↑ ペトロとフィリポの宣教
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日本キリスト教 富谷教会 週報
年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」 (フィリピ4:6)
聖霊降臨節第6主日 2015年6月28日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 6( つくりぬしを賛美します)
交読詩編 98(新しい歌を主に向かって歌え )
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 使徒言行録11章1~18節(共同訳[新]p.234)
説 教 「異邦人にも聖霊が降る」 辺見宗邦牧師
聖餐式 56(主はいのちのパンをさき)
讃美歌(21) 405( すべての人に)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 7月5日(日)午後5時~5時50分
聖 書 使徒行伝20章7~12節
説 教 「パウロ、青年を生き返らせる」
讃美歌(21)151 515 24
本日の説教
今日の聖書の個所、使徒言行録11章に入る前に、エルサレム以外のユダヤの地やサマリヤの地、また異邦人に福音を伝えたフィリポとペトロのこれまでの働きについてお話しいたします。
2章では、ペンテコステの日に聖霊が弟子たちに降り、主イエスの十二使徒の筆頭であるペトロは、この日から、エルサレム市内や、神殿でユダヤ人の民衆に福音を語り始めましたことが書かれています。使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われ、多くの男女が主を信じ、その数がますます増えました。
6章には、使徒たちを補佐する七人の人が選ばれたことが記され、その中に、ステファノとフィリポの名があります。
7章では、ステファノの説教と殉教が記されています。サウロは、ステファノの死を目撃しましった。
8章では、その日、エルサレムの教会に対する大迫害が起ったことが記されています。
十二使徒以外の者は、ユダヤ、サマリアの地方に散って行きました。散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩きました。七人の補助者の一人に選ばれたフィリポはサマリアの町に下って行き、人々にイエス・キリストの名についての福音を宣べ伝えました。人々は信じ、洗礼を受けました。
エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ派遣しました。ペトロとヨハネは人々が聖霊を受けられるように祈りました。サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサエムに帰りました。
その後、フィリポはエチオピアに帰るためガザの方に向かって旅していた宦官に福音を伝え、洗礼を授けてから、アゾトに姿を現し、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行きました。
9章には、ダマスコに向かったサウロ(ギリシヤ名パウロ)が回心して、ダマスコで福音を告げ知らせたことが記されています。
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方に増え、信者の数も増えていきました。
9章32節以下には、ペトロが再びフィリポの伝道した後を訪ね、その働きを一層強めるため、海岸沿いの地域を巡回したことが記されています。ペトロはエルサレムの北西40キロにあるリダに行きました。すでに教会はフィリッポの宣教によって設立されており、そこには<聖なる者たち(信者の意)>がいました。ペトロはアイネアという八年前から床についていた中風の人を癒しました。このことがリダとシャロン地方の人々の注目を集めました。
ヤッファ(現在のテル・アビブ)にいる弟子たちが、ペトロがリダにいると聞いて二人の人を送り、急いで来てくださいと頼みました。リダとヤッファの距離は近く、18キロでした。ここもフィリポの伝道地でした。ペトロはタビタ[ギリシヤ名・ドルカス(カモシカの意)]という婦人の信者を生き返らせました。このことはヤッファ中に知れ渡リ、多くの人が主を信じました。
ペトロはしばらくの間、ヤッファの革なめし職人のシモンの家に滞在しました。「皮なめし」という職業は、動物の死体にさわるので、ユダヤ人の間では汚れた職業とされていました。その家にペトロが滞在したのは神の不思議な導きによるものでした。この家に滞在したことが、ペトロがカイサリアの百人隊長コルネリウスへ福音を伝えることになるのです。
10章には、シモンの家に滞在したペトロが、翌日この家の屋上に祈るために上がったとき、幻を見たことが記されています。昼の十二時頃でした。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思いました。ペトロは夢心地になっていると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見ました。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。食べても良い清い生き物と、律法で食べることを禁じられている清くない生き物とが混じっていました。すると、「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」という声がしました。しかし、ぺトロは「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」と答えました。すると、また声が聞こえてきました。「神が清めた物を、清くないなどと、あんたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられました。その幻はどんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないことを示す幻でした。
ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、カイサリアのコルネリウスから差し向けられた人々が、シモン・ペトロを迎えにきました。霊がペトロに、「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらはないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」と言いました。それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせました。
コルネリオは、カイサリアに駐屯している「イタリア隊」という部隊の百人隊長です。このコルネリオから、話を聞かせてほしいとペトロは招かれたのです。カイサリアはヤッファから北へ50キロの所にあります。カイサリアは、ヘロデ大王が皇帝アウグストゥスを記念して建てた海岸都市です。文化の面ではギリシアの町でしたが、パレスチナ一帯を治めるローマ総督とその軍隊が駐留しており、ローマへの通じる拠点となっていた都市です。
カイサリアはすでにフィリポによって伝道がなされた地でした。コルネリオは神を畏れる正しい人で、絶えず神に祈り、民に多くの施しをしていたので、すべてのユダヤ人に評判の良い異邦人でした。
ペトロは幻で異邦人を差別しないように示されていたので、このイタリア人隊長の招きに応じ、翌日ヤッファの信徒たちも何人か連れて行きました。
親族や親しい友人たちを呼び集めてペトロの到着を待っていたコルネリウスは、ひれ伏して拝むほどの丁重さをもって彼を迎えました。ペトロは、「お立ちください。わたしもただの人間です」と言って、彼を起こしました。ペトロもコルネリオも、互いに神の幻を通しての出会いであったことを話しあいました。
