富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「悪の世に打ち勝つ信仰」ヨハネの手紙一5章1~5節

2024-07-30 17:41:52 | キリスト教

 ↑ 「悪の世に打ち勝つあなた方の信仰 ヨハネの手紙一5章4-5節

〒981-3302 宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 

      TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

  日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

聖霊降臨節12主日 2024年8月4日(日)午後3時~3時50分

      礼 拝 順 序                

前 奏                辺見トモ子姉

司 会                辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 358(小羊をばほめたたえよ)

交読詩篇    146:1-10(ハレルヤ、わたしの神よ)

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)ヨハネの手紙一5章1~5節(新p.446)

説 教   「悪の世に打ち勝つ信仰」 辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21)   449(千歳の岩よ)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)    27(父・子・聖霊の)

       オン・ラインで礼拝に参加希望の方は、090-3365-3019

           牧師携帯)へ申し込み下さい。歓迎いたします。

       次週礼拝 8月11日(日)午後3時~3時50分

         聖 書 Ⅰコリント信徒への手紙2章11~39節

         説教題   「神からの真理」

         讃美歌(21)561 403 27 詩編 15:1-5

 本日の聖書 ヨハネの手紙一5章1~5節

 5:1イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。2このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。3神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。4神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。

  本日の説教

 ヨハネによる福音書とヨハネの手紙は、用いられている用語や表現などが極めて似ているところから、同じ教会(仮に「ヨハネの教会」と呼んでいる)の中で成立したと考えられています。ヨハネによる福音書は、イエスの十二弟子の一人のヨハネの権威の下に、ユダヤ教の会堂の人達に対してキリスト教の信じる神の独り子イエス・キリストを明らかにするために、紀元80年から後半から90年頃にかけて書かれました。一方、ヨハネの手紙(一、二、三)は、この教会で信仰理解について分裂が起こり、結果的に脱落者が教会を離れてしまうという状況がありました。この手紙は、この教会の指導的位置にあったユダヤ人キリスト者の長老が、真の信仰を土台に教会を再建するため、紀元100年前後に書いた勧告や手紙です。

 ヨハネの手紙一は手紙というより勧告であり説教のようなものとして書かれています。ヨハネの手紙二、三は、長老が個人に宛てて書いた短い手紙です。

 今日の聖書の箇所は、正しい信仰告白に基づいてイエスをキリストと信じる人が、神に属し、神の掟を守り、世がいかに強大な悪の支配力をもっていても必ずこれに打ち勝つ、これを信じるのが教会の信仰だと主張しています。

 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。」(1節)

 イエス・キリストによる罪の贖いを信じ、罪を赦された人は皆、もう一度神の子とされた人たちです。この主イエスをキリストと信じる信仰は、聖霊を注がれることによって私共に与えられました。ですから、イエスを救い主、キリストと信じる私たちは皆、神様によって新しく誕生した者なのです。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一12章3節で「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」と告げている通りです。

 親を愛する人は、その親の子も愛すように、神を愛する者は、神によって生命を授けられた者同士、家族のように愛し合います。愛である神様によって生まれた者にも,愛が備わっているのです。私たちは、御言葉によって育まれ、成長していくなかで、いよいよ神様を愛し、兄弟姉妹を愛する者となっていくのです。

 「このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。」(2節)

 「神の掟」とは、3章23節で言われているように、互いに愛し合うことです。これは主イエスが最も重要な掟として語られた二つの掟のうちの第二の掟です。イエス様は次のように言われました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。

 『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコによる福音書12章29~31節)。神様を愛すること、そして隣人を愛すること、これが守らなければならない掟なのです。

 「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。」(3節)

 神を愛していれば神の意志に従い、神の言(ことば)を喜んで守るはずです。旧約聖書の十戒も神とイスラエルとの人格的な愛が基盤にあった律法でした。神は、十戒により、自らの罪を顧みるように求められ、神の戒めを完全に守ることができない者でも、恵みによって救われるのです。「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。・・・私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。・・・御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。・・・主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。(詩篇103:8〜14)」この主を恐れる信頼の基盤が忘れられ、失われた故に、古い契約では救いが与えられませんでした。

 新しい契約が必要になりましたが、今や、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪を赦され、改めて新しい神の愛が人間に示され、この神の一方的な恵みを信じ受け入れた人々の間に新しい愛の関係が成立しました。これがヨハネの教会が重視したイエス・キリストにおける神と教会との交わりです。

 律法という掟を守ったら救うとお語りになっているのではありません。お互いイエス・キリストによって罪を赦された喜びをもって、互いに分かちあい、そこに原動力を得て、信仰を告白し、愛し合うことは難しくないはずだ、と言うのです。私たちに信仰を与えてくださった聖霊が成長させてくださることを信じ、徹底して委ねていくときに、いよいよ愛する者へと変えてくださるのです。聖霊は私共を必ず愛において成長させてくださるのです。聖霊により神がそうさせてくださるので、人間にとって難しいものではなくなるのです。

 「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(4節)

 ヨハネによる手紙では<世>とは、神に背き、神に敵対する霊的な力が支配する闇と死の領域です。その闇の支配から救い出されて光と命の領域に移ることが救いです。そして、その「世から救い出される」ことを、ここでは積極的に「世に打ち勝つ」と表現します。世には、神からのもの(神の霊)とは相反する肉の欲が支配します(1:10)。<肉の欲>とは、自己中心の生まれながらの人間本性が欲求するものです。敵意、争い、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、等が世を支配します(ガラテヤ5:19~21)。それに反し、神の霊は、愛、喜び、平和、寛容、柔和、節制、等を与えます。
 人間は、自分の力と努力で世に打ち勝つことはできません。悪の支配、罪と死の支配に侵されている世に打ち勝たれたのは、十字架に死んで復活された主イエス・キリストであり、御子を遣わされた神ですが、そのイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは世に打ち勝つことができるのです。

 私たちは、神が御子を通して与えてくださるる聖霊との交わりの中に生きることで、必ず世の悪しき力、悪しき誘惑に勝利するのです。しばしば誘惑に負けてしまうことがあっても、そのたびに悔い改め、新しくされるのです。私共が世に打ち勝つ勝利は、既に神様の永遠の御計画の中で定められているのです。この信仰をもつことによって、この世のただ中にあって、なお勝利を確信して立つのです。

 「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(5節)

 信仰に立つ者の世に打ち勝つ確信が述べられています。おそらくイエスのメシア性を否定する者たち、御父と御子を認めない異端の立場に対立して語られている言葉と推定されます。主イエスは言われました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16:33)イエス様御自身は既に世に勝っていると、宣言されています。この主イエスの勝利に与る者がキリスト者なのです。

 世にはいろいろな苦難があります。病気、災難、戦争、経済的な問題、不和、家族や職場などの人間関係の問題等、いろいろあります。多くの人々が深刻な問題をかかえて苦しんでいます。少しの悩みも苦しみもない人は一人もいません。

 世の苦難や重荷に打ち勝って、征服させる力は信仰者の心構えや精神力や精進の力ではなく、<神から生まれた者>です。もしその人が神を信じ、神から命を受けて生まれているならば、その人の中に込められた神の力が勝利させずにはおかないのです。イエス・キリストを、神の子、救い主と信じる私たちは既に世に勝っています。キリストを信じ愛に生きる信仰が世に打ち勝つのです。聖霊の力を受けて、あらゆる世の苦難や誘惑と戦うのが信仰者の歩みです。恐れる必要はありません。私たちの主は既に世に勝っています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖餐の制定」コリントの信徒への手紙一11章23~29節

2024-07-26 21:40:39 | キリスト教

  ↑ 作者       レオナルド・ダ・ヴィンチ 製作年1495年 - 1498年 壁画、テンペラ画 420 cm × 910 cm (170 in × 360 in) 所蔵   サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院、ミラノ、イタリヤ

描かれている人物は、以下のように同定するのが通説である(向かって左から、顔の位置の順番に記す)。

  • バルトロマイ - テーブルの左端、つまりイエスからもっとも離れた位置におり、イエスの言葉を聞き取ろうと立ち上がった様子に描かれている。
  • 小ヤコブ - イエスと容貌が似ていたとされる使徒。左手をペトロの方へ伸ばしている。
  • アンデレ - 両手を胸のあたりに上げ、驚きのポーズを表す。
  • イスカリオテのユダ - イエスを裏切った代償としての銀貨30枚が入った金入れの袋を握るとされる。ただし、マタイによる福音書では、イエスを引き渡した後で銀貨を受け取ることになっていたが、レオナルドは、聖書にある「手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」の表現が難しかったためではないかと言われている。
  • ペトロ - 身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに何か耳打ちしている。
  • ヨハネ - 十二使徒のうちもっとも年少で、聖書では「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席についていた」と記されている。
  • イエス
  • トマス - 大ヤコブの背後から顔を出しており、体部は画面ではほとんど見えない。右手の指を1本突き立てているのは、「裏切り者は1人だけですか」とイエスに問い掛けている姿と解釈されている。左手はよく見るとテーブルの上に置かれている。
  • 大ヤコブ - 両手を広げ大袈裟な身振りをしている。
  • フィリポ - 両手を胸にあて、イエスに訴えかけるような動作をしている。
  • マタイ - テーブル右端のマタイ、タダイ、シモンの3名は互いに顔を見合わせ、「今、主は何とおっしゃったのか」と問い掛けている風情である。イエスから離れた位置に座る彼らにはイエスの言葉がはっきりと聞こえなかったのかもしれない。
  • ユダ (タダイ)
  • シモン
  •                                                                                                 〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

  日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

聖霊降臨節11主日 2024年7月28日(日)午後3時~3時50分

      礼 拝 順 序                

前 奏                辺見トモ子姉

司 会                斎藤 美保姉

讃美歌(21)  411(うたがい迷いの)

交読詩篇     78

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)コリントの信徒への手紙一11章23~29節(新p.314)

説 教      「聖餐の制定」    辺見宗邦牧師

祈 祷

聖餐式(21)    81(主の食卓を囲み)

讃美歌(21)    78(わが主よ、ここに集い)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

      オン・ラインで礼拝に参加希望の方は、090-3365-3019

         (牧師携帯)へ申し込み下さい。歓迎いたします。

         次週礼拝 8月4日(日)午後3時~3時50分

         聖 書 ヨハネの第Ⅰの手紙5章1~5節

         説教題   「信仰による勝利」

         讃美歌(21)358 449 27 詩編 146:1-10

 本日の聖書 コリントの信徒への手紙一11章23~29節

 11:23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。27従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。28だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。29主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。

 本日の説教

 コリントというギリシャの都市は、アテネから約8㎞西にある、6㎞ほどの地峡で結ばれた、ペロポネソス半島にある都市で、イオニア海(当時の名はアドリア海)とエーゲ海の二つの海に面し、それぞれに港を持つ、通航の要衝であり、商業都市として重要でした。当時はこの地峡には船を陸揚げして運ぶ道がありました。今はこの地峡に運河が掘られて、大型貨物船は通航出来ませんが、観光船等はタグボートで曳航(えいこう)されて通航しています(1893年に完成)。

 紀元前46年にユリウス・カエサルによってコリントはローマの植民地として再建され、ローマ領土アカイア州(後のギリシャのこと)の首都でした。この地は多種多様な人々が行き交う自由の空気の支配する文化的中心地でもありました。

 コリントはギリシャ最大の港町で、六十万人の人口を持つ大都市でした。パウロがこの地を訪れたのは第二回宣教旅行の時で、紀元49年から51年にかけて一年六か月にわたり滞在し、宣教と教会形成にあたりました。皇帝の勅令によってローマから追放されてこの町に来ていたと思われるユダヤ人夫妻、アキラとプリスカとの出会いは、彼らがパウロの同業者(皮テント職人)であり、かつ熱心なキリスト教徒であったので、彼の伝道活動の大きな支えになりました。

 パウロはコリントの教会から離れた後も、人づてに、あるいは手紙で、コリントの教会について多くの情報を得ていました。パウロが去った後も教会は成長し、活動的でした。しかし、もはや放置しておけないような問題がこの教会を襲いました。それは、教会内部の分争(1~4章)、道徳上の乱れ(5~6章)、キリスト教徒の自由の誤用(8~10章)、教会の集会における混乱(11~14章)、復活理解(15章)などの問題です。問題を引き起こしたのは、熱狂主義者たちで、彼らの主張は「自分たちは完全な者だ」とか「霊あるいは知識を所有している」とか「すべてのことは許されている」という信仰理解を持つ人たちでした。

 おそらくこの手紙は、第三回宣教旅行中、約三年にわたって滞在したエフェソ(小アジア南西部、現在のトルコ)から、54年春頃に出されました。コリントの信徒への手紙一は、次の三つから構成されています。1~4章では、コリントの教会内部で起こっている分争問題、5~6章では教会内の醜聞の問題、そして7章以降15章までは質問に対する回答が述べられています。質問は、「結婚の問題(7:1~40)」、「自由と偶像問題(8:1~11:1)」、「礼拝における問題(11:2~14:40)」、「復活について(15:1~58)」の四つです。最後の16章は献金などの諸要件と結びの挨拶で終わっています。

 今日の聖書の箇所は、礼拝における<主の晩餐>の問題です。<主の晩餐>とは、聖餐式の最も古い呼び名です。原始教会では信徒が持ち寄って食物を分け合って食べる日常の食事(愛餐)とその食事の席で会食とは区別された、パンとワインを分け合って、キリストの最後の食事を思い起こす祭儀的な意味をもつ共同の食事、「主の晩餐」が行われていました。

 ところがコリントでは、パウロが去った後、裕福な霊的熱狂主義者や愛のない祭儀主義者は、早くから集まって、各自が勝手に飲み食いし、酔い潰れている有様で、遅れて来た貧しい人たちは飢えたまま、辱められている状態でした。「主の晩餐」は無秩序の混乱に陥り、貧しい者への愛と配慮に欠いた者たちの振る舞いによってキリストの一つの体である神の集会(教会)の交わりは分裂の危機にありました。この問題への返答として、パウロはイエスと弟子たちの最後の晩餐の伝承を思い起させるのです。

 「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」とパウロは述べています。パウロは主の晩餐を初期のキリスト教の伝承から受けたものです。教会において、聖餐を制定された主イエス・キリストのみ言葉が、人から人へ、世代から世代へと語り継がれ、受け継がれていく、パウロはそこに主ご自身のお働きを見ているのです。私たちも、代々の教会が守ってきた聖餐を受け継ぎ、それにあずかっています。それは直接には、先輩の信仰者たちから受け継いだことです。しかしそれは単なる人間の言い伝えや慣習ではありません。私たちもまた、このことを「主から」受けているのです。教会の伝統とはそういうものです。それは人間が造り出したものではなくて、主エス・キリストから示され、与えられたものです。

 「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。」(23節b~25節)これは、共観福音書(マタイ26:26-29、マルコ14:22-25、ルカ22:14-20)と共通する記事になっています。ルカの記事がもっともパウロの受けた伝承と密接に一致します。ルカは次のように記しています。

 「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』」(ルカ22: 19-20)

 コリントの手紙の<引き渡される夜>とは、ユダに裏切られ、祭司長たちの遣わした群衆に逮捕され、権力者たちに引き渡されたと解釈するのも可能ですが、イザヤ書53章6節に「わたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた」とあるように、「神は私たちのために主イエスを(死のために)に渡される夜、イエスはパンを取り……」と解すべきと思われます。イエスの死は一貫して神の意志に服従した結果であり、同時にそれは世を救うための神御自身の行動だったのです。

 主イエスはパンを取り<感謝の祈りをささげてそれを裂かれ>ました。この感謝(ギリシャ語の「エウカリスティア」)から聖餐式を意味する「ユーカリスト」という言葉が生まれました。 また、<それを裂き>とありますように、主イエスがパンを裂かれたことから、聖餐式は、「パン裂き」として広まりました。主イエスはパンを裂いて、<これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい>とお命じになられました。<あなたがたのためのわたしの体である>とあるように、主イエスが裂かれたパンは、主イエスのお体を象徴し、十字架のあがないの出来事に結びつけられています。キリストは、弟子たちの命を贖うために、そして聖餐式にあずかるわたしたちのための罪のあがないとして御自身の命を十字架に献げられたのです。主イエスは<わたしの記念として行いなさい>とお命じになりました。このことが<主の晩餐>の制定であり、後に教会の礼典として守られるようになったのです。

 主の晩餐の目的は主の<記念(原意は「想起」)>です。これは単なる過去の出来事を思い出して懐かしむということではなく、過去の出来事を自分たちのためでもあると、現実の中での出来事として捉えるのです。<記念>という言葉は、聖餐におけるパンとぶどう酒が、体と血を代表することによって、実際に主を現在させることを意味すると考えられます。しかし、主の晩餐が意味するのは、教会が十字架と神の国の間で、イエスの死を記憶することなのです。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせるのです。――主が来られるときまで」。それは聖餐にあずかるたびに起こる終末の先取りとしての出来事であり、12章まで伏せられてはいるが、キリストの体としての共同体の実現が新しい血の契約の儀式のうちに現在しているのです。それゆえ、この聖餐は、キリストと共にある生とその主の告知への使命を自覚することなしにはあり得ないのです。これがここに聖餐の伝承を導入するパウロの意図なのです

 主イエスは、12弟子たちに「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしを記念してこのように行いなさい」と言われました。<血による新しい契約>とは、どういうことでしょうか。それは古代のイスラエルの民族が神の民とされるために、神との契約を結ぶ際の儀式に基づくものです。すなわち、祭司は犠牲の動物を殺し、その血の半分を鉢にいれ、残りの血を祭壇に振りかけ、契約の書を読み聞かせます。そこで民は「わたしたちは主が仰せられたことをみな、従順に行います」と誓ったのち、誓いのしるしとして、祭司は鉢に入れた血を民に振りかけ、「見よ、これは主がこれらすべての言葉にもとづいてあなたたちと結ばれた契約の血である」と宣言しました(出エジプト記24:6~8)。

 主イエスが、「わたしの血による新しい契約」と言ったのは、古いモーセによる契約と対比して、主イエス自身が、十字架にかかられたことによって、神と万民との間に新しい契約がたてられたのだ、という意味なのです。古い契約においては、主なる神は動物(雄牛)の犠牲の血によって民の罪を赦されました。新しい契約においては、キリストの流された血によってわたしたちの罪を赦してくださったのです。<新しい契約>は、エレミヤ記31:31~35で言われているように、人間の側の一方的な契約破棄に対して、神が御子の十字架を通して新しい関係を創造されることを示しています。神との契約関係にある民は、神を愛し、隣人を愛するという、神とお互いに対する責任によって結び合わされたのです。この新しい契約の性格が、食事を分かつ時、前面に表れるべきなのです。ところがコリントの人々の、何も持たない人々を軽視する利己主義の行動が晩餐の意味をあまりにも不明瞭にし、その結果、それはキリストの死を指し示すものではなくなっているのです。主の死の宣言は、裂かれたパンを分かち、注がれたぶどう酒を分かつ時、それが「わたしたちのため」のイエスの死であり、教会員が一致してその死の恩恵にあずかることを表すものなのです。

 パウロは、27節以下で、この聖餐式の意義をよく知って、正しく聖餐式が行われるように勧告します。「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。」<ふさわしくないままで>パンを食べたり、杯を飲む、という文章は、完全に正しくないと主の晩餐を共にできないという意味に誤解され、また28節の自己検討の呼びかけは、強烈な自己反省の要請として聞かれてきました。しかしこれは全く誤解です。コリントの裕福な人々は自分たちの食物を食べ、貧しい会員に恥をかかせています。ふさわしくないままでパンを食するとは、教会の会員を軽視し、かえりみずに、分裂を生じさせるような仕方でそれを食することを意味しています。したがってパウロが自己検討を呼びかけていることは、コリントの人々が心の奥を調べるようにとの勧めと理解してはなりません。むしろ食事における自分たちの行動がどのようにキリストの体である教会の兄弟、姉妹に影響しているか検討するようにとの率直な勧めなのです。

 <主の体のことをわきまえずに>とは、「聖餐におけるパンにキリストが現存していることをわきまえて」という意味ではありません。パウロにとって<体のことをわきまえる>とは、信仰者の共同体がキリストの一つの体であるという、本当の意味を認めるということです。<体のことをわきまえ>ていない者とは、自分自身の霊性を誇り、自分の社会的特権を振るい、主の死によって始まった新しい共同体に共に与る者に無頓着であるという、自己中心に振る舞う者です。<主の体と血に対して罪を犯すことになる>とパウロは断言します。これは聖なるパンとぶどう酒を冒涜することではなく、教会員を侮辱することで、キリスト自身を侮辱することです。キリストに対して罪を犯すことになるのです。このようなことを行う者は、主の食卓で恵みを得るのではなく、神の裁きを自分自身にもたらすのです。パウロは教会の聖餐が主の裁きの場となるのでなく、恵みの手段の場となるようにコリントの教会のキリスト者たちに訓戒したのです。

 教会(原語のギリシャ語では「エクレシア」)は「呼び出された者たちの集り」という意味のことばです。教会は、神様によって召し集められて、共に礼拝する、一つとされた群れです。み言葉と主の晩餐に養われつつ、主の十字架の死と復活による愛の福音を宣べ伝えていく群れなのです。

 主の晩餐から始まった聖餐式は、その後の教会では、聖礼典として執り行われるようになりました。時代や教派によってそのとらえ方に違いがあっても、キリスト教の中で聖餐は常に礼拝儀式の核となるものでした。聖餐式は神が計画する人間の罪からの救いの成就となる式であり、イエスの死と復活を思い起こし、そこにイエスの現存を信じるもの、さらには信仰者と神、信仰者同士の絆を確認するものでした。このような中心思想はほとんどの宗派に共通ですが、その程度やとらえ方によって違いが生じています。プロテスタントの教会ではパンとワインが実際にキリストの体と血に変わることはなく、象徴的な儀式と見做しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「義と平和と喜びに生きよう」ローマの信徒への手紙14章10-23節

2024-07-17 22:47:53 | キリスト教

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

聖霊降臨節10主日 2024年7月21日(日)午後3時~3時50分

        礼 拝 順 序                

前 奏                 辺見トモ子姉

司 会                                  辺見宗邦牧師              

讃美歌(21)   56(主よ、いのちのパンをさき)

交読詩篇     68:1-11(神は立ち上がり、敵を散らされる)

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)ローマの信徒への手紙14章10-23節(新p.294)

説 教   「義と平和と喜びに生きよう」 辺見宗邦牧師

祈 祷

聖餐式(21)    81(主の食卓を囲み)

讃美歌(21)   402(いともとうとき)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

       オン・ラインで礼拝に参加希望の方は、090-3365-3019

       (牧師携帯)へ申し込み下さい。歓迎いたします。

        次週礼拝 7月28日(日)午後3時~3時50分

        聖 書 コリントの信徒への手紙一11章23~29節

        説教題   「聖餐」

        讃美歌(21)411 78 27 詩編 78

 本日の聖書  ローマの信徒への手紙14章10-23節

  14:10それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。 11こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」 12それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。 13従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。 14それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。 15あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。 16ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。 17神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 18このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。 19だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。 20食べ物のために神の働きを無にしてはなりません。すべては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります。 21肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。 22あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。 23疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。

 本日の説教

 ローマの信徒へ宛てた使徒パウロの手紙は、第1章から8章で、神の力・神の義としての福音とは何かを述べ、第9章から11章で、イスラエルと全人類の救いとしての福音とは何かを説いたパウロは、12章と13章では、キリストに属する者がこの世でどのように歩むべきかを説く、一般的な勧告です。14章1節から15章13節までは具体的問題に対する勧告です。

 14章1-12節の小見出しは、「兄弟を裁いてはならない」とあります。パウロは、信仰の強い人たちに対し、<信仰の弱い人>を受け入れなさいと勧めています。<信仰の強い人>とは、<何を食べてもよい>、<すべてのことが許されている>(Ⅰコリント6:12)と主張する人達です。<信仰の弱い人>とは、野菜だけ食べ、<特定の日を重んじる人>達です。

 それは当時、他の神々、偶像の神々の神殿に備えられた肉が市場で食肉として売られていたという事情があり、唯一の神のみを信じるユダヤ人たちにとっては、偶像に供えられた肉は汚れたものであり、食べてはならないものだった、ということが背景にあります。<信仰の弱い人>は、自分の従来からの生活信条や、昔からの掟に囚われてそこから自由になることのできない人です。

 「何を食べてもよいと信じている人」というのは、主イエス・キリストの実現してくださった救いによって、そのような食べ物に関する掟はもう意味を失った、と考えている人です。

 <信仰の弱い人>を<受け入れなさい>というパウロの勧告は、単にその人たちを配慮し、教え導きなさいということではなく、その人たちの生活習慣に根ざす信念を理解せずに、その人たちをさばき、切り捨ててはならないということです。

 4節では、ローマの奴隷制度に言及して、人を裁くのは、よその家の僕を裁くのと同じである、と言います。この比喩は、一般的な奴隷―主人の関係から、教会の主キリストとその僕である信仰者の関係へと移行され、<召し使い>同士がお互いにお節介を焼く必要のないこと、<召し使いが立つのも倒れるのも、その主人による>ことが指摘されます。そのように信仰者の行為と生活についても、主キリストがその人を立たせるし、立たせることができると言います。主は、弱い者をも、否、弱い者をこそ、立たせるからです。互いの争いや裁きあいは、主に対する罪であり、不信であるということです。

 次に、5節では日の問題に入って行きます。<特定の日を重んじる人>とは、悪霊などによる影響を恐れて、日の良し悪しにこだわる人々や、安息日やユダヤ教の祝祭日を守るユダヤ人キリスト教徒のことを言っているようですが、パウロは、彼らの態度の良し悪しを問わずに、彼らが<主のため>にそのようにしていると解釈しています。また、他の人は<すべての日を同じように>考えています。それに対するパウロの立場は、各自がそれぞれの心の中で確信をもっておるべきであるというのです。日を重んじるか、重んじないかということよりも、それを主のためにするかしないかが問題だというのです。その点は、食べるのも同様であって、食べるのも主のために食べるのであり、食べないのも主のために食べないのでなければならない。つまり確信をもって、主のためにどちらかを選ぶことが大切なのだと言っています。それは自己を制御して生きる者も、自由に生きる者も共に、<主のために>そうするのであって、どちらも食事の際に<神に感謝>することから明らかであるとします。

 この基本的態度が、7-9節で展開されます。信仰者にとって生きるのは、主キリストのためであり、死ぬのも<主のため>であると言っています。<主のため>なら死んでも良いという表現です。パウロにとって、死はたんなる終わりではなく、天にある主イエス・キリストのもとに行くことでした(フィリピ1:21)。8節に「だから…わたしたちは主のものなのである」とあります。わたしたちは主キリストに属するものであり、キリストのものだという自覚です。なぜ主のもの、主に属するものといえるかですが、それに対してパウロはキリストは死者と生者との主となるために死んで生き返られたからだと答えています。死んで生き返ったということは、キリストの十字架と復活を意味しています。キリストは復活したことによって、父なる神の右に座し、全権を委ねられて、世界の主として立てられたのです。それ故に、主イエスを信じるものは、主のもの、主に属するものとなるのです。主イエスを信じるものは、主イエスの復活の命にあずかるのです。キリストを信じるものは、聖霊を与えられることによって、この世にあってすでに終末の栄光にあずかっているのです。

 ここからが今日の聖書の箇所です。

 10節では、再び<兄弟を裁き>、<兄弟を侮る>のは、自分の判断が他の人間の判断する基準であると主張することなのだと諭します。しかし、神こそがすべての判断の基準なのです。自分の判断を基準とする者は、自分を裁判官の席に座らせることになります。しかし実際は、自分たちこそ<神の裁きの座に立つ>のです。

 11節の、「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」は、イザヤ書45:23と49:18からの引用による礼拝における「歓呼」です。互いに受け入れ、裁き合ってはならないという勧告は、神こそが裁き主であるという賛美となります。

 12節では、最後に、パウロは短く、信仰者は個々人で神の前で申し開きをすべきこと、自分の生活態度に関して自ら責任を取るべきことを付け加えます。目を向けるべきは、他人の態度についてどう判断するかではなく、神の判断の前に立たされる自分自身の姿をかえりみながら、全責任を負って、善く考え判断し行動せよ、という勧めです。

 他人の言動をあれこれ言う以前に、みずからの言動について、愛の配慮に基づいているか、あなたのならわしに従って歩ませようとするなら、彼は自分の良心にそむき、それが原因となって挫折するかも知れない結果にならないかどうかを吟味すべきです。それでは反対に、信仰の強い者の自由が束縛されるではないか、という問いが出てきます。パウロはそれに対して、キリストは自由を放棄する以上のことをあえてなされた。キリストは信仰の弱い人のためにも死んでくださった。このことをしっかり心に銘記してほしい、とパウロは勧めています(14:15)。そのうえで、各自は自分の心の確信に基づいて自由に生きるべきなのです。

   ここには、やはりパウロが、ローマ教会をつまらない事で波風を立たせず、穏便に治め、教会の一致を守って行こうとする姿勢がよくあらわれています。教会の中で信仰の中心にかかわることでなければ、こうでなければならないという人と、そのような固定観念にとらわれない人とが相互に認め合っていくべきであるというのです。

 13節―23節の小見出しは、「兄弟を罪に誘ってはならない」とあります。パウロは、<信仰の弱い人>に対するこれまでの議論に<もう互いに裁き合わないようにしよう>と結論を下して、具体的な教会内の交わりの問題を展開します。一方で、「すべては許されているのだから何を食べてもよい」と、自由と真の知識の所有を自認する者たちが、その自由と知識をもって「弱い者」につまずきを与え、他方では、旧来の生活習慣と考え方を絶対視して「強い者」の自由と知識を非難します。このような対立状態は、神の恵みの豊かさの下に生きる信仰者の態度ではありません。したがって、このような<つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心>するよう、パウロは勧めます。パウロは、<それ自体汚れたものは何もない>(14節)と断定し、それは個人的・主観的なものであると言います。<汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたもの>(14節)なのだと、個人の主観的判断には踏み入りません。「強いもの」の確信と言えども<弱いもの>の信念を侵すことは許されません。<あなたの食べ物のことで兄弟が心を痛めるならば>とは、「強い者」につられて偶像への供え物を食べ、自分が禁を犯して汚れてしまったのではないかと悩んだり、逆に偶像礼拝の影響を受けたりして信仰生活が分裂してしまうことを言っています。「強い者」がそのような心の痛みを理解せず、信仰が弱いための自業自得であると見捨てるような態度は<愛に従って歩んでい>るとは言えません。なぜなら、キリストはこの弱い<兄弟のために死んでくださった>のだからです。したがって、パウロは<あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようしなさい>(16節)と勧告します。

 「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」<神の国>は、神が直接支配する、終末後に成立する時代ですが、パウロにとっては、今やまさに宇宙的規模で実現されようとしているキリストの支配を意味します。神の国は「飲み食いではなく」、<聖霊によって与えられる義と平和と喜び>であると語ります。キリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます(18節)。だから平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか、勧告します(19節)。

 パウロは再度<食べ物>の問題に戻り、<すべては清い>と断言します。しかし、この清いはずの食べ物が<食べて人を罪に誘う者には悪い物とな>ると言います。人をつまずかせる種となるものが悪なのです。

 そして、パウロは「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい」(21節)と言います。その判断の善し悪しの基準は、他人をつまずかせないことです。他人をつまずかせることは、自分の信念を無理強いすることから起こります。

 各人は、自分の信念に忠実に、確信を持って行動すべきです。他人の行動に気を取られて、動揺したり軽蔑したりすることは正しくありません。確信のない行動は信仰者のとるべき態度ではありません。

 主イエスは、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」(ヨハネ6:27)と言われました。「永遠の命に至る食べ物」とは、「天から降って来た生きたパン」であるイエス・キリストのことです。イエスの肉と血にあずかる聖餐にあずかるとき、わたしたちは罪の赦しを受け、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」を与えられ、「神の国」、神の支配のもとに生きる者とされるのです。

 「義」とは、「主イエス・キリストの十字架の死による贖い、つまり罪の赦しによって神から無償で与えられた義です。飲み食いのことで自己主張をするのは、神の義によってではなく、自分の義、自分の正しさによって生きようとすることです。「平和」とは、神との間の平和です。信仰によって義とされたことによって私たちは、神との間に平和を得ているのです。神との間が平和であるとは、神の愛が心に注がれており、苦しみの中でも希望を失わずに忍耐して生きる力を与えられるのです。この平和が対立している者同士にも与えられるのです。「喜び」は、神の恵みによって義とされ、神との間に平和を与えられた者は、喜びに満たされるのです。「義」、「平和」、「喜び」を与えてくださるのは、イエス様から送られる聖霊によって与えられるのです。

 このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、「平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」とパウロは勧めます。

 わたしたちが守るべきことはキリストによって救われるという福音であり、互いに愛し合うという新しい律法です。教会の交わりにおいて大切なのは、その自由さ、多様さを互いに尊ぶことですが、何にもとらわれず自由に生きることのできる信仰の強い者は、弱い者につまづきを与えないように、自己を制御することが求められるのです。そうするとき、教会は、聖霊による一致を保って、キリストの栄光を現わすことができるのです。

 教会が信仰の一致の下に、良い共同体を築くためには、間違った考え方や行いに対する批判や忠告、場合によっては叱責も必要です。批判や忠告をすべき時に、事を荒立てたくないからと黙ってほったからしにしておくことは、相手を本当に愛することにはなりません。人間には罪があり弱さがありますから、間違いに陥ることがあります。そんな時にはお互いに忠告し合い、悔い改めがそこに起こることが大切です。批判や忠告は、軽蔑したり裁いたりすることのない、相手を受け入れる思いの中でなされなければなりません。それには聖霊の助けが必要です。私たちの自己主張は、たとえそれが内容的に正しくても、相手を破壊し、交わりを壊していくものです。お互いを建て上げていくような建設的な働きは、聖霊によって与えられる義と平和と喜びの中でこそなされるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「破局からの救い」使徒言行録27章33~44節

2024-07-10 16:03:57 | キリスト教

   マルタ島の「聖パウロ遭難記念教会」にある遭難の天井画

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

聖霊降臨節9主日 2024年7月14日(日)午後3時~3時50分

        礼 拝 順 序                

前 奏                辺見トモ子姉

司 会                斎藤 美保姉

讃美歌(21)  462(はてしも知れぬ)

交読詩篇     54(神よ、御名によってわたしを救い)

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)使徒言行録27章33~44節(新p.269)

説 教     「破局からの救い」   辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21)  463(わが行くみち)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

        オン・ラインで礼拝に参加希望の方は、090-3365-3019

        (牧師携帯)へ申し込み下さい。歓迎いたします。

          次週礼拝 7月21日(日)午後3時~3時50分

          聖 書 ローマの信徒への手紙14章10~23節

          説教題   「義と平和と喜びに生きよう」

          讃美歌(21)56  402 27 詩編 68

 本日の聖書 使徒言行録27章33~44節 

  33夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。34だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」35こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。36そこで、一同も元気づいて食事をした。37船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。38十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。39朝になって、どこの陸地か分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。40そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。41ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。42兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、43百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、44残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。

 本日の説教

 カイサリアの総督フェリクスの前で、大祭司と長老数名が連れてきた弁護士テルティロの告発を受けたパウロは、訴えられる理由も証拠も何もないことを弁明しました。総督フェリクスは、この告訴が政治問題ではなく、ユダヤ教内部の宗教問題であったことを知っていたので、判決を出さず、千人隊長が来るまで、裁判を延期することを宣言し、パウロの監禁については、彼にある程度の自由を与え、友人たちが彼の世話をするのを認める処置を百人隊長に命じました(使徒24:22-23)。二年後、フェリクスの後任者として、フェストゥス総督が着任したが、パウロを監禁したままにしておいた(使徒24:10-27)。

 フェストゥスは十日ほど後に、パウロを裁判にかけると、パウロはローマ皇帝の法廷で裁判を受けたいと上訴しました(使徒25:6-12)。

 パウロはアグリッパ王の前でも弁明しました。総督フェストゥスやヘロデ・アグリッパ二世の目には、パウロはまったくの無罪で、釈放に価すると思われましたが、パウロ自身が皇帝に上訴(控訴)したために、やむを得ずフェストゥスは、パウロを他の数名の囚人と共に裁判を受けさせるため、イタリアへ護送することにしたのです。もし、エルサレムでの裁判に送り返されれば、パウロはユダヤ教の祭司長たちによって途中で殺される運命にありました(使徒25: 13-26:32)。

 パウロの身柄は、百人隊長ユリウスに預けられ、カイサリアからアドラミティオン港所属の船で出航しました。ユリウスは、<皇帝直轄部隊>の百卒長とありますが、シリアの補助部隊・歩兵隊に所属していました。アドラミティオン港は、ミシア地方のトロアスの南東のアソスに近い海港都市(現在のトルコの西海岸にあるエドレミトのこと)の港です。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコと、この書を書いたギリシャ人ルカが、パウロの世話係として同行を許されました。パウロのロ-マ行きは船の旅でした。この旅は西暦58年頃の8月中旬~9月初旬頃秋と推定されています。

 船は、翌日130キロ北のフェニキアの首都シドンに寄港しました。パウロは好意的な百人隊長の許可をもらい、弟子たちのところへ行ってもてなしを受けました。船はシドンから船出しましたが、向かい風のため、キプロス島の北に出て、キリキア州とパンフィリア州の沿岸に沿って西に進み、リキア州のミラに着きました(使徒27:1-5)。

 ここで百人隊長はローマ行きのアレクサンドリアの船が停泊しているのを見つけて、一行をそれに乗り換えさせました。穀物運搬の貨客船であったと推察されます。276人乗船していたと記されているので(27:37)、かなり大きい帆船(およそ300~500トン)です。

 ミラを出航したが、北西の風に悩まされ、数日後、小アジアの南端にある港町クニドスに近づいたが、風にはばまれ近づけなかった。船は、北東の風にあおられて南に流されクレタ島の東端サルモネ岬(岬アクラ・シデロスのこと)を迂回し、島の南岸にあるラサヤという町の近くの<良い港(カロイ・リメネス)>(現在のカリリメネスか?)に着きました。                                 

 かなりの時がたち、10月の第一週の終わり頃の到着です。すでに<断食日(「贖罪日」のための断食、九月末~十月初め。レビ記23:26)を過ぎていました。九月中旬から翌年三月までは海が非常に荒れるので航海は危険でした。パウロはこの季節の航海を避けるように人々に説得しました。しかし、百人隊長は、船長や船主の方を信用し、<良い港>は冬を過ごすのに適していなかったので、<良い港>から80キロ西にあるフェニクス港(現在のルートロか?)で冬を過ごすことに決めました(使徒27:6-12)。

 ときに南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進みました(。しかし、間もなく、島のイーディ山(海抜2456m)から吹き降ろす「エウラキロン」という北東から吹く暴風に船は巻き込まれ、南西に流がされるままになりました。

 やがて、フェニクスの南四十キロの<カウダ(現在のガウドス)>という島かげに入ったとき、彼らは小舟を引き上げ、綱で船を船首から船尾まで縛りあげ、シチリア島のシラクーサを目指したが、シルティス(リビアのシルト湾のこと)の浅瀬に乗り上がるのを恐れて、防流錨(いかり)を降ろしたまま流れにまかせました。船は激しい暴風のために地中海を漂流しました。

 翌日、人々は積み荷を海に捨て、三日目には船具も捨てました。幾日もの間、太陽も星も見えず、自分たちの位置も進路も確認できないまま、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていました。

 人々は長い間、食事をとっていませんでした。パウロは、「皆さん、元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。私が仕え、礼拝している神からの天使が昨夜私のそばに立って、こう言われました『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ』。ですから皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」(27:13-26)。

 船は、クレタ島の「良い港」を出港してから、十四日目の夜になったとき、アドリア海(当時は、クレタ島からシチリア島までの領域をアドリア海と呼んでいたようです。現在は、長靴の形をしたイタリア半島の踵の部分の岬までをアドリア海といいます。その南は、シチリア島までがイオニア海です。それ以上南は地中海です。)を漂流していました(27:27)。真夜中ごろ船員たちは陸地が近いと推測し、水深を測ると、一度目は<二十オルギィア(36メートル)>、二度目は<十五オルギィア(27メートル)>でした。船が暗礁に乗り上がることを恐れて、船員たちは錨を船尾から四つ投げ込み、見えない岸にぶつからないようにしました。船員は夜明けを待って、船首から錨を降ろすふりをして、小舟を降ろし、船から逃亡しようとしました。パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言ったので、兵士たちは小舟をつないでいた綱を断ち切って、小舟を流し、船員たちの逃亡を阻止しました(使徒27:27-32)。

 ここから、今日の聖書の箇所に入ります。

 夜が明けたころ、パウロは一同に食事をするように勧めました。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません(ルカ21:18)。」こう言って、パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づいて食事をしました。

 船にいた<わたしたち>は、全部で二百七十六人でした。<わたしたち>とは、パウロに同行し、旅を記録しているルカの言葉です。パウロはある程度の自由を与えられ、友人たちは彼の世話をしていました(24章23節参照)。<わたしたち>と言う表現は、21章1、17節、27章2節にも使われていました。十分に食べてから、座礁を防ぐため、穀物を海に投げ捨てて、船体を軽くしました(使徒27:33-38)。

 

          マルタ島   

 翌朝、砂浜のある入り江を見つけました。しかし、砂浜にたどり着く前に座礁してしまい、泳いで陸地に向かい、このようにして、何とか全員が無事に上陸することが出来ました。その陸地はマルタ島でした。マルタ島は、シチリア島の南端から95キロ離れたところにある、日本の淡路島の半分ほどの島です。クレタ島からマルタ島までおよそ870キロの距離をパウロたちは漂流したことになります。現在マルタ島の北西に聖パウロ湾があり、その入り口に聖パウロの島という小島があります。ここがパウロとその一行が漂着したところだと伝えられています。

  聖パウロの島

おそらく10月下旬から11月初め頃にかけて到着したと思われます。カイサリアを出帆して2か月経過していました。その船旅で遭遇した14日間にも及ぶ漂流は想像を絶する苦難でした。

 パウロ一行は冬の海が荒れる3カ月の間はマルタ島で過ごしました。そして、その間、パウロはマルタのあちこちに出向いて、イエス・キリストの教えを説きました。マルタにはパウロのために建てられた大聖堂が残っています。2月になってローマ行きのアレキサンドリア船で出帆しました。ローマには西暦59年頃の2月下旬~3月初旬に到着したと推定されます。カイサリアから出発してからおよそ6か月後になります。

 私たちの人生にとっても、嵐が訪れるときがあります。それは、自然災害や、さまざまな人災によるものや、いろいろの事情による場合があります。そのような場合、不安が心を支配して、夜も眠れなくなってしまったり、食事も喉を通らない日を過ごします。これから先、どうしたら立ちふさがる問題を乗り越えて行くことが出来るのか分からず、悩まれた経験をされた方々や、現在もそのような状況に置かれている人々も多いと思います。

 パウロは、苦難の嵐と漂流の中にあっても、「わたしはあなたと共にいる」という主の約束を信じました。パウロの平安の根拠は、神の約束を信じたときに与えられる聖霊の働きによるものでした。パウロは確信をもって大丈夫だと友を励ますことができたのです。私たちにとっても重要なのは、どのような状況の中に置かれても、「思い煩うのはやめて、求めているものを神に打ち明け」(フィリピ4:6)、祈ることです。主が共にいてくださり、必ず道を開いてくださることを信じ、状況に左右されない不動の信仰に立つことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「復活の希望」使徒言行録24章10~21節

2024-07-03 13:22:47 | キリスト教

  ↑ パウロ、フェリウスの前で弁明する(使徒言行録24:10~23)

 (中央に座っているのが、総督フェリクス、その右が妻ドルシラ、フェリウスの左が大祭司アナニア、その左が弁護士テルティロ、後ろに立っているのは長老たち、前に立って手を上げて弁明しているのがパウロ、筆記しているのが裁判の記録者と思われる。)

  〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会 週 報

聖霊降臨節8主日 2024年7月7日(日)午後3時~3時50

       礼 拝 順 序                

前 奏                辺見トモ子姉

司 会                斎藤 美保姉

讃美歌(21)  528(あなたの道を)

交読詩篇     96(新しい歌を主に向かって歌え)

主の祈り     93-5、A

使徒信条     93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)使徒言行録24章10~21節(新p.262)

説 教      「復活の希望」   辺見宗邦牧師

祈 祷

讃美歌(21)  327(すべての民よ、ゆろこべ)

献 金

感謝祈祷

頌 栄(21)   27(父・子・聖霊の)

     オン・ラインで礼拝に参加希望の方は、090-3365-3019(牧師携帯)      

     へ申し込み下さい。歓迎いたします。

         次週礼拝 7月14日(日)午後3時~3時50分

         聖 書 使徒言行録27章33~44節

         説教題   「破局からの救い」

         讃美歌(21)462 463 27 詩編54

 本日の聖書 使徒言行録24章10~21節 

  24:10総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。11確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。12神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。13そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。14しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。15更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。16こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。17さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。18私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。19ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。

 20さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。21彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

 本日の説教

 パウロが誕生したのは、紀元10年頃です。パウロが回心したのは紀元33年頃、23歳前後の頃です。主イエスの十字架の死の三年後のことです。パウロはアンティオキアの教会から送り出されて、紀元48年に第一回伝道旅行(13:1-14:28)にでかけます。

パウロによる第二回伝道旅行は、49年~52年にかけて行われました(15:36-18:22)。この旅行で福音がオリエント世界(アジア)からギリシャ世界(ヨーロッパ)へと伝えられえられました。

 第三回伝道旅行は、53年~56年に行われました(18:23~21:26)。アジア州の首都エフェソ(ローマの植民都市)で二年間伝道した後、ヨーロッパのマケドニア州とアカイア州(ギリシャ)に行きました。紀元56年、ギリシャのコリントに三か月滞在したあと、異邦人教会からの献金を持ってエルサレム教会を訪問することにしました。しかし、このパウロのエルサレム訪問はどんなに危険なことかを、途中小アジア州のミレトスの港町でエフェソの教会の長老たちを呼び寄せて別れを告げた遺言説教で語っています。

 「今、わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしは分かっています。」(20:22-25)このように、パウロのエルサレムへ行く決意は固く、苦難や死をも覚悟したものでした。

 使徒言行録21章17節~26節は、エルサレムに戻ったパウロのことが書かれています。エルサレムで七日過ぎようとしていたときパウロはエルサレム神殿境内でアジア州から来たユダヤ人に捕らえられたのです。パウロが、ユダヤ人しか入れない所に異邦人を連れ込んで神殿をけがしたというのです。危うく殺されそうになったとき、ローマから派遣されている守備隊の千人隊長が駆けつけパウロを逮捕して保護したのです。彼は神殿側にあるアントニア城塞の兵営に連行されるとき、民衆に向かって話すことを許され、兵営の階段から民衆にに弁明しました(21:27-22:21)。しかし、かえって人々の反感を煽るような結果いなってしまいました。パウロはローマ帝国の市民権を持っていることを主張したので、鞭打ちの刑は免れました。千人隊長は、翌日祭司長たちと最高法院の議員を招集して、パウロの弁明を聞きました。

 23章1節から6節には、最高法院でのパウロの弁明が記されています。パウロは議場で声を高めて言いました。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」<死者の復活の望み>とは、イエスの復活で成就した死人の復活の望みです。この弁明の意図はパウロが騒乱を引き起こすようなユダヤ人ではなく善良な人間として認めさせることでした。しかし、パウロがこう言ったので、<復活も天使も霊も否定する>と言われているサドカイ派とこれを認めるファリサイ派との間に論争が生じ、最高法院の議場は騒然となりました。千人隊長はパウロはを助け出し、兵士たちに兵営に連れて行くように命じました。

 その夜、主イエスはパウロのそばに立って、勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように。ローマでも証しをしなければならない。と言われました。

 その翌日、四十人以上のユダヤ人たちが、パウロを殺すまでは飲み食いしないという暗殺の陰謀を企てていることを知った千人隊長は、パウロをエルサレムからカイサリアの総督フェリクスのもとに護送しました。フェリクスは、ヘロデの官邸にパウロを留置しました。

 パウロが兵営に連れて行かれた日から五日後のことです。さっそくユダヤ人の大祭司アナニアが、長老と弁護士テルティロを連れて、総督フェリクスにパウロを訴えたことが書かれています。ユダヤ人たちは、邪魔者のパウロを何とかして一刻も早く排除したかったのです。パウロを告発する理由は三つです。1.パウロは疫病のような人間で、ローマの平和の騒乱者である。2.<ナザレ人の分派>(キリスト者の異端)の首謀者である。3.神殿を汚そうとした。

 今日の聖書の箇所は、パウロがこの告発に対し、総督フェリックスの前でする弁明です。「復活の希望」が語られる。

 1.世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしているという訴えに対して、パウロは、自分がエルサレムに上ったのは礼拝のためで、暴動を起こすためではないと反論します。礼拝のためエルサレムに着いてからまだ十二日しかたっていません。そんな騒ぎを起こす余裕もないし、それにだれ一人パウロが騒ぎを起こしたのを見たという目撃者が出ないのがその証拠だと主張します。

 2.次に彼は、彼らが<分派>と呼ぶ<この道>(キリスト教)に従っていることを認めます。けれども、ユダヤ人に「異端」と見做されている自分たちの方が、かえって完全に旧約聖書の教えと一致した教えを守り、特に死人の復活の事柄にも正しくかかわていることを述べて、その正当性を主張します。そしてパウロは、義人も悪人も必ず復活し、神のさばきの前に立たなければならないという復活の信仰を持っていること、またそれだからこそ自分は「いつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしていることを陳述します。

 3.第三の「神殿の冒涜者である」という告発に対しては、自分は神殿を汚すどころか、自分のエルサレム上京の目的は<同胞に救援金を渡すため、また供え物を献げるため>であり、何年ぶりかで帰って来たこと、その供え物のために清めを受けて神殿の中にいたこと、別に群衆の騒動もなかったこと。騒動の原因はすべて、アジア州から来た数人のユダヤの誤解、曲解によるもので、もし告発があるなら、彼らが告発すべきである。問題になった点と言えば最高法院で、私が述べた<死者の復活のこと>で議場が荒れたのであって、これはもとより訴訟の対象になるようなことではない。従ってこの告訴は無効ですと弁明しました。

 15節で彼は「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています」と言っています。それは、最後の審判を受けるための復活です。その裁きにおいて、永遠の救いと滅びが決まるのです。神様の前で正しい者ではない罪ある者が、来るべき裁きにおいて、本来なら滅ぼされるしかない者が、主イエス・キリストの十字架と復活によって、罪を赦されて、新しい命、永遠の命の約束を与えられているという救いをパウロは確信しているのです。それゆえ、正しい者も正しくない者もやがて復活し、来るべき裁きを受ける。その復活を希望をもって待ち望むことができるのです。やがて神様の御前に立つことになる、それを知っている者として、パウロは彼と共にある神の恵み、聖霊の働きによって与えられる「責められることのない良心」を絶えず保つように努めています、と言ったのです。

 総督フェリクスは、この告訴が政治問題ではなく、ユダヤ教内部の宗教問題であったことを知っていたので、判決を出さず、千人隊長リシア(23:26)が来るまで、裁判を延期することを宣言し、パウロの監禁については、寛大な処置を百人隊長に命じました。この後、パウロはカイサリアで二年間監禁されることになるのです。

 二年後、フェリクスは総督を罷免され、フェストゥス総督が着任し、パウロを裁判にかけると、パウロはローマ皇帝の法廷で裁判を受けたいと上訴しました。パウロはアグリッパ王の前で弁明したのち、ローマへ向かって船出することになります。

 パウロのローマでの殉教は、紀元60年頃と推定されています。回心からの四十年近い人生は、神からの召命に応えるために用いられました。パウロは、主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、キリストのゆえに失ったすべてを塵あくたとみなしています(フィリピ3:8)。生ける復活のイエスとの出会いの体験とその後の主イエスによる恵みが、パウロの使徒としての献身を支えました。

 「わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」(コリント一15:10)、とパウロは述べています。わたしたちも、パウロの生き方に学び、与えられている大きな恵みに応える生き方をしたいと思います。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする