〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富 谷 教 会
週 報
降誕節第七主日 2014年2月23日(日) 5時~5時50分
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 402(いともとうとき)
交読詩編 95(主に向かって喜び歌おう)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 士師記6章11-16節
説 教 「士師ギデオン」 辺見宗邦牧師
祈 祷
賛美歌(21) 521(とらえたまえ、われらを)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 3月2日(日)午後5時~5時50分
説教 「士師エフタ」
聖書 士師記11章1-13節
交読詩篇 16 讃美歌 355 481 24
本日の聖書 士師記6章11-16節
11さて、主の御使いが来て、オフラにあるテレビンの木の下に座った。これはアビエゼルの人ヨアシュのものであった。その子ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。 12主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」 13ギデオンは彼に言った。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」
14主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 15彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」 16主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」
本日の説教
12人の士師たちが活動した年代は、指導者ヨシュアの死のあとから、サウルが最初の王となるまでの期間で、その年代と期間は、BC1220~1020年までの200年とする説がありますが、紀元前1200~1020年頃にかけての約180年間とする説を取りたいと思います。(新共同訳旧約聖書注解Ⅰ・古代年代p.859、聖書の世界(日経NGS)p.154、口語旧約聖書略解p.958参照) なお、聖書大百科(創元社)p.102には、士師の期間を、BC1190~1051年(サウロ王即位の年)の139年間としています。
士師とは、イスラエルを統一する王がいなかった時代、他民族の圧迫からイスラエルを解放した戦争の指導者たちのことです。
オテニエル(ユダ族)、エフデ(ベニヤミン族)、シャムガル(アシェル族?)、デボラ(エフライム族)、ギデオン(西マナセ族)、エフタ(ガト族)、サムソン(ダン族)の7人を大士師と言います。
また、戦争の指導者ではなく、イスラエルの法の伝達者で国を治めた、トラ(イッサカル族)、ヤイル(東マナセ族)、イブツァン(ユダ族)、エロン(ゼブロン族)、アブドン(エフライム族)の5人を小士師と言います。
士師たちが活躍した時代のイスラエルは統一国家として形成されておらず、12部族がそれぞれの領地を分割して治めていました。各々の部族は近隣の部族と連合しながら外敵の侵略に対抗していました。
イスラエルが偶像礼拝にふけり、道徳的に堕落した時に、外国の侵略されました。けれども民が堕落した生活を悔い改めて、神に助けを祈った時に、イスラエルを外敵から救う解放者となる士師が、神によって与えられたのです。
女士師のデボラと勇士バラクがカナン人と戦い、勝利した後、イスラエル人は40年間平穏に過ごすことが出来ました。だが、イスラエルの人々は、再び主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡されました。 ミディアン人の襲撃がイスラエルに脅威となったので、イスラエルの人々は彼らを避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用しました。
毎年収穫の季節になると、ミディアン人は、アマレク人や東方の諸民族と共に上って来て、イスラエルの人々に対して陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで奪い取っていきました。ミデヤン人は非常に多数で強く、イナゴの大群のようにやって来てはイスラエルを悩ましました。そのためにイスラエル人たちの生活は危機的な状況に陥りました。イスラエルの人々は主に助けを求めて叫びました。その様な時に、神から離れて堕落した民を救う戦士として選ばれた人物がギデオンです。
ギデオンはある日、ミデヤン人の攻撃を恐れ、酒ぶねの中で見つからないように隠れて小麦を打っていたのです。そこに主の使いが現れて言いました。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」(士師記6:12)ミデヤン人の攻撃を恐れて、隠れていた一人の兵士に「勇者よ」と呼びかけたのです。
ギデオンはその方に言いました。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」
主は彼の方を向いて言われました。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(士師記6:14)と言って、ミディアン人からの救いを約束しました。
それに対してギデオンは「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」(士師記6:15)と返事をします。ギデオン一族はマナセ族の中で最も小さく、家族の中でも最も若く戦いの経験も少ない人だったのです。ギデオンは敵の攻撃を恐れて隠れていた人でした。戦の経験も乏しい若い兵士でありました。自分に対する自信もなく、臆病でした。
主は彼に言われました。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」(士師記6:16)
その夜、ギデオンは主に言われたように、「父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らにあるアシュラの像を切り倒し」、主のための祭壇を造りました(士師記6:25~27)。
ミディアンとアマレクと東方の民族の軍隊がヨルダン川を渡ってきて、イズレエル平野に陣を敷きました。
主の霊がギデオンを覆いました。彼はマナセ全地域と、アシェル、ゼブルン、ナフタリの部族へも使者を遣わして、戦うための民を集めました。
ギデオンはエン・ハロド(「おののきの泉」の意)のほとりに陣を敷きました。そこは、オフラの南西、ギルボア山(標高500㍍)の麓です。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにありました。
神はギデオンに、彼が集めた民が多すぎると言われ、民が多すぎると、神が彼らを救われたことを認めようとせず、イスラエル人は心がおごり、彼ら自身の力によって勝利を得たと主張することになるだろうと告げたのです。そして
戦いを恐れている者は立ち去らせよ、とギデオンに命じました。「ギレアドの山を去れ」(士師記7:3)は、ギルボア山の間違いかと思われます。ギレアドの山はヨルダン川の東にあるからです。こうして二万二千人が帰り、一万人が残りました。主はギデオンに言われました。「民がまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。」
「膝をついてかがんで水を飲む者すべて別にしなさい。」と主は言われました。これは敵の前で油断する者を去らせたのです。水を手ですくってすすった者の数は三百人でした。こうして精鋭三百人が選ばれました。
夜中に、神はギデオンに従者プラを連れてミディアン人の宿営に接近し、彼らが何を話し合っているかを聞け、と命じました。ギデオンはミディアン人のある男が、神がミディアン人をギデオンにお与えになった、という夢と仲間が話しを聞きました。ギデオンはイスラエルの宿営に戻り、自軍の兵士たち各々に角笛と空の水がめの中に隠した松明とを与えました。三つの軍団に分け、ギデオンと三百人は敵の宿営へと進軍し、右手で角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、「主のために、ギデオンのために」と叫び、敵陣を包囲したので、敵は総立ちになり、叫びを上げて敗走しました。ギデオンはヨルダン川を越え、ミディアン人を追撃しました。ギデオンはたったの三百人で、十二万以上もの敵軍を打ち破ったのです。
ミディアン人は、イスラエルの人々によって征服されたので、ギデオンの時代は四十年にわたって国は平穏でした。
ギデオンという名は、ホテルなどに無料で聖書を配るギデオン協会の名で、今日広く知られています。このギデオン協会の発足は次のような経緯によるものです。
1898年秋、北米ウィスコンシン州ボスコベルの小さなホテルで、見知らぬ青年二人(ジョン・H・ニコルソンとサムエル・E・ヒル)が偶然相部屋で夜を明かしたとき、お互いにクリスチャンであることを証し、共に聖書を読み、祈ったことから発会計画がなされました。
翌年の5月発会式をしましたが、参加したのは、ウィル・J・ナイツただ1人でした。この3名によって、クリスチャンで旅行する実業家達が互いに交わり、個人的に証し、共に主イエスのために労しようとの決意が表明され、旧約聖書士師記6章、7章にあるギデオンにあやかって、会の名称を“ギデオン”(The Gideons)と定めました。
ギデオンのように力がなく、若くても、「主が共にいてくださるなら」、国を救うための勇士にしてくださり、用いてくださる。わずか三百名でも十二万人以上の敵をも倒すことができると力が与えられると信じ、「ギデオン」という協会名にしたもとの思われます。
1911年カナダ人が参加することによって、“国際ギデオン”と呼ばれるようになりました。日本にこの働きが及んだのは、1950年で国際代表としてR・J・ホルツワース兄が派遣され、9月1日に東京支部がつくられたのが始まりです。当時は主として、全国の大学生40万人に1冊づつ聖書を贈与することを目標として発足したそうです。
ギデオンは初めから勇士であったのではありません。臆病な兵士の一人にすぎませんでした。主が共におられるから、勇士とされたのです。勇士となったのは、その人の力によってではなく、神が共に戦って下さったからです。
私たちも、主が共にいてくださることを信じるとき、ギデオンのように、恐れてばかりいる人生から解放され、勇気ある人へと造り変えられるのです。使徒パウロは言いました。どのような境遇に置かれても、「わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ4:13)」この御言葉のような信仰の勇者になりたいものです。
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