富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「悪(霊)と戦うキリスト」 マルコによる福音書3章20~30節 

2018-02-23 15:53:01 | キリスト教

                  悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやすイエス(マルコ5・13)。    絵の説明(大きな羽が見える悪魔が二人逃げていく。狂人の頭の上に見える悪魔は逆さになって豚の方へ落ちていく。狂人の右肩下に豚が四、五頭見えます。老人はゲラサの住民。裸の男は汚れた霊に取りつかれた男。ゲラさの住民が裸の男のそばにいます。)

                                   

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

               日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    受難節第2主日  2018年2月25日(日)  午後5時~5時50分

礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 528(あなたの道を)

交読詩編   18(主よ、わたしの力よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳) マルコによる福音書3章20~30節(新p.66)

説  教    「悪と戦うキリスト」  辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌(21)   377(神はわが砦)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏 

                    次週礼拝 3月4日(日) 午後5時~5時50分

                   聖書 マルコによる福音書8章27~33節 

                   説教題  「受難の予告」

                   讃美歌(21)497 511 24 交読詩編31篇

    本日の聖書 マルコによる福音書3章20~27節

 3:20イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。21身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。22エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦され。29しかし、聖霊を冒涜する者は赦されず、永遠の罪の責めを負う。」30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

     本日の説教

 主イエスは、ガリラヤ湖周辺の町々村々を巡回して、神の国は近づいたと宣べ伝え、そのしるしとして、病人をいやし、悪霊を追放し、嵐を静め、死人を生き返らせ、奇蹟を行われました。主イエスが行った奇蹟は、イエスが自然、病、罪、悪霊、死に対して支配する権威を持つ神の子、メシヤ(救い主)であることを示すものでした。イエスの時代は、重い病気や身体障害は、悪霊の仕業だと考えられていました。

 「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。」(マルコ3・20)

 ガリラヤ湖の北岸の村落カファルナウムのシモン(後のペトロ)とアンデレの家(1・29、2・1)と思われますが、イエスがそこへ帰ると、群衆が再び集まってきたので(3・7)、イエスと12人の弟子たち(3・13-19)は、食事をする暇もないほどでした。しかし、イエスが罪人と一緒に食事をしたり、安息日の律法を破って病を癒しているとして、ファイサイ派の律法学者たちは、イエスをどのようにして殺そうかた相談を始めました(3・6)。

「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである。」(3・21)

<身内の人たち>は、31節で言及されている「母と兄弟たち」(3・31)でしょう。イエスの身内の人たちは、イエスのうわさを聞いて、イエスを幼い時からよく知っているだけに、「イエスは気が変になっている」と思ったのでしょう。彼らはイエスを取り抑えて家へ連れて帰ろうとやって来ました。

  イエスの家族にとっては、あまりにも身近なイエスについて、その真の姿を理解することは困難でした。イエスは長男だったので、早く世を去った父ヨセフの職業(大工)を継ぎ、一家の生計を支えなければならない責任を負っていました。そのイエスが、ヨハネの荒れ野の洗礼が始まると、家族を捨てて単身ヨハネの許に行き、ヨルダン川で洗礼を受けました。その時イエスは神の霊に満たされて、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の声を聞き、「神の子」、メシアとしての自覚を与えられ、内に宿る神の霊の命ずるままに行動されるようになりました。その時以来、イエスはもはやナザレに住む家族の一員ではなく、ただ神の意志のみに従う「神の子」となられたのです。イエスが決して気違いでなかったことは、群衆が気違いを慕って集まるはずはないからです。しかし、イエスの家族はイエスの活動を精神的に常軌を逸脱した結果と考えて、イエスを受け入れることができなかったのです。イエスの家族はイエスを彼らの監視のもとにおき、イエスの行動を抑制しようとして、ナザレからカファルナウムに出て来たのです。

 「エルサレムから下って来た律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取りつかれている』と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。」(3・22)

 イスラエルの主都エルサレムから律法学者たちが下って来ました。当時、イスラエル人社会で起こっているすべてのことを監督しているのが、律法学者でした。彼らはイエスを、「あの男は、悪霊の頭、ベルゼベルに取りつかれている。悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていました。

<ベルゼベル>とは、本来<バアル・ゼベル>「君主バアル」、「家の主人」(マタイ10・25)の意です。「バアル」は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神です。カナンの地に入植してきたヘブライ人たちは、ペリシテ人のバアル・ゼブルを邪教神とし、「エクロンの神、バアル・ゼブブ」(ハエの神)と語呂に似た名で呼んでさげすみました(列王記下1・2)。<エクロン>はペリシテ人の町の名です。その後、<バアル・ゼベル>は、<ベルゼベル>となり、この当時は、<悪霊の頭>すなわちサタンを指す名として用いられていました。律法学者たちはイエスを<悪霊>と共謀してると説明し非難したのです。彼らはイエスの力の源泉を悪魔からのものとし、イエスをその悪霊どもの頭(君主)としたのです。

「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。『どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。』」(3・23-26)

 イエスは彼らの考えが間違っていることを、彼らに納得のいくように、たとえを用いて、分かりやすく説明されました。「国が内輪で争えば」、その国は立ち行かない。内部抗争に明け暮れる国や家が荒廃して、自滅してしまいます。同じように、サタンの頭の力で、サタンの手下である<悪霊>を追い出していると言うのであれば、それは内輪争いをすることであり、サタンの支配は崩壊し、自滅してしまいます。サタンは、内部抗争によって自滅するほど愚かではありません、とイエスは反論しました。

「また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。」(3・27)

 <強い人>は、サタンの別名です。この<強い人>という言葉は、イザヤ書49章24-26節の、<勇士・暴君>という言葉を反映しているものと考えられています。

 「勇士からとりこを取り返せるであろうか。暴君から捕らわれ人を救い出せるであろうか。主はこう言われる。捕らわれ人が勇士から取り返され、とりこが暴君から救い出される。わたしが、あなたと争う者と争い、わたしが、あなたの子らを救う。……わたしは主、あなたをを救い、あなたを贖う。」勇士、暴君であるサタンを打ち破る強い存在として「わたし」と御自身を呼ばれる主なる神のことが述べられています。そして「あなたの子らを救う」と。イエスは、勇士や暴君であるサタンを縛り上げる、サタンよりより強い救い主として自覚されているのです。

  ここでいう<家財道具>は、悪霊につかれた者、サタンのとりこになっている者です。「まず、強いサタンを縛り上げなければ、だれも、そのサタンの家に押し入って、その悪霊の家にとりこになっている人を、奪い取ることはできない。」とイエスは言われました。サタンを縛り上げるのは、神の霊であり、イエス自身です。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(マタイ12・28)とイエスは、マタイ福音書の方では宣言しています。

 強い人であるサタンが悪霊にとりつかれた人々を、所有物(捕虜)としてそのままにしておこうとしても、サタンよりももっと強う者(イエス)の前には、サタンは無力です。この「悪霊を追い出す権能を持たせるため」、イエスは十二人の弟子を任命されました(3・15)。

 「『はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦され。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されず、永遠の罪の責めを負う。』イエスがこう言われたのは、『彼は汚れた霊に取りつかれている』と人々が言っていたからである。(3・28-

 「はっきり言っておく」とは、新しい重要なことを話すときの導入のことばです。イエスは、人が犯すどんな罪や冒涜でも赦されと語りました。しかし、「聖霊に対する冒涜は赦されない。この世においても、後の世でも、永遠の罪の責任を負う」と言われました。<聖霊の冒涜>とは、イエスの聖霊の働きをベルゼベルの働きと曲解することですが、それはイエス自身に対する中傷でもあります。なぜならそれは、洗礼の際に聖霊を与えられた神の子イエスを(1・10)、<汚れた霊に取りつかれている>者と見做すことを意味しているからです。イエスは、律法学者の人々がイエスの活動を悪霊の頭ベルゼベルに帰したことを、このままでは永遠の罪に定めらっると警告しました。

 「国が内輪で争えば、その国は成り立たない」と主イエスは言われました。シリア(国名はシリア・アラブ共和国)の2011年から始まった内乱は、来月で七年になります。独裁政治のアサド政権と反体制派の対立です。この内戦にサウジ・アラビアとアメリカは反体制派を支援し、ロシアはサダト政権を支援して介入し、やっと駆逐したISイスラム国の介入もあり、トルコやクルド人部隊の介入もあって、先の見えない泥沼化の状態です。人口2100万人の四割近い55万人が難民となり、国内外に避難し、24万人が命を失っています。その内、10万人以上が民間人です。この国には、民主化運動によるイスラムの春は訪れませんでした。こ国の紛争の速やかな終結と、平和を祈りましょう。

 私たちは、主の祈りで、「御国を来らせたまえ」と祈ります。終末のときに実現する「御国」を求めるだけではなく、今、わたしたちのところで実現している「神の国」、「神の支配」を求めて祈る事も必要です。罪と死に打ち勝ち、復活され、天上におられ、父なる神とともに世を支配されておられる、神の御子イエス・キリストの「神の霊」による悪霊に打ち勝つ権能を与えられていることを自覚して、悪に打ち勝ち、日々霊に満たされて歩んでまいりましょう。

 

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「荒れ野の誘惑と神の国の宣教」 マルコによる福音書1章12~15節

2018-02-16 22:43:29 | キリスト教

                             ↑   イエスの荒れ野の誘惑 

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

      日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

       受難節第1主日  2018年2月18日(日) 午後5時~5時50分

                     礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   6(つくりぬしを賛美します)

交読詩編   91(いと高き神のもとに身を寄せて隠れ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳) マルコによる福音書1章12~15節(新p.61)

説  教  「荒れ野の誘惑と神の国の宣教」    辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌(21)   377(神はわが砦(とりで))

聖餐式      78(わが主よ、ここに集い)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏 

             次週礼拝 2月25日(日) 午後5時~5時50分

              聖書 マルコによる福音書3章20~27節 

              説教題  「悪と戦うキリスト」

              讃美歌(21)528 377 24 交読詩編18篇

     本日の聖書 マルコによる福音書1章12~15節

 1:12それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。13イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。14ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

        本日の説教

 「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」(1・12)

  <それから>という句で、イエスの受洗と荒れ野の誘惑が結びつけられています。原語は<そしてすぐ>という句です。イエスは洗礼を受けられ、神の子としての自覚を与えらえた後、すぐに、神の霊によって荒れ野に送り出されました。<霊>は、10節で言及された、イエスがヨルダン川で洗礼をヨハネから受けたとき、天からイエスに降った神の霊です。<荒れ野>はユダの荒れ野です。

 「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。」(1・13a)

 イエスは四十日四十夜、荒れ野のとどまりました。<四十日間>は、モーセがシナイ山の頂で十戒を神から授かったとき、主と共に四十日四十夜、そこにとどまった(出エジプト記34・28)ことや、預言者エリヤが女王エゼベルから逃れるために神の山ホレブまで四十日四十夜歩き続けた経験(列王記19・8)を連想させます。イエスは荒れ野でサタンから誘惑を受けました。ヘブライ語の<サターン>は「告発人」「敵」の意味があります。ユダヤ教ではサタンは堕落した天使、神と人間との関係を壊し、破滅をもくろむ堕落した天使たちの主と見なされています。悪霊追放や病人のいやしの記事をとして、福音記者マルコはサタンの力に対するイエスの勝利を報じています(3・20-30参照)。イエスはサタンから誘惑を受けました。サタンは神への不服従にイエスを誘ったのです。

 「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(1・13b)

  イエスが荒れ野で四十日間、サタンから誘惑を受けていた間、野獣と一緒におられました。これはサタンの誘惑の場所が荒涼とした荒れ野のただ中にあったことを強調するものではありません。これは神と人との和らぎは、自然界にも祝福をもたらし、また、野獣の性格、生態までも変えさせるのであり、神が喜びたもう義(ただ)しい人には、野獣も害を加えない、手が出ないという、ユダヤ文学にしばしば出てくる思想を反映したものです。またユダヤ教の終末観によると、終わりの時には、始めの時と同様に(創世記1・26以下、2・19-20)、人は地の獣を支配し、獣は人間の害を加えず、従うであろうと言われています。イザヤ書には、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。小牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。……乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮(まむし)の巣に手を入れる」(イザヤ書11・6-8)とあります。

 <天使たちが仕えていた>とは、原初の時に、天使たちがアダムに仕えたように、終末の時にも彼らは人間に仕えるのです。そのときサタンは力を失います。今やイエスにおいてこの終末の救いが実現するのです。また、エリヤがユダの荒野の「れだまの木」(えにしだの木)の下で、天使からパンと水とをもらったように(列王記上19・5-7)、天使たちは、イエスのところに来て食物を運び続けたことを表しています。

 イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。その時、聖霊に満たされ、天からの声によって、御自身が神の子・救い主である自覚をはっきりと与えられました。受洗の後、イエスはすぐに荒れ野でサタンから誘惑を受けました。イエスを荒れ野の導いたのは、洗礼を受けた時に、イエスに与えられた満ち溢れる神の霊でした。悪魔・サタンは人を神から離反させようとして働く存在です。イエスはメシア・救い主としてその使命を成し遂げるために、悪魔の誘惑を受け、その誘惑に勝たなければならなかったのです。この試みは、決してこの時だけのものではなく、イエスの生涯を通して、彼の心にささやかれた試みでもありました。

 マルコの記事は簡単ですが、マタイとルカ福音書は、イエスが打ち勝った三つの誘惑を記しています。ルカ福音書4章によれば、メシアとして御国実現のために、1.奇跡をもって食に困らないようにせよ。2.権力と富を求め、頼れ。3.奇跡と不思議とを人々に示せ、という誘惑でした。主イエスは、神の言(ことば)と神の意志を重んじ、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(マタイ4・10)と言って、サタンを退けました。罪深い人間を救うために、主イエスは父なる神の苦難の僕として、十字架への道を歩まれたのです。ルカ福音書によると、「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた」(ルカ4・13)とあります。

  わたしたちの場合も、「敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し廻っています。」(ペトロ一5・8)利欲や情欲のように、「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて誘惑に陥るのです」(ヤコブ1・14)とあります。「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます」(ヤコブ4・7)とあります。

 「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。」(1・14-15)

 洗礼のヨハネの逮捕は紀元19年頃のことと思われます。彼は死海東岸の近いマケルス要塞の牢に幽閉され、ほどなく惨殺されましたヨハネの逮捕についてはマルコ6章14-16節に記されています。ヨハネの逮捕をきっかけにして、イエスはユダヤの荒れ野から北のガリラヤに帰り、公活動への第一歩を踏み出すことになります。

  ヨハネ逮捕したヘロデ・アンティパス王はガリラヤも統治していたので、ガリラヤは決して安全な場所ではありません。しかし、ガリラヤの出身のイエスは、ガリラヤを主要舞台として活動します。イエスの活動はまたガリラヤを中心に周辺の異邦人の地にも及びます。

 イエスは神からのよき知らせである福音を宣べ伝えます。<時は満ちた>の<時>は、神の計画の中で定められている終末の救いの時です。その時までに経過すべき期間が満ちた、すなわち「時は来た」とイエスは言いました。<神の国は近づいた>と言います。<神の国>は神が王として支配すること、すなわち神の栄光、正義、平和、救いを意味します。未来における神の王的支配は、捕囚時代に第二イザヤによって福音として宣べ伝えられました(イザヤ書40・10、52・7)。イエスの時代のユダヤ人は神の支配の実現をますます終末的に考えるようになっていました。その<神の国が近づいた>とイエスは宣言しました。イエスが来られたこと、それが神の国の到来であり、福音です。「神の国(天国)はすでに来ている。悔い改めてそれに入れ」というのが福音です。この「福音を信じなさい」が、イエスのガリラヤ伝道のメッセージを要約する言葉でした。

 律法を順守するファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかといえスに尋ねました。彼らは、主イエスが現れたことによって神の国が来ているとは思っていないのです。イエスは、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と答えています(ルカ17・20-21)。

 「見える形で来ない」は、原語の直訳では、「注意深い観察によっては来ない」とあります。観察や律法遵守など、人の意のままに来るものではないことを明確にしたのです。また、「ここにある」「あそこにある」といった場所的の限定される仕方でも来ない。ユダヤ民族とその土地に限定されるものでもない、という意味です。「神の国はあなたがたの間にあるのだ」は、単に精神的に心の中にあるというのでもありません。

  神の国(支配)は、今すでにイエスの宣教と病人の癒しに於いて、あなたがたの間にいるイエスにおいて来た、ということです。しかしイエスは、「神の国が力をあふれて現れる」(マルコ9・1)、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(12・26)、と再臨と神の国の現れることについても語っています。それまでは、十字架にかかって死に、そして復活して天に昇られた主イエス・キリストが、聖霊のお働きによって、目には見えない仕方で共にいて下さることによって、神の国は私たちの間にあるのです。

  イエスは、<悔い改めて福音を信じなさい>と人々に呼びかけました。<悔い改め>は、全存在をもって神に帰り、神に服従することを意味します。自己中心から、神中心へと方向転換をすることです。<福音>とは、主の救いの知らせを意味します。イエスは<福音>の宣教者であるだけでその内容でもあります。イエスは恩恵と真理に満ち溢れた神の子メシアとして来られました。イエスを信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためです(ヨハネ3・16)。この喜ばしき知らせを受け入れ、信じて生きなさい、と主イエスは呼び掛けているのです。

  この後、讃美歌21の377番「神はわが砦」を歌います。2節の歌詞は、「打ち勝つ力は、われらにはなし。力ある人を、神は立てたもう。その人は主キリスト、万軍の君、われと共に、たたかう主なり。」とあります。悪魔に打ち勝たれた主イエスが、わたしたちと共にいてくださり、悪魔に打ち勝つ力を与えて下さるのです。歌詞も旋律も宗教改革者マルティン・ルターの作です。詩編46編による「慰めの歌」です。悪魔の襲撃に苦しむ教会と信仰者に対して、ただ神の恵みとキリストの十字架にのみ勝利があることを歌っています。

 

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「奇跡を行うキリスト:突風と湖を静める」 マルコによる福音書4章35~41節

2018-02-10 18:54:47 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

              日本キリスト教 富 谷 教 会   週 報

年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

      降誕節第6主日  2018年2月11日(日) 午後5時~5時50分

                  礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 149(わがたまたたえよ)

交読詩編  107(ハレルヤ。わたしたちの神を)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳) マルコによる福音書4章35~41節(新p.68)

説  教   「奇跡を行うキリスト」  辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌    273B(わが魂を愛するイェスよ)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏 

                                   次週礼拝 2月18日(日) 午後5時~5時50分

                                     聖書 マルコによる福音書1章12~15節 

                                     説教題  「荒れ野の誘惑」

                                     讃美歌(21)6 377 78 24 交読詩編91篇

               本日の聖書 マルコによる福音書4章35~41節

 4:35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。38しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

                       本日の説教

 「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」(4・35)

 <その日の夕方>とは、4章1節のイエスがガリラヤ湖畔のカファルナウムで舟から岸にいる群衆を教えた<その日>のことです。イエスは群衆に多くの譬えで教えられました。夕方になっていました。イエスは弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われました。次の5章1節には、ゲラサ地方に着いたとあります。イエスは異邦人のいる地を目指して福音を伝えようとされたのです。イエスがガリラヤ湖を舟で行き来して活動する様子を伝える最初になります(5・21、6・45、8・13)。

          

 「そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。」(4・36)

 <弟子たち>とは、12人の弟子を選び、使徒に任命した(3・13-19)後なので、12人の弟子たちと思われます。弟子たちは群衆を後に残し、舟にいたイエスを乗せたまま、数艘の舟も一緒に漕ぎ出しました。舟は三・四人乗りのイエスの乗っている舟と二・三艘の小さい舟と思われます。

 「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。」(4・37)

 ガリラヤ湖は、静かで風のないのが普通ですが、突然突風が起こって、湖が荒れ狂うこともあるようです。暗くなりかかった夕方、激しい突風が起こり、舟は水浸しになるほど波をかぶったので、弟子たちは恐れ、あわてふためきました。

 「しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。」(4・38) 

 弟子たちとは対照的に、イエスは船尾の艫(とも)の方で枕をして眠っておられました。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8・20)と言われたイエスですが、さすがに疲れていたのでしょう、しばしのうたた寝をされました。舟にあったクッション(船頭が用いた皮製のものか)を枕代わりにしたのです。イエスは父なる神の守りに信頼して安眠されていました。  

  弟子たちは、静かな様子で寝ているイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言いました。この非難めいた質問の言葉は、恐怖におびえた弟子たちのイエスに対する憤りの叫びでした。弟子たちには、イエスが神の子である事が、まだ分かっていませんでした。

 「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。」(4・39)

         

 イエスは起き上がり、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われました。<叱る>は、人間を脅かす諸力に対して主なる神が大きな声で叱りつけることを表すのに用いられている語です(詩篇106・9)。ここでイエスは嵐や湖に対して力をふるう主なる神と同じように振る舞います。イエスは神に祈って突風を静めてもらうのではなく、自分自身の言葉でそれを行います。イエスの神的権威が示されています。すると、風はやみ、すっかり無風状態の凪(なぎ)になりました。

 「イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(4・40)

 イエスは突風が静まると、弟子たちを、<なぜ怖がるのか。まだ信じないのか>と叱責しました。ここで言われている<信じる>とは、神への信頼です。<まだ信じないのか>と言われたのは、この時まで弟子たちは、すでに、イエスが病人を癒し、悪鬼を追い出すなど、イエスがなされたさまざまな奇跡や業を見ており、イエスが神から遣わされた神の子であることが示されているからです。このイエスが共にいるのに、突風による荒波で舟が浸水し沈没することを怖れ、臆病になったのです。まだイエスを神として信じ、信頼していない弟子たちのその不信仰をイエスは咎めたのです。

 「弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。」(4・41)

 弟子たちは<非常に恐れ>るが、それはイエスの神的存在に直面して生じた宗教的畏怖です。弟子たちは、風と湖がイエスの命令に従ったことに、<いったい、この方はどなたなのだろう>と、不気味な畏れに満たされて、思わず口をついて出た言葉でした。イエスの驚くべき権威、神的な力を感じながらも、弟子たちは復活されたイエスに出会うまでは、「わが神、わが主」と告白することが出来なかったのです。

 詩篇107篇29節に、「主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった」という言葉があります。その状況が23節以下に記されています。

 「23彼らは、海に船を出し(大海を渡って商う者となった。24彼らは)深い淵で主の御業を驚くべき御業を見た。 25主は仰せによって嵐を起こし波を高くされたので 26彼らは天に上り、深淵に下り苦難に魂は溶け 27酔った人のようによろめき、揺らぎどのような知恵も呑み込まれてしまった。28苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。29主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった。30彼らは波が静まったので喜び祝い望みの港に導かれて行った。31主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。」(詩篇107篇23~31節)

 わたしたち人間は、いろいろなことを心配し、不安になり、悩むことがあります。そんなとき、メシアとして奇跡的な力を発揮された主イエス、今は「天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)の主イエスが、わたしたちといつも共にいて下さることを思い起しましょう。すべての必要を満たし、「万事を益になるように」(ローマ8・28)してくださる主イエスにすべてを委ね、平安を与えられましょう。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(ペトロの手紙一、5・7)とあります。

   この後に歌う讃美歌は、(旧)讃美歌273番のbの曲です。大西洋で暴風雨に遭い、難破した経験を基にして作詞された曲です。

         

  「わが魂を愛するイェスよ、波は逆巻き、風吹き荒れて、沈むばかりのこの身を守り、天(あめ)の港に 導きたまえ」という歌詞です。

   作詞者チャールズ・ウェスレーは、英国のメソジスト運動の指導者兄ジョン・ウェスレーの弟です。<メソジスト>とは、厳格な規則正しい生き方をする「几帳面な」を意味する教派です。チャールズは兄と共に牧師となり、生涯を伝道に捧げ、特に英国の信仰復興に携わりました。彼は毎週数篇の賛美歌を作り、生涯に6500曲以上の賛美歌を作詞したと言われています。この273番は彼の代表作であるばかりでなく、最も有名な賛美歌のひとつです。

  彼は兄のジョンと共に当時英国の植民地であった、アメリカのジョージア州に宣教に赴きました。しかし、伝道は思うようにいかず、翌年の秋、やむなく帰国の途につきました。ところがその途中、暴風雨に遭い船は難船しました。この歌詞のように「沈むばかりの」の深刻な経験をします。ようやく陸地に着いた彼は「ひざまずいて、このような、いわば八方塞がりの迷路から、わたしを導き出してくださった主のみ手を心からほめたたえた」と日記に記しました。1735年の出来事です。この賛美歌は1740年に「試錬の時に」と題して書かれました。

  作曲者はジョウゼフ・P・ホルブルクという方です。1822年、アメリカ、ボストン近郊に生れ、賛美歌作曲、編集、賛美歌集の出版に尽力しました。これは1862年の作曲です。リズムが多少複雑ですが美しい旋律で、多くの人々から愛され、あらゆる賛美歌集に収められてきました。

 

 

 

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 キリシタン史略年表

2018-02-06 15:52:09 | キリスト教

↑ 支倉常長乗船のサン・ファン・バウティスタ号(再現)の船体のライトアップ(宮城県石巻市)

                   キリシタン史略年表     2018/2/15  辺見宗邦作成    下線は、主に東北地方に関する記事や、キリシタン茶人に関する事項     

西暦

年号

  出  来  事

政治・社会

1543 

 

天文12

 

 

ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝える。

 

室町時代1336~157(戦国時代1467~1573)

 

1549

 

 

天文18 

 

8月15日、ザビエル、トルレス、フェルナンデスら鹿児島に上陸、領主島津貴久と会見し、布教の許可を得る。鹿児島と市来(いちき)でキリスト教を伝える。1年余り過ごす

日本にカトリックのキリスト教伝来

 

1550

 

 

天文19 

 

ザビエル平戸に行き、領主松浦隆信と会見。布教を許される。その後博多を経て、山口へ向かい、岩国から海路で堺に上陸。堺の日比屋了珪の家に滞在。

 

 

1551

       

天文20

 

ザビエル上京、天皇にも将軍にも会うことはできず、堺から平戸へ もどり、山口再訪。領主大内義隆から宣教の許可を得る。ザビエルは、トルレスを山口に残し、領主大友宗麟の招きで大分に行き、布教の保護を受ける。ザビエルは11月半ば、インドのゴアに向かう。

 (この頃キリシタンは700余名)

 

1552

天文21 

ザビエル、中国布教を目指すが熱病を患い、12月3日、マカオの南西上(シャン)川(チョワン)島で死去。ガーゴ来日、大友宗麟に会う。山口で最初の降誕祭が祝われる。

   

 

1560

 

 

永禄3

 

ヴィレラ、将軍足利義輝に謁見、宣教の許可を得る   蛸薬師通室町に土地と建物を購入。後日この場所に京都の南蛮寺が建てられた。

尾張の桶狭間の合戦信長軍の勝利、今川義元の戦死。

1562 

 

永禄5

 

肥前(居城は長崎県大村市)の大村純忠、教会を建設    翌年6月、家臣26名と共にトルレスから洗礼を受けた。 日本で最初のキリシタン大名となった。長崎港を開港

 

1563

 

永禄6

 

キリシタン大名の出現。近畿では結城山城守、高山飛騨守(右近の父)らの受洗。九州では大村純忠受洗 宣教師ルイス・フロイス来日。

 

 

1564

 

永禄7

 

高山右近、日比屋了桂ら受洗了桂の近所に千利休(当時42歳)の屋敷があり、了桂との交流が予想される

 

1567

永禄10

伊達政宗誕生

 

1568

永禄11

信長、堺を直轄領とする。利休、信長の茶頭となる

 

1572

元亀2

支倉常長誕生

 

1573

天正1

高山右近、高槻城主となる(21歳)

 安土・桃山時代1573~1603

1576

天正4

京都に三階建ての南蛮寺を建てる 長崎の有馬義貞、受洗 右近、オルガンティノを招き、復活祭を行う

 

1577

天正5

京都で南蛮寺建設

 

 

1580

天正8

有馬晴信受洗。長崎・安土にセミナリオ(神学校)創立、キリシタンは約10万人となる。

 

1582

天正10

 

天正少年遣欧使節、ローマへ出発利休、秀吉の茶道頭となる

 

本能寺の変、織田信長没(キリシタンは約10万人

1585

天正13

高山右近明石に移封。 高山右近の影響で、利休の弟子の蒲生氏郷、牧村兵部洗礼を受ける 明石教会建設

 秀吉関白となる

1587

 

天正15

 

秀吉、伴天連追放令発布、高山右近の所領を没収、追放。小西行長により小豆島にかくまわれる。細川ガラシャ受洗。官兵衛の勧めで大分の大名・大友義(よし)統(むね)、小早川秀(ひで)包(かね)が受洗。秀吉、九州平定。長崎没収

 

秀吉の九州役

 

1588

天正16

京都・大坂の南蛮寺破却

 

 

1590

 

 

天正18

 

天正の少年遣欧使節が長崎に帰国、蒲生氏郷が陸奥会津の城主となる黒田官兵衛の嫡男、黒田長政、洗礼を受ける、黒田官兵衛、豊前(ぶぜん)6郡を与えられる

 豊臣秀吉天下統一

 

1591

 

 

 

天正19

 

 

ヴァリニァーノ、少年遣欧使節とともに秀吉に謁見スペイン系ドミニコ会士ファン・コボ布教利休自害。千小庵、利休切腹後は会津の蒲生氏郷のもとに蟄居を命じられる。高山右近、前田利家の招きで金沢へ行く

 

1592

天正20

秀吉、京都伏見に隠居所として、伏見桃山城を築く

 

1594

文禄3

フランシスコ会士、京都四条堀川旧妙満寺跡地に諸天使の元后にささげられた教会、また翌年には聖アンナ病院、聖ヨゼフ病院を建設    小庵、赦されて京に戻り、二代目として千家を興す

 

1596

 

慶長1

 

サン・フェリッペ号事件。秀吉、フランシスコ会宣教師ら捕縛

 

      

1597

慶長2

長崎西坂で26名が殉教 (日本26聖人)  1598(慶長3年)豊臣秀吉没

この頃キリシタン30万人

1660

 

慶長5

 

家康、石田光成の軍を破る。 細川ガラシャ大坂の屋敷で没す   油小路通元誓願寺の地にイエズス会上京教会建立

関ヶ原の戦い

1601

 

慶長6

 

邦人初の司祭、セバスチャン木村とルイス・ニアバラ叙階 官兵衛、博多に移り、後継ぎの長政52万石受ける。家康、宣教師の京・長崎居住許可

 

 

1603

慶長8

徳川家康征夷大将軍 加藤清正、熊本で耶蘇教を禁教

江戸時代1603~1867(264年間)

1605

慶長10

家康は大御所として実権をにぎり、将軍職を秀忠に譲る

徳川秀忠征夷大将軍

1612

 

慶長17

 

岡本大八事件。江戸幕府の家康と秀忠はキリシタン禁教令を領内に発布、京都の教会を破壊。

慶長の禁教令発布(領内)

1613

慶長18

伊達政宗の遣欧使節、支倉常長ら出発する

家康・秀忠、禁教令を全国に広げる

キリシタン禁教令発布、キリシタン弾圧(1613~1873年)260年続く。(キリシタン人口50万人)

1614

慶長19

家康、宣教師および高山右近らマニラに追放(37名) 

 

1615

慶長20

大阪夏の陣、大阪城落城。 高山右近、マニラで死亡

豊臣氏滅亡

1615

 

元和1

 

1月、常長、マドリードでスペイン国王と謁見9月、ローマで、法王、パウロ五世と謁見

 

1616

元和2

秀忠、禁教を強化、キリシタン禁令の高札を全国に設置

徳川家康没。

1618

元和4

キリシタン訴人への懸賞金の高札, 1626年(寛永3年)、1636年(寛永13年)と賞金増額、1674年(延宝2年)宣教師訴人へ銀500枚とする

 

1619 

 元和5

京都の大殉教 (65名火刑) 。長崎の教会すべて破壊

 

1620

元和6

支倉常長帰国、仙台でキリシタン弾圧始まる

 

1622

元和8

長崎の大殉教(55名火刑)  

 

1623

元和9

江戸の大殉教(宣教師を含む50名火刑)

徳川家光征夷大将軍(1623~1651年)

1626

寛永3

踏絵による取り調べ始まる

 

1633~1637

寛永10~14

トマス西、都のラザロと14人殉教                1636年(寛永13年)政宗死去

1633年、第1次鎖国令

1637

寛永14

天草・島原の乱発生

1636年、第4次鎖国令

1638

寛永15

島原の乱が幕府によって鎮圧される  宗門改め強化

 

1639

寛永16

岩手県大籠で、数年間で300人以上の殉教始まる

鎖国の完成

1657

明暦3

大村藩、郡崩れ。603名を召し捕らえ、翌年411名を斬首

徳川家綱1651~1680

1665

寛文5

幕府、一万石以上の藩領に宗門改役設置

 

1669

寛文9

幕府により唐銅版の踏み絵20枚製作される

 

1682

天和2

諸国にキリシタン禁制の高札を建てる

 (元禄時代1688~1704)

1790

寛政2

長崎浦上一番崩れ 村人が寺に石仏を寄進するのを拒否したことから発覚、19名が捕らえられる。後で釈放。

 

1839

天保10

浦上二番崩れ 密告により、村の中心人物が捕えられる。後で釈放される。

 

1853

宝暦3

米国使節ペリー来航、1854年再来航。下田で日米和親条約締結、翌年日英、日露和親条約締結

幕末 1853-1867

1858

安政5

日米修好通商条約締結、 幕府、踏み絵制廃止

鎖国終了

1861

文久1

ハリストス正教会司祭ニコライ来日。アメリカから改革派教会のバラ来日。

プロテスタン宣教開始。2009年(平成21年)に150周年記念

1864

元治1

長崎の大浦天主堂落成、翌年献堂式。

 

1865

 

慶応1

 

パリー外国宣教会のプチジャン神父が長崎に来る、大浦天主堂内で浦上信徒名乗り出る(旧信徒の発見)

 

1867

慶応3

浦上四番崩れ始まる 寺との関係を絶縁する名簿提出を庄屋に提出したことで発覚。信徒68名が捕縛される。

 

 

1868

 

 

明治1

 

明治新政府、五榜(ごぼう)(五箇条の禁止を5枚の板に記す)の高札を全国に掲示、キリシタン禁制を徹底

明治時代1868-1912 大政奉還・王政復古 

1873        

明治6

 

キリシタン禁制の高札撤去、配流されていた浦上のキリシタン信徒釈放、故郷に帰る、キリスト教信者数1万5千人を数える。

 

 日本全国のキリシタンの数は総人口2,300万人の中、70万人とも75万人ともいわれており、3パーセントになります。

 ローマ法王庁が認定した聖人 ①1597年に処刑されたパウロ三木ら「二六聖人」 ②1633~1637の殉教者、トマス西と15人福者認定 ③ 1617~1632の殉教者,205人を福者に認定。④ 1603~1639の全国の殉教者、ペトロ岐部(きべ)と18人。⑤2017年高山右近福者に認定

 江戸時代に処刑さえたキリシタンの数は、日本全国で4000人~5000人と言われています。東北地方(6県)の殉教者数は990人、そのうち仙台藩は363人で一番多く、次が南部藩146人です。仙台藩に属していた岩手県藤沢町大籠では、1639年(寛永16年)頃数年間で309名が殉教。

                

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支倉常長の実父の終息地

2018-02-01 21:31:04 | キリスト教

      ↑ 支倉常長の実父の終息地と思われる宮城県富谷市富谷の奈良木城跡 

        

   ↑地図記号:高等学校は富谷市立富谷中学校  赤印のところが奈良木城跡

        宮城県富谷市富谷の奈良木の地図  

 「支倉家譜」によると、その遠祖は、天喜四年(1056)に伊勢国司に任じられた伊藤孫右衛門尉景常です。その曾孫・伊藤常久は、平清盛に仕えて従六位下壱岐(いきの)守(かみ)に任じられた。その後、常久はその地位を失い、文治元年(1185)、伊達氏の元祖である常陸国奉行朝宗(ともむね)(伊達郡に住む)に仕え、筑波郡中村に住むようになった。

   文治五年(1189)、源頼朝が平泉の藤原泰衡兄弟を攻めにやって来たとき、常久は源氏方に廻って先陣を切り藤原方を討った。その戦功により頼朝から、信夫(しのぶ)郡山口村、伊達郡梁川村、そして柴田郡支倉村の計五百余丁の土地を賜り、支倉と称した。

  その後、この土地へ伊達氏が進出して支配した。十六世紀中ごろの支倉家の十四代の常正は上盾城を築城し、千二百石の土地を保っていた。この支倉常正の子が時正で、その養子が支倉常長である。

   支倉常長は、時正の弟、山口飛騨守常(つね)成(なり)の次男として、元亀二年(1571)に信夫郡山口村で生まれた。山口の姓は、常成が信夫郡山口村に住んでいたために与えられたことによる。常成の兄、支倉時正に子供がなかなか生まれなかったので、常長は七歳のときにその養子になった。

  慶長元年(1596)に、時正に実子ができたことで、政宗の采配により、当時26歳の常長は分家し、千二百石を二分し、六百石を与えられ、柴田郡支倉村(現宮城県川崎町)に住んだ。この頃、結婚し一男一女をもうけた。その長男が勘三郎で、慶長三年頃に生まれている。常長が二十八歳頃のことである。この勘三郎は、寛永十七年(1640)四十一歳頃、キリシタンとして死んでいる。

  支倉家の系図のうち、常長の実父である山口常成のくだりに次のような記述がある。

 天正十九年(1591)春、政宗が葛西、大崎一揆を征伐の後、御領地替の時、山口常成に黒川郡に五十余町の知行地を与えている。常成は同郡大森邑(村)に住んだが、後に同郡富谷村下の原に移住している。常成は慶長五年八月十二日に没した、享年六十一歳であった。

 新訂富谷町誌によれば、常成の「領地の一部が富谷原区の奈良木付近にあったことがわかる」と記している(p.817)。しかるに今日まで、奈良木付近のどの場所が常成の領地であるか解明されていない。

 宮城県富谷市富谷奈良木には、城主不明の陸奥・奈良木城跡がある。60m×40mの丘城である。城山の南麓にある案内の標柱には次のように書かれている。

「この館跡は、仙台藩から江戸幕府へ書き上げた「仙台領古城書上」等の文献や伝承によれば、東西六間、南北十間の規模で、城主は不明。中世の館跡とみられ、江戸後期の絵師、吉川十兵衛が文政六年(1823)に描いた大童(おおわら)村や富谷村の絵図にも「サクラタテ」として描かれいる。山頂部には本丸跡がみられる比較的狭い平場があり、北方の鶴巣城へ通じる道が山中にあったとされる。」

 筆者は、この館跡が、支倉常長の実父、山口飛騨守常成(支倉飛騨)の居住地、終の棲家であったと思われる。昭和六十年に発見された年代不明の伊達政宗の常成に対する不届きの義」の書状がある。一説には「慶長四年(1599)、罪を犯し、閉門となる。慶長五年死罪となり自刃」とある。しかし、政宗書状の自筆と花押が慶長十五年(1610)のものと近似しているとも言われている。書状によると、資産に関する数々の詐欺と思われる常成の不届に対して、政宗は腹を切らせることを命じている。飛騨の子に当たる者は決所(知行地没収)の罪とし、女子については追放だけにとどめることとある。その実子常長も親子の関係から追放されるところであったが、罰則の意味で遣欧使節にしたとも言われている。

 【現代語訳】「支倉飛騨については去年以来拘禁・謹慎の身に処置しておいたところを最近不届きな行いが明らかになったため、ただ今切腹の指示を出した。これを執り行う奉行に四竃新介、中村備前の二人を充て、また、早々に油断なく実行するように命じる。飛騨の子である六右衛門も親子の間柄にあるため、命は助けるが追放の処分を申し付ける。 子細な点は石見に直接伝えることにする。飛騨の子に当たる者は決所(知行地没収)の罪とし、女子については追放だけにとどめること。」 

  このような飛騨守常成の切腹事件と領地没収等から、奈良木城跡は城主不明、歴史詳細不明として扱われ、今日に至ったと思われる。人は財産目当てで罪を犯すものである。常成は、その罰を受けて自刃した。しかし、常長のような立派な侍を生んだ父である。その父の罪を赦し、常長の実父として尊ぶべきではなからうか。富谷市も、常成の敷地を確かめ、大切な遺跡として世に知らすべきではなかろうか。」

 富谷町誌によれば、昭和三十八年(1963)六月、東京の聖三木修道院長チークリス神父によって、ローマ博物館からの新発見史料が届けられた。これによって黒川地方にかなり多数のキリシタンが元和(1615~24)のころ存在していたことが証明された。「元和三年(1617)十月十八日、富谷の一関村・三関村・石積村三村に教会があり、キリシタン数三百五十余名」がいたことがバチカンに報告されている。各村の信徒名もしるされている。

一関村=大谷石菴・佐久間二郎兵衛・津田清右衛門・大谷六右衛門・斎木新平衛

三関村=鈴木離菴、藤田長斎、四保助兵衛、熊谷喜右衛門・鈴木加賀

石積村=椎名主計、鈴美濃、安藤与助、相澤内蔵助、伊藤縫助

 なお、伊達家の史料の中で石積村のキリシタンで霊名をしいなという女性に関するくだりがあります。この女性は支倉六右衛門(おそらく常長)の家に奉公し、常長の娘の乳母となっている記述がある。

 このような富谷市のキリシタンについて知らない市民は多い。常長の実父常成の居城の確認と共に、過去の尊い歴史的遺産を広く知らしめて欲しいものである。

              2018年2月2日 富谷教会牧師 辺見宗邦

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