富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「救い主の来臨の預言」エレミヤ書33章14~16節

2022-11-22 23:09:21 | キリスト教

   (待降節) 希望 来たれ、来たれ、インマヌエル。神、われらと共にいます。

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

待降節第1主日  2022年11月27日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                 司会 辺見 順子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 206(七日の旅路)

交読詩編      25(主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)  エレミヤ書33章14~16節(旧p.1241)

説  教      「救い主の来臨の預言」  辺見宗邦牧師

祈 祷                                                    

讃美歌(21) 235(久しく待ちにし)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019

  に、申し込み下さい。

         次週礼拝 12月4日(日)  午後5時~5時50分

         聖 書  イザヤ書55章1~11節

         説教題  「旧約における神の言」 

         讃美歌(21) 232 173 27 交読詩編 19

本日の聖書 エレミヤ書33章14~16節

33:14見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。15その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。 16その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。

本日の説教

イザヤが活動した後、73年後に再びエルサレムに偉大な預言者が現れました。それがエレミヤです。エレミヤが召命を受けたのは、ユダ王国の名君と言われたヨシヤ王治世の13年です。エレミヤが預言活動を開始したのは紀元前627年の時です。30年後に、第一回バビロン捕囚があり、さらに11年後の第二回バビロン捕囚の時代まで、40年の間、預言活動を続けました。

エレミヤは、召命を受けたとき若者でした(エレミヤ書1章)。エレミヤの出身地はベニヤミン族の相続地の中にあるレビの町アナトトです。アナトトはエルサレムの北東4.5キロにある小村です。祭司ヒルキヤの子として生まれました。

  

エレミヤ書1章4節以下は、エレミヤの召命の記事です。神の言葉は圧倒的な権威に満ちてエレミヤに臨みました。神はエレミヤを母の胎内に造る前から知り、母の胎から生まれ出る以前に聖別し、「諸国民の預言者として立てた」と告げました。この神の呼びかけに対し、エレミヤは、わたしは語る言葉を知らず、若者に過ぎませんと言って抵抗しました。しかし、神は、若者にすぎないと言ってはならない。だれのところへでも行って、命じることをすべて語れと言われ ました。人々を恐れず、エレミヤを使命に向かわせたのは、「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」という神の励ましの言葉でした。神はエレミヤの口に直接手を触れてみ言葉を授け、預言者として任命しました。

エレミヤが預言者として活動したのは、ユダ王国が衰退し、王国の滅亡とバビロン捕囚という破局に向かっていた時代です。エレミヤは2章、3章で、彼の時代のユダ王国が、信仰的に偶像崇拝が平然と行われ、道徳的にも堕落していたかを述べています。弱いもの、貧しいものは、さげすまれ、搾取の対象となりました。そのような、公平と正義の軽視と、神への裏切りこそが、国を滅亡に至らしめる原因であると語ったのです。

主はエレミヤに、「エルサレムの通りを巡り、広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう」(5:1)と言われました。しかし、エレミヤの周囲には、身分の低い人々にも、身分の高い人々にも、祭司にも、預言者にも、ひとりも正義を求め、真実を求める人を見ることはできませんでした。

エレミヤは、数十年にわたって警告者、勧告者として同胞の民に、神の裁きがまじかに迫っていることを語り、悔い改めの呼びかけをしなければなりませんでした。ユダ王国はエジプトの支配を受け、王と民は政治的な不安の中にありましたが、エルサレム神殿があるかぎり大丈夫だという思いがありました。エレミヤはエルサレム神殿で、「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(エレミヤ記7:4)ときびしく非難し、形ばかりの礼拝を続けているユダ王国は滅亡する。真の悔い改めによる信仰を目指すため、神殿破壊こそ神のみ心であるとの預言を行いました。また、バビロニアのネブカドネザル王を神がユダ王国を懲らしめるために遣わした存在と主張し、エジプトと手を結ぶことを非難し、バビロニアへの降服を神の審判として謙虚に受け取り、出直すことを預言したのです。

エレミヤは最初、全力をあげてヨシヤ王の宗教改革(前626年)を支えました(エレミヤ書11章1-5節)。しかし、ヨシヤ王が戦死したことによって改革は挫折し、ヨヤキム王の時代には、ふたたび宗教が自由化され、偶像礼拝がはびこるようになりました。エレミヤによれば、人間が真実を貫くということはむずかしいのです。「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる(17:9)。それは、人間性の弱さ、もろさのためです。その弱さもろさは、根本的にどこからくるのか。それは、結局人間は、自分本位にしか物事を考えられない、エゴイズムによるのです。人間の真実は、エレミヤにおいては、神の側における真実に支えられ、助けられて、はじめて真実であり得るのです。

 エレミヤは孤独と悲哀の生涯を送った「涙の預言者」と言われています。それは彼が味わった苦悩と悲嘆の深さを表す表現です。エレミヤは自分の誕生を呪うまでに苦しみ、二度とふたたび主の言葉を語るまいと決意するのですが、彼の心の中に、神の言葉が「燃える火」となって、彼は語らざるを得ませんでした(20章)。エレミヤの苦しみは預言者として語らなければならない苦しみだけではなく、エルサレムの滅亡と背信の民の滅びを悲しむ苦しみでもありました。

エレミヤは、エルサレムからバビロンへ連れて行かれた長老、祭司長、預言者たち、及び民のすべて(3023人)に、手紙を送り、励ましました。バビロンで七十年過ごしたら、神は恵みの約束を果たし、エルサレムに連れ戻すという預言をしました。実際は五十九年でこの神の約束が実現しました。エレミヤはイスラエルの滅亡と捕囚とを、彼らの罪に対する神の審きと受けとめ、その罪が赦され、イスラエルとユダの回復する日が来ることを預言しました(30章)。

31章では、エレミヤは希望と慰めとを語っています。それは神がイスラエルの家とユダの家との間に新しい契約を結ばれる日であるというのです。イスラエルが神の愛と真実のゆえに解放され新しい出発をする時、神は新しい契約を立てると言うのです。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ書31:31~33)というのです。神が民と結ぶ契約ではなく、神が個人と結ぶ契約です。個人が自分自身の責任において神と出会い、「心に記された律法」に従って生きるという預言です。このエレミヤの「新しい契約」の預言は、イエス・キリストによって実現するのです。

33章は、エルサレムの復興の預言です。主は、獄舎に拘留されていたエレミヤにエルサレムの復興を告げたのです。「お前たちが、ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者が、『万軍の主をほめたたえよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と歌う声が聞こえるようになる。それはわたしが、この国の繁栄を初めのときのように回復するからである」(33:10-11)と告げたのです。

しかし、ダビデの末から再び王が立てられる日が来るとの回復の約束をエレミヤは聞きます。それが今日のテキストです。

「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る」と主は言われます。その日、その時、主は「ダビデのために正義の若枝を生え出でさせる」(33:14-16)と言われます。

イザヤは、「エッサイの子(ダビデ)の株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」とメシアの誕生を預言しました(イザヤ書11:1-2)。メシアは「正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる」(同11:5)方です。主はイザヤに語って預言を、エレミヤにも告げたのです。

「彼(メシア)は公平と正義をもってこの国を治める。」と主はエレミヤを通して、メシアは公平と正義をもってこの国を治める、と言われました。「その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」(エレミヤ33:16)

メシアは、王の理想を実行し、神の意志を行うので、その日には、ユダ王国は救われ、エルサレムは平安に人が住める都となる。そのメシアの名は、「主は我らの救い」と呼ばれるであろう、と主なる神は言われます。主イエスは「我らの救い」として生まれた救い主であり、神の子です。

エレミヤは、人々が彼に期待したことを告げませんでした。彼は人々から治安を乱す者、敗北主義者とみられ、迫害されました。ユダ王国の最後の王となるゼデキヤ王に、ユダ王国がバビロンによって滅亡することを預言したため、王によって逮捕され、バビロンによってエルサレムが陥落する日まで、監視の庭に拘留されました(37-38章)。

ユダ王国の王ゼデキヤは、現実から目をそむけ、エジプトを頼ったため、エルサレムは陥落し、ゼデキヤは両眼をつぶされ、バビロンに連れて行かれ、ダビデ王家は断絶します(39:1-7)。エレミヤは、バビロン軍によって厚遇され、釈放されます。最後に、エレミヤはエジプトに連行されその地でも預言活動を行ったとされているが、最後については記されていません。

今日は御子キリストを待ち望む待降節の最初の主日です。「正義と公平をもって」、世を支配し、人々を罪より救われる主の御降誕の日を迎えることに感謝し、主の再臨を待ち望みたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダビデ王の信仰と偉業」サムエル記下5章1~5節

2022-11-18 01:05:52 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕前第5主日  2022年11月20日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                 司会 斎藤 美保姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

交読詩編      18:47~51(主は命の神)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)  サムエル記下5章1~5節(旧p.487)

説  教   「ダビデ王の信仰と偉業」  辺見宗邦牧師

祈 祷                                                      

聖餐式    72(まごころもて)

讃美歌(21)  16(われらの主こそは)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019

  に、申し込み下さい。

          次週礼拝 11月27日(日)  午後5時~5時50分

             待降節(アドベント)第一主日

          聖 書  エレミヤ書33章14~16節

          説教題  「主の来臨の希望」 

          讃美歌(21) 232 233 27 交読詩編 25

本日の聖書 サムエル記下5章1~5節

5:1イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。 2これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」 3イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。 4ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。 5七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。

 本日の説教

 ダビデが聖書に最初に登場するのは、サムエル記上16章からです。ダビデは<愛された者>という意味の名です。ダビデはユダのベツレヘムで、エッサイの八番目の末子として生まれました。彼は血色良く、目は美しく、姿も立派でした。預言者サムエルからサウル王の後継者として油を注がれていました(サムエル上16章)。

 

サムエルの誕生については、サムエル記上1章20節に記されています。出身地はラマタイムです。サムエルはシロの祭司エリに仕え、成長し、主の預言者とイスラエルのすべての人々に認められます(サムエル上3:20)。

預言者から頭に油を注がれることは、神に王として聖別されることであり、神から特別の霊の賜物と加護を受けることを象徴していました。しかしダビデが油注ぎを受けたことはまだ公にはされていませんでした。

ダビデは羊を飼う若者でした。竪琴を巧みに演奏し、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、言葉にも分別があり、主が共おられる、主に祝福された人でした。若者ダビデは、サウル王に仕え、ぺリシテ人の巨人ゴリアテを倒し、武将として数々の武勲を挙げました(17章)。サウル王の家はギブアにありました(上15:34)。

あまりの有能さと人望のゆえに、ダビデはサウル王の嫉妬を受け、命まで狙われます。ダビデが逃亡すると、サウルは執拗に追いました。ダビデはサウル王の息子ヨナタンの友情や預言者たちによって助けられました(18~31章)。結局ダビデはペリシテ人の地、ガトに亡命し、10年間にも及ぶ逃亡生活を強いられたのです。この危機の中で歌ったダビデの預言的な詩が詩編22篇であり、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」の言葉は、キリストが十字架の受難の際に用いています。ダビデの詩は、詩編22~41篇まで記されています。

ダビデはその苦難の中で神により頼んで生きました。エン・ゲディの洞穴で、彼はサウルを殺す機会があったとき、ダビデの従者たちは、神の与えて下さった絶好の機会であると思ったにもかかわらず、ダビデは手を下しませんでした。たとえ自分の命を狙う者であっても、神が油を注がれた者に手をかけることは許されないと考えたからです(サムエル上24章)。

サウル王がダビデへの愚かな追撃をする間に、ペリシテは軍勢を整え、ギルボア山にたてこもったサウルとその軍勢に総攻撃をかけ、一挙にこれを打ち破り、ヨナタンが戦死し、サウルは自害して果てました。ダビデは有名な哀悼の歌「弓」を作って、サウルとヨナタンの死を悼(いた)みました。(サムエル下1・19-27)。

サウル王の死によって、ペリシテ人の地、ガトに逃れていた(サムエル上27・1-2)ダビデは、<ユダの町へ上る>決意をしました。ダビデは二人の妻を連れて、主に示されたヘブロンへ上りました。ダビデは彼に従っていた兵士をその家族と共に連れ上りました。

 へブロンは政治的に見てユダにおける最も重要な地した。ユダの人々は、ダビデに油を注ぎ、ユダの王としました(下2:4)。紀元前1000年のことです。

 サウルの軍の司令官アブネルは、サウルの子イシュ・ポシェトを擁立してマハナイムに移り、北イスラエルの王としました。サウル王家とダビデ王家の戦いは長引きましたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は衰えていきました。ついには、アブネルも、ダビデ王の勇士、軍の長ヨアブ暗殺されました。ヨアブはダビデの姉妹ツェルヤの子です(歴代誌上2:16)です。イシュ・ポシェトも味方の裏切りにあい死にました(サムエル下4:6)。イシュ・ポシェトは、二年間王位にありました。

アブネルとイシュ・ポシェトが死んだので、イスラエル(北諸部族の名称)の全部族は指導者を失って、ヘブロン(ユダ王国の首都)のダビデのもとに来て、<わたしたちはあなたの骨肉です>と言いました。

