聖霊降臨節第十一主日 2013年7月28日(日)
讃美歌(21) 402(いともとうとき)
交読詩編 96(新しい歌を主に向かって歌え)
聖 書 使徒言行録15章36~16章5節
説 教 「神の摂理による伝道」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 405(すべての人に)
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
本日の聖書 使徒言行録15章36~16章5節
15:36数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」 37バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。 38しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。 39そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、 40一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 41そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。
16:1パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。 2彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。 3パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。 4彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。 5こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
6さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。 7ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。 8それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。 9その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。 10パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。
本日の説教
今日の聖書の個所、使徒言行録15章36節から、パウロの第二回伝道旅行が始まります。第一回伝道旅行は、紀元46~48年頃、エルサレム使徒会議が48年頃、そして第二回伝道旅行は49年の春から52年の秋にかけて行われたと推定されています。
15章6節以下に記されていたように、エルサレムの使徒会議で、異邦人に割礼を受けさせる必要はない、と決定いたしました。福音のことばを聞いて信じることによって聖霊が与えられるのである、ということが確認されたのです。パウロはバルナバに、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へ行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」と提案しました。マルコ・ヨハネを連れていきたいというバルナバとパウロの意見は対立しました。ヨハネ・マルコは、最初の伝道旅行の途中で身を引いた者だったからです(13:13)。
そこで意見が激しく衝突し、二人はついに別行動をとることになりました。バルナバは、いとこに当たる(コロサイ4:10)、ヨハネ・マルコを連れて、キプロス島に向かって船出しました。二人ともキプロスの出身です。一方パウロはシラスを連れて、シリア州や、パウロの故郷タルソスのあるキリキア州への陸路の道に向って出発しました。シラスは、エルサレム教会で指導的な立場にいた預言者でした(15:22)。エルサレム教会から、アンティオキア教会に、使徒会議の決議事項を伝えるために選ばれて、派遣された人です。パウロはシリア州やキリキア州を回って教会を力づけました。
パウロとシラスは、ガラテヤ州のデルベやリストラにも行きました。第一回の伝道で訪れた地です。(地方名は、地図2で確認してください。)リストラには、ユダヤ人キリスト者の母と、ギリシア人の父との間の息子の、テモテという弟子がいました。パウロの第一回伝道旅行で主イエスを信じるようになった人です。「彼は、リストラとイコニオンの教会でも評判の良い人」でした。パウロはテモテを連れて行きたかったので、その地方のユダヤ人キリスト者の感情を刺激しないように、テモテに割礼を授けました。
エルサレムの会議の決定では、異邦人には割礼は必要なかったが、パウロは自分たちがユダヤ教の伝承を守る忠実なユダヤ人であることを示すためであったと考えられます。パウロは、テモテを伝道旅行に同行させます。彼が選ばれたのは、ユダヤ人にもギリシヤ人にも向く素地をかねそなえていたからです。テモテはパウロの助手となり、パウロのもとで、伝道者として育てられていくのです。この時から、パウロとテモテの関係は、親子のような深い信仰と愛で結ばれ、テモテはパウロの生涯の同労者となるのです。
パウロとシラスとテモテの三人は、「方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えました。こうして、「教会は信仰を強められ、日ごとに人数が」増えていったのです。
彼らは、アジア州に行って伝道しようとしたのですが、「御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」ので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行きました。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊(聖霊)がそれを許しませんでした。北に向かい、黒海の沿岸地方にまで行こうとしたのですが、またも行く先を変えざるを得なかったす。
トロアスは、トロイ戦争で有名なトロイアの町があった所から近い町です。小アジア(アナトリア半島)の北西から、エーゲ海をはさんだギリシャなどに向けて旅行する重要な港町です。海の向こうは、現在のヨーロッパの世界です。
前も北も海です。南下することもできません。そこは聖霊によって禁じられたアジア州です。このトロアスで、その夜、パウロは幻を見ました。
「一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言って」、パウロに懇願したのです。小アジア(現在のトルコ)の町々の伝道しか考えていなかったパウロたちは、この時、ギリシャ半島のマケドニア州に向かって伝道することが示されたのです。
パウロがこの幻を見たとき、「わたしたち」は、すぐにマケドニアへ向けて出発することにした、とあります。ここに「わたしたち」という記述が始まります。20章5節以下、21章1節以下、27章1節以下と4回も、「わたしたち」という言葉が使われています。
この「わたしたち」という記述について、三つの説明があります。第一の説明は、使徒言行録の著者であるルカが、パウロの旅に同行したという説。第二は、「わたしたち」で書かれている資料を、使徒言行録に組み込んだとする説。第三は、「わたしたち」の個所はルカが用いた文学的技法であるとする説があります。いずれにしても、この表現によって、物語は力強くなっています。
「わたしたたち」は、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が自分たちを召されているのだと、確信するに至った」と記しています。パウロたちは、それは神の啓示だと確信したのです。パウロの思い通りにいかなかったことが、かえって神の計画が成就することになったのです。こうして、アジアからヨーロッパへ、はじめてキリストの福音が渡ったのです。
16章6節には、「アジア州で御言葉を語ることを禁じられた」とあります。アジア州の中心都市はエフェソです。そして7節には、「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。何らかの事情で計画を変更せざるを得なかったのです。そのため、挫折を覚えながら、ずっと北の港町トロアスまで導かれたのです。ここに神が間接的にみ旨を成し遂げられることが見られます。そして、このトロアスで、パウロたちは、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信する」のです。これが神の摂理です。箴言16章9節に、「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その歩みを確かなるものにするのは主である。」とあります。
神の摂理とは、神が宇宙のすべてのことを支配されているということです。宇宙は偶然や運に支配されているという考えとは対立しています。神の摂理は、神のみ旨を成し遂げることです。
わたしたちも、人生の歩みにおいて、自分の思いや計画がその通り行かないことを体験します。せっかくの計画が思いがけないことによって妨げられてしまうという苦しみや挫折をわたしたちは味わいますが、そのような中で、神の思いがけないみ心に気付かされる、ということを体験いたします。神が、自分の思いや計画とは別のことをさせようとしておられ、そこへ導くために、自分の歩みを妨げるようなことをなさったのだと、その時には分からなかった神のみ心が、後になって分かることがあるのです。パウロの一行も、そのような経験をして、ヨーロッパに渡ったのです。何と神の知恵とご計画とは、深く計り知れないものでしょうか。