
↑ ガウデンツィオ・フェラーリ『キリストの磔刑』『キリストの生涯と受難の物語』(部分)(1513年、フレスコ画、ヴァラッロ、サンタ・マリア・デル・グラツィエ聖堂所蔵)
絵画の解説:稲川保明(カトリック東京教区司祭)
(1)イエスを取り囲むようにたくさんの天使たちが描かれています。ある天使は泣き、顔を覆って見るに堪えないほどの嘆きのポーズを示しています。イエスの広げた両手の近くにも、杯を差し出し、イエスの胸、あるいは手から流れる血を受け止めている天使がいます。
(2)しかし、イエスの左右にいる、十字架にかけられた盗賊たちの頭上にも天使と悪魔が描かれています。イエスの右(私たちから見て左側)の盗賊の頭上には、無垢な魂を表す幼子が天使によって天へと運ばれる様子が描かれており、この盗賊は安らかな顔つきでお辞儀しているような姿をしています。イエスの左(私たちから見て右側)にいる盗賊の上には、彼を踏みつけるような姿で悪魔が描かれており、回心することなくイエスを罵った盗賊の姿を表しています。この盗賊の顔は横に背けられて、イエスを見ようとせず、絵の前に立つ人々の方に視線を向けているように見えます。
(3)白い馬が2頭描かれていますが、右側の馬の前で、両手を大きく広げて十字架を仰ぎ見ているのが使徒ヨハネであるといわれています。また左側の下部には悲しみのあまり気を失ってしまっている聖母マリアと、聖母を抱きかかえる女性たちの姿が描かれています。そして、イエスの十字架の根本にいるのがマグダラのマリアです。
(4)右側の一番下の部分にはサイコロを振って、分け前を決めようとしている兵士たちの姿が描かれており、十字架という救いの出来事よりも利益に心を奪われている様子が風刺のように描かれています。
(5)まるで戦場の混乱の中にいるような十字架の周囲ですが、多くの人がやはりイエスの十字架を見つめようと上を向いている姿で描かれています。
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日本福音教団 富谷教会週報
受難節第6主日2025年4月13日(日)午後3時~3時50分
礼 拝 順 序
司 会 斎藤 美保姉
演 奏 辺見トモ子姉
讃美歌 449(千歳の岩よ)
交読詩篇 118:19-29(恵み深い主に感謝せよ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)マタイによる福音書27章32-56節(新p.57) 説 教 「十字架への道」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 309(あがないの主に)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 4月20日(日)午後3時~3時50分
聖書 マタイによる福音書28章1~10節
説教 「キリストの復活」
讃美歌(21)325 327 24 交読詩編66:1-9
本日の聖書 マタイによる福音書27章32~56節
32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、 34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。 35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、 36そこに座って見張りをしていた。 37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。 39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、 40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」 41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。 42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」 44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。 48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 49ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。 50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、 52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。 53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。 56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
本日の説教
3月5日(水)から始まった受難節が、いよいよ最後の一週間の受難週に、今日4月13日(日)から入ります。
ヴィア・ドロローサに沿う14のステーション案内
1イエスが総督ピラトから死刑の宣告を受けた場所。
2イエスが十字架を負わされた場所 3イエスが最初に倒れた場所
4イエスが母マリアに出会った場所 5シモンが十字架を背負わされた場所
6ヴェロニカがイエスの顔を拭いた場所 7イエスが二度目に倒れた場所
8エルサレムの娘たちにイエスが語りかけた場所 9イエスが三度目に倒れた場所
10イエスが衣を脱がされた場所 11イエスが十字架につけられた場所
12イエスが息を引き取った場所
13十字架からイエスの遺体を下ろした場所 14イエスが葬られた場所
18日の金曜日、イエスは総督ピラトから死刑の判決を受け、ローマ兵に重い十字架の横棒を背負わされ、よろめき、倒れながら、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)を通って刑場に向かいます。約700メートルの曲がりくねった道です。シモンという名前のキレネ人(北アフリカの地中海に面した町出身)に出会ったので、イエスの十字架を無理に一緒に担がせました。
そして、刑場のゴルゴタという所(されこうべ〈白骨化した頭蓋骨〉の形の小山か?)に着くと、苦いものを混ぜた麻酔効果のあるぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされませんでした。
兵士たちはイエスを十字架につけると、死刑執行人の役得であったので、くじを引いてその衣類を剥ぎ取り分け合い、そこに座って見張りをしていました。
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げました。「ユダヤ人の王」を主張したことが政治犯としての罪状とされました。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられました。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながら(侮辱する仕草)、イエスをののしって、「神殿を打倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」と言いました。同じように、祭司長たちも、律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して、「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」と言いました。一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしりました。イエスは「神の子」の力を自己のために使うことを拒否し、神に信頼し、神の意志に従うために死の道を選んだのです。
昼の十二時になると、にわかに空が暗くなり地上が暗闇に包まれ、それが三時まで続きました。暗黒は悪の力の最後の時であり、神が終止符を打つしるしです。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。イエスが息を引き取った三時は、神殿において小羊を屠って捧げる時間です。
マルコによる福音書の「エロイ、エロイ」は、アラム語の直訳の形です。「エリ、エリ」はヘブライ語形に近づけて記しています。
そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいました。エリヤは終末においてメシアに先駆けて現れると期待されていた預言者です。生きたまま天に昇り、苦しむ人を助けると信じられていました。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとしました。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言いました。
しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られまました。そのとき、大祭司だけが年に一度民の贖罪のために入ることが許されている神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。これは、神殿の存在とそこで執行される様々な儀式がイエスの死によって意義を失ったこと、また祭司のみに許されていた特別の区域が消え、すべての人が神に近づくことができるようになったことを象徴的に示しています。
「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返りました。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れました。」キリストの死は、自然界全体と関係し、陰府にいる死人にまで影響を及ぼすことを示しています。これらは、終末において起こると期待されていたことが、イエスの死の瞬間に実現したのであって、死はすでに克服され、今やメシアの時、終末の時代に突入したことを表してます。
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた兵士たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と認めました。
またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていました。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々です。その中には、マグダラのマリア、イエスの兄弟たち(ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ)、姉妹たちの母(マタイ13:55-5)、マタイの母マリア、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネ)の母がいました。ヨハネを除いた男性の弟子たちは(ヨハネ19:26-27)、それぞれ逃げてしまいましたが、女性たちは最後までキリストに従い、立派に目撃証人としての役割を果たしたのです。
イエスが十字架上で語った最後のことばは、マタイもマルコも「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という一言ですが、四つの福音書を総合すると、七つのことばを語っています。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23:43)
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)
「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19:26、27)
「渇く。」(ヨハネ19:30)
「成し遂げられた(完了した)。」(ヨハネ19:30)
おそらく、イエスは、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」か、「成し遂げられた(完了した)」のことばを最後に語ったと思われます。
なぜイエスはこのような十字架の死への道を自分の道として選ばれたのでしょうか。「人の子がこの世にきたのは、多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである」(マルコ10:45)と言っておられます。神から離れている人間の罪に対する神の怒りを、一身に受けて、身代わりなり、神の刑罰より救い、わたしたちのために、神の恵みと義と永遠の命を与えるために十字架の道を歩まれたのです。その最後は実に壮絶な死でした。こうして、イエスは罪の贖いの業を成し遂げられたのです。
このイエスの贖いの業によって、私たちの罪が赦され、永遠の命を与えられたことを思うと、神の愛に感謝するほかありません。
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