イスラエルの人々は、ユダ族のダビデを自分たちの王に迎えるに当たって、両者が共に神の民イスラエル(十二部族全体を指す)の一員という意味で<骨肉>であることを強調します。しかも、サウル王の存命中でも、あなたは事実上のイスラエルの指導者でした(サムエル上18:7,13:16)、と言いました。彼らはさらに、主はあなたが<わが民イスラエルの指導者になる>ことを望んでいると強調しました。このようにして<イスラエルの長老たち>全員は、ヘブロンの王のもとにきました。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結びました。神と民の双方の意思に基づき、長老たちは<ダビデに油を注ぎ、イスラエルの王>としました。

ダビデは、もはやユダ単独の部族国家の王であるだけでなく、イスラエルとユダの全土の王となったのです。ただし歴史的に見て、これによっても政治的・組織的に一枚岩の国家が出来たわけではありません。「イスラエルとユダ」は、ダビデが両者の王を兼務するという形で、本質的な二元性を秘めたままの結びつきでした。この二元性の対立が顕在化するのが、後のいわゆる王国分裂(列王上12章)です。

即位の際に、<主の御前で>(すなわち聖所で、神を証人として)<契約>が結ばれたことは、ダビデのイスラエルへの王権が決して無条件で絶対的なものではなく、治める者と治められる者との間の双務的な法的合意に基づくものであったことを示唆しています。

サウル王は南部を統一できずに終わったが、ダビデ王の即位によりイスラエル統一王国が確立しました。

 ダビデは南北統一のために、地理的にも歴史的にも、両部族から中立で、要害の地であるエルサレムが、カナン系の先住民エブス人の町であり、異教の町だったので、エルサレムをエブス人から奪い、エルサレムを首都に定め、ヘブロンからエルサレムに移りました。

 ダビデはイスラエル中部の有力諸部族の間で古くから、神の現臨の象徴として尊重されてきた神の箱を、国民注視のもとで盛大な祝祭と共にエルサレム(ダビデの町)に搬入することによって、この新都エルサレムにイスラエル宗教の伝統を注入したのです。この移動は当然ながら、神自身の意志と選びに基づくものと宣伝されました(詩篇78:59~72)。これによってエルサレムは、神の箱の所在地として聖地となり、「神の都」、イスラエルの宗教的中心地に変えられたのです。

<ダビデは三十歳の時、ヘブロンでユダの王となり、七年半王位にありました。三十七歳の時、エルサレムでイスラエルとユダの全土の王となり、三十三年間在位しました。合計四十年間(紀元前1000年~前961年)在位しました(サムエル下5:4-5。列王上2:11)。 

人々はダビデをイスラエルの牧者、君と呼んで尊敬しました。ダビデはペリシテを平定し、近隣諸国も征服し、広大な王国を形成し、エルサレムにダビデの町を建て、イスラエルの繁栄をもたらしました。神により頼んだダビデは、神の祝福を受けたのです。

しかし聖書はダビデを完全無欠な人として描くことはしませんでした。すべてが順調に進んでいたその時に、ダビデは思いもかけない罪を犯したことを聖書は告げます。ダビデは、バト・シェバを自分の妻とするため、夫である将軍ウリヤを最前線に送り、卑劣な方法で戦死させてしまったのです。神は預言者ナタンをダビデのもとに遣わし、その罪を糾弾しました。ダビデは自分の罪を認めて深く悔い改めます。「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しい確かな霊を授けてください」と祈り、神との関係が損なわれないことを祈ったのです(詩篇52:12)。神はダビデを離れることはありませんでした。

晩年は失意の日々を送りました。多くの異母兄弟をつくったことも災いとなりました。異母兄弟同士の間で忌まわし事件も起こり、三男アブサロムの反乱とその悲劇的な死という悲劇を生みます。ダビデはバト・シェバの生んだ子、ソロモンを後継者に指名し、息を引き取りました。

ダビデは後世の王の模範、象徴として名を残すことになりました。その死から約四百年後に、バビロニアによるユダ王国の滅亡があっても、人々は理想の王としてその再来を待望し、それが「救い主」はダビデの子孫から誕生するという信仰に発展していったのです。

メシアは、「ダビデの子」ではなく、ダビデが「わが主」と呼ぶ、世を救う神の御子が来られたのです(マルコ12:35-37)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「救いの約束(モ―セの召命)」出エジプト記3章1~15節

2022-11-08 22:57:20 | キリスト教

   ↑ 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出エジプト記3:14)

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕前第6主日  2022年11月13日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                司会 辺見 順子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

交読詩編      77(神に向かってわたしは声をあげ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)  出エジプト記3章1~15節(旧p.96)

説  教  「救いの約束(モーセの召命)」辺見宗邦牧師

祈 祷                                                      

讃美歌(21) 157(いざ語れ、主の民よ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019に、                         申し込み下さい。

                                        次週礼拝 11月20日(日)  午後5時~5時50分

                                       聖 書  サムエル記下5章1~5節

                                       説教題  「王の職務」 

                                       讃美歌(21) 402 16 27 交読詩編 18:47~51節

本日の聖書 出エジプト記3章1~15節

3:1モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。 2そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 3モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 4主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、 5神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」 6神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。 7主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 8それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 9見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。 10今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 11モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」

 12神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」 13モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 14神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 15神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。

本日の説教

創世記の族長物語は、アブラハム・イサク・ヤコブと続き、ヤコブの子ヨセフの物語(37章~50章)に入ります。ヨセフは兄達に奴隷として売られてエジプトへ行きますが、ファラオ(エジプト王)の夢を解いたことから出世し、エジプトの宰相になります。カナンの地が激しい飢饉に襲われたとき、ヨセフの父ヤコブと兄弟たち十一人の一族が、エジプトの宰相となったヨセフを頼ってエジプトに移住し、ヨセフの庇護のもと、ゴシェンの地に定住しました。紀元前1630~1520年頃のことです。そこでヤコブは死に、ヨセフも長寿を全うして死にます。そして出エジプト記に入ります。出エジプト記からは、族長の歴史ではなく、民族の歴史の叙述になります。

 ヤコブ一族のエジプト寄留期間は430年(出エジプト記12:40)とあります。イスラエルの人々の数は驚異的に増え、ますます強くなって国中に溢れました。ヨセフのことを知らない新しいエジプト王、セティ一世(1291-1278)と思われますが、イスラエル人の増加を恐れました。王はイスラエル人の力を抑えるために、イスラエルの人々に強制的に重労働を課して虐待しました。さらに王は、ヘブライ人の勢力を弱めるために、イスラエルの民に生れる男の子を殺してしまうように助産婦に命じました。当時イスラエル人は、ヘブライ人と呼ばれていました。「ヘブライ」とは「渡って来た者」という意味です。ユウフラテス川の向かうから来た民だからです。そんな中でモーセが生まれたのです(1280頃)。

モーセを生んだ両親は、王の命令を恐れず三か月間モーセを隠していました。両親はだれかに拾って育ててもらうようにと赤ん坊をかごに入れ、ナイル川の葦のなかに置きました。運よく水浴びに来たファラオの王女に赤ん坊は拾いあげられました。王女は、父の意に逆らって、泣いている赤ん坊を不憫に思い、養子にすることにします。この赤ん坊の姉ミリアムの勇気ある気転で、実の母が幼子の乳母として王女に依頼されました。モーセはヘブライ人の実母によって育てられたので、もっとも大切な幼児期に、母親から民族の精神と信仰心が植え付けられました。この子が大きくなり、王女のもとへ連れて行かれ、王女の子となりました。王女は彼をモーセと名付けて言いました。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」と。「モーセ(モーシェ)とは「引き出す」という意味です。ナイル川から引き出されたから付けられた名です。それは同時に、イスラエルの民族を引き出し、約束の地カナンへ導いていく使命を担った名でもあります。

成人したモーセは、同胞のヘブライ人が重労働に服しているのを見ました。モーセは、一人のエジプト人が、一人のヘブライ人を殴っているのを見て、そのエジプト人を殴り殺しました。このことをファラオが知ったら、自分は殺されることを恐れ、モーセは、エジプトからミディアンの地に逃亡しました。ミディアンというのは、アカバ湾の東、アラビヤ半島北西部を根拠地としていた遊牧民の名です。モーセはその人々の所に身を寄せました。「それはモーセが40歳の時の出来事(使徒言行録7:23)」でした。

モーセはミデアンの地で、祭司レウエル(「神の友」という意味)の保護を受けます。レウエルは、アブラハムの第二の妻ケトラから生まれたミデアンの子孫です。モーセは娘ツィポラを与えられて結婚し、子を持ちます。彼はその子をゲルショムと名付けました。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったので、付けられた名です。

「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ(2:23)」とあります。死んだエジプト王とはラメセス二世(1279-1212)と思われます。モーセの年齢は、68歳頃になります。40歳でエジプトから逃げたモーセにとって、すでに28年経過したいたことになります。「その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」とあります。

ここから、3章に入ります。モーセは、しゅうとであり、ミディアンの祭司であるエトロ(2章18節のレウエルのこと)の羊の群を飼っていました。あるとき、自分が住んでいたミデアンの地から百キロ以上も離れている、シナイ半島の荒れ野の奥にある神の山ホレブに来ました。これはモーセが80歳の時の

出来事です(出エジプト7章6節参照)。ホレブ山というのは、シナイ山の別の言い方です。シナイ山は、エジプトとアラビヤの間のシナイ半島の先端にある山で、海抜2500メートルほどの山です。砂漠地帯にある山としては高い山です。そのとき、モーセは柴が燃えているのに、燃え尽きない不思議な光景を見ました。

 柴は、山や野に生えている小さな木々、雑木のことです。モーセは見ようと近づいたとき、神が柴の間から声をかけられました。「モーセよ、モーセよ」と名前を二回呼びました。これは、逃亡者モーセに対しての親しい呼びかけです。彼が、「はい」と答えると、神が言われました。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」これは、神の臨在するところは聖く、厳かであることを教えるためでした。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセに語られた神は、モーセの父と共にあり、モーセの先祖アブラハムと共にあり、イサクと共にあり、ヤコブと共にあった神であると語ったのです。モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆いました。

主(ヤ-ウェ)は言われました。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地・・・へ導き上る。」「わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々を連れ出すのだ。」

主は「民の苦しみをつぶさに見」「叫び声を聞き」「痛みを知」る神です。さらに「降って行き」「救い出し」「導き上る」のです。「わたしは降って行き」と主なる神は言われました。神は、天の高みから、この地の上に降って来ると言われたのです。そして、イスラエルを救う。これが出エジプトの出来事です。これは、天の高みにおられる神の独り子が、地の低きに降り、すべての罪人を救い出される為に十字架にお架かりになるという神様の御業を予表しています。この出エジプトの出来事を起こされた神様は、イエス様をお遣わしになった神様なのです。

モーセは答えます。「私は何者でしょう。」モーセはエジプトから逃亡した、異国にいる寄留者です。40年もの間一介の羊飼いとして暮らしてきたのです。年齢もすでに80歳です。当時最も権力を持つエジプトの王ファラオのもとから、イスラエル人を連れ出すとは、「私はいったい何者でしょう」と言って断りました。

「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」と神は答えられました。

あなたがイスラエルの民をエジプトから導き出した時、この山で、あなたたちは神と契約を結び、神に仕える。これが神がモーセをエジプトに遣わすしるしである。わたしは必ずあなたと共にいる、と約束されました。 

モーセは神に尋ねました。イスラエルの人のところに行ったとき、「あなたを遣わした神の名は何か」と聞かれた場合、なんと言ったらよいのか、「あなたの名前を教えてください」と頼みました。当時のエジプトの民が信じた神々は、多神教でしたが、中心的な神は太陽神でラーという名前の神でした。神はモーセに「わたしはある、わたしはあるという者だ」と答えられました。

神は、更に続けてモーセに命じました。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。」

神は、モーセの問いに、二つの自己紹介をしています。その一つは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」という答えです。「わたしはある」というヘブライ語は、<エヒイェ>という語です。この語は、神が先にモーセに語った、「わたしは必ずあなたと共にいる(キー・エヒイェ・イマフ)」という言葉の中で使われていた語です。直訳すると、「必ず・わたしはある・あなたと共に」となります。この場合、「ある(有る)」は、ただ神が存在するということではなく、神は、すべての創造の源であり、真のいのちを持たれ、永遠に存在する方であることを示しています。神は「あなたと共にいる」と言われます。イスラエルのために存在する神であり、インマヌエルの神です。主イエス・キリストがこの世に来て下さったことによって、この「インマヌエル」の恵みが実現するのです。

もう一つの神の自己紹介は、「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主」とあります。ここでは「主」は、原語では「ヤーウェ」という言葉を使います。ここで用いられている「ヤーウェ」は、先祖と契約を結んだ神の名の固有名詞です。神は「わたしはヤーウェ」であると、モーセに実名を名乗ってくださったのです。

 私たちが信じる聖書の神は、抽象的な、漠然とした神ではなく、何よりもまず、このように具体的に、イスラエルの歴史に現れた神であるということです。その神は、ただイスラエルの神であるだけではなく、全世界の人々の神であります。わたしたちと共にいます神であり、インマヌエルの神です。

【付録】

主(ヤーウェ)と訳されている言葉は、「 יהוה 」という四つの子音文字(右から左の方へ読む)からなるヘブライ語です。これに母音記号を付けると、①「ヤハウェיַהְיֶה」固有名詞の主

②「アドナイיְהוָה」(普通名詞の神)イスラエル人は「アドナイ」を固有名詞として使用しています。

③「(イェホワ)יְהֹוָה 」エホバの証人は、神をエホバと呼びます。

しかし「ヤハウェיַהְיֶה」と読む方がより本来の発音に近い、と言われています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イサクの誕生の神の予告」創世記18章1~15節 

2022-11-02 23:32:44 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

降誕前7主日  2022年11月6日(日)  午後5時~5時50分

                            礼 拝 順 序                    

                 司会 斎藤 美保姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 214(わが魂のひかり)

交読詩編  105、1~11(主に感謝をささげて御名を呼べ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)  創世記18章1~15節(旧p.23)

説  教    「イサクの誕生の神の予告」辺見宗邦牧師

祈 祷                                                      

讃美歌(21) 458(信仰こそ旅路を)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇 オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019に、       申し込み下さい。

           次週礼拝 11月13日(日)  午後5時~5時50分

           聖 書  出エジプト記3章1~15節

           説教題  「救いの約束」 

           讃美歌(21) 160 157 27 交読詩編 77

本日の聖書 創世記18章1~15節

18:1主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 2目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、3言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。4水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。5何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」6アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」7アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。8アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。9彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、10彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。11アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。12サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。13主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。14主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」15サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」

本日の説教

創世記1章から11章にかけての神話の部分が終わり、12章からアブラハムから始まる族長伝説に入ります。この族長時代は、歴史的事実の裏付けはありますが、全体としては、歴史というよりも、歴史的伝説であり、史的説話です。アブラハムは神によって改名されるまでは、アブラムという名でした。アブラハムの生涯は25章まで続きます。

アブラハムはバビロニア南部、スメル地方の住民でした。父テラに率いられてカルデヤの古代都市ウルを去り、ユウフラテス川に沿って北西に進み、パダンアラムのハランという所に移住しました。<ハラン>は、現在のトルコの東の方の町ウルファにあります。シリア国境に近い地です。

  

   父テラの死後、族長となったアブラハムは、「わたしが示す地に行きなさい」、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるようにする」という神の声に従い、妻サラと甥ロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共に、今までより頼んでいたものを捨てて、ハランを去り、カナン地方(現在のパレスチナ)に、旅立ちました。アブラハムが75歳の時です(12:1~5)。

現在パレスチナと呼ばれている地域(西は地中海、東はヨルダン川、南は死海、に囲まれた地域)は、当時カナン人が住んでいたので、「カナン」と呼ばれていました。その後、カナンの地中海沿岸にペリシテ人が西方から移住し、定住したことから、「ペリシテ人の地」を意味する「パレスチナ」と呼ばれるようになりました。

彼の行こうとしている地は、漠然とした希望の地で、目的地さえ示されていません。紀元前1950年頃のことです。アブラハムがカナンを目指したのは、父テラが、ウルを去るとき、カナンを目指していたからです。アブラハムが住み慣れた土地を離れ、親族と分かれ、父の家を捨て、大きな犠牲を払って旅立ったのは、神の言葉に信頼しての行動でした。しかし、新しい地での生活は必ずしも容易ではありませんでした。

 

【アブラハムはカナン地方へ入り、①シケムの聖所から②ベテルに移り、東にアイを望む所に天幕を張りました。更に旅を続け、③ネゲブ地方へ移りました。その地方に飢饉があったために④エジプトへ移住しました。そして、再び⑤ネゲブ地方へ戻り、さらに⑥ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイの間の、以前に天幕を張った所(12:8)まで来て天幕をはりました。甥のロトはアブラハムと別れて、ソドムに天幕を移しました。(説教では省略)

アブラハムはヘブロンにあるマムレの樫の木の所に住み、そこに主のために祭壇を築きました(13:18)。                         その後、主の言葉が幻の中でアブラハムに臨みました。主は子供のないアブラハムを祝福するため、彼を天幕の外に連れ出し、夜空に満天に輝く無数の星を見せ、数えて見よと語りかけられ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われました。彼は小さな自己の存在を痛感し、主のことばを信じました。主は彼の信仰を彼の義(神との正しい関係)と認められました(15:6)。

アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラハムに現われて、「わたしは全能の神である」と言われ、契約を結ぶと言われました。アブラム(尊敬すべき父)ではなく、アブラハム(多くの者の父)と名乗るように命じます。「多くの国民の父」とするからです(17:1-5)。そしてこの神との契約のしるしとして男子は割礼を受けるように命じます。アブラハムの妻サラは不妊の女で子供ができませんでした。サラは八十九歳でした。神はアブラハムに、妻の名をサライ(わたしの王女)ではなく、サラ(王女)と呼ぶように命じました。彼女に男の子を与え、「諸国民の母」とすると約束したのです。アブラハムはひれ伏しました。しかし、笑って、ひそかに、「百歳の男と、九十歳のサラに子供が産めるだろうか」と言いました(17:15-17)。神は「あなたの妻サラがあなたの間に男の子を産む。その名をイサクと名付けなさい」と言われました。「わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる」と約束しました。アブラハムは、すぐその日に、自分の家にいるすべての男子を集め、割礼を施しました。

主はマムレの樫の木の所でアブラハムに(人となって)現れました。<マムレ>とは、ヘブロンの北5㌔にある村落です。アモリ人マムレの支配地だったと想像されます。マムレはエルサレムから南南西へ25キロの地点です。

   

   ヘブロンのマムレの樫の木

<マムレの樫の木>とは、ヒイラギのような葉のセイチ樫です。アブラハムはこの木の所に来て、主のために祭壇を築き、その傍らに住んでいました(13:18、14:13)。

<暑い真昼>に、アブラハムは<天幕の入口>に座って休息していました。目を上げて見ると三人の人が彼に向かって立っていました。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言いました。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水で足を洗い、木陰で休んでください。」何か食べるものを用意します。「疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」と言いました。その人たちは、「では、お言葉どおりにしましょう」と言いました。

アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て、サラに小麦粉<三セア(一セヤが約13リトルなので、約39リットル>ほどをこねて、パン菓子をこしらえるように言いました。アブラハムは牛の群れのところに走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させました。アブラハムは、凝乳(ヨーグルト)、乳の飲み物、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べました。そして、彼らが食事している間、そばに立って給仕し、何のむくいも求めない、献身的な接待をしました。アブラハムはそうすることで、気づかずに主と天使たちをもてなしました。アブラハムの信仰はその行いと共に働きました(ヘブライ2:22)。神に喜ばれる奉仕の模範となっています。

彼らはアブラハムにあなたの妻サラはどこにいますか、と尋ねました。来訪者がサラの名を知っていることにアブラハムは驚いた事でしょう。アブラハムは、はい、天幕の中におります、と答えました。すると彼らの一人が、「わたしは<来年の今ごろ>(直訳は、命〔胎児の命〕の時に従って=今から九か月後)、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」と言いました。このお言葉は、以前に神がアブラハムに約束したことです。実際にはサラに向けられています。サラはすぐ後ろの天幕の入口で聞いていました。

アブラハムとサラはハランを出てから、二十四年も経っていました。アブラハムは九十九歳(17:24)、サラは八十九歳の高齢になり、子が生まれるはずはないと思い、サラはひそかに(心の中で)笑いました。主なる神はアブラハムに「なぜサラは笑ったのか。年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことはない。<来年の今頃>(直訳は、約束の時に)、わたしはここに戻って来る。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」と言われました。ここで三人のうちの一人は主なる神ヤㇵウェであり、他の二人は主の御使い(天使)であることが分かりました。サラは主なる神を恐れ、思わず打ち消して言います。「わたしは笑いませんでした。」しかし主は、「いや、あなたは確かに笑った。」と言われました。神はサラが心の中で言ったことを見抜かれていたのです。

神の御業を人間の常識や自然法則で把握しようとする傾向が人間にはあります。神がアブラハムもサラと同じように笑ったことが、17章17節に記されています。サラは、全能の神を信じない不信仰のゆえに笑ったことを恥じ、「主に不可能なことはない」ことを信じました。「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです(へブル11:11)。

神と御使いたちの三人がアブラハムの前に現われた目的は、サラが来年の今頃、男の子を産むことを告げ、アブラハム夫婦の、特にサラの信仰を強め、祝福することにありました。もう一つの目的は、ソドムとゴムラを視察し、滅ぼすためでした。姿を隠してアブラハムを訪れ、彼の前に立たれた方はまさにイエス・キリストとして人の前に現われた方を示しています。それは人が期待するような光輝く栄光の主の姿としてではなく、人間の姿で現れました。「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで」神に従順でした(フィリピ2:8)。キリストは、御自身をいけにえとして献げて、

人間の罪を取り除くために、現れてくださいました。神の民としてのイスラエルの選びは、この民を通してイエス・キリストに至る世界の民を救うためでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする