富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「主の来臨の希望」 エレミヤ書33章14~16節

2018-11-29 12:43:49 | キリスト教

   ↑  オランダの画家レンブラントの油彩「エルサレムの滅亡を嘆く預言者エレミア」(1630年)アムステルダム国立博物館所蔵

 絵画の解説 “エルサレムの陥落の日、地下牢に監禁されている預言者エレミヤ”

 「薄暗い洞窟のような場所にエレミヤは頭に手を当て、物憂げな表情で佇んでいる。緑の衣服の上に青と毛皮のついたガウンを着ており、その身なりは預言者らしい威厳あるものになっている。足元にも金の刺繍がされた赤の絨毯がおかれており、金銀細工がおかれている。手元の辺りには古めかしい本が置かれているが、「BiBiL」という文字から聖書ではないかと思われ、エレミヤの預言者という勤めを示している。画面奥には燃え盛る炎が描かれており、エルサレムの滅亡を示唆している。エレミヤの表情に光のハイライトが当たる一方で、炎で暗喩的にエルサレムの滅亡を示すというまさにレンブラントらしい手法をとった作品であるといえる。」

 981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

   待降節第1主日  2018年12月2日(日)    午後5時~5時50分 

           礼 拝 順 序

                 司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 227(主の真理(まこと)は)

交読詩編   25(主よ、私の魂はあなたを仰ぎ望み)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)エレミヤ書33章14~16節(旧p.1241)

説  教      「主の来臨の希望」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 456(わが魂(たましい)を愛するイェスよ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

           次週礼拝 12月9日(日) 午後5時~5時50分

          聖 書 イザヤ書55章1~11節

          説教題   「旧約における神の言」 

          讃美歌(21) 356 231 24 交読詩編19

 ◎クリスマス茶会 12月8日(土)クリスマス茶会を催します。参加希望の方は申し込みください。茶道を通して、福音を伝える伝道の機会です。12時からは三十分の礼拝です。ご加祷ください。

    本日の聖書 エレミヤ書33章14~16節

  33:14見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。 15その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。 16その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。

    本日の説教

イ ザヤが活動した後、73年後に再びエルサレムに偉大な預言者が現れました。それがエレミヤです。エレミヤが召命を受けたのは、ユダ王国の名君と言われたヨシヤ王治世の13年です。エレミヤが召命を受け、預言活動を開始したのは紀元前627年の時です。ユダの王ヨシヤ(在位31年)、更にヨアハズ(在位3月)、ヨヤキム=エホヤキム(在位11年後、第一回バビロン捕囚)、コンヤ=ヨヤキン=エコンヤ=エホヤキン(在位3か月)、ゼデキヤ(在位11年後、第二回バビロン捕囚)の時代まで、40年の間、預言活動を続けました。最後は、エレミヤはエジプトの地中海沿岸の町タフパンヘスへ連行され(エレミヤ書43・7,44・30)、エジプトの地で殉教の死を遂げたと言われています。

  エレミヤは、召命を受けたとき若者でした(エレミヤ書1章)。エレミヤの出身地はベニヤミン族の相続地の中にあるレビの町アナトトです。アナトトはエルサレムの北東4.5キロにある小村です。エレミヤとは、「ヤーウェは建設したもう」という意味であり、祭司ヒルキヤの子として生まれました。

 

  エレミヤ書1章4節以下は、エレミヤの召命の記事です。神の言葉は圧倒的な権威に満ちてエレミヤに臨みました。神はエレミヤを母の胎内に造る前から知り、母の胎から生まれ出る以前に聖別し、「諸国民の預言者として立た」と告げました。この神の呼びかけに対し、エレミヤは、わたしは語る言葉を知らず、若者に過ぎませんと言って抵抗しました。しかし、神は、若者にすぎないと言ってはならない。だれのところへでも行って、命じることをすべて語れと言われました。彼らを恐れず、エレミヤを使命に向かわせたのは、「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」という神の励ましの言葉でした。神はエレミヤの口に直接手を触れてみ言葉を授け、預言者として任命しました。

  エレミヤが預言者として活動したのは、ユダ王国が衰退し、王国の滅亡とバビロン捕囚という破局に向かっていた時代です。エレミヤは、数十年にわたって警告者、勧告者として同胞の民に、神の裁きがまじかに迫っていることを語り、悔い改めの呼びかけをしなければなりませんでした。

  エレミヤは最初、全力をあげてヨシヤ王の宗教改革(626年)を支えました(エレミヤ書11章1-5節)。しかし、先頭に立つヨシュヤ王が戦死したことによって改革は挫折し、ヨヤキム王の時代を迎えるころにはふたたび宗教が自由化され、偶像礼拝がはびこるようになりました。

  ユダ王国はエジプトの支配を受け、王と民は政治的な不安の中にありましたが、エルサレム神殿があるかぎり大丈夫だという思いがありました。エレミヤはエルサレム神殿にて、「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(エレミヤ記7・4)ときびしく非難し、形ばかりの礼拝を続けているユダ王国は滅亡する。真の悔い改めによる信仰を目指すため、神殿破壊こそ神のみ心であるとの預言を行いました。また、バビロニアのネブカドネザル王を神がユダ王国を懲らしめるために遣わした存在と主張し、エジプトと手を結ぶことを非難し、バビロニアへの降服を神の審判として謙虚に受け取り、出直すことを預言したのです。

 エレミヤは、人々が彼に期待したことを告げませんでした。ユダとエルサレムに対する審きのときが、いまこそ訪れ、今度は神はその都市(まち)を守らない、と告げたのです。また、バビロニアに降服するよう、エルサレムの住民に求めたのです。彼は人々から治安を乱す者、敗北主義者とみられ、迫害されました。ゼデキヤ王に、ユダ王国がバビロンによって滅亡することを預言したため、ゼデキヤ王によって逮捕され、バビロンによってエルサレムが陥落する日まで、監視の庭に拘留されました(37-38章)。

  エレミヤは孤独と悲哀の生涯を送った「涙の預言者」と言われています。それは彼が味わった苦悩と悲嘆の深さを表す表現です。エレミヤは自分の誕生を呪うまでに苦しみ、二度とふたたび主の言葉を語るまいと決意するのですが、彼の心の中に、神の言葉が「燃える火」となって、彼は語らざるを得ませんでした(20章)。エレミヤの苦しみは預言者として語らなければならない苦しみだけではなく、エルサレムの滅亡と背信の民の滅びを悲しむ苦しみでもありました。

  エレミヤはイスラエルの国が北からの脅威にさらされている状況の中で、「広場で尋ねみよ。ひとりでもいるか。正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう」(5章1節)という神の命令を受けます。イスラエルは、神との正しい関係、また人と人との間の正しい関係があるのか、真実を求める者がいるのかを捜せと言われたのです。もし、一人の義人、一人の真実な者があれば、神はイスラエルを救うというのです。しかし、無知な身分の低い人々にも、身分の高い人々を訪れても、主の道、神の掟を知っている人はいませんでした。それゆえ神は「遠くから一つの国をお前達の上に襲いかからせる」と言われるのです。

  エレミヤは、エルサレムからバビロンへ連れて行かれた長老、祭司長、預言者たち、及び民のすべて(3023人)に、手紙を送り、励ましました。バビロンで七十年過ごしたら、神は恵みの約束を果たし、エルサレムに連れ戻すという預言でした。実際は五十九年でこの神の約束約束が実現しました。

  エレミヤはイスラエルの滅亡と捕囚とを、彼らの罪に対する神の審きと受けとめ、その罪が赦され、イスラエルとユダの回復する日が来ることを預言しました(30章)。31章では、エレミヤは希望と慰めとを語っています。それは神がイスラエルの家とユダの家との間に新しい契約を結ばれる日であるというのです。イスラエルが神の愛と真実のゆえに解放され新しい出発をする時、神は新しい契約を立てると言うのです。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記すわたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ書31・31~33)というのです。神が民と結ぶ契約ではなく、神が個人と結ぶ契約です。個人が自分自身の責任において神と出会い、「心に記された律法」に従って生きるという預言です。このエレミヤの「新しい契約」の預言は、イエス・ キリストによって実現するのです。

  33章の主の言葉は、エレミヤが獄舎に拘留されていたときに、臨んだものとされています。バビロン軍のエルサレム包囲中に、エレミヤがゼデキヤ王に対して、エルサレムの陥落と、バビロニヤ軍への投降を勧め、王の不幸な運命を告げたことで、王はエレミヤの過激な発言が民衆に及ぼす悪影響を恐れて拘留せざるを得なかったのです。エレミヤは、エルサレムが廃墟となることを預言します。しかし、「ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者の・・・歌う声が聞こえるようになる」(33:10-11)とエルサレムの復興を預言しました。

 イスラエル王ゼデキヤは、現実から目をそむけ、エジプトを頼ったため、殺され、ダビデ王家は断絶しました。しかし、ダビデの末から再び王が立てられる日が来るとの回復の約束をエレミヤは聞きます。それが今日のテキストです。

「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」(14-16節)

 正義の若枝、メシア降誕の約束です。イザヤも同じ預言をしました(イザヤ書11・1)。このダビデ王家復興の約束が「メシアはダビデの家から生れる」という信仰になりました。主イエスは「メシア、ダビデの子」として生まれた、神の子です。今日は待降節の最初の主日です。主の御降誕の日を迎えることに感謝し、主の再臨を待ち望む日です。

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「イスラエルを統一したダビデ王」サムエル記下5章1~5節

2018-11-25 15:01:35 | キリスト教

 ↑ オランダの画家: ヘラルト・ファン・ホントホルスト   タイトル: ハープを弾くダヴィデ   製作年: 1622   収蔵: ユトレヒト・セントラルミュージアム

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

 日本福音教団 富 谷 教 会    週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

  降誕節前第5主日  2018年11月25日(日)    午後5時~5時50分 

                             礼 拝 順 序

                                                司会 佐藤 洋子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

交読詩編   23(主は羊飼い)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)サムエル記下5章1~5節(旧p.487)

説  教   「イスラエルを統一したダビデ王」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 231(久しく待ちにし)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

                次週礼拝 12月2日(日) 午後5時~5時50分

                聖 書  エレミヤ書33章14~16節

                説教題   「主の来臨の希望」 

                讃美歌(21) 227 456 24 交読詩編25

     本日の聖書 サムエル記下5章1~5節

5:1イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。 2これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」 3イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。 4ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。 5七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。

     本日の説教

 ダビデが聖書に最初に登場するのは、サムエル記上16章からです。ダビデは<愛された者>という意味の名です。ダビデはユダのベツレヘムで、エッサイの八番目の末子として生まれました。彼は血色良く、目は美しく、姿も立派でした。預言者サムエルからサウル王の後継者として油を注がれていました。預言者から頭に油を注がれることは、神に王として聖別されることであり、神から特別の霊の賜物と加護を受けることを象徴していました。これらの出来事はまだ公にはされていませんでした。

  ダビデは羊を飼う若者でした。竪琴を巧みに演奏し、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、言葉にも分別があり、主が共おられる、主に祝福された人でした。若者ダビデは、サウル王に仕え、ぺリシテ人の巨人ゴリアテを倒し、武将として数々の武勲を挙げました(17章)。あまりの有能さと人望のゆえに、サウル王の嫉妬を受け、命まで狙われます。ダビデが逃亡すると、サウルは執拗に追いました。ダビデはサウル王の息子ヨナタンの友情や預言者たちによって助けられました(18~31章)。結局ダビデはペリシテ人の地に亡命し、10年間にも及ぶ逃亡生活を強いられたのです。この危機の中で歌ったダビデの預言的な詩が詩編22篇であり、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」の言葉は、キリストが十字架の受難の際に用いています。ダビデの詩は、詩編22~41篇まで記されています。

 ダビデはその苦難の中で神により頼んで生きました。エン・ゲディの洞穴で、彼はサウルを殺す機会があったとき、ダビデの従者たちは、神の与えて下さった絶好の機会であると思ったにもかかわらず、ダビデは手を下しませんでした。たとえ自分の命を狙う者であっても、神が油を注がれた者に手をかけることは許されないと考えたからです(サムエル上24章)。

 サウル王がダビデへの愚かな追撃をする間に、ペリシテは軍勢を整え、ギルボア山にたてこもったサウルとその軍勢に総攻撃をかけ、一挙にこれを打ち破り、ヨナタンが戦死し、サウルは自害して果てました。ダビデは有名な哀悼の歌「弓」を作って、サウルとヨナタンの死を悼(いた)みました。(サムエル下1・19-27)。

  サウル王の死によって、ペリシテ人の地に逃れていた(サムエル上27・1-2)ダビデは、<ユダの町へ上る>決意をしました。ダビデは二人の妻とアビガイルを連れてヘブロンへ上りました。ダビデは彼に従っていた兵士をその家族と共に連れ上りました。

 

  ギルボア山は、ベト・シエアンの西南。マハナイムはペヌエルに近い所。

  へブロンは政治的に見てユダにおける最も重要な地した。ユダの人々は、ダビデに油を注ぎ、ユダの王としました(2・4)。紀元前1000年のことです。

 サウルの軍の司令官アブネルは、サウルの子イシュ・ポシェトを擁立してマハナイムに移り、全イスラエルの王としました。サウル王家とダビデ王家の戦いは長引きましたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は衰えていきました。ついには、アブネルも暗殺され、イシュ・ポシェトも味方の裏切りにあい死にました。イシュ・ポシェトは、二年間王位にありました。

 「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。《御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』とスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。 2これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。》」(5・1-2)

 アブネルとイシュ・ポシェトが死んだので、イスラエル(北諸部族の名称)は名実ともに指導者を失って。<ヘブロン(すなわちユダ王国の首都)のダビデを頼る以外になくなりました。イスラエルの人々は、ユダ族のダビデを自分たちの王に迎えるに当たって、両者が共に神の民イスラエル(十二部族全体を指す)の一員という意味で<骨肉>であることを強調します。しかも、サウル王の存命中でも、ダビデは事実上のイスラエルの指導者でした(サムエル上18・7,13・16)。彼らはさらに、神もまた、ダビデが<イスラエルの指導者になることを望んでいると強調します。このようにして<イスラエルの長老たち>は、神と民の双方の意思に基づき、<ダビデに油を注ぎ、イスラエルの王>としました。

 ダビデは、もはやユダ単独の部族国家の王であるだけでなく、イスラエルとユダの全土>の王となったのです。ただし歴史的に見て、これによっても政治的・組織的に一枚岩の国家が出来たわけではありません。「イスラエルとユダ」は、ダビデが両者の王を兼務するという形で、本質的な二元性を秘めたままの結びつきでした。この二元性の対立が顕在化するのが、後のいわゆる王国分裂(列王上12章)です。

 「イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。」(5・3)

 即位の際に、<主の御前で>(すなわち聖所で、神を承認として)<契約>が結ばれたことは、ダビデのイスラエルへの王権が決して無条件で絶対的なものではなく、治める者と治められる者との間の双務的な法的合意に基づくものであったことを示唆しています。

「長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。ダビデ は三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。」(5・4-5)

 サウル王は南部を統一できずに終わったが、ダビデ王の即位によりイスラエル統一王国が確立しました。<三十歳>とか、<四十年間>という数字は概数と思われます(列王上11・42参照)。ダビデ王はエルサレムで、紀元前961年までおよそ33年間王位にありました(年代は、共同訳旧約聖書注解Ⅰの巻末の古代イスラエル時代年表によります。)。 

 ダビデは南北統一のために、地理的にも歴史的にも、両部族から中立で、要害に地であるエルサレムが、カナン系の先住民エブス人の町であり、異教の町だったので、エルサレムをエブス人から奪い、エルサレムに首都に定め、ヘブロンからエルサレムに移りました。またイスラエルの信仰の中心であり、神の臨在の象徴であった「契約の箱」をエルサレムに運び、宗教の中心地ともしたのです。

