カイサリアは、ヘロデ大王が皇帝アウグストゥスを記念して建てた海岸都市です。文化の面ではギリシアの町でしたが、パレスチナ一帯を治めるローマ総督とその軍隊が駐留しており、ローマへの通じる拠点となっていた都市です。

 カイサリアはすでにフィリポによって伝道がなされた地でした。コルネリオは神を畏れる正しい人で、絶えず神に祈り、民に多くの施しをしていたので、すべてのユダヤ人に評判の良い異邦人でした。

   ペトロは幻で異邦人を差別しないように示されていたので、このイタリア人隊長の招きに応じ、翌日ヤッファの信徒たちも何人か連れて行きました。

   親族や親しい友人たちを呼び集めてペトロの到着を待っていたコルネリウスは、ひれ伏して拝むほどの丁重さをもって彼を迎えました。ペトロは、「お立ちください。わたしもただの人間です」と言って、彼を起こしました。ペトロもコルネリオも、互いに神の幻を通しての出会いであったことを話しあいました。

   ペトロはコルネリウスの家で福音を告げました。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」と話し始め、イエス・キリストの死と復活を告げ、死者と生者との審判者として立てられたイエス・キリストは、「すべての人の主」となられた方なので、「この方を信じる者はだれでも……罪の赦しが受けられる」と語りました。語っている最中に、御言葉を聞いていた異邦人たち一同の上に聖霊が注がれました。聖霊はコルネリウスとその親族・友人に降ったのです。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを聞いたぺトロの同行者たち(割礼を受けているユダヤ人の信者たち)は、異邦人にも聖霊が注がれた神の行為に大いに驚きました。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と、連れてきた信者に語り、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、コルネリウスたちに命じました。それから、ペトロはコルネリウスたちに、なお<数日>滞在してくださいと乞われました。

   ここまでが、今日の聖書の個所の11章の前に書かれている記事です。

  エルサレムに使徒たちとユダヤにいる信者たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にしました。ペトロがエルサレムに帰って来たとき、割礼を受けている者たちはペトロを非難しました。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言いました。彼らは割礼を入信の条件とし、神殿礼拝を重んじるユダヤ教の影響を受けているキリスト者たちです。異邦人と食事を共にすることを禁じる律法はありませんが、エズラやネヘミヤの時代に汚れた異民族との結婚を禁じたことから(エズラ記9・12旧p.736)、異邦人との親しい交際は、民族の伝統や習慣に背くことになっていたのです。イエスの時代、ユダヤ人はサマリア人と交際しませんでした。そこで、ペトロはヤッファの町で起こった事の次第を順序正しく説明し始めました。ペトロの説明は10章を要約した反復ですが、たんなる繰り返しではなく、異なった表現があります。(次の1)~ 6)の言葉です。)

   ヤッファの町でペトロが祈っていると、夢心地になって<幻を見ました>。大きな布のようなものが…<1)わたしのところまで下りて来たのです>。自分自身に対して示された直接的な神の啓示として語っています。布の中には、三種の動物ではなく、<2)野獣>を加えた四種になっています。<ぺトロよ、身を起し、屠って食べなさい>という声を聞いたので、<主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません>と断ると、<神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない>と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度もあって、<また全部の物が天に引き上がられてしまいました>。

  <神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない>という神の宣言は、ユダヤ教の食物規定(申命記14・3~21旧p.303~304、レビ記11章旧p.177~178)を無効とし、異邦人との交際や彼らとの会食を認めるものです。こういうことが三度もあったことは、ペトロは三度も食べることを断り続けたからです。

   そのとき、カイサリアからペトロのところに差し向けられた三人の人が<3)わたしたちのいた家に>到着しました。<わたしたち>とは、ヤッファの六人の兄弟を含めた表現です。すると、“霊(聖霊)”がペトロに、<ためらわないで一緒に行きなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ>と言いました。<三人>とは、二人の家内奴隷と、信仰心のあつい当番兵でした(10・7)。

   <4)ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。>とペトロは続けて話し始めました。<六人の兄弟>とは、ペトロと一緒にカイサリアに出かけたヤッファの信者たちで、この場面ではコルネリウスの家での出来事の証人となっています。

