富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「貧しいやもめの献金」 ルカによる21章1~4節

2019-01-25 01:12:23 | キリスト教

       ↑ 賽銭箱の前に立つ金持ちの男は、何枚もなくさんの硬貨を入れている。一方貧しいやもめは、最小額のレプトン銅貨二枚、有り金全部を賽銭箱に入れている。

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本福音教団 富 谷 教 会 週 報 

 降誕節第5主日   2019年1月27日(日)    午後5時~5時50分 

         礼 拝 順 序

                 司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  17(聖なる主の美しさと)

交読詩編   48(大いなる主、限りなく賛美される主)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)ルカによる21章1~4節(新p.151)

説  教  「貧しいやもめの献金」     辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 512(主よ、献げます)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

             次週礼拝 2月3日(日) 午後5時~5時50分 

             聖 書  ルカによる福音書5章33~39節

             説教題   「新しい教え」 

             讃美歌(21) 16 360 24 交読詩編 109

    本日の聖書 ルカによる21章1~9節    

 21:1イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。 2そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、 3言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。 4あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

      本日の説教

 ルカによる福音書21章1-4節の「やもめの献金」と、5-6節の「神殿崩壊の予告」は、19章28節のエルサレム入場から始まる主イエスの受難と復活の記事に先立つ記事です。イエスの三年近い公生涯の最後という観点からこの記事を読むことが求められます。さらに、細かく言いと、「やもめの献金」は、ルカ20章45節-47節の「律法学者を非難する記事の後に置かれています。「やもめの献金」は、マルコによる福音書の並行記事(マルコ12章41節-44節)の方では、「律法学者を非難する」(マルコ12章38-40節)の直後の置かれており、一つのまとまりとなっています。

 主イエスは「長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、また会堂の上席、宴会の上座を」好み、「またやもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする」と律法学者たちを非難しています。

 「やもめの献金」のやもめは、律法学者たちによって「家を食い倒」されると言われるやもめと関連でここに配列されといると思われます。受難週の火曜日の出来事です。この後、三日後には十字架の死を遂げるのです。そのような緊迫した日の中での出来事として、記されています。           

       

       ラッパ形の献金箱

  主イエスは、エルサレムの神殿の「賽銭箱」の置かれている広場で、金持ちたちが賽銭箱にたくさん献金を入れるのを見ておられました。おそらく自由献金用の「賽銭箱」の近くに「座って」(マルコ12・41)て見ておられたようです。

 神殿の婦人の庭の周りは柱廊で囲まれ、壁を背にして十三個のトランペット形の献金箱が置かれていました。それぞれの箱には、献金の使途のラベルが記されていました。箱のそばに祭司が立っていて、献金者は、自分の献金の使途と金額とを告げました。十三番目の箱は自由献金用の箱でした。ユダヤ人男性は、「婦人の庭」で献金し、そこを通って、円形状の階段を上がり、「イスラエル人の庭」まで入って祈ることができました。

 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚を入れました。「レプトン」は、「レプタ」の複数形です。レプトン銅貨は当時パレスチナに流通していたギリシヤ銅貨の中で最小のものでした。

  旧約聖書に、夫に先立たれた「やもめ」や親を失った「孤児」の保護が命じられいることは、イスラエル社会の中で、この人たちが不安定な生活基盤で生きていたことを物語っています。「みなし子・やもめ・寄留の外国人」に対する神の顧(かえり)みの愛をいいあらわす旧約のことばがあります。

「あなたがたの神である主は、……みなし子とやもめのために正しいさばきを行い、また寄留の外国人を愛して、食物と着物を与えられるからである」(申命記10・17-18、詩篇68・5)。

 マルコ福音書の方では、レプトン銅貨二枚を、一クァドランスと説明しています(マルコ12・42)。クァドランスはローマの青銅貨で、一デナリオンの64分の1に相当します(共同訳聖書巻末付録「度量衡および通貨」参照)。一デナリオンはローマの銀貨で一日の賃金に当たります。日本の貨幣に換算すると、一日の労務者の賃金を8000円とすると、その64分の1は、125円です。貧しいやもめは、125円しか持っていなかったことになります。

  イエスは、このやもめに目をとめ、弟子たちを呼び寄せて言われました。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から自分の持っている生活費を全部入れたからである」と言われました。

 イエスは、やもめが生活費の全部を入れたことを、貧しいやもめのみすぼらしい姿から見抜かれたのか、超能力によるものかは記されていません。彼女は二枚の銅貨ではなく、一枚のレプタ銅貨を入れて、もう一枚を残すこともできたでしょう。しかし、彼女は「生活費」を全部を入れたのです。

  この「生活費」という言葉は、原文のギリシャ語では「ビオス」という言葉です。この「ビオス」という語から、英語の「生」「生命」の意を表す接頭語<bio->という語ができました。生物学 バイオロジーbiology(bio[生命]+logy[学問])やバイオテクノロジー(生命工学)ということばも、ギリシャ語の「ビオス」から派生しています。「生活費」という原語は、「生命」をも意味する語です。彼女は彼女の「生命」をささげているのです。

 金持ちの「有り余る中から」の献金と、貧しいやもめの「乏しい中から」の献金とは、著しい対照をなしています。多額の金を入れて満足している金持ちに比べて、このやもめは、わずかな献金にひけ目さえ感じたかも知れません。しかし、困難な生活の中で彼女を支えてくださる神に感謝する心をあらわしたいばかりに、持っていたもの全部を献金したのです。

  普通の人ならこの貧しい婦人を見ても、特別な感じも抱くことなく、せいぜい気の毒な人がいるといった位にしか思わなかったでしょう。しかし主イエスはこの婦人に目をとめられました。小さい者への優しさと配慮に満ちておられます。

 「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」と主イエスは弟子たちに言われました。主イエスは金額を問題にしているのではありません。彼女は神により頼み、神は完全に守り給うと確信して、すべてを神に献げつくしたと、主イエスは言われているのです。神の求められるのは、献げ物ではなく、彼女の神に対する愛であり、神により頼む純粋な人の心であり、信仰です。

 主イエスは山上の説教で、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのもので」ある」(マタイ5・3)と教えられました。この貧しいやもめは、「心の貧しい人」でした。「心の貧しい人」とは、「神に全く依り頼んでいる人」のことです。すべては神様の恵みによって生かされていることを自覚し、自らを貧しい者であるかのように見做している人」です。富んでいても、すべては神様からの預かりものとして、神様の御心に従う人です。「心の貧しい人々」は、神の国に将来参加するというだけでなく、その至福を現在受けているからこそ「幸い」なのです。

 この「貧しいやもめの献金」の物語は、神への献げ物が大きいほど神に喜ばれるという当時のユダヤ人の考えを是正する教えでした。献金する金額ではなく、その日の生活費を全部ささげたかどうかとかという問題でもありません。献金する心を神は求めておられるのです。何よりも大切なことは、富に頼るのではなく、神にすべてを委ね、全くより頼んで生きることです。

 礼拝については、使徒パウロはローマの信徒への手紙12章1節で、「こういうわけで、兄弟たち神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる、聖いなる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」勧めています。自分の体を献げること、自分の生命をささげることが霊的な礼拝であると教えています。

 献金については、コリントの信徒への手紙二、9章6節-15節で、1.いやいや惜しみながらではなく、気前よく、喜んで。2.強制されてでもなく、自発的に。3.他人との比較ではなく、自分のきめたとおりに行うように、と教えています。神から与えられているお金を、神のみこころにかなうように、生活のためにも有効に用いなければなりません。神は生活費のすべてを献げことを求めているのではありません。献金はわたしたたちの命をささげる献身のしるしです。献金は神の恵みに対する感謝から、神への愛、隣人への愛、教会の宣教のために用いられるものであり、神への栄光のためなのです。

   主イエスは不信仰な律法学者や祭司たち、イスラエルの民の反抗と迫害の中にあって、孤独でした。すべてを献げる信仰深いこの貧しいやもめの姿に、どんなにか慰められたことでしょう。彼女の神に対する真実と愛とを見られて、どんなにか力づけられたことでしょう。主イエスも、父なる神を信じて、十字架の上ですべてを献げられるのです。

  讃美歌21の512番「主よ、献げます」の1、4節の歌詞を紹介します。

 1 主よ、献(ささ)げます、私のいのち、 あなたのために 用いてください。

   今この時も これからのちも    み名をたたえて 日々過ごします。

  4 主よ、献げます、私の愛を   知恵も力も 宝もすべて

   私のうちに あなたが住んで    みむねのままに 用いてください。

                                                               アーメン。

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「宣教の開始ーナザレの会堂で教えるイエス」 ルカによる4章16~30節

2019-01-16 01:37:06 | キリスト教

        ↑ ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト オランダの画家「Christ Teaching in the Synagogue at Nazareth」1658の作品 National Gallery of Ireland, Dublin (メシア・イエスに対する疑いと拒絶の態度が描かれています。イエスは故郷ナザレで受け入れられませんでした。)

 981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」   聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    降誕節第4主日 2019年1月20日(日)    午後5時~5時50分 

           礼 拝 順 序

                 司会 佐藤 洋子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   4(世にあるかぎりの)

交読詩編  111(わたしは心を尽くして主に感謝をささげる)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)ルカによる4章16~30節(新p.107)

説  教  「宣教の開始ーナザレの会堂で教えるイエス」 辺見宗邦牧師

祈 祷                 

聖餐式    81(主の食卓を囲み)

讃美歌(21) 507(主に従うことは)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

            次週礼拝 1月27日(日) 午後5時~5時50分 

            聖 書  ルカによる21章1~9節

            説教題   「新しい神殿」 

            讃美歌(21) 17 410 24 交読詩編48

     本日の聖書 ルカによる4章16~30節    

 4:16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、 19主の恵みの年を告げるためである。」

20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」 23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」 24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。 27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、 29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。 30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

           本日の説教

  イエスはナザレを出て、ヨルダン川に向かい、ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けました。そのあと、イエスは荒れ野(「ユダヤの荒れ野」マタイ3・1)に行き、そこで40日、悪魔を受けました。「荒れ野」は、エリコの東の「ユダの荒野(あらの)(ワディケルト)」と推定されています。イエスは荒れ野で悪魔の誘惑に打ち勝たれました。

   イエスは、「霊の力に満ちて」ガリラヤに戻り、公の宣教を開始しました。その評判は周りの地方一帯に広まりました。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられました。

    ルカ福音書は、以上のように、4章14節-15節で、ガリラヤの宣教をまとめて報告し、ガリラヤ宣教の詳細は、4章31節以下に記し、最初にナザレでの宣教について記します。イエスが郷里でどのようにあしらわれたのか、その排斥を伝え、それによってイエスの地上の生涯を予表するためでした。

 イエスはお育ちになった故郷のナザレに来て、いつものとおり安息日に礼拝をするためシナゴ―グと呼ばれる会堂に入りました。聖書を朗読しようとしてお立ちになりました。会堂の係りの者から預言者イザヤの巻物が渡されたので、お開きになり、イザヤ書61章のことばを見つけました。たまたま目に留まったのではなく、イザヤ書61章1、2節の言葉をお選びになったのです。2節にある「神が報復する日」を省いて朗読されました。それはユダヤ人を喜ばせる他民族への神の報復の預言だからです。イエスは民族の差別をされないのです。

  「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(4・18-19)

  主イエスは、ナザレの会堂で、この神による解放を告げる言葉を読んだ後、巻物を巻いて係りの者に返し、席に座られました。会堂にいたすべての人の目がイエスに注がれました。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められました。これは、実に大胆で驚くべき宣言です。イザヤの預言は今日実現した。自分こそ、その神が遣わされたメシア(救い主)であるという宣言です。

   イザヤ61章は、第三イザヤ(B.C.539~441)と呼ばれる預言者の書いた預言書(56章~66章)の中にあることばです。第三イザヤは、ユダヤ人の祖国帰還と第二神殿再建(B.C.515年)直後まで活動した預言者です。第三イザヤはバビロン捕囚からイスラエルが解放されることを、主によってモーセが定めたヨベルの年と関連させて預言しました。

   ヨベル(雄羊の意)の年とは、五十年ごとに、「国中に雄羊の角笛を吹き鳴らして始まる、全住民に解放を宣言する年」です。すべての負債は取り消され、借金のかたのために奴隷になっていた者は解放され、所有物は最初の持ち主に戻る年です(レビ記25章10節)。バビロンからの解放もヨベルの年のようになるだろうと第三イザヤは預言したのです。貧しい者や不当な扱いを受けている者は救われ、囚人は釈放され、敵の圧迫によって打ちひしがれていた者は解放されるであろう。彼らは喜びつつ故郷に帰ることができるだろう。バビロンからの帰還は、すべての人が自由になる<主の恵みの年>となるだろう、と預言したのです。

    主イエスは、このヨベルの年、「主(神)の恵みの年」があなたがたが耳にした「今日」、実現したと告げたのです。それは、この言葉を読み、この言葉を語っている自分が、メシヤであり、主から油を注がれた者、主の霊がとどまる者であることを伝えています。

    皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚きました。しかし、「この人は、ヨセフの子ではないか」、大工のせがれではないかと言って、イエスがメシアであることに疑問を抱き始め、イエスを信じようとはしませんでした。

     イエスはその心中を見抜いて、「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」と言われました。

  イエスがカファルナウムで病気を癒し、悪霊を追い出す力ある業をなされたことを聞いている郷里の人々は、同郷人としてのイエスへの近しさから、このナザレでもイエスの行う奇跡を見たいし、見せてもらったら信じようという彼らの思いをイエスは見抜かれたのです。彼らがしるしを求めたのは、イエスを試そうとする疑いであり、不遜な罪であり、不信仰以外の何ものでもありませんでした(申命記6・16)。イエスはその不信仰を見抜かれ、彼らの要求を拒否されたのです。

   さらにイエスは、「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」と言われ、旧約の預言者エリヤ(列王記上17:8~14)も、エリシャ(列王記下5:1~17)も、神の恵みを非ユダヤ人に与えたことを話しました。

 エリヤ(B.C.870~850年頃活動)は、北イスラエル王国の七番目の王アハブの時代に活躍した預言者です。アハブは北イスラエル王国の中でも最悪の王で、公然と異教の神バアル礼拝を行いました。列王上21章に記されているナポトのぶどう畑を、アハブとイゼベルが偽証と殺人という不当な手段によって奪い取ったことに対する神の罰として、エリヤはアハブ王に神の裁きとして干ばつが続くことを予言しました。エリヤがアハブと対決したのは、イズレエル平野の中心部にあるイズレエルの町でした(王上21・18)。エリヤは神に命じられてヨルダン川の東にある、郷里ティシュベに近いケリト川のほとりに身を隠しました。神がからすに命じて、朝に、夕に食事を運ばせて、エリヤを養いました。三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こり、ケリテ川の水が涸れると、エリヤは神に命じられて、シドンに近い、地中海に面するフェニキヤのサレプタに行き、そこに住む貧しいやもめに養われました。このやもめは、一握りの小麦粉とわずかの油が残っているだけで、それでパンを焼いて食べた後は、死ぬことを覚悟していました。「再び雨の降るときまで、壷の粉は尽きず、瓶(かめ)の油はなくならない」とイスラエルの神は言われると、エリヤは女に預言しました。そしてそのとおりになりました。この女の息子が病気になって死んでしまったとき、嘆き悲しむこのやもめのために、エリヤは神に祈って、その息子を生き返らせました。

  イエスは、「イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた」と話しました。

  エリヤの後継者エリシャ(B.C.855~800年頃活動)の時代は、北イスラエル王国ではアハズヤ、ヨラム、イエフ、ヨアハズ、ヨアシュと国王が変わりました。彼は様々な奇蹟を行ったことで知られていますが、アラム(シリア)の軍司令官ナアマンの皮膚病をヨルダン川の水で癒した(列王記下5:1~14)のは、その一つです。アラム軍の司令官ナアマンは、アラム王に重んじられる勇士でしたが、重い皮膚病(ハンセン病)を患いました。妻の召使いをしていたイスラエル人の少女が、女主人に、「サマリアの預言者のところに行けば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょう」と言ったことから、ナンマンは王にそのことを伝え、王の承諾を得て出かけ、エリシャの家に来て、その入口に立ちました。

   

  新共同訳聖書付録聖書地図5南北王国時代の地図です。ヨルダン川の東に●ティシュベと、その下にケリトの川が記載されています。また、地図の左上の方に、サレプタの地名も載っています。エリヤがアハブ王と対決したイズレエルもイスラエル(王国)の名の上部に載っています。

  エリシャは使いの者をやってこう言わせました。「ヨルダンの川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」それを聞いて、ナアマンは、患者の自分を診ることもしないで、ヨルダン川で身を洗えという、エリシャの指示に憤慨しました。しかし、ナアマンを家来たちがいさめたので、預言者の言葉どおりに下って行って、その通りにしました。すると、彼の体は完全に元に戻り、清らかになりました。エリシャは、治療が呪術によるのではなく、全能の神への信頼によることを明らかにしたのです。ナアマン一行は、ヨルダン川から引き上げてきて、「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。」と言って、イスラエルの神への信仰を告白しました。

  イエスは、「イスラエルには、重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」と話しました。

  このシドンのサレプタのやもめも、シリアの司令官ナアマンも、イスラエルの人々から見れば、ほんとうは救いから漏れていた異邦人です。イスラエルの人々は自分たちが救われるのは、アブラハムの子孫であり、神に選ばれた選民として当然だと思い込んでいました。主イエスはナザレの人々も同じような思い込みに生きていると言われたのです。イエスによる救いは、民族宗教の枠内に制限されるものではなく、それを超えるものであることをエリヤ、エリシャの例で示したのです。

  神の救いの恵みは、どんな条件も特権も必要のない、神の憐れみによるものです。ただ信仰によって与えられるものであり、神の救いはすべての人のためのものです。神がアブラハムと結んだ契約(創世記22:18)によれば、神の恵みはすべての人々に及ぶものでした。それを知っているはずなのに、異邦人は汚れた民としているイスラエルの人々は、神の恵みが異邦人に及ぶことを是認することのできないのです。それは彼らの狭い民族意識によるものであり、彼らの誤った誇りによるものでした。

  イスラエルの人よりも、シドン地方のサレプタのやもめや、シリア人ナアマンの方が神の恵みを受けた、というイエスの発言を聞いたナザレの人たちは皆、激しい憤りと殺意に変わり、彼らは「イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそう」としました。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られました。このように、主イエスは、故郷のナザレでの宣教の開始ときから、十字架への道を歩むのです。イエスのナザレで受けた排斥は、やがて律法学者やファリサイ派の人達や、エルサレムの民衆によって排斥されることになり、主イエスは十字架と復活への道を歩むことになるのです。

  罪のために死の運命を担わされている私たちを、罪から解放して神の子とし、永遠の命を与えるために、このような苦難の道を主イエスは歩まれたのです。新しい年、2019年も、「主の恵みの年」として迎えることができることを感謝し、主をほめたたえましょう。

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「最初の弟子たちの召命」 ルカによる福音書5章1~11節

2019-01-12 03:33:07 | キリスト教

   ↑ Luca Giordano ルカ・ジョルダーノ、イタリアの画家 ( 1632–1705). The Calling of Saint Peter and Saint Andrew. 

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

    日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

 

    降誕節第3主日  2019年1月13日(日)   午後5時~5時50分 

        礼 拝 順 序

                 司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  57(ガリラヤの風かおる丘で)

交読詩編  101(慈しみと裁きをわたしは歌い)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)ルカによる福音書5章1~11節(新p.109)

説  教    「最初の弟子たちの召命」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

       次週礼拝 1月20日(日) 午後5時~5時50分 

        聖 書  ルカによる4章16~30節

        説教題   「宣教の開始」 

        讃美歌(21) 4 507 81 24 交読詩編111

    本日の聖書 ルカによる福音書5章1~11節

 5:1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。 10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

       本日の説教

 主イエスは、ヨルダン川で洗礼を受けたあと、荒れ野で、四十日間、悪魔の誘惑を受けられました。イエスは誘惑に勝利され、メシアとして働くための準備が整いました。悪魔は離れ去りました。イエスは霊の力に満ちてガリラヤに帰られました。諸教会で教え、皆から尊敬を受けられました。

 主イエスは、育った故郷のナザレに来て、安息日に会堂に入り、イザヤ書の言葉を読みました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(イザヤ書61・1-2)

 イエスは会堂にいる人々に、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されました。

   

   イエスはガリラヤの町カファルナウム(カペナウム)で、安息日には人々に教えられました。人々はその教えに非常に驚きました。その言葉には権威があったからです。イエスは汚れた霊に取りつかれた男をいやしました。人々は皆驚きました。こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まりました。

 イエスは会堂を立ち去り、人々に頼まれて、シモンの家に入り、シモンのしゅうとめの熱病を癒しました。日が暮れると、人々がいろいろな病気で苦しむ者を連れてきたので、イエスはその一人一人に手を置いた癒されました。悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行きました。

  朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれました。群衆はイエスを捜し当て、自分たちから離れて行かないようにと、引き留めました。しかし、イエスは「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない」と言い、ユダヤの諸会堂に行って宣教されました。

 イエスがゲネサレト(ガリラヤ湖西岸のゲネサレト平原に由来する名)湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せてきました。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になりました。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていました。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗って、岸から少し漕ぎ出すように頼み、腰を下ろして舟から群衆に教え始められました。

   話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えました。

 漁師のシモンにとっては、もう一度、沖に出て網を降ろして漁をすることは、これまでの経験から無駄骨を折ることになると思えたでしょう。しかし、「先生のお言葉ですから」と漕ぎ出して行きます。主が語られる言葉を信じて実行したのです。シモンは圧倒的に迫ってくるイエスの人格から出る言葉に信頼し服従し、疲れ切った体を鞭打て再び沖へ漕ぎ出し、網を下ろしてみたのです。すると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになりました。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼みました。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになりました。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」と言いました。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからです。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様でした。

 シモンは大漁に驚きました。シモンは大漁の前は、イエスを「先生(エピスタタ)」と呼んでいました。弟子たちによって呼ばれるある程度の信仰の呼びかけです。大漁の後は、シモンの名は急にシモン・ペトロという信仰者の団体の頭としての名に変わり、イエスの足もとに平伏します。そしてイエスを「主よ(キュリエ」と呼んでいます。大漁によってイエスに神の力を見たため、思わずイエスを主と呼んだのでしょう。そして、同時に自分の罪に気付いたのでしょう。「わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言いました。

  シモンは聖なる偉大な方の前に立つたとき、傍(かたわ)らにいることが自分に値しないことを感じて恐ろしくなったのです。自分にふさわしくないような神の恵みの体験は、シモンを罪の自覚と告白へと向かわせました。 

   豊漁によるシモンの信仰告白と改心は、イエスの弟子となる主の招きとなります。イエスはシモンに、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われました。シモンの罪の告白に対して、祝福の言葉が与えられたのです。「恐れることはない」のみことばは、罪の赦しのことばでもあります。「人間をとる漁師」の直訳は「人間を生け捕りする者」です。旧約用語では、人を生きたまま危険から救うという意味ですが、神の国に人々を導き入れる宣教を指すことばとして用いられています。「今から後」というルカの用語は、古い状態から新しい状態への決定的転換を意味する句です。従って彼らはこの招きを境にして、彼らの古い職業を表す舟とすべてを捨ててイエスに従ったのです。シモンに向けられた主イエスの言葉を、彼の仲間たちは自分たちにも向けられた言葉として聞きました。そこで彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従いました。

  この最初の弟子の召命物語がここに記されているのは、イエスの人気と群衆の規模の拡大のために、主イエスにとって助け手が必要になったということを暗示しています。主イエスは、学者や身分の高い人たちではなく、単純な生活にいそしんでいた漁師たちを選ばれました。純真で、素朴で、実直な彼らは今は無学であるが、神の言葉による真理を受け入れ、成長するのです。彼らに選ばれる資格や素質があるから選ばれたのではありません。彼らは十字架につけられたイエスを見捨てました。復活のイエスによる召命によって彼らは真の弟子となることができたのです。召命は、あくまでも主イエスの恵みによる自由な選びによるものでした。弟子たちの信仰も献身も聖霊に導きによるものでした。

  キリスト者はみな神の民の一員として御言葉を伝える使命を与えられています。誰もが伝道者や牧師となる訳けではありませんが、しかし、人々を主キリストに導いていく働きを何らか担うのです。キリスト者はイエス・キリストのすばらしさを深く知り、主イエスを愛することへと、徐々に作り変えられていくのです。そしてキリストによって生かされている喜びを、この世の生活の中で証しし、人々をキリストへ導く、人間をとる漁師とされるのです。

   わたしたちは、経験や常識にこだわらず、主イエスの「お言葉」に従って、豊かな祝福があることを信じて、宣教活動を続けてまいりましょう。

 

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