富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「遊女ラハブを救った信仰」 ヨシュア記2章1~24節

2014-01-26 15:06:47 | 礼拝説教

             ↑ 聖書大百科(創元社)P.92より転載

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380                                                                                FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

降誕節第四主日       2014年1月26日(日)   5時~5時50分 

      礼    拝  

                           司会 永井 慎一兄

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 495(しずけき祈りの)

交読詩編   23(主はわが飼い主) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  ヨシュア記2章1~24節

説 教 「遊女ラハブを救った信仰」辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  459(飼い主わが主よ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 2月2日(日)午後5時~5時50分

 説教 「わたしとわたしの家は主に仕えます」

 聖書 ヨシュア記24章11-18節

 交読詩篇84 讃美歌 旧526  510

本日の聖書 ヨシュア記2章1~24節

 1ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。 2ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、 3王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」 4女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。

「確かに、その人たちはわたしのところに来ましたが、わたしはその人たちがどこから来たのか知りませんでした。 5日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」

 6彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、 7追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。 8二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、 9言った。

「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。 10あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。 11それを聞いたとき、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。

12わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。 13父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください。」

14二人は彼女に答えた。「あなたたちのために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」

15ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。 16彼女は二人に言った。「追っ手に会わないように、山の方へ行きなさい。三日間はそこに身を隠し、追っ手が引き揚げてから帰りなさい。」

17二人は彼女に言った。「あなたが我々に誓わせた誓いから、我々が解かれることもある。 18我々がここに攻め込むとき、我々をつり降ろした窓にこの真っ赤なひもを結び付けておきなさい。またあなたの父母、兄弟、一族を一人残らず家に集めておきなさい。 19もし、だれかが戸口から外へ出たなら、血を流すことになっても、その責任はその人にある。我々には責任がない。だが、あなたと一緒に家の中にいる者に手をかけるなら、その血の責任は我々にある。 20もし、あなたが我々のことをだれかに知らせるなら、我々は、あなたの誓わせた誓いから解かれる。」

21ラハブは、「お言葉どおりにいたしましょう」と答えて、二人を送り出し、彼らが立ち去ると、真っ赤なひもを窓に結び付けた。

22二人は山に入って行き、そこに三日間とどまって、追っ手が引き揚げるのを待った。追っ手はくまなく捜したが、見つけ出すことはできなかった。 23その後、二人は帰途につき、山を下り、川を渡って、ヌンの子ヨシュアのもとに戻り、自分たちが経験したことを一部始終報告して、 24こう言った。

「主は、あの土地をことごとく、我々の手に渡されました。土地の住民は皆、我々のことでおじけづいています。」

 本日の説教

  モーセは80歳のとき(出エジプト7:7)、神に命じられてイスラエルの民をエジプトから連れ出し、神の約束の地カナンを目指して民を導き、40年かけてやっとヨルダン川東岸までたどり着きました。エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野にあるシティムに宿営しました(民数記33:49)。

 モーセはネボ山(やま)に登り、ピスガの山頂から、目指すカナンの土地を見渡しました。百二十歳になっていたモーセはヨルダン川を渡ることなく、モアブの地で死にました(申命記34章1-8)。

 

 中央左側に死海、その右側(北側)にはヨルダン川が死海に流れ込んでいる様子がかすかにわかります。中央右側の黒ずんだ所、ヨルダン川西岸にエリコの街が見えています。ネボ山は標高800メートル、死海は標高マイナス400メートルです。1200メートルの標高差があります。

 出(しゅつ)エジプト時からモーセの補佐役であったヨシュア(出エジプト記17:9-14)が、モーセの後継者に選ばれました。

「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。(ヨシュア記1:2)」と神はヨシュアに命じました。

 「ヨシュア記」は、ヨシュアの指揮の下になされたイスラエル人のカナン征服の記録です。第一部(1-12章)はカナン征服、第二部(13-22章)は土地の分割と定住、第三部(23-24章)はヨシュアの訣別の説教とその晩年の出来事を記しています。ヨシュアに率いられたイスラエルの民族がカナンの地(パレスチナ)に定着したのは、紀元前1220年頃と推定されています。

 ヨシュア記は、神がヨシュアに語った約束と励ましの言葉で始まります。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。雄々しくあれ(1:5,6節)。」

 カナンの地には先住民族が定住し、エリコを含む三十一の都市国家に分かれていました(民数記   25:1)。この地に入るためにヨシュアは先住民を征服しなければなりませんでした。ヨシュアが最初に攻撃地に選んだのはエリコでした。エリコ(しゅろの町の意)は、カナンを制圧するためには戦略的にいっても重要な地点でした。エリコは堅固な城壁で囲まれていた都市で、アモリ人が支配していました。

 エリコは交通の要所であり、ヨルダン川の東側から伸びる街道は、エリコを通って、ヨシュアの最終目的地である、カナンを南北に貫く山脈に通じていました。

 ヨシュアはエリコとその周辺を探るため、シティムから二人の斥候をひそかに送り出しました。彼らはエリコ市内の遊女ラハブの家に入り、泊りました。宿屋であったラハブの家はよそ者が行っても怪しまれない場所だと思ったのです。ところがそれを見かけて者がエリコの王に告げたのです。王から遣わされた衛兵はラハブに斥候を引き渡すことを命じました。

 女は、急いで二人をかくまってから、「確かに、その人たちはわたしのところに来ましたが、わたしはその人たちがどこから来たのか知りませんでした。日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。」と答えました。

 斥候を逮捕にきた衛兵は、彼女の言葉を信用し、二人の後を追い、山側とは反対のヨルダン川に通じる道を渡し場まで行きました。城門は追っ手が出て行くとすぐに閉じられました。 彼女は二人を屋上に積んであった亜麻の束の中に隠していました。亜麻は亜麻布を織る材料でした。追っ手が去った後、彼女は屋上に上がってきて、二人に言いました。

  「この地域の人々はイスラエルの民がエジプトを脱出したときに起きた奇蹟(紅海渡河)やヨルダン川東岸のアモリ人の王の国を滅ぼしたこと(申命記2,3章、民数記21,22章)、などを耳にして恐怖におののき心がくじけおり、イスラエルとその神に立ち向かおうとする者はいなくなりました」とアハブは言い、彼女が二人を衛兵の目からかくまった理由を説明しました。

 ラハブは、自分が斥候たちに誠意を示したのだから、イスラエルがエリコの町を攻めるときに、彼女とその家族に危害を加えることのないようにと、二人に誓わせました。

 ラハブの家は城壁の壁面を利用したものであったので、二人を窓から綱でつり降ろし、二人に言いました。

 「追っ手と会わないように、山の方へ行きなさい。三日間はそこに身を隠し、追っ手が引き上げてから帰りなさい。」と忠告しました。

  二人は、真赤なひもを渡し、彼らが立ち去ったあと、そのひもをつり降ろした窓に結びつけておくように言いました。それを目印にして、エリコを攻めるとき、ラハブと一族を守ることを約束しました。

 二人はラハブに言われたようにして逃れ、ヨシュアのもとに戻り、一部始終を報告しました。「主は、あの土地をことごとく、我々の手に渡されました。土地の住民は皆、我々のことでおじけづいています。」と情報を伝えたのです。

  この有力な情報によりヨシュアはエリコを攻略できました。エリコ陥落の日にラハブの一族だけは生き残り、それ以降はイスラエルの民に加わり、行動を共にしたのです。

    

  エリコの遺跡丘。丘の高さは21.5㍍、約4ヘクタールの地域を占めます。当り一面草木のない茶褐色の荒れ地の中で、エリコだけは近くに泉のある緑豊かなオアシスがあります。  

    

  ヨシュアが占領したエリコの町                 エリコの崩れた城壁

  ラハブについて、新約聖書ヘブライ11:31には、「娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって義とされたではありませんか。」と記しています。

  信仰がその行いを伴うとき、神に義と認められると説くヘブライ書では、ラハブが王の命令に逆らって、敵である彼らをかばったのは、いのちがけの行為であり、「信仰によって」なされた行為であると賞賛しています。

  ラハブが命を懸けてまで二人の斥候を守ったことには理由がありました。それは彼女がカナンの者であったにもかかわらず、イスラエルの民を導いた神こそが、本当の神だと信じるようになっていたからです。

  ヤコブ書2:25には、「信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。」とあります。ラハブの信仰とは、どのような信仰だったのでしょうか。

 ラハブの信仰告白が、ヨシュア記に記されています。

   「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。(ヨシュア記2:11)」

  異教の女ラハブによって、イスラエルの神の名、主(ヤーウェ)がとなえられ、創造主なる神とそのご支配について告白されています。これはカナンの人々が信じている偶像の信仰とは根本的に違います。ラハブが信じた神様は天と地を造られた創造主なる神様であり、すべてを支配しておられる神でした。

 ラハブはイエス・キリストの系図にも加わることになります。

  「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。(マタイ1:5-6)」

  遊女ラハブはカナン人でしたが、悔い改めて、イスラエルの神こそ本当の神と信じて救われ、やがて彼女はユダ族の長サルモンと結婚します。サルモンとラハブの間にできた子が、ボアズで、ルツ記の主人公、モアブ人であるルツの夫です。バアズとルツの間に生まれたのがオベデで、オベデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれ、イエスを産んだマリアの夫となるヨセフへと、系図はつながっていくのです。ラハブは、神の救いと祝福を自分の家族と子孫に与えたばかりでなく、救い主の系図の中の母となることによって、神の救いと祝福を全世界にもたらす者となったのです。

マタイによる福音書の冒頭にある系図の中に四人の女性が登場し、そして最後にイエスの母マリアの名がでてきます。ユダヤの系図では、本来なら男性の名前のみ記される中に、女性が登場するのはきわめて異例です。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻バテ・シェバ、これら四人の女性は、従来罪にからんだ女性として解釈されてきました。

タマルはユダの息子と結婚するが、夫が死んだのち、ユダの子孫を残すために、義父ユダによって子を産みます(創世記38章)。ラハブはエリコの遊女です。ルツもモアブ出身の異邦人です(ルツ記1章)。バト・シェバは、ウリアの妻であったが、ダビデがバト・シェバと結婚したいために、その夫を戦場に送り、戦死させました(サムエル記下11-12章)。四人の女性はいずれも罪にからんでいるというわけです。このような罪にまみれた系図の中に、メシア・イエスは生まれ、罪をあがなう方となったという解釈です。

しかし、ルツは旧約では敬虔な女性であり、罪の女ではありません。バト・シェバの場合も罪を犯したのはダビデであり、彼女はむしろ被害者です。タマルも旧約では幸福な家庭の模範とされています(ルツ記4:12)。ラハブも新約聖書でその信仰が賞賛されています。

これら四人に共通するのは、すべて異邦人であることです。タマルはティムナに出身の異邦人、ラハブはエリコの土着の女性、ルツはモアブ人、バテ・シェバは夫ウリアと同じヘト人と考えられます。イエスの系図に四人の異邦人が現れることは、イスラエルという狭い民族的な枠を超えて、異邦人もまたイエスの救いの対象であり、イエスの福音がすべての人に伝えられていくべきことがことを強く訴えられているのです。

カナンの一女性、しかも遊女であるラハブは、新約聖書では娼婦ラハブと呼ばれています。彼女は信仰により、二人の斥候をかくまい、助けたことにより、イスラエルに滅ぼされたカナンの町で、奇跡的に自分自身と家族のいのちを守ることが出来ました。ラハブはその後ユダヤ人サルモンと結婚し、イエス・キリストの誕生にかかわる系図の中に登場し、全世界の救いと祝福のために役割を果たしたのです。

イエスがファリサイ派のシモンの家に入って食事の席に着かれたとき、その町の一人の罪深い女が香油の壷を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足をぬらし始め、自分の髪でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗りました。イエスを招いたシモンはこれを見て、ひそかに罪深い女のすることを許容しているイエスをひそかに非難し軽蔑しました。この「罪深い女」とは、ひとりの売春婦です。イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言い、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました(ルカ7:26-50)。」主イエスは彼女が示したイエスに対する愛と信仰を賞賛しました。

主イエスは、当時の人々に罪人として嫌われ、差別されていた徴税人や売春婦とひんぱんに接触し、彼らの立場を擁護しました。「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたち(ユダヤの宗教家)たちより先に神の国に入るだろう(マタイ21:31)。」と言われています。

遊女ラハブがその信仰のゆえに、神の救いのために用いられられたことは、民族も、家柄も、職業も、能力も関係なく、神は無きがごとき者をも尊く用い給う愛なる方であることをわたしたちに教えています。

 

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「契約の箱を捨て、主の神殿を破壊される神」 エレミヤ書7章1~14節

2014-01-19 19:35:21 | 礼拝説教

                 ↑ 東南から見た神殿の回廊へ通じる階段。

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380                                                                               FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

降誕節第四主日       2014年1月19日(日)    5時~5時50分 

礼    拝  

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(旧) 521(イエスよ、心にやどりて)

交読詩編   27(主はわたしの光) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  エレミヤ書7章1~14節

説 教 「契約の箱を捨て、主の神殿を破壊される神」   辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(旧) 352(あめなるよろこび)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(旧)   541(父、み子、みたまの)

祝 祷

後 奏

 本日の聖書 エレミヤ書7章1~14節

1主からエレミヤに臨んだ言葉。 2主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。 3イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。 4主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。 5-6 この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。 7そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。 8しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。 9盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、 10わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。 11わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。 12シロのわたしの聖所に行ってみよ。かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい。 13今や、お前たちがこれらのことをしたから――と主は言われる――そしてわたしが先に繰り返し語ったのに、その言葉に従わず、呼びかけたのに答えなかったから、 14わたしの名によって呼ばれ、お前たちが依り頼んでいるこの神殿に、そしてお前たちと先祖に与えたこの所に対して、わたしはシロにしたようにする。

本日の説教

 エレミヤ(紀元前626~586年頃)は、古代イスラエル時代、南王国ユダの都市エルサレムで活動した預言者です。彼の時代に、サウル王(治世1051-1011頃)、そしてダビデ王(治世1011-971)と約四百年以上も続いたユダ王国も、バビロニアのために滅亡(紀元前586年)しまいました。この最も大きな危機の時代に、エレミヤは、主なる神の言葉を、命がけで伝えた預言者です。

 エレミヤ書7章には彼が語った預言が記されており、26章には、その時起こった出来事が記されています。

 秋の収穫を祝う時か、あるいは新年を祝う祝祭日に、イスラエル人は、遠方からも、エルサレムの神殿に詣でるために大勢集まって来ました。そのおびただしい群衆に向かって預言することを、エレミヤは神から命じられたのです。ヨヤキム王の治世(紀元前608-598年頃)の時のことです。

 「主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。『主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。

 東側から見たヘロデの神殿の模型(イスラエル博物館、エルサレム)。 現在の「嘆きの壁」の場所は、西側の左部分に当たる。

      

 神殿は、東西北の3方向を柱廊で囲まれ、南側はバシリカ(長方形の建物)に囲まれた広場の中に建てられていた。バシリカは集会所となったり、献納物の買い物などに使われていた。ユダヤ人だけが、東側の金の「ビューティフル・ゲイト」から神殿の中に入れたが、すぐそこには「女性のための広場」があった。さらにそこから男性だけが、15段の半円形の階段(聖職者たちが立って歌ったり楽器を奏でていた)を上って行け、献じたアレクサンドリアのユダヤ人の名をつけた「ニカノル・ゲイト」という銅の門をくぐることができた。門をくぐったすぐのところが、「イスラエル広場」で、一般の人はここまでしか入れなかった。このさらに奥に生贄を献じる台が据えられ、その後ろに高さ50メートルの神殿が立っていた。3種類の大理石が使われ、金の装飾がなされていた。

  当時、イスラエルは、バビロニアやエジプトの支配を受けて、政治的にも動揺し、不安が国全体を覆うていました。そこでイスラエル国民は、何かによって不安な心を鎮めたいと願い、祭りの度ごとに、エルサレムの神殿に集まりました。「これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ」という言葉は、そのような気持ちをよく示しています。この神殿があるならば我々は大丈夫だと思ったのです。

 エレミヤは、もし国民が不信仰と悪しき行いとを悔い改めるならば救われるが、それを拒むならば滅ぼされ、彼らが頼みにしている神殿も、神の審判によって破壊されてしまうと警告したのです。

 なぜエレミヤは、このような思いきった預言をしたのでしょうか。それは、イスラエルの民の不信仰、罪悪のためでした。「盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い」とモーセの十戒のうち、四つの罪と、「バールに香をたき」という「わたしをおいてほかの神があってはならない」という第一戒の不信仰の罪があげられています。

 「わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。」神の掟である律法を破りながらも、主の神殿に来れば、「救われる」という間違った思い違いをしている。神殿は彼らの護身符(神仏の守り札)のようなものになっている。彼らこそ、神聖であるべき神殿を「強盗の巣窟」のようにして、これを冒涜している、というのが理由でした。

 エレミヤより100年ほど前の預言者イザヤ(紀元前740-700年頃)の時代に、イスラエルはアッシリヤ軍に攻められ、エルサレムが敵軍によって包囲されたとき、イザヤは真心から主なる神を信頼するならば神の都は救われると語りました。イザヤの預言のとおり、エルサレムは奇跡的に救われました。このことがあって以来、エルサレムの神殿に対する国民の信頼は一層高まりました。我々にはこの宮がある。決して都も国も滅びることはないという間違った安心感がりました。それは丁度、第二次世界大戦時、日本人が伊勢神宮や明治神宮に対して抱いた感情や信頼と共通するものでした。日本は「神の国だ、戦争に負けるはずがない」と国民は信じました。

 エレミヤは、神殿に対するこのような信頼は全く迷信だと叫んだのです。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」と。12節に、「シロのわたしの聖所に行ってみよ。」と言っています。「シロ」は、カナン征服時代に、イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた地です(ヨシュアキ18:1)。そこはエレミヤより、四百年も昔、預言者サムエルの時代にも、全イスラエルの礼拝の中心地でした。「シロ」は、エルサレムの北、ベテルとシケムの間にある、聖所(神の幕屋)があった場所です。そこには神の箱(契約の箱)も置かれていました。

