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日本キリスト教 富 谷 教 会
週 報
年間標語 『日々聖霊を豊かに受けて神の栄光を表す人になろう。』
聖句「神は、わたしたしの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を豊かに注いでくださいました。こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」(テトスへの手紙3:6~7)
聖霊降臨節第12主日 2016年7月31日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 358(子羊をば、ほめたたえよ)
交読詩編 5 7(憐れんでください)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 ヨハネの手紙一、5章1~5節(新p.446)
説 教 「世に打ち勝つ信仰」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 449(千歳の岩よ)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 8月7日(日) 午後5時~5時
聖書 コリントの信徒への手紙一、2章11~3章9節
説教 「神からの真理」
讃美歌(21)561 403 24 交読詩編15篇
本日の聖書 ヨハネの手紙一、5章1~5節
1イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。2このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。3神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。4神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
本日の説教
ヨハネによる福音書とヨハネの手紙は、用いられている用語や表現などが極めて似ているところから、同じ教会(仮に「ヨハネの教会」と呼んでいる)の中で成立したと考えられています。ヨハネによる福音書は、イエスの十二弟子の一人のヨハネの権威の下に、ユダヤ教の会堂の人達に対してキリスト教の信じる神の独り子イエス・キリストを明らかにするために、紀元80年から後半から90年頃にかけて書かれました。一方、ヨハネの手紙(一、二、三)は、この教会で信仰理解について分裂が起こり、結果的に脱落者が教会を離れてしまうという状況がありました。この教会の指導的位置にあったユダヤ人キリスト者の長老が、真の信仰を土台に教会を再建するため、紀元100年前後に書いた勧告や手紙です。
ヨハネの手紙一は手紙というより勧告であり説教のようなものとして書かれています。ヨハネの手紙二、三は、長老が個人に宛てて書いた短い手紙です。
今日の聖書の箇所は、正しい信仰告白に基づいてイエスをキリストと信じる人が、神に属し、神の掟を守り、世がいかに強大な悪魔的支配力をもっていても必ずこれに打ち勝つ、これを信じるのが教会の信仰だと主張しています。
「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。」(1節)
イエス・キリストによる罪の贖いを信じ、罪を赦された人は皆、もう一度神の子とされた人たちです。この主イエスをキリストと信じる信仰は、聖霊を注がれることによって私共に与えられました。ですから、イエスを救い主、キリストと信じる私たちは皆、神様によって新しく誕生した者なのです。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一12章3節で「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」と告げている通りです。
親を愛する人は、その親の子も愛すように、神を愛する者は、神によって生命を授けられた者同士、家族のように愛し合います。愛である神様によって生まれた者にも,愛が備わっているのです。私たちは、御言葉によって育まれ、成長していくなかで、いよいよ神様を愛し、兄弟姉妹を愛する者となっていくのです。
「このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。」(2節)
「神の掟」とは、3章23節で言われているように、互いに愛し合うことです。これは主イエスが最も重要な掟として語られた二つの掟のうちの第二の掟です。イエス様は次のように言われました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコによる福音書12章29~31節)。神様を愛すること、そして隣人を愛すること、これが守らなければならない掟なのです。
「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。」(3節)
神を愛していれば神の意志に従い、神の言を喜んで守るはずです。旧約聖書の十戒も神とイスラエルとの人格的な愛が基盤にあった律法でした。その基盤が忘れられ、失われた故に、古い契約では救いが与えられませんでした。新しい契約が必要になりましたが、今や、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪を赦され、改めて新しい神の愛が人間に示され、これを信じ受け入れた人々の間に新しい愛の関係が成立しました。これがヨハネの教会が重視したイエス・キリストにおける神と教会との交わりです。お互いイエス・キリストによって罪を赦された喜びをもって、互いに分かちあい、そこに原動力を得て、信仰を告白し、愛し合うことは難しくないはずだ、と言うのです。私たちに信仰を与えてくださった聖霊が成長させてくださることを信じ、徹底して委ねていくときに、いよいよ愛する者へと変えてくださるのです。聖霊は私共を必ず愛において成長させてくださるのです。聖霊により神がそうさせてくださるので、人間にとって難しいものではなくなるのです。
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(4節)
ヨハネによる手紙では<世>とは、神に背き、神に敵対する霊的な力が支配する闇と死の領域です。その闇の支配から救い出されて光と命の領域に移ることが救いです。そして、その「世から救い出される」ことを、ここでは積極的に「世に打ち勝つ」と表現します。世には、神からのもの(神の霊)とは相反する肉の欲が支配します(1・10)。<肉の欲>とは、自己中心の生まれながらの人間本性が欲求するものです。敵意、争い、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、等が世を支配します(ガラテヤ5・19~21)。それに反し、神の霊は、愛、喜び、平和、寛容、柔和、節制、等を与えます。
人間は、自分の力と努力で世に打ち勝つことはできません。悪魔の支配、罪と死の支配に侵されている世に打ち勝たれたのは、十字架に死んで復活された主イエス・キリストであり、御子を遣わされた神ですが、そのイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは世に打ち勝つことができるのです。私たちは、神が御子を通して与えてくださるる聖霊との交わりの中に生きることで、必ず世の悪しき力、悪しき誘惑に勝利するのです。しばしば誘惑に負けてしまうことがあっても、そのたびに悔い改め、新しくされるのです。私共が世に打ち勝つ勝利は、既に神様の永遠の御計画の中で定められているのです。この信仰をもつことによって、この世のただ中にあって、なお勝利を確信して立つのです。
「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(5節)
信仰に立つ者の確信が述べられています。おそらくイエスのメシア性を否定する者たち、御父と御子を認めない異端の立場に対立して語られている言葉と推定されます。主イエスは言われました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16章33節)イエス様御自身は既に世に勝っていると、宣言されています。この主イエスの勝利に与る者がキリスト者なのです。
世にはいろいろな苦難があります。病気、災難、経済的な問題、不和、家族や職場などの人間関係の問題等、いろいろあります。多くの人々が深刻な問題をかかえて苦しんでいます。少しの悩みも苦しみもない人は一人もいません。世の苦難や重荷に打ち勝って、征服させる力は信仰者の心構えや精神力や精進の力ではなく、<神から生まれた者>です。もしその人が神を信じ、神から命を受けて生まれているならば、その人の中に込められた神の力が勝利させずにはおかないのです。イエス・キリストを、神の子、救い主と信じる私たちは既に世に勝っています。キリストを信じ愛に生きる信仰が世に打ち勝つのです。聖霊の力を受けて、あらゆる世の苦難や誘惑と戦うのが信仰者の歩みです。恐れる必要はありません。私たちの主は既に世に勝っています。