富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「人間の創造」 創世記2章4b~9、15~25節

2017-10-29 01:28:20 | キリスト教

↑ ミケランジェロ・ブオナロッティ 「アダムの創造」(システィーナ礼拝堂天井画部分) フレスコ 280x570cm  1510年作

ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

      日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようになさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

      降誕前第9主日  2017年10月29日(日)    午後5時~5時50分

              礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   6(つくり主を賛美します)

交読詩編   19(天は神の栄光を物語り)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)  創世記2章4b~9、15~25節 (p.2)

説  教    「人間の創造」      辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   355(主をほめよ、わが心) 

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏  

 

               次週礼拝 11月5日(日)午後5時~5時50分

                 聖書   創世記4章1~10節

                 説教     「堕落」

                 讃美歌(21)449 441 24 交読詩編51篇 

  本日の聖書 創世記2章4b~9、15~25節

  4b主なる神が地と天を造られたとき、5地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。

    6しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。7主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。8主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。9主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。…………

 15主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。16主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。17ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

 18主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

  19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

  21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、23人は言った。「ついに、これこそ  わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

 24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。25人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

          本日の説教

 創世記の一章一節には、「初めに、神は天地を創造された」とあります。そして神が宇宙や世界、そしてあらゆる生き物を造られたことが記されています。

  しかし、現代の自然科学的宇宙論や人間を含めて動植物の進化の過程を知っている現代人にとって、聖書の物語はでたらめな神話にすぎないとして、否定してしまう人が多いのではないかと思います。自然科学が究明しようとしていることは、自然現象の生成過程についての客観的な事実の解明です。それに対して聖書の記している創造物語は天地の起源という物語を通して、この世界の存在の意味や、人間の生きる目的についての真理を知ることにあります。

創  世記の天地創造は、世界がどのようにして成立したか、を説明するために記したのではありません。そうではなく、世界と人間の存在の意味はどこにあるのか、という根源的な課題に答えたものです。

  創世記一章の天地創造は、およそ紀元前六世紀頃、バビロニアの捕囚(ほしゅう)の地、バビロンでイスラエルの祭司記者によって書かれました。イスラエルのユダ王国はバビロニア帝国に滅ぼされ、多くの民は捕囚の民として連れ去られ、苦役に服しました。紀元前597年から538年にかけて、60年近い捕囚の時期がありました。彼らにとって、そこは「異教の地」であり、多神教と偶像礼拝の支配している地でした。バビロニアの勝利はバビロンの神の勝利であると誇り、イスラエルの敗北と亡国は、彼らの信じるヤーウェ(主なる神)の敗北としてあざけられ、彼らは屈辱を味わいました。それは大きな変動と荒廃の時代でした。このような崩壊と虚無の中から、祭司記者といわれる人々は、まず<世界>の存立の根源を問いはじめました。創世記の創造物語は、こうした激動期に捕囚地バビロニアで成立したのです。この創造物語は、バビロニアの創造神話からの影響の下に成立したと言われています。バビロニア神話の方は多神教ですが、聖書の創造物語の方は、イスラエルの唯一神教の信仰によって修正され、独創的なものになっています。人間とはどのような存在であり、どのように生きるべきか、という当時の緊急かつ根源的な課題に答えたものです。イスラエルの民は、偶像を崇拝するバビロニアの民に精神的に屈することをしませんでした。深い悔い改めとともに、国を失ったのは自分たちの罪の故であることを認め、神に選ばれたイスラエルの歴史を回顧し、唯一の創造神を信じ、神は必ず自分たちを守り、この苦役から解放してくださると期待したのです。

 イスラエルはこの創造物語において、歴史を開始し、これを治め、これを審き、かつ救う全能の主なる神を告白しているのです。この言葉の根底には一切のものの造り主である創造者への賛美と神への服従があります。

  一章では、創造の最後の業として、神は人間を創造されました。神は「神にかたどって創造された。男と女に創造され」ました(1・27)。<ご自分にかたどって>は、ヘブライ語を直訳すると、「われわれの像として」となります。神が自らを<われわれ>と複数形表現しているのは、「主なる神を中心とした天的存在の議会」というイスラエルのイメージに由来します。人が「神の像として造られた」ということは、人間の外形が神に似ているという意味ではなく、人間が神と霊的に交わることができる、神に向き合う者として造られたということです。人間は「神の像」としての尊厳と地を支配する機能を担うべき存在として創造されたのです。

  二章四節後半以下に「主なる神が地と天を造られたとき」となっており、再び人間創造の記事が出てきます。人が一番始めに造られ、その後、動物が造られています(2・19)。造られた順序も逆になっています。二章の創造物語は、時代は古く、紀元前九世紀にカナンの地で書かれたと推定されています。異なる二つの資料をつなぎ合わせたものと考えられます。しかし、このことは聖書が神のことばであるこことは矛盾しません。聖書が神のみことばであることは、用語や文体にあるのではなく、その内容がわたしたちに語りかける神のみことばだからです。二つの創造物語は、より豊かに創造物語を伝えています。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。」(創2章7~9節) 

  人間は「土の塵で造られ、他の動物も「土」で造られています。これは人間が物質的な面から見れば、他の動物と共通性をもっていることを示しています。「土の塵」という表現に、人間のはかなさ、もろさがよく表されています。やがて人間は「土の塵にかえる」(3・19)もの、死ぬべき、朽ちるべきものです。しかし人間は、神の「命の息」によって「生きる者」とされています。人間は息をしながら生きる存在であり、「息」は、ヘブライ語では「霊」をも意味します。人間は、神の特別な恵みによって、他の動物とは違った尊い人格として造られています。「エデン」とは元来は地名ではなく、イスラエルでは「至福」という語と関連づけられ、「水が豊かにあるところ」(13・10)という意味で、「エデンの園」は、荒れ野の中のオアシスの意味で理解されていました(イザヤ51・3)。七十人訳(ヘブライ語からギリシャ語へ)は、園を「パラディソス」(楽園)と訳したが、この語は元々「柵や壁で囲んだ所」と言う意味のペルシア語に由来したものです。

 「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』」(2・15~17)

 神はエデンに園を造り、人をそこへ置き、耕作させ、守るようにされました。<善悪の知識の木>からは、決して食べてはならない、命じられました。<善悪の知識の木>の、<善悪>は「すべて」を意味し、「知る」ことは「できる」ことに通じるところから、「全知全能」すなわち神のようになることができるという意味になります。人間が他の動物とは違って、尊い人格、自由な主体として生きる者とされていることを示すのが、エデンの園の「禁断の木の実」です。禁断の木の実が人間だけに与えられていることこそ、人間が「自由な人格」として造られていることを知ることができるのです。人間は与えられた自由を用いて神に従うことも、神に背くことも出来るのであって、そのことが人間が自由な責任ある主体であることを示しています。<食べると必ず死んでしまう>のは、本来は<善悪の知識の木>ではなく、<命の木>の実のはずなので、元来は一本の木の物語で、あとから二本の木の物語に編集されたのではないかと推測されます。

「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。』……主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。』こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」(2・18、21-25)

    ミケランジェロ 「エヴァの創造」

 <独りでいるのは良くない>の<良くない>は、目的、理想などに照らしてみて「かなっていない」の意味です。人が本来共同体的人格として造られたものであることを物語っています。男だけでは真の人間の創造にはならないのです。<助ける者>も「助け合って生きる相手」のことであり、人を孤独から助けるのに最もふさわしいパートナーという意味で。人には、<彼に合う助ける者>、共存者、協力者が必要です。人間は本来神との関係の中で造られたものです。人間も男女が互いに向い合う人格的な関係が必要なのです。共同存在を本質としてる人間が他者との共同に入ることが出来ない悲惨は、罪の結果生まれたものです。人の<あばら骨>の一部で女を造ったとは、人間の愛情の座である胸からといことであり、男女とも同じ材料から造られたということです。機能の違いはあっても、男女の存在の平等性が言われています。<わたしの骨の骨、わたしの肉の肉>は、親密な共同体関係にあることを言い表します。<一体となる>は、肉体的な性関係だけではなく、人間の実存の全領域にかかわる共同体的一体性を意味しています。人と人との交わり、夫婦の関係についての素朴な表明がここでなさていま す。夫婦の関係が、親子の血縁関係よりも強いものとされています。「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」ここでの<恥>の感情は、性的羞恥心というよりも、むしろ<裸>と関連しており、自分や自分の弱さをそのまま相手にさらけ出して、お互いに裸であることを認め合えないような関係の欠如が「恥」という感情で表現されています。

 創世記の人間の創造、男女の創造神話は、科学以前の時代の産物でもないし、幼稚な思考の結果といったものではありません。そこには神話的表現を借りながら深い真理が語られているのです。人間存在のあるべき姿が示されています。それは現代人にとっても有益な神のみことばであることには変わりありません。

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「天国の礼拝に迎えられるキリスト教徒」 ヨハネの黙示録7章9~17節

2017-10-20 23:12:11 | キリスト教

                 ↑ 見者ヨハネの幻視した天上の礼拝(ヨハネの黙示録4章)

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

       日本キリスト教 富 谷 教 会    週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

   聖霊降臨節第21主日  2017年10月22日(日)  午後5時~5時50分

    礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

交読詩編   36(神に逆らう者に罪が語りかけるが)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)   ヨハネの黙示録7章9~17節 (p.460)

説  教    「天国の礼拝に迎えられるキリスト教徒」 辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   390(主は教会の基となり) 

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏  

          次週礼拝 10月29日(日)  午後5時~5時50分

           聖書   創世記2章4b~9、15~25節

           説教     「創造」

           讃美歌(21)227 6 24 交読詩編19篇 

  本日の聖書 ヨハネの黙示録7章9~17節

  9この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 10大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」 11また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、 12こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」 13すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」 14そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。 15それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。 16彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。 17玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」

      本日の説教

 人類救済の歴史を記すために、旧約聖書は創世記の天地創造から始めます。それに呼応して、新約聖書が記す救いの歴史は、ヨハネの黙示録の世の終末と新天新地の出現をもって終わります。黙示録は聖霊に満たされた預言者ヨハネの幻視による壮大な終末の描写です。世の終わりに来臨する勝利の君、さばき主・キリストはサタンと最後の決戦をして、神の国を来たらせます。黙示録にえがかれているのは、世の終わりに起こる神の審判と、神の完全な支配です。黙示録は神の秘密を解き明かす文書です。黙示文学に特有なシンボルや奇異な視覚的表現が用いてられているのは、キリスト教徒を迫害する圧制の中では、ローマ帝国に対する神の裁きをあからさまに言えないからなのです。この黙示録では、キリストを小羊という言葉で表現しています。また、破滅するローマの都をバビロンという言葉で表現しています。

 第一世紀の終わり頃、ローマ帝国の属州であったアジア州(トルコ)の諸教会は、紀元95年頃、ドミティアヌステ帝の時に行われたキリスト教の迫害によって、殉教者が出始めました。教会内部でも偽りの使徒により内部分裂の危機にさらされていました。福音宣教のためにパトモスの島に流刑の身となっていた見者ヨハネは、キリストの再臨と勝利、この世の終末と神の国の完成を告げて、殉教の危機にさらされている諸教会と信徒を激励し、忍耐をもって信仰を守り抜かせるために、書いたのが黙示録です。

 黙示録の構成は、次のようになっています。

  1章 初めの言葉 七つの教会へのあいさつ ヨハネへの啓示が示された顛末(天上におられるキリストの姿)

  2章-3章 七つの教会へのメッセージ(エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキア)

  4章-5章  天上の礼拝と巻物を開く小羊

  6章-8章5節 六つの封印が開かれる-災いをもたらす色々の馬が現れる    神の刻印を押されたイスラエルの子ら    白い衣を着た大群衆 第七の封印が開かれる 

 8章6節-11章19節 天使のラッパと災い 天使が巻物を渡す 二人の証人 第七の 天使がラッパを吹く(天の神殿が開かれる)

 12章-14章 天の戦い(女と竜-神の民を迫害する)、二匹の獣 十四万四千人の歌、三人の天使のことば、鎌が地に投げ入れられる

 15章-16章 最後の七つの災い-七人の天使が七つの鉢から神の怒りをぶちまける 神の怒りが極みに達する 

 17・18章 大淫婦の裁きとバビロンの滅亡

 19章1-10節 天における礼拝 子羊の婚宴

 19章11節-20章 キリストの千年の統治の開始、サタンと人々の裁き 白馬の騎手の君臨 千年間の支配(千年王国)サタンの敗北 最後の裁き

 21章 新らしい天と新しい地 新しいエルサレム

 22章1-5節 神と子羊の玉座からいのちの水の川が流れる

 22章6-21節 全体の結び キリストの再臨 警告

  

    4章と5章には、見者ヨハネが見た天上の光景が一つの劇のように描かれています。これは聖霊によってがヨハネが幻視した礼拝の劇(ドラマ)です。

 天上に神の玉座があり、その玉座の座っている方がおられた。玉座の周りに二十四の座があって、頭の金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。玉座の前には七つのともしびが燃えていた。これは神の七つの霊である。玉座の周りには四つの生き物がいた。獅子のようなもの、若い雄牛のようなもの、人間の顔のようなもの、鷲のようなものがいた。それぞれ六つの翼があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく、神をほめたたえていた。二十四人の長老はひれ伏して礼拝し、冠を玉座の前に投げ出した。玉座にいる方の右の手に巻物が見えた。巻物は七つの封印で堅く封じられていた。七つの封印を開いて、巻物を開くことができるのは神の小羊(キリスト)です。小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。6章は、小羊が六つの封印の一つを開く場面です。その封印が次々に開かれて行った。白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬が現れた。恐るべき審判の光景が次々に現れた。す殉教者の一人一人には白い衣が与えられ、待つように言われた。大地震がおきました。神と小羊の怒りの大いなる日が来たので、地上に人々は恐れて隠れました。

 7章1~17節は、礼拝劇の中の幕間劇です。7章の1節から8節には、イスラエルの十二部族の中から選ばれた神の僕たちが、天使によって、神のさばきから守られるために神の刻印を押されました。刻印を押された人々の数は、十四万四千人でした。

  そして、今日の聖書の箇所である7章9~17節に入ります。

  

   「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(7・9~10)

 世界の民の中から集まった大群衆が白い衣を身に着け、手にナツメヤシの枝を持ち、王座と小羊の前に集まりました。<白い衣>は、勝利を得る者、殉教者に与えられるものです(3・5、6・9~11)。<なつめやしの枝>も<白い衣>と同様に勝利や賛美の形容で、キリストのエルサレム入場を迎える群衆の如く、喜びを象徴しています。彼らは、大声で<救いは……神と小羊とのものである>と叫びました。救いと勝利の信仰は、神とキリストから与えられると彼らは大声で賛美したのです。

 「また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」(7・11~12)

 5章2節では、キリストに対する賛美でしたが、ここは神に対する賛美がなされました。ここには、5章の「富」の代わりに、「感謝」が神にあるようにと賛美しました。<アーメン>で始まり、<アーメン>で終わる神への賛美でした。

 「すると、長老の一人がわたしに問いかけた。『この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。』そこで、わたしが、『わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです』と答えると、長老はまた、わたしに言った。『彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。』」(7・13~14)

 白い衣を着た人々が、殉教者(6・9~11参照)であり、信仰の勝利者であり、あらゆる国々から来たことは既に言われていました。二十四人の長老の一人の質問は、より詳しく述べるための会話を効果的に使ったのです。「あなたの方がご存知のはずです」と言われ、「彼らは<大きな苦難を通って来た者>で、その衣を<小羊の血で洗って白くした>のである」と長老は言いました。彼らは、キリストの十字架によって、罪が赦され、迫害や偶像礼拝を克服した者たちです。彼らは、終わりの日に臨む苦難を乗り越え信仰の勝利者です(黙1・4~5)。

 「『それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。』」(7・15~17)

 それゆえ彼らは、神の王座の前で、<昼も夜もその神殿で神に仕える>のです。黙示録22・3~5の<神の僕たちは神を礼拝し……もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない>と平行する言葉です。王座に座っている方が、この者達の上に<幕屋を張る>は、黙21・3では、<神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み…>と記しています。彼らは<飢え、渇き、太陽、暑さに苦しむことはもはやなく、彼らは命の水へ導かれる>。この賛美の歌詞はイザヤ書49・10に基づいています。<命の水の泉へ導き>とある牧者像の背景は詩篇23・2にあります。殉教者、信仰の勝利者に対して、神が<彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる>と黙21・4にも記されています。刻印を押された<十四万四千人>のイスラエル人と白い衣の異邦人の大群衆、この二つの場面は、21、22章になって述べる救いの完成の場面と類似しています。見者ヨハネは第6と第7の封印の場面の間に。苦難と災いに打ち勝った勝利の賛美・礼拝のドラマを見ました。ヨハネを自称する著者は、迫害下にあって苦しむキリスト教徒の信仰を励まし続けた牧会者です。

 今日の聖書の箇所の礼拝の光景は、迫害に耐えた信仰者や殉教者が、天上の礼拝に迎えられ、神とキリスト共に、永遠の命に生きることができることを約束していることから、キリスト教徒にとっては大きな慰めであり、励ましとなる御言葉です。黙示録の最後に記されている主イエスの言葉は、「然り、わたしはすぐ来る。」です。わたしたちも、それに応えて、「アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙22・20)と言いましょう。 「マラナ・タ(アラム語:<主よ・来てください>の意)(第1コリント16:22) 。

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「信仰による生涯」 ヘブライ人への手紙11章17~22、29~31節

2017-10-13 15:16:04 | キリスト教

     ↑ レンブラント・ファン・レイン イサクの犠牲 1635年頃
(The Angel Stopping Abraham from Sacrificing Isaac to God)
  193×133cm | 油彩・画布 | エルミタージュ美術館 

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本キリスト教 富 谷 教 会   週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

    聖霊降臨節第20主日  2017年10月15日(日)   午後5時~5時50分

    礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 461(みめぐみゆたけき)

交読詩編   33(主に従う人よ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳)ヘブライ人への手紙11章17~22、29~31(p.415)

説  教    「信仰による生涯」    辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   411(うたがい迷いの)

聖餐式    72(まごころもて)  

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏  

           次週礼拝 10月22日(日)  午後5時~5時50分

              聖書   黙示録7章9~17節

              説教   「天国に市民権をもつ者」

              讃美歌(21)355 230 24 交読詩編36篇 

本日の聖書 ヘブライ人への手紙11章17~22、29~31

  17信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 18この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 19アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。 20信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。 21信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。 22信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。 ………29信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。 30信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。 31信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。

   本日の説教

 次の【 】の部分は、説教では省略してもよい。ヘブライの手紙についての解説です。

 【この文書は手紙とされていますが、手紙につきものの最初の挨拶がなく、本書の最後(13・22以下)に手紙のような挨拶の部分はありますが、これは後から特定の教会に送るために付加されたものです。13章22節に、「以上のような勧めの言葉を受け入れてください」とあるので、この文書は手紙というよりも、著者によってなされたいくつかの論説や説教を文書の形にまとめたものと思われます。

  ヘブライ人への手紙という名称から、ヘブライ人に宛てられた手紙となっていますが、ヘブライ人とは、ユダヤ人を指す古い呼び名です。しかし必ずしも必ずしもパレスチナのユダヤ人キリスト者たちではなく、13・24の<イタリア出身の人たち>という句からイタリアないしローマの地域のユダヤ人キリスト者を予想させます。迫害に際しての忍耐をすすめている点などから、おそらく離散したユダヤ人キリスト者たちがいるローマの集会に宛てて書かれたものと見る味方が有力です。ローマではユダヤ人信徒と異邦人信徒が混在していました。<ヘブライ人への手紙>という名称は、後になってから、その内容から察してつけられた名です。 

  この書は、長い間パウロの書簡とされてきましたが、近代の研究では、バルナバ(キプロス島出身のユダヤ人)やアポロ(アレキサンドリア出身のユダヤ人)、プリスキラ(ローマを退去してコリント、そしてエフェスに移住した、アクラの妻で、ポントス(現在のトルコの黒海に近い町)生まれのユダヤ人といった人物を著者とする説が有力ですが、明らかではありません。

  著者は旧約聖書に深い理解をもち、教養の高い、ギリシャ語を用いる外国に住むユダヤ人であると思われます。著者はテモテを知っており(13・23)、パウロの信仰を継承しています。執筆年代は、ネロの迫害(64年)の経験が言及されていますし(10・32~34)、しかも新たな迫害[ドミティアヌ帝(在位81~96年)の迫害]が近づき、再臨の希望が失われ、聖霊の働きもあまり見られないところから、一世紀末が考えられ、80~90年頃と推定されます。執筆の場所としては、エフェソあたりが最も可能性が高いとされています。

  執筆の事情については、次のようなことが考えられます。宛先の教会の人たちが、信仰に入った初めの頃は<苦しい大きな戦いによく耐えた>(10・32)のですが、その後の信仰生活の中で、彼らの中には、集会から離れ(10・25)、異なった教えに迷わされ(13・9)、みだらな生活に陥る(13・4)者たちも出たので、このような危機的な状況を知った、かつてこの集会の指導者であった著者が、新たな迫害に備えて、この勧告の手紙を書き送ったと推定されます。

  ヘブライ人への手紙は、最後の添え書きを別にすると、三つの主要な勧告(説教)から成り立っています。第一部は「神の言葉をめぐっての教理と勧告」(1・1~4・13)、第二部は「信仰告白をしっかり守り、神の恵みの座に近づこうという勧告」(4・14~10・31)、第三部は「信仰による忍耐の必要」(10・32~13.21)、勧告の形で述べられます。】

  今日の聖書の箇所は、信仰による忍耐ということが旧約聖書の信仰の英雄の例を通して述べられます。

 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。」(ヘブライ11・17)

  アブラハムはイスラエルの父と言われる族長です。アブラハムの名は、創世記11章26節から現れ、12章1節からアブラハムの召命が始まります。へブライ人の手紙11章17節と18節には、アブラハムが息子イサクを犠牲として神に献げるように言われ、大きな信仰の試練を受けたときのことが記されています。この試練を受ける時までの、経過は次のようになります。

  アブラハムの妻サライは不妊の女性で、子供ができなかったので、サライはエジプト人の女奴隷ハガルを、アブラハムの側女(そばめ)としました。ハガルは自分が身ごもったのを知ると、女主人サライを軽んじるようになりました。ハガルが男の子イシュマエルを産んだのは、アブラハムが八十六歳のときでした。

 アブラハムが百歳、妻サライが九十歳の時、神はアブラハムに、妻の名前をサラにするようにと言われ、彼女を祝福して、彼女によってあなたに男の子を与えよう。諸民族の王となる者たちが彼女から出る、と約束されたのです。神が約束されたように、サラは男の子を産み、アブラハムはその子をイサクと名付けました。

 イサクが幼少のとき、十四歳年上のイシュマエルが、イサクをからかっているのを、母のサラは見て、夫アブラハムにイシュマエルを後継ぎにしないように訴えました。どちらも自分の子であったアブラハムは非常に苦しみました。そのとき、神はアブラハムに、「苦しまなくともよい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる」(創世記21・12)。「イシュマエルも一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」と言われました。

 これらのことの後で、神はアブラハムを試そうとされました(創世記22・1)。神はアブラハムに、「あなたの息子、愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行き、命じる山に山に登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と命じたのです。この試練を受けたとき、アブラハムは神のお言葉に従い、信仰によってイサクを献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」とアブラハムは神の約束を受けていました。この約束を受けていたアブラハムが、独り子を献げようとしたのです。

 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。」(11・19)

  アブラハムはイサクを縛って祭壇の薪の上に載せ、刃物を取り、息子を屠ろうとしたとき、天から主の御使いが現れ、「その子に手を下すな。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」と言われたのです。

  19節は、アブラハムは、イサクが死んだとしても、神は生き返らすことが出来ると信じて、イサクを献げたという解釈がなされています。そこから、アブラハムが復活の信仰をもっていた、というように思われています。しかし、原典の言葉から推察すると、そうとは言えないのです。「それは死者の中から返してもらったも同然です」という共同訳聖書の訳文ですが、原典には、<死者の中から>という言葉はありません。ヘブライ語原典では、「そこから彼をまた比喩で(たとえのかたちで)受けとったからです」となっています。燔祭にささげ死んだものとして、イサクをまた受け取ったからです、という意味になります。<比喩として>とは、実際には、燔祭に献げられたわけではないが、燔祭に献げて死んたものとして、イサクを、再びアブラハムは受け取った、ということです。生まれそうにないイサクをアブラハムは、かつて受け取ったし、今再び、いったん神に献げ、死んだも同然のイサクをまた受け取ったということです。アブラハムは「永遠の神」(21・33)を信じました。そして神の約束は必ず実現すると信じたのです。イサクを燔祭として献げることは、アブラハムにとって、神が約束された子孫を失うことになります。アブラハムの未来が閉ざされるこの苛酷な試練の中においても、神の約束は必ず実現するとアブラハムは信じたのです。そしてたとえ死んでもイサクは生かされると信じたのです。それがアブラハムの生存中であろう、なかろうと、あるいはまたアブラハムの死後何千年後であろうと。とすると、必ずしもアブラハムは復活信仰を意味していることにはなりません。パウロは、「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ」(ローマ4・17)と言っています。しかしこの復活信仰の理由づけは、創世記のオリジナルな意図を超えていると言えます。

 「信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。」(20節)

 イサクの二人の息子エサウとヤコブへの祝福です。エサウが兄で、ヤコブは弟です。弟のヤコブが父イサクから、長子相続権の祝福を受けるのです。ヤコブが長子エサウをだまし、長子相続権を得たことなどには言及されていません。

  ヤコブのための祝福とは、彼の子孫が地上で祝福を受けるのみでなく、その中からメシアが現れ、すべての民がこれに仕えるであろうというものです(創世記27・28~29)。これに対してエサウに対する祝福というのは、その子孫が地上での自然の恵みに浴せず、砂漠に住み、戦争を好む民となり、ヤコブに支配された後、解放されるというものでした(創世記27・39~40)。エサウの場合は、祝福とは言い難く、将来のことをアブラハムは言ったのです。ヤコブの祝福は、神の自由な選びによるものでした。

 信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。」(21節)

 ヨセフは、ヤコブの12人の男の子達の11番目の息子です。父ヤコブはヨセフをかわいがったので、兄たちの嫉妬をかい、兄達によってエジプトに行く隊商に奴隷として売られてしまいました。しかしヨセフはエジプトで成功し高官の地位を得ました。父や兄弟たちが住んでいる地が、飢饉で食料が尽きたとき、父ヤコブ一家は、ヨセフを頼ってエジプトに移住しました(創世記46章)。紀元前1720~1550年の頃です。

  21節は創世記48章によっています。ここで言われている<ヨセフの息子たち>とは、エジプト生まれのマナセとエフライムのことです。ヤコブはその両手を交差した、右手を弟のエフライムにおき、左手を長男のマナセにおくという不自然な仕方において祝福したのです。ここでも弟マナセの方が右の手によって祝福されています(創世記48・13~15)。神の不思議な摂理、自由な選びが記されています。

 <杖の先に寄りかかって神を礼拝しました>は、七十人訳の創世記47章31節によったものです。<床にかしらで礼拝した>という訳がヘブライ語原典の訳です。これを共同訳では<寝台の枕もとで礼拝した>と意訳しています。<杖の先に寄りかかって>は、ヘブライ語聖書からギリシャ語聖書に訳した七十人訳によるもので、訳者が発音の似ている杖と床とを入れ替えたものと思われます。これは、ヤコブの身体の弱さのしるしではなく、信仰的祈りの表現のようです。

 信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。」(22節)

 族長たちの信仰の最後は、ヨセフの信仰についてです。ヨセフも信仰において未来を見ていました。22節は、ヨセフの死に際しての言葉(創世記50・24~25)を採用しています。ヨセフの言葉は、神がイスラエルをエジプトから導き出す、<脱出>、いわゆる出エジプトの出来事に言及しています。

 ヨセフはエジプトで成功し高官の地位を得ましたが、そのことに満足することが出来ず、神がアブラハムに与えられた約束の地カナンをいつも望み見ていました。それゆえ死に臨んで、その子らにやがて約束の地に向かって出発すべき時の来ることを語り、その際自分の遺骨を携行すべきことを指示しました。モーセはヨセフの遺骨を荒れ野の旅で携え、その遺骨は、モーセの後継者ヨシュアの死後、イスラエルの人々によってシケムに埋葬されました(ヨシュア記24・32)。

 信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました。」(29節)

  29節は、出エジプト記14章1~31節によると、葦の海での奇跡的な神による救出が伝えられています。モーセの指導のもと、イスラエルの民がエジプト脱出のした時代は紀元前1280~1230年の頃です。<紅海>を渡るに際して、モーセの信仰は彼の率いる全イスラエルの信仰となりました。イスラエルの民が絶対絶命の危急に立たされたとき、神が救いの業をなされ、エジプトからの解放をなしとげられたのです。ここで起こった奇跡は彼らの<信仰による>ものであったと言われます。イスラエルはモーセを通して神の命令を受け、それに全く信頼したのです。

 「信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。」(30節)

 エリコの占領については、ヨシュア記6・1~20に記されています。イスラエルの民はモーセに率いられて、神の約束の地、カナン(現在のパレスチナ)を目指し、シナイ半島の荒れ野を40年かけて旅を続け、やっと目的地の目前のヨルダン川近くまでたどり着きました。そこからは、モーセの後継者ヨシュアに率いられて、カナンに入りました。紀元前1250年頃のことです。

 最初に遭遇したのはエリコの先住民と戦いでした。エリコはイスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしていました。主はヨシュアに、「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨(とき)の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい」と言われました。ヨシュアは祭司たちた、民に、神に言われたように命じました。イスラエルには不可能としか思えなかった<エリコの城壁>が<崩れ落ち>たのは、ヨシュアと彼に従ったイスラエルの民が神の命令を聞き、その通りに行動した<信仰>のゆえでした。

 「信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、不従順な者たちと一緒に殺されなくて済みました。」(31節)

 <娼婦ラハブ>については、ヨシュア記2章1~24に記されています。ヨシュアの命により派遣され、エリコの<様子を探りに来た者たち>、すなわちイスラエルの二人の斥候を、ラハブは親切に、<迎え入れ>ました。そして、エリコの王が遣わした追手から、二人をかくまい、命を助けたのです。このことはラハブが斥候に対して、「主がこの土地をあなたたちに与えられた」と言っていることから、ラハブが「イスラエルの神が真の天地の主であられることを告白したことと解されています。新約聖書のヤコブ書では、彼女がその行いにのゆえに、<義とされた>と述べています(ヤコブ書2・25)。それに応えて、ヨシュアはエリコを占領したとき、遊女ラハブとその一族を避難させ、救い出したのです(ヨシュア記6・22~25)。

 今日の聖書の箇所には、神の民とされたイスラエルの最初の族長時代に登場した、①アブラハム、②イサク、③ヤコブ、④ヨセフ、⑤モーセ、⑥ヨシュアの物語の一部が記されています。信仰生活を全うした旧約聖書の人物たちです。信仰の歴史を教えて、いっそうの励ましを与えるためであり、その模範に倣うように勧めています。これらの信仰の先達たちは、その信仰のゆえに、神に認められたのです。

 ヘブライ人への手紙を受け取った教会の人たちは、福音を受け入れて信仰の闘いに良く耐えた時を一度は持っていますが、その後信仰の成長がほとんど見られず、信仰の危機という新しい困難な状況にありました。著者は近づいてくる迫害を念頭において、忍耐して信仰の歩みにかたく立つことを勧めています。神が語られた約束の言葉を受け入れ、その実現に信頼して希望を失わず、信仰の歩みを続けた旧約聖書の先人たちの姿は、この手紙を受け取る人々に求めらえている信仰の姿と共通し、この旅人の信仰という点において深くつながっています。最後に、著者はイエス・キリストによって与えられ実現された救いの完成を信じて励む課題の重要さを強く説いています。ここに「すでに」と「まだ」との間におかれつつ、今ここにおける神の救いの業を受け入れ、自らの足をもって新しく踏み出す責任が指し示されるのです。わたしたちの信仰生活は、キリストによる神の恵みを、聖霊の導きによって体験的に理解して行く歩みと言えます。

 

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「働きたくない者は、食べてはならない。」 テサロニケの信徒への手紙二、3章6~13節

2017-10-05 01:36:06 | キリスト教

   ↑ カール・ハインリッヒ・ブロッホ(デンマークの画家)「安息日に、ベトザタの池で病人を癒すイエス」1883年

  981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

   日本キリスト教 富 谷 教 会   週 報

年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』

聖句 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)

    聖霊降臨節第19主日  2017年10月8日(日)  午後5時~5時50分

   礼 拝 順 序

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 155(山べにむかいて)

交読詩編   90(主よ、あなたは代々に)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書(新共同訳) テサロニケの信徒への手紙二、3章6~13節(p.382)

説  教   「働きたくない者は、食べてはならない。」   辺見宗邦牧師

祈 祷         

讃美歌   411(うたがい迷いの)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏  

           次週礼拝 10月15日(日)  午後5時~5時50分

            聖書  ヘブライ人への手紙11章17~22、29~31

            説教   「信仰による生涯」

            讃美歌(21)261 355 24 交読詩編31篇 

 本日の聖書 テサロニケの信徒への手紙二、3章6~13節

  6兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。 7あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。 8また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。 9援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。 10実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 11ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。 12そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。 13そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。

   本日の説教

 新約聖書には27の文書が含まれていますが、そのうちの約半分にあたる13文書が使徒パウロによって書かれた、いわゆるパウロ書簡と呼ばれるものです。パウロが書き残した13の書簡は、「パウロの真正書簡」と、パウロの名を借りた書簡とがあります。パウロが著者であることに疑問が残る6つの書簡エフェソ、コロサイ、テサロニケ二、テモテ一・二、テトス)は、パウロの名を借りて書かれた書簡です。これらの手紙を疑似書簡、またはパウロ第二書簡という呼び方もあります。これに対してパウロが著者であることに疑問がない7書簡ローマ、コリント一・二、ガラテヤ、フィリピ、テサロニケ一、フィレモン)は真正書簡です。

 しかし、「パウロの疑似書簡」の中には、「テサロニケの信徒への手紙二」のように「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します」等と、いかにもパウロが書いたと思わせる文面を持つ書簡もありますが(3・17参照)、それでも文体・用語・内容などから、「パウロの疑似書簡」と呼ばれるのです。

 たとえパウロが書いたものではないことが証明されたとしても、「パウロの疑似書簡」は、正典とされたものであり、キリスト者にとって聖なる神のことばの書であることには変わりありません。

 ここで、パウロ書簡の他の分類方法は、次のようになります。

「四大書簡」―名称が示すとおり、内容的にも長さの面からも、パウロ書簡の中心となる重要な書簡です。ローマ、コリント一、コリント二、ガラテヤの4書簡です。

「獄中書簡」―パウロが獄中で書いたと言われる、エフェソ、コロサイ、フィリピフィレモンの4書簡です。これらの手紙には、パウロが獄中で記したことを示す箇所が含まれています(エフェソ6・20、フィリピ1・13など参照)。

「牧会書簡」―牧会者たちに宛てて書かれた、テモテ一、テモテ二、テトス3書簡です。

  テサロニケの信徒への手紙一は、紀元50~52年にパウロがギリシアのコリントに滞在中,マケドニアのテサロニケ教会にあてて書いた新約聖書中最古の文書です。テサロニケの信徒を励まし勧告する内容ですが,注目すべきことに,パウロはみずからこの世へのキリストの再臨の起こる終末の時まで生き残るという確信を表明しています(4:13以下)。

 テサロニケの信徒への手紙二は、手紙一の内容を受け継ぐ形で展開されていますが、用語や特に終末論の違いがあります。この手紙二は、迫害と苦難に直面しながらキリストの再臨を不安と緊張のうちに待っている教会に対して、終末の出来事がどのようにして起こるのかを説明し、信徒は無用な混乱を引き起こすことなく落ち着いて日常生活の仕事を続けるようにと勧告している書簡です。この書簡はパウロの宣教活動を継承したシルワノやテモテが、紀元70~80年間に書いたという見解などがあります。

 テサロニケの信徒への手紙二、3章6~13節は、パウロがかつてテサロニケを訪問した際、信徒たちにキリスト者の日常生活について教え(テサロニケ一、4・11)また、書き記しました(5・14)。しかし、彼らの中には誤った終末信仰によって怠惰な生活をしている者がいるとの情報を得たので、パウロはふたたびその教えを厳しい調子でここに繰り返します。だがこの勧告は誤った少数者だけに対するものではなく、それが教会全体の問題でもあることを強調します(3・1)。

 「兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。」(3章6節)

 テサロニケの教会は、もう終末も近いから、働く必要はないとばかり、遊んで暮らし、ひとの世話になる厄介者がいました。労働に対する軽蔑の気持ちをもっていたと思われます。パウロは、<兄弟たち>と呼びかけ、<主イエス・キリストの名によって>命じます。主の権威によるきびしい命令です。この勧告は誤った少数者だけに対するものではなく、それが教会全体の問題であることを強調します。パウロは、シルワノやテモテも自分と同じように主の権威を授けられた使徒として、<わたしたちは>命じる、と言っています。

 パウロはテサロニケ滞在中は言葉で、去った後は手紙で示した正しい教理と倫理的規律に従わないでいるすべての兄弟を<避けなさい>、と命じました。テサロニケ一、5・14では、<怠けている者たちを戒めなさい>とあるが、ここでは言葉だけでなく、行動をもって戒め、反省改心の機会を与えるように勧めています。<避けなさい>とは破門して関係を断てというのではなく、怠惰な者たちに食事を与えたり世話をしたりして甘やかせるなということです。基本的には彼らも<兄弟>として扱わねばならないが、態度で警告すべきなのです(3・15)。これは当時の状況における具体的な教えであって、この教えを今日の原則とすることは危険です。

 「あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。」(7節)

 パウロは誤りを正すために、自分が示した模範を思い出させます。<わたしたちにどのように倣えばよいか>とは、テサロニケの信徒たちがパウロたちや主イエスに倣って、おそらく、彼らが苦難の中で福音を受け入れ、イエスの命令い従ってキリストの受難とパウロたちの宣教の苦難に参与する生活をすることを指すのでしょう。パウロたち指導者はサロニケ滞在中は、怠惰の生活をしなかったことを思い出させ、同じような生活態度を信徒にも要求します。

 「また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。」(8節)

 福音宣教のために働く者は、それによって生活してもよいと主イエスも教え(マタイ10・10)、パウロもその原則を認めていました(コリント1、9・14)。だが労働を軽んじるギリシャ人の間では特に注意し、そのためテサロケではパウロたちはテント作りの仕事をして、いわゆる自給伝道を続けたたのです。だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。ヤソンの家にとどまっていたときも(使徒言行録17・7)、滞在費をきちんと支払っていたように思われます。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。<働き続けた>には、生活費をかせいでいたというだけでなく、また宣教にためにも働いていたという意味もこめられています。

 「援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。」(9節)

 本来なら、教会からの報酬や援助を受ける権利があったのに、あなたがたがわたしたちに見習うように、わたしたちは自分自身を模範として差し出したのです、強い表現が用いられています。<身をもって模範を示す>は、直訳は「自分自身を模範として差し出す」とことで、強い表現が用いられています。

 「実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、『働きたくない者は、食べてはならない』と命じていました。」(10節)

 教会の規律を管理する者としてパウロは言葉でもはっきりと<働きたくない者は、食べてはならない>と命じていました。このしばしば用いられる文章はその本来の背景においては単に教会による慈善事業を健全に運営するための方針を述べたものに過ぎません。働くことのできるテサロニケ教会の会員は彼が自分の労働をもってキリスト者の群れの財源に寄与しているのでなかったならば、教会に備えられた共済基金から生活の資を受けることは許されませんでした。わたしたちは人間としての存在を保つために必要物を自ら支給しなければなりません。そのためには働かなければなりません。この聖霊の命令の背後には、怠惰が、創造以来働き続け給う神と救いのために人となって労苦した救い主イエスに対する冒涜であるという真理が存在することを忘れてはなりません。主イエスは、エルサレムの羊の門のそばにあったベトザタの池の回廊で、38年もの長い間、病気で苦しんでいる人を癒したとき、その日が安息日であったので、ユダヤ人たちに律法を犯したとして迫害されました。そのとき、イエスは、『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ』(ヨハネ5・17)とお答えになりました。安息日が本当の安息の日として祝われるために、主イエスは安息日にも働かれたのです。

 労働を奴隷の仕事と考えたギリシャ人に比べてヘブライ人たちは伝統的に労働を重視しました。<働きたくない者は、食べてはならない>は、ヘブライ思想の労働観を初代教会が継承して生み出した信徒教育的教訓であったと思われます。これは労働を神聖視しているというより、働く意志を強調しているが、働かない者は共同体の重荷となりその生活を脅かし、また宣教活動の妨げになっているのでしょう。これは原理化してキリスト教社会倫理の原則とすることには慎重でなければなりません。

 「ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。」(11節)

 <聞くところによると>は、パウロがだれからその情報を得たのかは不明です。しかし怠惰な生活をしている者たちが少数者であったことは推測できます。なぜなら、<あなたがたの中には>と彼らにまず直接訴えることをしないで、むしろ教会員全体に状況を確認しているからです。彼らが具体的にどのような<余計なこと>をしていたのかは記されていないが、教会や他人の生活に干渉して迷惑をかけていたことは容易に考えられます。

 「そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。」(12節)

 教会内の多数者に語りかけた後、そうした生活をしている人々に忠告します。<主イエス・キリストに結ばれた者として>と、兄弟愛による勧告の意味合いを出しています。彼らに対しては自立の精神と平常心が説かれています。

 「そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。」(13節)

 <そして、兄弟たち>と今度は再度教会内の多数者に向かって、<あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい>と説きます。一部の怠惰な者のために迷惑を蒙っている真面目で勤勉な信者たちに、怠惰の者はどうあろうと、あなたがたは、嫌気をおこさず、信仰の働きと愛の労苦(テサロニケ一、1・3)を続けるように勧めています。

 「働きたくない者は、食べてはならない。」このことばは、後のキリスト教徒の職業観・労働観に広く影響したものであり、「働かざる者食うべからず」という表現が広く知られる元となりました。ここで書かれている「働きたくない者」とは、つまり「怠惰な」者とは、あくまでも「正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたない人のことであって、働くことを拒み、それを日常の態度としている」者のことです。

 3章15節には、「その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい」とあります。誠意を尽くして訓戒することが大切です。そのような兄弟に対して批判的、高圧的になり、さらに傲慢になって、信仰者の平和のきずなが断たれてしまうようなことは避けなければなりません。それは主にみ心ではありません。もちろん、病気や障害によって働きたくても働けない人や非自発的失業者を切り捨てるようなことばではありません。

 旧約聖書の創世記によると、アダムの犯した罪により、土は呪われるものになり、アダムは生涯食べ物を得ようと苦しむことになり、労働は、「額に汗を流してパンを得る」ためであり、塵にすぎない者として「塵に返る」ときまでの苦しいものになりました。しかし、新約聖書によれば、わたしたちの罪はイエス・キリストによって償われ、わたしたちはきよい者とされたのです。労働は新しい意味をもちます。労働は神の創造の業に参画することになったのです。キリストがご自身のからだで、わたしたちをあがない、愛に生きられたので、わたしたちもそれにならうべきものとなったのです。労苦して他者のために、愛のために働くべきものとなったのです。労働や職業は、人間が自立する道であり、また他者を愛するためなのです。「主に結ばれているなら、決して労苦は無駄にならない」のです(コリント一、15・58)。

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