                             神の幕屋(聖所)                                     

  「かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい。…わたしはシロにしたようにする。」

 これは、シロの神殿を神が破壊(紀元前1050年頃)したように、エルサレム神殿も同じようにすると言っているのです。ぺリシテ軍の攻撃により、イスラエル軍は敗れ、彼らが、勝利を与えてくれると頼みとした神の箱は敵軍に奪われ、シロの神殿は破壊されました(サムエル記上4章)。詩編78篇60節でも、次のように語られています。「彼らは…異教の祭壇に仕えて神を怒らせ、偶像を拝んで神の激情を引き起こした。神は聞いて憤り、イスラエルを全く拒み、シロの聖所、人の手によって張られた幕屋を捨て、御力の箱がとりこになるにまかせ、栄光の輝きを敵の手に渡された。」(詩編78篇58-61)

   至聖所には契約の箱が置かれました。契約の箱(神の箱)とは 旧約聖書に記されている十戒が刻まれた二枚の石版を収めた御神輿のような箱のことです。モ―セの時代には、マナを収めた金の壷と芽を出したアロンの杖も収められていました。契約の箱は、モーセの指示に従って作成されたもので、エジプト脱出から一年後には完成していました(出エジプト記40:2-3)。アカシヤの木で作られた箱は、長さ1㍍30㎝、幅と高さが、80㎝の長方形の箱で、装飾が施され、地面に直接触れないよう、箱の下部四隅に脚が付けられ、持ち運びの際、箱に手を触れないように、二本の棒が取り付けられ、これら全てが純金で覆われています。箱の上部は贖罪所と呼ばれる純金の蓋があり、金の打物造りによるケルブ二体が載せられました(出エ25章)。「契約の箱」は、神の臨在のしるしでした。イスラエルは荒野の旅や、ヨルダン渡河(とか)で、この箱を先頭に進みました。カナンに入ってからは、サムエルの時代まで、170年間もの間、シロに置かれていました。      

  エレミヤは、エルサレムは神の都であるが、そこに主なる神の神殿があろうとなかろうと、もし国民がその罪を心から悔い改めることがないならば、国は必ず滅亡し、民は救われないと警告したのです。

  国と民は何をなすべきか。「お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行う」と説いたのです。神礼拝と日常生活の行為が結びついていなければ、神殿の祭りをいかに盛んにしようとも、それは神の宮を盗賊の巣とするに他ならないと戒めました。

  主イエスもこの言葉を用いています。イエスはエルサレムの神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、…そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている。」(マタイ21:13)

 エレミヤの時代のユダ王国の民は、エルサレムの神殿の礼拝が盛んなことをもって、神への忠誠心が盛んであると考えていました。しかし、エレミヤは、神殿を否定して真の宗教は道徳的な神との交わりがなければならないと主張したのです。その態度は主イエスによってもとられています。

  イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言いました。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われました。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」と言われ、神殿の破壊を予告したのです。(マルコ13:1,2節)その神殿を人間の内にある神の住まいとされたのです。

 パウロは、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(コリント一、3:16)と言い、イエス・キリストの土台の上に据えられた神殿として、それにふさわしい信仰の生活をすることを勧めています。

  日本人は祭りを重んじ、元朝参りなどの参詣に熱心です。御利益を求め、種々の願いごとをします。現在の日本社会では一般的に、どの宗教・宗派を信仰しているかはさほど重視されず、また個々人も自らの信仰をことさら意識することが少なく、その信仰と生活とは遊離していると言われています。その宗教心は神様に喜ばれる生活をしようと心掛けるものではないのです。一方的に神様に祈願しても、神様はその願いをかなえてくださるのでしょうか。神社や寺院が、何を祭って神とし、仏としているのかを検討することもなく、手を合わせて拝んでいる、このような国民の宗教心はいつまで続くのでしょうか。ただ慣習に従うだけの宗教心は、果たして人格の向上につながるのでしょうか。

 日本の学校では、いじめの問題が社会問題となっており、深刻です。他の人を思いやり、大切にする愛が社会に欠けているのです。「自分を愛すように、他人を愛しなさい」という愛の精神に欠けているのです。自分と同じように他人も大事にするという倫理感が青少年に浸透していないのです。「弱い者いじめ」は、「弱い者」を他人事としてかえりみず、自己本位に生きている大人の社会の縮図です。

 エレミヤは、「寄留の外国人、孤児、寡婦(かふ)を虐げる」ことのないようにと勧告しています。社会の中の弱者が、差別されることなく、どんな人とも人間関係を大切にする社会にしなければなりません。

 神の霊・聖霊を豊かに受けて、御霊のキリストを心に宿し、エルサレム神殿や、伊勢神宮にもまさる宮としていただき、「何事も愛をもって行う」(コリント一、16:14)生活をするように心がけましょう。

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「神は荒れ野で食卓を整えることができるのだろうか」 詩篇78篇12~39節

2014-01-12 22:00:46 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 

                                          FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報      降誕節第三主日       2014年1月12日(日)  5時~5時50分 

礼    拝

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   6(つくりぬしを賛美します)

交読詩編  100(全地よ、主に向かって) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書    詩篇78篇12~39節

説 教 「神は荒れ野で、食卓を整えることができるのだろうか」                                                                    辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)367(偉大なみ神の)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

 本日の聖書 詩編78篇12~29節

12エジプトの地、ツォアンの野で
神は先祖に対して不思議な御業を行い
13海を開いて彼らを渡らせる間
水をせきとめておかれた。
14昼は雲をもって
夜は燃え続ける火の光をもって彼らを導かれた。
15荒れ野では岩を開き
深淵のように豊かな水を飲ませてくださった。
16岩から流れを引き出されたので
水は大河のように流れ下った。
17彼らは重ねて罪を犯し
砂漠でいと高き方に反抗した。
18心のうちに神を試み
欲望のままに食べ物を得ようとし
19神に対してつぶやいて言った。

「荒れ野で食卓を整えることが
神にできるのだろうか。

20神が岩を打てば水がほとばしり出て
川となり、溢れ流れるが
民にパンを与えることができるだろうか
肉を用意することができるだろうか。」
21主はこれを聞いて憤られた。

火はヤコブの中に燃え上がり
怒りはイスラエルの中に燃えさかった。
22彼らは神を信じようとせず
御救いに依り頼まなかった。
23それでもなお、神は上から雲に命じ
天の扉を開き
24彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。神は天からの穀物をお与えになり
25人は力ある方のパンを食べた。

神は食べ飽きるほどの糧を送られた。
26神は東風を天から送り
御力をもって南風を起こし
27彼らの上に肉を塵のように降らせ
翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ
28彼らの陣営の中に
宿る所の周りに落としてくださった。
29彼らは食べて飽き足りた。神は彼らの欲望を満たしてくださった。

30彼らが欲望から離れず、

食べ物が口の中にあるうちに
31神の怒りが彼らの中に燃えさかり
その肥え太った者を殺し
イスラエルの若者たちを倒した。
32それにもかかわらず、彼らはなお罪を犯し
驚くべき御業を信じなかったので
33神は彼らの生涯をひと息のうちに
彼らの年月を恐怖のうちに断とうとされた。
34神が彼らを殺そうとされると
彼らは神を求め、立ち帰って、神を捜し求めた。
35「神は岩、いと高き神は贖い主」と唱えながらも
36その口をもって神を侮り
舌をもって欺いた。
37彼らの心は神に対して確かに定まらず
その契約に忠実ではなかった。
38しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め
憤りを尽くされることはなかった。
39神は御心に留められた
人間は肉にすぎず
過ぎて再び帰らない風であることを。

本日の説教

  78篇は、詩編150篇の中でも、最も長い詩の一つです。その大部分が、イスラエルと共に歩まれた主の歩みを語る物語で構成されています。この点でこの詩は、詩編105篇、106篇、136篇と同じような「歴史の歌」です。出エジプトから荒れ野放浪、カナン定着、ダビデ王国の成立に至るまでの歴史を回顧しながら、選ばれた民といえども、たえず罪と不信に陥り、それにもかかわらず、神の愛と忍耐による救いのみわざが歌われています。

 78篇は、長い序文(1~11節)から始まります。「先祖のように」ならないように(8節)、とは、出エジプトによる「荒れ野の世代」を教訓にしています。

 また、「闘いの日に裏切ったエフライムの射手のように」ならないように(9節)という教訓は、エフライム部族が代表する北王国イスラエルのことで、具体的な出来事としては、サムエル記上4章に記されているペリシテ軍との戦いで敗退し、神の箱を奪われたことを指すものと思われます。このことにより、67節では、エフライム族が退けられ、代わってユダ族のダビデ王が選ばれることが歌われています。

 78篇は序文に続き、第一部(12~39節)と、第二部(40~72節)の二部から構成されています。

 第一部では、荒れ野の世代の先祖たちの過ちが語られ、第二部(40~72節)では、荒れ野の世代に対しての嘆きから始まり、エフライムの地(ヨセフ族から分かれた2部族<エフライムとマナセ>の1つ)で起こった先祖たちの過ち(56~58節)が語られています。

 今日の礼拝では、第一部について学びます。

12~14節は、出エジプト記7章~15章までの要約です。「エジプトの地、ツォアンの野で、神は先祖に対して不思議な御業を行い、海を開いて彼らを渡らせる間水をせきとめておかれた。昼は雲をもって夜は燃え続ける火の光をもって彼らを導かれた。」(12~14節)

 ナイル河三角州の東部「ツォアンの野」は、エジプト北部の中心地であり、イスラエルの民がエジプトに寄留していた時代、すなわち、ヒソクス王朝時代からラメセス王朝時代にかけて首都が置かれていた地です。

 モーセとアロンは、エジプト王ファラオに、イスラエルの民が荒れ野でイスラエルの神・主に犠牲をささげるため、民をエジプトから去らせてほしいと願いましたが、頑迷なファラオはエジプトの労(ろう)役(えき)者を失うことを望まず、その願いを認めようとしませんでした。それで、神は、ファラオとエジプトに、十の災いを下しました。血の災い、蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災い、疫病の災い、はれ物の災い、雹(ひょう)の災い、いなごの災い、暗闇の災い、そして最後に、主の過ぎ越しによる初子の死の災いを与えたのです。ついに、ファラオはイスラエルの民がエジプトから出ていくことを認めました。イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発しました。イスラエルの人々がエジプトに住んでいた期間は四百三十年(創世記15:13では「四百年の間」)でした。

 神は民を、約束の地カナンに行くのに、最も近いシュルの道ではなく、葦の海(紅海)に通じる、荒れ野の道に迂回させて導きました。イスラエルの民がカナンの地で敵と戦うのを恐れて、エジプトに逃げ帰らないようにとの神の配慮からの導きでした。

 一行はスコトから旅立ってエタムに宿営しました。主は彼らに先だって進み、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを導かれました。主はモーセに、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒトロの傍らの、海べのバアル・ツェフォンの前に宿営するように命じました。

 ファラオとエジプト軍は、イスラエルの民がエジプトから去るのを引き戻そうと彼らの後を追い、彼らの宿営地の間近に迫りました。イスラエルの民は恐れました。

 主なる神は、指導者モーセに命じ、イスラエルの民を出発させ、海の中の乾いた所を通らせ、ファラオと全軍が、彼らの後を追って海の中に入ったとき水を戻して、彼らを全滅にしてしまいました。紅海の奇跡と言われている出来事が起こったのです。

 エジプトから逃げだしたのは、妻子を除く壮年男子だけで60万人であったと言われています(出エジプト記12:37)。民数記1:46の記述によると、603,550人の兵士に女性や子供を加えると,全人口はおよそ200万人以上になります。しかし、砂漠地帯の限られた資源を考えると、神が毎日のように超越的奇跡を起こされたと想定しない限り,200万人以上の人数を長い間養うことは極めて考えにくいことです。

 60万人のヘブライ語は、ケシェシュ(約六)、メオット(百)、エレフ(千)という三つの語からなっています。エレフは「一族」(士師記6:15)とも解釈されるので、氏族ないし家族が600だったと言っている可能性があります。エジプトから出たイスラエル人の総数がおよそ2万人であったとする説があります。

 その後、彼らは葦の海を旅立ち、荒れ野を三日の間進んだが水を得られませんでした。マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができませんでした。こういうわけで、その名はマラ(苦い)と呼ばれました(出エジプト記15:22ー24)。民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言いました。モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示されました。その木を水に投げ込むと、水は甘くなり、飲める水になりました。

 彼らがエリムに着くと、そこには十二の泉があり、七十本のなつめやしが茂っていました。その泉のほとりに彼らは宿営しました。

 イスラエルの人々は、エリムを出発し、シンの荒れ野に向かいました。砂漠の旅は、絶えない渇きとの戦いでした。

 そしてレフィディムに宿営したときです。そこには民の飲む水がありませんでした。この地の水は飲めなかったため、民は不平を言い、モーセの取次ぎで水を得ることができました。

15節・16節「荒れ野では岩を開き深淵のように豊かな水を飲ませてくださった。岩から流れを引き出されたので水は大河のように流れ下った。」これは、出エジプト記17章6節にある出来事です。

17~29節、は、出エジプト記16章にある、パンと肉を求めた不平です。イスラエルの人々は、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に入ると、モーセとアロンに向かって不平を述べたのです。

16章の最初の12節で、「不平」という言葉が7回も繰り返されています。ヘブライ語のこの表現は、憤り、不満、怒り、苦情といった意味合い(ニュアンス)があります。

「彼らは重ねて罪を犯し、砂漠でいと高き方に反抗した。心のうちに神を試み、欲望のままに食べ物を得ようとし、神に対してつぶやいて言った。」(17節~19節)

「反抗した」とは、神の意志に対して従順でなかったことです。「神を試みた」とは、神の善意に対して疑い深く、神の意志が行為によって証明されることを要求したことです。「欲望のままに食べ物を得よう」とは、神に対する信仰と信頼を失って、食欲のみに走ったことを表しています。

彼らは、一度、砂漠の荒れ野で水を与えられる神の奇跡と恩恵を経験したにもかかわらず、その神に全き信頼をよせることをしないで、疑いをいだいている彼らの不信な姿が描かれています。

「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」(出エジプト記16章3節)

 彼らは「神に対してつぶやいて言いました。『荒れ野で食卓を整えることが、神にできるのだろうか。神が岩を打てば水がほとばしり出て川となり、溢れ流れるが、民にパンを与えることができるだろうか、肉を用意することができるだろうか。』」(19節)

主はこれを聞いて憤られました。

「火はヤコブの中に燃え上がり、怒りはイスラエルの中に燃えさかった。彼らは神を信じようとせず、御救いに依り頼まなかった。」(21,22節)

 これは、民数記11:1の記事にもとずくもので、主の火が彼らに対して燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした出来事です。民はモーセに助けを求め、モーセが主に祈ると火は鎮まりました。

  イスラエルの民は、始めは、モーセに向かって「何を飲んだらよいのか」と不平を言いました。次に、「パンを求めました。マナというパンが与えられると、「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱(ねぎ)や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾(つば)は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」(民数記11章)と、主の耳に達するほど、激しく不満を言ったのです。

 主はモーセに言われました。

「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」(出エジプト記16章12節)

「神は東風を天から送り、御力をもって南風を起こし、彼らの上に肉を塵のように降らせ、翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ、彼らの陣営の中に、宿る所の周りに落としてくださった。彼らは食べて飽き足りた。神は彼らの欲望を満たしてくださった。」(26~29節)

主は朝にはマナというパンを与えられ、夕方には肉としてうずらを与えられました。イスラエルの人々は、荒れ野で、四十年にわたってこのマナを与えられて養われ、旅を続けることができたのです。

 マナは、マナ・タマリスクと呼ばれるギョリユゥ属の低木ないし灌木の葉をある昆虫が刺すと、その虫の分泌物と樹液から成る球状のものが葉の表面にでき、それが地面にころがり落ちたものを夜気温が下がったときに集めることができます。しかし、日中温度が上昇すると溶けてしまいます。イスラエルの人々は、朝これを集めてこね、焼いてパンのような食べ物にしました。蜜の入ったウェハースのような味で、こんにちでもベドゥインは食べていると言われています。

 うずらは、三月から四月に紅海からシナイ半島を越えて、ヨルダン峡谷や北パレスチナまで北上し、九月に南下する渡り鳥の一種と考えられています。

 詩人は神がその怒りにもかかわらず、なおその奇蹟と恩恵をイスラエルに与え続けたことを述べています。

 「彼らが欲望から離れず、食べ物が口の中にあるうちに神の怒りが彼らの中に燃えさかり、その肥え太った者を殺しイスラエルの若者たちを倒した。」(20,21節)

 これは、民数記11章33節に書かれている出来事です。民がうずらを貪欲に集めて食べたので、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打ったのです。そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれています。

 このように、彼らは荒れ野で不安になり、欲望のままに食料を求め、ついに神の怒りを挑発することになったのです。

「しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め、憤りを尽くされることはなかった。」(38節)とあります。また神は、人間がいかに罪におちいりやすい弱い者であるかを心に留められ憐れまれたかを次のように歌っています。

 「神は御心に留められた、人間は肉にすぎず、過ぎて再び帰らない風であることを。」(30節)

 詩人は、いやしがたい人の罪と、神の赦しを記しています。絶えず、私たちは神に選ばれたときの原点に帰ること、そこから新たに出発することに希望があることを知らされます。

 主が本当に「荒れ野で食卓を整えること」が出来るのかという疑問や疑いは、荒れ野にいるイスラエルの民に限ったことではありません。これは主の民を常に脅かす危険を描き出しています。それはすべての世代を危険にさらしうる信仰的な過ちです。神の御力を疑うことであり、主を信じないことであり、主のみに依り頼まず、神に委ね切らないことです。彼らのためになされた主の全能のみ業を思い出さないことなのです。

 「神はパンを与えることができるだろうか」という言葉は、母が私に言ったことばと重なります。私が高校三年生の時、「神学部に入って、牧師になりたい」と父母に告げたとき、母はすかさず、「神様は食べさせてくださる方ではない」から、まず自活できる道を選ぶようにと私を説得したのです。成人になるまでは、親の意見を聞くようにと私は意見されました【それで私は東北学院大学英文科に入学することになりました。卒業時に、大学の方から、東京神学大学に勧められ、大学院卒業まで4年間奨学資金を与えられて学ぶことができました。卒業後は、英語教師の教諭免許状を取得していたことが役立ち、自活しながら、牧師として開拓伝道を続けることができました。これも神様のありがたい導きというほかありません。】キリスト教の全能の神を知らない母であれば、当然の意見だったと思います。多くの日本人が信じている神社に祭られている神は、個々人を養ってくださる神としては信じられていません。しかし、「神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるから、思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」(ペトロ一、5:7)とあるように、全能の神は、個々人の必要を知り、養ってくださる方なのです。

イエス様はこのことを次のような言葉で語っています。

「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。」と言われ、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩む」者を、「信仰の薄い者たちよ」ととがめておられます。

そして、「天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と言われ、これらのものは、「神の国と神の義を求める者に、「みな加えて与えられる」と約束されています。(マタイ6:25~34)

 このことは、「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい」というパウロの勧めとは矛盾しません。怠惰な生活を避け、だれにも負担をかけないように、「落ち着いて仕事をする」ことは、「神の国と神の義を求める」ことにも通じる生き方です。働ける間は、健康に感謝して、働きましょう。「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの」なのです。

 「主は、わたしの羊飼い、わたしには何も欠けるものがない」と御言葉にあるように、私たちを養い導かれる主を信じて従い、貪欲を避け、与えられいるものに感謝し、必要なことには祈りと願いをささげ、喜びにあふれて、「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられように」(フィリピ1:20)、主を讃えつつ,過ごしましょう。

 

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「食卓を整えてくださる主」 詩篇23篇1~6節

2014-01-05 21:40:48 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 

                               TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

      日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、

万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

降誕節第二主日         2014年1月5日(日)

(年始礼拝)          5時~5時50分 

礼     

                     司会 永井 慎一兄

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 368(新しい年を迎えて)

交読詩編   27(主はわたしの光、わたしの救い) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書    詩篇23篇1~6節

説 教  「食卓を整えてくださる主」辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)459(かいぬしわが主よ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

本日の聖書 詩篇23篇

                        1賛歌。ダビデの詩。                                                                                       主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。


2主はわたしを青草の原に休ませ,憩いの水のほとりに伴い


3魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく,わたしを正しい道に導かれる。

4死の陰の谷を行くときも,わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。                               あなたの鞭、あなたの杖,それがわたしを力づける。

5わたしを苦しめる者を前にしても,あなたはわたしに食卓を整えてくださる。                                                わたしの頭に香油を注ぎ,わたしの杯を溢れさせてくださる。


6命のある限り,恵みと慈しみはいつもわたしを追う。                                                                          主の家にわたしは帰り,生涯、そこにとどまるであろう。

本日の説教

   昨年9月8日の深夜、アルゼンチンのブエノスアイレスで、2020年夏季オリンピックの開催地を決める、国際オリンピック委員会総会が開かれました。東京招致のためのプレゼンテーションで、フリーアナウンサーの滝川クリステルさんが、流暢なフランス語で、「東京は皆様をユニークにお迎えします。日本語でそれを『おもてなし』という一語で表現できます。」とスピーチしました。日本語で「オ・モ・テ・ナ・シ」と独特のゼスチャーを交えて表現したのは印象的でした。その後に手を合わせて拝むようなポーズをしてから、「オモテナシ」と言ったのは、何なのか理解できませんでした。おそらく、タイやインドなどでお客さまに、手を合わせて挨拶する仕種だったのかと思います。

 新年1月3日の朝、7時20分から一時間、NHK総合テレビで、「京都迎賓館『極める!京都の伎とおもてなし』」という放送がありました。京都迎賓館は京都御苑内にある建物で、日本の歴史・伝統・文化を外国の貴賓を迎えて伝えるべく、京都の建築家・造園家・漆芸家・数寄屋大工・料亭・華道・茶道・琴の奏者・能、狂言等日本芸能などあらゆる分野での専門家を総動員しておもてなしをするところだということです。ウガンダの議長と随行員7名ほどが訪れた様子を伝えていました。その後、ウガンダの議長の感動した感想を伝えていました。私はこれ以上のおもてなしはないのではないかと思わせられました。日本のおもてなしの精神は、世界に誇れる文化です。この文化に日本の茶道が深くかかわっているのを感じました。

 ところで、神様はそれ以上の「おもてなし」をしてくださる方であることを、詩編23篇から学びたいと思います。

  詩編23篇の1節から4節までは、神と人間との関係が、羊飼いと羊の関係に例えられており、「主なる神は私の羊飼いである」と詠われています。この部分については年末礼拝で学びました。

  今日は5節と6節の「客をもてなす神」について学びます。荒れ野でイスラエルの民が、「荒れ野で食卓を整えることが、神にできるのだろうか。…民にパンを与えることができるだろうか。肉を用意することができるだろうか。」と神に対してつぶやき、神を信じよようとせず、御救いに依り頼まなかったのに、神は彼らのために「食卓を整えられた」方です(詩編78:17-29)。この神のもてなしが、この詩編の背景にあります。

 ここには羊飼いに代わって家の主人がいます。敵によって苦しめられている者を受け入れ、豊かにもてなしてくれる家の主人です。食卓を整えること、香油を注ぐこと、杯に酒を満たすことは、すべて豊かなもてなしを表現しています。敵によって苦しめられている客人は、このもてなしによって力づけられ、喜びに満たされ、主の守りの確かさが歌われています。主の守りは、敵の前で食事ができるほど安全で、また敵を恐れる必要にないものなのです。このような神の接待を受けられるならば、これにまさるものは、他にはないでしょう。

 この詩を歌ったダビデ王は、紀元前千年ほど前にイスラエルの統一王国を築いた王です。ダビデは羊飼いから身を起こし、サウル王に見出され、イスラエル二代目の王になった人です。しかし若い頃、出陣するたびに勝利を収めたことで、人々から名声を得ました。このことにサウル王は嫉妬し、敵意をいだきました。ダビデは命を狙われ逃亡の日々を過ごしました(サムエル記上19章)。逃亡の初めは、着の身着のままで逃げ回っていました。枕するところにも、食べ物にも不自由していました。そこでノブという田舎の町の祭司アヒメレクのところに行きました。しかし、あいにく食べ物が何もありません。しかし祭壇に供えた聖別されたパンを特別に許されて食べさせてもらいました(サムエル記上21章)。このようにして、10年にわたる逃亡の日々を、ダビデは神に守られ、養っていただいたのです。 

 晩年には愛する長男アブサロムに背かれ、反乱にあいました。取るものもとりあえず僅かな家来を連れて、命からがら、はだしで泣きながらオリーブ山の坂道を上り、都から逃げ出す悲哀をなめました(サムエル記下15章30節~)。詩編23篇はその時のことをうたった詩篇と言われています。ダビデはアブサロムの追跡を逃れ、マナハイムに着くと、地域に住む人たちが突然、ダビデのところにやってきて、ダビデ一行のために、ベッドと多くの食べ物、飲み物、食器を差し出してくれました(サムエル下17:24-29)。ダビデはこの時の経験を基に、敵によって苦しめられている者を受け入れ、豊かにもてなしてくれる主の恵みを歌ったといわれています。

  日本にキリスト教を最初に伝えたフランシスコ・ザビエルの書簡には、司祭が殺され、原住民間に絶えず殺し合いのある島に行った時のことを報告しています(「聖フランシスコ・デ・ザビエル所翰抄、1548年1月20日の書簡」岩波文庫)。

  「我等の主なる神への愛と奉仕との故に、甘んじて受ける欠乏や危険は悉(ことごと)く大いなる霊的な慰めの豊かな宝である。…私は生涯の中で、この島々に居る時ほど、肉体的苦痛を感じるよりも、こんなに継続的な、そして又圧倒的な、霊的慰藉(いしゃ)(なぐさめ、いたわり)に接した思い出がない。…それで、これらの島は、モロ諸島と呼ぶよりも、神への信頼の諸島と呼ぶべきである。」

 ザビエルは日本に来る前3年7か月ほど前、インドのゴアを拠点に、マラッカを経て、1546年1月に、モルッカ諸島を訪れました。そこは理想境とはほど遠い未開の地でした。ザビエルは、そこで宣教活動を続け、多くの人々をキリスト教に導きました。再度マラッカに戻って、マラッカ滞在中に、日本人ヤジロウに会い、日本布教を決意したのです。モロ諸島とは、インドネシアのモロッカ海の諸島を指すものと思われます。その北部にあるモロタイ島は現地名でモロ島と呼ばれています。

 このザビエルの書簡には、主への強い服従と信頼が記されており、危険のただ中で豊かな慰めをあふれほどいただいています。詩編23篇で歌われている、「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」とは、単に食事のもてなしを受けるだけではなく、このような霊的な糧をいただき、心は満たされ、希望と感謝に溢れることも含まれたいるのです。。

  最後の6節に、「命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう」とあります。神は私たちの命のある限り、恵みに満ちた愛をもって私たちを追いかけられる方なのです。迷い出た羊を、羊飼いがどこまでもどこまでも探し、救い出そうとするように、神は常に私を救おうと、追いかけて来てくださるのです。だから私は、これからの生涯がどのようなものとなろうとも絶望する事無く生きて行けるのです。

  「生涯、主の家にとどまるであろう」とは、神との親しい交わりの生活をするのことです。道に迷った羊が探しに来てくれた羊飼いの胸の中に帰って行くように、私も生涯の日々、神様の御許に、神様の愛の中に帰り続ける、と歌っています。生涯にわたって私たちを導き、豊かに養ってくださったお方と共に、いつまでも、主の家にとどまりつづけであろう、と告白しています。
 イエス様が話された、有名な「放蕩息子のたとえ」で、父から財産を分けてもらった弟息子が、それをお金の換え、遠い国に行って、放蕩の限りを尽くし、ついに、無一文になり、食べるにも困り、父のもとでは息子と呼ばれる資格がないので、雇い人にしてもらおうと、帰っていきます。一方、故郷の父は、弟息子のことを心配しない日はなく、帰ってくるのを待ちわびています。息子を姿を遠くに見つけて父親は走り寄り、首を抱き、接吻し、使用人たちに、「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れてきてほふりなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」と言って、祝宴を開きました。父のもてなしを受けるに値しない、この放蕩息子を父は喜び迎えてもてなすのです。このたとえは神様の私たちに対する愛を表現しています。神は最高のもてなしで放蕩息子に等しい罪深いわたしたちを迎えてくださるのです。貴賓や、VIPを迎えてもてなすのではなく、罪人や無きに等しい者を、最高のもてなしで迎えてくださるのです。

 イエス様は、十字架に架けられる前の晩、使徒たちと最後の晩餐をなさいました。食卓に着く前、イエス様は上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまき、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗ったのです。奴隷が主人に仕えるように、愛をこめてなさったのです。食卓についてから、イエス様は、盃を取り上げて感謝の祈りを唱えてから、「互いに回して飲みなさい」とぶどう酒の入った盃を渡しました。それから、パンを取り、それを裂いて、与えました。イエス様は、「これはわたしの体である。これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と言われました。この場面にも、イエス様のもてなしが表われています。

  罪と死の脅威のもとにある弟子たちの面前で、聖なる晩餐を整えられ、その貴い神の子の命を与えられ、罪と死に打ち勝つ道を備えられたのです。これを記念として再現するのがカトリック教会のミサであり、プロテスタント教会の聖餐式です。イエス様から、この最高のもてなしを受けながら、新しい一年を過ごすことができることを感謝したいと思います。今年の年間標語は、『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』、です。

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