富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「悪も善きに変えて救い給う神」 創世記50章15-21節

2013-11-24 23:52:55 | 礼拝説教

  はじめに、今日の聖書の箇所に至るまでの、ヨセフの生涯の荒筋を、お話しいたします。

   ヨセフの生涯は、創世記37章から始まりますが、その出生は、創世記30章22節に記されています。ヨセフは異国の地、ハランで、父ヤコブの11番目の男の子として、母ラケルから生まれました。 

  ヤコブは12人の子供たちの中で、ヨセフを特に可愛がりました。それはヨセフが、愛する妻ラケルの産んで子であり、ヤコブの「年寄り子」で、母に死なれた子だったからです。ヨセフだけが特別な裾の長い晴れ着を着せられたいました。この偏愛は腹違いの兄たちのヨセフに対する妬みと憎しみ生みました。

   ヨセフが17歳の時、兄たちによって宍に投げ込まれ、その後に、通りかかったミディアン人の商人に穴から引き上げられ、エジプトに下るイシュマエル人の隊商に売られてしまいました。

   エジプトへ連れてこられたヨセフは、ファラオ(エジプト王の尊称)の宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルに、奴隷として買い取られました。ヨセフは、自分の置かれた場で誠実に働いたので、主人に気に入られ、信任を得て、主人の全財産の管理まで任されるようになりました。主人の留守中、妻から言い寄られたヨセフは、それを拒絶しため、妻の恨みをうけ、妻が夫へ偽りの報告をしたため、ヨセフは監獄に入れられてしまいました。

   しかし、神はヨセフと共におられ、恵を施し、看守長の目にかなうようされたので、ヨセフは獄中の囚人を扱う仕事を任されるようになりました。ヨセフこの監獄で、エジプト王に過ちを犯して、投獄された給仕役の長と、料理役の長の、二人の見たふしぎな夢を解きました。このことが機縁となり、エジプト王の見た不思議な夢を、ヨセフが解くことになりました。エジプト王の見た夢は、これから七年大豊作が続き、その後七年飢饉が続くというものでした。

    ヨセフはファラオに、豊作の七年の間に、飢饉に備えて産物を備蓄するようにと進言しました。このヨセフの進言に感心したファラオは、聡明で知恵のあるヨセフを、エジプト全土を支配する司政者に任じました。このときヨセフは30歳でした。

  ヨセフが解いた夢のように、七年の大豊作のあと、七年の飢饉が始まりました。カナンの地も飢饉になり、エジプトに穀物があると知ったヤコブは、末の子ベニヤミンを残して10人のヨセフの兄たちを、穀物を買いにエジプトに遣わしました。

   エジプトに下って、ヨセフの前に現れた兄たちは、エジプトの司政者がヨセフだとは気付きませんでした。ヨセフは兄たちだと分かったのですが、自分の身を明かさず、兄たちをエジプトを探りにきた回し者だと決めつけ、その疑いを晴らすために、弟(ベニヤミン)を連れて来るように命じ、シメオンを人質にとり、穀物を与えて、兄たちをカナンに帰しました。

   飢饉が続き、ヤコブは仕方なく、ベニヤミンを連れて、兄たちが、穀物の買い出しに行くことを認めました。エジプトに再び戻った兄たちを、ヨセフは自分の屋敷に迎え、シメオンも連れてきて、食事でもてなしました。その間に、ヨセフは、執事に、兄弟たちの袋に運べるかぎりの食料で満たし、銀の代金もめいめいの袋に返し、一番年下の者の袋にはヨセフの銀の盃を入れておくように命じました。

   次の朝、兄たち一行を見送ったヨセフは、一行が町を出たころ、追手を送り、ヨセフの銀の盃を盗んだ者を連れ帰るように命じました。ベニヤミンの袋から、ヨセフの銀の盃が見つかった、ベニヤミンだけでなく、兄たちもエジプトの司政者のもとに戻りました。ユダは、司政者にベニヤミンの代わりに、自分を奴隷として残してくださいと嘆願しました。

   ユダの誠意と切実な嘆願に心を打たれたヨセフは、平静を装うことはできなくなり、自分が兄弟のヨセフであると身を明かしました。驚く兄弟たちに、ヨセフは、「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません」と語り、「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあななたちの残りの者を与え(残し)、あななたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです」と語りました。そして父と家族をエジプトへ連れてくるように話しました。 

   ヤコブの一行、総数七十名は、エジプトのゴシェンの地に移住し、ヤコブはヨセフと対面を果たしました。ヤコブはこのあと、十七年間幸せな日を過ごしました。

   ヤコブは死ぬ前にヨセフの子ら、エフライムとマナセを養子にし、ヨセフをヤコブの後継者として祝福しました。ヤコブが亡くなったので、ヨセフと兄弟たちは父ヤコブの遺言通りに、そのなきがらをカナンの祖先たちの墓に埋葬し、エジプトに戻りました。

   ここまでが、今日の聖書の箇所までのあらすじです。

   ヨセフの兄弟たちは、父が死んだあと、ヨセフが恨みを晴らすために、自分たちの犯した悪に仕返しするのではないかと恐れて、人を介して、ヨセフに、「「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」と詫びを入れました。ヨセフがエジプトに連れて行かれてから、40年近く経っているのに、兄たちの罪の意識は、まだ消えていませんでした。

   兄たちの詫びの言葉を聞いて、ヨセフは涙を流しました。この涙は、「なぜ、そんなことをずっと長いこと思っていたのですか」という思いと、兄たちがあまりにもこのことで苦しんできたことを思っての涙と思われます。

   兄たち自身もやってきて、ヨセフの前にひれ伏しました。ヨセフは兄たちに言いました。

   「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしたが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう」と、兄たちを慰め、優しく語りかけたのです。

   神様こそがただ一人本当に裁きをなさる方である、ということを告げ、神は人間の悪、罪をも用いて恵みのみ業を成し遂げて下さる方であると、ヨセフは語ったのです。もはや父から言われたからではなく、ただ神が赦されたので、ヨセフも兄たちを赦したのです。

   ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、110歳まで生きました。ヨセフは曽孫(ひまご)まで見て、膝に抱きました。ヨセフは兄弟たちに、神が必ず顧みてくださり、アブラハム、イサク、ヨセフに誓われたカナンの地に導き上ってくださることを予言し、「そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください」と言って、誓わせました。ヨセフはこうして110歳で死にました。人々は彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置して、ひつぎに納めました。

  イスラエルの民がエジプトに寄留した年数は、430年と記されています(出エジプト記13:19)。ヨセフの死から、数えると、凡そ350年後に、出エジプトの出来事が起こるのです。「そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた(出エジプト13:19)」とあります。(ヤコブ一族のエジプト移住1660頃、ヨセフの死1590年頃、出エジプト1230年、として計算)

   モーセとイスラエルの民は、40年間、荒れ野を彷徨(さまよ)ったすえ、ヨシュアが後継者となって、約束の地カナン入りました。ヨセフの遺骸はヨシュアによって、ヤコブが買い取ったシケムの野の一画に埋葬されました(ヨシュア記24:32)。ヨセフの遺言は、400年も経って実現したのです。シケムはヨセフの子孫の嗣業(しぎょう)の地となりました。

   ヨセフが兄たちに「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神がそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」と語り、兄たちを赦しました。人の悪い企み、人間の悪の計画、悪しき行為も、神は善きことに変えてくださり、多くの人を救おうとされる、神の摂理に対する信仰がここに言い表されています。すべてのことを良きに変え、益となさる神が告白されています(ローマ8:28)。

   創世記全体を通して言えることは、何度も神に背き、罪を犯す人間が赤裸々に記されていることです。それは一人の人生の中でも言えることです。然し、それらを越えて、人を愛し、救おうとする神様の計画、御業がなされたことが、一貫して創世記を通して語られています。この世界は運命や宿命によって支配されているのではなく、愛なる神の摂理の支配の中にあることを信じるときに、わたしたちは平安を与えられます。「悪を善に変えて、わたしたちを救い給う神はほむべきかな!」

 

 

 

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「ヤコブのヨセフとの再会と死」 創世記50章1-26節

2013-11-17 16:23:53 | 礼拝説教

      上の地図は「地図と絵画で読む聖書大百科」p.71より転載。ヤコブ一族が与えられたラメセス地方(47:11)は、最も大きな都市の名によって呼ばれた地方のことです。ラメセスはエジプトの王の名にちなんでつけられた都市です。ゴシェンの地は、その一部の地です。

  〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

 日本キリスト教 富 谷 教 会

年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6

 

週  報 

降誕前第六主日     2013年11月17日(日)  5時~5時50分 

礼 拝 順 序  

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 206(七日の旅路)

交読詩編  146(ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  創世記46章1     ~7、28~30節

説 教 「ヤコブのヨセフとの再会と死」 辺見宗邦師

祈 祷

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 2013年11月17日(日)午後5時~5時50分

聖書  創世記50章1-26節

説教  「ヨセフの生涯と死」

交読詩編 90 讃美歌 355 528 27

本日の聖書 創世記50章1-26節

1。彼が、「はい」と答えると、 3神は言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民イスラエルは、一家を挙げて旅立った。そして、ベエル・シェバに着くと、父イサクの神にいけにえをささげた。 2その夜、幻の中で神がイスラエルに、「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけたにする。 4わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」 5ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ファラオが遣わした馬車に父ヤコブと子供や妻たちを乗せた。 6ヤコブとその子孫は皆、カナン地方で得た家畜や財産を携えてエジプトへ向かった。 07こうしてヤコブは、息子や孫、娘や孫娘など、子孫を皆連れてエジプトへ行った。・・・・・

  8ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした。そして一行はゴシェンの地に到着した。 29ヨセフは車を用意させると、父イスラエルに会いにゴシェンへやって来た。ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けた。 30イスラエルはヨセフに言った。「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」

 本日の説教 「ヤコブのヨセフとの再会と死」 

  先週の礼拝では、創世記45章に記されている、ヨセフと兄たちとの和解の場面について、説教でお話しいたしました。ヨセフの兄たちは、エジプトの宰相(首相)の衣装をまとい、ファラオから与えられたツァフェナト・パネア(「隠された意味を読み解く者」の意)というエジプト名で呼ばれているヨセフを、自分たちの弟とは思わずに、二回目の穀物の買い付けに、カナンからエジプトに来ました。エジプトの王に次ぐ地位にあるヨセフが、兄弟たちに、「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか」と自分の身を明かしとき、兄たちは驚くとともに、自分たちがヨセフを奴隷として売った過去の出来事に対する、ヨセフの報復を恐れたと思われます。

 「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。(45:7)」とヨセフが兄たちに語り、ヨセフが兄たちの犯した罪を赦していることを語ったとき、兄たちはほっと胸をなでおろしたことでしょう。

「この国にあなたたちの残りの者を与え」とありますが、改訂訳聖書では、「あなたがたのために残りの者をこの地に残し」となっています。原語では「置く」という意味なので、「与え」より、「残し」の方が、分かりやすい訳だと思います。「残りの者」とは、イスラエルの子孫のことです。

 ヨセフは、「急いで父上をここへ連れて来てください」と兄弟たちに言いました。ヨセフと兄たちの間に和解が生まれました。ヨセフはヤコブとその家族をエジプトへ移り住むようにと招き、エジプトの王ファラオ(「大いなる家」の意。王の称号)も、ヤコブたちをエジプトへと招きました。

 ヨセフの兄たちは、たくさんの食糧とみやげ物を携えて、父ヤコブのもとに戻りました。そしてヤコブに、ヨセフが生きていたことを、しかもヨセフがエジプト全国を治める者にまで出世していたことを伝えました。ヤコブは息子たちの言うことが信じられず、「気が遠くなった」と記されています。息子たちが、ヨセフの生きていることを父に告げることは、父を喜ばせるすばらしい知らせです。しかし、それは自分たちの犯してきた罪が発覚することでもありました。息子たちは、ヨセフをエジプトへ売り、そのことを隠すために彼が死んだかのように見せかけて父を欺いたのです。ヤコブは、とにもかくにも、死んだと思っていた息子ヨセフが生きているという知らせを聞いて喜んだ違いありません。

「息子たちは父ヤコブに、ヨセフが与えてくれた様々なものや、ファラオが与えた馬車を見せ、エジプトに招かれたことを伝えました。 「その時のヤコブの言葉が45章28節にあります。「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。」ヤコブとその家族全員は、エジプトに向けて出発しました。そして、途中ベエル・シェバにつくと、ヤコブは、神にいけにえをささげ、礼拝しました。ベエル・シェバは、ヤコブがハランへ旅したときに出発した故郷の町です。ヤコブには、エジプトへ下ることにためらいがありました。父イサクがやはり飢饉にあった時、神に「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福する。」(創世記26章2~3節)と言われました。また、祖父アブラハムは、飢饉のときにエジプトへ下り、ファラオに、アブラハムは妻を妹と偽って、大きなあやまちを犯しました。

 その夜、幻の中で神が、「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけたのです。彼が、「はい」と答えると、神は、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」(46:2~4)」と、言われたのです。

 「ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」とは、ヨセフが父ヤコブの最後を看取ってくれる、ということであり、「わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」ということは、ヤコブはエジプトの地で死ぬが、その遺体を息子たちがカナンの地に運び葬るであろう、ということです。また、やがてイスラエルの民がエジプトにおいて増え、モーセによって率いられてこの約束の地の戻るだろう、という言葉です。

 この言葉によって、ヤコブは安心してまだ見知らぬエジプトへと旅立つことができたのです。ヤコブは、70人の家族と共に、息子たちの嫁たちを連れて、エジプトに行きました。そして、ヨセフとゴシェンで再会を果すため、ユダをヨセフのところに遣わしました。ヤコブとヨセフの再会の地とするゴシェンは、ナイル川のデルタ地帯の東の地域です。

 ヤコブ一族がエジプトに移住したのは、紀元前1700年頃のヒソクス(ギリシャ語=「異国の地の支配者」の意)王朝(15-17王朝)の時代と思われています。その首都はアヴァリス(現在のカイロより70キロほど北。現在はほとんど遺跡がの残っていません。)でした。ヤコブ一族が住むことになるゴシェンの地は、アヴァリスより20キロほど北の地方です。ヨセフは、宮廷全体の主として、首都アヴァリスの宮廷に住んでいたと思われます。

 ヨセフは父を見るやいなや、父の首に抱きつき、その首にすがったまま、しばらく泣き続けました。父ヤコブは、「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから」と語りました。ヤコブはヨセフと再会できて、無上の喜びを覚えたのです。

 いよいよヤコブ一族はラメセス地方のゴシェンに移り住みました。エジプト人の嫌う「羊飼い」という職業を伝えて、彼らとは離れた地域で、神の民として過ごすことを選んだのです。

 ヨセフの引き合わせで、ファラオにとの対面がかなったヨセフの兄弟たちは、「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました」と伝え、ファラオの快諾を得ました。ヨセフは、父ヤコブをファラオと対面させました。ヤコブは、祭司のようにファラオを祝福しました。ファラオから年齢をたずねられると、ヤコブは、「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」と答えました。

  祖父アブラハムは175歳、父イサクは180歳まで生きました。ヤコブは、まだ130歳です。この17年後、147歳で死にます。「祖先には・・及びません」と言ったのは、年齢のことだけを言っているとは思われません。「苦しみ多く」と言っています。ヤコブは、兄から逃げるようにして、77歳のとき、単身でハランに旅し、20年もの長い間、伯父ラバンのもとで苦労しました。伯父のもとからも、逃げるようにして故郷へ向かって旅をしました。妻や子供たち、奴隷や、多くの家畜や財産を持つ身になっても、兄の復讐を恐れていました。故郷に帰る途中、シケムに10年ほど住んでいたとき、次男のシメオンと、三男のレビがシケムの人たちに残虐な殺戮を行い、罪を犯しました。父ヤコブはどんなにか心を痛めたことでしょう。シケムにいられなくなり、逃げるようにしてベテルに向かい、ヘブロンに移り住んだのです。旅の途中、末の子の出産で、愛妻ラケルが死にました。その直後、今度は長男のルベンが父の側女(そばめ)ビルハと寝たことで、長子の資格を失いました。ヘブロンでは、妻レアにも先立たれたのです。ヤコブの語った「苦しみ多く」という言葉には、これまでの苦しみが凝縮して語られています。ヤコブは、また偉大な祖父アブラハムや、父イサクと比べて、自分がいかに取るに足りない者であるかを自覚していました。ヤボク川を渡る前、兄の攻撃を恐れて祈ったときのヤコブの言葉に、「わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です」と言っています(32:11)。先祖たちに比べて、自分が、神からすべての恵みと祝福を受けるに足りないものであることを、言い表した返答だったのではないでしょうか。ヤコブの謙虚な姿が示されています。 

 イスラエルの民は、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増やしました。ヤコブはエジプトで17年間生きました。異国での生活とは言え、最愛の息子の庇護のもとに、多くの子供たちや孫たちに囲まれて、ヤコブは平安な老年を過ごしました。

 ヤコブは死ぬ日が近づいたとき、息子ヨセフに、エジプトにではなく、先祖たちの墓に葬ってほしと頼みました。ヨセフが言われたことを守ると誓うと、「イスラエル(ヤコブ)は、寝台の枕もとで感謝を表した(47:31)」とあります。これは「太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです(37:9)」と言ったヨセフの見た夢が実現したことになります。「太陽」は父親を指しています。ヤコブは死ぬまえに、「力を奮い起こして、寝台に座りました。」そして、ヨセフの二人の子、エフライムとマナセを祝福しました。そして、二人をヤコブの養子とし、カナンの地のシェケムを与えることを約束しました。

 ヤコブは、12人の息子たちを呼び寄せて、十二部族の祖となる息子たちに、将来を予言し、彼らとその子孫を祝福しました。ルベンは長子でしたが、父の寝床を汚したので、長子の権利を失いました。シメオンとレビは、父の意志にそむいてシェケムの人々を虐殺したので、子孫はほかの部族の中に分散して存在します。シメオンの部族は、ユダ族の相続地の中にあり、レビの部族は、イスラエルの全部族の中に散らされました。ユダの部族には、長子の権利は与えられませんでしたが、王権はユダを離れず、ダビデ、ソロモン王が生まれ、主シロ(救い主・キリスト)が現れます。

ヨセフは長子の権利を得、彼にはエフライム族とマナセ族の二つの相続地が与えられました。ベニヤミン族からサウル王、ヨナタン、使徒パウロなどが出てきます。

 ヤコブは息子たちに命じました。「間もなくわたしは先祖の列に加えられる。わたしを先祖たちと共に葬ってほしい。」と言って、カナン地方のマムレ(<マムレ>というアモリ人の族長の所有する土地)の前のマクペラ(<マクペラ>とは二重という意味で、洞穴がひょうたんのように中でくびれて、二つの部屋のようになっている。)の畑にある洞穴の墓地を指定しました(23章参照)。そこには、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブの妻レアが葬られていました。それは、彼らにカナンの地こそ神が約束された地であり、将来そこに帰るように教えるためでもありました。ヤコブの臨終の床での信仰は輝いており、死ぬ前に信仰によって大切なことを語りました。

 ヤコブは、息子たちに命じ終わると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられました。ヨセフは父の顔に伏して泣き、口づけしました。ヨセフは父のなきがらに防腐処置をし、七十日の喪に服し、父を葬るためにカナンへ上って行きました。ヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族、宮廷の元老たちと重臣たちすべてがヨセフと共に上って行きました。戦車や騎兵と共に上っていったので盛大な行列となりました。父の追悼の儀式を七日間にわたって行ったのち、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人エフロンから買取り、墓地として所有した墓に埋葬した後、エジプトに帰りました。

 「信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神に礼拝しました。」(ヘブライ人への手紙11:21)とあります。七十人訳聖書は、ヘブライ語原典の旧約聖書をギリシャ語に,七十人の人が訳したギリシャ語訳の聖書です。ヘブライ語の「床」という語と、「杖」という語は、同じ綴りで、母音だけが違います。ヘブライ語聖書原典は、母音記号がついていません。そこから、「床」と「杖」と二つの訳が可能なのです。ヤコブとヨセフの誓いは、神の前でなされたところから、「杖の先に寄りかかって神に礼拝しました」という訳になったと思われます。

 ヤコブの生涯は百四十七年でした。ヤコブは、神の祝福を求めて「神と争った者」として、「イスラエル」という名を神から与えられ、波乱に富んだ生涯を送りましたが、神がヤコブに約束したように、いつも神はヤコブと共にあり、ヤコブの生涯を守り導き、祝福しました。生来、ずる賢く、欲張りで、人を押しのけるような性格のヤコブが、神の祝福によって、堅固な信仰の人に造り変えられ、アブラハム、イサクの後を継ぐにふさわしい人物にされたのです。ヤコブと共にあった神は、この後、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」として、自らを啓示する神として現れます。ヤコブの信仰の生涯は、多くの人々に共感を与え、励ましてきました。詩篇も次のように歌っています。

「万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」(詩篇46:12)

「いかに幸いなことか、ヤコブの神を待ち望む人。」(詩篇146:5)

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「神の摂理による、ヨセフと兄弟たちの再会」 創世記45章1~15節

2013-11-10 23:44:02 | 礼拝説教

                   上の地図「エジプトに至るヨセフの経路」は、「地図と絵画で読む聖書大百科」p67より、転載。

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403  日本キリスト教 富 谷 教 会

年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6

 週  報 

降誕前第七主日     2013年11月10日(日)    5時~5時50分 

礼 拝 順 序  

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   57(ガリラヤの風かおる丘で)

交読詩編   46(神はわたしたちの避けどころ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  創世記45章1     ~15節

説 教 「神の摂理によるヨセフと兄弟たちの再会」辺見宗邦師

聖餐式    81(主の食卓を囲み)

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 2013年11月17日(日)午後5時~5時50分

聖書  創世記46章1-7節,28-30節

説教  「エジプトでのヤコブとヨセフの再会」

交読詩編 133 讃美歌 206 355 27

本日の聖書 創世記451~15

 1ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。 2ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。 3ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。 4ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。

 5しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。 6この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。 7神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。 8わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。 9急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。 10そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。 11そこでのお世話は、わたしがお引き受けいたします。まだ五年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらなければいけません。』 12さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬわたしがあなたたちに言っているのです。 13エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」 14ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣いた。 15ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語り合った。

本日の説教

 先週の礼拝では、創世記35章のヤコブがシケムで10年ほど住んだあと、ベテルに上る箇所について学びました。ヤコブはこのあと、ヘブロンの父イサクのところに向かいます。ベテルを出発して、エフラタへ行く途中、ラケルは二人目の子を産みましたが、難産のため死にました。ラケルは死に臨もうとする時、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付たが、ヤコブはその子をベニヤミン(幸いの子)と呼びました。ラケルは死んで、エフラタ、今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られました。

        

     ラケルの墓。        オスマン帝国時代現在見られるドームおよび祭壇建造された。

  ヤコブは、父がかつて滞在していたカナン地方に住みました。ヤコブは、ラケルとの間に生まれた子、ヨセフとベニヤミンを溺愛しました。ヨセフは、ヤコブ(イスラエル)が91歳の時に生まれた年寄り子です。ヨセフは、そのために兄たちの妬みをかいます。兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、父に言われて、兄たちが元気でやっているか見届けてくように、ヨセフを言われました。そこでヘブロンからシケムに行くと、兄たちはドタンに行ったと教えてくれる人がいたので、ヨセフはドタンに行き、兄たちを見つけます。しかし、兄たちに殺されそうになり、ついには、ギレアドの方からやってきて、エジプトに向かう、イシュマエル人のらくだを引いた隊商に、、銀20枚で奴隷として売られてしまいました。兄たちは、それを隠すために、ヨセフが悪い獣に噛み裂かれたかのように見せかけって、父をだましたのです。

  ヨセフがいなくなってから12年後、父イサクが180歳の長寿を全うして死にました。ヤコブは父を看取り、兄のエサウと共に、アバラハムとサラの眠る墓に葬りました。

 ヨセフ17歳は、(創世記37章2節)参照。

   一方、ヨセフは、仕えることになった主人の信頼を得て家の切り盛りを任されるまでになったのですが、主人の妻に無実の罪を着せられて牢獄に捕われる身となってしまいました。しかしそこで、同じく捕えられていたエジプト王ファラオの役人の夢の意味を解き明かしたことがきっかけとなり、ファラオの夢を解き明かすために召し出され、それを見事に解き明かしたためにファラオの全幅の信頼を得て、エジプトの総理大臣に抜擢されたのです。

 ヨセフが解き明かしたファラオの夢の意味は、今後七年間エジプトには大豊作が続くが、その後の七年間は大飢饉となり、穀物が全く採れなくなる、ということでした。それゆえにこの七年の内にしっかりと食料の備蓄をして飢饉に備えるようにとヨセフはファラオに進言し、ファラオはその仕事をヨセフに任せるために彼を総理大臣に抜擢したのです。ヨセフの予言の通り、七年の豊作の後に飢饉が起りました。

 ヨセフがいなくなってから、20年後カナンの地でも飢饉が始まりました。それから2年後、ヤコブは、ベニヤミンを除いた十人の息子たちにエジプトへ穀物を買いに行かせました。

ヨセフをエジプトに売ってから22年間は、ヨセフは奴隷として、そして牢獄に入れられていた時を合わせると、13年間、それから7年の豊作、そしておそらく2年くらいの飢饉、合わせて22年を過ごしたことになります。

 エジプトに来た兄たちは、大臣であるヨセフの前に出て、穀物を売ってくれるように願いました。彼らは、目の前のエジプトの総理大臣が弟ヨセフだとは全く気づきません。しかしヨセフの方はすぐにそれが兄たちであると分かりました。ヨセフは自分の正体を隠したまま、兄たちに厳しく接し、「お前たちはこの国の弱点を探りに来たスパイだろう」と嫌疑をかけました。兄たちが必死にそれを否定し、自分たちはカナンの地に住む者であり、国には年老いた父と、末の弟がいることを説明しました。その末の弟とは、ヨセフと同じくラケルを母として生まれた弟ベニヤミンです。ヨセフは、「今回のところは穀物を売ってやるが、兄弟の一人を人質として置いていけ、そして次に来る時には、末の弟を必ず連れて来い」と命じました。そこで兄弟の一人シメオンが人質として残り、兄たちは国に帰りました。ここまでが42章です。

   

  彼らが帰って来たとき、父ヤコブはシメオンがおらず、しかも今度、穀物を買いに行く時には、ベニヤミンを連れて行かなければならないことを、知ったのです。

ヤコブは、「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ」と声を震わせて自分の不運を嘆きました(42:36)。ルベンが父を説得しましたが、彼はベニヤミンを連れて行くことを頑として承知しませんでした。

 しかし飢饉はなお続き、持ち帰った穀物も食べ尽くされてしまいました。さすがのヤコブも飢えには勝てず、息子たちに穀物を買いに行くように言いました。ユダが、弟が一緒でなければ、行くわけにはいきません、と断ると、ヤコブは、「なぜお前たちは、その人にもう一人弟がいるなどと言って、わたしを苦しめるようなことをするのか」とやり場のない怒りをぶつけました(43:6)。

 ルベンに続いて、ユダが懸命に説得しました。「あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。(43:8,9)」

 ついにヤコブは「では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。・・このわたしがどうしても子供を失わなければならないのなら、失ってもよい」(43:13,14)と悲愴な決心をしたのです。

 ヤコブ(イスラエル)の9人の息子たちは、贈り物を携え、ベニヤミンを伴ってエジプトへ下りました。ヨセフと二回目の再会の後も、兄たちはまだ目の前のエジプトの大臣がヨセフであることに気付きませんでした。

  ヨセフは彼らを屋敷に招き、特に同じ母から生まれた弟であるベニヤミンを歓迎します。彼らが食料を携えて国に帰ろうとする時、ヨセフは執事たちに命じて、ベニヤミンの袋に、自分の銀の杯を密かに入れさせておきました。そして彼らがまだ遠くへ行かないうちに追っ手を差し向け、お前たちの中に私の杯を盗んだ者がいる、と追求させます。一人一人の袋を調べると、ベニヤミンの袋からそれが見つかります。彼らは絶望の内にヨセフのもとに引き返し、ユダは、「この上は私たち兄弟全員が奴隷になります」と言います。それに対してヨセフは、「杯を持っていたベニヤミンだけを奴隷にする、後の者は国に帰れ」と言ったのです。

  兄弟たちは再び、ヨセフの屋敷に連れて行かれました。ヨセフは言います。「杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい(44:17)」これを聞いたユダがヨセフに対して語り始めます。ここでユダは今までのいきさつを語ります。そして、このベニヤミンが帰らなければ、父ヤコブは死んでしまうでしょう、そんなことは出来ない。そして「何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。(44:33,34」と言ったのです。

  あの二十二年前、ヨセフを奴隷に売ろうと最初に言い出したのはこのユダでした。ユダが、ここでは父ヤコブの為に、ヤコブが溺愛しているベニヤミンの代わりに自分が奴隷になると申し出たのです。このユダは、明らかに22年前の彼とは変わっています。ユダを始めとする兄たちは、二十二年前に自分たちが犯した罪と向き合い、そのことを心から後悔し、悔い改めているのです。

  ここからが、創世記45章です。ヨセフは、このユダの言葉を聞いて堪えきれず、声をあげて泣き、「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」と自分の身を明かすのです。兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができませんでした。

 その時ヨセフは兄弟たちにこう言うのです。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。(4~8節)」

  7節「この国にあなたたちの残りの者を与え」という訳ですが、分かりにくい訳です。<スーム>というヘブライ語を<与え>と訳しているのでが、<スーム>の原語<シーム>は、「置く」という意味です。ですから、この7節の部分は、「この国にあなたがたのために残りの者(生存者・子孫)を置くために(残すために)」と訳す方が分かりやすいと思います。改訂訳聖書は、この部分を「あなたがたのために残りの者をこの地に残し」と訳していますが、分かりやすい訳だと思います。

  ヨセフは兄たちに、22年前に自分をエジプトへ売ったことを、悔やんだり、責め合ったりする必要はない、と言ったのです。「ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語り合った」とあります。今、兄たちとヨセフの間に、語り合いが、交わりが、平和が回復されました。神の導きによって罪を犯した者が悔い改めへと導かれ、またその罪によって傷つけられ、苦しみと悲しみを受けた者が、やはり神の摂理を信じて、その苦しみや悲しみの全てを、神様を主語として語り直すことができた時、そこには、語り合いが、本当に平和な関係が回復されていくのです。

  ヨセフ物語は、神の摂理ということを教えています。「摂理」とは、神様がこの世の全てのことを支配し、導いておられる、ということです。私たちの人生と、そこに起る全てのことが、神様のご支配、導きの中にあると信じる、それが神の摂理を信じることです。これは、聖書が語る信仰の中心をなす大切な教えです。神を信じるとは、神の存在を信じることに留まるのではなくて、神の摂理を信じることなのです。

  <摂理>と言う言葉は、<自然の摂理>と言うときは、「自然界を支配する法則」を言いますが、<神の摂理>というときは、「すべてのことが神の配慮によって導かれている>という意味になります。日本語の<摂理>に当たる英語は、「与える,供給する」の意味のプロヴァイド(provide)の類語「プロビデンスprovidence」です。その語源は、ラテン語の「前を、あらかじめ」(pro)+「見る、配慮する(videre)」の合成語です。

摂理信仰とは、このように神の世界支配を信じ、創造者である愛の神様が、ご自分の意志によって私たちの人生を導いてくださり、すべてを益となるように働いてくださるということであります。このことを信じて生きる時に、いかなる時も希望をもって生きることができ、人生に絶望するということはないのであります。

 父なる神は御子キリストによって、罪と死に打ち勝つ復活と永遠の生命と、神の国を、私たちのために用意してくださった方です。ですから、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)。

 

 

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「信仰の原点としてのベテル」 創世記35章1 ~7節

2013-11-04 21:54:36 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403  日本キリスト教 富 谷 教 会

年間標語「何事も祈って歩む、一年を送ろう」

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6

 週  報 

降誕前第8主日      2013年11月3日(日)   5時~5時50分 

礼 拝 順 序  

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 529(主よ、わが身を)

交読詩編   46(神はわたしたちの避けどころ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  創世記35章1 ~7節

説 教「信仰の原点としてのベテル」  辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 457(神はわが力)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 2013年11月10日(日)午後5時~5時50分

聖書  創世記45章1-15節

説教  「ヨセフと兄弟たちの対面」

交読詩編 46 讃美歌57 355  27

報告 本日は永眠者記念日なので、午後3時より辺見哲三兄、加藤英治兄、加藤昌(よし)子姉の記念礼拝を、ご遺族とともに守りました。

本日の聖書 創世記351~15

 1神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

 2ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。 3さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」 4人々は、持っていた外国のすべての神々と、着けていた耳飾りをヤコブに渡したので、ヤコブはそれらをシケムの近くにある樫の木の下に埋めた。 5こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。 6ヤコブはやがて、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、 7そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。

 本日の説教

 創世記28章では、ヤコブの夢の物語が記してありました。ヤコブと兄エサウは双子の兄弟として生まれました。父イサクが、祖父アブラハムから受け継いだ神様の祝福を、長男のエサウが受けるべきであったのを、ヤコブが母リベカの策略もあって、父をだまして、自分のものに横取りしてしまったことにより、兄エサウを怒らせ、自分の命を狙われるようになり、母の故郷に、表向きは嫁探しの目的で、逃げたのです。

ヤコブは、住み慣れた故郷のベエル・シェバから、パダン・アラム(アラム人の住む平地)の地、ハランに住む、母の実家の兄、ラバンのもとに、出かけました。その途中、荒野で夜を迎え、石を枕にして寝たときに、夢で神の御使いたちが上り下りする階段が現れ、神様が傍らに立って、ヤコブを祝福しました。

 

ヤコブが石を枕にして寝たベテルの風景

眠りから覚めたヤコブは、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」と言い、翌朝枕を記念碑として立てて、その場所をベテル(ベート・エル:神の家)と名付け、「無事に父の家に帰らせていただいたなら、その場所を神の家とし、自分に与えられたものの十分の一をささげます」、と誓願を立てました。このベテルからどのような経路を経て、ハランに着いたのかは、聖書は記していません。往復同じ道をたどったと思われます。

 創世記31章には、ヤコブが伯父ラバンのもとから脱走したことが書かれています。ヤコブはハランで20年間、叔父のラバンの家に働きながら留まり、ラバンの二人の娘、レアとラケルを妻にし、また二人の側女(そばめ)も妻とし、十一人の息子たちと多くの家畜を持つ者となりました。夢の中で、ヤコブに神のお告げがあり、「ヤコブよ、・・わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい(21:11-13)」と言われ、ラバンのもとからも、妻たちとすべての財産を持って逃げ出しました。ギレアドの山地に天幕を張っていたときに、後を追ってきたラバンと神の恵みによって和解することができたことができました。

 創世記32章では、ヤコブは故郷が近づいてくると、兄エサウのことを恐れるようになりました。そんなとき、神の御使いが現れ、ヤコブを勇気づけました。ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神に陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付ました。ヤコブを守る神の陣営とヤコブの陣営と二つになったことを感謝したのです。

ヤコブは兄エサウがヤコブに対してどのような思いを抱いているのかが気になり、そのことを確かめるために、セイル地方に住むエドムの族長となっている兄エサウのもとに、使いの者を遣わして、帰国の報告をさせました。使いの者から、「兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」との報告を聞いて、ヤコブは、兄が「迎え撃つ」ためにきたと思い、非常に恐れ、思い悩んだ末に、連れている人々を二手に分けて攻撃にそなえました。

ヤコブは神に祈りました。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の(人々の)陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかも知れません。」(32:10-13)。その夜、ヤコブはそこに野宿して自分の持ち物の家畜の中から兄エサウへの贈り物を三百頭選びました。それを召し使いたちの手に渡し、エサウに贈り物として届ける作戦を立てました。贈り物で兄をなだめようと思ったのです。

ヤコブは、兄エサウの襲撃に備えて、夜中に妻や子供たちを連れて、安全な場所に導くために川をわたらせてから、神の加護を求めて祈るために独り残りました。

ヤボク川はアラム領のギレアドとアンモン人のアンモンの国境に当たる川です。ヤボクの渡しは、浅瀬で、王の道から、ヨルダンを越えてカナンの地へ通ずる主要道路でした。

       ヤボク川 

     ヤボク川の橋の下の日陰にいる羊飼いと羊の群れ

  「そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した」とあります。「何者かが」とありますが、ホセア書12章4、5節に次のような説明があります。

「ヤコブは母の胎にいたときから兄のかかとをつかみ、力を尽くして神と争った。神の使いと争って勝ち、泣いて恵みを乞うた。」とあります。

「何者か」は「神の使い」であり、「神」であると説明しています。ヤコブもこの格闘のあとで「わたしは顔と顔とを合わせて神を見た」と言っています。

「神の使い」は、ヤコブに恵みを与えるために、自分の計略に頼ろうとする傲慢なヤコブを砕かなければならないので、ヤコブと格闘したのです。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、腿の関節がはずれました。腿の関節をはずされて弱くされたヤコブは、今度は「その人」に、「祝福してくださるまでは離しません」としがみつきました。その人の「お前の名は何というのか」という問いに、ヤコブは、「ヤコブです」と答えました。生来「人の足を引っ張り、人を押しのける」、罪深い自分をありのままに告白したのです。

 その人は、「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」と宣言されました。ヤコブは古い罪の自分を脱して新しい名が与えられたのです。神は彼をイスラエルと名付られました。

「イスラエル」 は、「イ(יִ)・ス(שְׂ)+ラー(רָ)・エル(אֵל←)」という三語からなっています。 「イ(あなたは)、スラー(争った)、エル(神と)」という意味で、三語合わせると、「あなたは神と争った」という意味になります。名前の意味としては「神と争う者」と訳して良いと思います。この「争った」という意味の<スラー>の原語<サラー>が、ホセア書12章4節で使われたおり、「争った」と共同訳聖書で訳されています。

しかし、この語がいろいろの言葉に訳されています。例えば、「神は支配する」、「神と共に不屈なる者」、「神と戦う者」、「神は勝つ」、「神と共に戦う者」などと訳されており、どの訳が正しいのか、迷われると思います。

「イスラエル」は、「神と争う者」で解して良いと思います。神の恵みを乞うため、「神と争う者」です。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けました。

創世記33章では、兄エサウとヤコブが和解したことが記されています。兄と別れたあと、ヤコブはスコトへ行き、小屋を建てしばらく住み、そのあとヨルダン川を渡り、カナンのシケムの町に無事に着き、その町のそばに天幕を張り、その土地の首長ハモルの息子たちから、土地の一部を買いとって祭壇を建てて住みついたことが記されています。あと一日で、あの神の家を建てると誓願したベテルなのに、兄とも和解したヤコブはその神との誓いをも果たさず、シケムの町が気に入ったのか、あるいは交易上の便宜を考えたのか、シケムに住みついたのです。シケムは交通の要所であり、かつてアブラハムがカナンの地に入って、最初に祭壇を築いたところでした。ヤコブはこの地を安住の地にしようと思ったに違いありません。

創世記34章では、ヤコブの息子たちが、大きな罪を犯したことが記されています。ヤコブとレアの間に生まれた娘ディナをシケムの首長ハモルの息子が恋慕い、無理に関係を結んだあと、父ハモルを通して正式に結婚させて欲しいと、ヤコブに申し入れました。ヤコブの息子たちは、復讐をたくらみ、ハモル一族の男性が割礼を受けることを条件に同意しました。彼らが割礼の傷が痛んでいる時に襲い、彼らを皆殺しにし、その町中を略奪しました。その首謀者は、レアから生まれたディナの兄たち、シメオンとレビでした。シメオンとレビが首謀者となって、剣を持って町に入り、男達をことごとく殺し、首長とその息子も殺し、ディナを連れ戻しました。それだけではありません。彼らは、町中を略奪し、家畜を奪い、女・子供を捕虜にしたのです。これは完全にだまし討ちでした。聖なる割礼を悪用して人を欺き、暴虐のかぎりを尽くしたのです。創世記49章5-9節には、シメオンとレビ剣の暴力が記されています。

 「シメオンとレビは似た兄弟。 彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加るな。わたひの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。 呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに、わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。」

 シメオンとレビの子孫は、12氏族がカナンの地を分割した分け与えられたとき、領地を与えられず、他の氏族の領地内の町々を散らされて与えられることになるのです。しかし、レビは祭儀にたずさわる部族として、神殿に捧げられた物の十分の一が与えれることになるのです(民数記18:20-21)。

 こんなことをすればカナンの他の部族から憎悪による襲撃をうけて、滅ぼされてしまいます。この町の近くに住むことなど出来なくなります。ヤコブは子供たちの犯した蛮行に胸を痛め、悩み、苦しみました。

創世記35章1節以下は、シケムでの出来事のあとに、神がヤコブに語りかけた言葉です。

「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」

ヤコブはこの神様の言葉で、自分を取り戻しました。何も持たず、ただ神様の約束の言葉だけを頼りに旅立った自分に、神様は多くを与えてくれたことを。自分の旅は、まだ終わっていないことに気付きました。ヤコブは、本来の自分を取り戻し、家族の者や一緒にいるすべての人々に言いました。

「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」

ヤコブの家に、外国の神々、つまり偶像が入り込んでいたのです。ラケルも父の家の守り神の偶像を盗んで持っていたと思われます。ヤコブは今までそれを取り去ることを真剣に家族に求めることはなかったのです。毅然と息子たちの犯した愚行を諌めることも出来ないでいたのです。しかし今、ベテルに行く前に、全ての過去を清算するために偶像の一切を捨て、シケムの近くにある樫の木の下に埋めました。

神の守りによってヤコブとその一行は無事にシケムを後にし、ベテルへと向かうことができました。ヤコブは、一族の者すべてと共に、カナン地方のルズ、すなわちベテルに着き、 そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテル(ベテルの神)と名付けました。ヤコブにとって、ベテルは信仰の原点とも言うべき所でした。神様はあの日ヤコブに現れて、「この土地をあなたとあなたの子孫に与える。わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。」そう約束して下さいました。この神様の言葉に慰められ、励まされ、彼は旅立ったのです。この神様との出会いこそ、ヤコブの信仰の原点であったと言って良いと思います。

私にとっての信仰の原点は、病んで入院し、苦しい痛みに耐えながら、「死ぬ前に、どうか愛の人に造り変えてください」と必死に神に祈り求めていたときの自分です。無に等しい自分です。そのような者を神は哀れんでくださって、神のご臨在を経験する恵みにあずからせていただきました。

私たちには、それぞれ立つべき信仰の原点があります。新たな信仰の一歩を歩み始めた所です。たえずこの信仰の原点に戻って、信仰の歩みを続けていかなければなりません。

 

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