   ペトロを招いたカイサリアのコルネリウスは、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が次のように告げたことをペトロに話してくれました。<ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。4)あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる>と天使が告げたのです。

   ペトロが福音を5)話しだすと、聖霊がペンテコステの日に自分たちの上に降ったように、彼らの上にも降ったこと、そのとき、ペトロは、<6)ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受けると言われた主の言葉を思い出し>、<こうして、主イエス・キリストを信じるようになった自分たちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら自分のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか>と語って洗礼を授けた事の次第を説明しました。

   カイサリアにおける異邦人への聖霊降臨が起きた時、ペトロは、<あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける>というイエスの言葉を思い出し、異邦人への聖霊降臨を神の業と解し、<神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか>と言う言葉で、異邦人にバプテスマを授けた自分の行動を正当づけたのです。異邦人への洗礼と教会に受け入れたのは、あくまで神のご意志に従ってなされたと弁明したのです。

   この言葉を聞いて反対者たちは平静をとり戻し、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美しました。異邦人もまた聖霊を受けて受洗し、神の救いに与ることができる事を、エルサレム教会が初めて正式に承認したのです。

 この物語は、福音を前進させていくのは神の働きであることを示しています。神はペトロに三度も天から下りてくる幻を見せ、「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない」と声をかけられ、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないことを示し、コルネリウスから迎えの者が来たときは、霊が、「ためらはないで、一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」と告げています。

  一方、コルネリウスも、幻で神の天使(輝く服を着た人)が現れ、<コルネリウス>と呼びかけ、ヤッファへ人を送って、ペトロを呼びなさいと告げられたので、ペトロを迎えたのであり、<今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです>という、ペトロの語る福音を聞く心の準備を、神は整えられたのです。このようにすべてが神の奇跡的な介入によるものでした。そして、このヨーロッパから来た異邦人の集まりの上に、聖霊が降ったのです。神は異邦人をも、ユダヤ人と区別なさらず、悔い改めさせ、罪と死に打ち勝つ聖霊を与え、永遠の命に生きる希望を与え、神を賛美する者としてくださったのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィリポ、エチオピアの高官に福音を伝える

2015-06-21 15:22:39 | 説教

     ↑  フィリポの宣教 (聖書大百科 p.297 より)

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

    日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)

聖霊降臨節第5主日 2015年6月21日(日)  5時~5時50分 

     礼   拝  

前 奏            奏楽   辺見トモ子姉

讃美歌(21)  402(いともとうとき )

交読詩編    67( 神がわたしたちを憐れみ、祝福し)   

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書  使徒言行録8章26~38節(共同訳[新]p.228)     

説 教   「エチオピアの高官の洗礼」辺見宗邦牧師

讃美歌(21)  405( すべての人に)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

           次週礼拝 6月28日(日)午後5時~5時50分

          聖 書  使徒行伝11章4~18節

          説 教  「異邦人にも聖霊が降る」  

          讃美歌(21) 6 405 24

  本日の説教

  本日の聖書の個所は、キリストの使徒たちの補助者として選ばれたフィリポが、エチオピア人に福音を伝える話しです。フィリポの名が出てくる使徒言行録6章から、かいつまんでお話しいたします。

 6章には、霊と知恵に満ちた評判の良い人たち七人が、使徒たちの補助者として選ばれたことが記されています。その中に、信仰と聖霊に満ちている人ステファノフィリポがいます。

 ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていました。外国生まれのユダヤ教徒がステファノのと議論しましたが、歯が立ちませんでした。そこで、人々を唆し、また民衆、長老たち、律法学者を扇動して、ステファノを捕らえさせ、最高法院に引いて行きました。そして偽証人を立てて、訴えました。大祭司が「訴えのとおりか」と尋ねたので、ステファノは長い答弁をしました。7章2節から53節までが、ステファが語った説教です。

 人々はこれを聞いて激しく怒り一斉に襲いかかり、石を投げつけました。ステファノは教会の最初の殉教者となりました。ステファノの殉教の場に、サウロがいました。サウロは、回心した後は、ローマ名のパウロで呼ばれ、キリストの大使徒となった人です。

