富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「世に打ち勝つ信仰」 ヨハネの手紙一、5章1~5節

2016-07-29 23:11:47 | キリスト教

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380                                                                                FAX:022-358-1403 

日本キリスト教 富 谷 教 会

週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

 聖霊降臨節第12主日    2016年7月31日(日)    午後5時~5時50分

礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 358(子羊をば、ほめたたえよ)

交読詩編      5 7(憐れんでください)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ヨハネの手紙一、5章1~5節(新p.446)

説  教    「世に打ち勝つ信仰」    辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 449(千歳の岩よ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

                                            次週礼拝 8月7日(日) 午後5時~5時

                                             聖書  コリントの信徒への手紙一、2章11~3章9節

                                             説教   「神からの真理」

                                             讃美歌(21)561 403 24 交読詩編15篇

本日の聖書 ヨハネの手紙一、5章1~5節

1イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。2このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。3神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。4神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。

  本日の説教

     ヨハネによる福音書とヨハネの手紙は、用いられている用語や表現などが極めて似ているところから、同じ教会(仮に「ヨハネの教会」と呼んでいる)の中で成立したと考えられています。ヨハネによる福音書は、イエスの十二弟子の一人のヨハネの権威の下に、ユダヤ教の会堂の人達に対してキリスト教の信じる神の独り子イエス・キリストを明らかにするために、紀元80年から後半から90年頃にかけて書かれました。一方、ヨハネの手紙(一、二、三)は、この教会で信仰理解について分裂が起こり、結果的に脱落者が教会を離れてしまうという状況がありました。この教会の指導的位置にあったユダヤ人キリスト者の長老が、真の信仰を土台に教会を再建するため、紀元100年前後に書いた勧告や手紙です。

 ヨハネの手紙一は手紙というより勧告であり説教のようなものとして書かれています。ヨハネの手紙二、三は、長老が個人に宛てて書いた短い手紙です。

 今日の聖書の箇所は、正しい信仰告白に基づいてイエスをキリストと信じる人が、神に属し、神の掟を守り、世がいかに強大な悪魔的支配力をもっていても必ずこれに打ち勝つ、これを信じるのが教会の信仰だと主張しています。

 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。」(1節)

 イエス・キリストによる罪の贖いを信じ、罪を赦された人は皆、もう一度神の子とされた人たちです。この主イエスをキリストと信じる信仰は、聖霊を注がれることによって私共に与えられました。ですから、イエスを救い主、キリストと信じる私たちは皆、神様によって新しく誕生した者なのです。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一12章3節で「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」と告げている通りです。

    親を愛する人は、その親の子も愛すように、神を愛する者は、神によって生命を授けられた者同士、家族のように愛し合います。愛である神様によって生まれた者にも,愛が備わっているのです。私たちは、御言葉によって育まれ、成長していくなかで、いよいよ神様を愛し、兄弟姉妹を愛する者となっていくのです。

  「このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。」(2節)

 「神の掟」とは、3章23節で言われているように、互いに愛し合うことです。これは主イエスが最も重要な掟として語られた二つの掟のうちの第二の掟です。イエス様は次のように言われました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコによる福音書12章29~31節)。神様を愛すること、そして隣人を愛すること、これが守らなければならない掟なのです。

 「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。」(3節)

  神を愛していれば神の意志に従い、神の言を喜んで守るはずです。旧約聖書の十戒も神とイスラエルとの人格的な愛が基盤にあった律法でした。その基盤が忘れられ、失われた故に、古い契約では救いが与えられませんでした。新しい契約が必要になりましたが、今や、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪を赦され、改めて新しい神の愛が人間に示され、これを信じ受け入れた人々の間に新しい愛の関係が成立しました。これがヨハネの教会が重視したイエス・キリストにおける神と教会との交わりです。お互いイエス・キリストによって罪を赦された喜びをもって、互いに分かちあい、そこに原動力を得て、信仰を告白し、愛し合うことは難しくないはずだ、と言うのです。私たちに信仰を与えてくださった聖霊が成長させてくださることを信じ、徹底して委ねていくときに、いよいよ愛する者へと変えてくださるのです。聖霊は私共を必ず愛において成長させてくださるのです。聖霊により神がそうさせてくださるので、人間にとって難しいものではなくなるのです。

  「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(4節)

    ヨハネによる手紙では<世>とは、神に背き、神に敵対する霊的な力が支配する闇と死の領域です。その闇の支配から救い出されて光と命の領域に移ることが救いです。そして、その「世から救い出される」ことを、ここでは積極的に「世に打ち勝つ」と表現します。世には、神からのもの(神の霊)とは相反する肉の欲が支配します(1・10)。<肉の欲>とは、自己中心の生まれながらの人間本性が欲求するものです。敵意、争い、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、等が世を支配します(ガラテヤ5・19~21)。それに反し、神の霊は、愛、喜び、平和、寛容、柔和、節制、等を与えます。
 人間は、自分の力と努力で世に打ち勝つことはできません。悪魔の支配、罪と死の支配に侵されている世に打ち勝たれたのは、十字架に死んで復活された主イエス・キリストであり、御子を遣わされた神ですが、そのイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは世に打ち勝つことができるのです。私たちは、神が御子を通して与えてくださるる聖霊との交わりの中に生きることで、必ず世の悪しき力、悪しき誘惑に勝利するのです。しばしば誘惑に負けてしまうことがあっても、そのたびに悔い改め、新しくされるのです。私共が世に打ち勝つ勝利は、既に神様の永遠の御計画の中で定められているのです。この信仰をもつことによって、この世のただ中にあって、なお勝利を確信して立つのです。

だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(5節)

    信仰に立つ者の確信が述べられています。おそらくイエスのメシア性を否定する者たち、御父と御子を認めない異端の立場に対立して語られている言葉と推定されます。主イエスは言われました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章33節)イエス様御自身は既に世に勝っていると、宣言されています。この主イエスの勝利に与る者がキリスト者なのです。

   世にはいろいろな苦難があります。病気、災難、経済的な問題、不和、家族や職場などの人間関係の問題等、いろいろあります。多くの人々が深刻な問題をかかえて苦しんでいます。少しの悩みも苦しみもない人は一人もいません。世の苦難や重荷に打ち勝って、征服させる力は信仰者の心構えや精神力や精進の力ではなく、<神から生まれた者>です。もしその人が神を信じ、神から命を受けて生まれているならば、その人の中に込められた神の力が勝利させずにはおかないのです。イエス・キリストを、神の子、救い主と信じる私たちは既に世に勝っています。キリストを信じ愛に生きる信仰が世に打ち勝つのです。聖霊の力を受けて、あらゆる世の苦難や誘惑と戦うのが信仰者の歩みです。恐れる必要はありません。私たちの主は既に世に勝っています。

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「主の晩餐とは」 コリントの信徒への手紙一、11章23~39節

2016-07-21 10:35:11 | キリスト教

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                                 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

日本キリスト教 富 谷 教 会

週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

   聖霊降臨節第11主日    2016年7月24日(日) 午後5時~5時50分

礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21)  77(パンくずさえ拾うにも)

交読詩編   84(万軍の主よ、あなたのいますところは)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書 コリントの信徒への手紙一、11章23~39節(新p.314)

説  教     「主の晩餐とは」       辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21)  81(主の食卓を囲み)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

                次週礼拝 7月31日(日) 午後5時~5時

                聖書  ヨハネの手紙一、5章1~5節

                説教   「信仰による勝利」

                 讃美歌(21)358 449 24 交読詩編146篇

  本日の聖書 コリントの信徒への手紙一、11章23~39節

23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。                                                                   27従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。28だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。29主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。30そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。31わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。32裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。33わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。34空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。

  本日の説教

    コリントというギリシャの都市は、アテネから約8㎞西にある、6㎞ほどの地峡で結ばれた、ペロポネソス半島にある都市で、イオニア海(当時の名はアドリア海)とエーゲ海の二つの海に面し、それぞれに港を持つ、通航の要衝であり、商業都市として重要でした。当時はこの地峡には船を陸揚げして運ぶ道がありました。今はこの地峡に運河が掘られて、大型貨物船は通航出来ませんが、観光船等はタグボートで曳航(えいこう)されて通航しています(1893年完成)。紀元前46年にユリウス・カエサルによってコリントはローマの植民地として再建され、ローマ領土アカイア州(ギリシャ)の首都でした。この地は多種多様な人々が行き交う自由の空気の支配する文化的中心地でもありました。コリントはギリシャ最大の港町で、六十万人の人口を持つ大都市でした。

  パウロがこの地を訪れたのは第二回宣教旅行の時で、紀元49年から51年にかけて一年六か月にわたり滞在し、宣教と教会形成にあたりました。皇帝の勅令によってローマから追放されてこの町に来ていたと思われるユダヤ人夫妻、アキラとプリスカとの出会いは、彼らがパウロの同業者(皮テント職人)であり、かつ熱心なキリスト教徒であったので、彼の伝道活動の大きな支えになりました。

  パウロはコリントの教会から離れた後も、人づてに、あるいは手紙で多くの情報を得ていました。パウロが去った後も教会は成長し、活動的でした。しかし、もはや放置しておけないような問題がこの教会を襲いました。それは、教会内部の分争(1~4章)、道徳上の乱れ(5~6章)、キリスト教徒の自由の誤用(8~10章)、教会の集会における混乱(11~14章)、復活理解(15章)などの問題です。問題を引き起こしたのは、熱狂主義者たちで、彼らの主張は「自分たちは完全な者だ」とか「霊あるいは知識を所有している」とか「すべてのことは許されている」という信仰理解を持つ人たちでした。

  おそらくこの手紙は、第三回宣教旅行中、約三年にわたって滞在したエフェソ(小アジア南西部、現在のトルコ)から、54年春頃に出されました。コリントの信徒への手紙一は、次の三つから構成されています。1~4章では、コリントの教会内部で起こっている分争問題、5~6章では教会内の醜聞の問題、そして7章以降15章までは質問に対する回答が述べられています。質問は、「結婚の問題(7・1~40)」、「自由と偶像問題(8・1~11・1)」、「礼拝における問題(11・2~14・40)」、「復活について(15・1~58)」の四つです。最後の16章は献金などの諸要件と結びの挨拶で終わっています。

  今日の聖書の箇所は、礼拝における<主の晩餐>の問題です。<主の晩餐>とは、聖餐式の最も古い呼び名です。原始教会では信徒が持ち寄って食物を分け合って食べる日常の食事(愛餐)とその食事の席で会食とは区別された、パンとワインを分け合って、キリストの最後の食事を思い起こす祭儀的な意味をもつ共同の食事・「主の晩餐」が行われていました。ところがコリントでは、パウロが去った後、裕福な霊的熱狂主義者や愛のない祭儀主義者は、早くから集まって、各自が勝手に飲み食いし、酔い潰れている有様で、遅れて来た貧しい人たちは飢えたまま、辱められている状態でした。「主の晩餐」は無秩序の混乱に陥り、貧しい者への愛と配慮に欠いた者たちの振る舞いによってキリストの一つの体である神の集会(教会)の交わりは分裂の危機にありました。この問題への返答として、パウロはイエスと弟子たちの最後の晩餐の伝承を思い起させるのです。

 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」と述べています。パウロは主の晩餐を初期のキリスト教の伝承から受けたものです。<主から>受けたというのは、イエス自身が自分の死と新しい契約のしるしとして、パンと杯を分かったことが伝承の源であることを示しています。

 「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。」(23節b~25節)

  <引き渡される夜>とは、ユダに裏切られ、祭司長たちの遣わした群衆に逮捕され、権力者たちに引き渡されたと解釈するのも可能ですが、イザヤ書53章6節に「わたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた」とあるように、「神は私たちのために主イエスを死に渡された夜、イエスはパンを取り……」と解すべきと思われます。イエスの死は一貫して神の意志に服従した結果であり、同時にそれは世を救うための神御自身の行動だったのです。

  主イエスはパンを取り<感謝の祈りをささげてそれを裂かれ>ました。この感謝(ギリシャ語の「エウカリスティア])から聖餐式を意味する「ユーカリスト」という言葉が生まれました。 また、<それを裂き>とありますように、主イエスがパンを裂かれたことから、聖餐式は、「パン裂き」として広まりました。主イエスはパンを裂いて、<これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい>とお命じになられました。<あなたがたのためのわたしの体である>とあるように、主イエスが裂かれたパンは、主イエスのお体を象徴し、十字架のあがないの出来事に結びつけられています。キリストは、弟子たちの命を贖うために、そして聖餐式にあずかるわたしたちのための罪のあがないとして御自身の命を十字架に献げられたのです。主イエスは<わたしの記念として行いなさい>とお命じになりました。このことが<主の晩餐>の制定であり、後に教会の礼典として守られるようになったのです。主の晩餐の目的は主の<記念(原意は「想起」)>です。<記念>という言葉は、時々聖餐におけるパンとぶどう酒が、体と血を代表することによって、実際に主を現在させることを意味すると考えられます。しかし、26節から、主の晩餐は主の「現在」とは全く反対のことを表現しています。主の晩餐が意味するのは、教会が十字架と神の国の間で、イエスの死を記憶することなのです。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせるのです。――主が来られるときまで」。このように食事は、イエスの死を思い起こし、再び来られるのを待つのです。これは単なる過去の出来事を思い出して懐かしむということではなく、過去の出来事を自分たちのためでもあると、現実の中での出来事として捉えるのです。

   主イエスは、12弟子たちに「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしを記念してこのように行いなさい」と言われました。<血による新しい契約>とは、どういうことでしょうか。それは古代のイスラエルの民族が神の民とされるために、神との契約を結ぶ際の儀式に基づくものです。すなわち、祭司は犠牲の動物を殺し、その血の半分を鉢にいれ、残りの血を祭壇に振りかけ、契約の書を読み聞かせます。そこで民は「わたしたちは主が仰せられたことをみな、従順に行います」と誓ったのち、誓いのしるしとして、祭司は鉢に入れた血を民に振りかけ、「見よ、これは主がこれらすべての言葉にもとづいてあなたたちと結ばれた契約の血である」と宣言しました(出エジプト記24・6~8)。

   主イエスが、「わたしの血による新しい契約」と言ったのは、古いモーセによる契約と対比して、主イエス自身が、十字架にかかられたことによって、神と万民との間に新しい契約がたてられたのだ、という意味なのです。古い契約においては、主なる神は動物(雄牛)の犠牲の血によって民の罪を赦されました。新しい契約においては、キリストの流された血によってわたしたちの罪を赦してくださったのです。<新しい契約>は、エレミヤ記31・31~35(旧p.1237)で言われているように、人間の側の一方的な契約破棄に対して、神が御子の十字架を通して新しい関係を創造されることを示しています。神との契約関係にある民は、神を愛し、隣人を愛するという、神とお互いに対する責任によって結び合わされたのです。この新しい契約の性格が、食事を分かつ時、前面に表れるべきなのです。ところがコリントの人々の、何も持たない人々を軽視する利己主義の行動が晩餐の意味をあまりにも不明瞭にし、その結果、それはキリストの死を指し示すものではなくなっているのです。主の死の宣言は、裂かれたパンを分かち、注がれたぶどう酒を分かつ時、それが「わたしたちのため」のイエスの死であり、教会員が一致してその死の恩恵にあずかることを表すものなのです。

   パウロは、27節以下で、この聖餐式の意義をよく知って、正しく聖餐式が行われるように勧告します。「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。」<ふさわしくないままで」パンを食べたり、杯を飲む、という文章は、完全に正しくないと主の晩餐を共にできないという意味に誤解され、また28節の自己検討の呼びかけは、強烈な自己反省の要請として聞かれてきました。しかしこれは全く誤解です。コリントの裕福な人々は自分たちの食物を食べ、貧しい会員に恥をかかせています。ふさわしくないままでパンを食するとは、教会の会員を軽視し、かえりみずに、分裂を生じさせるような仕方でそれを食することを意味しています。したがってパウロが自己検討を呼びかけていることは、コリントの人々が心の奥を調べるようにとの勧めと理解してはなりません。むしろ食事における自分たちの行動がどのようにキリストの体である教会の兄弟、姉妹に影響しているか検討するようにとの率直な勧めなのです。

