富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「神はサウルを王位から退ける」 サムエル記下6章12~23節

2014-03-31 01:13:41 | 礼拝説教

週     報 

受難節節第四主日       2014年3月30日(日)  5時~5時50分 

礼    拝 

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 300(十字架のもとに)

交読詩編  121(目を上げて、わたしは山々を仰ぐ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  サムエル記上15章10~23節

説 教 「神はサウルを王位から退ける」辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  521(とらえたまえ、われらを)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

本日の聖書 サムエル記上15章10-23節

1サムエルはサウルに言った。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。 2万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。 3行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」

 4サウルは兵士を召集した。テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった。 5サウルはアマレクの町まで来ると、兵を川岸にとどめた。 6サウルはカイン人に言った。「あなたたちはアマレク人のもとを立ち退き、避難してください。イスラエルの人々がエジプトから上って来たとき、親切にしてくださったあなたたちを、アマレク人の巻き添えにしたくありません。」カイン人はアマレク人のもとを立ち退いた。

7サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。 8アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。 9しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。

10主の言葉がサムエルに臨んだ。 11「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない。」サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ。 12朝早く、サムエルが起きて、サウルに会おうとすると、「サウルはカルメルに行って自分のために戦勝碑を建て、そこからギルガルに向かって下った」との知らせが届いた。 13サムエルがサウルのもとに行くと、サウルは彼に言った。「主の御祝福があなたにありますように。わたしは主の御命令を果たしました。」 14サムエルは言った。「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしの聞くこの牛の声は何なのか。」 15サウルは答えた。「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。ほかのものは滅ぼし尽くしました。」 16サムエルはサウルに言った。「やめなさい。あなたに言わねばならないことがある。昨夜、主がわたしに語られたことだ。」サウルは言った。「お話しください。」

17サムエルは言った。「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。 18主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。 19何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。」 20サウルはサムエルに答えた。「わたしは主の御声に聞き従いました。主の御命令どおりに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ましたし、アマレクも滅ぼし尽くしました。 21兵士が、ギルガルであなたの神、主への供え物にしようと、滅ぼし尽くすべき物のうち、最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです。」 22サムエルは言った。

「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。 23反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」

   本日の説教 

 イスラエルのサウル王については、サムエル記上9章から31章までに記されています。サウル王の即位は、紀元前1020年頃と推定されています。

 サウルは、ベニヤミン族に属する勇敢なキシュの息子で、「美しい若者で、彼の美しさには及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高い」人でした(9:2)。彼の家はギブアにありました(10:26)。

 預言者サムエルから、「全イスラエルの期待はあなたにかかっています」と言われたとき、サウルは「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンでも最少の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか」と答えています。彼は初めの頃は謙虚な控え目な人でした。サウルはサムエルによって頭に油を注がれ、ミツパに集めらえたイスラエルの民の前で、イスラエルの王として選ばれました(10章17-24)。サウルはアンモン人からギレアドのヤベシュの町を救いました。サウルは彼の悪口を言う者へも寛大でした(11:13)。

 預言者サムエルは、ギルガルでサウルを王とする即位の式を執行しました(11:14)。

 サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となりました。二年たったときのこと、サウルの息子ヨナタンがゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破りました。ぺリシテ軍は反撃のためにミクマスに陣を敷きました。イスラエルの人々は危険が迫っているのを見て、おののきました。

 サウルは、サムエルに命じられたように、七日間待ったが、サムエルがギルガルに来ませんでした。兵はサウルのもとから散り始めました。サウルは兵士をつなぎとめようとして、サムエルを待つことが出来ず、神の祝福を得るために自分でいけにえの儀式を行いました。そのの直後、サムエルが到着しました。サウルのしたことは、彼に許されていないことであり、人間的な手段で兵士をつなぎとめようとしたのです。サムエルはこれを神の戒めを守らない行為として強く非難し、あなたの王権は続かないと宣告しました(13:14)。

 その後、サウルはアマレク人と戦うように、サムエルに告げられました。サムエルはサウルに告げました。

 「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。 万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。 行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」

 サウルは主からアマレクを滅ぼし尽くすようにと命じられたのです。イスラエルの民がエジプトから出て、シナイ半島の荒れ野を旅を始めたとき、アマレク人はイスラエルを襲い(出エジプト記17:8-15)、略奪をしたのです。申命記25章17-19節で、モーセは次のように言い残しています。

 「あなたたちがエジプトを出たとき、旅路でアマレクがしたことを思い起こしなさい。 25:18彼は道であなたと出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることがなかった。 25:19あなたの神、主があなたに嗣業の土地として得させるために与えられる土地で、あなたの神、主が周囲のすべての敵からあなたを守って安らぎを与えられるとき、忘れずに、アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない。」

 「絶滅させよ」という命令は、残酷な命令です。現代の戦争においては赦されない人道上の違法行為です。旧約聖書の神の命ずる「絶滅命令」を「聖絶」と呼んでいますが、古代世界において、しばしば自民族の敵は同時に神の敵とみなされ、これを絶滅させることが宗教的な義務と考えられたのです。旧約聖書には、聖絶の対象となるのは、カナンの地の先住民に限られていました(申命記16-17)。これは、イスラエルの民が忌まわしい先住民の慣習に染まらないようにするための命令でした。「それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちの教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである(申命記20:18)」とあります。

サウルは兵士を招集し、「ハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討ち」ました(15:7)。

しかし、「アマレクの王アガグを生け捕りにし」、サウルと兵士は、「アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くし」ました。

サウルは主から命令として、はっきりとアマレクを滅ぼし尽くすことになっているのを聞いていたにも関わらず、主の命令を果たしませんでした。彼らは自分たちが滅ぼしたいものは滅ぼしましたが、自分たちが滅ぼしたくないものは保管しておきました。これは従順ではありません。 

