富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「神によって士師とされたギデオン」 士師記6章11-16節

2014-02-23 20:16:30 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

週     報 

降誕節第七主日       2014年2月23日(日  5時~5時50分 

礼    拝  

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

交読詩編   95(主に向かって喜び歌おう) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  士師記6章11-16節

説 教   「士師ギデオン」  辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  521(とらえたまえ、われらを)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 次週礼拝 3月2日(日)午後5時~5時50分

 説教 「士師エフタ」

 聖書 士師記11章1-13節

 交読詩篇 16  讃美歌 355 481 24

本日の聖書 士師記6章11-16節

  11さて、主の御使いが来て、オフラにあるテレビンの木の下に座った。これはアビエゼルの人ヨアシュのものであった。その子ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。 12主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」 13ギデオンは彼に言った。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」

  14主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 15彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」 16主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」

本日の説教 

  12人の士師たちが活動した年代は、指導者ヨシュアの死のあとから、サウルが最初の王となるまでの期間で、その年代と期間は、BC1220~1020年までの200年とする説がありますが、紀元前1200~1020年頃にかけての約180年間とする説を取りたいと思います。(新共同訳旧約聖書注解Ⅰ・古代年代p.859、聖書の世界(日経NGS)p.154、口語旧約聖書略解p.958参照) なお、聖書大百科(創元社)p.102には、士師の期間を、BC1190~1051年(サウロ王即位の年)の139年間としています。

 士師とは、イスラエルを統一する王がいなかった時代、他民族の圧迫からイスラエルを解放した戦争の指導者たちのことです。

  オテニエル(ユダ族)、エフデ(ベニヤミン族)、シャムガル(アシェル族?)、デボラ(エフライム族)、ギデオン(西マナセ族)、エフタ(ガト族)、サムソン(ダン族)の7人を大士師と言います。

  また、戦争の指導者ではなく、イスラエルの法の伝達者で国を治めた、トラ(イッサカル族)、ヤイル(東マナセ族)、イブツァン(ユダ族)、エロン(ゼブロン族)、アブドン(エフライム族)の5人を小士師と言います。

 士師たちが活躍した時代のイスラエルは統一国家として形成されておらず、12部族がそれぞれの領地を分割して治めていました。各々の部族は近隣の部族と連合しながら外敵の侵略に対抗していました。

 イスラエルが偶像礼拝にふけり、道徳的に堕落した時に、外国の侵略されました。けれども民が堕落した生活を悔い改めて、神に助けを祈った時に、イスラエルを外敵から救う解放者となる士師が、神によって与えられたのです。

  女士師のデボラと勇士バラクがカナン人と戦い、勝利した後、イスラエル人は40年間平穏に過ごすことが出来ました。だが、イスラエルの人々は、再び主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡されました。 ミディアン人の襲撃がイスラエルに脅威となったので、イスラエルの人々は彼らを避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用しました。

  毎年収穫の季節になると、ミディアン人は、アマレク人や東方の諸民族と共に上って来て、イスラエルの人々に対して陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで奪い取っていきました。ミデヤン人は非常に多数で強く、イナゴの大群のようにやって来てはイスラエルを悩ましました。そのためにイスラエル人たちの生活は危機的な状況に陥りました。イスラエルの人々は主に助けを求めて叫びました。その様な時に、神から離れて堕落した民を救う戦士として選ばれた人物がギデオンです。

  ギデオンはある日、ミデヤン人の攻撃を恐れ、酒ぶねの中で見つからないように隠れて小麦を打っていたのです。そこに主の使いが現れて言いました。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」(士師記6:12)ミデヤン人の攻撃を恐れて、隠れていた一人の兵士に「勇者よ」と呼びかけたのです。

  ギデオンはその方に言いました。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」

 主は彼の方を向いて言われました。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(士師記6:14)と言って、ミディアン人からの救いを約束しました。

  それに対してギデオンは「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」(士師記6:15)と返事をします。ギデオン一族はマナセ族の中で最も小さく、家族の中でも最も若く戦いの経験も少ない人だったのです。ギデオンは敵の攻撃を恐れて隠れていた人でした。戦の経験も乏しい若い兵士でありました。自分に対する自信もなく、臆病でした。

  主は彼に言われました。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」(士師記6:16)

  その夜、ギデオンは主に言われたように、「父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らにあるアシュラの像を切り倒し」、主のための祭壇を造りました(士師記6:25~27)。

  ミディアンとアマレクと東方の民族の軍隊がヨルダン川を渡ってきて、イズレエル平野に陣を敷きました。

  主の霊がギデオンを覆いました。彼はマナセ全地域と、アシェル、ゼブルン、ナフタリの部族へも使者を遣わして、戦うための民を集めました。

  ギデオンはエン・ハロド(「おののきの泉」の意)のほとりに陣を敷きました。そこは、オフラの南西、ギルボア山(標高500㍍)の麓です。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにありました。

  神はギデオンに、彼が集めた民が多すぎると言われ、民が多すぎると、神が彼らを救われたことを認めようとせず、イスラエル人は心がおごり、彼ら自身の力によって勝利を得たと主張することになるだろうと告げたのです。そして

