富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「シメオンの賛歌」 ルカによる福音書2章22-38節

2014-12-28 20:53:01 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報 

降誕節第1主日 (年末礼拝)    2014年12月28日(日)   5時~5時50分     

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  358(小羊をばほめたたえよ)

交読詩編      90(主よ、あなたは代々に)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書  ルカによる福音書2章22~39節       

説 教  「シメオンの賛歌」   辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 180(去らせたまえ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

        次週礼拝(降誕節第2主日)年始礼拝 1月4日(日) 午後5時~5時50分 

       聖 書 詩編96篇1~13節 説 教  「日から日へ、救いの知らせを告げよ」

本日の聖書 ルカによる福音書2章22節~38節

 22さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

  29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。31これは万民のために整えてくださった救いで、32異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

  33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

本日の説教 

 今日の聖書の個所は、御子の誕生の後で、幼児イエスに出会った二人の人の物語が記されています。

 ベツレヘムで生まれた幼子は、八日たって割礼の日を迎えた時、イエスと名付けられました。                                                                             両親は二つの別々の慣習を一緒に守ります。一つは、出産のあとの母親の清めです。「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」(22節)、両親はその子を主に捧げるため、エルサレムに連れて行きました。<清めの期間>とは、レビ記(12:2~8)の規定によれば、男児を出産したとき、母親は清めのため四十日間家にとどまることが決められていました。

 もう一つの慣習は長子を神に捧げることです。「初めて生まれる男子は皆、主のため聖別される」(出エジプト記13:2、13:13)と律法にあるように、清めの儀式では、特別困難がないかぎり、一匹の雄羊と一羽の山鳩が犠牲として要求されました。ヨセフとマリアがいけにえとして捧げようとしていたのは山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽であったと言います。それは貧しくて小羊に手が届かない場合に捧げるべきものとして律法に規定されていたものです。

 <山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽>は、神殿で神に献げられ聖別されるナジル人の清めの規定(民数記6:10)でもありました。

 民数記18:15~16によると、初子は、生後一ヶ月を経た後、銀5シケルを購い金として支払うことによって自分のところに連れて帰り、自分のものとなることが定められています。両親が幼児イエスを、「神に属している」という立場から贖うということについて、ルカは何も言っていないので、イエスは、神に捧げられ、乳離れのあと神殿で暮らすようになったサムエル(サムエル記上1~2章)のようなナジル人として捧げられたことになります。

 神殿におけるイエスの献身物語には、この子が実際には何者であるかの証明が二人の人物によってなされます。

 一人はシメオンによるものです。彼は信仰深い人で、聖霊に満たされ、神の救い主を見るまで死なないことが聖霊によって確信させられていました(25~26節)。シメオンが高齢だとは何も記されていません。しかし、シメオンに対する神のお告げの内容から、彼がおそらく高齢者であったことは間違いありません。聖霊はシメオンを、イエスが捧げられるまさにその時間に神殿へと導きます。シメオンが、ヨセフとマリアに連れられて神殿にいる幼児を見た時、「聖霊」に導かれて、この幼児が「救い主」であることを認めました。

 シメオンは、この四十日を過ぎた赤ん坊を抱いて、次のように神を賛美し、いつ死んでよいという心境を歌います。

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

こ の歌は、古来、ヌンク・ディミィティスと呼ばれてきました。ラテン語で、「今、[あなたは、私を]去らせてくださる」という意味です。

 シメオンはこの賛歌で、この幼子が「イスラエルの慰め」(25節)となることを、感謝と喜びに満ちて歌いました。シメオンの賛歌は、イザヤ書40~55章から多くを引用しています。その中では、聖霊が、イエスはすべての人々、つまりユダヤ人と異邦人との救いのために用いられると宣言しています(30~32節)。

 しかし、マリアに対するシメオンの言葉は、イスラエルと異邦人の救いは大いなる代償なしにはありえないだろう、というものでした。イエスは真理を明らかにし、すべての人を決断の危機的状況に投げ入れる。このメシアは「反対を受けるしるし」ともなると言われています。このお方を救い主として受け入れるのか、それとも拒絶するのかによって、「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりする」ことになる。このメシアに対する態度表明を通じて「多くの人の心にある思いがあらわにされる」(35節)のです。

 シメオンがその子の未来を大変美しく語るので両親は驚きます。それからシメオンは彼らを祝福します(34節)。彼は、マリアに対して、彼女と彼女の息子が払わなければならない代価を詩的に語ります。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」とは、マリアがその子供の十字架の死を目撃することになる、ということです。

 この子が実際には何者であるかの証明する、もう一人はアンナです。彼女は信仰深い、預言の賜物をもつ預言者でした。夫と死に別れた彼女は84歳に至った今も、ずっと祈りと断食をつづけながら神殿の領域内で暮らしていました。当時は非常に高齢の女性であったと思われます。主が慈しみをもってこの世に天来の慰めをもたらすことを願い求めていたのです。彼女も、「そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼児のことを話した」とあります。彼女は神に感謝し、「エルサエムの救い」(38節)の希望を生き生きと持ち続けているすべての人々に、その子供のことを証言しました。

 シメオンは幼児イエスに出会って、「いつ死んでも良いという心境」になりました。軍師黒田官兵衛(如水)の洗礼名は「シメオン」です。「シメオン・如水」の辞世の句も、シメオンの「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。」に通じるところがあります。

  「思いおく言の葉なくてついに行く 道は迷わじなるにまかせて」

この世に思い残すことはもう何もない。神にすべてをゆだねれば、道に迷うことはない。心静かに旅立つだけだ。という意味の歌です。救い主イエスに出会った人の心境です。

 孔子の語った論語に、「朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可(か)なり。」という言葉があります。もし朝方に私たちが当然行わなくてならない人たるの道を聞くことができたら、かりにその晩に死んでもよろしい、という意味のことばです。私はこの漢詩を高校時代に学びました。孔子のもっとも偉大な言葉の一つです。道を求める情熱があらわれています。人生の目的は、道を聞いて、これを体得し実現することを持って終わりとする、ということです。この論語に出会った私は、「朝(あした)に道を聞きたい」という思いで、何度もこの論語のことばを口ずさみました。私は神の導きによって、高校二年の時から教会の礼拝に行くようになりました。そしてついに、「私は道であり、真理であり、命でる」(ヨハネ14:6)と言われる救い主イエスに出会うことができました。主イエスの救いにあずかることこそ、「朝に道を聞いたことになります」。

 

さにイエス・キリストこそ道であり、命であり、真理です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マケドニア王国歴代王、ユダヤの独立、ヘロデ王朝、ローマ帝国歴代皇帝

2014-12-23 21:31:12 | 聖書

    マケドニア王国歴代王

  ギリシアの北方のマケドニア国フィリポス2世(B.C.359~336)は全ギリシアを支配したが、暗殺された。その息子アレキサンドロス3世大王](336~323)はギリシアのポリスを制圧した後、東征を開始した(334年)。ペルシアのダレイオス3世(336~330)をアラベスの戦いで破り、ぺルシア帝国を滅亡させた。その後インドまで遠征した(255年)。バビロンで支配した領土を統治し、バビロンで死んだ。アレキサンドロス大王の死後、マケドニア王国は3人の将軍によって分割統治された。次の三つの王朝です。

1.  アンティゴノス朝マケドニア王国(マケドニアとギリシア)

2.  プトレマイオス朝マケドニア王国(エジプト)

3.  セレウコス朝マケドニア王国(シリア、イラン、バクトリア[アフガニスタンの北部]、インドの北部)

   〇アンティゴノス朝王国歴代王(ギリシヤとマケドニア)

 アンティゴノス1世(B.C.306~301)ペラを首都とする王国。

 デメトリオス1世(294~287)

1.  アンティゴノス2世(276~239)

2. デメトリオス2世(239~221) 

3. アンティゴノス3世(229~221)

4. ピリッポス5世(221~179)

5. ペルセウス(179~168) B.C.168年、ピュドナの戦いで、ローマの勢力下におかれる。

 

     〇プトレマイオス朝歴代王(エジプト)

 1.  プトレマイオス1世(323~285)シリア南部を占有(301年)パエスチナ、ヨルダン南部を支配下におく。

 2.~8.省略

 9.プトレマイオス9世(116~107)

10.プトレマイオス10世[アレキサンドロス1世](107~88)

11.プトレマイオス9世(88~81)

12.プトレマイオス11世[アレキサンドロス2世](80)

13.プトレマイオス12世(80~58)

14.べレニケ4世(58~55)

15.プトレマイオス12世(55~51)

16.クレオパトラ7世(51~30)ローマの支配され、滅亡。

 

     〇セレウコス朝(シリア)

 1.セレウコス1世(312~281)

 2 省略

 3.アンティオコス2世(261~246)

 4.セレウコス2世(246~226)

 5 省略

 6.アンティオコス3世[大王](223~187)

 7~27 省略

28.フィリッポス2世(66~63)

 

   ユダヤ人による独立王国(紀元前142年~37年) 

  ユダヤ人(マカバイ家)は、マケドニアに167年と166年に反乱を起こし、ユダヤ人による独立した統治をハスモン朝(167~63)による統治を始める。次がハスモン朝の歴代王です。

 1.  マタティア(167~166)

 2. ユダ・マカバイ(166~160)

 3. ヨナタン(160~142)

 4. シモン(142~134)

 5. ヨハネ・ヒルカノス1世(134~104)ローマに対して134~104独立を認めさせる。

 6. アリストブロス1世(104~103)

 7. アレキサンドロス・ヤンナイオス(103~76)

 8. サロメ・アレキサンドラ(76~67)

 9. アリストブロス2世(67~63)

10ヨハネ・ヒルカノス2世(63~40)ヘロデ大王に処刑される。

11アンティゴノス(40~37年頃) ヘロデ大王、ローマ人によって、アンティゴノスを処刑する。

   ヘロデ王(大王)によるユダヤの支配

  イドマヤ(ユダヤの南に隣接するユダヤ領地)出身のヘロデは、紀元前40年、父の代から続くローマへの忠誠をみとめられ、ローマの元老院から「ユダヤの王」の称号を与えられ、ポンペイウス将軍の率いるローマ軍によって、エルサレムを攻め、ユダヤ人によるハスモン朝王国を滅亡させ、自らが「ユダヤの王」として統治した。ここにヘロデ王に続く、ヘロデ王朝が続いた。

  1. ヘロデ王(ヘロデ大王、紀元前37年~紀元前4年)                

  2. 3分統治時期

     ヘロデ・アルケラオス(紀元前4年-6年)、支配地:ユダヤ、エドム、サマリア)

     ヘロデ・フィリッポス (紀元前4年-34年 、支配地:バタネア、ガウラニティスなど)

     ヘロデ・アンティパス(紀元前4年 -39年、支配地:ガリラヤ、ペレア)

  3.アグリッパ1世(34年 -44年)

  4.アグリッパ2世(44年-93年頃) 

  

  ローマ帝国時代(B.C.27~A.D.476)

   ローマの共和制国家(509~44)が、ユリウス・カエサルの暗殺によって終わる。

カエサル・アウグストゥス、エジプトのアントニウスとクレオパトラを破る(B.C.31年)。

 初代 カエサル・アウグストゥス(B.C,27~A.D.14)[ユリウス・カエサルの養子・オクタヴィアヌス]が初代ローマ皇帝となる。紀元6年、ユダヤ、ローマの属領となる。

 2代 ティベリウス(A.D.14~37)シリアの総督ポンティオ・ピラト(26~37年)

 3代 省略

 4代 クラウディウス(A.D.41~54年頃)の治世、ヘロデ・アグリッパ1世が治める国が、ローマの同盟国として再興する。

 5代~12代 省略

13代 トラヤヌス帝(A.D.98~117)領土が最大となる。

14代~46代 省略

47代  コンスタンティヌス1世[大帝] キリスト教を公認する。

48代~52代 省略

53代  テオドシオス1世(379~395)以後、東西ローマに分裂。東ローマ帝国の初代の皇帝兼任。

54代~68代 省略

69代  ロムルス・アウグストゥス(475~476)西ローマ帝国最後の皇帝

2代~92代まで省略。 93代 コンスタンティヌス11世(1449~1453)東ローマ帝国最後の皇帝

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東方の学者たちの来訪とヘロデ大王」

2014-12-22 20:55:13 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報   待降節第4主日     2014年12月21日(日)5時~5時50分

クリスマス礼拝            

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  267(ああベツレヘムよ)

交読詩編      96(新しい歌を主に向かって歌え)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書  マタイによる福音書2章1~18節       

説 教 「東方の学者たちの来訪とヘロデ大王」  辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 261(もろびとこぞりて)

聖餐式     78(わが主よ、ここに集い)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                            次週礼拝 12月28日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

                            年末礼拝(降誕節第1主日)

                               聖 書 ルカによる福音書2章22~39節

                               説 教  「シメオンの賛歌」

本日の聖書 マタイによる福音書2章1節~12節

 1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

本日の説教 

 イエスはヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムで生まれました。ルカ福音書には、ローマ皇帝アウグストゥスの時代、キリニウスがシリアの総督だったときに、イエスはベツレヘムで生まれたと記しています。

西暦は主イエスの生まれた年を元年として、六世紀になってローマの修道僧エクシグウスによって算定されたものですが、誤差があることが判明しています。キリニウスが総督だったのは紀元前10年から7年まででした。ですからイエスの生まれたのは紀元前7年頃か、少なくとも、ヘロデの死んだ年の紀元前4年前ということになります。

イドマヤ(エドムのギリシャ語読み、ユダヤの南に隣接する国)出身のヘロデは、紀元前40年、父の代から続くローマへの忠誠を評価されて、ローマの元老院から「ユダヤの王」の称号を与えらえ、ポンペイウス将軍の率いるローマ軍によるエルサレム陥落により、ヘロデはついにローマ皇帝に従属することを約束して、紀元前37年から4年まで、「ユダヤの王」としてイドマヤを含むユダヤ全土を治めました。

 イエスの生まれたベツレヘムは、エルサレムの南約9 キロメートル、標高約750メートルの小高い丘の上に位置しており、古代イスラエル統一王国を築いたダビデ王の誕生の地です。

 イエスが生まれた時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来ました。<占星術の学者たち>とは、本来ペルシャのゾロアスター教の祭司です。ゾロアスター教は光(善)の象徴として純粋な「火」を尊び、信者は炎に向かって礼拝するため、拝火教とも呼ばれています。<占星術の学者たち>は天文学、薬学、占星術等の学者で、人の運命や世の動きについて神意を伝える人たちでした。彼らは闇の中に輝く不思議に光る星を見出したのです。彼らはその星が、世界の救い主となるユダヤ人の王の誕生の知らせだと悟ったのです。

 ユダヤ人はバビロン捕囚から解放された後も、帰国しないでペルシャ地方にも住みついていました。救い主が現れるのを待ち望んでいたユダヤ人から、ユダヤ人の王としてメシアが誕生するという預言を、この学者たちは聞いて知っていたものと思われます。

 この超自然的な出来事によって、神の示しを受けた<占星術の学者たち>は、神の不思議な導きによって、<東の方から>ユダヤの都エルサレムを目指してやってきたのです。<東の方>とは、おそらくアラビアかペルシアです。千数百キロもある道をメシア(救世主)を求めてやってきたのです。四か月もかかる旅でした。エルサレムに着いた彼らは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と人々に尋ねました。

 ところがこれを聞いたヘロデ王は動揺しました。ヘロデは自分こそユダヤ人の王であると自認していました。ところが

自分の知らないところで、新しく王となるべき子が誕生したという噂(うわさ)を聞いて、不安に思ったのは当然です。ヘロデはユダヤ人とされていますが、純粋なユダヤ人ではなくエドム人とユダヤ人の間の子でした。当時イドマヤの地は、ユダヤに併合され、ユダヤの一部でした。

ヘロデは、ユダヤの最後のハスモン王アンティゴノスをローマ人によって処刑させて、自分が王となり、ハスモン家のヒルカノス2世の孫娘であるマリアムネ1世を妻とし、結婚によってもユダヤ人の王たる正当性を示していました。しかし、ユダヤ人から見ればヘロデは外国人であり、当時のユダヤ民衆からヘロデは嫌われていました。ヘロデ王は、民に認められた王というよりは、ローマに認められた王でした。彼は民の王としての信頼や権威をもって、ユダヤの国を支配していたのではなく、ローマの圧倒的な権威を借りて、支配をしていました。いつか誰かに王位を奪われないかと常に猜疑心の強い王でした。彼は王位を守るため、紀元前36年頃から7年頃にかけて、妻マリアムネ1世の弟アリストロブス3世を暗殺し、妻マリアムネ1世を処刑し、彼女の母であるアレクサンドラを処刑し、自分の二人の王子アリスロブス4世とアレクサンドロスまでを処刑したのです。

一方、<エルサレムの人々>も同様であった、とあります。神の民として選ばれながら、メシアを受け入れようとしない、心が頑なで、不信仰なユダヤ人を示しています。エルサレムの人々は、律法学者や祭司ら共に、キリストを十字架につけることを求めた民衆でした。メシア誕生の知らせに民衆も狼狽したのです。

王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただしました。ると彼らは、「ユダヤのベツレヘムです」と答えました。その理由として、旧約聖書のメシア預言、預言者ミカの言葉を伝えます。

「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」(ミカ書5:1)

<祭司長たち>は、大祭司の次に位する神殿の職務を手伝った高級祭司や神殿財務担当の祭司を指します。<律法学者たち>は、律法書(旧約聖書)の学問的研究に専念し、その解釈と教育に当たった職業的な学者です。ユダヤ教の首脳部であったこの二つのグループが、聖書を正しく解釈し、メシア誕生の場所まで知りながら、ベツレヘムに行こうとしませんでした。

ヘロデは、占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめました。王として生まれた子が、生まれて何か月位になっているのかを知るためでした。後に、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、メシアとなる男の子の年齢を割り出し、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残さず殺したのです(1章16節)。

ヘロデは、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と心にもないことを言って、学者たちをベツレヘムへ送り出しました。

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が現れ、神の与えた星に導かれて、ついに幼子のいる場所にたどり着きました。学者たちは、御子誕生の証しの光輝く星を見て喜びにあふれました。学者たちが家に入ってみると、幼子は母マリア共におられました。彼らはひれ伏して幼子をひれ伏して拝みました。光を象徴とする純粋な火や炎を神として拝んでいた彼らは、「光あれ」と太陽や月の光を創造された天地の造り主なる神の御子、世の救い主に出会うことができたのです。イエスは権力や武力で制圧するこの世の王ではありなせん。イエスは私たちの罪のために、ご自身を犠牲として十字架上で死に、神にとりなしてくださいました。十字架と復活によって、永遠のいのちを与えてくださいました。主イエスはその真実な愛によって、私たちの心を支配される王です。

学者たちはメシアを拝んだだけではなく、宝の箱を開けて、彼らの最も大切な宝、最も高価な、黄金、乳香アラビヤ産の芳香のある樹脂であり、礼拝の時にささげる香)、没薬(樹脂で香料の一種)を献げました。

学者たちは、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行きました。

旧約聖書に表されたメシア待望は、ユダヤ人が期待したものとは全く異なって実現したのです。「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」(マタイ21:43)とイエスが言われているように、マタイによる福音書では、外国の人々に救い主の誕生が示されたのです。イエスを最初に拝んだのは、エルサレムの人々ではなく、イエスを拝むために、はるばる遠い東の方からやってきた人達でした。イエスは、ユダヤ人だけの王ではなく、ユダヤ人だけの救い主でもなかったのです。主イエスは、異邦人にとっても王、「全ての民の救い主」なのです。主の誕生は全世界の民にとっての喜びなのです。 

 神は、御子イエス・キリストを私たちのもとに送ってくださいました。それがクリスマスです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)のです。神が御自身の御子を与えてくださったのですから、私たちはこの神の愛に応えて、私たち自身をささげることが霊的な礼拝です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真の救い主の誕生 ルカによる福音書2章1~20節

2014-12-14 22:36:06 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 

 待降節第3主日     2014年12月14日(日) 5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  267(ああベツレヘムよ)

交読詩編      30(主よ、あなたをあがめます)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書  ルカによる福音書2章1~20節       

説 教   「真の救い主の誕生」 辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 248(エッサイの根より)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                  次週礼拝 12月21日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分 

                    クリスマス礼拝

                    聖 書 マタイによる福音書2章

                     説 教  「メシアの誕生とヘロデ大王」

報告 12月13日(土)に開催したクリスマス茶会は盛会裏にお終わることができました。50名で礼拝いたしました。

本日の聖書 ルカによる福音書2章1節~20節

1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 14「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

本日の説教 

 救い主、メシア誕生の預言は、イエスが誕生する700年も前に、預言者イザヤによって語られていました。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ぶ」(イザヤ書7:14)と。イザヤと同じ頃に活動した預言者ミカも、「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る」(ミカ書5:1)と語っています。預言によれば、メシア(救世主)はダビデの出生地であるベツレヘムで生まれる、と言われていました。

主イエスが誕生したのは、ローマ時代です。イスラエルがローマ帝国の支配下にあった時代です。神が人類を救う計画は、人類の祖アダムとエバが罪を犯し、楽園を追われたときから始まっていると言えます。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただイエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ人への手紙3:23)。

歴史上で始まったのは、神がユダヤ民族の始祖となるアブラハムを選んで、カナンの地の地に行くように命じられた時から始まったと言えるでしょう。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。…地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(創世記12:2,3)アブラハムは主のことばに従って、ロトと共に、ハランを旅立ち、カナン地方に入りました。紀元前1950年頃、エジプト第12王朝の時代です。

 アブラハムは、父と共に、メソポタミアのウル(現在のイラク南部)から、ハランに移り住んだ人です。ハランから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住 したことから、彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれました。カナンの地で、アブラハム、イサク、ヤコブの三代のわたり、三人の族長が300年ほど過ごしました。ヤコブは神からイスラエルという名を与えられたので、それ以来、ヘブルライ人は「イスラエル人」と呼ばれるようになります。

 ヤコブの時代、カナンの地は干ばつに襲われ、食糧を求めて、ヤコブ一族はカナンの地を離れ、エジプトの移住しました。紀元前1650年頃から,420年間もの長い間、エジプト王国に寄留し、ついにはエジプトの奴隷のような状態にまでなりました。それを救ったのが、神に命じられて指導者になったモーセです。モーセは民を引き連れてエジプトを脱出し、シナイ半島の荒れ野を40年かかって、カナンの地(パレスチナ)へと導きました。モーセの後継者ヨシュアは、カナンの先住民た戦い、ついに、カナンの地を分割して、イスラエル12部族が定住しました。紀元前1020年頃から、ほぼ100年間、サウル王、ダビデ王、ソロモン王と三代にわたり統一王国を築きました。神がイスラエルを神の民として選ばれたのは、「あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから」(申命記7:7~9)なのです。預言者イザヤやミカの時代に、統一王国は分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国の二つの王国になっていました。この後、イスラエルの民は、キリストの誕生まで、700年の間に、5つの大帝国に次々と支配されることになるのです。

北イスラエルは、イザヤ・ミカの時代に、アッシリア帝国の滅ぼさ、南ユダは支配され属領となります。その100年後、南ユダは、次にオリエント世界の覇者となったバビロ二ヤ帝国によって滅ぼされます。民はバビロンに連行され、凡そ50年間捕囚の民となります。次に当時の世界を支配したのはぺルシャ帝国です。捕囚の民イスラエルは故国に帰ることを許されました。しかし、ぺルシャ帝国の属国であり、その支配は200年間続きました。次に世界を支配したのは、アレキサンドロス王によるマケドニヤ帝国です。マケドニヤ帝国は、紀元前332から紀元前37年まで100年ほど続きました。しかし、その末期の時代、イスラエルは反乱を起こし、紀元前167~63年まで、ユダヤ人による独立王国を築きました。次に登場した世界の覇者がローマ帝国です。

古代ローマは、紀元前509年の王政打倒から、紀元前27年の帝政の開始までの期間、イタリア中部の都市国家から、地中海世界の全域を支配する巨大国家にまで飛躍的に成長した共和政をとっていました。ローマのポンペイウス将軍によって、紀元前37年にエルサレムは占領され、滅びました。紀元前27年にオクタヴィアヌスが元老院から、「アウグストゥス(尊厳者の意味)」の尊称を与えられ、ローマの初代皇帝となりました。

ローマはヘロデ大王をユダヤの王として、イスラエルを統治しました。ユダヤを含むシリア州の総督が、ローマから派遣されたキリニウスです。ルカ福音書を書いたルカは初代のアウグストゥス皇帝の勅令によって、イエスはベツレヘムで生まれることになったと記しています。メシアは神が預言者を通して語れた場所で生まれたのです。イスラエルは5度も大帝国によって支配された民でしたが、このイスラエルの末から、救い主が誕生します。神の約束は成就するのです。

「彼ら(ヨセフとマリア)がベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」とあります。神はその子を極貧の中で、最も卑しい者として生まれさせました。イエスは生まれたときから、十字架への道を歩むことになるのです初代教会はここに神の恵みを見ました。

当時の人々はローマ皇帝を救い主と呼びました。ルカは皇帝アウグストゥスと幼児イエスを比較しています。主の天使が、羊飼いたちにダビデの町で生まれた「この方こそ主メシアである」と告げます。

 ルカは武力で支配するローマ皇帝がメシアではなく、イエスこそメシアであり、その支配は永遠に続くと宣言するのです。

紀元前27年から始まったローマ帝国は、西暦395年に西ローマ帝国と、イスタンブールを首都とする東ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は紀元476年、東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅亡しました。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである、」(ヨハネ3:16)とあります。

神の御子イエスは、私共のために来られ、私共に代わって、私共のために十字架にお架かりになり、三日目によみがえられました。十字架の死と復活をもって私共の死を滅ぼされ、永遠の命への希望に生きる道を拓いてくださいました。主イエスは、すべての民のまことの王として来てくださいました。クリスマスが成立したのはかなり後の時代のことで、最初の300年から400年間、教会でクリスマスは祝われていませんでした。教会が重要視したのは、教会を成立させたキリストの復活と聖霊降臨でした。

私たちを救うために世に来られ、マリアから生まれたイエス・キリストをほめたたえる、今、父なる神と共に支配している主をほめたたえ、やがて来たりたもう主イエスをほめたえましょう。今、わたしたちの心のうちに、御霊のイエスを迎えることこそが、最大のクリスマスを祝う意義であり、大きな喜びなのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする