↑ ベトザタの池で、病人をいやすキリスト
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日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
降誕節第6主日 2024年2月4日(日) 午後2時~2時50分
礼 拝 順 序
前 奏 辺見トモ子姉
司 会 邉見 順子姉
讃美歌(21) 202(よろこびとさかえに満つ)
交読詩篇 32(いかにさいわいなことでしょう)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳)ヨハネによる福音書5章1~18節(新p.171)
説 教 「いやすキリスト」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 433(あるがままわれを)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
◎オン・ラインで、どなたでも礼拝に参加できます。
090-3365-3019の辺見まで連絡ください。
次週礼拝 2月11日(日)午後2時~2時50分
聖 書 ヨハネによる福音書5章1~18節
説教題 「奇跡を行うキリスト」
讃美歌(21)6 198 27 交読詩篇 95
本日の聖書 ヨハネによる福音書5章1~18節
1その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。4*彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。
14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。17イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
本日の説教
5章1節には「その後、ユダヤ人の祭りがあって」とあります。「この祭り」は、仮庵の祭りであったと予測されます。紀元31年の秋頃と思われます。イエスはエルサレムへ行きました。イエスは、巡礼者が神殿の丘に入る前に沐浴(もくよく)をするベトザタの池に行きました。エルサレムの羊の門の近くにあった池です。神殿へ来る巡礼者たちはそこにいる病人たちに施しをしました。
ベトザタの池の<ベトザタ>とは、「オリーブの木の家」という意味のことばです。口語訳聖書で使われたいた<ベテスダ>は、「憐れみの家」を意味することばです。この名称は、イエスの奇跡的行為の行われる場所にふさわしい名称として後からつけられた名と思われます。
【一世紀の時代に、ここにアスクレピオスの神殿が建っていて、病人が治療に来ていました。アスクレピオスは、ギリシアの医術の神です。
ベトザタの池は、地図の右側に見える、ブル―色の長方形の二つの池です。男性用と女性用です。池の大きさは、どちらも、横は約50-60m、縦は約40m-45mです。深さは1.5mです。
北側の池は、南側の池より高い位置になっています。二つの池を囲む四つの回廊と、北側の池には、二つの池を区切る回廊がありました。(関谷定夫著「聖都エルサレム5000年の歴史」)
イスラエル博物館にあるヘロデ神殿模型の中のベテスダの池の回廊です。回廊というのは、屋根付きの廊下のことです。
アスクレピオスの座像 杖
杖には蛇が巻きついています。常に蛇を伴って病気治癒に従事したという伝説によるものです。蛇は脱皮をすることが「死と再生」を連想させるあめ、古代では「生と死の象徴」とされていたからです。】
イエスがベトザタの池に行った時、五つの回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていました。彼らは、水の動くのを待っていました。主の使いが時々池に降りて来て、水を動かすのですが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからです。回廊の周りにいる者は、われ先に池に入ろうと池を見つめていたのです。病人の世界にも、われ先に、人を押しのけてでも、という醜い姿がありました。この回廊に、38年も病で苦しんでいる人が横になっていました。その人を見たイエスは、こう語りかけます。
「良くなりたいか」、原文では「あなたは健康になることを願うか」です。しかし、この人は「よくなりたいです」と答えず、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです (7節)」と答えています。
自分の病気が治らないのは、ほかの人が誰も自分のために何もしてくれないからだ、と言ったのです。この言葉は、半ばあきらめて、本気でよくなりたいという意志がほとんどなかったことを表しています。この38年間病気の人は、自分のこれまでの思いをイエスにぶつけました。
イエスの質問は、この「治りたい」という意志を取り戻すための言葉でした。本気でよくなりたいという意志を取り戻したこの病人に、イエスは「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われました。
「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだしました。イエスは、本気でよくなりたいという意志を取り戻した病人に、イエスの言葉を信じて立つことを命じたのです。信仰は、イエスの言葉を信じて立ち上がり、歩み出すことです。
その後、イエスは神殿の境内でこの人に出会って、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」と言われました。
聖書は、人の病気の直接の原因はすべてその人の罪のためであるとは、決して教えていません。主イエスは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」(マタイ9:12)と言われました。病人のための医療や医者の必要を認めています。医学や医療による身体や心の癒しは必要です。しかしこの病人の場合、この病気の原因は、この人の罪によるものでした。<もう、罪を犯してはいけない>と言われた主イエスのお言葉がそのことを示しています。彼の罪が赦されたことを教え、身体の癒しだけでなく、罪の支配から解放される救いをも与えられたのです。
異教の神殿化されたベトザタの池で、イエスが病人を癒したのは、ローマ帝国の支配する世界で、絶大な勢力を誇っていたアスクレピオス信仰へのイエスの挑戦であり、イエスこそ真の治癒神であることの宣言でした。その後、この池の上に聖堂が建てられました。現在は聖アンナ教会が建っています。それは、キリストのアスクレピオスに対する勝利の証しでもあります。
今日もアスクレピオスの杖は、医療・医術の象徴として世界的に用いられています。世界保健機関(WHO)の旗にも、日本の救急車にもアスクレピオスの杖のマークが用いられています。アスクレピオスの医療は医学の進歩に貢献したので、アスクレピオスとその杖が医学のシンボルになっています。
医療や医薬による科学的な癒しだけではなく、宗教的な癒し、キリストの福音による癒しによる全人的な癒しによって初めて真の医療がなされます。主イエスは、「ありとあらゆる病気や患いをいやされた」神の子です。病の癒しだけでなく、「罪と言う死に至る病」も癒し、救ってくださる、真の神であることを人々に伝えましょう。
世界保健機関 日本の救急車