「主が課せられた務めをおろそかにする者は呪われよ。主の剣をとどめて流血を避ける者は呪われよ。( エレミヤ書48:10)」とあります。

神はサムエルに「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」(15:11)と言って嘆きました。

サムエルはサウルに会って、神の御意志を伝えようとしましたが、サウルはカルメル(ユダの地にある)に行って自分のために戦勝碑を建て、そこからギルガルに向かっていました。サウルは敵に打ち勝ったことを自分の手柄として、その偉業を残したかったのです。

サムエルがサウルのもとへ行くと、サウルは彼に、「わたしは主の御命令を果たしました」と報告したのです。

 サムエルが、「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしの聞くこの牛の声は何なのか」と問うと、サウルは答えました。

「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。ほかのものは滅ぼし尽くしました。」

イスラエルの兵士たちは、主への供え物にするためという名目をつけて最上の物を残しておいたのですが、本当は、滅ぼし尽くすのが惜しかったのです。

サムエル言いました。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」

サウルは自分の罪を認め、「わたしは罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従った」のです(15:24)。」と言っています。彼が失うのを恐れたのは神との関係ではなく、人々からの評価であり、人々からの尊敬でした。

サウルは更にサムエルに「わたしと一緒の帰って下さい」と同行することを求めました。その理由は、「民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します」とサムエルの上着が裂けるほど、すがりつき懇願したのです。ここにも人々からの前で自分をとりつくろうとする哀れなサウルの姿があります。主を礼拝することを、

自分の願いをきいてくれたらするという、あさましい条件にしています。神はもうサウルの神ではなく、「あなたの神」とまで言っています。

 その後、「主の霊」がサウルから離れたので、彼はしだいに精神的にも肉体的にもおとろえていった。やがて悪霊に悩まされるようになって、悲惨な最期をとげるのである。それは彼の人間的な弱さと神への不従順によるものであった。

 私たちも、サウル王のようなあやまちを、他山の石とせず、気を付けなければなりません。私たちは人に気に入られようとしているのでしょうか。それとも、神に気に入られようとしえいるのでしょうか。「何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」(ガラテヤ1:10)という御言葉が響いてきます。人間の誉れを求めなかったパウロをお手本としたいものです(テサロニケ一、1:6)。

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第22回イースター茶会のご案内

2014-03-25 20:17:30 | イースター茶会

第22回 イースター茶会のご案内

   イースター茶会を始めて、本年は22年目になります。茶道にキリスト教が深くかかわってきたことを、キリシタン茶道具による茶会を通して味わっていただきたいと思います。10時からの午前の部に参加される方も、午後1時からの午後の部に参加される方も、12時からの、イースタ礼拝に参加いただき、12時30分から1時まで松花堂弁当の昼食をとっていただきます。

  日時:平成26年4月26日(土)

  場所:日本キリスト教富谷教会にて

     (仙台駅前から宮城バスで、約1時間(富谷ゴルフ場前下車、徒歩3分)           

  会費:3千円(濃茶席、薄茶席、昼食代) 

  午前の部参加希望の方は、10時までに、午後の部参加希望の方は、12時までに、

  受付を済ませてください。   ※昼の時間は、礼拝、昼食となります。

 ○ 駐車場あり

  

 

 ☆申し込みは、4月12日(土)まで下記に、電話、もしくはファクスでご連絡ください。メールでもよろしいです。

 Tel 022-358-1380  Fax 022-358-1403

 E-mail:munekuni-hemmi@vesta.ocn.ne.jp

                   富谷教会  :辺見宗邦・辺見宗友

   〒981-3302

   宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12

 

昨年の会記   平成二十五年四月二十日(土)    於 富谷教会・松風亭 

  第二十一回 イ―スター茶会

  会     記    

               辺 見 宗 邦  辺 見 宗 友 社中一同

 礼拝室 「平安」              石舟筆 

待合床 「春入千林処々鶯」       明道筆

濃 茶 席(天心庵)

床     淡々斎御筆「松風隔世塵」   

花     季のもの

花 入   青磁花入          川瀬忍造

香 合   雉                香雲造

釜     十字釜            美之助造

炉 縁   真    

水 指   備前焼         

茶 入   耳付聖書写本入れ壷型    巌三造

 仕 服   コプト狩猟(しゅりょう)紋裂

茶 杓   高山右近作写 花クルス  瓢阿作

茶 盌   古萩 銘「わかば」

蓋 置   竹                左京造

建 水   曲       

御 茶   青葉の昔          大正園詰

菓 子   桜ノ山         玉澤総本店製

菓子器   染付け十字形        青華造

 

 薄 茶 席(瑞祥軒)

床    清光院御筆 「花」

花     季のもの

花 入 利休所持写音曲蒔絵 剛山箱書       宗泰造

香 合  イースター・エッグ ケーヴァーウオ―ル(英国)製       

釜     富士裾野透木釜  浄清造

 炉 縁  布摺繋ぎ七宝  表完造

水 指   ボヘミアガラス花絵コンポート  エーゲルマン製  

 長 板

薄 器    銀地唐物風                 健智造

茶 杓   グロリヤ(宗邦銘)              怡雲作

茶 盌  エルサレムクルス紋聖杯型          巌三造

 蓋 置  長崎切支丹                  臥牛造

 建 水  草花絵                     万象造

御 茶  青松の白                   大正園詰

菓 子  三色団子                玉沢総本店製

菓子器  古伊万里染付色絵深鉢

  

  

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「ナオミとルツを顧みられた主」 ルツ記1章1~22節

2014-03-23 19:03:18 | 礼拝説教

                                                   ↑ ナオミとルツの歩いた道

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者

  たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わた

  したちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

受難節節第三主日       2014年3月23日(日)   5時~5時50分 

礼    拝 

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 298(ああ主は誰がため)

