富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

ミカ書 「主があなたたちに求めておられるもの」 

2014-09-28 19:54:23 | 礼拝説教

      ↑  預言者たちの出身地  地図の左下に、「モレシュト・ガト」と記しているところが、ミカの出身地「モレシェト」です。

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

      日本キリスト教 富谷教会 週報  

聖霊降臨節第十七主日   2014年9月28日(日)  5時~5時50分 

       礼   拝   

               司会 永井 慎一兄

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  351 (聖なる聖なる)

交読詩編  145(わたしの王、神よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ミカ書6章6~8節

説 教 「主があなたたちに求めておられるもの 

辺見宗邦牧師

賛美歌(21)460(やさしき道しるべの)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

          次週礼拝 10月5日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

               説教題   「流血の町に対する主の怒り」

               聖 書   ナホム書1章1~14節

               交読詩篇 46 讃美歌(21)504 457 24

   本日の聖書 ナホム書6章6~8節 

  6 何をもって、わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として当歳の子牛をもって御前に出るべきか。

  7 主は喜ばれるだろうか、幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。

  8 人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。

      本日の説教

  ミカ書の1章1節は、次のような表題で始まります。「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである。」(1章1節)

  ミカは女性の名ではなく、男性の名です。ミカヤまたはミカヤフ(だれが主のようであり得ようの意)の短縮形です。

  ミカの出身地はエルサレムの南西約35キロにある<モレシェト>です。彼が預言者として活動したのは、南ユダ王国のヨタム王、アハズ王、ヒゼキヤ王の治世中で、紀元前8世紀後半の時代です。それは北イスラエル王国で活動したアモス、ホセアの時代であり、南ユダ王国で活動したイザヤと同時代です。

  ヨタム王の前の王は、南王国ではウジヤ王(治世45年間)、北王国ではヤロブアム2世(治世41年間)の時代で、両国とも長い安定した治世のもと、経済的に繁栄し、領土も拡張しました。しかしその後、アッシリア帝国の侵略によりユダ王国も北イスラエル王国も脅威にさらされ、滅亡の危機に直面しました。

  両王国とも社会は腐敗し、罪と不正が満ち、貧富の格差が増大しました。物欲に支配された民の生活は、貧しい者ややもめなどの社会的弱者を顧みることなく、自己中心と物質主義にとらわれたものでした。そしてそれらの堕落と退廃の根底にあったのは、カナンの異教宗教を取り込んだ偶像礼拝の罪にありました。

ミ カの預言活動は、イザヤと同様に正面切って神のさばきの警鐘を鳴らし、民に悔い改めを迫る力強いものでした。ミカは、上流階級出身のイザヤと違って農村出身だったので、都市の富裕層が地方の農民の土地を奪う経済的不公正や搾取を指摘しています(2:2~5)。

  社会から公正さが失われたことは、人々が神を捨てたしるしでした。神への真の忠誠は失われ、神に守られているという偽りの感覚だけの信仰でした(3:11)。

  ミカは、イスラエルの民、ユダの人々が神との特別な契約の民であることを思い起こさせ、サマリアが偶像礼拝の罪のゆえに神の裁きによって滅びること、またエルサレムも不正義のゆえに神の審判を逃れられないことを予言しました。人々に神に対する責任を悟らせ、罪を悔い改めさせようとしたのです。神は裁きを告げるが、破壊し、滅ぼすことが目的なのではありません。望んでいるのは悔い改めです。苦しみの経験から悟ることを期待しているのです。そのような中でミカは最終的な希望を、やがて来たるべき救い主メシヤの預言に託すのです。

 ついに北王国は、紀元前722年に、首都サマリアが陥落し滅亡しました。南王国は防備の町々が占領され、アッシリアの属国となり、かろうじて存続していました。

 ミカの活動は、サマリアの陥落の前の紀元前725年頃から、紀元前701年頃までの24年間位と予想されています。 

   ミカ書の最終的な編集は、ミカ自身から数世代を経た捕囚期ないしそれ以後と考えられています。紀元前587年にエルサレムがバビロンによって陥落させられたときに、ミカの滅亡預言は捕囚の民にとって重い意味を持ち、苦難の中にあって、歴史の主である裁きの主である神への信頼こそが、神から新たな救いを受ける道であるとするミカ書の編集がなされたようです。

  ミカ書の構造は四つに区分することができます。①1~3章はサマリアとエルサレムに対する裁きの預言、②4~5章は救いの約束、③6~7章7節は再び裁きの預言、④7章8節~20節は救いの約束の預言です。ミカ書では、来るべき破滅の日の預言とその後の希望の日の預言が交互に並べられています。

  諸国の民よ、皆聞け。大地とそれを満たすもの、耳を傾けよ。主なる神はお前たちに対する証人となられる。主は、その聖なる神殿から来られる。見よ、主はその住まいを出て、降り地の聖なる高台を踏まれる。山々はその足もとに溶け、平地は裂ける火の前の蝋のように斜面を流れ下る水のように。これらすべてのことはヤコブの罪のゆえにイスラエルの咎のゆえに起こる。ヤコブの罪とは何かサマリアではないか。ユダの聖なる高台とは何かエルサレムではないか。わたしはサマリアを野原の瓦礫の山とし……(1章2~7節)

 主はまず、諸国の民に耳を傾けるように命じます。世界の支配者である主は、全世界の民を裁く審判者として地上に降りてこられます。神の恐るべき出現と裁きがヤコブ・イスラエル、すなわち北王国に向けられていることが宣言されます。北王国の都であるサマリアをその偶像崇拝のゆえに撃ち、そこを廃墟とする。<聖なる高台>とは、民が異教の神々を礼拝し、主との契約を破った罪を表しています。

  しかし、主の裁きはイスラエルにとどまりません。南王国ユダとエルサレムは、罪のゆえに同罪です。サマリヤの滅亡はミカにとって深い痛みあり、悲しみです。サマリアを襲った破壊は、ユダをも巻き込みエルサレムにまで達します。

  「このため、わたしは悲しみの声をあげ、泣き叫び、裸、はだしで歩き回り、山犬のように悲しみの声をあげ、駝鳥のように嘆く。まことに、痛手はいやし難くユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する。」(1章8、9節)

  10節からは、神の裁きを受けるユダの町々の名が語られます。これらの町々が今のどの町々に相当するのかわかりませんが、おおよそミカの町であるモレシェトから半径14キロの円を描く形で点在している町々が取り上げられています。

  5章では、キリストがベツレヘムに誕生することを預言しています。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」(5:2節)。ベツレヘムは、ユダ部族の中では一番小さく、実際、ユダの防衛のための町のリストにも掲載されていません(列王記下11:5~12)。キリスト誕生のための場所として神が選ばれるのは、最も小さな場所でした。「彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ」(5:4節)。この新しい王が主の力と威光によって民を導きます。        

1章2節で「諸国にの民よ、皆聞け」と言われた主は、3章1節で「イスラエルの指導者たちよ、聞け」と言われ、そして最後に、6章1節で「聞け、山々よ、主の告発を」と呼びかけます。主とイスラエルの契約締結の証人として「天」と「地」が呼び出されたのです。主は訴訟の相手に<わが民>と呼び掛け、答弁をうながします。

  主がかつてイスラエルに行った救いの恵みの業に対して求めているのは、主との愛の応答に基づく関係です。多くのささげものや最も大切な長子のささげものさえも主に対する適切な応答ではありません。宗教的儀式を、念入りに、また盛大に行うことでもなく、異教的、狂信的な祭りを行うことでもありません。ミカは告げます。

 「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むこと、これである。(6章8節)

  主が何よりもその民に求めておられることは、祭儀ではなく、「公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと」です。これを可能にするのは神の恵みによって罪から解放され、まことの自由を与えられ、恵みの中を歩むことです。

  ミカ書は神への祈りをもって閉じます。

「あなたのような神がほかにあろうか。咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者にいつまでも怒りを保たれることはない。神は慈しみを喜ばれるゆえに。主は再び我らを憐れみ、我らの咎を抑え、すべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか、ヤコブにまことを、アブラハムに慈しみを示してください。その昔、我らの父祖にお誓いになったように。(7:18~20)

  神のご本質は慈しみ、憐れみ、愛です。神の怒りは発動されるが、永久に続くものではありません。神は罪、咎(とが)を許す方です。厳しい裁きで始まったミカ書は、ついに神の慈しみを伝えて終わります。

 追記

  ミカより100年後、エルサレム滅亡を預言したエレミヤ(627~587)が死刑に値する罪を犯したとして民に殺されそうになったとき、数人の長老が立ち上がって、モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、エルサレムの滅亡を預言し、王も民も主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は災いを思い直され、アッシリアに包囲されたエルサレムが陥落をまぬがれたと語り、エレミヤを弁護しました。

 「26:7祭司と預言者たちとすべての民は、エレミヤが主の神殿でこれらの言葉を語るのを聞いた。 26:08エレミヤが、民のすべての者に語るように主に命じられたことを語り終えると、祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて言った。「あなたは死刑に処せられねばならない。 26:09なぜ、あなたは主の名によって預言し、『この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もなくなる』と言ったのか」と。すべての民は主の神殿でエレミヤのまわりに集まった。 26:10ユダの高官たちはこれらの言葉を聞き、王の宮殿から主の神殿に上って来て、主の神殿の新しい門の前で裁きの座に着いた。 26:11祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって言った。「この人の罪は死に当たります。彼は、あなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました。」 26:12エレミヤは高官たちと民のすべての者に向かって言った。「主がわたしを遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。 26:13今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない。主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。 26:14わたしはお前たちの手中にある。お前たちの目に正しく、善いと思われることをするがよい。 26:15ただ、よく覚えておくがよい、わたしを殺せば、お前たち自身と、この都とその住民の上に、無実の者の血を流した罪を招くということを。確かに、主がわたしを遣わし、これらのすべての言葉をお前たちの耳に告げさせられたのだから。」 26:16高官たちと民のすべての者は、祭司と預言者たちに向かって言った。「この人には死に当たる罪はない。彼は我々の神、主の名によって語ったのだ。」 26:17この地の長老が数人立ち上がり、民の全会衆に向かって言った。 26:18「モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり
エルサレムは石塚に変わり神殿の山は木の生い茂る丘となる』と。 26:19ユダの王ヒゼキヤとユダのすべての人々は、彼を殺したであろうか。主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は彼らに告げた災いを思い直されたではないか。我々は自分の上に大きな災いをもたらそうとしている。」(エレミヤ書26章
7~19節)。

  ミカがヒゼキヤ王に影響を与えたとされるエルサレム滅亡の預言は、ミカ自身の預言とされている1章から3章までの中の、特に3章に記されている指導者たちの罪を指摘する部分で言われています。

  「聞け、このことを。ヤコブの家の頭たち、イスラエルの家の指導者たちよ。正義を忌み嫌い、まっすぐなものを曲げ、流血をもってシオンを不正をもってエルサレムを建てる者たちよ。頭たちは賄賂を取って裁判をし、祭司たちは代価を取って教え、預言者たちは金を取って託宣を告げる。しかも主を頼りにして言う。『主が我らの中におられるではないか災いが我々に及ぶことはない』と。それゆえ、お前たちのゆえにシオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる(ミカ書3章9~12節)

  このミカの預言が、ヒゼキヤ王を悔い改めさせ、100年後の人々にも語り伝えられ、預言者エレミヤの命を救うことになったのです。

 

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