富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「石を枕にして寝たヤコブに現れた神」創世記28章1 -22節 

2013-10-23 21:10:38 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

 日本キリスト教 富 谷 教 会

年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6

 週  報 

聖霊降臨節第二十二主日  2013年10月20日(日)  5時~5時50分 

礼 拝 順 序  

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 214(わが魂のひかり)

交読詩編  139(主よ、あなたはわたしを究(きわ)め) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  創世記28章1   -22節

説 教 「石を枕にして寝たヤコブに現れた神」 辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 434(主よ、みもとに)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 2013年10月27日(日)午後5時~5時50分

聖書  創世記32章23-33節

説教  「神の使いとの格闘」

交読詩編 62 讃美歌 492 453 27

本日の聖書 創世記28章1-22節

 1イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、命じた。「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。 2ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。 3どうか、全能の神がお前を祝福して繁栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。 4どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように。」

 5ヤコブはイサクに送り出されて、パダン・アラムのラバンの所へ旅立った。ラバンはアラム人ベトエルの息子で、ヤコブとエサウの母リベカの兄であった。

 6エサウは、イサクがヤコブを祝福し、パダン・アラムへ送り出し、そこから妻を迎えさせようとしたこと、しかも彼を祝福したとき、「カナンの娘の中から妻を迎えてはいけない」と命じたこと、 7そして、ヤコブが父と母の命令に従ってパダン・アラムへ旅立ったことなどを知った。 8エサウは、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないことを知って、 9イシュマエルのところへ行き、既にいる妻のほかにもう一人、アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹に当たるマハラトを妻とした。

 10ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。 11とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。 12すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。 13見よ、主が傍らに立って言われた。

 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。 14あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。 15見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

 16ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」 17そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

 18ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、 19その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。20ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、 21無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、 22わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」

 本日の説教

 エサウとヤコブの誕生は、創世記25章19節以下に記されていますが、二人は双子の兄弟でした。先に生まれた子は赤かったのでエサウと名付けられ、後から生まれた子は、兄のかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けられました。この二人は性格の違う兄弟でした。その違いは25章27節に語られています。エサウは「巧みな狩人で野の人」だったのに対して、ヤコブは「穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした」とあります。ヤコブは、兄のかかとをつかんで生まれてきたように、人を押しのける狡猾な人だったようです。父イサクはエサウを愛しました。狩りの獲物が好物だったからでした。母リベカはヤコブを愛しました。親の偏愛を受けて二人は育ちました。

 この双子の兄弟の内、どちらが父イサクの跡取りとなるかが、彼らの家の問題でした。父は、兄のエサウを跡取りしようと考えていました。しかし、25章の終わりに語られているように、ヤコブは、腹のすいたエサウから、一杯の煮物と引き替えに、長男としての権利を自分のものにしました。しかし、誰が跡取りとなるかは、父イサクが誰に祝福を与えるかにかかっていました。27章には、老い先短いことを意識したイサクが、エサウに祝福を与えようとしたことが語られています。ところが、ヤコブを気に入っていた母リベカが、イサクの目がかすんでよく見えないのをいいことに、ヤコブにエサウの着物を着せ、エサウになりすまさせて、父イサクの祝福を代わって受けさせてしまったのです。ヤコブはこうして、長男としての権利を奪っただけでなく、エサウに与えられるはずだった祝福をも奪い取ってしまったのです。この出来事によってエサウとヤコブの間の確執が深刻になりました。27章41節にこうあります。「エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。『父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる』」。エサウはヤコブに殺意を抱くようになったのです。それを察知したリベカは、ヤコブを守るために彼をハランへと旅立たせることにするのです。その口実は、ハランにいるリベカの兄ラバンの娘を嫁に迎えるためということでした。リベカは夫に、ヤコブを嫁取りのために旅立たせようと提案しました。リベカは、「わたしは、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません(27:46)」と夫に告げました。ヘト人とはアブラハムに墓地と畑を、法外な値段で売った人たちです。偶像崇拝と不品行で有名な宗教を信仰する民です。エサウがヘト人の娘を妻として迎えたため、彼女たちが、イサクとリベカにとって悩みの種となっていました(26:34,35)。リベカは、アブラハムの神、ナホルの神への信仰のもとで育ったヤコブの伯父ラバンの娘とヤコブを結婚させようとしたのです。 

 ヤコブは父イサクをも騙したが、父はこれを赦し、祝福して送り出しました。こうしてヤコブは、ベエル・シェバの父の家かパダン・アラムのラバンの所へ旅立ちました。パダン・アラムはアラム人(古代シリヤ北部に住む民族)の平地の意味で、ベエル・シェバから800キロもある、徒歩で一か月を要する遠い地です。今日のシリヤの国境を越えたトルコの地です。ラバンはアラム人ベトエルの息子で、ヤコブとエサウの母リベカの兄です。この旅は、兄エサウの憎しみ、殺意を逃れての逃亡の旅です。 

 ベエル・シェバを立ったヤコブは、後にベテルと呼ばれる場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜の過ごすことにしました。ベエル・シェバはパレスチナ南部の町であり、ヤコブの父イサクがそこに井戸を掘り当てて家族と共に住んでいた所です。この町の名前の起原が26章33節にあります。ヤコブにとってここは父の家、故郷なのです。しかし今ヤコブはその故郷を離れて、シリアのはるか北方、ユーフラテス川の上流にあるハランへと旅をしているのです。これまでの生活は、家督相続の争い、兄弟との不和、人間的な争いに満ちていました。表向きは嫁探しの旅ですが、実は逃亡の旅でした。人里離れた誰もいない夜空の下で、石を枕にして寝るヤコブの姿は哀れです。このヤコブの姿は、人間関係における破れと挫折に苦しむ人間の姿です。この時のヤコブの心境はどのようなものだったでしょうか。その心境について、次のようなことがあげられます。

 第一に、孤独になっている時です。愛する家族から離れ、一人で自分の生涯を切り開いていかなければならない状況に置かれたヤコブは、石を枕として寝ながら、身にしみて孤独を感じたことでしょう。

 第二に、自分の失敗や過ちに直面している時です。神様の祝福を求めるあまりに、兄の心を踏みにじるようなことをしたヤコブは、石を枕にしながら自分のしでかしたあやまちを反省したに違いありません。

 第三に、将来に対して不安を覚えている時です。自分の生涯がこれからどのようになるのか、何とも言えない不安を覚えたのではないでしょうか。

 私たちも、生涯の中で、このような経験をすることがあります。しかし、神様はそのような中で特別な恵みを備えておられるのです。そのような最も落ち込んだ時、神様が特別な恵みを与えてくださるのです。

 ヤコブは夢をみました。それは夢という手段を用いて、神様がヤコブと出会われたという出来事でした。神様は、石を枕として寝たヤコブに、どのような恵を与えられたでしょうか。

 第一に、彼は天の幻を示されました。「先端が天にまで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりして」いました。ヤコブがここで見た夢は、古代メソポタミヤ地方での神殿であるジグラッドの階段のようなものです。ジグラッドと言うのは、高さは20メートルにも達する巨大な建造物で、その上に神殿があります。その階段を天使が上り下りしているのをヤコブは夢で見たのではないかと思われます。前の口語訳聖書ではこの「階段」は「はしご」となっていました。「ヤコブのはしご」という言葉がここから生まれました。旧賛美歌320番「主よみもとに近づかん」の3節では「かよう梯(ばし)(梯子)の上より」とあり、賛美歌21に434番では、「天よりとどくかけはし(架け橋)」とあります。この階段は地上から天に上っていく階段ではなく、神の住む天から地に下ろされた階段です。この階段は、天と地とをつなぐものです。神様の世界と人間の世界とをつなぐ架け橋がここにある、ということを、ヤコブはこの夢において体験しました。ヤコブはこの夢で、自分がいるこの場所が神様の御臨在される所であることを知らされたのです。

 ヤコブは、アブラハム・イサクと続いた神様の祝福を、父から受けながら、約束の地を負われた身でした。ヤコブはもう自分には神様の祝福はもうないのではないかとさえ思ったことでしょう。しかし、そのようなヤコブに対して、神様は夢を見せ、語りかけてくださったのです。

 ヨハネによる福音書1章51節に語られています。「更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる』」。「神の天使たちが昇り降りするのを見る」、これはまさにヤコブがあの夢で見たことです。「人の子の上に」とあります。「人の子」とは主イエス・キリストのことです。ヤコブが見たあの階段は、主イエスを指し示しているのです。主イエスが天と地の、神様と私たちの間の架け橋です。

 第二に、ヤコブは主なる神のご臨在と神が語りかけてくださったみ声を聞きました。「見よ、主が傍らに立って言われた。『わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。』」神様からも見放されているという思いがあったヤコブに神が現れ、語りかけて下さったのです。そして、カナンの土地を与えるという約束を神様からいただいたのです。「あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。また、あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなって世界に広まり、地上の氏族はすべてあなたとあなたの子孫とによって祝福に入る。」
 第三に、神が共にいて下さり、守って下さるという約束を与えてくださったのです。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの地へ連れ帰る。」

 ヤコブは眠りから覚めて言いました。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」ヤコブの見た夢は正夢でした。神は、夢をとおして、ヤコブに語りかけてくださったのです。神からも人からも遠く離れていると思っていた野外のヤコブに、神が現れてくださったのです。

 ヤコブは朝早く起きると、自分がまくらにした石を立てて、油を注いで聖別しました。その所の名をベテル(「神の家」の意)と名付けました。神がこれからもヤコブと共にいてくださるなら、この地を礼拝の場所とし、必ず収入の十分の一をささげると約束し、請願を立てたのです。

 ヤコブにとって、体を横たえたルズの荒野は、「神の家」「天の門」となりました。私たちにも、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」ということがあります。私はそれを、入院中の病室で経験しました。その経験については、このブログの記事、「証し『神の力は弱さのなかで発揮される』」で公開発表しています。

主イエスがこの地上にこられて救いのみ業を完成してくださったことにより、地上のすべての場所がベテルとなりました。神は地上のどこにでも偏在され、支配されておられるのです。私たちが神から最も遠く離れたとこに置かれていると思えるような所、最も落ち込み気落ちしているときにも、私たちが最も弱い、貧しい状態にあるときにも、主イエスは共にいてくださり、力を与え、祝福してくださるのです。

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