富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

アンシャン王朝とアケメネス朝ぺルシアの歴代王(聖書との関連)

2014-10-28 21:41:20 | 聖書

           アンシャン王朝とアケメネス朝ペルシアの歴代王

   アーリア人が中央アジアからイラン高原に移動を開始したのは紀元前2000年頃だといわれています。だいたい1000年くらいかけて徐々に浸透し紀元前1000年前後には高原の多数派になっていました。ギリシヤの歴史家ヘロドトスによれば、デイオケスという人物がアーリア人を纏めてメディア王国を建国しました。

  紀元前8世紀、アーリア人の一派ペルシア人が、族長アケメネス(英語読みハカーマニシュ)に率いられてイラン南東部ペルシスに移り住みました。ペルシアとは、メディア人がペルシア人の居住地を「辺境:ペルシス」と呼んだことに由来していています。 ぺルシスは現在のイランのぺルシア湾の東に面したファールス州周辺です。                                                           紀元前7世紀にアケメネスの息子テイスペス(B.C.675~640)はエラム王国の都市アンシャンを征服し、アンシャン王国を建国しました。メディア王国に従属する小王国です。アンシャンの遺跡は、イランのファールス州,ザグロス山脈に囲まられシ―ラーズ市の北西36キロメートルにあります。

 アンシャン王朝 歴代王

1.アケメネス(ハカーマニシュ)                                                                    2. テイスペス         アンシャン
3. キュロス1世
4. アリアラムネス
5. カンビュセス1世                                                      6. アルサメス
7. キュロス2世キュロス大王)(紀元前550年 –紀元前529)

  紀元前550年、メディア王国から独立してアケメネス朝を建てたキュロス大王は、最初スサ(ヘブライ語ではシュシャン)に都を建設しました。スサ(スーサ)はエラム王国の首都だったところで、バビロンの東350キロにあります。しかしメディアの都エクバタナや、新バビロニアの都バビロンも、都として使いました。王は、夏には高原のエクバタナ、冬には平地のバビロン、春にはスサに移動しました。

   アケメネス朝ペルシア帝国 歴代王

   アケメネス朝ペルシア(紀元前550年 - 紀元前330年)の、アケメネスは、家祖であるアケメネス王に由来する王朝名です。キュロス2世はぺルシア帝国を建国しました。

1.キュロス2世キュロス大王)(紀元前550年 –紀元前529

  B.C.552年、キュロス大王(キュロス2世)は、メディアに反旗を翻してこれを滅ぼした。続いてBC547年にリディアを、BC539年には新バビロニアを滅ぼして広大なペルシア帝国を建設した。キュロスはバビロニアに捕囚されていたユダヤ人を解放しエルサレムに帰しました。イランでは、キュロスをイランの建国者と称えている。 キュロス大王はパサルガダイ(ペルセポリスの北東)に王宮を造営した。

旧約聖書エズラ記には、キュロス王、6代のアルタクセルクセス王、ダレイオス王の名が出てきます。

 2. カンビュセス2世 (紀元前529年 - 紀元前521年)

     B.C.525年、カンビセス2世はエジプトを征服し、古代オリエント世界を統一しました。

3. スメルディス(紀元前521年)                                               4.ダレイオス1世 (紀元前521年 - 紀元前486年)

  2代カンビュセスが殺されたあと、各地の反乱を平定した3代ダレイオスは、スサの東方に大規模な宮殿の建設を開始しました。ペルシアでは、3月の春分の日を新年として祝う習慣があり、この新年祭には帝国各地の諸民族代表が、大王に朝貢します。その儀式の場として特別に作られたのが首都ペルセポリスです。つまりペルシアの宮廷は、新年儀式はペルセポリス、行政府はスサ、夏の王宮はエクバタナ、冬の王宮はバビロン、載冠式はパサルガダイ(ペルセポリスの北東約70kmにある)を用いました。

ダレイオス1世は、全国を20の州に分け、各州に知事(サトラップ)を派遣した。さらに、知事を監視する監察官も派遣し、サトラップを監視し(王の目、王の耳)、広大な領土を貫く王の道を建設して駅伝制を敷いた(2400kmを7日で結んだ)。また、貨幣を発行して税制を整え、フェニキア人の海上貿易を保護して財政の基礎をかためた。ダレイオス1世がペルシア戦争を起こしたが敗北した。旧約聖書ハガイ書、ゼカリア書に出てくる王です。

  ダレイオス1世から、ダレイオス王朝が始まる。                

5.クセルクセス1世  (紀元前486年 - 紀元前465年)

  旧約聖書エステル記に登場するぺルシア王アハシュエロスは、クセルクセス1世をさしていると伝統的に考えられています。

6. アルタクセルクセス1世(紀元前464年 - 紀元前424年) 

   ネヘミヤ記2章1節に出てくる王です。

7. クセルクセス2世   (紀元前424年 - 紀元前423年)
8. ソグディアノス   (紀元前423年)
9. ダレイオス2世  (紀元前422年 - 紀元前404年) 

     旧約聖書ダニエル書9章1節に出てくる王です。

10.アルタクセルクセス2世(紀元前404年 - 紀元前343年)                               11.アルタクセルクセス3世(紀元前343年 - 紀元前338年)
12.アルセス     (紀元前338年 - 紀元前336年)                                      13.ダレイオス3世   (紀元前336年 - 紀元前330年)

  ダレイオス3世のときマケドニアのアレクサンドロスにより征服され滅亡した。

 

 

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「この神殿を栄光で満たす」 ハガイ書2章1-9節

2014-10-27 10:13:51 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

      日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者

  たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、

  わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 降誕前第九主日      2014年10月26日(日)    5時~5時50分 

         礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  540(主イエスにより)

交読詩編    85(主よ、あなたは御自分の地を)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   ハガイ書2章1~9節

説 教   「この神殿を栄光で満たす   辺見宗邦牧師

賛美歌(21) 505(歩ませてください)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                次週礼拝 11月2日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

                            聖 書   ゼカリヤ書

    本日の聖書 ハガイ書2章1~9節

2:1 七月二十一日に、主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。2:2 「ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者に告げなさい。

2:3 お前たち、残った者のうち、誰が、昔の栄光のときのこの神殿を見たか。今、お前たちが見ている様は何か。目に映るのは無に等しいものではないか。

2:4 今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと、主は言われる。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいると、万軍の主は言われる。

2:5 ここに、お前たちがエジプトを出たとき、わたしがお前たちと結んだ契約がある。わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。

2:6 まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度天と地を、海と陸地を揺り動かす。

2:7 諸国の民をことごとく揺り動かし、諸国のすべての民の財宝をもたらし、この神殿を栄光で満たす、と万軍の主は言われる。

2:8 銀はわたしのもの、金もわたしのものと、万軍の主は言われる。

2:9 この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると、万軍の主は言われる。この場所にわたしは平和を与える」と、万軍の主は言われる。

             本日の説教

  バビロニヤ帝国のネブカドネツァル王の攻略により、ユダ王国の民がバビロンに捕囚民として、最初に連行されたのがB.C.596年のことでした。B.C.586年にはエルサレムは陥落し、暫定政権のユダ王国も滅亡し、二度目のバビロン捕囚がありました。

  B.C.539年になると、新王国ぺルシアのキュロス大王(キュロス2世)は、バビロンを滅ぼし、その翌年の538年に、捕囚民がエルサレムに帰国して神殿を再建することを許しました。捕囚民は、59年~48年の長い捕囚期間を経て、ようやく解放されたのです。

 キュロス大王は、それまでの覇者のような民族の強制移住による反乱の防止,人材の登用という占領政策を廃して、むしろ捕囚になっていた諸民族を帰国させ、それぞれの宗教を尊重することによって,国の平穏を図る政策を採用したのです。キュロスは、神殿の再建を許可したばかいではなく、ネブカドネツァルによって奪われていた神殿の宝物も返還するよう命じました。さらには、神殿再建に対して経済的な援助も約束したのです。

 538年に、第一陣の帰還者がシェシュバツァルに導かれエルサレムに帰りましたが、この時の人数は明らかでありません。彼らは帰国後すぐにエルサレム神殿再建工事を始めましたが、先住民の妨害や人員や建築資材の不足などによって工事はほとんど進展せず、中断状態で、廃墟のままでした。

                     最初の帰還者に続き、17年後の521年に第二陣のエルサレム帰還が総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアに率いられて行われました。第一陣よりかなり数の多い捕囚民が第二陣として帰国しました。第一陣の人数を含めた数と思われますが、エズラ記2:24によると、ユダヤ人42360人、他にしもべとはしためが7337人、歌を歌う男女200年が帰国しました。

  その翌年の520年に、エルサレム神殿再建の着手を訴えたのは預言者ハガイでした。ハガイ書には、預言者ハガイが神の御言葉を受けて語った4回の説教がしるされています。1章、2章1~9、10~19、20~23節です。ハガイの活動した期間は紀元前520年の八月から十二月まで、わずか三か月半に限られています。神殿の再建が完成したのは、この五年後の紀元前515年です。預言者ハガイは民の心を神殿再建に向けることに成功した預言者です。

 「ダレイオス王の第二年六月一日に、主の言葉が預言者ハガイを通して、ユダの総督シェアルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュアに臨んだ。『万軍の主はこう言われる。[この民は、まだ、主の神殿を再建する時は来ていな]と言っている。』                                   主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。「今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。」(1:1~4)

  ハガイ書1章1節の冒頭には、バビロンの太陰暦に従った日付が書かれています。<ダレイオス王>とは、「ダレイオレス1世(治世:B.C.522~486年頃)」のことで、キ初代のキュロス大王から数えて、第4代の王です。<ダレイオス王の第二年六月一日>は、現代の暦の紀元前520年8月29日にあたります。

【キュロス大王は<アケメネス朝(ちょう)ぺルシア>の初代の王です。紀元前7世紀ころ、エラムから移動し、イラン高原のぺルシス(ラテン語ではぺルシア)に定住した小王国のアケメネス王の名に由来する王統が<アケメネス朝>です。ぺルシスは現在のイランのペルシア湾に面したファールス地方です。彼らが定住した地から<ぺルシア人>と呼ばれましたが、彼らは自らをイラン人と称しました。最初はメディア王国に従属した弱小国でしたが、B.C.550年頃、第7代の王キュロス2世がメディア王国を滅ぼし、アケメネス朝ペルシア帝国を建国し、キュロス2世が始祖(初代の王)となりました。キュロス大王とも呼ばれたキュロス2世はバビロンも滅ぼしました。】

 この最初の説教の中心点は、「神殿建築」を促す話です。「この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。」と責めながら、「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。」(1:8)と語ります。彼らが神殿を建てる作業に着手したのは、<六月二十四日(9月21日)」のことでした。

 「七月二十一日に、主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。『ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者に告げなさい。お前たち、残った者のうち、誰が、昔の栄光のときのこの神殿を見たか。今、お前たちが見ている様は何か。目に映るのは無に等しいものではないか。今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと、主は言われる。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいると、万軍の主は言われる。』」(2:1~4)

  <七月二十一日(10月17日)>の第二回目の説教の中心点は、「今こそ、勇気を出せ、勇気を出せ、勇気を出せ。」と三回も言い、<働け>、「わたしはお前たちと共にいる」と主なる神の言葉を伝え、<国の民の皆>を励まし、神殿建築を続行するようにさとします。

 万軍の主は言われる、と4度も繰り返し、「諸国のすべての民の財宝をもたらし、この神殿を栄光で満たす」「銀はわたしのもの、金もわたしのもの」、「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさる」、「この場所にわたしは平和を与える」と主なる神は語り、約束しています。諸国民の支配者であり、金と銀の所有者である神が、栄華を極めたソロモン神殿にまさる新しい神殿を栄光に満たし、滅亡することのない平和をこの神殿の場所に与えると約束します。この世の物質の主人でもある神は、民が築く神殿をソロモンの神殿以上に美しく飾るというのです。この主の言葉は、どんなにか神殿に再建に取り組む人々に励ましを与えたことでしょう。

「ダレイオスの第二年九月二十四日、預言者ハガイに主の言葉が臨んだ。」(2:10)

 三回目の説教は、<九月二十四日(12月18日)>になされました。ハガイは祭司に<律法>について問います。<浄(きよ)さと汚れについて祭司の指示を求め、その指示を利用して、<この民>、<この国>はまさにそのように汚れてり、<彼らの手の業>、そのなすことが汚れている、と神の宣言を伝えます。「この民、この国」とは、神殿再建に取りかかる前のユダヤ人を指すという見方がりますが、異国の民も住んでいて、異教化が進んだサマリアを指すと見た方が良いと思われます。神殿再建の参加を申し出たサマリアに対してゼルバベルは申し出を断っています。理由は、「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、わたしたちに託された仕事です。ペルシアの王キュロスがそう命じたのですから、わたしたちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます。」(エズラ記4:3)                                       <九月二十四日(12月18日)>神殿の基が置かれたこのときから、主は災いに変えて祝福しよう、と言われます。

 第四回目の説教は、同じ月の同じ日に、主の言葉が再びハガイに臨んだときに行われました。それはユダの総督ゼルバベルを勇気づける言葉でした。「ユダの総督ゼルバベルに告げよ。わたしは国々の王座を倒し、異邦の国々の力を砕く。」(2:21、22a)

   神が<天と地を揺り動かす日>、軍事力に代表される人間的な力が神によって無力なものとする、という終末的なことばです。「その日には、と万軍の主が言われる。わが僕、シェアルティエルの子ゼルバベルよ、わたしはあなたを迎え入れる、と主は言われる。わたしはあなたをわたしの印章とする。わたしがあなたを選んだからだ」と万軍の主は言われる。(2:23)

 ヘブライ人への手紙12:26~28)には、ハガイ書のことばが引用されています。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」と約束されているから、「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。」

 「その日には、…わたしはあなたを迎え入れる。…わたしはあなたをわたしの印章とする。わたしがあなたを選らんだからだ。」(2:23)

  ゼルバベルは神の印章を受けた者であり、彼が職務を行えば、その働きは神の印章が押されたものとなる。ゼルバベルにダビデ王朝の復興を託したのです。ゼルバベルはダビデ王の系図を継いでいます。マタイ1:12のイエス・キリストの系図にもその名があります。ゼルバベルは、イエス・キリストを指し示す人物とされていると思われます。

  ハガイは神殿再建を呼びかけた預言者ですが、神殿は単に建物ではありません。ハガイは、エルサレムの新しい共同体が存続していくためには、神殿が不可欠だと考えたのです。民族の信仰の再建が大きな課題だったのです。ハガイは行動による信仰の証を求めたのです。

 民族的象徴としての神殿は、政治の地からによって崩壊させられます。その後ヘロデ大王のよって補修されたエルサレム神殿は、78年後のA.D.70年にローマ帝国のティトゥスによって破壊されました。主イエスは、「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩れずに他の石の上に残ることのない日が来る。」(ルカ21:6)と神殿の崩壊を予告しました。エルサレム神殿から開始された建築の働きは、一つの民族の枠を超えて、地のはてまでも神の国を建設する計画となり、その遂行はキリスト教会に委ねられているのです。神の住まわれる神殿について、使徒パウロは次のように言っています。

 「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(エフェソの信徒へに手紙2:19~22)

  神の神殿であるのは、信仰者個人ではなくて、「あなたがた」つまり信仰者の群れである教会です。教会こそが神の建物、神の神殿なのです。それは教会堂という建物のことではありません。教会とは建物ではなく、信仰者の群れです。神の宮、神殿に連なる者とされている私たちは、このような幸いの中にいるのです。

 

 

 

 

 

 

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「恐れるな、主はお前の中におられる」(ゼファニヤ書)

2014-10-19 08:22:57 | 聖書

             ↑ ヨシヤ王時代の周辺諸国の地図

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

           日本キリスト教 富谷教会 週報 

聖霊降臨節第二十主日  2014年10月19日(日)  5時~5時50分 

                    礼   拝    

讃美歌(21)  17(聖なる主の美しさと)

交読詩編     9(わたしは心を尽くして)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   ゼファニヤ書3章9~13節

説 教 「恐れるな、主はお前の中におられる  辺見宗邦牧師

賛美歌(21) 579(主を仰ぎ見れば)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

           次週礼拝 10月26日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

                説教題  「主の神殿を建てよ」 

                 聖 書   ハガイ書1章1~11節

       本日の聖書 ゼファニヤ書3章9~13節

「その後、わたしは諸国の民に、清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える。クシュの川の向こうから、わたしを礼拝する者、かつてわたしが散らした民が、わたしのもとに献げ物を携えて来る。その日には、お前はもはや、わたしに背いて行った、いかなる悪事のゆえにも、辱められることはない。そのとき、わたしはお前のうちから、勝ち誇る兵士を追い払う。お前は、再びわが聖なる山で驕り高ぶることはない。わたしはお前の中に苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は、不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い、彼らを脅かす者はない。」

          本日の説教

 ゼファニヤ書1章1節の表題によると、ゼファニヤは南ユダ王国のヨシヤ王(治世:B.C.640~609年)の時代の預言者です。

   1章1節は次のように記しています。

ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼファニヤに臨んだ主の言葉。クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒズキヤの子である。」(1:1)

 ゼファニヤ書の時代は、アッシリアの滅亡(B.C.609年首都ニネベ陥落)を預言をしているので、その主都ニネベがまだ存在している時代の預言と思われます。ユダ王国の社会の悪弊を訴えているので、ヨシヤ王の宗教改革(621~622年)の前と考えられ、ヨシヤ王(32年間在位)の時代の初期、すなわち紀元前640~621年の間の預言と思われます。預言者エレミヤ(627~586)やナホム(686~612)と同時期に預言活動を行った人と考えられます。<ゼファニヤ>の名は「ヤーウェ(主)は隠した」または「守った」という意味があります。

 ヨシヤ王の父アモン王(B.C.642~641)と、祖父マナセ(B.C.699~643)は偶像礼拝を積極的に導入したユダ王国史上最悪い王でした。マナセ王は「12歳で王となり、55年間エルサレムで王位にあった」(歴代誌下33:1)とありますが、父のヒゼキヤ王との共同統治を含めると更に長くなります。ゼファニヤは恐らくマナセ王の暗黒時代に生まれと思われます。それは全オリエントを統一したアッシリア帝国の王アシュ―ル・バニパル大王(B.C.668~627)が死んで、周辺諸国に対する圧力が弱まった時代でした。このことはユダ王国にとってアッシリアによる偶像礼拝の強要から脱する好機となりました。

  ゼファニヤ書は、冒頭の表題に続き、1章2節~2章3節まで、中心主題である「主の怒りの日」の告知がなされます。

 わたしは地の面からすべてのものを一掃する、と主は言われる。わたしは、人も獣も取り去り、空の鳥も海の魚も取り去る。神に逆らう者をつまずかせ、人を地の面から絶つ、と主は言われる。わたしは、ユダの上とエルサレムの全住民の上に手を伸ばし、バアルのあらゆる名残とその神官の名声を、祭司たちと共に、この場所から絶つ。屋上で天の万象を拝む者、主を拝み主に誓いを立てながらマルカムにも誓いを立てる者、主に背を向け、主を尋ねず、主を求めようとしない者を絶つ。主なる神の御前に沈黙せよ。主の日は近づいている。」(1:2~7a)

  人間だけではなく、全被造物に対する裁きと滅亡が告げられる預言です。<地の面から>、<一掃する、絶つ>という言葉が繰り返して用いられ、裁きが徹底的であることが強調されています。人間の罪により、被造物全体が罪に染まったので、神の審判は被造物全体にも及ぶことが語られます。裁きの中心は神の民ユダとのエルサレムに対する裁きです。神は、南のユダ王国の人々、また、特に、神殿があるエルサレムに住みながら、他の神々を拝むエルサレムの住民に、御自分の強い手を伸ばして審判を行います。なぜなら、彼らは、偶像であるバアルの「あらゆる名残(なごり)」を、すなわち、カナンの先住民族の神であるバアル礼拝をまだ続けていたからです。また、神は、バアルに仕える神官や祭司といわれる人々を審判を断ちます。また、「天の万象を拝む者」、すなわち、アッシリア人の神々である太陽・月・星の天体礼拝を家の屋上の平らな屋根で行う者たちを審判します。また、<マルカム>にも誓いを立てる者を絶ちます。<マルカム>はアンモン人の神「ミルコム」のことで、天体(特に金星)と関係します。また、イスラエルの真の神に背を向け、イスラエルの真の神を尋ねもせず、求めもせず、心を向けない者たちを審判します。

    ミルコム神の想像図

    【アンモン人の神「ミルコム(<モレク>とも言う)」という神は、牛の顔を持ち、両手を突き出している姿の神で、青銅で作られていました。古代のヨルダン東部に住んでいたアンモン人達からは、豊作や利益を守る神として崇拝されており、彼らはブロンズで「玉座に座ったモレクの像」を造り出し、それを生贄の祭壇として使っており、像の内部には7つの生贄を入れる為の棚も設けられていた。そしてその棚には、供物として捧げられる小麦粉、雉鳩牝羊牝山羊子牛、牡牛、そして人間の新生が入れられ、生きたままの状態で焼き殺したり、新生児はいずれも、王権を継ぐ者の第一子であったとされています。また、生贄の儀式には、シンバルトランペット太鼓による凄まじい音が鳴り響き、これは子供の泣き声をかき消す為のものとされています。そして、突き出した両手の上に、子供を犠牲として献げ、下から火をたいて、モレクにいけにえとする、恐るべき神として知られていました。イスラエルの人々も、この偶像モレクを拝みました。ヨシヤ王の祖父のマナセという王も、実際に、自分の子供をモレクにいけにえとして火で焼いて献げる罪を犯しました。(歴代誌下33:6)】

 ゼファニヤは<主の怒りの日が臨まないうちに、主を求めよ>(2:2~3)と叫びます。

   2章4節~15節は諸国民の滅亡の預言です。ユダ王国の東西南北の周囲の異教民族も、罪ゆえに審判されます。

 ユダの西のペリシテ人、東のモアブ人とアンモン人、南のクシュ人、すなわち、エチオピア人あるいはエジプト人、そして、北のアッシリア人の罪を審判するのです。

  2章4節では、「まことに、ガザは捨てられ アシュケロンは荒れ果てる。アシュドドは真昼にその住民を追われ エクロンは根こそぎにされる。」といわれていますが、これは、イスラエルの西の地中海に面したペリシテ人が裁かれることを意味しています。ガザ、アシュケロン、アシュドド、エクロンは、ペリシテ人の4つの大きな町です。

 2章9節では、「モアブは必ずソドムのように アンモン人はゴモラのようになり とこしえに荒れ果て、雑草の茂る所 塩のくぼ地となる。」とありますが、イスラエルの東、すなわち、ヨルダン川の東のモアブ人とアンモン人が、神に裁かれ、モアブ人の町は、昔のソドムのように滅ぼされ、アンモン人の町は、昔のゴモラのように滅ぼされて、荒れ果て、雑草が茂って、人が住まなくなり、塩を取る地になってしまうという意味です。

 また、2章12節では、「クシュ人よ、お前たちもまた わたしの剣によって刺し殺される。」とありますが、これは、イスラエルの民から見れば、南にいるクシュ、すなわち、アフリカのエチオピア人やエジプト人が、神の剣によって刺し殺されるという言い方です。

 また、2章13節には、「主はまたその手を北に向かって伸ばし アッシリアを滅ぼし、ニネベを荒れ地とし 荒れ野のように干上がらせられる。」とありますが、これは、イスラエルの北のユーフラテス川の下流のアッシリア人の罪を神が裁いて、アッシリア帝国の首都のニネベを荒地とし、干上がらせて、水気のない砂漠のような荒れ野にしてしまうということです。

 イスラエルの民、ユダ王国の周囲の異教民族もは、イスラエルの民を苦しめ続けましたが。また、イスラエルの真の神を信じず、高ぶり、傲慢に嘲り続けました。神は、イスラエルの罪を審判するとともに、イスラエルの周囲の東西南北の異教民族の罪も審判します。ゼファニヤが予告した20年後ほどに、バビロン帝国に攻撃され、これららの諸民族は、滅ぼされ、あるいは、大打撃を与えられました。主なる神は、バビロン帝国を用いて、諸国をも審判されるのです。

  ヨシや王が宗教改革をする前のユダ王国の人々、エルサレムに住む人々の悪を,3章1節~5節で、指摘されます。

  「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は。 この都は神の声を聞かず、戒めを受け入れなかった。主に信頼せず、神に近づこうとしなかった。この都の中で、役人たちはほえたける獅子、裁判官たちは夕暮れの狼である。朝になる前に、食らい尽くして何も残さない。 預言者たちは、気まぐれで欺く者/祭司たちは、聖なるものを汚し、律法を破る。主は、都の中にいまして正しく/決して不正を行われない。朝ごとに裁きを与え、それを光とし、誤りをなさることはない。不正を行う者は恥を知らない。」(3:1~5)

  神の声を聞かず、神の律法を守らなかった。、暴力に訴え、うそ偽りは平気でつき、他の人を騙し、裁判官は、わいろをもらって裁判を捻じ曲げ、にせ預言者たちは、神の御心でないことを平気で語り、エルサレム神殿の祭司たちは、神の聖なる律法を破った。不正を行う者は恥を知らず、平気で不正を行っている。明確な断罪のことばがエルサエムに向けられました。 

  3章6節~8節では、諸国の滅びが再び語られます。そして、3章9節から19節では、イスラエルの周囲の異教民族およびイスラエルの回復、救い、祝福が力強く、恵み深く約束されます。

  「その後、わたしは諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える。クシュの川の向こうから、わたしを礼拝する者、かつてわたしが散らした民が、わたしのもとに献げ物を携えて来る。その日には、お前はもはやわたしに背いて行った、いかなる悪事のゆえにも、辱められることはない。そのとき、わたしはお前のうちから勝ち誇る兵士を追い払う。お前は、再びわが聖なる山で驕り高ぶることはない。わたしはお前の中に苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は、不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い、彼らを脅かす者はない。娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け、お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。」(3:9~15)

 その後、神は、世界の諸国民の罪を赦し、救い、清い唇を与えてくださるので、周囲の異教民族も、イスラエルの真の神の名を呼んで、ひとつの心となって、真の神を賛美し、礼拝できるようになることが約束されます。その日には「わたしはお前の中に苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする」と主は約束されます。残りの民の特徴はへりくだった人々のことであり、神以外に頼る者がいない人たちです。卑しめられた民、イスラエルの民から、神を真実に信じて喜んで生きる残りの者たちが起こされるのです。イスラエルの残りの者たちは「聖なる山」、小高い丘の上に、神殿を再建して、再び、神殿で神を礼拝できるようになります。残りの民は、神のこらしめとしての捕囚の苦しみと卑しめを経験して、へりくだり、謙遜になり、異教の偶像神でなく、イスラエルの真の神である主の御名を避け所として信頼します。

 厳しい神の裁きの言葉で始まったゼファニヤ書は、喜ばしい讃美の言葉を告げることで終わります。

 娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け、お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな、力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。」(3:14~17a)

  神に選ばれた残りの民に大きな喜びが与えられ、神の臨在されることが歌われています。「イスラエルの王なる主はお前の中におられる」と。

ナタナエルがイエスに答えて、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(ヨハネ1:49)と答えたように、イスラエルの王である、主イエスがわたしたちの中におられるのです。インマヌエルの神が私たちと共におられるのです。

主なる神の強力な力が世界を支配し、最強の勢力を誇ったアッシリアをさえしのいで存在していることを高らかに宣言しています。

 パウロは、「同じように現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。もしそれが恵みよるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。」(ローマの信徒への手紙11章5~6節)と語っています。恵みによって選ばれ、救われたわたしたちキリスト者は、残りの者です。わたしたちはキリストの十字架の贖いと復活を信じる信仰によって義とされていることを再確認し、「清い唇」を与えられていることに感謝して礼拝をささげ、「残りの者」としての使命感に立ち、与えられる務めを果たし、主に仕えましょう。

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イスラエル王国とユダ王国の歴代諸王

2014-10-18 18:13:56 | 聖書

 ↑ 聖書大百科(創元社)の巻末の資料「イスラエル王国とユダ王国の歴代諸王」船本弘毅監修  ソロモン王の治世を、B.C.971~931としているので、王国分裂後の王の治世はB.C.931から始まっている。

       イスラエル王国とユダ王国の歴代諸王  

作成資料 新共同訳旧約聖書注解(日本基督教団出版局)付録・古代イスラエル時代年表:木田献一編集    〇在位年に下線を引いたものは、列王記が記す年数

※ 括弧(  )書きの王名は、新改訳聖書による表記。                               ※ヤロブアム1世もレハブアム王もB.C.922年から始まっているが、これはソロモン王の治世をB.C.961~922年と推定しているからである。

 イスラエル王国 治世 在位年   ダ王国  治世   在位年

1ヤロブアム1世 922~901 22年   レハブアム  922~915 8年(17)

2 ナダブ    901~900 2年  2 アビヤム=アビヤ 915~913 3年

3 バシャ    900~877 24年     3 アサ    913~873  41年

4 エラ    877~876  2年                       

5 ジムリ   876      7日      

6 オムリ 876~869 8年(12年)   4 ヨシャファト 873~849 25年

7 アハブ   869~850 20年(38年)   

8 アハズヤ   850~849  2年

9 ヨラム   849~842 8年(12)    5 ヨラム   849~843 8年

10 イエフ   842~815  28年     6 アハズヤ   842    1年 

                             7 アタルヤ  842~837 6年 

11 ヨアハズ  818~802 17年  8 ヨアシュ 837~800 38年 40

12 ヨアシュ 802~786 169    9アマツヤ 800~783 18年(29年

13 ヤロブアム2世 786~746 41年  10ウジヤアザルヤ783~739 44年(52

14 ゼカルヤ  746~745  6ゕ月

15 シャルム  745      1ヶ月   11 ヨタム 739~734 6年 16年

16 メナヘム 745~738 8年(10年

17 ペカフヤ 738~737    2年

18 ペカ   737~732 6年(20年  12 アハズ 734~728 7年 (16

19 ホシュア(ホセア)32~724 9年  13 ヒゼキヤ 728~699  29年

                           14 マナセ  699~643  55年 

                           15 アモン  642~641  2年

                           16 ヨシヤ   640~609  31年

                        17 ヨアハズ(エホアハズ) 609 3ヶ月             

                    18 ヨヤキム(エホヤキム)608~598 11

              19 ヨヤキン=エコンヤ(エホヤキン)598~597 3ヶ月

                            20 ゼデキヤ  597~586 11

 

 

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バビロニア小史と歴代王(旧約聖書との関連)

2014-10-17 01:51:19 | 聖書

       バビロニア小史と歴代王(旧約聖書との関連)

   バビロンは〈神の門〉を意味するアッカド語のバビリムBab.ilimに由来し,聖書ではバベルBabelと記されている。バベルBabel(神の門)とはバビロニアの天界にいたる山、つまりジッグラト ziggurat(聖塔。周囲に階段のあるピラミッド形の寺院)であった。バビロニアとは<バビロンの地>の意で、現在のイラクのバグダート以南のメソポタミア南部、チグリス川・ユ―フラテス川下流地方を指す古代オリエントの地域名であり、同地域から興った王国の名(バビロニア王国)としても用いる。

 バビロニアは、広義ではバビロニア南部のシュメールと北部のアッカド地方をふくむ地域を、狭義では都市バビロンとその周辺地域を指す。

  【メソポタミアとは:川の間の地方”の意味である。ティグリス川ユーフラテス 川の流域地方で、現在のイラクにあたる。】

  【オリエントとは”太陽の昇る所”の意味で古代ローマ人からみた東方をさす。現在、日本ではオリエントはエジプト、西アジア、小アジアを含む地域をさす言葉として使われている。】

  メソポタミアの南部では、前3500年頃 から大村落が成立し、やがて都市に発展し、都市は独立して都市国家が形成される。メソポタミアで活躍した最初の民族はシュメール人である。彼らは前2700年頃までにティグリス川・ユーフラテス川下流にウル、ウルク、ラガシュなどの多数の都市国家を形成した。しかし、絶え間ない都市国家相互の戦争によって、シュメール 人の都市国家は衰退し、セム系のアッカド人によって征服された。

  アッカド人はメソポタミアの北部の都市アッシュ-ルAssurを建設し、サルゴン1世(位前2350頃~ 前2294頃)はシュメール人の都市国家を次々に征服し、シュメールとアッカド全土を支配し、メソポタミア最初の統一国家、アッカド王国(アッシリア)を建設した。しかし、間もなく衰退して滅亡した。 サルゴン王はニネベに神殿を建設した。

 シュメール人が最後に建てたのがウル第3王朝で、創始ウルナンムの法典は、現在世界最古と言われている。

1 バビロン第1王朝(古バビロニア)B.C.1894~1595年(11名の王が即位している。)

  ウル第3王朝の終わりに、現シリア地方からメソポタミアに移住したセム系アムル人により、ウル第3王朝は、紀元前2004年頃に滅亡した。

  紀元前1900年頃アムル人はバビロンを都としてバビロン第1王朝を建国した。この王朝を別名<古バビロニア王国>という。アムル人がメソポタミアに建てた王朝はシュメールの後継者の意識を強く持ち、政治的、宗教的にはシュメールやアッカドの文明に同化していった。

  ハンムラビ王(B.C.1729~1686年)時代に全盛期を迎えた。

  紀元前1700年頃、バビロン第1王朝第6代のハンムラビ王は、マリを破壊したあと、スサを都とし、30年にわたる戦争の後にメソポタミアを統一し、中央集権国家を建設した。彼によって作られた有名なハンムラビ法典を発布し、内政を整えた。ハムラビ法典(「目には目を、歯には歯を」の復讐法が有名)は、1902年にこの都の遺跡から発見された。完全な形で残る最古の成文法である。一方、ラルさなどの対立国を打倒してメソポタミアの統一を果たした。

  都のバビロンはメソポタミア世界の中心としての地位を得て,メソポタミア南部は「バビロニア」と呼ばれるようになり,バビロンの都市神マルドゥクは神々のなかでも首位の存在となった。古バビロニアはシュメールからペルシャ湾まで、チグリス・ユーフラテス川のほぼ全流域を統治し、約200年の間続いた。

  しかし,ハンムラビ王の死後まもなくしてバビロン第一王朝は衰えていき,前16世紀初め頃にはヒッタイト王国のムルシリ1世による攻撃を受けてバビロンが破壊され,王朝は滅亡した。

2 「海の国」第1王朝(バビロン第2王朝) 1595~1750年(11名の王が即位) 

  ハンムラビ王のもとでのバビロン第1王朝の繁栄は、周囲の諸民族を刺激し、彼らはその富をねらって侵入をくりかえした。イランや小アジアの牧畜民、特に 中央アジアや南ロシアのインド=ヨーロッパ系の遊牧民は前2000年頃から前1500年頃に大移動をおこした。ギリシア・エーゲ海方面から進出した<海の民>(前13世紀末から前12世紀に東地中海一帯の諸国家・諸都市を攻撃し、広い地域を混乱に陥れた諸民族の総称)の攻撃を受けた。なかでもアナトリア半島(小アジア)のヒッタイト(ヒッタイト古王国)が前1650年頃ヒッタイト帝国を建設し、東方に遠征。B.C.1530年頃バビロン 第1王朝を滅ぼした。以後ミタンニ、エジプトと抗争し、前14世紀頃最盛期を迎えた。

  3 カッシート王朝(バビロン第3王朝)B.C.1750~1235年(19名の王が即位)

  東方から入ってきたカッシ-ト人の王ウラム・ブリアシュが、1475年頃バビロン第2王朝を滅ぼし、バビロニアを統一した。B.C.1400年代の後半,カッシート王国はオリエントにおける五大国の一つとなり,アッシリアやエジプトなど他の大国と活発な外交を展開した。また、カッシートはシュメール文明以来の文化の継承と保存を積極的に行った。カッシート王国は400年以上の長きにわたって存続したが,B.C.1200年代中頃に東方の異民族エラム人によって滅ぼされた。

 4 イシン第2王朝(バビロン第4王朝 1235~1024年 (11名の王が即位)

   ネブカドネザル1世(1124~1103年)

 5 「海の国」第2王朝(バビロン第5王朝)1024~1064年(3名の王が即位)

 6 バジ王朝(バビロン第6王朝)1003~984年(3名の王が即位)

 7 エラム王朝(バビロン第7王朝)984~977年(1名の王即位)

 8 バビロン第8、第9王朝977~800年:9名の王、800年~:9名の王即位

 9 バビロン第10王朝 ~625年(15名の王が即位)

   7代の王メロダク・バルアダン2世(列王下20:12)

 新バビロニア(カルデヤ) 626~543年 (7名の王が即位)

   初代の王ナポポラサル(626~605年)

   2代の王ネブカドネツァル2世(B.C.605~562年)(エズラ2:1、        イザヤ21:4、エレミヤ25:27)

   3代の王エビル・メロダク(561~560年)(列王下25:27)

   7代の王ベルシャツアル (ダニエル15:1)

  オリエント世界は,抗争の果てに紀元前7世紀にアッシリアにより統一されたが、早くも同世紀後半にはその支配に動揺が起こり、そうしたなか、紀元前800年代以降バビロン周辺ではセム語系カルデア人が勢力を増した。紀元前626年、カルデアの王ナボポラッサルは、アッシリア帝国からバビロニア地方を奪取し、新バビロニア(カルデア王国)を建国した。そして新バビロニアの第2代国王ネブカドネツァル2世は,紀元前612年にイランのメディア王国と同盟してアッシリアを攻めてこれを滅ぼした。紀元前800年代以降、バビロン周辺ではセム語派のカルデア人が勢力を増した。 だけでなくシリア・パレスチナの支配権も掌握し,パレスチナに残っていたヘブライ人(ユダヤ人)のユダ王国を滅ぼしてバビロン捕囚を行った。また彼は,バビロンの復興のために建設事業を精力的に進め,旧約聖書の「バベルの塔」のモデルになったとされるジッグラトや,「空中庭園」と呼ばれる壮麗な庭園を建設した。

  ネブカドネザル2世の死後の新バビロニアでは政治的な混乱がつづき,前539年にはアケメネス朝ペルシアのキュロス2世(559~530年)によって滅ぼされた。

  こうしてバビロニアはアケメネス朝の属州の一つとなり,その後はアレキサンドロスの帝国,セレウコス朝の支配下に置かれることになる。バビロンはバビロニアの中心地としてしばらくは一定の重要性を保ったが,しだいに衰退へと向かっていった。

  旧約聖書に<カルデア>と記されている地方は、バビロニアの一部を示している。旧約聖書には4人のバビロン王の名が記されている。

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