ペトロはコルネリウスの家で福音を告げました。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」と話し始め、イエス・キリストの死と復活を告げ、死者と生者との審判者として立てられたイエス・キリストは、「すべての人の主」となられた方なので、「この方を信じる者はだれでも……罪の赦しが受けられる」と語りました。語っている最中に、御言葉を聞いていた異邦人たち一同の上に聖霊が注がれました。聖霊はコルネリウスとその親族・友人に降ったのです。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを聞いたぺトロの同行者たち(割礼を受けているユダヤ人の信者たち)は、異邦人にも聖霊が注がれた神の行為に大いに驚きました。そこでペトロは、「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と、連れてきた信者に語り、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、コルネリウスたちに命じました。それから、ペトロはコルネリウスたちに、なお<数日>滞在してくださいと乞われました。
ここまでが、今日の聖書の個所の11章の前に書かれている記事です。
エルサレムに使徒たちとユダヤにいる信者たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にしました。ペトロがエルサレムに帰って来たとき、割礼を受けている者たちはペトロを非難しました。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言いました。彼らは割礼を入信の条件とし、神殿礼拝を重んじるユダヤ教の影響を受けているキリスト者たちです。異邦人と食事を共にすることを禁じる律法はありませんが、エズラやネヘミヤの時代に汚れた異民族との結婚を禁じたことから(エズラ記9・12旧p.736)、異邦人との親しい交際は、民族の伝統や習慣に背くことになっていたのです。イエスの時代、ユダヤ人はサマリア人と交際しませんでした。そこで、ペトロはヤッファの町で起こった事の次第を順序正しく説明し始めました。ペトロの説明は10章を要約した反復ですが、たんなる繰り返しではなく、異なった表現があります。(次の1)~ 6)の言葉です。)
ヤッファの町でペトロが祈っていると、夢心地になって<幻を見ました>。大きな布のようなものが…<1)わたしのところまで下りて来たのです>。自分自身に対して示された直接的な神の啓示として語っています。布の中には、三種の動物ではなく、<2)野獣>を加えた四種になっています。<ぺトロよ、身を起し、屠って食べなさい>という声を聞いたので、<主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません>と断ると、<神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない>と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度もあって、<また全部の物が天に引き上がられてしまいました>。
<神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない>という神の宣言は、ユダヤ教の食物規定(申命記14・3~21旧p.303~304、レビ記11章旧p.177~178)を無効とし、異邦人との交際や彼らとの会食を認めるものです。こういうことが三度もあったことは、ペトロは三度も食べることを断り続けたからです。
そのとき、カイサリアからペトロのところに差し向けられた三人の人が<3)わたしたちのいた家に>到着しました。<わたしたち>とは、ヤッファの六人の兄弟を含めた表現です。すると、“霊(聖霊)”がペトロに、<ためらわないで一緒に行きなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ>と言いました。<三人>とは、二人の家内奴隷と、信仰心のあつい当番兵でした(10・7)。
<4)ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。>とペトロは続けて話し始めました。<六人の兄弟>とは、ペトロと一緒にカイサリアに出かけたヤッファの信者たちで、この場面ではコルネリウスの家での出来事の証人となっています。
ペトロを招いたカイサリアのコルネリウスは、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が次のように告げたことをペトロに話してくれました。<ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。4)あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる>と天使が告げたのです。
ペトロが福音を5)話しだすと、聖霊がペンテコステの日に自分たちの上に降ったように、彼らの上にも降ったこと、そのとき、ペトロは、<6)ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受けると言われた主の言葉を思い出し>、<こうして、主イエス・キリストを信じるようになった自分たちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、自分のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか>と語って洗礼を授けた事の次第を説明しました。
カイサリアにおける異邦人への聖霊降臨が起きた時、ペトロは、<あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける>というイエスの言葉を思い出し、異邦人への聖霊降臨を神の業と解し、<神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか>と言う言葉で、異邦人にバプテスマを授けた自分の行動を正当づけたのです。異邦人への洗礼と教会に受け入れたのは、あくまで神のご意志に従ってなされたと弁明したのです。
この言葉を聞いて反対者たちは平静をとり戻し、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美しました。異邦人もまた聖霊を受けて受洗し、神の救いに与ることができる事を、エルサレム教会が初めて正式に承認したのです。
この物語は、福音を前進させていくのは神の働きであることを示しています。神はペトロに三度も天から下りてくる幻を見せ、「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない」と声をかけられ、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないことを示し、コルネリウスから迎えの者が来たときは、霊が、「ためらはないで、一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」と告げています。
一方、コルネリウスも、幻で神の天使(輝く服を着た人)が現れ、<コルネリウス>と呼びかけ、ヤッファへ人を送って、ペトロを呼びなさいと告げられたので、ペトロを迎えたのであり、<今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです>という、ペトロの語る福音を聞く心の準備を、神は整えられたのです。このようにすべてが神の奇跡的な介入によるものでした。そして、このヨーロッパから来た異邦人の集まりの上に、聖霊が降ったのです。神は異邦人をも、ユダヤ人と区別なさらず、悔い改めさせ、罪と死に打ち勝つ聖霊を与え、永遠の命に生きる希望を与え、神を賛美する者としてくださったのです。