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日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報
年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』
聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)
降誕節第1主日(年末礼拝)2017年12月31日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 464(ほめたたえよう)
交読詩編 72(神よ、あなたによる裁きを、王に)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書(新共同訳) マタイよる福音書2章1~12節(新p.2)
説 教 「東方の学者たちの来訪」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌 258(まきびとひつじを)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 1月7日(日)午後5時~5時50分
聖書 ルカによる福音書2章41~52節
説教題 「少年イエスのエルサレム訪問」
讃美歌(21)368 507 24 交読詩編89篇
本日の聖書
1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
本日の説教
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれました。ヘロデ大王は、紀元前40年に、ローマの元老院に承認されてパレスチナの王に任命されました。王にされたのは、彼がローマとオクタヴィアヌスに奉仕しとことに対する報いによるものでした。彼はローマの傀儡であり、ユダヤの南に隣接するイドマヤ出身で、生粋のユダヤ人ではありません。実際の彼の統治は紀元前37年に始まり、紀元前4年の死をもって終わりました。
オクタヴィアヌスの治世は、ローマの共和制時代(紀元前44年/42年)から始まり、アウグストゥスの称号を受け、ローマ帝国最初の皇帝としては紀元前27年から紀元後14年まで君臨しました。ルカによる福音書2章には、皇帝アウグストゥスが全領土の住民に対して住民登録の勅令を出したことのより、ヨセフとマリアがベツレヘムに行くことになったことが記されています。
イエスの誕生した年は、現在の研究では、ヘロデ王が死ぬ紀元前4年頃には生まれていたとされています。紀元前6年~7年頃とする説もあります。
そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言いました。
<占星術の学者たち>とは、本来ペルシアの祭司階級に属する人達です。それもたぶんゾロアスター教の学者たちと思われます。彼らは、天文学、薬学、占星術、魔術、夢解釈をよくし、人の運命や世の動きについて神意を伝える人たちでした。<東の方>とは、おそらくペルシア(イラク)かアラビア(サウジアラビア)と思われます。
この学者たちが、はるばるメシアを求めてやってきました。メシア待望が、アッシリアやバビロニア(イラク)によって国外に散らされたユダヤ人やユダヤ教への改宗者を通じて、東の国々に伝わり、ユダヤ人でない者にとっても、ユダヤの地からメシアが登場することが期待されていたと思われます。異邦人である外国人が、イエスの誕生に登場し、イエスを礼拝するのは、神の国が今やユダヤ人以外の異邦人に与えられることを伝えています。後にイエスは、「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」と言っています(マタイ21・43)。
<ユダヤ人の王として生まれた方>のことを聞いて、ヘロデ王は不安を抱きました。王としての自分の権威の失墜を意味したからです。ヘロデは晩年には、ことに猜疑心が強くなっていたため、王権維持のために、あらゆるヘロデに反対する動きには徹底的な弾圧を加え、身内の者達をも殺害しました。メシア誕生の知らせに、エルサレムの民衆もうろたえました。エレサレムの群衆は、ピラトの裁判の時も、イエスを「十字架につけろ」と叫んだ人々でした(マタイ27・22)。
王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただしました。。<祭司長たち>とは、大祭司一門に属する者達で、神殿の職務をする高級祭司や神殿財務担当祭司などを指すと思われます。また<律法学者>は、律法の書である旧約聖書の学問的研究に専念し、その解釈と教育に当たった平信徒の職業的な学者です。彼らの聖書解釈は民衆の生活を律していました。律法学者の上級の者は最高法院のメンバーでした。ユダヤ教の首脳部であるこの二つのグループは、メシア誕生の地は、「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』(ミカ書5・1、サムエル記下5・2)」と言いました。彼らは聖書を正しく解釈し、メシアの誕生の場所まで知りながら、メシアを迎えようとはしませんでした。
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめました。その時期を知ることのよって、その子の年齢を割り出そうとしたのです。ヘロデは、メシア誕生の地は、ユダヤのベツレヘムであることを伝え、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言って、ベツレヘムへ送り出しました。イエス抹殺の意志は、この時すでに明らかでした。
東方の学者たちが王の言葉を聞き、聖書の預言を知って出かけると、再び東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まりました。学者たちはその星を見て喜びにあふれました。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられました。ヨセフの名が記されていないのは、聖霊によって妊娠した処女マリアの特別な位置を示唆しています。
彼らはひれ伏して幼子をひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。「シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄光が宣べ伝えられる」(イザヤ書60・6)という預言のことばがここに響いています。黄金は王にふさわし贈り物です。乳香はアラビア、インド、ソマリアに成育する香木であり、没薬はアラビア、エチオピア、スーダンに成育するミルラ樹の樹液です。どちらも、宗教儀式で用いられ、没薬は薬品としても用いられ、当時は非常に高価な輸入品でした。現在はカイロの市場などで手軽に求められます。
今日の聖書の箇所は、<ユダヤ人の王>としてのイエスをめぐって二つの人物群が全く反対の態度をとったことが語られています。外国の学者たちは、遠路はるばるイエスを訪ねて来て、彼を礼拝しました。他方ユダヤ王ヘロデは、新しい王の誕生を聞いて、その幼児を抹殺することを企てるのです。また、祭司長たちや律法学者たちは、メシア誕生の地を知りながら、世に誕生したメシアを迎えようとはしませんでした。エルサレムの住民も同様でした。救い主イエスの誕生をめぐってのこの二つの態度は、一人一人の人間の心に中にもあります。神の御子の主権の前にひれ伏して拝するか、それても、自分の主権を守ることを完全にはやめようとはしないのか、の二つの相反する心があります。
クリスマス・シーズンは、十二月二十五日のクリスマスの一週間後に当たる新年の元旦の「キリストの割礼日(ルカ2・22以下)」を経て、一月六日の公現日まで、十二日間続きます。降誕節の最後にくるのが「公現日」「栄光祭」と呼ばれる日です。外国人であり、異教徒であった東方の国の学者たちが、世界の救い主の出現をたずねてベツレヘムに到着し、ついに幼児イエスに出会ったというマタイ福音書の記事を主題として礼拝を守る日です。キリストの出現は、イエスの誕生にとどまらず、真理の光が現され、それが世界の隅々にまで実現していく出発点になりました。主の栄光が特定の人々にではなく、公に現された日です。
「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。」このイザヤ書60章1節の預言が現実のものとなりました。クリスマス・シーズンは、御子の降誕を感謝し、祝うと共に、再び来たりたもう御子の再臨を待ち望むときでもあります。
この一年間、御子の十字架と復活によって、救いを与えられ、守られ、導かれて過ごすことが出来たことを感謝し、新たに恵みの年を迎えてたいと思います。多くの人々が、わたしたちに対する神の大きな愛を知り、救いにあずかって、幸せな人生を送ることができるように祈りたいと思います。