 8章には、その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、12使徒たちの他は皆、ユダヤとサマリア地方に散っていったことが記されています。フィリポサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えました。汚れた霊に取りつかれた多くの人たちや、多くの中風患者や足の不自由な人もフィリポに癒してもらいました。

 この町に以前からシモンという魔術を使う人がいましたが、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせたのを人々は信じて洗礼を受け、シモン自身も信じて洗礼を受けました。

 12人の使徒の中で、中心的な人物のペトロヨハネはサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにその人々のために祈りました。シモンは、使徒たちが手を置くことで、霊が与えられるのを見て、金を持って来て、わたしにもその力を授けてくださいと言いました。ペトロは、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手にいれられると思っているからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ」と言いました。シモンは、悔いて、主に祈ってください、とペトロに懇願しました。ペトロとヨハネはサマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行きました。

 ここまでが、今日の聖書の個所の前に書かれている記事です。

 神の御使いはフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と命じました。<ガザ>はエルサレムの南西にある地中海に面した町です。(現代のパレスチナ人の自治区のガザです。)エルサレムからガザに向かう道はさびしい、荒れ果てた道でした。どうしてそんなところに行けと天使は命じたのでしょうか。それは、たった一人の人を救うためです。旅の途中のエチオピアの宦官を救うために、フィリポはそこへと遣わされたのです。この宦官はエチオピアから遠いエルサレムまで神の恵みを求めて礼拝に来て、礼拝を終えて帰る途中でした。彼はエチオピアの女王カンダケの宦官で、女王の全財産の管理をしている高官でした。 

 <エチオピア>は現代のエチオピアのことではなく、エジプトのナイル川上流の流域、現代のスーダンにあった、メロエを首都とするヌビア王国のことです。ヌビア人は一時期クシュ王国を建国し、古代エジプトを支配し、エジプト第25王朝、別名ヌビア王朝を起した人達です。古代ギリシア人やローマ人は黒人のヌビア人を「日に焼けた顔を持つ人」という意味で「エチオピア人」と呼びました。

 (ちなみに、現代のエチオピアは、スーダンの南にあります。ヴェルディのオペラ<アイーダ>は、ヌビアの王女の名前で、エジプトの将軍との恋愛を題材にした歌劇です。)

 <カンダケ>は、ヌビア王国の王妃や皇太后の称号です。<宦官>は女王に仕える役人です。女王に仕えるために男性の機能を切除した人で、王宮の大切な働きを委ねられた高官です。旧約聖書の申命記には、宦官や去勢された者はイスラエルの会衆に加わることはできないとされています(申命記23・2、旧p.316)。しかし、後の時代に現れたイザヤは、宦官は最初の救われる異邦人として預言しているのです。次のように預言しています。

 「主のもとに集って来た異邦人は言うな。主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな、見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる。宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。」(イザヤ書56章3~5節、旧p.1153)

 このエチオピアの宦官は、ユダヤ教に強く心をひかれた神を敬う人でした。それで、はるばる千数百キロ以上もあるエルサレム神殿まで巡礼の旅に出たのでしたが、しかし、救いの確信が得られないまま帰途についたようです。

 宦官は、恐らく高価な代価を払ってイザヤ書の写本を買い求めたのか、馬車に乗ってその預言者イザヤの書を朗読していました。神はこの宦官をお見捨てにはなさいませんでした。その熱心な求めに応えられるのです。聖霊がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言いました。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねました。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼みました。宦官は次のような聖書の言葉を朗読していました。

  

 「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。

 これは、宦官の救いが書かれている預言56章より前のイザヤ書53章7,8節の言葉です。主の僕の苦難と死が書かれている書です。宦官はフィリポに、「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか」と言いました。イザヤ書の書かれている苦難を受け、殺される<>とは、だれのことを言っているのかという質問でした。イザヤ書53章には、<彼>という言葉が何度も出てきます。「わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」(イザヤ53・6)このようにして「彼」という言葉が何度も出てきます。この「彼」とは一体誰なのか。宦官の最大の疑問はそこにありました。

 そこで、フィリポは聖書のこの個所から説きおこして、<>とは、十字架に架かって殺されたイエスことであり、イエスは神から遣わされて世の来られた神の子であり、神によって復活させられ、天に上り、神の右に座し、天地を支配する方となられたイエス・キリストである。このキリストによって、信じる者は一切の罪を赦され、神の子とされ、救われるという福音を、フィリポは告げ知らせました。イエス誕生の約五百年も前に、イザヤは、苦難のしもべとしてのキリストを預言していたことを告げたのです。

  フィリポの説教を聴いて、宦官は、「彼」が私のために十字架に架かり、「彼」が受けた懲らしめによって、私の罪が赦され、救われることが分かったのです。それは聖霊による恵みによって起こった出来事でした。だれも聖霊によらなければイエスを主と告白することは出来ないからです(コリント一12・3新p.315)。

 宦官はイエス・キリストを信じる思いが与えられ、洗礼へと導かれました。道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来ました。宦官は、「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」と言いました。37節が欠けています。†(短剣符)は別の写本にあることを示しています。使徒言行録の最後のページ(p.272)に、37節の言葉があります。【フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。】とあります。

 宦官は車を止めさせました。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けました。

 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去りました。宦官はもはやフィリポの姿を見ることは出来なかったが、喜びにあふれて旅を続けました。フィリポはアゾトに姿を現し、町々を巡りながら福音を宣べ伝え、カイサリアまで行きました。

 このエチオピア人の入信では、まず<主の天使>が、フィリポに、ガザに行けと命じたところから始まっています。そして、<霊>がフィリポに追いかけて、あの馬車と一緒に行け、と命じています。フィリポが宦官に洗礼を授け、水の中から上がると、<主の霊>がフィリポを連れ去りました。神が主体になっています。これは、この異邦人の救いが人間の業によるのではなく、神の業、神の計画だったことが示されています。神は救いを求める者を、お見捨てになりません。必ず救ってくださる方なのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「わたしたちが救われるべき名」

2015-06-14 02:51:18 | 説教

   新約聖書時代のヘロデ神殿の構造、前20~紀元70年(バイブルワールドp.94)    婦人の庭に入る門が「美しい門」です。婦人に庭の先に見えるのが、イスラエルの男子の庭に通じる「ニカルノ門」です。男子(イスラエルの民の庭)の先は祭司の庭。その奥に高い建物が神殿。神殿は聖所と至聖所からなっています。

       〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

            日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 (フィリピ4:6)

     聖霊降臨節第4主日  2015年6月14日(日)  5時~5時50分 

礼   拝   

前 奏            奏楽   辺見トモ子姉

讃美歌(21)  474( わが身の望みは)

交読詩編   118(恵み深い主に感謝せよ )   

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   使徒行伝4章1~12節(共同訳[新]p.219)     

説 教 「わたしたちが救われるべき名」 辺見宗邦牧師

聖餐式     72(まごころもて、み名をほめん)

讃美歌(21)  505(歩ませてください)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                                                  週礼拝 6月21日(日)午後5時~5時50分

                                                聖 書  使徒行伝8章26~38節

                                                説 教  「エチオピアの高官に福音が伝えられる」  

                                                 讃美歌(21) 402 405  24

               本日の説教

   使徒言行録4章は、3章に書かれていることの続きです。まず、そのあらましをお話しいたします。

  

   ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に行ったとき、毎日、エルサレム神殿の「美しい門」(上の画面の⑦)の所に座って物乞いをしていた生まれつき足の不自由な男から施しを求められました。「美しい門」は、おそらく神殿東側の境内から婦人の庭に入る門のことと思われます。「美しい門」は、婦人の庭からさらに男子の庭に入る<ニカノルの門>とする説もあります。ニカノル門はコリント式の壮麗な青銅の門です。この門を寄進したユダヤ人ニカノルの名で呼ばれている門です(新約聖書時代のヘロデ神殿の図参照)

   ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言いました。キリストによって生かされている自分たち、そして自分たちのうちに働いている<聖霊の賜物>を見てもらいたかったのだとおもわれます。

    ペトロは、「金や銀はないが、持っているものをあげよう」と言って、「イエス・キリストの名」によって彼を癒したのです。「イエスの名」には、イエスの人格の力がこもっています。そのイエスの名の力が働いたのです。施しを求めて座っていた男は躍り上がって立ち、歩き回り、神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行きました。イエス・キリストによる救いが、人間を自立させ、自由を与え、喜びをもって自らの人生を歩ませてくださることを、この奇跡は示しています。

   それを見た民衆は皆非常に驚き、「ソロモンの回廊」にいる彼らの方に集まってきました。。これを見たペトロは、民衆にイエスの名を信じる信仰がこの人を癒したのですと語り、イエスは預言者が予告していたメシアであることを告げ、罪を悔い改めて神に立ち帰りなっさい、と訴えました。

   そして、4章に入ります。ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々」たちが近づいてきました。二人が死者の中から復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだちました。とくに、天使や復活を否定しているサドカイ派の人たちは激しくいらだちました。そこで二人を捕え、すでに日暮れだったので、翌日まで牢に入れました。

    ペトロとヨハネの語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数だけでも五千人ほどになりました。

    翌日、最高法院(サンへドリン)が召集され、「議員、長老、律法学者たち」、それに「大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族」もエルサレムに集まりました。サンへドリンの開かれる場所は神殿の中のイスラエルの庭からも祭司に庭からも入ることが出来る「切石の間」です。法院に集まっていた人々は当時のユダヤ教の指導者たちであり、知識も富も力も権威もありました。この大祭司を頂点とする支配階級は、ペトロとヨハネによる集まりを厄介な騒動と見做し、秩序を乱す者として罰するために集まったのです。この時、アンナスは大祭司を引退していましたたが、依然として実権を握っていました。大祭司はアンナスの娘婿のカイアファです。ヨハネアレクサンドロはアンナスの息子たちです。他の大祭司一族も集まりました。最高法院を構成する議員は七十一名ですが、この日集まったのは、評議員の十数名です。律法学者たちの大部分はファリサイ派の人たちで、死人の復活を認める立場の人たちです。そこで尋問の内容が変わります。使徒たちは復活を語ったことによって捕えられたのに、彼らは、二人の使徒を真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と、癒しの奇跡の<力>の源を問うものでした。その場には、自分たち以上の権威は無いと高ぶり、ペトロやヨハネのような身分の低い者たちから出ている力を危ぶみ、非難している権力者の姿があります。

   そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言いました。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」 

   ペトロとヨハネは、犯罪者のように権力者の前に引き出されたが、堂々と答弁します。足の不自由な男を癒し、善い行いをしたのに、何故自分たちを取り調べのか、と皮肉を込めた答弁から始まります。「その人がいやされたのは、あなたがたが十字架につけて殺したイエス」であり、「神により死者の中から復活したナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と答えたのです。

    更に続けてペトロは、「この方(イエス)こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と語りました。

   あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」とは、メシア預言として知られている詩編118篇22節からの引用です。「隅の親石」は、建物を建てるとき土台となる最も重要な石であり、また、石造りのアーチの中央頂上に置かれ、アーチ全体をしっかり固定する「くさび石」のことです。神の家を建てる者たちであるあなたがたに軽蔑され捨てられたイエスは、神によって復活させられ、神の家の<礎(いしずえ)の石>にされたのです。この方以外には、だれによっても救いは与えられません。神はわたしたちを救うために、このイエス・キリスト以外のだれも救い主として与えていません。イエス・キリストこそ、神が与えた真の救い主です、と宣言して、ペトロは弁明を終えました。ここでは、病が癒されることが救いとしてと語られています。

   このペトロの大胆な態度とその答弁を聞いて、「議員や他の者たちは」驚いてしまいました。しかも二人が無学な普通の人であることを知ったからであり、また、「イエスと一緒にいた者であるということも分かった」からです。ペトロたちが、このような答弁ができたのは、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、……わたしの証人となります」(1・8)と主が約束された聖霊に満たされて語ったからです。