 人々はダビデをイスラエルの牧者、君と呼んで尊敬しました。ダビデはペリシテを平定し、近隣諸国も征服し、広大な王国を形成し、エルサレムにダビデの町を建て、イスラエルの繁栄をもたらしました。神により頼んだダビデは、神の祝福を受けたのです。

 しかし、すべてが順調に進んでいたその時に、ダビデは思いもかけない罪を犯したことを聖書は告げるのです。ダビデは、バト・シェバを自分の妻とするため、夫である将軍ウリヤを最前線に送り、卑劣な方法で戦死させてしまったのです。神は預言者ナタンをダビデのもとに遣わし、その罪を糾弾しました。ダビデは自分の罪を認めて深く悔い改め、神との関係が損なわれないことを祈ったのです。その時のダビデの祈りが詩編51篇です。神はダビデを離れることはありませんでした。晩年は失意の日々を送りました。多くの異母兄弟をつくったことも災いとなりました。異母兄弟同士の間で忌まわし事件も起こり、三男アブサロムの反乱とその悲劇的な死という悲劇を生みます。ダビデはバト・シェバの生んだ子、ソロモンを後継者に指名し、息を引き取りました。

 聖書はダビデを完全無欠な人として描くことはしませんでした。しかし、ダビデは後世の王の模範、象徴として名を残すことになりました。その死から約四百年後の王朝が崩壊(バビロニアによるユダ王国の滅亡は、紀元前586年)しても、人々は理想の王としてその再来を待望するなど、大きな影響を与え続けているのです。それが「救い主」はダビデの子孫から誕生するという信仰に発展していったのです。「メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」とあります。(ヨハネ7・42、ミカ5・1-2、サムエル下7・12-13、マタイ2・6)

 


 

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「モーセの召命と神の名」 出エジプト記3章1~15節

2018-11-13 03:23:35 | キリスト教

        ↑ 「燃える柴」Sébastien Bourdon (フランスの画家1616-1671)Hermitage Museum, Saint Petersburg(所蔵)

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

    日本福音教団 富 谷 教 会   週  報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    降誕節前第6主日 2018年11月18日(日)   午後5時~5時50分 

                    礼 拝 順 序

                                                司会 佐藤 洋子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 459(飼い主わが主よ)

交読詩編   77(神に向かってわたしは声を上げ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)出エジプト記3章1~15節(旧p.96)

説  教  「モーセの召命と神の実名」  辺見宗邦牧師

祈 祷                 

聖餐式    78(わが主よ、ここに集い)

讃美歌(21) 474(わが身の望みは)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

                                       次週礼拝 11月25日(日) 午後5時~5時50分

                                         聖 書  サムエル記下5章1~5節

                                         説教題   「王の職務」 

                                        讃美歌(21) 355 239 24 交読詩編18

              本日の聖書 出エジプト記3章1~15節

 3:1モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。 2そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 3モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 4主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、 5神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」 6神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。 7主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 8それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 9見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。 10今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 11モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」 12神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」 13モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 14神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 15神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。

                  本日の説教

    創世記の族長物語は、アブラハム・イサク・ヤコブと続き、ヤコブの子ヨセフの物語(37章~50章)に入ります。ヨセフは兄達に奴隷として売られてエジプトへ行きますが、ファラオ(エジプト王)の夢を解いたことから出世し、エジプトの宰相になります。カナンの地が激しい飢饉に襲われたとき、ヨセフの父ヤコブと兄弟たち十一人の一族が、エジプトの宰相となったヨセフを頼ってエジプトに移住し、ヨセフの庇護のもと、ゴシェンの地に定住しました。紀元前1630~1520年頃のことです。そこでヤコブは死に、ヨセフも長寿を全うして死にます。そして出エジプト記に入ります。出エジプト記からは、族長の歴史ではなく、民族の歴史の叙述になります。

 ヤコブ一族のエジプト寄留期間は430年(出エジプト記12:40)とあります。イスラエルの人々の数は驚異的に増え、ますます強くなって国中に溢れました。

 ヨセフのことを知らない新しいエジプト王、セティ一世(1291-1278)と思われますが、イスラエル人の増加を恐れました。王はイスラエル人の力を抑えるために、イスラエルの人々に強制的に重労働を課して虐待しました。さらに王は、ヘブライ人の勢力を弱めるために、イスラエルの民に生れる男の子を殺してしまうように助産婦に命じました。当時イスラエル人は、ヘブライ人と呼ばれていました。「ヘブライ」とは「渡って来た者」という意味です。ユウフラテス川の向かうから来た民だからです。

 エジプト王は、さらにヘブライ人に「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め」という恐るべき命令を布告しました。そんな中でモーセが生まれたのです(1280頃)。(年代については、「最新記事一覧」の「古代エジプト王朝区分と旧約聖書」の第十五王朝から第十九王朝を参照。)

  モーセを生んだ両親は、「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しいのを見、王の命令を恐れなかったからです」(ヘブライ11:22)とあります。だれかに拾って育てもらうようにと赤ん坊はかごに入れられ、ナイル川の葦のなかに置かれました。運よく水浴びに来たファラオの娘に拾いあげられました。

   王女は、父の意に逆らって、泣いている赤ん坊を不憫に思い、養子にすることにしたのです。この赤ん坊の姉ミリアムの勇気ある気転で、母が幼子の乳母として王女に依頼されました。モーセはヘブライ人の実母によって育てられたので、もっとも大切な幼児期に、母親から民族の精神と信仰心が植え付けられました。、この子が大きくなり、王女のもとへ連れて行かれ、王女の子となりました。王女は彼をモーセと名付けて言いました。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」「モーセ(モーシェ)とは「引き出す」という意味です。ナイル川から引き出されたから付けられた名です。それは同時に、イスラエルの民族を引き出し、約束の地カナンへ導いていく使命を担った名でもあります。

   成人したモーセは、同胞のヘブライ人が重労働に服しているのを見ました。モーセは、一人のエジプト人が、一人のヘブライ人を殴っているのを見て、そのエジプト人を殴り殺しました。このことを知ったファラオから殺されることを恐れたモーセは、エジプトからミディアンの地に逃亡しました。

  ミディアンというのは、アカバ湾の東、アラビヤ半島北西部を根拠地としていた遊牧民の名です。モーセはその人々の所に身を寄せました。「それはモーセが40歳の時の出来事(使徒言行録7:23)」でした。

   モーセはミデアンの地で、祭司レウエル(「神の友」とい意味)の保護を受けます。レウエルは、アブラハムの第二の妻ケトラから生まれたミデアンの子孫です。モーセは娘ツィポラを与えられて結婚し、子を持ちます。彼はその子をゲルショムと名付けました。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったので、付けられた名です。

 「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ(2:23)」とあります。死んだエジプト王とはラメセス二世(1279-1212)と思われます。モーセの年齢は、68歳頃になります。40歳でエジプトから逃げたモーセにとって、すでに28年経過したいたことになります。「その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」とあります。

 ここから、3章に入ります。モーセは、しゅうとであり、ミディアンの祭司であるエトロ(2章18節のレウエルのこと)の羊の群を飼っていました。あるとき、自分が住んでいたミデアンの地から百キロ以上も離れている、シナイ半島の荒れ野の奥にある神の山ホレブに来ました。これはモーセが80歳の時の出来事です(出エジプト7章6節参照)。ホレブ山というのは、シナイ山の別の言い方です。シナイ山は、エジプトとアラビヤの間のシナイ半島の先端にある山で、海抜2500メートルほどの山です。砂漠地帯にある山としては高い山です。そのとき、柴が燃えているのに、燃え尽きない不思議な光景をみました。柴は、山や野に生えている小さな木々、雑木のことです。モーセは見ようと近づいたとき、神が柴の間から声をかけられました。「モーセよ、モーセよ」と名前を二回呼びました。これは、逃亡者モーセに対しての親しい呼びかけです。彼が、「はい」と答えると、神が言われました。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」これは、神の臨在するところは聖く、厳かであることを教えるためでした。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセに語られた神は、モーセの父と共にあり、モーセの先祖アブラハムと共にあり、イサクと共にあり、ヤコブと共にあった神であると語ったのです。モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆いました。

   主は言われました。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫ぶ彼らの声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、・・・へ導き上る。」「わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々を連れ出すのだ。」

 神は「民の苦しみをつぶさに見」「叫び声を聞き」「痛みを知」る神です。さらに「降って行き」「救い出し」「導き上る」のです。神はこの世をつぶさに見、聞き、知り、降ってきて、苦しむ者を救われる神です。

  モーセは答えます。「私は何者でしょう。」 モーセはエジプトから逃亡した、異国にいる寄留者です。40年もの間一介の羊飼いとして暮らしてきたのです。年齢もすでに80歳です。当時最も権力を持つエジプトの王ファラオのもとから、イスラエル人を連れ出すとは、「私はいったい何者でしょう」と言って断りました。モーセがこの使命に逆らった理由が、4章10節以下にも記されています。「ああ、主よ。わたしは弁が立つ方ではありません。」自分は弁舌は巧みではありません。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」と言って、神から与えられた使命を回避しようとしています。

   神は「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」と神は答えられました。神がモーセと共にいてくださって、欠けたところを補い、支えてくださるといのです。

 モーセは神に尋ねました。イスラエルの人のところに行ったとき、「あなたを遣わした神の名は何か」と聞かれた場合、なんと言ったらよいのか、「あなたの名前を教えてください」と頼みました。当時のエジプトの民が信じた神々は、多神教でしたが、中心的な神は太陽神でラーという名前の神でした。また、カナンの先住民族たちの神は、バールという名前の神でした。また、バビロニヤ人の神は、マルドクという名前の神でした。神はモーセに「わたしはある、わたしはあるという者だ」と答えられました。

    神は、更に続けてモーセに命じました。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名。」神は、このように言われて、モーセに召命を与えられたのです。

「あなたの名は一体何か」というモーセの問いに、神は二つの自己紹介をしています。その一つは、「わたしはある。わたしはあるという者だという答えです。「わたしはある」というヘブライ語は、<エヒイェ(אֶהְיֶה)>という語です。この語は、神が先にモーセに語った、「わたしは必ずあなたと共にいる(キー・エヒイェ・イマフ)」という言葉の中で使われていた語です。直訳すると、「必ず・わたしはある・あなたと共に」となります。この場合、「ある(有る)」は、ただ神が存在するということではなく、イスラルのために存在する神であり、わたしたちと共にいます神、インマヌエルの神です。そして神は、すべての創造の源であり、初めから存在し、真のいのちを持たれ、すべての他の存在に依らないで、永遠に存在する方であることを示しています。

   もう一つの神の自己紹介は、「わたしは、アブラハムの神(エル)、イサクの神(エル)、ヤコブの神(エル)である主(ヤーウェ)」とあります。ここでは「主」は、原語では「ヤーウェ」という言葉が使われます。外のところでは、出エジプト記では「主」と訳されている原語は、すべて神を表す「エル」や「エロヒーム(エルの複数形)や、「アドナイ(主人・神を意味する)」という普通名詞が使われています。しかし、ここで用いられている「ヤーウェ」は、神の名の固有名詞です。6章3節でも、「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神(エル)として現れたが、主(ヤーウェ)という名を知らせなかった」(6:3)と記されています。【ミルトス・ヘブライ文化研究所編のヘブライ語対訳の出エジプト記では、「 יהוה」を、神聖な神の文字として「ヤーウェיְהוָ֞ה」と固有名詞ではなく、普通名詞の「神、主」を表す「アドナイיְהוָה」という発音にしています。】

    神は「わたしはヤーウェ」であると、モーセに実名を名乗ってくださったのです。「これこそ、とこしえにわたしの名これこそ、世々にわたしの呼び名」と言っておられます。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と三人のイスラエルの族長の名が挙げていますが、この三人を通してご自分を啓示された神です。私たちが信じる聖書の神は、抽象的な、漠然とした神ではなく、何よりもまず、このように具体的に、イスラエルの歴史に現れた神であるということです。その神は、ただイスラエルの神であるだけではなく、全世界の人々の神であります。わたしたちと共にいます神であり、インマヌエルの神です。

     付 録

   【主(ヤーウェ)という言葉が旧約聖書で最初に使われのは、創世記2章4節からです。「主(ヤーウェ)なる神(エロヒーム)」と記しています。創世記4章26節では、「主(ヤーウェ)の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」とあります。この時代とは、アブラハムの三人目の息子セトに男の子が生まれた時代です。これは「主」 (ヤーウェ) 資料によっています。

 出エジプト記6章3節には、「わたしは主(ヤーウェ)である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主(ヤーウェ)というわたしの名は知らせなかった」とあります。これはP(祭司)資料です。P資料も、これ以後は主(ヤーウェ)という言葉を用いるようになります。

  主(ヤーウェ)と訳されている言葉は、「 יהוה 」という四つの文字(右から左の方へ読む)のヘブライ語です。(ローマ字で、JHWH[またはJHVH]と書き表されることもあります。)イスラエル人はこの文字を神聖文字として発音記号をつけなかったのです。その代わり、この神の名を表す文字を、普通名詞の「主」「アドナイיְהוָה」と読み変えたのです。この神の御名を表す神聖四文字の発音を、今日は、「エホバ(イェホワ) יְהֹוָה 」と読む人たちもいますが、「ヤーウェ(ヤハウェ)もう一つの神の自己紹介は、「わたしは、アブラハムの神(エル)、イサクの神(エル)、ヤコブの神(エル)である主(ヤーウェ)」とあります。ここでは「主」は、原語では「ヤーウェיְהוָ֞ה」という言葉が使われます。これまで、出エジプト記では「主」と訳していた原語は、すべて「エロヒーム(エルの複数形)」という普通名詞が使われていました。しかし、「ヤーウェיְהוָ֞ה」は、神の名の固有名詞です。6章3節でも、「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神(エル)として現れたが、主(ヤーウェיְהוָ֞ה)という名を知らせなかった」(6:3)と言われてと読む方がより本来の発音に近い、と言われていす。

使用した旧約聖書は、1.「Hebrew Bible Printed  in Great Britain(1933年版)

          2.ネット検索では、「Hebrew English  Interlineare 」  】

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古代エジプト王朝区分と旧約聖書

2018-11-12 23:34:18 | キリスト教

 

 

 

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「神に信頼して従ったアブラハム」 創世記18章1~15節

2018-11-10 11:49:54 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

      日本福音教団 富 谷 教 会   週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

      降誕節前第7主日  2018年11月11日(日)   午後5時~5時50分 

                    礼 拝 順 序

                                                司会 田中 恵子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 151(主をほめたたえよ)

交読詩編  105:1-11(主に感謝をささげて御名を呼べ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳) 創世記18章1~15節(旧p.23)

説  教  「神に信頼し、従ったアブラハム」 辺見宗邦牧師

祈 祷                 

讃美歌(21) 458(信仰こそ旅路を)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏

             次週礼拝 11月18日(日) 午後5時~5時50分

              聖 書  創世記18章1~15節

              説教題   「救いの約束(モーセ)」 

              讃美歌(21) 459 474 24 交読詩編77

    本日の聖書 創世記18章1~15節

 18:1主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。 2目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、3言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。4水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。5何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」その人たちは言った。「では、お言葉どおりにしましょう。」6アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」7アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。8アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。9彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、10彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。11アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。12サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。13主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。14主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」15サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」

      本日の説教

 創世記11章前半で創世記の第一部であるいわゆる神話の部分が終わり、創世記11章26節から32節にかけてアブラハムの父テラの系図が記し、アブラハム物語の導入部となります。12章から第二部の族長伝説に入ります。この族長時代は、歴史的事実の裏付けはありますが、全体としては、歴史というよりも、歴史的伝説であり、史的説話です。アブラハム(多くの者の父の意味)という名は神によって改名されるまでは、アブラム(高められた父、尊敬すべき父)という名でした。アブラハムの生涯は25章まで続きます。

         

 アブラハムはバビロニア南部、スメル地方の住民でした。父テラに率いられてカルデヤの古代都市ウルを去り、ユウフラテス川に沿って北西に進み、パダンアラムのハランという所に移住しました。ウルはユーフラテス川下流沿岸の古代都市です。ハランは同じユーフラテス川上流のメソポタミアの都市です。 <ハラン>は、現在のトルコの東の方の町ウルファにあり、そこにはハランの遺跡があります。シリア国境に近い地です。

 父テラの死後、族長となったアブラハムは、「わたしが示す地に行きなさい」、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるようにする」という神の声に従い、妻サラと甥ロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共に、今までより頼んでいたものを捨てて、ハランを去り、カナン地方(現在のパレスチナ)に、旅立ちました。アブラハムが75歳の時です。

 現在パレスチナと呼ばれている地域(西は地中海、東はヨルダン川、南は死海、に囲まれた地域)は、当時カナン人が住んでいたので、「カナン」と呼ばれていました。その後、カナンの地中海沿岸にペリシテ人が西方から移住し、定住したことから、「ペリシテ人の地」を意味する「パレスチナ」と呼ばれるようになりました。

 彼の行こうとしている地は、漠然とした希望の地で、目的地さえ示されていません。紀元前1950年頃、エジプト第十二王朝(1991~1778)時代のことです。ヘブライ人への手紙11章8節には、「信仰によって、アブラハムは、自分の財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行く先も知らずに出発したのです」と記されています。アブラハムがカナンを目指したのは、父テラが、ウルを去るとき、カナンを目指していたからです。アブラハムは住み慣れた土地を離れ、親族と分かれ、父の家を捨て、大きな犠牲を払って旅立ったのは、神の言葉に信頼しての行動でした。それは「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」(ヘブライ11・1)信仰によるものでした。それは目に見えるものにより頼む歩みではなく、神のことばに信頼する歩みであり、出発でした。

         

   しかし、新しい地での生活は必ずしも容易ではありませんでした。アブラハムはカナン地方へ入り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来ましたが、当時、その地方は先住民のカナン人が住んでいました。アブラハムは、そこからベテルに移り、東にアイを望む所に天幕を張りました。更に旅を続け、ネゲブ地方へ移りました。その地方に飢饉があったためにエジプトへ移住(12:10-20)しました。そして、再びネゲブ地方へ戻り、さらにベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイの間の、以前に天幕を張った所(12:8)まで来て天幕をはりました(13:4)。持ち物の争いから甥のロトと別れて住むことになりました。たりしなければなりませんでした。ロトは土地の肥えた低地を選び、ソドムに住みました。アブラハムは山地に残ることのなり、天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築きました(13:18)。 

       ヘブロンのマムレの樫の木  

 「信仰によってアブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、…幕屋に住みました。…自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを言い表したのです。…実際は、更にまさった故郷、天の故郷を熱望していたのです。…神は彼らのために都を準備されていたからです」(ヘブライ11・9~10、16)。

 その後、ソドムとゴモラの財産や食料が、メソポタミアから攻め寄せてきた五人の王に略奪されました。ソドムに住んでいたロトも財産を奪われ、捕虜となって連れ去られたので、アブラハムは彼らを追い、北のダマスコの北まで追跡し、打ち破って、甥を救出しました。そのため彼の名声は高まり、ソドムの王に迎えられ、サレムの祭司であり王であったメルキゼデクに祝福されました(14:17-18)。

 主は子供のないアブラハムを祝福するため、彼を天幕の外に連れ出し、夜空に満天に輝く無数の星を見せ、数えて見よと語りかけられ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われました。彼は小さな自己の存在を痛感し、主のことばを信じました。主は彼の信仰を彼の義(神との正しい関係)と認められました(15:6)。

 アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラムではなく、アブラハムと名乗るように命じます。「多くの国民の父」とするからです(17:1-5)。そしてこの神との契約として男子は割礼を受けるように命じます。アブラハムの妻サライは不妊の女で子供ができませんでした。サラは八十九歳でした。神はアブラハムに、妻の名をサラと呼ぶように命じました。彼女に男の子を与え、諸国民の母とすると約束したのです。アブラハムはひれ伏しました。しかし、笑って、ひそかに、「百歳の男と、九十歳のサラに子供が産めるだろうか」と言いました(17:15-17)。子供とはアブラハムとエジプト人の女奴隷ハガルとの間に出来たイシュマエルのことかたアブラハムは思いました。しかし神は「あなたの妻サラがあなたの間に男の子を産む。その名をイサクと名付けなさい」と言われました。

 「主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。『お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。』その人たちは言った。『では、お言葉どおりにしましょう。』」(18:1-5)

 <マムレ>とは、ヘブロンの北5㌔にある村落です。アモリ人マムレの支配地だったと想像されます。<マムレの樫の木>とは、ヒイラギのような葉のセイチ樫です。主はマムレの樫の木の所で、アブラハムに現れました。<暑い真昼>だったので、アブラハムは<天幕の入口>の日陰で休息していたのでしょう。目を上げてみる見ると三人の人(神の擬人化)が彼に向かって立っていました。マムレの聖所にあった古い土着の多神教の神話的背景に由来している表現です。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言いました。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。」水で足を洗い、木陰で休んでください。食べるものを用意します、と言いました。その人たちは、「では、お言葉どおりにしましょう」と言いました。

 「アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」7アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。8アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。」(18:6-8)

 アブラハムは急いで天幕に戻り、サラにパン菓子を作るように言いました。小麦粉<三セア>小麦粉でパン菓子をこしらえるように言いました。(一セヤが約13リトルなので、約39リットルの小麦粉です。)アブラハムは召使に上等の小牛の肉で、急いで料理を作らせました。アブラハムは、凝乳(バターか、ヨーグルト)、乳の飲み物、出来立ての料理を運び、彼らが食事している間、そばに立って給仕し、歓待しました。何のむくいも求めない、旅人に対するもてなしでした。。

 「彼らはアブラハムに尋ねた。『なたの妻のサラはどこにいますか。』『はい、天幕の中におります』とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。『たしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。』サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。」(18:9-10)

 彼らはアブラハムに妻サラはどこにいるかと尋ねました。来訪者がサラの名を知っていることにアブラハムは驚いた事でしょう。アブラハムは天幕の中におります、と答えました。すると彼らの一人が、アブラハムに、サラが来年の今頃に男子を出産しますという約束を告げました。サラはこの約束を、アブラハムの背後の天幕で聞きました。

 「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。」(18:11-12)

 アブラハムもサラも高齢になっており、しかもサラは女の月のものがとうになくなっていたので、サラはひそかに笑いました。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、子が生まれるはずがないと思ったのです。

 「主はアブラハムに言われた。『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。』」(18:13-14)

 主の言葉はアブラハムに語られているが、実際にはサラに向けられています。「なぜサラは笑ったのか。年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことはない。来年の今頃、わたしはここに戻って来る。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている、と主は言われました。高齢の男女に男の子を与えるのは主であることが告げられました。

 「サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。『わたしは笑いませんでした。』主は言われた。『いや、あなたは確かに笑った。』」(18:15)

 サラが恐れたので、打ち消して言います。「わたしは笑いませんでした」は畏怖のあまり思わず口をついて出た、言い逃れの嘘でした。しかし神は「あなたは確かに笑った」と短い強い語調で彼女の心を見抜かれます。サラは不信仰のゆえに笑いました。しかしすぐさま彼女はその失敗から信仰へと移りました。自らの失敗を信仰によって気付き、恥じ、自らが神の全能を信じていないことを知って恐れを覚えたのです。「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです(へブル11:11)。

 アブラハムもサラも、人間としての弱さを持っていました。決して失敗のない完全な人ではありませんでした。神がアブラハムに子を与えると約束したのに、待つことが出来ず、サラの勧めを受け入れて、アブラハムはエジプトの女ハガルによってイシマエルを生んだことは、不信仰による大失策でした。そのような過ちを神は赦し、主は全能の神としてアブラハムに現れ(17:1)、「あなたの妻サラがあなたの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」(17:19)と言われたのです。この神のお言葉をアブラハムは信じたのです。「神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信し」たのです。だから「それが彼の義と認められたのです(ローマ4:21)。

 神がアブラハムを訪れたのは、神が約束したことを果たす時を知らせるためであり、そのあと、ソドムとゴムラの視察のためでした。神がアブラハムに仕えられるためではなく、神がまずアブラハムを祝福するために訪れたのでした。アブラハムは知らないで旅人をねんごろにもてなしたのです。イスラエルの選びは、神の側からの先行的な自由な選びでした。この民を通してイエス・キリストが救い主として来られることによって、神の約束は成就するのです。

 アブラハムに子供が与えられるのは、彼が100歳の時でした。サラが身ごもり、男の子を産みました。彼はその子をイサクと名付けました。サラは、「神はわたしに笑いをお与えになった」(21:6)言って、神に感謝し、神を賛美しました。

          付 録

 【イサクが少年になったとき、神はアブラハムを試みて、彼の息子を焼け尽くす燔祭としてささげよと命じました。この恐るべき試練に、息子イサクには「焼け尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」と語りつつ、神に言われたモリヤの地に着き、息子を屠ろうとしたとき、「その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは自分の独り子である息子さえ、惜しまなかった」と主の御使いが語りかけました。すると一匹の雄羊が木の茂みに角をとられていました。アブラハムはその羊を燔祭として献げました。

 アブラハムはその場所を「主は備えてくださる(ヤーウェ・イルエ)」と名付け、人々は「主の山には備えあり(ヤーウェ・イエラエ〔主は見られる、主は現れる〕)」と言いました(22:14)。

 アブラハムを試みた神は、わたしたち人類の罪を贖うために、雄羊ではなく、御子を献げたくださったことを思わせられます。

 アブラハムがカナンで実際に手に入れたのは、妻サラを葬るために購入したマムレの前の墓地でした(23章)。アブラハムは「天の故郷を熱望していたのです。」(へブル11:16)。パレスチナ自治区の都市ヘブロンのマクベラの洞穴のあるアブラハム・モスクには、アブラハムとサラ、イサクとリベかベカ、ヤコブとレア、三代の族長とその妻の6人が埋葬されています。アブラハムは、カナンという地上の限られた地ではなく、天の御国を受け継ぐ者とされたのです。

 「地のすべての民族はあなたによって祝福される」(12章3節)という神の約束は、神がアブラハムを選んでくださったことによるものです。アブラハムから神に選ばれた民の歴史が始まるのです。アブラハムは、罪と呪いに陥った人類を救う神の祝福の源として選ばれ、選民イスラエルの始祖とされたのです。アブラハムは神を信頼し従って、その使命を果たしました。】

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