富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「神の摂理による伝道」 使徒言行録15章36~16章5節

2013-07-28 23:28:01 | 礼拝説教

聖霊降臨節第十一主日   2013年7月28日(日) 

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

交読詩編   96(新しい歌を主に向かって歌え)

聖 書  使徒言行録15章36~16章5節

説 教 「神の摂理による伝道」 辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 405(すべての人に)

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

本日の聖書 使徒言行録1536165

15:36数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」 37バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。 38しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。 39そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、 40一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 41そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。

16:1パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。 2彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。 3パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。 4彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。 5こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。

6さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。 7ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。 8それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。 9その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。 10パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。

本日の説教

 今日の聖書の個所、使徒言行録15章36節から、パウロの第二回伝道旅行が始まります。第一回伝道旅行は、紀元46~48年頃、エルサレム使徒会議が48年頃、そして第二回伝道旅行は49年の春から52年の秋にかけて行われたと推定されています。

 15章6節以下に記されていたように、エルサレムの使徒会議で、異邦人に割礼を受けさせる必要はない、と決定いたしました。福音のことばを聞いて信じることによって聖霊が与えられるのである、ということが確認されたのです。パウロはバルナバに、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へ行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」と提案しました。マルコ・ヨハネを連れていきたいというバルナバとパウロの意見は対立しました。ヨハネ・マルコは、最初の伝道旅行の途中で身を引いた者だったからです(13:13)。

 そこで意見が激しく衝突し、二人はついに別行動をとることになりました。バルナバは、いとこに当たる(コロサイ4:10)、ヨハネ・マルコを連れて、キプロス島に向かって船出しました。二人ともキプロスの出身です。一方パウロはシラスを連れて、シリア州や、パウロの故郷タルソスのあるキリキア州への陸路の道に向って出発しました。シラスは、エルサレム教会で指導的な立場にいた預言者でした(15:22)。エルサレム教会から、アンティオキア教会に、使徒会議の決議事項を伝えるために選ばれて、派遣された人です。パウロはシリア州やキリキア州を回って教会を力づけました。

パウロとシラスは、ガラテヤ州のデルベやリストラにも行きました。第一回の伝道で訪れた地です。(地方名は、地図2で確認してください。)リストラには、ユダヤ人キリスト者の母と、ギリシア人の父との間の息子の、テモテという弟子がいました。パウロの第一回伝道旅行で主イエスを信じるようになった人です。「彼は、リストラとイコニオンの教会でも評判の良い人」でした。パウロはテモテを連れて行きたかったので、その地方のユダヤ人キリスト者の感情を刺激しないように、テモテに割礼を授けました。

    

  エルサレムの会議の決定では、異邦人には割礼は必要なかったが、パウロは自分たちがユダヤ教の伝承を守る忠実なユダヤ人であることを示すためであったと考えられます。パウロは、テモテを伝道旅行に同行させます。彼が選ばれたのは、ユダヤ人にもギリシヤ人にも向く素地をかねそなえていたからです。テモテはパウロの助手となり、パウロのもとで、伝道者として育てられていくのです。この時から、パウロとテモテの関係は、親子のような深い信仰と愛で結ばれ、テモテはパウロの生涯の同労者となるのです。

 パウロとシラスとテモテの三人は、「方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えました。こうして、「教会は信仰を強められ、日ごとに人数が」増えていったのです。

 彼らは、アジア州に行って伝道しようとしたのですが、「御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」ので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行きました。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊(聖霊)がそれを許しませんでした。北に向かい、黒海の沿岸地方にまで行こうとしたのですが、またも行く先を変えざるを得なかったす。 

トロアスは、トロイ戦争で有名なトロイアの町があった所から近い町です。小アジア(アナトリア半島)の北西から、エーゲ海をはさんだギリシャなどに向けて旅行する重要な港町です。海の向こうは、現在のヨーロッパの世界です。

  前も北も海です。南下することもできません。そこは聖霊によって禁じられたアジア州です。このトロアスで、その夜、パウロは幻を見ました。

「一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言って」、パウロに懇願したのです。小アジア(現在のトルコ)の町々の伝道しか考えていなかったパウロたちは、この時、ギリシャ半島のマケドニア州に向かって伝道することが示されたのです。

パウロがこの幻を見たとき、「わたしたち」は、すぐにマケドニアへ向けて出発することにした、とあります。ここに「わたしたち」という記述が始まります。20章5節以下、21章1節以下、27章1節以下と4回も、「わたしたち」という言葉が使われています。

この「わたしたち」という記述について、三つの説明があります。第一の説明は、使徒言行録の著者であるルカが、パウロの旅に同行したという説。第二は、「わたしたち」で書かれている資料を、使徒言行録に組み込んだとする説。第三は、「わたしたち」の個所はルカが用いた文学的技法であるとする説があります。いずれにしても、この表現によって、物語は力強くなっています。

「わたしたたち」は、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が自分たちを召されているのだと、確信するに至った」と記しています。パウロたちは、それは神の啓示だと確信したのです。パウロの思い通りにいかなかったことが、かえって神の計画が成就することになったのです。こうして、アジアからヨーロッパへ、はじめてキリストの福音が渡ったのです。

16章6節には、「アジア州で御言葉を語ることを禁じられた」とあります。アジア州の中心都市はエフェソです。そして7節には、「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」とあります。何らかの事情で計画を変更せざるを得なかったのです。そのため、挫折を覚えながら、ずっと北の港町トロアスまで導かれたのです。ここに神が間接的にみ旨を成し遂げられることが見られます。そして、このトロアスで、パウロたちは、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信する」のです。これが神の摂理です。箴言16章9節に、「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その歩みを確かなるものにするのは主である。」とあります。

神の摂理とは、神が宇宙のすべてのことを支配されているということです。宇宙は偶然や運に支配されているという考えとは対立しています。神の摂理は、神のみ旨を成し遂げることです。

わたしたちも、人生の歩みにおいて、自分の思いや計画がその通り行かないことを体験します。せっかくの計画が思いがけないことによって妨げられてしまうという苦しみや挫折をわたしたちは味わいますが、そのような中で、神の思いがけないみ心に気付かされる、ということを体験いたします。神が、自分の思いや計画とは別のことをさせようとしておられ、そこへ導くために、自分の歩みを妨げるようなことをなさったのだと、その時には分からなかった神のみ心が、後になって分かることがあるのです。パウロの一行も、そのような経験をして、ヨーロッパに渡ったのです。何と神の知恵とご計画とは、深く計り知れないものでしょうか。  

    

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「エルサレムの使徒会議」 使徒言行録15章1~21節

2013-07-23 00:15:07 | 礼拝説教

聖霊降臨節第十主日   2013年7月21日(日)

聖 書  使徒言行録15章1~21節

説 教 「エルサレムの使徒会議」辺見宗邦牧師

  本日の聖書 使徒言行録15章121節  

  1ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。2それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。3さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。4エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。5ところが、ファリサイ派から信者になった人が数人立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。

6そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。7議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。8人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。9また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。10それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。11わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」

12すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分達を通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。13二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。14神は初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。15預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。

16 『「その後、わたしは戻って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を立て直して、元どおりにする。17それは、人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるためだ。」18昔から知られていたことを行う主は、こう言われる。』19それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。20ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。21モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごと に会堂で読まれているからです。」

 

本日の説教

 パウロとバルナバが、ローマ帝国が支配するシリア州のアンティオキア教会から派遣されて、キプロス島や小アジア(現在のトルコ)のガラテヤ州の各地方に伝道して、異邦人を中心とする信者の群れ、教会を生み出し、出発地のアンティオキア教会に戻ったのが、第一回の伝道旅行です。この後に、「エルサレムの使徒会議」がおこなわれました。紀元48年から49年頃と推定されています。会議の発端となった経緯(いきさつ)が、使徒言行録15章1、2節に記されています。

「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議をするために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。」

 アンティオキアの教会は、ステファノの殉教をきっかけにして起った迫害によって、エルサレムを追われた人々が、アンティオキアの町で伝道してアンティオキアの教会が生まれました。このアンティオキアで、ユダヤ人以外の人々、つまり異邦人たちにも主イエス・キリストの福音を宣べ伝えたのです。この教会は、異邦人をメンバーとする最初の教会となりました。このアンティオキア教会に、エルサレム教会から派遣されて指導者となったのがバルナバであり、バルナバに迎えられたのがパウロです。バルナバとパウロがこの教会の中心的指導者でした。

 このアンティオキア教会に、ある人々がユダヤから下って来た、と1節にあります。その人々は、異邦人信者に、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と語りました。割礼は、モーセによって定められたものとして、レビ記に記されています。「八日目にはその子の包皮に割礼を施す」(12:3)とあります。割礼は、男性器の包皮の一部分を切り取る儀式です。割礼はもともとは古代社会のある部族において、衛生上あるいは、結婚の準備のために行われたものであったが、ユダヤ人は、これを神の選民となるための儀式として受け取るようになったのです。割礼を受けているということが、ユダヤ人であることの印だったのです。ですから、異邦人がユダヤ教に改宗する場合には、この割礼の儀式を受けることによって初めてユダヤ人の仲間に加えられたのです。その割礼をあなたがた異邦人信者も受けなければ救われないと、言われたのです。このことは、異邦人を主たるメンバーとするアンティオキア教会においては、大問題を引き起しました。アンティオキア教会に連なる多くの異邦人たちは、またパウロらの伝道によって生まれた各地の教会の人々も、割礼を受けずに、教会に加えられ、主イエス・キリストを信じ、その救いにあずかったのです。

 そこで、パウロとバルナバとその人達との間に、激しい争論が起こりました。その対立を収拾するために、パウロとバルナバや、その他数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになったのです。パウロは、ガラテヤ書2章1節で、このことにふれ、テトスも連れて行ったと述べています。

 パウロの一行は、エルサレム教会の使徒たちと長老たちに迎えられ、「神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告」しました。つまり、異邦人たちが、異邦人であるままで、主イエス・キリストを信じ、洗礼を受けて教会に加えられ、神様の民として喜んで歩んでいること、そのような伝道が進展して、あちこちに、異邦人をメンバーとするキリストの教会が生まれていることを報告したのです。しかし、それに対して、ファリサイ派から信者になった人たちが、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と主張しました。アンティオキアでの対立、論争がここでも繰り返されたのです。そこで、使徒たちと長老たちは、この問題をについて協議するために集まりました。これがエルサレムの使徒会議です。

 議論を重ねた後、この会議の結論を導き出す決定的な発言したのは、ペトロとヤコブでした。二人とも、エルサレム教会を代表する人物です。先ずペトロがこう言いました。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」。ペトロはここで、自分が異邦人への伝道のために神様に選ばれて用いられたことを、「ずっと以前に」と振り返っています。それは第10章1節以下にあった、ローマの軍人コルネリウスへの伝道のことです。コルネリウスは勿論異邦人でしたが、ペトロが神様の導きによって彼らに御言葉を語っていると、彼らに聖霊が降ったのです。それは神様が彼らを受け入れて下さったということの印です。これを見てペトロは彼らに洗礼を授けました。彼らは異邦人であるままで、神様の救いにあずかる者とされたのです。ペトロは、自分自身が体験したこの神様の救いのみ業を語りました。

 「彼らの心と信仰によって清め」(9節)という表現は新しい思想で、従来異邦人はユダヤ人から見ると汚れている、と考えられていたが、神は彼らの心も内的に清めた、という新しい創造の思想です。神は敬虔なユダヤ人と敬虔な異邦人を区別していないのです。

  割礼についても、預言者エレミヤは、次のように語っています。「ユダの人、エルサレムに住む人々よ、割礼を受けて主のものとなり、あなたたちの心の包皮を取り去れ。」(4:4)とあります。割礼は神様がイスラエルをご自分の民として選んでくださった恵みの印ですが、からだに割礼をすることが大切なのではなく、心に割礼をすることが大切だということを、神はエレミヤを通して語っているのです。

今や旧い律法や割礼に代って、主イエス・キリストを信じる信仰によって救い、神の民としてくださるのです。それを言い表しているのが11節の言葉です。「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」。ペトロは、それまでの自分の考えや常識に固執せず、神様の新しいみ業に心を開いたがゆえに、この会議で決定的な発言をすることができたのです。そこには先ず、救いは、割礼という印によって与えられるのではない、ということが語られています。ペトロの話しを聞いた全会衆は静かになりました。そしてバルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業についての話すのを聞きました。二人が話を終えると、ヤコブも発言しました。このヤコブは、主イエスの弟であるヤコブで、十二弟子の一人ではありません。エルサレム教会の中心人物となっていた人です。彼は、「神が始めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました」と語り出しました。シメオンとはペトロのヘブライ名です。【ペトロはアラム語「ケパ」(岩の意)のギリシャ語訳、シモンはシメオンのギリシャ音写です。】

 彼は旧約聖書の言葉を引用して語りました。彼が引用したのはアモス書第9章11、12節です。そこには、主なる神様の救いが、「わたしの名で呼ばれる異邦人」たちにも与えられることが語られています。ヤコブは、ペトロが今語った異邦人の救いの出来事は、この預言の言葉の実現だったのだ、と語ったのです。旧約聖書に既に、主なる神様の救いが異邦人にも及んでいくことが予告されています。ヤコブは、このあと「わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に備えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙に書くべきです。」と語っています。これは「使徒教令」と言われるもので、四つの禁令は、レビ記17-18章に由来しています。「偶像に備えた肉」(レビ記17:8)、「血を飲むこと(レビ記17:10)、「ユダヤ教の祭儀的な手続きをふまないで絞め殺した動物の肉」(レビ記17:13)、「みだらな行いとは、親等内で禁じられていた性関係」(レビ記18:6以下)。これらをさけることについては、パウロは言及していません。この提案の意図するところは、「モーセの律法が、昔からどの町のも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれるからです」とあるように、異邦人信徒のまわりには、安息日ごとにユダヤ教の会堂で律法朗読を聞いているユダヤ人の信徒がいるわけで、そういう人々のつまずきにならないように配慮をするようにと言っているのです。別にこの四項目が、救いに必要だというのではないのです。パウロもコリントの信徒への手紙一の10:32で、つまずきを与えないように、気配りすることが重要であると教えています。

 さて、「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」と言って、ペトロは、救いは割礼によって与えられているのではないことを鮮明にしました。異邦人は、ユダヤ人と同じように、神の民となるための割礼という儀式を受けなくとも良いことになりました。これは、キリスト教がユダヤ教という民族宗教から、世界宗教として発展していくための大転換となる、エルサレム会議の決定でした。

  日本の教会では、洗礼を受けて信仰告白をした人を教会員とし、教会の信者とみなしています。長年教会に通い、礼拝に出席している人たちで、まだ洗礼を受けていない人たちは、求道者と呼んでいます。公に信仰告白をして、教会員となり、教会の運営に責任をもつ一員となることは、望ましいことであり、大切なことです。しかし、洗礼を受けなければ、聖霊の恵みが与えられないとか、救いにあずかっていないとか、信仰者としては認められない、ということではありません。救いは洗礼によって与えられるものではありません。主イエスの恵みによって救われるのです。洗礼は、その主イエスの恵みによる救いの印として与えられるものです。私たちは、主イエスの恵みによる救いを信じて洗礼を受けるのです。洗礼を受けていない人でも、イエス・キリストの救いに与っている人がいるのです。7月14日(土)の深夜に亡くなられ、15日(日)午前0時20分に死亡が確認された、加藤英治兄92歳は、9年前から御夫妻で富谷教会の礼拝に熱心に通われ、5年ほど前から、足が不自由になり、老人ホームに入所されていた方です。亡くなる前日の13日(金)午前10時過ぎ、私が面会に訪れた時にも、主の祈りの後も、はっきりアーメンと唱えていました。帰り際に、私が用意したメモ紙に、寝たままの姿勢で、「イエスキリスト様、天国は魂の行く処、平成25年7月13日」と書きました。そして、その翌日亡くなりました。加藤兄が書いた言葉は、立派な信仰告白だと思います。加藤兄は、洗礼は受けていませんでしたが、キリストの救いにあずかった方であったと確信いたしました。加藤兄を、未信者としてではなく、信者として、教会の準会員として、この世にあって与えられた兄弟との交わりを神に感謝し、互いに永遠の愛で結ばれていることを覚えたいと思います。

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「偶像を離れて、生ける神に立ち帰る」 使徒言行録14章8~20節

2013-07-14 22:46:37 | 礼拝説教

日本キリスト教 富 谷 教 会聖霊降臨節第九主日   2013年7月14日(日)

     聖 書  使徒言行録14章8~20節

説 教 「偶像を離れて、生ける神に立ち帰る」   辺見宗邦牧師

本日の聖書 使徒言行録14章820

  8リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。9この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわし信仰があるのを認め、10「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は踊り上がって歩きだした。11群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。12そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。13町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門のところまで雄牛数頭と花環を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。14使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中に飛び込んで行き、叫んで15言った。「皆さん、なぜ、こんことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。16神は過ぎ去った時代には、すべての国の人の思い思いの道を行くままにしておかれました。17しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天から雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」18こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。19ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。20しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。

本日の説教

 パウロとバルナバは、小アジア(現在のトルコ)のガラテヤ州ピシディア地方のアンティオキアで伝道しましたが、迫害され、町から追い出されました。その後、南東へ百三十㎞ほど行ったイコニオンへ移って伝道しました。(イコニオンは、現在はコンヤと呼ばれています。)イコニオンでも伝道に反対され、石で打たれようとしたパウロとバルナバは、今度は四十㎞南西へ下った、リカオニア地方の町リストラへ行きました。後に三回目の伝道旅行の時にパウロに同行することになるテモテがこの町の出身であったと言われる町です(使徒16:1)。【リストラという言葉は、会社の再構築のための人員削減、解雇などの意味で用いられる リストラ(英語の Restructuring (リストラクチャリング)の略語で、本来の意味は「再構築」という意味)を思い浮かべますが、このリストラの町の名とは関係ありません。】

 8~10節に、「リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、『自分の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。」とあります。

パウロたちは、このリストラではユダヤ人の会堂ではなく、町の広場のような所で人々に話していました。パウロが話すのを聞いた人の中に、この足の不自由な人がいました。「パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め」ました。彼は、パウロが語る主イエスによる救いの福音に熱心に聞き入っていたのです。
 パウロは、この男の人に向かって大声で「自分の足でまっすぐに立ちなさい。」と告げました。すると、この男の人は躍り上がって歩きだしたのです。主イエスによる神様の救いの恵みを受け入れることが信仰です。するとその信仰が、私たちを、それまで出来なかった何かができる者へと造り変えていくのです。自分でも思いがけないような力が与えられていくのです。

このいやしの奇跡を見た町の人々は、リカオニアの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言い出し、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼んだのです。

この地方には古い言い伝えがありました。ローマの詩人オヴィディウス(BC43-AD17)は、その著書「変身譜(メタモルフォセス)」で、その伝説を伝えています。リストラに近い南フリギアのある町を、ゼウスとヘルメスが、フィレモンとパウキスという名の人間の姿をとって訪れたとき、町の者はすべて冷たくあしらい、農夫のフィレモンとパウキスという老夫婦だけが、彼らを神々とは知らないで、手厚くもてなしました。ゼウス神とヘルメス神は町の人々の冷遇を怒り、この夫婦を除いて、全て洪水で滅ぼしてしまったという伝説です。そういう伝説もあって、リストラの群衆はパウロとバルナバをヘルメスとゼウスが現れたと考え、大騒ぎしたのです。ゼウスはギリシャ神話に登場する神々の主神です。その子であるヘルメスは、彼の使者で、雄弁の神であると言われています。ですから人々は雄弁に語るパウロをヘルメス、バルナバをゼウスの化身と考えたのです。そして、この出来事を聞いた、町の門前にあったゼウス神殿の祭司たちが、群衆と一緒になって彼らのいる家の門まで雄牛数頭と、犠牲の雄牛に飾る花輪を運んできて、彼らにいけにえを捧げようとしました。リカオニアの方言で彼らは叫んでいたので、二人は彼らの叫びが分からなかったおですが、この時になって、人々が何をしようとしているかに気づき、パウロとバルナバは、必死になって自分たちが神として拝まれることを止めたのです。

パウロとバルナバの二人は服を裂いて群衆の中に飛び込んで行きました。服を裂くというのは、ユダヤの習慣で、激しい抗議や怒りを表す態度です。群衆の中に飛び込んだのは、自分たちは神にまつられるような者ではなく、普通の人間であることを明らかにする行動でした。彼らは、自分たちが神様として祭り上げられることを必死になって阻止しようとしたのです。そして叫びました、「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたたちが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。」「このような偶像」という言葉は、「このような虚しいもの」という意味です。

次にパウロは、「この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。」と語りました。生ける神は天地の創造者であり、「生ける神」であって、人間によって造られた神ではなく、人間を含め、天地万物を造られた創造者なる神であると語ったのです。パウロは、むなしい偶像礼拝を捨てて、この生ける神に立ち返るように勧めています。パウロがこのリストラの町に来たのは、このようなむなしい偶像を捨てて、全世界の造り主である神に立ち返るようにと、福音を宣べ伝えに来たのだと語ったのです。

 パウロは更にこう告げました。「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」これまでは、すべての国の人々が、生けるまことの神のことを知らずに歩むままにしておかれました。ここでパウロは、天地を造られた神様は、雨を降らせ、実りを与え、食物を与えてくださるという恵みを示してくださっていたのに、その神様の恵みを、あなたがたは偶像による恵みにしてしまっていたのです。時が来るまで、神様はそれを見過ごされてきたが、もうその時は過ぎました。だから、偶像を離れ、天地を造られた唯一の神に立ち帰りなさい。この神は、偶像ではなく、生ける神であり、そのことを、この生まれつき歩くことの出来なかった男が躍り上がって歩き出すことによって、あなたがたは今、はっきり知らされたではないか。わたしたちはただの人間にすぎない。人間を神にしてはいけない。生けるまことの神は、天地を造られたただ一人の神なのです、と語ったのです。

「こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることが」できました。

このような出来事の後、このリストラにも、アンティオキアとイコニオンからパウロとバルナバを排斥するユダヤ人たちがやって来ました。そして、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、殺そうとしたのです。パウロは倒れ、気を失ったので、人々は死んだものと思って、町の外に引きずり出し、捨てました。しかしパウロは、弟子たち(新しい信者たち)が彼をとり囲んでいると、彼は意識を取り戻し、起き上がり、再びリストラの町の中に入っていきました。「弟子たち」と言う語は、リストラに教会が設立されえたことを示唆しています。二人は翌日デルベに向かいました。リストラからデルベまでは、直線距離にして100㎞あります。

パウロは晩年、この経験を、「あなた(テモテ)は・・アンテオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです(テモテ二、3:11)」と述懐しています。

 今や、新しい時代が始まったのです。それは、生けるまことの神様が、新しい仕方でご自身を私たちに示し、証しして下さる時代です。主イエス・キリストは、人間となって下さった神です。人間の姿に身をやつして来たのではなく、まさに私たちと同じ人間になってこの世に生まれて下さったのです。それは、私たちの罪を全て背負って、私たちの代わりに十字架にかかって死んで下さるためです。この主イエスの死と復活によって、私たちに、神様の恵みが豊かに注がれています。それを得るためには、ただひたすら神の恵みを信じて、求めることによって与えられる恵みです。

イエス・キリストを信じ、その下で生きるとき、私たちは、たたりや災いを恐れる信仰ではなくて、恵みへの感謝と喜びを本質とする信仰に生きることができるのです。偶像を捨てるとは、宗教上の偶像だけにとどまりません。生ける神に依り頼まなくてもよいとする、人間の力や、国の力、金銭や経済力などへの過信も含みます。この、生けるまことの神に立ち帰るならば、私たちも、あの足の不自由だった人のように、苦しみや悲しみにうずくまっているところから立ち上がり、新しい人生を歩み出すことができるのです。

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「罪の赦しの福音」 使徒言行録13章13~26節

2013-07-09 00:23:55 | 礼拝説教

 

聖霊降臨節第八主日   2013年7月7日(日)

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)
交読詩編   16(神よ、守ってください)
聖 書  使徒言行録13章13~26節
説 教 「イエスによる罪の赦しの福音」辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 449(千歳の岩よ)
頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

 本日の聖書 使徒言行録13章13~26節
13:13パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。 13:14パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。 13:15律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。 13:16そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。 13:17この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。 13:18神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、 13:19カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。 13:20これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。 13:21後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、 13:22それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』 13:23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。 13:24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。 13:25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』 13:26兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。

 本日の説教
 使徒言行録13章1節から3節にかけて、アンティオキアの教会は、礼拝しているときに与えられた聖霊に従い、宣教のためにバルナバとサウロを選び、断食と祈りののち、二人に按手をして出発させたことが記されています。
 バルナバは、4章36節で紹介されたように、「レビ族の人で、使徒たちからバルナバ(『慰めの子』という意味)で呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフ」で、「持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」人です。11章24節では、バルナバは、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と紹介されています。
 最初の伝道地として選ばれた所は、バルナバの故郷である、地中海にあるキプロス島でした。二人は、ヨハネを助手として連れていきました。ヨハネについては、使徒言行録12章12節に出てきます。ペトロがエルサレムで捕らえられたあと、天使によって獄から脱出することができたとき、「ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」とあります。このヨハネ・マルコを、バルナバとパウロがエルサレムからアンティオキアの教会に戻るときに連れてきました(12:25)。このヨハネはバルナバのいとこだと記されています(コロサイ4:10)。
 キプロスのパフォスと言う町で、彼ら三人は、ユダヤ人のバルイエスという魔術師で、エリマというギリシア名を持つ偽預言者と対決しました。9節に、「パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った」とあります。パウロの名が初めて紹介されます。サウロという名はユダヤ名であり、「サウロ王」にあやかった名です。パウロと言う名は、ローマ名で、「いと小さい者」という意味です。これからはローマの各都市に宣教するので、サウロのローマ名が用いられます。パウロは、「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」と言って、聖霊の働きにより、魔術師を退散させました。この出来事を見て、地方総督セルギウス・パウルスは、「主の教えに非常に驚き、信仰に入」りました。 
 13節からは、サウロ名に変わって、パウロ名が用いられます。「パウロとその一行は」は、キプロスのパフォスから船出して北へ向かい、パンフィリア州の首府ペルゲ(現在のトルコのベルゲ)に来ました。ぺルゲはケストロス川の河口から13キロ上流で、しかも川岸から東へ10キロも離れたところにあります。おそらくアタリア(14:25)から上陸してベルゲに来たと思われます。(聖書巻末付録地図7の「パウロの宣教旅行1参照」)13節には、このペルゲで、彼らが助手として連れていたヨハネが一行と別れてエルサレムに帰ってしまったとあります。その理由については何も記していません。
彼ら(二人)は、ペルゲから北に向かい、途中険しいタウルス山脈を越えて、160キロの道を進み、到着したところはピシディア州のアンティオキアという町でした。この町は、アウグストゥス帝の時代にローマの植民都市になり、ガラテヤ州に属し、退役した軍人たちの移住地であり、ユダヤ人の居留地でもありました。「アンティオキア」の名の由来は、セレウコス朝(紀元前312年 - 紀元前63年)、
シリア王セレウコス1世ニカノル(アレクサンドロス大王の後継者の一人)、が、父アンティオコスを記念して建てた16の都市のうちの1つです。海抜およそ千百メートルの高原にあった町で、今は廃墟しか残っていません。ピシディアのアンティオキアは、彼らを送り出したシリアのアンティオキアとは違う町です。
 パウロは、ユダヤ人の習慣にならい、安息日にユダヤ人
たちの会堂に入って席につきました。会堂における安息日
の礼拝では、律法と預言者の書が朗読されたと15節にあ
ります。礼拝において聖書が朗読された、ということです。その後会堂長たちがパウロらに、「何か会衆のために励ま
しのお言葉があれば、話してください」と依頼したとあり
ます。「そこでパウロは立ち上がり、手で人々を制して」、言いました。
 この説教は、パウロの説教として記録された最初のものです。聴衆は、ユダヤ人たちと、神を敬う異邦人たちです。説教は、三つの部分から成り立っています。第一部は16-25節、第二部は26-37節、第三部は38-41節です。本日は、第一部を中心に、御言葉を学びます。
 パウロは先ず、イスラエルの歴史は、神によって、直接導かれてきたということを語りました。<イスラエルの神>が先祖を選び出しました。これは、アブラハム、イサク、ヤコブというイスラエルの最初の先祖たちのことです。
次に、「民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました」。これはエジプトのヨセフのもとに、ヤコブ一族が移住し、民の数が増大したこと、その後奴隷状態になっていたイスラエルの民を、モーセを指導者としてエジプトから導き出し、脱出させてくださったこと、「神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び」、彼らの神に対する不従順、不信仰を忍耐されたことを言っています。次に、モーセの後継者ヨシュアを立ててカナンに侵入し、七つの民(ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)を滅ぼして、その土地をイスラエルに相続させました。「これは、約四百五十年にわたることでした(エジプト在住四百年、荒れ野に四十年、カナン侵入・征服まで十年)。」その後、神はデボラ、ギデオン、サムソン等の裁く者(士師たち)を任命して、イスラエルを治めさせました。
預言者サムエルの時代になって、イスラエルの民が王政を求めたので、四十年間(実際は二十年間)、サウルを最初の王として与えました。その後、サウルを退け、ダビデを王としたことが語られていす。
 パウロは、イスラエル民族の歴史と、イエス・キリストとを結びつけて、次のように述べています。「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださった」と告げます。預言者ナタンによってダビデに告げた神の約束は、サムエル下7:12に記されています。「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたは生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。」この約束はイエスにおいて成就します。「その王、救い主を大きくし、その油注がれた者に、ダビデとその子孫に、とこしえに慈しみを施される(サムエル下22:51)。」という約束が成就します。パウロはこのようにして、イスラエルの民への神様の導きの歴史が、ダビデへの約束を通して、主イエス・キリストにおいて成就し、実現したことを語っているのです。
 ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。イエスを救い主(キリスト)としてイスラエルの人々に告げました。ヨハネの言葉は、神の救いの業の頂点がイエスの到来であることを強調しています。
 第二部は、「兄弟たち」という新しい呼びかけで、ユダヤ人とその会堂に来ている神を畏れ敬う異邦人に、「この救いの言葉はわたしたちに送られました。(26節)」と語っています。救いの言葉、すなわち、救いの出来事の成就であるイエスの受難と復活は、今生きているわたしたち読者にも、送られているのです。
この後、27~31節では、エルサレムに住む人々や指導者たちは、イエスになんら死に当たる理由が見出せなかったのに、ピラトに強要して、イエスを殺したこと。しかし、神は、イエスを死人の中から、よみがえらせたこと。よみがえったイエスは、弟子たちに、幾日ものあいだ現れたので、彼らは、イエスの証人になっていることを語っています。
 32~37節では、パウロは、イエスのよみがえりこそ、先祖に与えられた約束の成就であると語ったのです。このことを立証するために、詩編2篇7節、イザヤ書55章3節、そして、「あなたは、あなたの聖なる者を、朽ち果てるままにしてはおかれない」(詩編16:10)という言葉を引用しています。
 最後に、第三部では、パウロは、聞く者たちへ、決断をうながしています。「だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。(38,39節)」「イエスによる罪のゆるしの福音」をあらためて説き、「信じる者は皆イエスによって義とされる」、すなわち、イエスによって神との関係が正しくされることを語り、それを否定すると、どうなるかを、旧約聖書ハバクク書1章5節の言葉を引用して、この説教を結んでいます。
 このようにして、異邦人に対する神の救いの御計画が明らかにされます。「イエスによる罪のゆるしの福音」は、万民のためのものであり、キリスト教はただユダヤ人一民族のための宗教ではなく、すべての民族、すべての国民のものであることを、パウロは明らかにしたのです。
 42-43節には、パウロの説教への人々の反応が記されています。これを聞いた多くのユダヤ人と異邦人の改宗者が、自分たちにも救いがもたらされるという福音に接して喜び、もう一度、次の安息日にこの話をしてくれるようにパウロとバルナバに依頼したというのです。「次の安息日になるとほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た(44節)」と、パウロの説教の大きな反響を伝えています。
 パウロは、「イエスによる罪の赦し」が必要だと語っています。聖書はこのようにいつも私たちの罪を問題にします。なぜなら、私たちが抱えている様々な問題の背後にはこの罪の問題が隠れているからです。そして実はこの罪の問題の背後には、私たち人間を支配する、罪の力、闇の力、悪魔の力が潜んでいます。それは人間の力では太刀打ちできない力です。それを解決することができるのは神の力、聖霊の力だけなのです。使徒言行録は、聖霊の力と恵みに依って福音が世界に伝えられていったことの記録です。神はイエス・キリストによる救いを実現することによってこの闇の力に勝利し、私たちに救いの恵みを与えてくださるのです。

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「教会の祈りと天使による牢からの脱出」 使徒言行録12章1~19節

2013-07-02 20:46:22 | 礼拝説教

日本キリスト教 富 谷 教 会
年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6
週  報 
聖霊降臨節第七主日   2013年6月30日(日)
       5時~5時50分 
礼 拝 順 序        
            司会 永井 慎一兄
前 奏          奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 492(み神をたたえる心こそは)
交読詩編  138(わたしは心を尽くして感謝し)
主の祈り   93-5、A
使徒信条   93-4、A
聖 書  使徒言行録12章1~19節
説 教「教会の祈りと天使による牢からの脱出」
辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 540(主イェスにより)
献 金
感謝祈祷          
頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2013年7月7日(日)午後5時~5時50分
聖書  使徒言行録13章26-42
説教  「ペトロの語った福音」
交読詩編 16 讃美歌 288 449 27
本日の聖書 使徒言行録12章1~19節
1そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、2ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。4ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。5こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
6ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。7すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。8天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。9それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。10第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。11ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」 12こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。13門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。14ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。15人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。16しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。17ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
18夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。19ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。

本日の説教
 使徒言行録8章では、ユダヤ教のエルサレム神殿を批判したステファノが殺され、その結果、主にギリシャ語を話したヘレニストのキリスト者が、ユダヤ教社会から迫害され、エルサレムから散らされていきました。けれども、まだ、その段階では、主にヘブライ語を話したキリスト者、ペトロを始めとするイエスの弟子たち、従来のユダヤ教の枠内でイエス・キリストを信じようとするエルサレム教会の人たちは、ユダヤ教社会から迫害されてはいなかったのです。しかし、今日の聖書箇所においては、キリスト者への迫害の手が、とうとうエルサレムのキリスト教会にまで及んでくるのです。
使徒言行録12章1節に、「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」とあります。この出来事は、紀元後42、3年の頃に起きたと考えられています。主イエスが十字架にお架(か)かりになり復活されたのが30年頃、ステファノの殉教は32年頃のことです。ですから、この出来事はステファノの殉教から10年ほど後に起きたということになります。十二使徒の中で最初の殉教者が出たのです。
 「ヘロデ王」とありますが、新約聖書には三人のヘロデ王が出てこます。このヘロデ王は、主イエスがお生まれになった時2歳以下の男の子を皆殺しにしたヘロデ王、ヘロデ大王と呼ばれる王です。また、主イエスを十字架に架けた時のヘロデ王は、ヘロデ・アンティパスで、ヘロデ大王の息子です。8章に記されている使徒ヤコブを殺したヘロデ王は、ヘロデ大王の孫であり、ヘロデ・アンティパスの甥であたる、ヘロデ・アグリッパ1世です。このヘロデ・アグリッパ1世は、時のローマ皇帝クラウディウスに気に入られ、ヘロデ大王と同じくパレスチナ全域を支配することになった王でした。この王は41年に全パレスチナを支配するようになりましたが、しかし44年、このヤコブ殺害の一年後には死んでしまいま
す。それは20節以下に記されています。
 彼らは皆、ヘロデ王家に連なる人々ですが、彼らがユダヤを支配することができたのは、ローマ帝国の後ろ楯によることです。そもそもこのヘロデ家の出身は、ユダヤの南のイドマヤ地方です。イドマヤという呼び方は旧約聖書に出て来るエドムから来ており、エドム人の子孫です。つまり彼らは純粋なユダヤ人ではないわけで、そういう一族が、ローマ帝国の力によって王となっているわけですから、ユダヤ人たちからは、ユダヤを治める正統な王家としては認められていませんでした。それゆえにヘロデ王家は代々、なんとかユダヤ人たちの支持を得ようと努力してきたのです。あのヘロデ大王が、エルサレム神殿を何十年もの歳月を費やして壮麗なものに改築したのも、そのためでした。ヘロデ・アグリッパ・世キリスト教会への迫害を始めたのはそのためでした。
 ヘロデ・アグリッパ1世は、使徒ヤコブ殺害がユダヤ人に喜ばれるのを見て、次にペトロを捕らえました。この時、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。(5節)」とあります。ペトロはこれまで二回獄に捕らわれたことがありました。一回目は4章で、足の不自由な人をいやして、神殿で説教した後に捕らえられたのですが、この時は脅されただけで釈放されました。もう一回は5章17節以下にあります。この時ペトロは大祭司たちによって捕らえられますが、夜中に天使によって牢を開けられ、助けられます。しかし、天使に「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」と告げられ、ペトロは再び神殿で教え始めました。当然また捕らえられたのですが、この時は鞭で打たれ、今後イエスの名によって話してはならないと命じられて釈放されました。その時から10年経っています。しかし、今度は国家権力を握る
ヘロデ・アグリッパ1世です。使徒ヤコブは殺害されています。教会ではこの時、祈りました。その時の思いは、今度も神様に遣わされた天使によって助けられるのではないかという期待と、今度こそもうダメではないかという思いとの入り交じったものではなかったかと思います。 
 6節以下には、ペトロがこの絶体絶命の危機の中から、神様の力によって解放され、救われたことが語られています。これは人間の力や可能性を全く越えた、神様のみ業です。牢に入れられたペトロを助け出すために天使が遣わされました。6節「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。」とあります。ヘロデがペトロを牢から引き出そうとしていた前夜です。牢から引き出されれば、きっとペトロは殺されることになったでしょう。その前夜です。ペトロは二本の鎖でつながれていました。天使がペトロの所にやって来て、ペトロのわき腹をつついて起こします。そして、「急いで起き上がりなさい。」と告げたのです。すると、鎖はペトロの両手から外れて落ちました。天使はペトロに、「帯を締め、履物を履きなさい。」「上着を着て、ついて来なさい。」と告げます。ペトロは天使が言われるまま、天使について行きました。ペトロは何が起きているのか分かりません。「幻を見ているのだと思った」程でした。牢を出て、第一衛兵所の前を通り、第二衛兵所の前を通ります。兵士は誰も気付きません。そして、ついに町に出る門まで来ると、門がひとりでに開きました。ペトロは町に出て、進んで行きました。すると突然、天使はペトロから離れました。
 ここでペトロは初めて我に返りました。11節「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
  本当に大変な時は、次から次に起きてくることに対応するのに精一杯で、神様の助けと守りの中にあることさえよく分からない。しかし、一段落ついて振り返ってみると、あの時あの人に出会っていなければ、あのタイミングで事が起きていなければ、今こうして安んじてはいられなかったな。あれもこれも主の守り、主の助けだったのだと分かる。そういうことだったのではないかと思います。
 ペトロは天使によって牢から脱出することが出来ました。そこで彼が向かった先は、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家でした。このマルコは、マルコによる福音書の記者であり、後にパウロやバルナバと伝道旅行に行った人です。12節後半「そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」とありますから、多分、この家が家庭集会の場であり、また礼拝堂の役割を果たしていたのではないかと思います。
 ロデという女中がまず出て来ました。ペトロの声だと分かると、彼女は喜びのあまり門も開けずに家に駆け込み、ペトロが来ている、そう告げました。この時家の中にいた人々、彼らはキリスト者であり、ペトロが解放されることを願い祈っていた人たちです。15節「人々は、『あなたは気が変になっているのだ』と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、『それはペトロを守る天使だろう』と言い出した。」彼らは、女中ロデが、ペトロが来ている、と言うのをまるで信用しないのです。そして、「ペトロを守る天使だろう。」とまで言い出します。彼らは祈っていたけれど、本当にペトロが助けられるとはあまり思っていなかったのです。
 ペトロは家に入ると、主が牢から連れ出してくださった次第を語って聞かせました。そして、このことをヤコブと兄弟たちに伝えるようにと言って、ほかの所へ行ったのです。このヤコブは、2節で言われたヘロデ王によって殺された使徒ヤコブではありません。このヤコブは「主の兄弟ヤコブ」と呼ばれていた、主イエスの弟のヤコブのことです。この主の兄弟ヤコブが、エルサレムの教会の使徒たち以外の中心的人物だったのです。
ここに教えられていることは、神様は私たちの祈りによって何かをなさる方ではないけれども、私たちが祈って救いを願い求めることを待っておられる、喜んでおられる、ということです。神様は私たちが祈って助けを、救いを願うことを喜ばれるし、それを待っておられるのです。自由な恵みによってその祈りに応えようとしておられるのです。私たちの言葉がどんなにつたなくても、自分の悩みや苦しみ、悲しみ、願い求めを神様に申し述べ、救いを願っていくこと、それはある意味ではまことにずうずうしいことですけれども、そのことを神様は喜び、待っておられるのです。そしてその祈りに応えて、私たちに本当に必要なものを与えて下さろうとしておられるのです。ペトロの解放の奇跡が、教会の祈りに挟まれて起ったと語られていることは、これらのことを私たちに教えていると思うのです。
 さらにここで見つめておかなければならないのは、この教会における祈りが、共に集まって祈る、共同の祈りである、ということです。5節の、「教会では彼のための熱心な祈りが神にささげられていた」、ということには、教会に連なる一人一人がそれぞれのいわゆる密室の祈りにおいて熱心に祈っていた、ということも含まれているでしょうが、しかし中心になっているのは、12節に描かれている、「大勢の人が集まって祈っていた」ということです。つまり教会における共同の祈りの集会、祈祷会です。勿論一人一人の個人の祈りは基本ですが、共に集まって共同の祈りを祈ることの大きな意義を私たちは知る必要があります。る教会です。
 ペトロは、この後どうしたのでしょうか。使徒言行録は、この後パウロの伝道について述べていくことになって、ペトロについてはこれで終わってしまいます。多分、ペトロはこの時からエルサレムにいることが出来なくなり、エルサレムの教会は主の兄弟ヤコブを中心としたものになっていったと考えられます。ペトロはこの後、各地を回って伝道したに違いありません。そして、紀元64年に、ローマにおいて皇帝ネロによって殉教するのです。それまでの20年間、ペトロは各地を巡って主の福音を伝え、ついにはローマにまで行ったのではないかと考えられます。
 最後に、どうしてヤコブは殺され、ペトロは助かったのか、このことについて少し考えたいと思います。ヤコブは、ペトロ、ヨハネと共に、十二使徒の中でも、主イエスが特別なことをする時にはいつもこの三人が主イエスのそばにいるという、特別な存在でした。それなのに、どうしてヤコブは殺され、ペトロは助けられたのか。教会はヤコブの時には祈らなかったのでしょうか。ヤコブの時は祈らなかったということは考えられません。
 マタイによる福音書20章23節で、主イエスは次のように語っています。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」。主イエスがエルサレムに入る直前、ヤコブとヨハネの母が主イエスに、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と願い出ました。これは抜け駆けのようなもので、他の弟子たちも腹を立てるわけですが、主イエスが、これに対して23節で「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と答えたのです。主イエスが「わたしの杯」と言われたのは、十字架の死を語っていることは明らかです。つまりヤコブの死は、この主イエスの予言の成就と見ることが出来ます。一方、ヤコブの兄弟であるヨハネは、使徒たちが皆殉教していく中で90歳まで生きたと伝えられています。この最初の殉教者ヤコブと最後まで長生きしたヨハネという兄弟。その二人に「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と主イエスは告げられたのです。それは、生きるにしても死ぬにしてもキリストがあがめられる、そのことのために用いられる主の僕の姿を示していると思われます。実際、ペトロはこの時は助けられるのですが、20年後にはローマにおいて殉教することになったのです。ペトロが牢から救い出されて「今、初めて本当のことが分かった」と言う中には、自分が救い出されたのは単に私が助かるというようなことではなくて、神様は私を助けることによって、私を主の福音を伝える者としてまだ用い給う、その御心の中で助けられたということが分かったのではないかと思われます。わたしたちの祈りが神様によって聞かれ、出来事が起きる。しかし、その出来事は、私共が願った通りではないことも多いのです。私たちが神様に願い求める時、御心にかなうならば、神様は事を起こされるのです。しかし、神様には神様の御計画というものがある。そして、その御計画は、私共の思いを超えたものです。ヤコブの死は不幸で、ペトロが助かったのは幸いである。そういうことではありません。ペトロは神様の守りの中にあったが、ヤコブは神様に見放されたということではないのです。なぜなら、ヤコブには永遠の命が与えられていたからです。御国において栄光の冠を与えられたからです。このことを見失ってはなりません。大切なことは、私たちが生きるにしても死ぬにしても、神様の御名があがめられるということなのです。ヤコブの死はそのことを私共に示しているのです。私たちはこの「御名があがめられる」ために、他の人より少し先に救いに与ったのです。神様は私たちに天使を遣わして、具体的な困難の中から救い出してくださいます。祈りにも応えてくださいます。しかしそれは、私たちを通して神様があがめられるためであり、神様の御業が現れるためなのです。

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