交読詩編  103(わたしの魂よ、主をたたえよ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ルツ記1章1~22節

説 教  「ナオミとルツを顧みられた主」  

辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  528(あなたの道を)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 次週礼拝 3月30日(日)午後5時~5時50分

 説教 「主はサウルを王を退ける」

 聖書 サムエル記上15章10-23節

 本日の聖書 ルツ記1章1~22節

1士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。 2その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ。 3夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。

4息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、 5マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。 6ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。 7ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。

故国ユダに帰る道すがら、 8ナオミは二人の嫁に言った。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。 9どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」

ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、 10言った。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」

11ナオミは言った。「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。あなたたちの夫になるような子供がわたしの胎内にまだいるとでも思っているのですか。 12わたしの娘たちよ、帰りなさい。わたしはもう年をとって、再婚などできはしません。たとえ、まだ望みがあると考えて、今夜にでもだれかのもとに嫁ぎ、子供を産んだとしても、 13その子たちが大きくなるまであなたたちは待つつもりですか。それまで嫁がずに過ごすつもりですか。わたしの娘たちよ、それはいけません。あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから。」

14二人はまた声をあげて泣いた。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。

15ナオミは言った。「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」

16ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。 17あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」   

18同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。 19二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着いた。

ベツレヘムに着いてみると、町中が二人のことでどよめき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてくると、 20ナオミは言った。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。 21出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」 22ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。

本日の説教 

ルツ記1章1節に、「士師が世を治めていたころ」とあるように、「ルツ記」は士師記の時代の物語です。ルツ記は士師記とサムエル記上の間に配置されています。ルツ記は4章からなる短い物語ですが、旧約聖書中でも最も美しい、すぐれた文学作品の一つとも言われています。ルツ記は史実に基づいた感動的な物語です。

士師たちがイスラエルを治めたいた時代(紀元1200~1020年頃)、飢饉がカナンに移住したイスラエルの国を襲いました。ユダのベツレヘム出身のエリメレクは、食糧を求めて、妻ナオミと二人の息子マフロンとキルヨンを連れてモアブの野へ移り住みました。「モアブの野」とは、死海東岸の浜辺にあります。かつてアブラハムの甥ロトの子モアブの子孫が住んだ所です。

モアブの野に移住してほどなく、夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死にました。

その後、息子たちはモアブの女を妻としました。一人はオルパ、もう一人はルツという名前です。十年ほどそこで暮らしたが、マフロンとキルヨンの二人も、死にました。ナオミは異国の地で、夫と二人の息子に先立たれ、一人残されました。

 このように、ルツ記は悲しい出来事から物語が始まります。エリメレクの家族が、神に与えられた地、カナンを離れて、異国モアブの地へ、食糧を求めて移住したことが、神のみこころにそわないことであった、と解する方々がいます。また、息子たちが異邦人のモアブの女と結婚したのが良くなかったと解する人たちがいます。そのために、エリメレクも、二人の息子も死んだと言うのです。「ルツ記」の場合、このような理解は間違っていると思われます。エリメレク一家がモアブに行っていなければ、また息子たちがモアブの女と結婚していなければ、またルツが寡婦にならなければ、ルツとイスラエル人ボアズとの結婚はありえなかったし、ルツがキリスト誕生のための系図で役割をは果たすこともなかったでしょう。「ルツ記」は、異邦人に対するイスラエル人の偏見や差別を無くすために、書かれている書であることを知らなければならないと思います。2章12節で、ボアズはルツにこう言っています。「イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」

ナオミは故国で、主が民を顧みられたので、食糧が得られるようになったことを聞き、モアブの野を去って、国に帰ることにしました。嫁たちもしゅうとめに従いました。

故国のユダに帰る途中、ナオミは彼女についてきた二人の嫁に言いました。「あなたたちは自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれました。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを与えてくださるように。新しい嫁ぎ先を主から与えられ、幸せに暮らすように」、と再婚をすすめ、祝福しました。

ナオミは自分のことよりも、二人の嫁の幸せを願ったのです。そして一人で残りの生涯を送ることを決意したのです。    

ナオミが二人に別れの口づけをすると、二人は声をあげて泣いて、言いました。「いいえ、御一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」

ナオミは、「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。」彼女には二人に夫として与える子供はいないし、子をもうけるにはあまりにも年老いている。さらに彼女に将来子供が生まれたとしても、二人の嫁にとっては若すぎるだろう。わたしについて来ても将来はおぼつかないのですと、くりかえし嫁に帰ることをすすめました。

二人はまた声を上げて泣きました。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしましたが、ルツはすがりつき離れようとしませんでした。

ナオミはルツに言いました。「あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰ろうとしています。あなたも後を追って行きなさい。」

ルツは言いました。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。」

ルツはどこまでもナオミについていくと言うのです。ルツのしゅうとめに対する愛と思いやり、その忠実さには胸を打たれます。

ルツの決意が固いのを見て、ナオミは説き伏せることをやめました。二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着きました。

ベツレヘムに着くと、十数年ぶりで帰郷したナオミたち二人のことで、町中に騒ぎが起こりました。女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてきました。

ナオミは、「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」、と自分のいつわりのない心境を口に出しました。

 ナオミは二人の嫁に別れて帰るようにすすめたとき、「あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下さたのですから」(1:13)と語っています。あなたたち二人も若くして夫を亡くしつらいでしょうが、私の場合、災いを私が信じる神が下されたのですから、私の方がはるかにつらいのです。あなたがたも、耐えてくださいね、と言っているのです。ナオミは災難を神が与えた試練として耐えたのです。

しかし今、故国の人々の前で、全能者が自分をひどい目に遭わせたと、耐え難い悲しみを、吐露したのです。ナオミ(快い)という美しい自分の名前さえも否定して、マラ(苦い)と呼んで下さいと訴え、自分の見栄や体面を捨て、ありのままの姿をあらわにしたのです。

「出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに」とナオミは語りました。出掛けた時は愛する夫と息子たち一緒で、こころは満たされていたが、故郷に帰ってきた今は、家族も失い、心の中まで空っぽで、何もないと、言ったのです。

ナオミが「全能者がわたしを不幸に落とされたのに」と言った、その言葉は、神に対して愚痴をこぼし、不平不満を表したのでしょうか。それは神に対する非難であり、恨みの思いが込められているのでしょうか。確かにそのように受け取られてしまうような言葉です。そして、そのように注釈する方々が多いのも事実です。なかには、ナオミは絶望と苦痛から神を呪っていると解する人もいるほどです。果たしてそうでしょうか?

  ヨブが言ったように、ナオミは全能者である主は「与え、奪う(ヨブ記2:22)」方であると信じているのです。全能者である神が与える、幸せも不幸も、どちらも受けなければならないと思っているのです。そして、不幸には耐えようとしているのです。与えられた不幸の苦しみと嘆きからの解放と救いを神に求めているのです。

ナオミは嫁たちと別れようとしたとき、「どうか、主があなたたちに慈しみを与えてくださるように」と言って祝福しています。ナオミは、主が慈しみを与えてくださる方であることを信じているのです。ナオミは、神が自分に与えた不幸を嘆いています。しかし、それは主の慈しみをひたすら求めていることが、かくされているのです。

これは人々への言葉です。主に対する祈りの言葉ではありません。ナオミを癒すことができるのは、主の他ありません。おそらくナオミは、詩編86篇のような祈りをささげているのでしょう。「あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。・・わたしに親しいのは暗闇だけです」と。苦しみを神に訴え、嘆願することは、きわめて信仰的なことなのです。それは神を非難しているのではありません。

 私たちも「神様、どうしてこのようなことをなさるのですか?」と言わずにはいられないほどに、納得のできない試練にあうことがあります。旧約聖書には、ヨブ記に記されている義人ヨブも、突然の災害で財産も子供たちも失いました。ヨブは嘆き、生きることを厭い、神にその苦しみを訴えました。主イエスも十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と悲痛な叫びをあげて神に叫んでいます。

 慈しみ深い神は、ナオミをそのままにはされません。顧みておられるのです。ナオミのそばに、「あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。」とまで言う嫁ルツを着き添わせています。

 ナオミは、「出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです」と言っていますが、主は決してナオミをからっぽにして帰らせていません。ナオミは、のちにイスラエルだけでなく、全人類の救い主となる主イエス・キリストの誕生の系図にあげられる異邦人の女ルツを故郷に連れて帰ったのです。

 その後、エルサレムでルツはしゅうとめに寄り添い、落穂拾いをしながら生計を立て、しゅうとめに孝養を尽くしました。ルツ記の2章、3章には、落穂拾いをしながら、一生懸命にしゅうとめに仕えるルツの姿に感動したボアズ(「彼に力あり」の意)との出会いが記されています。ボアズは、しゅうとめの夫エリメレクの一族に属する親戚で、裕福な有力者です。ルツはボアズの手厚い保護を受け、ついにはボアズと結婚します。この結婚によって、ルツもナオミも人生の大転換を迎えます。ボアズとルツの間に男の子が生まれました。ボアズは親戚の贖い人の役割を行ったので、死者エリメレクの名が存続することになりました。

女たちはしゅうとめナオミに言いました。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。・・その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」

ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てました。近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子の名前をオベド(「仕える者」の意)と名付けました。オベドを実際に産んだのは嫁ルツなのに、「ナオミに子供が生まれた」と言って祝福したのは、ルツの出産にナオミが果たした大きな役割を評価したことと、その子は夫エリメレクの名を継ぐ者でもあったからと思われます。エリメレクもナオミも、キリストの系図には、その名がありませんが、「ルツ記」には、大きな役割を果たした人としてその名が記されたのです。

 ルツとナオミに与えられた子オベドから、エッサイ、ダビデと家系は続き、イエス・キリストとの誕生へと続いていくのです。(マタイ1:5参照)

 ナオミは異国の地で、夫のみならず二人の息子を失いました。しかし、今こうして、嫁ルツによって、「七人の息子にまさる」ほどの孫を抱き上げるものとなりました。すべてを失った貧しいナオミではあったが、決して信仰を失うことはありませんでした。異国の地の娘ルツは、このしゅうとめナオミの信仰を学び、どのような境遇にあっても、固い信仰を持ち続けました。主はこの二人を顧みられ、大きな慈しみをほどこされました。このように「万事を益とする」神さまは時満ちて、大きな祝福をお与えになられる方であることを信じ、どんな困難にも祈りつつ耐え抜きましょう。「主の慈しみは世々とこしえに、主を畏れる人の上にある」(詩編103:17)のです。

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「最初の預言者サムエル」 サムエル記上7章1-17節

2014-03-16 21:40:41 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

   週     報 

受難節節第二主日       2014年3月16日(日)     5時~5時50分 

礼    拝 

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 404(あまつましみず)

交読詩編   71(主よ、御もとに身を寄せます) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  サムエル記上7章1-17節

説 教 「最初の預言者サムエル」  辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  464(ほめたたえよう)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 3月23日(日)午後5時~5時50分

 説教 「ルツの決意」

 聖書 ルツ記1章1-10節

 交読詩篇 63  讃美歌(21)459  529  24

本日の聖書 サムエル記上7章1-17節

1キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。

2主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、二十年を経た。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた。

3サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。」

4イスラエルの人々はバアルとアシュタロトを取り除き、ただ主にのみ仕えた。5サムエルは命じた。「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう。」6人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で、「わたしたちは主に罪を犯しました」と言った。サムエルはミツパでイスラエルの人々に裁きを行った。

 7イスラエルの人々がミツパに集まっていると聞いて、ペリシテの領主たちはイスラエルに攻め上って来た。イスラエルの人々はそのことを聞き、ペリシテ軍を恐れて、8サムエルに乞うた。「どうか黙っていないでください。主が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、我々の神、主に助けを求めて叫んでください。」

9サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた。10サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に、ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来たが、主がこの日、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。11イスラエルの兵はミツパを出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベト・カルの下まで行った。12サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。

13ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。14ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガトまで再びイスラエルのものとなった。イスラエルはその周辺の村々をもペリシテ人の手から救った。イスラエルとアモリ人との間は平和であった。

15サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行った。16毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地でイスラエルのために裁きを行い、17ラマに戻った。そこには彼の家があった。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い、主のために祭壇を築いた。

本日の説教 

   預言者サムエルは、「サムエル記上」の最初に登場します。1章から3章までは、サムエルの奇跡的な誕生から、彼が成長して預言者と知られるようになり、イスラエルの霊的指導者になるまでが記されています。

 1章:エフライムの山地ラマ(=ラマタイム・ツォフィム)に住むエルカナの妻ハンナは、シロの神殿に、年一度の礼拝をしに行った時、男の子を授けてくださいと祈り、願がかなったときには、その子をナジル人として神に捧げることを誓いました。彼女は男の子を授かったとき、その名をサムエル(その名は神)と名付けました。その子が乳離れしたとき、その幼子を、シロの祭司エリに託しました。

  2章:サムエルは「主に仕え」(2:18)、「主のみもとで成長し」(2:21)ました。

  3章:「サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝て」いました。神の箱がシロに運ばれたのはヨシュアの時代で、その頃は臨在の幕屋に安置されていました(ヨシュア記18:1)。その後、士師時代後期に、戦いのために、一時南のベテルに運ばれたことがありました(士師記21:27)。ヨシュアの時代から、およそ180年も経過しており、幕屋ではなく神殿に安置されています。神の箱は「契約の箱」とも呼ばれています。

 [インディ・ジョ―ンズの「失われたアーク<聖櫃>という冒険映画に出てくるのは、「金の<神の箱>を、イメージしています。]        

    

  サムエルは、神の箱の番をする役目のためか、この神殿で寝ていたとき、主の呼びかけを聞き、「ここにいます」と答えて、祭司のエリもとに走って行きました。同じことを三度も繰り返しました。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、もしまた呼ばれたら、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と答えるようにと教えました。主は来て、これまでと同じように、「サムエルよ。」と呼ばれました。サムエルはエリに教わったように答えました。主はサムエルにエリの二人の息子の罪のゆえに、エリの家を罰すると語られました。サムエルはこのお告げをエリに伝えることを恐れましたが、エリから隠さずに話すように言われ、一部始終を話しました。サムエルは成長し、主は彼と共におられ、シロでサムエルに御自身を示されたので、サムエルは主の預言者としてイスラエルの人々に認められるようになりました。当時、イスラエルの人々はカナンの地では、真の神から離れたので、以前のように直接に神の語りかけを聞くことができなくなっていました。そのような中で起こされたのが預言者です。サムエルは最初の預言者とされたのです。

  4章から6章までは、ぺリシテ人の攻撃により、イスラエルは大きな打撃を受け、一時は神の箱を奪われたことが記されています。

   4章:シロにあった神の箱は、戦いの勝利をもたすために野営地のエベン・エゼルに運ばれましたが、ぺリシテ軍の攻撃にイスラエル軍は敗北したため、神の箱は奪われ、「神の箱」を担いだ、エリの二人の息子は戦死しました。二人の息子の死と、「神の箱」が奪われという報告を聞いて、エリは倒れて首を折って死にました。エベン・エゼルは「栄光が去った」と言わしめるほどの屈辱の場所となりました。

   5章:神の箱は、アシュドドに運ばれました。神の箱は、ぺリシテ人に災いをもたらしました。住民は疫病にかかり、苦しみました。神の箱の不気味な力を恐れて、ペリシテ人は、神の箱をガトに移し、更ににエクロンと移しました。

  6章:ぺリシテ人の地には7ヶ月置かれた後、神の箱は、イスラエル人の地、ベト・シュメシュに送り返されました。ところが主の箱の中をのぞいたベト・シュメシュの人々が災いに襲われたので、キルヤト・エアリムの人々に引き取ってもらうことにしたのです。

  7章:キルヤト・エアリムは、古いカナン人の町て聖所とされていた地だったからと思われます。「契約の箱」が戻ってもなお、イスラエルの民は堕落し、信仰を失ったままでした。それ以来、二十年間も神の箱は放置されました。ぺリシテによる支配に耐えかねて、イスラエルの家はこぞって主を慕い求めました。

   サムエルはイスラエル全国民に言いました。「心から神様のもとに帰りたいのなら、外国の神々やアシュタロテの偶像を取り除きなさい。神様お一人に従う決心をしなさい。そうすれば、ペリシテ人の手から救い出していただけます。」そこで人々は、バアルやアシュタロテの偶像を取りこわし、神様だけを礼拝するようになりました。

   それを見て、サムエルは命じました。「全員、ミツパに集合せよ。あなたがたのために神様に祈ろう。」 人々はミツパに集結し、井戸からくんだ水を神様の前で注ぐという、一大儀式を執り行ないました。また、自らの罪を悔いて、まる一日断食しました。こうして、サムエルはミツパで、イスラエルを治めたのです。サムエルはイスラエルを統一する王が誕生する前の最後の士師でした。彼はまた、最初の預言者として神の言葉を民に伝え,イスラエルを統治しました。

  ペリシテ人の指導者たちは、ミツパにイスラエルの大群衆が集結したことを知り、兵を動員して攻め寄せてきました。ペリシテ軍が近づいて来たと聞いて、イスラエル人は恐れおののきました。「どうぞ、お救いくださるよう、神様に願ってください。」とサムエルに嘆願しました。

   そこでサムエルは、子羊一頭を取り、完全に焼き尽くすいけにえとして神様にささげ、イスラエルを助けてくださるよう祈りました。祈りは答えられました。ちょうどサムエルがいけにえをささげていた時、ペリシテ人が攻めて来ました。ところが神様は、天から大きな雷鳴をとどろかせ、彼らを大混乱に陥らせてくださったのです。敵はたちまち総くずれになりました。イスラエル人は、ミツパからベテ・カルまで追い打ちをかけ、完全に敵を滅ぼしました。この時サムエルは、一つの石をミツパとシェンの間にすえ、「エベン<石>・エゼル<助けの>」と名づけました。「助けの石」という意味です。彼が、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言ったからです。

   こうしてペリシテ人は制圧され、サムエルが生きている間、二度とイスラエルを襲撃しませんでした。神様がペリシテ人を見張っておられたからです。ペリシテ人に占領された、エクロンからガテに至るイスラエルの町々は、イスラエル軍が奪い返しました。

  サムエルは生涯を通して、イスラエルを統治しました。毎年、サムエルは、ベテル、ギルガル、ミツパと回わりました。それから生家のあるラマへ戻り、そこでも種々の訴えを聞き、解決しました。ラマに神様のために祭壇を築きました。

   エベン・エゼルは、イスラエルの民がぺリシテ軍に対して陣を敷いたときの野営地でした(4:1)。そこは敗北の地でした。その場所は、海岸平野とエフライム山地の境目付近と思われます。

   サムエルがペリシテに勝利して、石を取って、エベン・エゼルと名付けた地はミツパに近い内陸部でした。二つの場所は別々のようです。どちらの場所も正確な位置は不明です。どちらもぺリシテ人と戦ったところです。

   4章では、イスラエルが神の箱の呪術的な力に頼り、それを自分たちの都合のために役立てようとして、かえって敵を鼓舞することになり、大敗北を喫しました。十戒の石の板を収めたとされる「神の箱」は、神の現臨の象徴であり、戦いにおける加護と勝利を与えてくれるものと考えたのですが、しかしイスラエル人の期待と予想に反し、敗北し、神の箱は奪われました。

  これに対して、7章の10節以下では、イスラエルは、神への悔い改めと、預言者サムエルの執り成しの祈りによって大勝利を与えられています。主が守ってくださったことによって勝利したのです。サムエルは、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言っています。「主の助けのお蔭で勝利できた。」今、我々は主に助けられて生きている、と感謝したのです。「今まで」ということは、「これからも」もという、主に対する信頼が含まれています。

  聖歌273番の2節の歌詞で、「神より離れて、迷いし我を、イェス君、見出し給いし日より、恵みにもれたる時はなかりき。いざうちたてまし、エベネゼル(=エベン・エゼル)をば。」と歌っています。エベネゼルはラテン語訳のことばが、さらに英語訳の言葉になったようです。

  讃美歌21の464番「ほめたたえよう」の1節では、「ほめたたえよう、主のみめぐみ。今日まで旅路を、主は守られた」と歌っています。

  私は、私も、家族も、教会の方々も、「今まで」、これまでずっと、健康においても、経済的にも、精神的にも、すべての面で、主に助けられてきたことを覚えざるを得ません。主の十字架の贖いにより、罪赦され、主の愛を受けて生かされていることは感謝です。

  主は我々を助け、救ってくださった方であり、これからも助けてくださる方であることを覚え、心に「エベン・エゼル(助けの石)」なるキリストを迎え、主に感謝し、「世界の民よ、たたえうたおう。『あがないの主に、み栄えあれ』と。」、と賛美しようではありませんか。

 

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「デリラを愛したサムソンの悲劇」 士師記16章15-31節

2014-03-09 21:04:18 | 礼拝説教

                  ↑ 聖書大百科(創元社)の地図を転載

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者

  たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わた

  したちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

受難節節第一主日       2014年3月9日(日)      5時~5時50分 

礼    拝  

              司会 永井 慎一兄

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

交読詩編   84(神よ沈黙しないでください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  士師記16章15-31節

説 教 「デリラを愛したサムソンの悲劇」辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  518(主にありてぞ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 3月16日(日)午後5時~5時50分

 説教 「預言者サムエル」

 聖書 サムエル記上7章1~17節

 交読詩篇 107  讃美歌404 529  24

本日の聖書 士師記16章15-31節

  15デリラは彼に言った。「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたはわたしを侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった。」 16来る日も来る日も彼女がこう言ってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、 17ついに心の中を一切打ち明けた。「わたしは母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」

   18デリラは、彼が心の中を一切打ち明けたことを見て取り、ペリシテ人の領主たちに使いをやり、「上って来てください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました」と言わせた。ペリシテ人の領主たちは銀を携えて彼女のところに来た。 19彼女は膝を枕にサムソンを眠らせ、人を呼んで、彼の髪の毛七房をそらせた。彼女はこうして彼を抑え始め、彼の力は抜けた。 20彼女が、「サムソン、ペリシテ人があなたに」と言うと、サムソンは眠りから覚め、「いつものように出て行って暴れて来る」と言ったが、主が彼を離れられたことには気づいていなかった。 21ペリシテ人は彼を捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた。 22しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた。

   23ペリシテ人の領主たちは集まって、彼らの神ダゴンに盛大ないけにえをささげ、喜び祝って言った。「我々の神は敵サムソンを我々の手に渡してくださった。」

   24その民もまたサムソンを見て、彼らの神をたたえて言った。「わが国を荒らし、数多くの同胞を殺した敵を我々の神は、我々の手に渡してくださった。」

25彼らは上機嫌になり、「サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう」と言い出した。こうしてサムソンは牢屋から呼び出され、笑いものにされた。柱の間に立たされたとき、 26サムソンは彼の手をつかんでいた若者に、「わたしを引いて、この建物を支えている柱に触らせてくれ。寄りかかりたい」と頼んだ。 27建物の中は男女でいっぱいであり、ペリシテの領主たちも皆、これに加わっていた。屋上にも三千人もの男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。 28サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」

    29それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。 30そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。 31彼の兄弟たち、家族の者たちが皆、下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬った。彼は二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。

本日の説教 

   士師記の12人の最後の士師はサムソンです。サムソンについては、13章から16章まで、士師たちの中で最も長い紙面がさかれています。サムソンは映画では「サムソンとデリラ」、音楽ではサン・サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」、絵画ではレンブラントの作品があります。旅行用のスーツケースで世界的に有名なメーカーの「サムソナイト」は、「サムソンのような」という意味で、怪力の持ち主サムソンにあやかって<丈夫で、頑丈>なカバンを売り物としています。このように、士師サムソンは良く知られている人気のある豪傑です。

   【13章】サムソンが士師として出現するのは、イスラエルの人々が、ぺリシテ人の支配に四十年間も苦しめられているときでした。     

   [ペリシテ人は、イスラエル人のカナン侵入とほぼ同じ年代、紀元前13世紀頃、古代カナンの南部の地中海沿岸部に侵入した海洋民族で、高度の鉄器文明をもった民族でした。ガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロンの5つの都市を築き、その地域は「フィリスティア(ペリシテ人の地)」と呼ばれました。これは後に「パレスチナ」と呼ばれる名称の由来になりました。ぺリシテ人は、士師時代の後期からサウルの時代に至るまで、イスラエルの最大の強敵となったのです。]


 神はイスラエルがいつまでも苦しむのを放っておかれませんでした。ある日、ダン部族に属し、ツォルハ出身の男マノアの妻に、主の御使いが現れ、彼女は不妊でしたが、男の子が生まれることを告げました。[ツォルハは、ダン部族に割り当てられた町でしたが、ダン部族はこの地域には定着できず、北部、ガリラヤ湖の更に北に、ダンの町を作り移住しました。それ以来ツォルハはユダ部族の地となりました。サムソンの父マノアは、ツォルハに留まったダン部族の一氏族であったと思われる。(士師記18:11)]

  御使いはマノアの妻に対し、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられていることを告げ、子供が生まれるまで葡萄酒や汚れたものを食べず、生まれてくる子供の髪を剃らないように命じました。その子は、ぺリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者になることを明らかにしました。

   ナジル人というのは、「主のものとして聖別された者(民数6:2)」という意味です。1)ナジル人は酒を飲まない、2)汚れた物を食べず、死体にふれない、3)頭にかみそりを当てない、という三つの禁令がありました。サムソンは終身のナジル人として定められた人でした。
 主の使いの預言が成就し、マノアの妻は男の子を産みました。男の子は、サムソン(「太陽の子」の意)と名付けられました。夫婦はサムソンを命じられた通り髪を剃らずに育てました。サムソンは神の使命を果たすべく特別な祝福を受けて成長しました。

   主の霊が彼を奮い立たせ、霊的覚醒を与えたのは、彼がツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンにいたときのことでした。

   【14章】サムソンはティムナに下っていったとき、ペリシテ人の娘を見初め、親の反対を押し切って、求婚する為にその村へ向かいました。その途中、猛り狂う獅子が現れてサムソンを襲いました。しかしサムソンはその獅子を素手でたやすく引き裂いてしまいました。しばらくしてから、その場所へ行ってみると、裂かれた獅子の死骸に蜜蜂が群がり、蜂蜜が流れ出ていました。サムソンは蜜を集めて食べ、残りを持ち帰って両親にも与えました。
    サムソンは再びペリシテ人の村を訪れ、その娘との婚礼の宴を設けました。そして三十人の客人に一つの謎を出し、七日の宴の間に解く事が出来たら、客人全てに晴れ着を振る舞うと約束しました。そしてもし解けなかったならば、自分に三十の晴れ着を与えるように告げたのです。サムソンは「食べるものから食べ物が出た。強きものから甘いものが出た」という謎を出しました。
    客人たちは謎を解く事が出来ず、七日目になって、花婿から答えを聞き出すように花嫁に迫りました。さもないと、火を放って家族もろとも焼き殺してやる、とおどしたのです。            サムソンの妻は夫に謎の意味を自分に明かすように、泣きすがってしつこくせがんだので、サムソンはとうとう答えを明かしてしまいました。七日目に客人たちは「蜂蜜より甘いものは何か、獅子より強いものは何か。」と言って、「答えは蜂蜜と獅子だ」と答える事が出来ました。そのとき、主の霊が激しくサムソンに降り、力を受けたサムソンはアシュケロンの町へ向かい、そこでペリシテ人三十人を殺して着物を奪い、謎を解いた人々にそれを与えたました。

  彼は,妻からなぞの答えを聞き出した客人と,答えを教えた妻に怒って、父の家へ帰っていったので、花嫁の父親は結婚が破談になったと思い、娘を客人の一人に嫁がせてしまいました。

   【15章】しばらくして、サムソンは花嫁の家を訪れたが、彼女は他のぺリシテ人の妻となっていたことを怒り、その腹癒せに、三百匹のジャッカル(アカギツネ)を捕え、尾と尾を結び、二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付け、ペリシテ人等の畑へ放って、収穫前の畑を焼き払いました。                                                するとペリシテ人等はその報復として、花嫁とその父を、家に火を放って焼き殺しました。サムソンはその報復に大勢のペリシテ人を殺し、エタムの岩の避け目に住みました。
  ペリシテ人はサムソンを追ってユダに攻め上ってきて、レヒ(国境)に陣を敷き、ユダの人々にサムソンを縛って、引き渡すように命じました。ユダの人々はこれに応じ、サムソンを縛って連行しました。しかし縛られたサムソンは主によって縄を解かれ、ロバの顎の骨を武器として千人のペリシテ人を打ち殺しました。
   サムソンは非常に喉が渇いていたので、主に祈りました。「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました。しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうで、無割礼の者たちの手に落ちようとしています。」すると主はレヒのくぼ地を割り、そこより水が流れ出てサムソンの命を救いました。

   【16章】サムソンはガザに行き、一人の遊女のところに入りました。ガザの人々は、「サムソンが来た」との知らせを受けると、一晩中町の門で待ち伏せし、彼を殺そうとしました。サムソンは夜中に起き、町の門のとびらと二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、地中海沿岸の町ガザから、標高927メートルにあるヘブロンを望む山の上に、肩にかついで運びました。

  その後、サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになりました。するとペリシテ人の領主たちはデリラの家を訪れ、サムソンの弱点を聞き出したならば一人一人が、千百枚の銀を与えると約束しました。デリラは秘密を聞き出そうと試みたが、サムソンは真実を話そうとしませんでした。愛するデリラに激しく責められ、女性に弱いサムソンは、「ナジル人の印である長髪を剃り落されたなら、怪力は失われ、並みの人とおなじになる」と打ち明けました。
   やがてデリラの膝の上でサムソンが眠ってしまうと、彼女は聞き出した通りに、人を呼んでその髪を剃り落としました。するとサムソンはその怪力を失い、ペリシテ人に易々と捕えられてしまったのです。彼らはサムソンの両目を抉り、青銅の足枷を付けてガザの獄舎に繋ぎました。そこでサムソンは石臼を回させられたが、やがて剃られた髪が再び生え始め、その力も次第に戻り始めました。
  ペリシテ人の領主たちは集まって、ダゴン神に盛大ないけにえをささげ、サムソンを捕えたことを喜び祝いました。ダゴン神は、ぺリシテの主神で、穀物の神です。バアルの父とも言われている神です。

  サムソンを見せ物にして楽しもうと、二階席だけでも、三千人の集う建物の中へと彼を呼び出し、笑いものにしました。しかしそこでサムソンが主に祈りました。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ぺリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」その怪力は再び戻りました。「わたしの命はぺリシテ人と共に絶えればよい。」と言って、彼は屋根を支える二本の柱を倒し、建物の内外に居た者らを道連れにして死にました。その際にサムソンが殺した人間の数は、それまでに殺した人数よりも多かったのです。

  彼の兄弟たち、家族の者たちが彼の遺体を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬りました。彼は二十年間、士師としてイスラエルを治めました。

  サムソンは生涯ナジル人として聖別された人でした。彼はペリシテ人の攻撃や支配からイスラエルを救う士師として神に選ばれた人でした。主はサムソンを祝福され、ぺリシテを撃つために、特別な力を与えられました。しかし、サムソンはナジル人としての三つの禁止事項を守ったでしょうか。

1.ぶどうの実から出来たのものを一切口にいれてはいけない。「ぶどう酒や強い飲み物を飲んではならない」という禁止については、ティムナの女と結婚するとき、ペリシテの若者の習慣に従い、三十人の客を招き、七日間の宴会を催しています。酒宴だったと思われます。 2.汚れたものや、死体には触れてはいけない、という禁止に関しては、彼を襲った獅子を殺したあと、後日屍に見ようと近づき、獅子の屍骸にむらがる蜜蜂の蜜をかき集め、食べて、禁を犯しています。                                               3.髪の毛を剃ってはいけない、という決まりについては、愛人デボラのしつこい求めに屈して、ナジル人との髪の毛の秘密を洩らし、彼の髪の毛七房をそらせてしまっています。

 サムソンはナジル人としての三つの禁止事項をことごとく破っているのです。サムソンはぺリシテ人の女性を愛したことが、災いを招くことになりました。彼は女性の甘言に弱く、大切な秘密を洩らしたことが、大きな悲劇を生みました。サムソンは信仰の人としてのつつしみのない、乱暴狼藉の怪力をふるった、奔放な情欲の人という印象を与えています。果たしてこのようなサムソンが士師としての資格があるのでしょうか。

  サムソンの人生は、神の選びには似つかわしくないものでしたが、そのようなサムソンを神は士師としてお用いになりました。サムソンの使命は具体的には、敵国ペリシテの人々を可能な限り大勢殺すことでした。それが、生まれる前から、神に託された彼の使命でした。サムソンは、イスラエルの霊的な暗黒時代に一人主からの使命を自覚し、孤軍奮闘して敵と戦い続け、自分の愚かさと罪のためにナジル人としての怪力と両目を失いましたが、ついに自分のいのちと引き換えにペリシテの領主たちと多数の民を殺し、自分の使命を果たしました。その働きによって、イスラエルに優れた指導者サムエルやダビデ王の出現のための下地を造り、その道を開きました。このように、サムソンの罪と弱さがあるにも関わらず、神はサムソンをイスラエルの強敵ペリシテに対して大きな力を発揮した古代イスラエルの英雄としたのです。彼は二十年間、士師としてイスラエルの危機を救いました。

                           サムソンの髪を剃り落す人を呼ぶデリラ

                   レンブラント『サムソンとデリラ』1628年ごろ

 

                         

                     レンブラント『目をえぐられるサムソン』1636年ごろ

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