戦いを恐れている者は立ち去らせよ、とギデオンに命じました。「ギレアドの山を去れ」(士師記7:3)は、ギルボア山の間違いかと思われます。ギレアドの山はヨルダン川の東にあるからです。こうして二万二千人が帰り、一万人が残りました。主はギデオンに言われました。「民がまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。」

  「膝をついてかがんで水を飲む者すべて別にしなさい。」と主は言われました。これは敵の前で油断する者を去らせたのです。水を手ですくってすすった者の数は三百人でした。こうして精鋭三百人が選ばれました。

   夜中に、神はギデオンに従者プラを連れてミディアン人の宿営に接近し、彼らが何を話し合っているかを聞け、と命じました。ギデオンはミディアン人のある男が、神がミディアン人をギデオンにお与えになった、という夢と仲間が話しを聞きました。ギデオンはイスラエルの宿営に戻り、自軍の兵士たち各々に角笛と空の水がめの中に隠した松明とを与えました。三つの軍団に分け、ギデオンと三百人は敵の宿営へと進軍し、右手で角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、「主のために、ギデオンのために」と叫び、敵陣を包囲したので、敵は総立ちになり、叫びを上げて敗走しました。ギデオンはヨルダン川を越え、ミディアン人を追撃しました。ギデオンはたったの三百人で、十二万以上もの敵軍を打ち破ったのです。

  ミディアン人は、イスラエルの人々によって征服されたので、ギデオンの時代は四十年にわたって国は平穏でした。

  ギデオンという名は、ホテルなどに無料で聖書を配るギデオン協会の名で、今日広く知られています。このギデオン協会の発足は次のような経緯によるものです。

  1898年秋、北米ウィスコンシン州ボスコベルの小さなホテルで、見知らぬ青年二人(ジョン・H・ニコルソンとサムエル・E・ヒル)が偶然相部屋で夜を明かしたとき、お互いにクリスチャンであることを証し、共に聖書を読み、祈ったことから発会計画がなされました。
 翌年の5月発会式をしましたが、参加したのは、ウィル・J・ナイツただ1人でした。この3名によって、クリスチャンで旅行する実業家達が互いに交わり、個人的に証し、共に主イエスのために労しようとの決意が表明され、旧約聖書士師記6章、7章にあるギデオンにあやかって、会の名称を“ギデオン”(The Gideons)と定めました。

   ギデオンのように力がなく、若くても、「主が共にいてくださるなら」、国を救うための勇士にしてくださり、用いてくださる。わずか三百名でも十二万人以上の敵をも倒すことができると力が与えられると信じ、「ギデオン」という協会名にしたもとの思われます。

1911年カナダ人が参加することによって、“国際ギデオン”と呼ばれるようになりました。日本にこの働きが及んだのは、1950年で国際代表としてR・J・ホルツワース兄が派遣され、9月1日に東京支部がつくられたのが始まりです。当時は主として、全国の大学生40万人に1冊づつ聖書を贈与することを目標として発足したそうです。

  ギデオンは初めから勇士であったのではありません。臆病な兵士の一人にすぎませんでした。主が共におられるから、勇士とされたのです。勇士となったのは、その人の力によってではなく、神が共に戦って下さったからです。

   私たちも、主が共にいてくださることを信じるとき、ギデオンのように、恐れてばかりいる人生から解放され、勇気ある人へと造り変えられるのです。使徒パウロは言いました。どのような境遇に置かれても、「わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ4:13)」この御言葉のような信仰の勇者になりたいものです。

 

 

 

 

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「女預言者・士師デボラ」 士師記4章1-16節

2014-02-16 20:02:53 | 礼拝説教

                ↑ 地図は聖書大百科(創元社)より転写

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380                                              FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

週     報    降誕節第七主日       2014年2月16日(日)   5時~5時50分 

礼    拝  

                            司会 永井 慎一兄

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 377(神はわが砦)

交読詩編   27(主はわたしの光) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  士師記4章1-16節

説 教   「女預言者・士師デボラ」  辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  517(神の民よ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 2月23日(日)午後5時~5時50分

 説教 「士師ギデオン」

 聖書 士師記6章11-24節

 交読詩篇 73 讃美歌496 512  24

本日の聖書 士師記4章1-16節

  1エフドの死後、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、2主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。3イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけたからである。

4ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。 5彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた。

  6さて、彼女は人を遣わして、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せて言った。「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。7わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と。」8バラクはデボラに言った。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。」9デボラは、「わたしも一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と答え、直ちにバラクと共にケデシュに向かった。10バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに召集した。一万人が彼に従って上り、彼と共にデボラも上った。11カイン人のヘベルがモーセのしゅうとホバブの人々、カインから離れて、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張っていた。

  12シセラはアビノアムの子バラクがタボル山に上ったとの知らせを受けると、 13すべての戦車、すなわち九百両に及ぶ鉄の戦車に加えて自分に属するすべての軍隊を召集し、ハロシェト・ハゴイムからキション川に向かわせた。 14デボラはバラクに言った。「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか。」バラクは一万の兵を従え、タボル山を下った。 15主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた。 16バラクは、敵の戦車と軍勢をハロシェト・ハゴイムまで追いつめた。シセラの軍勢はすべて剣に倒れ、一人も残らなかった。

本日の説教 

   士師記では12人の士師と勇士バラクが登場します。そのうちの主な士師は、<デボラ>、<ギデオン>、<エフタ>、<サムソン>4人です。今日の聖書の個所の4章では、デボラという女預言者が士師として登場します。

   エフドの死後、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。」(士師記4:1,2節)

 <エフドの死後>とありますが、これは3章12~30に登場した士師です。士師エフドがモアブ王とその兵士を打ち殺し、モアブを占領したので、イスラエルの国はその後80年間も平穏であったことが記されていました。

  ところが、士師エフドが死ぬと、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行うようになりました。イスラエルの人々は異教の神々を取り入れ、主を捨て、周囲の神々に仕えたのです。永遠の神、信頼するに足りる神、あらゆる必要を豊かに満たし、導いて下さる神を忘れ、信仰的にも道徳的にも堕落したということです。

  その罪に対して、主なる神は外国の王を用いてイスラエルに災いを下されます。<ハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に>任せて、イスラエルを略奪されるままにしたのです。ヤビンは<鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけ>ていました。(ヨシュア記11章1、10節に、ヨシュアがハッオルの王ヤビンを打ち殺したとあります。この時の王はハロシェト・ハゴイムに住んでいたヤビンの将軍シセラだったのを、編集者が間違えたと思われます。シセラはカナン連合軍の王でした。)

  ハツォルは、イスラエル北方、ガリラヤ湖の北18㎞ほどにある都市で、ナフタリ族の領土の中にあります。将軍シセラの居住地ハロシェト・ハゴイムはゼブルン族の領土の中にあります。ナフタリやゼブルンはもちろんのこと、イスラエルの民は、このカナン王の手によって力ずくで支配され苦しみました。イスラエルの民はその苦しみの中で、悔い改め、主に助けを求めて叫びました。

  ベニヤミン族出身のラピドトの妻で女預言者デボラ(「蜜蜂」という意味)が、士師としてイスラエルの裁判をするようになったのはそのころでした。彼女はエフライム山地のラマとベテルの間にある<デボラのなつめやしの木>の下に預言者の座を定めていました。イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていました。「ラマ」はエルサレムの北約10キロの所で、「ベテル」はその北側です。

  <デボラのなつめやし>は士師デボラにちなむ名ではなく、イスラエルの父祖ヤコブの第二夫人リベカの乳母のデボラに由来するものです。彼女はベテルの下手にある樫の木の下に葬られ(創世記35章8)、そこから生えたものが<デボラのなつめやし>と呼ばれるようになっていて、預言者デボラはここを「裁きの座」に選んだのです。

  神のお告げを聞いた預言者デボラは、ナフタリ族のアビノアムの子バラクを呼び、戦うように命じます。預言者とは、神の代弁者,つまり霊感により音信を受け、神のご意志や目的を知らせる「神の人」です。

  「イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と」、いう神の言葉を伝えました。

  バラクは「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」と、答えたのです。イスラエル軍のリーダーとなるバラクは、自分たちよりも圧倒的に力が上のカナン軍との戦いを前にして、非常に大きな不安と恐れを抱いたのです。
  デボラは「私は必ずあなたといっしょに行きます」と言い、けれども、この出陣でバラクは栄誉を得られない、と告げます。

  デボラはバラクといっしょにケデシュへ行き、バラクはゼブルンとナフタリをケデシュに呼び集め、一万人を引き連れてデボラと共に、タボル山に上りました。

  一方敵のシセラは、バラクがタボル山に登った、という知らせに、鉄の戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、キション川に呼び集めました。

  タボル山はイズレエルの大平原を一望できる。戦略上大事な位置を占める山です。お椀型の山で、海抜は588メートルです。

  4章10からの戦記と5章に記されたデボラ戦勝賛歌から、戦いの様子が分かります。イスラエル軍はゼブルン族とナフタリ族などを中心とする農民兵。近くにモーセの義兄弟であるカイン人ホバブの子孫であるヘベル家が住んでいたと記録されていますが、イスラエルに加勢しません。

  タボル山に登ってデボラは戦機を伺います。そこにカナンの軍隊がタボル山めざして、山の下、川の近くに陣を敷きました。その辺りは乾季の時は渇いた平地ですが、雨が降ると、泥沼に代わり、戦車部隊は全く役に立たなくなってしまうのです。

  その時、「もろもろの星は天から戦いに加わりその軌道から、シセラと戦った。」(士師記5:20,21)とあるように、神が味方し、キション川周辺に雨を降らせ、辺り一帯を平地から泥沼に変えてしまったのです。

  デボラは「立ちなさい。主がシセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか。」と言い、バラクに出陣を命じました。デボラは神ヤハウェがあなたの先に立って戦って下さるから、そのことを信じてたとえ相手が強敵であっても勇気を出して戦いなさいと励まし送りだしました。

  バラクは軍勢とともにタボル山を駆け下ります。キション川のほとりが主戦場となります。メギドの水の流・キション川は増水して平原はぬかるみになり、戦車は全く役に立ちません。戦車は馬に車をひかせるもので、車に御者と弓や投げ槍をもった兵士の二人が乗りました。もう一人、盾を持った兵士が乗る3人乗りの戦車もありました。その車の部分に当時の最高の技術だった鉄をつかっていたのです。何と騎馬戦車の圧倒的優位のシセラ軍が敗北してしまいます。驢馬しか持たず、鎌、青銅の剣などの農民兵が勝利しました。

  士師記4章17節以下は、敵将シセラの逃亡とカナン王ヤビンの滅亡が記されています。シセラは「ケデシュ」の方へ走って逃げ、ヘベル一族のところに逃げ込みました。

 [ヘベルの一族は、モーセのしゅうとの一族で、カイン人(ケニ人)の住んでいる死海の南の地域から離れて、ガリラヤ地方のケデシュに近い、エロン・ベツァアナニムに天幕を張って住んでいました。]

  ヘベル一族とヤビン王は見せかけの友好関係にあったようで、ヘベル家の長の妻ヤエルにテントに迎えられて、シセラはようやく息をつき、飲み物をとったあとヤエルに見張りを頼むと泥のような眠りにつきます。シセラが熟睡すると、ヤエルはテントを地面に固定している太く長い木釘を一本ぬきとってシセラに近づき、こめかみに木釘をあてて槌で打ち込みます。木釘はシセラの頭を貫通して地まで突き刺さりました。シセラを追ってバラクがやってくると、そこには無残な姿のシセラが横たわっていた。こうして将軍シセラと自慢の戦車軍団を失ったヤビン王は、次第にイスラエルに圧倒され、ついには滅ぼされました。

  イスラエルの北方の人々が二十年もの間カナン人に支配され、苦しんでいたとき、神はカナン王の圧迫に先頭になった立ち向かうことのできる人物、女性のデボラを備えてくださったのです。デボラはイスラエルの中央部分で奉仕していたのですが、北方の人々を助けるために立ち上がりました。

  神の導きのもとに、彼女の適切な状況判断、適切適時の決断と実行が、イスラエルを勝利に導きました。「立ちなさい」。この女性のツルの一声がバラクの軍隊を立ち上がらせたのです。どれほどの戦力や戦略があったとしても、戦う決断と立ち上がることなくしては、勝利は得られません。

  主婦であったデボラが、イスラエルの母となり、預言者・士師として活躍したことにより、国は四十年にわたって平穏が回復されました。デボラと共に戦った勇士バラクも、ヘブル人への手紙11章22節の信仰列伝に、士師たち、ギデオン、サムソン、エフタとともに、その名が挙げられています。

 蜜蜂を意味する「デボラ」という名は、西洋人女性の名として用いられています。ハリウッドの女優として一世を風靡したデボラ・カーもその一人です。

 士師記5章は、神がイスラエルに大勝利をもたらしたことを祝って詠んだデボラの歌です。わたしたちは、敵の圧倒的な力を見るとき、神の偉大な力を見失ってしまいます。しかし神が味方であるなら、どんなに圧倒的な力にも打ち勝つことができるのです。

詩篇128篇は次のように歌っています。

「イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら、わたしたちに逆らう者が立ったとき、そのとき、わたしたちは生きながら敵意の炎に呑み込まれていたであろう。……主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のように、わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。…私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。」(詩篇124編1-8)

パウロもまた、ローマ人への手紙で「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ロマ書8章31節)と述べています。

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「バアルに仕えたイスラエルの民」 士師記2章6-18節

2014-02-09 20:45:16 | 礼拝説教

              ↑ 地図は「聖書大百科・創元社」による。12部族の赤囲み は筆者

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380                      FAX:022-358-1403

     日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

        週     報 

降誕節第六主日        2014年2月9日(日)  5時~5時50分 

礼    拝  

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 513(主は命を)

交読詩編   16(神よ、守ってください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  士師記2章6-18節

説 教   「バアルに仕える民」

辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  390(主は教会の基となり)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

                      {次週礼拝 2月16日(日)午後5時~5時50分

                         説教 「女預言者デボラ」

                         聖書 士師記4章1-11節

                         交読詩篇27  讃美歌 377  517  24}

本日の聖書 士師記2章6-18節

   6ヨシュアが民を送り出したので、イスラエルの人々は土地を獲得するため、それぞれ自分の嗣業の地に向かった。 7ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。

    8主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、 9エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・ヘレスに葬られた。それはガアシュ山の北にある。 10その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。 11イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。 12彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。 13彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えたので、 14主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。 15出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた。    

   16主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。 17しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。 18主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。

  本日の説教 

  士師記の時代は、士師記1章1節に「ヨシュアの死後」とあり、最後の21章25節には、「そのころ、イスラエルには王がなく」とあることから、指導者ヨシュアの死のあとから、イスラエルが王制に入る前までということになります。この間は、士師記の記録を見ると、カナン地方は群雄割拠に近い状態だったことがうかがえます。

  士師記は、年代的には、イスラエルが約束の地の占領を開始した紀元前1190年頃から、サウルが最初の王となった紀元前1051年頃までの物語です。この約340年間は戦いがくりひろげられる激動の時代です。

  「士師(しし)とは、イスラエルの指導者のことです。ヘブライ語で「ショフェティーム(複数形)」で「支配者たち」という意味です。「裁く者たち」「治める者たち」という意味もあります。「士師」はイスラエルを危機から救い、支配するために神ヤハウェが立てられるのですが、モーセやヨシュアのように、イスラエル全体の指導者ではなく、士師の支配は一部の部族とその周辺に限られていました。

  1章と2章は、士師記全体のまとめのようになっています。この時代に何が起こったのかを全体的に説明しています。

  3章から実際の士師たちの業績が記録されています。17章から、この時代に起こった出来事を描いて、イスラエルの霊的状態を記しています。

  ヨシュアは、カナンの地を征服した後、イスラエルの十二部族に土地を分配しました。しかし、まだ「占領すべき地がたくさん残っていた(ヨシュア記13:1)」ので、ヨシュアが死んだ後も、彼らは戦いを続けなければなりませんでした。士師記1章から、2章5節まで、ユダ部族を始めとしていくつかの部族の戦いが記されています。

  イスラエルの12部族とは、ヤコブの12人の息子たちが、部族の長となり、その子孫がイスラエルを構成する12部族となったのです。

  ヤコブの最初の妻レアが産んだ息子が、ルベンシメオンレビユダイサカルゼブルンの6です。妻レアが産んだ息子が、ヨセフベニヤミンの2人です。レアの召使いジルバが産んだ息子が、ガドアシュルの2人です。ラケルの召使いビルハの産んだ息子が、ダンナフタリの2人です。

  しかし、ヨセフの代わりに、土地の分配はヨセフの二人の息子たち、マナセエフライムに与えられました。レビ族には土地が与えられませんでした。彼らが祭司の身分ですべての部族に仕えることが定められていたからです。レビ族には48の町と放牧地が与えられました。12部族の分割地は、地図を参照ください。

  本日の聖書の個所に入ります。士師記2章6,7節に、「ヨシュアが民を送り出したので、イスラエルの人々は土地を獲得するため、それぞれ自分の嗣業の地に向かった。ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。」

先週の礼拝説教では、「ヨシュアと民との契約」について学びました。ヨシュアは民に、神が今までどんなに熱情をもって民を愛し守ってきたかを語った後、民が主に仕えることを選ぶのか、それとも主を捨てて異教の神に仕えるの選ぶのかと、民にせまり、何度もその決意を確かめてから、民と契約を結びました。ヨシュアと契約を結んだ長老たちは民と共に、ヨシュアの死後も、彼らが存命中は、契約に違反することなく、「主に仕えた」のです。

  「主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・ヘレスに葬られた。それはガアシュ山の北にある(士師記2章8、9節)」。

「エフライムの山地」とは、エフライム族が定住した地域のことです。ヨシュアが葬られた「ティムナト・ヘレス」は、ヨシュア記24:30節にある「ティムナト・セラ」と同地と思われます。エフライムのほぼ中央にあります(地図参照)。

  指導者ヨシュアが死に、ヨシュアと契約を結んだ民も死んで、世代が変わったあとのイスラエルの民について、次のように記されています。

  「その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。 彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。(2:13-14)

このように、士師記2章11節以下には、別の世代になったイスラエルの民がバアルとアシュトレトに仕えたので、主を怒らせたことが記されています。「別の世代」とは,「神がイスラエルのために、アブラハムからヨシュアの時代まで、なされた数々の恵みの御業」を知らない世代のことです。

 「バアル」は「主人、所有者」という意味のことばです。雷と雨をもたらす天候神、男性神で、古くからカナン地方やシリア地方で礼拝されてきた豊穣をもたらす神です。カナン・シリア地方は雨季と乾季を繰り返します。雨季をもたらすバアルと乾季をもたらす死の神モートが戦い、バアルが戦いに敗れて死ぬと乾季が訪れます。しかしやがてバアルが復活するとまた雨季がやってくると信じていたのです。これを毎年繰り返すのです。雨と豊穣をもたらすバアルの神はカナンの地各地にある礼拝所で礼拝されていました。

  「アシュトレト」はバアルの配偶者で愛と豊穣の女神です。カナン人のバアルとアシュトレト信仰は、みだらな性的行為と密接に関わっていました。そして自分の子供たちを火の中にくぐらせたり、いけにえとしてささげたりしていました。農耕生活に移ったイスラエルの民にとって、バアル崇拝は大きな誘惑でした。農耕生活をすることは、カナンの先住民族の影響を強く受けてしまうものでした。農耕民にとって土地は生命を保証するものとされ、それゆえ土地に対して執着心がありました。また、農耕生活にとって最もありがたいことは豊作です。豊作をもたらす神なら無条件で拝みたくなるのです。豊作をもたらすためには、イスラエルの民はカナンの先住民に農耕に関する技術を学ばざるを得なかったのです。ところが当時の農耕技術の大部分は呪術的なものであったので、カナンの先住民から農耕技術を学ぶ際に、イスラエルの民の中に、自然の諸力を神格化した神への信仰が入り込みました。

  「彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えたので、主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。(13節~14節)」

主なる神は他の神々に従うイスラエルの民に対して激しく怒り、裁きをくだしました。イスラエルが外敵に襲われても一切助けないという裁きです。ヨシュアに率いられたイスラエルは神ヤハウェがいつも味方となり戦って下さったからこそ、カナンの強力な民との戦いにも勝利できたのです。そのことを完全に忘れているイスラエルの民に対して、一切助けないという裁きが下されたのです。

  信仰を捨て異教徒の偶像礼拝に陥り、そのため神様が外敵を遣わされると、 信仰が呼び覚まされて神様に助けを求めます。神様は憐れんで士師を起こしてイスラエルを助けます。士師が治めている間は平和がもどるが、死ぬと瞬く間に、神様を捨て偶像礼拝にもどってしまいます。このような繰り返しが、士師の時代に起きたのです。

  土地が自分の生活を保障するものではなく、あくまでも土地を与えた神こそが生活を保障する方なのです。イスラエルが占領した土地は神の恵みの賜物として与えられたものです。この賜物を正しく受けとめ、神に絶えず栄光を帰すことが大切なのです。ところが、人間を生かしておられる神を忘れて、豊作をもたらす土地に依存した生活に陥りやすいのが人間の弱さであり、人間の罪の姿です。造り主なる、「主のみを拝し、主に仕える」ことがどんなに容易なことでないかを、イスラエルの民の歴史を通して、私たちは知らされます。

  人間が自分の生活の物質的基盤(土地、財産、仕事、金銭、頼りになる人間等)が神とすりかえられるとき、それはりっぱな偶像となるのです。神がどんなに私たちを愛しておられるか、そのために最愛の独り子イエスを与えられたか、また、わたしたちを罪と死から救い、救いと永遠の命を与えるために、御子イエスが私たちを愛し、その貴い命を与えてくださったかを知ることこそが、偶像崇拝から離れることにつながるのだと思います。また活ける神は、私たちの日々の生活も支え、導いてくださる愛に満ちたもう神であることを、証ししていかなくてはなりません。

 

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「わたしとわたしの家は主に仕えます」 ヨシュア記24章14~25節

2014-02-02 20:26:46 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380                                                                                                                                           FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

降誕節第五主日        2014年2月2日(日)   5時~5時50分 

礼    拝  

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(旧) 526(主よ、わが主よ、愛の主よ)

交読詩編   84(万軍の主よ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  ヨシュア記24章14~25節

説 教 「わたしとわたしの家は主に仕えます」    辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  510(主よ、終わりまで)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 2月9日(日)午後5時~5時50分

 説教 「バアルとアシュラに仕えた民」

 聖書 士師記2章8~15節

 交読詩篇 6 讃美歌(21)  513  390  24

本日の聖書 ヨシュア記24章14~25節

 14あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。 15もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」

16民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。 17わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。 18主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」

19ヨシュアはしかし、民に言った。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。 20もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」

21民がヨシュアに、「いいえ、わたしたちは主を礼拝します」と言うと、 22ヨシュアは民に言った。「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」

彼らが、「そのとおり、わたしたちが証人です」と答えると、 23「それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」と勧めた。

24民はヨシュアに答えた。「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」

25その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた。

本日の説教 

  モーセ後継者として、出エジプトのイスラエル民族を率いてカナンへと入ったのはヨシュアでした。ヨシュアという名は、モーセから与えられた名でした。「カナン」という地名は、古代エジプト人が、紀元前15世紀後半から使用した呼称で、「カナン人」は「商人」を意味することばでした。イスラエルのカナン侵攻とほぼ同じ年代に、海洋民族ぺリシテ人移住し、カナンの地中海沿岸部に定住したので、カナンは、パレスチナ(ぺリシテ人の土地の意)と呼ばれるようになるのです。

  「ヨシュア」は、ヘブライ語では「イェホシュア(יְהוֹשֻׁעַ)」です。ヘブライ語の「イェホシュア」の短縮形「イェシュア(יֵשׁוּעַ)」をギリシア語化したのが「イェースース(Ίησοῦς)」です。「イエス」は、このギリシア語の「イェ―スース」を元にした日本の呼び名です。「イエス」という名は、「ヨシュア」のヘブライ語名の「イェホシュア」が元々の名なのです。「神は救い(神は救う者)」という意味のことばです。

  「ヨシュア」の元来の名は、「ホシュア」でした。モーセが「ヨシュア」という名を与えた経緯(いきさつ)が民数記13章に記されています。

  エジプトを出て、2年目の3月頃、パランの荒れ野カデシュ・バルネアに宿営した時です。その地は、あと一日でカナンへ入れる所でした。主なる神に命じられたモーセは、部族の長12人を集めて偵察隊とし、これから民が向かうカナンへ遣わしました。モーセはエフライム族の長、ヌンの子「ホシュア(救いの意)」を呼び、「ヨシュア」と改名しました(民数記13章16節)。「ヨシュア」は、「ヤハウェは救い(給う)」という意味です。モーセはホシュアをヨシュアと名前を変えることで、神はイスラエルを敵から救い、カナンの地を与える神の約束が必ず実現することを教えたものと思われます。

 偵察に行ったヨシュアと、ユダ族エフネの子カレブだけが、その地に住んでいる住民を倒すことができると報告し、進軍するよう進言しました。このとき、カレブの年齢は、40歳だったことが、後になって語られています(ヨシュア記14:7)。恐らくヨシュアも似た年齢だったでしょう。

  偵察に行った他の部族の長が悪い情報を流し、進軍することをためらったので、民は神の約束の地に入ることを恐れました。その不信の罪のゆえに、このあと38年間、イスラエルの民は荒野をさまようことになったのです。エジプトを出てから数えると40年間になります。

  ヨシュアとカレブを除き、当時20歳以上に登録されていた者はすべて、不信の罪のゆえに、約束の地に入ることを許されず、荒野で死に絶えました。

  ヨルダン川の東の地、モアブの地シティムでモーセは死にました。120歳でしたが、最後まで活力は失せませんでした。

  モーセの死後、ヨシュアはヨルダン川を渡れとの命令を神から受けました。ヨシュアは知恵と霊に満ちていました。おそらくヨシュアは、80歳前後だったのではないでしょうか。

  ヨシュアは2人の者をエリコの偵察に遣わしました。エリコの町がすでに主によってイスラエルに渡されていることを知ってヨルダン川を渡りました。ヨルダン渡河は水の止まった時に行われました(ヨシュア記3章)。

  第一の戦いは、エリコ攻略でした。イスラエル人が七日間城塞の周囲を回ると、神がその城壁を崩壊させました。

  次にアイを攻めました(8章)。一度アカンの罪のために敗北しましたが、戦利品の一部を私有したアカンを処罰した後、神の指示を受け、アイを打ち破ることができました。

  ヨシュアはエバル山でイスラエルの神のために一つの祭壇を築き、半分の支族は祝福のためにゲリジム山の前に、もう半分の支族は呪いのためにエバル山の前に立たせ、民に律法のことばと、祝福と呪いを読み聞かせました(ヨシ8:30-35)。カナンの地に入ったらするようにと、モーセに命じられていたことを実行したのです(申命記27:12,13)。

 その後、ギブオンは和を結ぶ協定を求めてきました(9章)。その策略が判明し、その罰としてギブオンはイスラエルに仕えるものとなりました。

  南部5都市の王は、エルサレム王のもとに同盟を結び、イスラエルと同盟を結んだギブオンを攻めてきましたが、ギブオンから援護を求められたヨシュアはこれを撃破しました。

  カナンの地での最後の決戦はハツォルの王ヤビンのもとに連合した同盟軍との戦いでした(11章)。ハツォルは、カナンの北部の町で、ガリラヤ湖の北15㌔ほどのところにある町です。主なる神から、「彼らを恐れてはならない」と励まされたヨシュアは全軍を率い、メロムで、敵の大軍を急襲して打ち破りました。そして五人の王の町々をすべて占領しました。

 カナンでの主な戦いは7年にも及びました。その後、分割された土地に定住するまで、数十年にわたり侵攻が続いたと予想されています。

  カナンの地を占領した後のヨシュアの任務は,カナンの地を12部族に分け与えることでした(ヨシ13‐19章)。この時,ヨシュアはすでに年を重ねて老人になっていましたが、占領すべき土地はまだたくさん残っていました。(ヨシュア記13:1)。

 ユダ族のカレブは、モーセが与えると誓った土地(申命記1:36)として、ヘブロンを与えられました。カレブは85歳で健やかでした(14:6-15)。

  12部族への分割を終えると、ヨシュアはエフライムの山地の町ティムナト・セラを自分の相続地として贈られました(ヨシ19:49‐50)。彼はそこに町を建てて住みました。

  イスラエルの民にカナンの安住の地が与えられてからも、ヨシュアは民の指導者でした。23章は老いたヨシュアが民に与えた勧告であり、遺言ともいえます。そして、今日の聖書の個所24章は、シケェムでなされた民との契約です。

  カナン定住が数十年続き、ヨシュアはこの世を去る前に、民に最後の勧告を与えました。イスラエルの全部族をシケェムに集めて、指導者たちを神の前に立たせ、神の言葉を語り、神に仕えていく決心を促したのです。  

  シケムの町はカナンのほぼ中央にあり、エルサレムから25キロほど北方にあり、北はエバル山(谷からの高さ367㍍)、南はゲリジム山(谷からの高さ381㍍)の二つの山の間にあります。

  シケムはアブラハムが故郷を離れてカナンに入ったとき、最初にヤハウェのための祭壇を築いたところです(創世記12:4)。また、ヤコブがハランから故郷に戻るとき、家族に外国の神々の像を取り去るように命じ、シケムの樫の木の下に埋めました(創世記35:2-4)。
   ヨシュアもエリコとアイを攻略した後で、祭壇を造り、モーセの律法を読み上げ、呪いと祝福を宣言したところです(8:30~.)。ヨシュアはこのシケムにおいて、祝福と呪いのどちらを選ぶのかと民に迫り、主なる神との契約の更新をするのです。

  24章2節から10節までは、アブラハムからモーセの時代まで、神が何をしたかを語りました。

 「ヨシュアは民全員に告げた。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。』」(24:2-3)

 神ヤハウェは、イスラエルの最初の族長アブラハム(当時の名はアブラム)を選んだことから話し始めます。その頃はアブラハムもメソポタミアで異教の神々を礼拝していたのを、ヤハウェがアブラハムを選び、約束の地カナンへ連れ出したことが語られました。。イサク、ヤコブ、そしてヤコブ一族のエジプト行きについて語り、続いてモーセとアロンによる出エジプトの出来事から、ヨルダンの東、モアブの地で、モアブの王から救ったことを語りました。

  11節から13節では、イスラエルの民がヨルダン川を渡り、カナンに入ってから、先住民族との戦いに勝利し、土地を獲得し、豊かな農地を得て安住していることが語りました。

主なる神は、「わたしは」という言葉を13回も繰り返し、イスラエルを今豊かな土地カナンへ導いたのは「わたし」であったと語りました。

 14節から24節では、「主に仕える」という言葉が8回も繰り返して使われています。

「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。

  もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます(14,15節)。」

  ヨシュアは、イスラエルの過去の歴史を回顧し、彼らが敵を撃退し、今日カナンの地を占領し定住するに至ったのは全く神の御力によるものであることを述べ、「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって主に仕えなさい」と勧めました。

   ヤハウェに仕え、先祖がメソポタミアやエジプトで仕えていた神々を離れることを選ぶか。あるいはヤハウェに仕えたくないなら、メソポタミアやエジプトの神々、あるいはこのカナンにいるアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを選ぶか、それを「今日、自分で選びなさい」と民に二者択一を迫りました。

  ヨシュアはイスラエルの民に対して、何も強制していません。ただ、自分の立場を明らかにします。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」とヨシュアは断固として主に従っていく信仰の決意を表明しました。

 民は答えました。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありませ(24:16)。」

 イスラエルの民は、主が彼らをエジプトの奴隷であった状態から救出し、数々の大きな恵みと守りを与えてくださったことを認め、主にのみ仕えることを表明しました。

  ところがこれに対し、ヨシュアは奇妙な応答をします。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。」と切り出します。なぜならヤハウェは「聖なる神」であり「熱情の神」だからだ、と言ったのです。神の彼らに向けられた愛は、ひたむきな愛でした。「わたしは熱情の神である」と神は語ります。「熱情」とは「妬み」、それも激情に駆られた嫉妬です。「あなたがたはほかの神を拝んではならない(出エジプト34:14))という、対立者の存在を許さない、絶対的な忠誠を要求する神です。「ヤハウェに仕えながら異教の神々とも付き合っていく」とか、あるいは「聖なる神に仕えながら堕落した生活をする」とか、そのような背きの罪を神は赦されないと、ヨシュアは語りました。単なる一時的な熱心や、いい加減な精神では主に仕えることはできないと言ったのです。

  これに対し民がヨシュアに、「いいえ、私たちは主を礼拝します。」と答えました。そして、ヨシュアが「あなたたちがヤハウェを選び仕えるということの証人は、あなたたち自身だ」というと、そのとおりだと答えたのです。
  さらにヨシュアが「それでは、あたたたちのもとにある外国の神々を取り除け」と外面の行動を求め、「イスラエルの神、主に心を傾けなさい。」と内面も忠実であることを求めると、民は「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」と答えました。

  民のこの絶対的な奉仕と服従の誓いを聞いて、その日に「ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのためにおきてと法とを定めた。」と記録されています。ヨシュアはイスラエルの民と神ヤハウェとの間を仲介する役割を果たしたのです。こうしてあらためて契約が結ばれたあと、ヨシュアはこの契約の証拠として、大きな石を据えました。世代が移ろい、この契約に関して「自分自身が証人」と言った人々がいなくなっても、この石が証拠として残そうとしたのです。士師記9章6には「シケムの石柱」という言及があります。

  その後ヨシュアは110歳で死に,エフライムの山地の自分の相続地のティムナテ・セラフに葬られました(ヨシ24:30)。

  神がいかにわたしたちを熱愛しておられるかを知ることが、わたしたちは主を愛するようになることを、ヨシュアと民との問答で知ることができます。

                                                                       私の家の玄関に飾っている色紙 「私とわたしの家族は 主を礼拝する」

  「わたしとわたしの家」とは、個々人の家族だけではなく、神の家族である教会のことも含めて考えたいと思います。ヨシュアの家族のことは聖書に記されていません。ヨシュアも「わたしの家」と言ったときは、個人的な家族のことだけでなく、自分が属するエフライム族のことを含めて語ったのではないでしょうか。教会が、神の家族として、共に主に仕え、礼拝を守っていきたいと思います。

 

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