  <主の体のことをわきまえずに>とは、「聖餐におけるパンにキリストが現存していることをわきまえて」という意味ではありません。パウロにとって<体のことをわきまえる>とは、信仰者の共同体がキリストの一つの体であるという、本当の意味を認めるということです。<体のことをわきまえ>ていない者とは、自分自身の霊性を誇り、自分の社会的特権を振るい、主の死によって始まった新しい共同体に共に与る者に無頓着であるという、自己中心に振る舞う者です。<主の体と血に対して罪を犯すことになる>とパウロは断言します。これは聖なるパンとぶどう酒を冒涜することではなく、教会員を侮辱することで、キリスト自身を侮辱することです。キリストに対して罪を犯すことになるのです。このようなことを行う者は、主の食卓で恵みを得るのではなく、神の裁きを自分自身にもたらしています。このような裁きはすでに共同体の成員にふりかかった病気と死によって表されているとパウロは言います。神は人間の罪を深刻に受け止め、時には神の意志を侮る者に懲戒を行うとパウロは言うのです。

   パウロは、コリント教会の富めるキリスト者たちに、愛餐の食事は一緒にし、自分たちが持参した食べ物と飲み物を、貧しいキリスト者たちに分かち合いなさい。貧しいキリスト者たちが集会に集まるのが待ち切れなければ、自宅で食事をして、集まりに出なさいと勧めました。キリストの「互いに愛し合いなさい」という戒めの下に、兄弟姉妹が互いの賜物を分かち合い、配慮し合い、教会の集まりが主の裁きの場ではなく、恵みの手段の場となるように、パウロはコリント教会のキリスト者たちに訓戒したのです。

   教会(原語のギリシャ語では「エクレシア」)は「呼び出された者たちの集り」という意味のことばです。教会は、神様によって召し集められて、共に礼拝する、一つとされた群れです。み言葉と主の晩餐に養われつつ、主の十字架の死と復活による愛の福音を宣べ伝えていく群れなのです。主の晩餐から始まった聖餐式は、その後の教会では、聖礼典として執り行われるようになりました。時代や教派によってそのとらえ方に違いがあっても、キリスト教の中で聖餐は常に礼拝儀式の核となるものでした。聖餐式は神が計画する人間の罪からの救いの成就となる式であり、イエスの死と復活を思い、そこにイエスの現存を信じるもの、さらには信仰者と神、信仰者同士の絆を確認するものでした。このような中心思想はほとんどの宗派に共通ですが、その程度やとらえ方によって違いが生じています。プロテスタントの教会ではパンとワインが実際にキリストの体と血に変わることはなく、象徴的な儀式と見做しています。

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「飲食について、兄弟を裁いてはならない」ローマの信徒への手紙14章1~23節

2016-07-16 15:25:59 | 説教

        981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12   TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

              日本キリスト教 富 谷 教 会

                   週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

    聖霊降臨節第10主日    2016年7月17日(日)    午後5時~5時50分

       礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21)  56(主よ、いのちのパンをさき)

交読詩編   68(神は立ち上がり、敵を散らされる)  

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  ローマの信徒への手紙14章1~23節(新p.294)

説  教  「飲食について、兄弟を裁いてはならない」 辺見宗邦牧師

 祈 祷

讃美歌(21) 500(神よ、みまえに)

聖餐式    72(まごこころもて)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

               次週礼拝 7月24日(日) 午後5時~5時50分

               聖書 コリントの信徒への手紙一、11章23~39節

               説教   「聖餐」

               讃美歌(21)77 81 24 交読詩編78篇

  本日の聖書 ローマの信徒への手紙14章1~23節

 1信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。2何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。3食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。4他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。5ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。6特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。7わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。8わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。10それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。11こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」12それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。13従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。14それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。15あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。16ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。17神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。18このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。19だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。20食べ物のために神の働きを無にしてはなりません。すべては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります。21肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。22あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。23疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。

    本日の説教

   パウロの書いた手紙は新約聖書中に十三通あり、新約聖書全体の三分の一強を占めています。その十三の手紙のうちで最も重要な、また有名なのが、「ローマの信徒への手紙」です。それはパウロの神学的な思想が組織を立てて堂々と述べられているからです。この手紙が書かれたのは、彼の宣教活動の最後期に属する紀元56年頃、ギリシャのコリントに三か月間滞在していた時であろうと推定されています。パウロはローマの信徒とはほとんど面識がありません。ローマの信徒の集会は、おそらく最初はローマ在住のユダヤ人の間にもたらされたキリスト教が次第に異邦人に及び、パウロの手紙執筆時には異邦人を主体にして成立していたと思われます。このような未知の教会に手紙を書いた動機は、この未知の教会を訪問するに先立って、自己紹介をすることにあったと思われます。パウロはこの手紙で自己の福音理解を整理して述べたのです。パウロは、福音の中心を<人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による>(3・28)という「信仰義認」においています。

   14章1節からは、パウロはまだ知らない教会に対して、予想される具体的な問題、特に人間関係における問題を取り上げます。信仰の強い人の立場に立って、信仰の強い人たちに対し、<信仰の弱い人>を受け入れなさいと勧めています。<信仰の強い人>とは、<何を食べてもよいと信じている人>です。それに対して、ここで述べられている<信仰の弱い人>とは、<野菜だけを食べている人>です。<信仰の弱い人>を<受け入れなさい>というパウロの勧告は、単にその人たちを配慮し、教え導きなさいということではなく、その人たちの生活習慣に根ざす信念を理解せずに、その人たちをさばき、切り捨ててはならないということです。<信仰の弱い人>は、信念や確信に欠ける人ではなく、むしろ逆で、自分の従来からの生活信条に囚われてそこから自由になることのできない人です。ここでは強い者の弱い者への配慮が問題にされています。

 食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は食べる人を裁いてはならないのです。神はそれぞれをしっかりと受け入れて下さっておられる。一体、他人の僕(召し使い)を主人顔をしてさばく権利はあなたにあるのですか。かれが立つか倒れるかはその主人次第なのです。かれは主人によって立つものとなるのです。主は、その人を立たせることがおできになるからです。両者とも同じ信仰者なのです。<神はこのような人をも受け入れられた>ということから相互の交わりを始めるべきだと説いています。

 次に、日の問題に入って行きます。<特定の日を重んじる人>とは、悪霊などによる影響を恐れて、日の良し悪しにこだわる人々や、安息日やユダヤ教の祝祭日を守るユダヤ人キリスト教徒のことを言っているようですが、パウロは、彼らの態度の良し悪しを問わずに、彼らが<主のため>にそのようにしていると解釈しています。ある人は、この日がかの日よりよりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。それは、各自が自分の心の確信に基づいてきめるべきことです。特定の日を重んじる人は主のために重んじているのです。日を重んじる人も重んじない人も、主のためにそうしているのです。

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

 わたしたちが主のもの、主に属するものとされたのは、キリストの十字架のあがないの死を遂げられ、復活して父なる神の右に座し、全権を委ねられ、世界の主として統治なさるからです。イエスを信じる者は、罪を赦され、神の子とされ、神との交わりの中に入れられ、聖霊を与えられて、罪と死を克服する復活の命と力にあずかり、永遠の命に生きる主のもの、主に属するものとされているのです。

 10節では、再び<兄弟を裁き>、<兄弟を侮る>のは、自分の判断が他の人間の判断する基準であると主張することなのだと諭します。しかし、神こそがすべての判断の基準なのです。自分の判断を基準とする者は、自分を裁判官の席に座らせることになります。しかし実際は、自分たちこそ<神の裁きの座に立つ>のです。互いに受け入れ、裁き合ってはならないという勧告は、神こそが裁き主であるという賛美となります。「「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」(14・11)これはイザヤ書49・18と45・23からの引用による礼拝における賛美です。

 パウロは、<信仰の弱い人>に対するこれまでの議論に<もう互いに裁き合わないようにしよう>と結論を下します。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい、と勧めます。同信の兄弟として共に生きることが大切なのです。「強い者」は「弱い者」に強さを強要するのではなく、その「強さ」によってむしろ配慮することが必要なのです。

 パウロは、強い者の立場に同意しながら、「弱い者」の問題点を指摘します。<それ自体で汚れたものは何もない>と断定し、それは個人的・主観的なものであると言います。<汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです>と、個人の主観的判断には踏み入りません。「強いもの」の確信は、「弱いもの」の信念を侵すことは許されません。自己の<確信>は相手の思うところを裁くのではなく、認めることです。

 「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。」(14・15~16)

 「強い者」が、兄弟の心の痛みを理解せず、信仰が弱いための自業自得であると見捨てるような態度は<愛に従って歩んでい>るとは言えません。キリストはこの弱い<兄弟のために死んでくださった>のだからです。パウロは<あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい>と勧告します。<そしり>は、教会の外から教会に対して向けられる非難を指します。<神の国は言葉ではなく力にある>(コリント一、4・20)と語ったパウロは、ここでは<神の国は飲食ではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜び>であると語ります。自分を喜ばせることではなく、神に喜ばれること、また、自分の義や自分の平安ではなく人々の信頼を得ることが、信仰者の基本的姿勢なのです。

パウロは<肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい>と「強い者」のとるべき態度を語ります。自分の信念を忠実に、確信を持って行動すべきです。他人の行動に気を取られて、動揺したり軽蔑したりすることは正しくありません。確信のない行動は信仰者のとるべき態度ではありません。

 ここには、やはりパウロが、ローマ教会をつまらない事で波風を立たせず、穏便に治め、教会の一致を守って行こうとする姿勢がよくあらわれています。教会の中で信仰の中心にかかわることでなければ、こうでなければならないという人と、そのような固定観念にとらわれない人とが相互に認め合っていくべきであるというのです。

 日本の教会には、アメリカから持ち込まれた清教徒(ピューリタン)信仰が伝えられ、謹厳で潔癖な宣教師たちは禁酒・禁煙を重んじたので、教会の敷居は高いものになり、庶民から孤立しました。韓国のキリスト教会では、禁酒を重んじる傾向があり、ある牧師は信徒の前では飲酒を控えていると語っています。つまずきを与えないように配慮しているのです。

   しかし、ものみの塔(エホバの証人)、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、セブンスデー・アドベンティスト、世界平和統一家庭連合(旧:統一教会)等のキリスト教の異端と言われている教会は、種々の戒律を定めています。その戒律を救いに不可欠としているので、これを認めることはできません。これは信仰の中心にかかわることだからです。信仰の中心にかかわることでなければ、私たちは、どのような異なる意見や、信仰の持ち方が異なっていても、互いに受け入れることができます。互いに愛し合って、互いに霊的に成長することができるのです。

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「破局からの救い」 使徒言行録27章33~44節

2016-07-10 00:03:51 | 説教

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12          TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

    日本キリスト教 富 谷 教 会

        週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

 聖霊降臨節第9主日  2016年7月10日(日)午後5時~5時50分

          礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 462(はてしも知れぬ)

交読詩編   95(主に向かって喜び歌おう)  

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   使徒言行録27章33~44節(新p.269)

説  教   「破局からの救い」     辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(旧) 273B(わがたましいを)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

                               次週礼拝 7月17日(日) 午後5時~5時50分

                                聖書 ローマの信徒への手紙14章10~23節

                                説教   「命の糧」

                                讃美歌(21)56 500 24 交読詩編68篇

  本日の聖書 使徒言行録27章33~44節

 33夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。34だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」35こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。36そこで、一同も元気づいて食事をした。37船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。38十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。39朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。40そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。41ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。42兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、43百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、44残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。

    本日の説教

今日の聖書の箇所、使徒言行録27章27節のところは、パウロが裁判を受けるために他の数人の囚人と共に、帆船でイタリアのローマに護送される途中の出来事です。

カイサリアで監禁されていたパウロは、ローマの市民権を持っていることを理由に、皇帝に上訴したので、ローマの法廷に出頭することになったのです。もし、エルサレムでの裁判に送り返されれば、パウロはユダヤ教の祭司長たちによって途中で殺される運命にありました。

ローマに行くことはパウロの長い間の願いでした。当時、文化と政治の中心である世界の首都ローマにおいて、キリストの福音を証しすることと、ローマにいるキリスト者たちを励まし、信仰による交わりをすることの願いが(ローマ1:13)、囚人としてではありましたが、かなえられる時が来たのです。 

 パウロの身柄は、百人隊長ユリウスに預けられ、カイサリアからアドラミティオン港所属の船で出航しました。アドラミティオン港は、小アジア西北のトロアスの南東のアソスに近い海港都市(現在のトルコの西海岸にあるエドレミトのこと)の港です。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコと、この書を書いたギリシャ人医師ルカが、パウロの世話係として同行を許されました。

地図を見ながら、パウロのローマへの旅をたどってみましょう。

1 このロ-マへの旅は、西暦58年か、59年の8月中旬~9月初旬頃、カイサリアの出港から始まります。

2 翌日シドンに停泊しました。そこから船出しましたが、向い風が強かったので、キプロス島の北を航行しました。

3 ミラで、イタリア行きのアレクサンドリアの穀物運搬の貨客船に乗り変えました。36節に、276人乗船していたと記されているので、かなり大きい帆船(およそ300~500トン)です。

4 強風のため、幾日もかかってようやくクニドス港に近づきました。

5 風に行く手を阻まれてサルモネ岬(岬アクラ・シデロスのことであろう)を回ってクレタ島の陰 を航行しました。

6 「良い港」(現在のカリリメネスか?)と呼ばれるところに着きました。10月の第一週の終わり頃の到着です。かなりの時がたっていて、すでに<断食日>(九月末~十月初め)を過ぎていました。九月中旬から翌年三月までは海が非常に荒れるので航海は危険でした。パウロはこの季節の航海を避けるように人々に説得しました。

7 しかし、百人隊長は、船長や船主の方を信用し、冬を過ごすためにフェニクス港(現在のルートロか?)に行くことになりました。ときに南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、進みました。しかし、間もなく、島のイーディ山(海抜2456m)から吹き降ろす「エウラキロン」(北東から吹く暴風)に船は巻き込まれ流がされるままになりました

8 <カウダ(現在のガウドス)>という島かげに入ったとき、彼らは小舟を引き上げ、綱で船を船首から船尾まで縛りあげ、シルティス(リビアのシルト湾のこと)の浅瀬に乗り上がるのを恐れて、防流錨(いかり)を降ろしたまま流れにまかせました。

  ひどい暴風に悩まされたので、翌日、人々は積み荷を海に捨て、三日目には船具も捨てました。幾日もの間、太陽も星も見えず、自分たちの位置も進路も確認できないまま、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていました。人々は長い間、食事をとっていませんでした。そのときパウロは、皆さん、元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。…わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」と言って励ましました。

 船は、クレタ島の「良い港」を出港してから、十四日間、アドリア海を漂流しました。

   当時は、クレタ島からシチリア島までの領域をアドリア海と呼んでいたようです。その距離は870㎞です。大阪から仙台位までの距離になります。(現在、長靴の形をしたイタリア半島の踵の部分の岬までをアドリア海といいます。その南は、シチリア島までがイオニア海です。それ以上南は地中海です。)

   真夜中ごろ船員たちは陸地が近いと推測し、水深を測ると、一度目は<二十オルギィア(36メートル)>、二度目は<十五オルギィア(27メートル)>でした。船が暗礁に乗り上がることを恐れて、船員たちは錨を船尾から四つ投げ込み、夜明けを待ちました。ところが、船員たちは船首から錨を降ろすふりをして、小舟を降ろし、船から逃亡しようとしました。パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言ったので、兵士たちは小舟をつないでいた綱を断ち切って、小舟を流し、船員たちの逃亡を阻止しました

ここからが、今日の聖書の箇所に入ります。

   夜が明けたころ、パウロは一同に食事をするように勧めました。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言って、パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づいて食事をしました。乗船者は全部で二百七十六人いました。食後、彼らが満腹した後、船にいた者たちは、座礁を防ぐため、穀物を海に投げ捨てて、船体を軽くしました。

9  翌朝、砂浜のある入り江を見つけました。しかし、砂浜にたどり着く前に座礁してしまい、泳いで陸地に向かい、何とか全員が無事に上陸することが出来ました。その陸地はマルタ島でした。おそらく10月下旬から11月初め頃にかけての到着かと思われます。カイサリアを出帆して2か月経過していました。

   現在マルタ島の北西に聖パウロ湾があり、その入り口に聖パウロ島という小島があります。ここがパウロとその一行が漂着したところだと伝えられています。マルタ島では、冬の間、11、12、1月と3か月過ごし、2月になってローマ行きのアレキサンドリア船で出帆しました。ローマには2月下旬~3月初旬に到着したと推定されます。カイサリアから出発してからおよそ6か月後になります。

 船を航行不能に陥らせたのは、クレタ島から吹いてきた「暴風」でした。南風が静かに吹いてきたので、帆船にとってはこの時とばかり出帆したのに、突然この暴風に見舞われたのです。船は激しい暴風のために地中海を漂流しました。それは想像を絶する14日間にも及ぶ苦難でした。助かる望みは全く消えうせようとしていました。

   私たちの人生にとっても、嵐が訪れるときがあります。それは自然災害であったり、人災による場合や、さまざまな事情による思いがけない出来事による場合があります。

 乗客や船乗りたちが恐怖に駆られ、不安におびえていたとき、パウロは、望みを失うことはありませんでした。パウロは嵐の中でも平静さを失わず、絶望しかけている人々に、だれ一人として命を失うことはないと言って励ましました。パウロのこの確信はどこからきたのでしょうか。

 パウロは次のように言っています。「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』…わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。」

 パウロは、エルサレムで兵営に連れていかれた夜、主イエスがパウロのそばに立たれて、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない」(使徒言行録23・11)と言われたことを覚えていました。自分がローマに行くのは神のご意思によるのであるから、自分だけでなく、一緒にいる人々も必ず助かると確信したのです。

 パウロの平安の根拠は、この神の約束を信じときに与えられる聖霊の働きによるものでした。パウロは確信をもって、不安にとらわれている人々を励ますことができたのです。

 パウロは、「あなたがたの髪の毛一本もなくなることはありません」と、天の父のお許しがなければ決して失われることはないという神の摂理、神のご計画と配慮を信じていたのです。

   私たちにとっても重要なのは、どのような状況の中に置かれても、「思い煩うのはやめて、求めているものを神に打ち明け」(フィリピ4:6)、祈ることです。主が共にいてくださり、必ず道を開いてくださることを信じることです。そしてそのような信仰に立つとき、まわりの人々にも平安と恵みが及ぶのです。

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「復活の希望」 使徒言行録24章10~21節

2016-07-03 01:49:50 | 説教

981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

             日本キリスト教 富 谷 教 会

                        週    報

年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』

聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)

          聖霊降臨節第8主日    2016年7月3日)  午後5時~550

        礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉 

讃美歌(21) 327(すべての民よ、よろこべ)

交読詩編   96(新しい歌を主に向かって歌え)  

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  使徒言行録24章10~21節(新p.262)

説  教     「復活の希望」      辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21) 545(まことの神)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

                                         次週礼拝 7月10日(日) 午後5時~5時50分

                                              聖書  使徒言行録27章33~44節

                                              説教   「破局からの救い」

                                              讃美歌(21)462 536 24 交読詩編 54篇

本日の聖書 使徒言行録24章10~21節

 10総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。11確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。12神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。13そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。14しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。15更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。16こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。17さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。18私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。19ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。20さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。21彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

                本日の説教

 パウロが、シリアのダマスコ付近でキリスト教に回心したのは、紀元33年頃でした。主イエスの十字架の死の三年後のことです。パウロの誕生が紀元10年頃とすると、回心は、彼が23歳前後の頃になります。それはパウロへの主イエスの顕現であり、使徒としての召命でした。

   回心後エルサレムを訪問し、主の兄弟ヤコブに会ったのはその二年後(ガラテヤ1・18には三年後とある)でした。その後、生まれ故郷のキリキア地方のタルソスに行きました。エルサレム教会からシリア州のアンティオキアへ派遣されたバルナバは、タルソスに行き、パウロをアンティオキアに連れ帰りました。二人は丸一年教会に一緒にいて、多くの人を教えました。アンティオキアの信徒が初めて「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになりました(11章26節)。パウロは、先のエルサレム訪問後14年たってから(紀元48年)、バルナバと一緒にエルサレムに上り、異邦人伝道をめぐっての使徒会議に参加しました。

  アンティオキアの教会から送り出されて、パウロは紀元48年に第一回伝道旅行(13章1節~14章28節)にでかけます。パウロによる第二回伝道旅行は、49年~52年にかけて行われました(15章36節~18章22節)。この旅行で福音がオリエント世界(アジア)からギリシャ世界(ヨーロッパ)へと伝えられます。パウロはアテネやコリントで伝道しました。

  第三回伝道旅行は、53年~56年に行われました(18章23節~21章26節)。アジア州の首都エフェソ(ローマの植民都市)で二年間伝道した後、ヨーロッパのマケドニア州とアカイア州(ギリシャ)に行きました。紀元56年、ギリシャのコリントに三か月滞在したあと、異邦人教会からの献金を持ってエルサレム教会を訪問することにしました。しかし、このパウロのエルサレム訪問はどんなに危険なことかを、途中小アジア州のミレトスの港町でエフェソの教会の長老たちを呼び寄せて別れを告げた遺言説教で語っています。

  「今、わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしは分かっています。」(20章22節~25節)

  このように、パウロのエルサレムへ行く決意は固く、苦難や死をも覚悟したものでした。人々は、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しみました。

  使徒言行録21章17節~26節は、エルサレムに戻ったパウロのことが書かれています。エルサレムで七日過ぎようとしていたときパウロはエルサレム神殿境内でアジア州から来たユダヤ人に捕らえられたのです。パウロが、ユダヤ人しか入れない所に異邦人を連れ込んで神殿をけがしたと誤解され、危うく殺されそうになったとき、ローマから派遣されている守備隊の千人隊長が駆けつけパウロを逮捕して保護したのです。彼は神殿側にあるアントニア城塞の兵営に連行されるとき、民衆に向かって話すことを許され、兵営の階段から民衆に弁明しました(21章27節~22章21節)。しかし、かえって人々の反感を煽るような結果いなってしまいました。

  パウロはローマ帝国の市民権を持っていることを主張したので、鞭打ちの刑は免れました。千人隊長は、翌日祭司長たちと最高法院の議員を招集して、パウロの弁明を聞きました。23章1節から6節には、最高法院でのパウロの弁明が記されています。パウロは議場で声を高めて言いました。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」<死者の復活の望み>とは、イエスの復活で成就した死人の復活の望みです。この弁明の意図はパウロが騒乱を引き起こすようなユダヤ人ではなく善良な人間として認めさせることでした。しかし、パウロがこう言ったので、<復活も天使も霊も否定する>と言われているサドカイ派とこれを認めるファリサイ派との間に論争が生じ、最高法院の議場は騒然となりました。パウロは再び兵営に連れて行かれました。

  その夜、主イエスはパウロのそばに立たれて、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように。ローマでも証しをしなければならない。」と言われたのです。

  その翌日、四十人以上のユダヤ人たちが、パウロを殺すまでは飲み食いしないという暗殺の陰謀を企てていることを知った千人隊長は、パウロをエルサレムからカイサリアの総督フェリクスのもとに護送しました。フェリクスは、ヘロデの官邸にパウロを留置しました。

  その五日後、パウロを告発するため、大祭司アナニヤは長老数名と弁護士テルティロを連れて下ってきました。テルティロは総督フェリクスの前でパウロを訴えました。

  パウロの告発の理由は三つです。

  1.パウロは疫病のような人間で、ローマの平和の騒乱者である。

  2.<ナザレ人の分派>(キリスト者の異端)の首謀者である。

  3.神殿の冒涜者である。

  今日の聖書の箇所は、告発に対するパウロの弁明です。

    世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしているという訴えに対して、パウロは、自分がエルサレムに上ったのは礼拝のためで、暴動を起こすためではないと反論します。エルサレムに滞在したのはたった十二日間で、そんな騒ぎを起こす余裕もないし、それにだれ一人パウロが騒ぎを起こしたのを見たという目撃者が出ないのがその証拠だと主張します。

    次に彼は、彼らが<分派>と呼ぶ<この道>(キリスト教)に従っていることを認めます。けれども、ユダヤ人に「異端」と見做されている自分たちの方が、かえって完全に旧約聖書の教えと一致した教えを守り、特に死人の復活の事柄にも正しくかかわていることを述べて、その正当性を主張します。そしてパウロは、義人も悪人も必ず復活し、神のさばきの前に立たなければならないという復活の信仰を持っていること、またそれだからこそ自分は「いつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしていることを陳述します。

     第三の「神殿の冒涜者である」という告発に対しては、自分は神殿を汚すどころか、自分のエルサレム上京の目的は<同胞に救援金を渡すため、また供え物を献げるため>であり、何年ぶりかで帰って来たこと、その供え物のために清めを受けて神殿の中にいたこと、別に群衆の騒動もなかったこと。騒動の原因はすべて、アジア州から来た数人のユダヤの誤解、曲解によるもので、もし告発があるなら、彼らが告発すべきである。問題になった点と言えば最高法院で述べた<死者の復活のこと>で議場が荒れたのであって、これはもとより訴訟の対象になるようなことではない。従ってこの告訴は無効ですと弁明しました。

  総督フェリクスは、この告訴が政治問題ではなく、ユダヤ教内部の宗教問題であったことを知っていたので、判決を出さず、千人隊長が来るまで、裁判を延期することを宣言し、パウロの監禁については、寛大な処置を百人隊長に命じました。この後、パウロはカイサリアで二年間監禁されることになるのです。

   二年後、フェリクスは総督を罷免され、フェストゥス総督が着任し、パウロを裁判いかけると、パウロはローマ皇帝の法廷で裁判を受けたいと上訴しました。パウロはアグリッパ王の前で弁明したのち、ローマへ向かって船出することになります。

   パウロの使徒としての労苦と苦難は、コリントの信徒への手紙二、11章23b~28節に記されてます。「死ぬような目に遭ったことも度々でした」と報告しています。パウロの十字架を負ってイエスに従う生き方はどこから生まれるのでしょうか。それはアグリッパ王の前でも語られるのですが、復活のイエスに出会ったことにあります。復活されたイエスこそ、神の御子であり、旧約聖書に予言されている、人の罪を負う苦難の(しもべ)であるとわかったのです。パウロは、深い愛をもって呼び掛けてくださる生ける主エスとの決定的な出会いを経験したのです。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして…あなたを奉仕者、また証人にするためである」(26章16)と主は言われたのです。主キリスト・イエスによって示された神の愛、そして死んだ方、否むしろ、復活された方であるキリスト・イエスがわたしたちのために神の右に座って執り成してくださるだから、このキリストの愛から、艱難も、苦しみも、迫害も、飢えも、裸も、危険も、剣も、どんな被造物も引き離すことはできない(ローマ8・34~39)というパウロの神の愛に対する確信と復活の信仰が、死をも恐れないパウロの生き方を生んだのです。

  パウロのローマでの殉教は、紀元60年頃と推定されています。回心からの四十年近い人生は、神からの召命に応えるために用いられました。パウロは、主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、キリストのゆえに失ったすべてを塵あくたとみなしています(フィリピ3・8)。生ける復活のイエスとの出会いの体験とその後の主イエスによる恵みが、パウロの使徒としての献身を支えました。私たちもパウロの生き方に学び、与えられている大きな恵みに応える生き方をしたいと思います。



 

 

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