   議員たちは、イエス・キリストの名によって足を癒された生き証人がそばに立っているのを見て、この否定しようもない事実の前に「ひと言も言い返す」ことが出来ませんでした。そこで一旦、二人を議場から去らせましたが、これ以上民衆にイエスの名が広まらないようにするために、再び二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話してはならないと命じました。しかし、そのような言い渡しに屈することなく、ぺトロとヨハネは、神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのですと、その決意を明らかにしました。その言葉は、ギリシアの哲学者ソクラテスが、知を愛し求める探究生活をやめるという条件を受け入れるなら放免しようと提案された時、「わたしが命に従うのは、むしろ神に対してであって、諸君にではないだろう」(プラトンの著『ソクラテスの弁明』)と弁明した言葉を思わせるものでした。議員たちは、二人を更に脅してから釈放しました。民衆がこの奇跡の出来事について神を賛美していたので、民衆の反応が気になり、どう処罰してよいか分からなかったので釈放したのです。

  4章22節に、「このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた」とあります。ペトロとヨハネが行った癒しの奇跡によって癒された男は、生まれたから40年以上も不自由の身であった、と釈放物語を終えます。

 「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」このペトロの言葉には、「イエス・キリストの名」によって救われる、溢れるような喜びが込められています。そしてその喜びを全ての人々の救いのために伝えていきたいという思いが込められています。この言葉をもって、信仰を強制したり、他の宗教を排斥するは避けなければなりません。赦しと愛を教えられているキリスト教徒は、宗教的寛容の精神を世界に根付かせる責任を負っています。聖霊によらなければだれも「イエスは主なり」と告白することはできません。金銀はなくとも、わたしたちにも与えらえている聖霊の力の威力を実証していくことが人々の心をとらえることになるのです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「邪悪な時代から救われなさい」

2015-06-07 11:51:48 | 説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

           日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ4:6)

     聖霊降臨節第3主日      2015年6月7日(日)  5時~5時50分 

         礼   拝   

前 奏            奏楽   辺見トモ子姉

讃美歌(21)  411(うたがい迷いの )

交読詩編    67( 神がわたしたちを憐れみ)   

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   使徒行伝2章37~47節(共同訳[新]p.216)     

説 教   「邪悪な時代から救われなさい」   辺見宗邦牧師

讃美歌(21)  390(主は教会の基となり)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                      次週礼拝 6月14日(日)午後5時~5時50分

                        聖 書  使徒行伝4章5~12節

                        説 教   「わたしたちが救われるべき名」  

                        讃美歌(21)474 505 24

    本日の説教

  ペンテコステの日、使徒たちに聖霊が降り、使徒たちは聖霊の力を受けて、世界各地から集まっているエルサレムの民衆に、その人達の生まれ故郷の言葉で神の偉大な業を語りました。驚いた民衆の中に、酒に酔っていると非難する人達がいたので、ペトロは使徒たちを代表して語り出しました。

  使徒たちが外国の言葉で語った現象を、ペトロは聖霊によるものであり、預言者ヨエル(旧約聖書ヨエル書3章p.1425)によって語られていた預言が実現したのだと語りました。そして、キリストの十字架と復活、昇天を、聖書の預言の成就であると説き、自分たちは主の復活の証人であると語りました。

  聖霊は、イエスの十字架と復活と昇天の結果として注がれたのである、ユダヤ人に説明しました。そして、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(2・36)という言葉で語り終えました。この最後の言葉はペトロの説教の結論であり、信仰告白です。

  ペトロの説教は、「あなたがたが十字架につけて殺したイエス」と言って、イエスを殺したユダヤ人の責任を指摘しました。しかし、神はこのイエスの十字架の死により、罪ある者の救いの道を開かれ、その死によって、イエスは救い主とされ、人間が信じ従うべき主とされた、と説いたのです。ペトロはユダヤ人の罪を指摘しましたが、同時にその救いと赦しとを伝えたのです。

  「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」というペトロの説教によって聴衆の心に罪責の自覚が生じました。自分たちが殺したイエスが、イスラエルが長い間待望していたメシアであり、神の右に座し、世を支配する主であることを知らされて、仰天し畏れたに違いありません。聖霊の働きによって、神様のみ言葉が語られ、聞かれる時、聞く人の心は大いに打たれるのです。

  「人々はこれを聞いて、大いに心く打たれ」(2・37)ました。ペトロと他の使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねました。<兄弟たち>と言ったのは、ペトロが説教の中で<兄弟たち>と呼びかけたのに応じた言葉です。使徒たちと聴衆との間に一体感が生じています。

  ペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば聖霊を受けます」(2・38)と答えています。

  <悔い改め>は、日本語では、罪を反省して二度としないと決意するという意味になりますが、聖書においては、「心の向きを変える」ということです。神を無視していた心を変えて、神の方に向けることであり、神に立ち返ることですが、ここでは、イエスを十字架につけて殺した罪に対する<悔い改め>が勧められています。<イエス・キリストの名による洗礼>とは、罪の赦しをいただくための根拠は<イエス・キリストの名>にあることを示し、<主の御名を呼ぶ者は皆、救われる>とヨエルの預言にもあります(ヨエル書3・5、p.1425)。ヨハネによる「罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマ」(ルカ3・2)との違いが示されています。主イエス・キリストの名による洗礼は、私たちが、主イエスを信じて、その十字架の死と復活とにあずかり、罪の赦しと新しい命をいただくための聖なる儀式(礼典)です。そうすれば聖霊を受けます>とは、悔い改め、キリストの名によって洗礼を受ける者に聖霊の賜物が与えられることが約束されています。

  「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(2・39)

  聖霊が与えられる約束は、ユダヤ人にも、将来の世代にも、遠くの異邦人にも、時と場所と人種をこえて、すべて信じる者(主の名を呼び求める者2・21)に与えらる神の約束なのです。

 「ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた」とあります。

 ペトロは<あなたがた自身が救われるようにしなさい>と勧めていたのです。主イエスは「なんと信仰のない、よこしまな時代」(ルカ9・41)と嘆き、非難しましたが、<邪悪なこの時代から救われなさい>と勧めています。神が求められる秩序からはずれた、神に不従順な反逆の時代にしているのは、人間の罪です。この罪から救われるためには、主の御名を呼び、聖霊を頂く他はありません。このペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、3000人ほどが仲間に加わりました(2・41)。これがペンテコステの日に起こった教会の始まりです。

 聖霊を受けて誕生した初代の教会は、「使徒の教え」を守り、「信徒相互の交わり」を深め、「パンを裂くこと」、すなわち信徒の家庭での食事をし、これが後に<主の晩餐>となっていきます。そして、心を合わせて<熱心に祈る>集団を形成していきました。これが彼らが固く守り続けた教会生活の基本でした。聖霊の働きを受けた教会のあるべき姿が、ここに示されています。

 初代教会においては「すべての人に恐れが生じた」とあります。使徒たちが不思議が力ある業を行なっていたからです。すべての人が心から神を畏れる精神に満ちていたのです。このことについては3章1~10節で、ペトロが足の不自由な男を癒したことにより民衆が驚いたことが記されています。

 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。

  しばらくではあったが、信者たちはそれぞれの不動産や動産を共有し、個々の必要に応じて配分していました。これは強制されたのではなく、信仰の喜びを共にする自発的な行為でした。このことは5章で記されるアナニアと妻サフィラのように、これについていけない者も現れ、実際には維持されたとは記されていません。

 そして、<毎日毎日心を一つにして>神殿の礼拝を守り、同心の友の代表的な家に集まり、愛餐を共にしました。彼らは喜びと真心をもってこれに参加したのです。、信者たちは<神を賛美していた>ので、民衆全体から好意を寄せられました。。

 ここで注目したいのは、「一つになって」ということです。44節に「信者たちは皆一つになって」とあります。46節にも「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」とあります。そして最後の47節にも「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」とあります。最初の教会の人々が、心を一つにして生きていたことが強調されています。聖霊によって歩む教会において、そこに連なる人々は、一つとされるのです。

 讃美歌21の390番2節には、「世界の民は、集められて、ひとつのからだ、ひとつの糧、ひとつの望み、共にわかち、ひとりの神の、み民となる。」とあり、教会の姿が歌われています。

 「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」とあります。教会が形成されていくのは、主なる神様のお働きによることが示されています。聖霊降臨によって誕生した教会は、最初は個々の家での集会から、次第に家の教会になり、更に大きな教会に発展していったのも、聖霊の業であり、また神ご自身も業であります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)と言われたた主イエスの言葉が現実のものとなりつつあるのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする