富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「アラブ民族の祖先イシュマエル」 創世記25章7-18節

2013-09-29 22:34:01 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

 日本キリスト教 富 谷 教 会

聖霊降臨節第十九主日   2013年9月29日(日)

礼 拝 順 序  

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 579(主を仰ぎ見れば)

交読詩編   67(神がわたしたちを憐れみ、祝福し) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  創世記25章7-18節

説 教「アラブ民族の祖先イシュマエル」辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 494(ガリラヤの風)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 2013年10月6日(日) 午後5時~5時50分

聖書  創世記24章9―27節

説教  「ヨセフの嫁リベカ」

交読詩編 72  讃美歌 404 464 27

本日の聖書 創世記25章718

  7アブラハムの生涯は百七十五年であった。 8アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。 9息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、 10その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。

  11アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。 12サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。 13イシュマエルの息子たちの名前は、生まれた順に挙げれば、長男がネバヨト、次はケダル、アドベエル、ミブサム、 14ミシュマ、ドマ、マサ、 15ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。 16以上がイシュマエルの息子たちで、村落や宿営地に従って付けられた名前である。彼らはそれぞれの部族の十二人の首長であった。 17イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた。 18イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。

本日の説教

 本日の聖書の個所、創世記25章9節に、アブラハムの息子イサクとイシュマエルが、父アブラハム死んだとき、ヘブロンにあるマクベラの洞穴に彼を葬った、とあります。イサクとイシュマエルはアブラハムを父とする異母兄弟です。イサクはユダヤ人の祖であり、イシュマエルはアラブ人の祖です。アブラハムが、両民族の始祖なのです。

  アブラハムがカナン地方に向けて、ハランを出発したときは75歳でした(12:4)。神は、アブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし、祝福する(12:2)」と言われました。アブラハムは主の言葉に従って旅立ったのです。その後もアブラハムには子供が与えられなかったので、ダマスコから連れてきた僕エリエゼルに跡を継がせようとしていました。しかし、神は「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ(15:4)」と言われ、アブラハムを外に連れ出して星を見させ、「あなたの子孫はこのようになる」と約束されました。アブラハムは主を信じました。その後、主はアブラハムと契約を結ばれました(15:18)。

  アブラハムがカナン地方に住んでから、10年後のことです。アブラハムの妻サラには、子供が生まれなかたので、ハガルというエジプト人の女奴隷を夫の側女(そばめ)としました。身ごもったハガルが正妻サラを見下すようになり、その態度に怒ったサラもまたハガルにつらく当たりました。耐えかねてハガルは逃げ出しましたが、砂漠で天使に出会い、サラのもとへ戻るように告げられ、生まれてくる子孫の繁栄を約束されました。彼女は男の子イシュマエル(16:11)を産みました。ハガルはイシュマエルを産んだとき、アブラハムは86歳でした(16:16)。神は、それ以後13年間、アブラハムに現れませんでした。

  アブラハムが99歳のとき、再び主なる神がアブラハムに現れ、「あなたは多くの国民の父とする」、「あなたとあなたの子孫との間に契約を立てる」と言われ、守るべき契約として割礼を命じました。この時、アブラムからアブラハムという名が与えられました。サラには男の子が生まれることを約束し、サライの名をサラと変えられました。サラは来年男の子を産む、その子をイサクと名付けなさいと、神はアブラハムに命じました。

イシュマエルのことについては、神は次のように約束されました。「必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。」(17:20)息子イシュマエルが割礼を受けたのは13歳の時でした。

アブラハムが100歳のとき、サラは男の子を産みました。アブラハムはサラが産んだ自分の子をイサクと名付けました。イサクとイシュマエルの年の差は、14歳でした。イサクが乳離れしてから、イシュマエルがイサクをからかっているのを見て、サラはアブラハムに、あの女ハガルとあの子イシュマエルを追い出してくださいと訴えました。このことはアブラハムを非常に苦しめました。その子も自分の子だったからです。

神から、「あの女の息子も一つの国民の父とするから、サラの言うことに聞き従いなさい」と言われ、アブラハムは、神の加護を信じて、ハガルと子供を追放しました。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよいました。皮袋の水が無くなったとき、ハガルが死ぬ覚悟をし、子供を寝かせて、離れて座り、声を上げて泣きました。そのとき、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言いま

した。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」(21:17,18)神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけ、子供に飲ませました。ハガルとイシュマエルを神は顧みてくださり、慈しんでくださっておられるのです。

 神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となりました。彼がパナンの荒れ野(シナイ半島中部)に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えました(21:21)。イシュマエルの子孫は、「エジプトの東」つまりシナイ半島全域、さらにアラビア北部を通ってアッシリアに至るまでの範囲をさすらいました。 

 アブラハムは<多くの日を重ね老人になり>(24:1)、息子イサクの嫁を故郷のメソポタミアのハランにいる親族から探して連れてくるように僕(しもべ)に命じました。僕とは、15章2節に出てくるエリエゼルと思われます。僕が、イサクの嫁となるリベカを連れてきました。イサクがネゲブ地方に住んでいた頃のことです。イサクはリベカを妻としました。イサクが結婚したのは40歳の時でした(25:20)。イサクが60歳のときにエサウとヤコブの双子が生まれました(25:26)。アブラハムが160歳の時になって孫が与えられたのです。

  創世記25章のはじめに、アブラハムの再婚のことがしるされています。エトラを側女(そばめ)としました。アブラハムはおそらくベテルで死んだと思われます。死ぬ前にアブラハムが最後にしたことは、イサクに全財産を与えるとともに、そばめたちの子らには贈り物を与えて、イサクから遠ざけ、醜い相続財産の争いを避けたことでした。「自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させた(25:6)」とあります。<ケデム地方>とは、シリア砂漠地方のことです。

  アブラハムの享年は、175歳でした。「アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」とあります。アブラハムは祈りによってすべての悩みを神に語りかけ、祈りによって導きを受け、神を信じる信仰によって支えられ、さすらいの人生を歩んだのです。アブラハムは、信仰によって「他国に宿るようにして約束の地に住み、幕屋に住みました。神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです(ヘブライ11:9,10)。アブラハムは、神より「わたしの愛する友アブラハム」(イザヤ41:8)と呼ばれ、パウロは「信仰の父(ローマ4:12」と呼んでいます。

  「息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った」(25:9)とあります。イシュマエルが親の葬儀に参列したのです。イシュマエルが母ハガル共に追放され、エジプトに近いパナンの荒れ野(シナイ半島中部)の遠い地から、カナンのヘブロンの地まで馳せ参じて来たのです。これはイシュマエルが、父を憎んでいなかったことを表しています。もう二度と会うはずのなかった、イシュマエル(89歳)、とイサク(75歳)の二人が仲良く父を葬ったのです。ここには、決して和解出来そうになかった兄弟がアブラハムの死に際して和解させられたという事実が記されています。アブラハムの長子とされず、奴隷の子として遠ざけられていたイシュマエルもまた、多くの子供たちを得、137歳の長寿を得て、神の祝福に与っています。イシュマエルとその家族たちは、神様の広い慈しみから締め出されてはいないのです。

   現在、イスラエル国(ユダヤ人)とパレスチ自治政府(パレスチナ人)との間で、パレスチナの領土をめぐって対立しています。第一次世界大戦後、ユダヤ人のパレスチナ国家建設(シオニズム)運動が起りました。イスラエルという国は、1948年に国連の決議によって建国を認められたユダヤ教徒の国です。パレスチナ人とはイスラエル建国以前、パレスチナに住んでいたアラブ人を指す名称です。イスラエルは、先住民のパレスチナ人を追い出して国を建設したのです。「シオニストたちは、2000前以上前ここは聖なるユダヤの土地だった」とヘブロンに帰還すること熱望しました。ヘブロンはエルサレム同様彼らにとって重要な聖地でした。

  ヘブロンはパレスチナの自治区内にあります。このヘブロンにユダヤ人の入植がはじまって以来、アブラハムの墓を巡り、パレスチナ人とユダヤ人の両民族は血で血を洗う抗争を繰り返してきました。アブラハムの墓は、パレスチナ人にはアブラハム・モスクと呼ばれ、ユダヤ人にはマクペラの洞穴と言われ、両者にとって聖地です。この墓はヘブロンの旧市街にあります。1997年、ここを占領したイスラエル軍は、パレスチナ人とユダヤ人の居住区の境界を定め、アブラハムの墓に、新たにユダヤ人専用礼拝所を設け、パレスチナ・サイドとユダヤ・サイドの二つに分割し、互いに顔を合わせないようにしたのです。

 ヘブロンの旧市街には、パレスチナ人は約3万500人に対し、ユダヤ人500人と、ユダヤ人を守るイスラエル兵4000人が駐屯しているのです。イスラエルは周辺のアラブ諸国とも対立しています。ユダヤ民族とアラブ民族の両方の民族は、アブラハムを父祖とする子孫であるのに互いに敵対関係にあるのです。

 アラブ人は、アラビア語を話し、イスラム教を信じています。イスラム教は7世紀に現れたムハンマド(マホメット)を預言者とする宗教です。イスラム教の聖地、メッカのカーバ神殿は、アブラハムとイシュマエルが造ったとされています。

 そもそもアブラハム一族とその子孫イスラエルの民が神に選民として選ばれたのは、「地上の氏族すべて祝福に入る」(創世記12:3)ための祝福の源になるためでした。神は、救い主であるイエス・キリストがその民から生まれるようにイスラエルの民を選ばれたのです。世界の民はすべて神の祝福に入るべき民族です。この世界は、神の栄光を現すために互いに平和的な共存が求められているのです。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-02-07 18:58:32
アブラハムとイシマエルがカーバ神殿を造ったとありますが、それは旧約聖書のどこに書かれているのでしょうか?
イサクとイシマエルはお墓にまでいっしょに葬った過去の歴史を考えて欲しいです。
父の心を考えて、同じ唯一神のことを考えて和解したら、どんどん発展して行くでしょうに...
返信する
Unknown (Roselily)
2024-02-07 19:18:18
アブラハムとイシマエルがカーバ神殿を造ったとありますが、それは旧約聖書のどこに書かれているのでしょうか?
イサクとイシマエルはお墓にまでいっしょに葬った過去の歴史を考えて欲しいです。
父の心を考えて、同じ唯一神のことを考えて和解したら、どんどん発展して行くでしょうに...
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