週 報
受難節節第四主日 2014年3月30日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 300(十字架のもとに)
交読詩編 121(目を上げて、わたしは山々を仰ぐ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 サムエル記上15章10~23節
説 教 「神はサウルを王位から退ける」辺見宗邦牧師
祈 祷
賛美歌(21) 521(とらえたまえ、われらを)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
本日の聖書 サムエル記上15章10-23節
1サムエルはサウルに言った。「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。 2万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。 3行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」
4サウルは兵士を召集した。テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった。 5サウルはアマレクの町まで来ると、兵を川岸にとどめた。 6サウルはカイン人に言った。「あなたたちはアマレク人のもとを立ち退き、避難してください。イスラエルの人々がエジプトから上って来たとき、親切にしてくださったあなたたちを、アマレク人の巻き添えにしたくありません。」カイン人はアマレク人のもとを立ち退いた。
7サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。 8アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。 9しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。
10主の言葉がサムエルに臨んだ。 11「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない。」サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ。 12朝早く、サムエルが起きて、サウルに会おうとすると、「サウルはカルメルに行って自分のために戦勝碑を建て、そこからギルガルに向かって下った」との知らせが届いた。 13サムエルがサウルのもとに行くと、サウルは彼に言った。「主の御祝福があなたにありますように。わたしは主の御命令を果たしました。」 14サムエルは言った。「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしの聞くこの牛の声は何なのか。」 15サウルは答えた。「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。ほかのものは滅ぼし尽くしました。」 16サムエルはサウルに言った。「やめなさい。あなたに言わねばならないことがある。昨夜、主がわたしに語られたことだ。」サウルは言った。「お話しください。」
17サムエルは言った。「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。 18主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。 19何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。」 20サウルはサムエルに答えた。「わたしは主の御声に聞き従いました。主の御命令どおりに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ましたし、アマレクも滅ぼし尽くしました。 21兵士が、ギルガルであなたの神、主への供え物にしようと、滅ぼし尽くすべき物のうち、最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです。」 22サムエルは言った。
「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。 23反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」
本日の説教
イスラエルのサウル王については、サムエル記上9章から31章までに記されています。サウル王の即位は、紀元前1020年頃と推定されています。
サウルは、ベニヤミン族に属する勇敢なキシュの息子で、「美しい若者で、彼の美しさには及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高い」人でした(9:2)。彼の家はギブアにありました(10:26)。
預言者サムエルから、「全イスラエルの期待はあなたにかかっています」と言われたとき、サウルは「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンでも最少の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか」と答えています。彼は初めの頃は謙虚な控え目な人でした。サウルはサムエルによって頭に油を注がれ、ミツパに集めらえたイスラエルの民の前で、イスラエルの王として選ばれました(10章17-24)。サウルはアンモン人からギレアドのヤベシュの町を救いました。サウルは彼の悪口を言う者へも寛大でした(11:13)。
預言者サムエルは、ギルガルでサウルを王とする即位の式を執行しました(11:14)。
サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となりました。二年たったときのこと、サウルの息子ヨナタンがゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破りました。ぺリシテ軍は反撃のためにミクマスに陣を敷きました。イスラエルの人々は危険が迫っているのを見て、おののきました。
サウルは、サムエルに命じられたように、七日間待ったが、サムエルがギルガルに来ませんでした。兵はサウルのもとから散り始めました。サウルは兵士をつなぎとめようとして、サムエルを待つことが出来ず、神の祝福を得るために自分でいけにえの儀式を行いました。そのの直後、サムエルが到着しました。サウルのしたことは、彼に許されていないことであり、人間的な手段で兵士をつなぎとめようとしたのです。サムエルはこれを神の戒めを守らない行為として強く非難し、あなたの王権は続かないと宣告しました(13:14)。
その後、サウルはアマレク人と戦うように、サムエルに告げられました。サムエルはサウルに告げました。
「主はわたしを遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主が語られる御言葉を聞きなさい。 万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。 行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」
サウルは主からアマレクを滅ぼし尽くすようにと命じられたのです。イスラエルの民がエジプトから出て、シナイ半島の荒れ野を旅を始めたとき、アマレク人はイスラエルを襲い(出エジプト記17:8-15)、略奪をしたのです。申命記25章17-19節で、モーセは次のように言い残しています。
「あなたたちがエジプトを出たとき、旅路でアマレクがしたことを思い起こしなさい。 25:18彼は道であなたと出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたのしんがりにいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏れることがなかった。 25:19あなたの神、主があなたに嗣業の土地として得させるために与えられる土地で、あなたの神、主が周囲のすべての敵からあなたを守って安らぎを与えられるとき、忘れずに、アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない。」
「絶滅させよ」という命令は、残酷な命令です。現代の戦争においては赦されない人道上の違法行為です。旧約聖書の神の命ずる「絶滅命令」を「聖絶」と呼んでいますが、古代世界において、しばしば自民族の敵は同時に神の敵とみなされ、これを絶滅させることが宗教的な義務と考えられたのです。旧約聖書には、聖絶の対象となるのは、カナンの地の先住民に限られていました(申命記16-17)。これは、イスラエルの民が忌まわしい先住民の慣習に染まらないようにするための命令でした。「それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちの教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである(申命記20:18)」とあります。
サウルは兵士を招集し、「ハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討ち」ました(15:7)。
しかし、「アマレクの王アガグを生け捕りにし」、サウルと兵士は、「アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くし」ました。
サウルは主から命令として、はっきりとアマレクを滅ぼし尽くすことになっているのを聞いていたにも関わらず、主の命令を果たしませんでした。彼らは自分たちが滅ぼしたいものは滅ぼしましたが、自分たちが滅ぼしたくないものは保管しておきました。これは従順ではありません。
「主が課せられた務めをおろそかにする者は呪われよ。主の剣をとどめて流血を避ける者は呪われよ。( エレミヤ書48:10)」とあります。
神はサムエルに「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」(15:11)と言って嘆きました。
サムエルはサウルに会って、神の御意志を伝えようとしましたが、サウルはカルメル(ユダの地にある)に行って自分のために戦勝碑を建て、そこからギルガルに向かっていました。サウルは敵に打ち勝ったことを自分の手柄として、その偉業を残したかったのです。
サムエルがサウルのもとへ行くと、サウルは彼に、「わたしは主の御命令を果たしました」と報告したのです。
サムエルが、「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしの聞くこの牛の声は何なのか」と問うと、サウルは答えました。
「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。ほかのものは滅ぼし尽くしました。」
イスラエルの兵士たちは、主への供え物にするためという名目をつけて最上の物を残しておいたのですが、本当は、滅ぼし尽くすのが惜しかったのです。
サムエル言いました。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」
サウルは自分の罪を認め、「わたしは罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従った」のです(15:24)。」と言っています。彼が失うのを恐れたのは神との関係ではなく、人々からの評価であり、人々からの尊敬でした。
サウルは更にサムエルに「わたしと一緒の帰って下さい」と同行することを求めました。その理由は、「民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します」とサムエルの上着が裂けるほど、すがりつき懇願したのです。ここにも人々からの前で自分をとりつくろうとする哀れなサウルの姿があります。主を礼拝することを、
自分の願いをきいてくれたらするという、あさましい条件にしています。神はもうサウルの神ではなく、「あなたの神」とまで言っています。
その後、「主の霊」がサウルから離れたので、彼はしだいに精神的にも肉体的にもおとろえていった。やがて悪霊に悩まされるようになって、悲惨な最期をとげるのである。それは彼の人間的な弱さと神への不従順によるものであった。
私たちも、サウル王のようなあやまちを、他山の石とせず、気を付けなければなりません。私たちは人に気に入られようとしているのでしょうか。それとも、神に気に入られようとしえいるのでしょうか。「何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」(ガラテヤ1:10)という御言葉が響いてきます。人間の誉れを求めなかったパウロをお手本としたいものです(テサロニケ一、1:6)。