↑ 主はあなたの一生を良いものに満ち足らせ、
あなたの若さは、鷲のように新たになる。」詩編103:5
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日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
聖霊降臨節第2主日 2023年6月4(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
司会 邉見 順子姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 403(聞けよ、愛と真理の)
交読詩編 38(主よ、怒ってわたしを責めないでください)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳) 詩編103篇1~6節(旧p.939)
説 教 「主は鷲のような若さを新たにする」辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 481(救いの主イェスの)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
〇オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019
(辺見牧師)に、申し込み下さい。
次週礼拝 6月11日(日) 午後5時~5時50分
聖 書 使徒言行録2章37~47節
説教題 「教会の一致と交わり」
讃美歌(21) 149 448 27 交読詩編 133:1-3
本日の聖書 詩編103篇1~6節
103:1【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。
2わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
3主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、
4命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、
5長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる。
6主はすべて虐げられている人のために、恵みの御業と裁きを行われる。
本日の説教
詩編103編は、作者自身が経験した罪の赦しと、重い病気からの回復による神に対する深い感謝から、転じてイスラエルに対する神の憐れみを回顧して、神の慈しみの広大にして永遠に変わらないことを述べ、全宇宙こぞって神を讃美すべきことを訴えています。
この詩は、「わたしの魂よ、主をたたえよ」で始まり、終わっています。詩人は「わたしの魂よ」、わたしの内にあるものすべてよ、と自らに賛美を呼びかけます。そして「主の御計らい」を何ひとつ、「忘れてはなならい」と語りかけます。「主の御計らい」とは、恵みとしての神の御業です。この魂への訴えは、私たちが神の恵みを忘れがちだからです。
詩は主から受けた恵みを思い起させます。それは、罪を赦してくださり、病を癒しくださり、死の恐怖から命を贖い出してくださることであり、主の慈しみと憐れみを与えられることであり、生きている間良いもの(生活に必要な物資)で満ち足らせ、御霊をそそいで鷲のような若さを新たにしてくださることです。鷲の長命、飛行する姿の力強さ、毎年新しい毛に生えかわり、若さを回復しつづけると考えられたことが、鷲の比喩の背景にあります。
14節から讃美は、イスラエルを超えて、全人類を創造し、慈しまれる主への讃美に移っていきます。土の塵にすぎない人間に、神は「命の息」を吹きこまれ、人は生きる者になった。塵に過ぎない私たちを、しかし主は御心に留めておられ、わたしたちに慈しみが注がれていることを彼らは述べます。15-16節の「人の生涯は草のよう。……生えていた所を知る者もなくなる。」の背景には、イザヤ40・7-8の「草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」という言葉があります。「神の言葉」の永遠性に対する被造物の無常が歌われています。「神の言葉」は具体的には、イスラエルの救いと繁栄の約束を指します。熱風の前に乾いて枯れる「草」や「野の花」のように、人間ははかないものですが、しかし神の慈しみの永久であることを述べています。神の御子がはかない人間と同じ者になられ、人間の姿で現れてくださったことは、最大の救いです。
人の生涯は、はかないものですが、しかし神の恵みの御業は、主の契約を守る人に、神が求めておられることを心に留めて行う人に及ぶことが約束されています。主の贖いによって、彼らは罪を犯さないようにされているがゆえに、恵みが満ち溢れるのです。
鷲の比喩は、イザヤ書40章にもあります。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(30-31節)
若者(年若い者)」と「勇士(血気盛んな者)」が対比されており、人間の力を信じ、主の支えなしに歩もうとする若者も弱り、かつ疲れ、勇士も疲れはてて、つまずき倒れます。しかし、今や新たな歩みが提起されます。「主に望みを置く人」は、神の現在の働きを信じ、来るべき救いを待ち望む者のことです。つまり、神に信頼と望みをおいて生きる者は、神から力を頂くのです。それは自分の所有してい力とは違って、全く新しい力なのです。「主に望みをおく」こと、待ち望むことは神の民、特に「残りの者」の伝統的な姿勢です。
主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。」「鷲のように翼を張って」とは、鷲は力の象徴であり、翼さをのばすと三メートル近くのもなるという鷲の勇姿、その飛ぶ様は自由さを表します。「鷲の翼」は神の力の象徴です。人間の力に頼らず、根源的力である神に信頼する信仰者のダイナミックな姿が表徴されているのです。その神の力をいただいた者は,「走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」というのです。
ちなみに、東北楽天の球団名の「ゴ-ルデン・イ―グルス」は、空の覇者と言われる犬鷲のことです。頭部の黄色が特徴です。
第二イザヤの預言40章は、この最後の段落(27~31節)において、人間が人間の力に寄り頼むことの空しさ、はかなさを語り、人間を造り、この宇宙を造った創造者なる神に寄り頼むことによってのみ、神からの大きな力に満たされることを預言したのです。この預言は今日のわたしたちにとっても真理なのです。自力では自己を救うことは出来ないのです。宗教改革者ルターも、自力による努力を断念し、心から天を仰ぎ、神の憐れみに依り頼み、「主に望みを」おいた時に、天地を創造し、統治しておられる神の力が臨んだのです。キリストによる愛と平安を与えられ、何をもおそれない強い人に造り変えられたのです。来世への確かな希望を与えられ、愛の人に造り変えられるのです。これこそ今日の世界の人々を救う神の力なのです。「走っても疲れない」精神力、「鷲のような」若々しさ、誰もが望む人間らしい誇りと生き甲斐をも、「主に望みをおく人」は与えられるのです。