富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「天使の声を通して預言者とされた第二イザヤ」 イザヤ書40章1-11節

2014-07-27 16:06:19 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

      日本キリスト教 富谷教会 週報

 聖霊降臨節第八主日   2014年7月27日(日)     5時~5時50分 

               礼   拝     

                                         司会 永井 慎一兄

前 奏                                奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)  

交読詩編   126(主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られと聞いて) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   イザヤ書40章1~11節

説 教 「天使の声を通して預言者とされた第二イザヤ」   辺見宗邦牧師

賛美歌(21)355(主をほめよ、わが心)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 8月3日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題   「神の霊の降臨」

 聖 書    ヨエル書3章1~5節

 交読詩篇 94  讃美歌(21)476 521 24

            本日の聖書 イザヤ書40章1~11節

  1慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。2エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。
 3呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。4谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。5主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
 6呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。7草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。8草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
 9高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな。ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。10見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。
 11主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

           本日の説教

イザヤ書は66章までありますが、歴史的背景や思想などの違いから、一人の預言者の書ではなく、三人の預言者の書とされています。1章から39章までは、預言者イザヤの書、40章から55章までは、無名の預言者なので、第二イザヤと呼んでいる預言者の書、56章から66章までは、第三イザヤの書として区別しています。

   最初のイザヤは、紀元前8世紀後半、南ユダ王国の首都エルサレムで活動した預言者です。

  第二イザヤは、イザヤから200年後、バビロン捕囚の末期から、捕囚解放、そしてエルサレム帰還にいたるまでの、6世紀中頃に活動した預言者です。

   第三イザヤは、第二イザヤの弟子であったと考えられ、ユダヤ人の祖国帰還と第二神殿再建(B.C.515年)直後まで活動した預言者です。

   イザヤ書全体を通して共通しているのは、神を聖なる神としてとらえ、ヤハウェのことを「イスラエルの聖なる方(神)」と呼んでいることです。また、広い世界的視野の観点から神の言葉を語っていることです。

 イザヤの活動の後、第二イザヤが活動するまでの時代の歴史的状況を次に記します。

   南王国ユダは、バビロニアによって攻撃され、紀元前587に滅亡しました。王や住民の重立った者たちは、597年,587年、582年と三度にわたってバビロンへ捕え移されました。これがバビロン捕囚です。第一回目の捕囚の時から58年後の紀元前539年、ぺルシア王、キュロスがバビロンを攻撃し、占領しました。翌年に、「キュロスの勅令」の発布により(エズラ記1:2-4参照)、捕囚の民はエルサレムへ帰還することが許されました。

  バビロン捕囚は、度重なる預言者の悔い改めの勧告にも耳を傾けず、神への背信の罪を繰り返すユダ王国の民に対して下された神の審判でした。

  神と契約を結んだ、選ばれた民でありながら、国を失い、異教の地で半世紀近くもユダの民は苦難をなめました。彼らの苦しみは、単に政治的な屈辱や絶望、あるいは経済的な貧困や不安だけではなく、主なる神・ヤハウェが異教の神に負けってしまったのではないのかという失望や、自分達は神に見捨てられたのではないのかという疑惑がつのり、神に選ばれた民としての意識は失われ、将来への希望を失いかけていました。荒れはてた心の荒廃を、第二イザヤは捕囚民と分け合っていました。

   第二イザヤは、おそらく捕囚の地で生まれた第二世代の人であり、祭儀と深く関係していた人物と推測されます。預言者として活動したのは、捕囚時代の末期です。

  イザヤ書40章1-11節は、第二イザヤの預言者としての召命体験の記事と見ることができます。40章1~31節は、第二イザヤ書全体の序曲であり、第二イザヤの信仰と希望が集約されて、記されています。

  「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。」(イザヤ書40章1節、2節)

  天上の会議で「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と神が言われたことを聞いた天使が、他の天使たちに向かって、「あなたたちの神は言われる」と伝えているのを、第二イザヤは幻で聞いたのです。

  イスラエルの民は、その罪のため捕囚という裁きを受けていたが、天の会議では、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」と神は宣言されたのです。このイスラエルの運命の転換は、神の一方的な赦しによるものです。神がユダの民を「わたしの民」と呼ばれたのは、破られたかに思われていた主とイスラエルの契約の関係が、ここに更新されたことを示しています。

  「エルサレムの心に語りかけ」とは、心をかたく閉ざしているユダの人達に、その心に届くように、慰めの言葉を語れと、神は天使たちに命じたのです。

  「苦役の時は今や満ち彼女の咎は償われた。」 ユダの民に課せられた苦役の期間は満ちたので、その罪は許されたと神が宣言したのを、天使は仲間の天使たちに伝えています。

  「罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた。」 犯した罪に相当する刑罰の二倍もの報復を、捕囚の民は神から受けた、と神は言われました。

  「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」(イザヤ書40章3節~5節)

  「呼び掛ける声」は、天使たちが互いに呼びかけている声です。「備える」とは障害物をとり除き、きれいにすることを意味します。古代、王者が戦争に勝って凱旋する時、備えられたのがこの「広い道」でした。荒れ野の山は低くされ、谷は高くされて、そこに広い道が造られ、捕囚の民が困難なくバビロンからエルサレムに帰ることができるように、天使たちは備えるのです。バビロンからエルサレムまで、何千キロもの荒野や砂漠を経て、帰還する道が開かれるのです。谷や山が、そして丘が主の顕現の前に揺れ動き、自然が変貌します。「主の栄光」がこうして現れるのを人々は共に目撃します。隠れていた神の顕現の希望が告げられます。なぜならこれを神が宣言されたのだから、と天使は言います。

  「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(イザヤ書40章6節~8節)

  「呼びかけよ」という「声」は、天使の声です。天使を通して神はイザヤに語りかけるのです。「呼びかけよ」とは、民に向かって語れと命じているのです。ここで、第二イザヤが預言者として召されたことが暗示されています。捕囚前の預言者が罪の告発と裁きの宣告を任務としていたのとは対照的に、第二イザヤは捕囚の民に解放を告げる使命を与えられたのです。

  「わたしは言う」、の「わたし」とは第二イザヤ自身です。信仰による希望を失い、心の荒廃している民に対して、「何と呼びかけたらよいのか」と第二イザヤは天使に尋ねました。天使は、人のはかなさを草花にたえて語ります。砂漠の熱風のように、主の裁きの風が吹けば、民も草のように枯れ、花のようにしぼむ。「この民」、ユダの民も草に等しいと語り、「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と天使は語り、神の言葉の永遠性を伝えます。第二イザヤは、この言葉を受けて、神の不変の言葉を取り次ぐ預言者としての使命を与えられたことを自覚するのです。

  「高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな。ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」(イザヤ書9~11節)

  「高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。」  天使が、他の良い知らせを告げる天使たちに対して呼びかけます。「シオン」とは、エルサレム南東部の丘で、エルサレム全体を象徴的に指す言葉で、ここではユダの捕囚の民を指します。良い知らせとは、捕囚の苦役から解放され、祖国にユダの民が帰還できるという知らせです。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。」「あなたたちの神」とは、1節にもあったように、天使たちに、「あなたたちの神は」と語りかけているのです。「御腕」というのは、エジプト脱出の際の神の力ある業に使われています(出15:16,申5:15,詩77:16)。しかもヤハウェは、羊飼いのように優しくイスラエルの民を導いてくださる、と言うのです。

 今や歴史が大きく動き出している。神の新しい創造と救いが始まる。第二イザヤは、天上の天使たちの声を聞いて、それを知ったのです。第二イザヤは、偶像崇拝の危機に直面していた捕囚の民にヤハウェのみが真の神であることを主張しました。またあの有名な「苦難の僕」としてのイエス・キリストの来臨を予言しました。

  「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。」(イザヤ書53章11~12節)

  第二イザヤ書の前半部分(40-48章)においては、終始一貫してバビロン捕囚からの解放とエルサレムへの帰還が主要テーマとなっています。55章の終章では、解放された民が安全に荒れ野を通って故国に帰ることが告げられています。

  「あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も、手をたたく。茨に代わって糸杉が、おどろに代わってミルトスが生える。これは、主に対する記念となり、しるしとなる。それはとこしえに消し去られることがない。」 (55:12-13) 

  現代においても、戦禍のために国外に逃れ、いつ祖国に平和がくるのか、祖国に帰れる日はいつ来るだろうか、という思いで苦難の日々を過ごしたいる民は大勢います。国内においても、大津波の被害や原発の放射能汚染で荒廃した故郷に戻ることができないでいる大勢の人たちがいます。戦争が終結して平和の訪れる日、故郷が復興し、安心して戻れる日が、一日でも早く来ることを、待ち望みます。「主よ、御国を来たらせたまえ。」

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖なる神の顕現に接したイザヤ」 イザヤ書6章1-13節

2014-07-19 17:51:26 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                 TEL:022-358-1380    FAX:022-358-1403

               日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

    聖霊降臨節第七主日    2014年7月20日(日)      5時~5時50分 

礼   拝             

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 351(聖なる聖なる)  

交読詩編   29(神の子らよ、主に帰せよ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   イザヤ書6章1~13節

説 教 「聖なる神の顕現に接したイザヤ」  辺見宗邦牧師

賛美歌(21)436(十字架の血に)

聖餐式(21) 79(みまえにわれらつどい)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 7月27日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題   「第二イザヤが預言-世界の希望」

 聖 書   イザヤ書42章1~4節

 交読詩篇 2  讃美歌(21) 288 24

                       本日の聖書 イザヤ書6章1~13節

 1ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
 2上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
 3彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
 4この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
 5わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
 6するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
 7彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
 8そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
 9主は言われた。「行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と。
 10この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために。」
 11わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく、家々には人影もなく、大地が荒廃して崩れ去るときまで。」
 12主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
 13なお、そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。

                           本日の説教

   「ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。」(イザヤ書6章1節)

   イザヤ書6章は、イザヤの召命の記事です。ウジヤ王の死んだ年は紀元前739年と推定されます。

   ウジヤは、南王国ユダの王(治世はB.C.783~739年)として、16歳で王位に就き、44年間南ユダ王国を治めました。その治世はユダ王国の繁栄と安定の時でした。それは、ウジヤ王が神の前に正しく歩んだことによる主の祝福によるものでした。晩年になると、「ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした(歴代誌下26章16節)のです。聖別された祭司がすることを、自分でしようとした罰で、ウジヤ王は、主に打たれ重い皮膚病に冒され、その病で死んだのです。(列王記下15章では、ウジヤ王の名は、アザルヤと記されています。)

   【年代については、本説教では、「日本基督教団出版局発行、新共同訳・旧約聖書注解Ⅰ,Ⅱの巻末の年代表によりました。】

   ウジヤ王が死んだのは、北王国のヤロブアム二世の死から7年後のことでした。この頃になると、アッシリア帝国の侵攻があり、激動と危機をはらんだ時代となります。

   イザヤ書1章から5章までは、イザヤの召命からシリア・エフライム戦争(B.C.734~732)が始まるまでの約5年間の初期の預言です。召命の記事が6章に置かれたのは、年代順によったものではありません。元々6章は、アハズ王治世の初期に属する預言集を集めた7章1節から9章7節の序言として書かれたものだったので、7章の前にそのまま配置されたようです。

   イザヤ書1章1節の表題は、1章から39章までの全体に関するものです。

   「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。」(イザヤ章1章1節)

   イザヤ(「主は救い」の意)は、アモツの子と言われています。エルサレムの貴族階級に属する祭司であったと思われます。イザヤは、「女預言者」と呼ぶ女性と結婚し、召命を受けた5年後頃には、二人の息子がいました(7:3,8:3)。

   イザヤの預言活動は、ウジヤ王の死んだ年から、ヨタム(治世739~734)、アハズ(治世734~728)、ヒゼキヤ(治世728~699)の晩年まで、続きました。イザヤは紀元前8世紀末、約40年間(B.C.739~700年)の間、南王国ユダで活動しました。その預言は、イザヤ書1章~39章に記されています。

   イザヤは、ウジヤ王が死んだ年、エルサレム神殿で、天の御座に主が座しておられる光景を幻に見ました。イザヤが幻に見た天上の神の御座は、地上の神殿をとつながっていました。主の衣の裾が神殿いっぱいに広がっていたのです。

   「上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。彼らは互いに呼び交わし、唱(とな)えた。『聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。』この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。」(イザヤ書6章2~4節)

   神の御座のまわりを、セラフィムが飛び交っています。セラフィムは二つずつ対になった六つの翼を持ち、神を賛美しています。セラフィムは、「燃えている」という意味の生き物で、主のご臨在の御許で仕える最高位の天使です。

   エルサレム神殿の「契約の箱」の上では、天使ケルビムが仕えています。ケルビムは、主のご臨在を示し、その聖さを守っている第二位の天使です。

   セラフィムが顔を覆っているのは聖なる主の栄光の御前に、顔を上げることができないからです。セラフィムは万軍の主に対して「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」と三唱して、主の聖さを強調しています。

   主は、被造物を超越した神聖な存在であるだけでなく、万軍の主として、イスラエルの主であるだけでなく、全地、全世界の主です。

   ヨハネ黙示録4章で、長老ヨハネが幻で見た「天上の礼拝」では、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」と讃えられています。

   使徒パウロは、テモテに宛てた手紙で、次のように賛美しています。

   「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることができない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。」(テモテへの手紙一、6章15、16節)

   「主の栄光は、地をすべて覆う」と賛美するセラフィムの声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿に煙が満ちました。これは聖なる神の顕現の描写です。主がシナイ山に降りて来られた時にも煙が立ちました。「シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。」(出エジプト記19章18節)とあります。

   イザヤは、エルサレムの神殿で、シナイの神の顕現に等しい啓示体験をしたのです。

   「わたしは言った。『災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。』」(イザヤ書6章5節)

   イザヤは、聖なる神の顕現に接して、神の聖によって滅ぼされるほかのない自分の汚れと、自分がその中に生きている人々の汚れを意識しました。「唇」とは、全存在を表現することばです。単に唇が汚れているだけでなく、全存在の汚れを感じ取ったのです。「しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」汚れた自分が聖なる神の顕現に接したことの怖(おそ)ろしさで、イザヤは自分の滅びを覚悟しました。

   「するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。』」(イザヤ書6章6,7節)
 神に仕えるセラフィムの一人が、祭壇から炭火を取って、イザヤのところへ飛んできて、イザヤの口に触れさせ、イザヤの咎と罪が赦されたと宣言しました。

   私たちの罪・咎を赦して、神のみ前に立つことができるようにしてくださるのは、主イエスの十字架の死による贖いと主の復活の命に与って神の子とされているからです。

  汚れから清められ、罪から解放されると、イザヤはただちに、神の派遣の言葉を耳にします。

   そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』」これは主の御座のまわりで、天上の会議が開かれていることが示されています。

  「わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」と、イザヤは明確な言葉で答えています。「わたしはここにおります」とは、「はい、わたしはここに」という簡潔な即答です。罪の赦しによって新たに生かされ、復活にあずかった者の返答です。この言葉は、神に仕えるべき特別な召命を受けたすべての者たちに とって、模範とすべき、神への献身を表す表現です。

   「主は言われた。「行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために。」
  神さまのイザヤに対する派遣の内容は不思議なものでした。神が預言者を遣わすならば、それは救いのためではないのか。しかしここでは逆に、民の心をかたくなにし、悔い改めていやされることのないためにと言われたのです。

  主は、イザヤが主の言葉を語ることによって、ますます心を頑なにして、悔い改めようとしない民の姿を、見通しておられるのです。それでも民に主の言葉を伝えよ、とイザヤに命じているのです。

   「わたしは言った。『主よ、いつまででしょうか。』」預言者にとって、言っても理解してくれない民に語り続けることは、とてもつらいことです。いつまで、そのような状態が続くのかと、イザヤは主に訊(たず)ねました

   「主は答えられた。『町々が崩れ去って住む者もなく、家々には人影もなく大地が荒廃して崩れ去るときまで。』主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。なお、そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。」(イザヤ書6章11~13節)

   その答えは完全な破壊と荒廃がおとずれるときまでという絶望的なものでした。しかし、審判を越えた先の希望が預言されます。「人々は遠くへ移される」は、バビロン捕囚の予言です。この審判によって、すべてが滅亡するのではありません。切り倒されたユダ王国にも切り株が残り、それは聖なる種子であるというのは、救済者としてのメシア的人物の到来を指しています。

  次の7章では、マタイ1章23節に引用されている有名な「インマヌエルの預言」が語られます。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(その名は「神わらと共にいます」と名付けられる)」(イザヤ書7章14節)イエスの誕生を予言するメシア(救世主)待望の預言です。

   イザヤは、エルサレムの神殿で神の啓示を受けて、預言者となりました。彼は聖なる神の顕現に接して、聖なる神こそ、全世界を究極的に支配しておられる王、万軍の主であることを知りました。この信仰が常にイザヤの預言活動の根底にありました。

   人間世界は混乱に満ち、正義ではなく、力のみが支配しているかのようです。人間の横暴と傲慢に対するイザヤの言葉を聞きましょう。

   「人間が卑しめられ、人はだれも低くされる。高ぶる者の目は低くされる。万軍の主は正義のゆえに高くされ、聖なる神は恵みの御業のゆえにあがめられる。」(イザヤ書5章15,16節)

   「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。」(イザヤ書8章13節)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「預言者ホセアの説いた神の裁きと憐みの愛」ホセア書11章1-11節

2014-07-13 22:37:27 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 

                           TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

 聖霊降臨節第六主日    2014年7月13日(日)   5時~5時50分 

           礼   拝 

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 436(十字架の血に)

交読詩編   33(主に従う人よ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   ホセア書11章1~11節

説 教  「預言者ホセアの説いた神の裁きと憐みの愛」   辺見宗邦牧師

賛美歌(21)218(日暮れて、やみはせまり)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

     次週礼拝 7月20日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題   「預言者イザヤの召命」

 聖 書   イザヤ書6章1~13節

 交読詩篇 13  讃美歌(21)351 519 24

 

         本日の聖書 ホセア書11章1~11節

1まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。

2わたしが彼らを呼び出したのに彼らはわたしから去って行き、バアルに犠牲をささげ、偶像に香をたいた。

3エフライムの腕を支えて歩くことを教えたのは、わたしだ。しかし、わたしが彼らをいやしたことを彼らは知らなかった。

4わたしは人間の綱、愛のきずなで彼らを導き、彼らの顎から軛を取り去り、身をかがめて食べさせた。

5彼らはエジプトの地に帰ることもできず、アッシリアが彼らの王となる。彼らが立ち帰ることを拒んだからだ。

6剣は町々で荒れ狂い、たわ言を言う者を断ち、たくらみのゆえに滅ぼす。

7わが民はかたくなにわたしに背いている。たとえ彼らが天に向かって叫んでも、助け起こされることは決してない。

8ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。

9わたしは、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。

10獅子のようにほえる主に彼らは従う。主がその声をあげるとき、その子らは海のかなたから恐れつつやって来る。

11彼らは恐れつつ飛んで来る。小鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリアの地から。わたしは彼らをおのおのの家に住まわせると、主は言われる。

              本日の説教

 「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。」(ホセア章1章1節)

 ホセアが預言者として活動した期間は、南ユダ王国のウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの四代の王の時代でした。

 ホセアは、紀元前750年から720年まで、30年間にわたって、北イスラエル王国で活動しました。活動を開始したのは、北イスラエル王国のヤロブアム二世(B.C.786~746)の死の4年前から始まりました。その活動は、紀元前760年頃活動した預言者エリシャの後、10年後のことになります。南ユダ王国では、イザヤがホセアに10年ほど遅れて.C.739から700年にかけて預言者として活動しているので、ホセアとイザヤは同時代の人ということになります。

【上記の預言者の活動年や、王の治世年は、日本キリスト教団出版局発行、新共同訳旧約聖書注解Ⅰ、巻末付録「古代イスラエル時代年表、p.860によりました。】

   ホセアの出生、出身地部族名については、記されていません。ただ<ベエリの子>として、父の名が記されています。彼の預言には、北イスラエルをエフライムという言い方で言い表し、しばしば、北イスラエルの聖所について語っているので、北イスラエルの出身者と見做されています。

 北イスラエルのヤロブアム二世の時代は、王の手腕と国際情勢の安定もあって、王国の最盛期を迎えましたが、彼の死後は、衰退の一途をたどりました。なりをひそめていたアッシリアが北王国を脅かしました。内政的には、王位をめぐって、謀反(むほん)と殺戮が繰り返され、首都サマリアの陥落までの21年ほどの間に、6人の王が交替(こうたい)するという無政府状態が現出しました。

ヤロブアム二世の子、ゼカルヤの在位は、わずか6か月、次のシャルムは1か月、メナヘムは7年、ペカフヤは6年、そして最後の王ホシュアは8年の在位でした。その三年後のB.C.721年には、首都サマリアは陥落し、北イスラエル王国は滅亡しました。

 このように、預言者ホセアが活躍したのは、北王国イスラエルの滅亡の時代でした。列王記下14章23~17章6節に、その歴史が記されています。

   【ホセア書の構成は、ほぼ次のような区分になります。

1 1章1節~3章5節 ホセアの結婚体験

   政治情勢:ヤロブアム二世による爛熟期

2 4章1節~7章7節 イスラエルの霊的腐敗

   政治情勢:イエフ王朝断絶~ペカの即位(4:1~5:7)

  シリア・エフライム戦争~ペカ暗殺(5:8~7:7)    

3 7章8節~10章15節 イスラエルの政治的腐敗

   政治情勢:ホシュアによる王権掌握~王政の終結

4 11章1節~11節 父なる神の愛

5 12章1節~14章1節 審判の最後的宣言

   政治情勢:ホシュアの捕縛~サマリアの包囲と

王国の滅亡

6 14章2節~9節 救済の預言

   政治情勢:神に立ち帰る時のイスラエルの回復】

  主がホセアに語られたことの初め。主はホセアに言われた。『行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。』 彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだ。主は彼に言われた。『その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、わたしはイエフの王家にイズレエルにおける流血の罰を下し、イスラエルの家におけるその支配を絶つ。イズレエルの平野で、わたしはイスラエルの弓を折る。』」(ホセア書1章2~5節)

  主がホセアに語られた結婚命令が召命に至る出来事の始まりでした。<淫行の女><淫行による子ら>については、さまざまな見解がありますが、<ディブライムの娘ゴメル>は、ホセアと結婚する前は、バアルを祭る神殿聖所に仕える聖娼であったと考えられます。

 当時北イスラエルでは、カナンの農耕神バアルの礼拝が、「ヤハウェ」礼拝の名の下に行われ、人々は豊かな収穫や多産を保証するバアル神をあがめていました(2:18)その聖所には聖娼として神殿娼婦が仕え、その祭儀には、はなはだしい性的不道徳が伴いました。ヤハウェを信じる信仰と、バアルを信じる信仰とが混淆した状態にあったのです。

  それらの祭儀行為は、本来のヤハウエ宗教にはない、逸脱した偶像崇拝であり、他の神との姦淫行為であり、驚くべきほど背信的で不道徳なものでした。一般人のみならず、祭司、預言者たちでさえ、このような折衷宗教に陥っていました(4:4以下)。「この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」と主は語ります。神がホセアに淫行の女を愛し、受け入れるように命じたのは、神が自分にそむくイスラエルの民を、なお愛したもうことを示すためでした。ホセアは神託に従って、この聖娼ゴメルを妻としたのです。

 ホセアとゴメルとの間に生まれた最初の男の子を、主は<イズレエルと名付けよ>と命じています。<イズレエル>は、サマリアの北東32キロほどの距離にある小さな町の名です。イズレエルの地は、イエフ王の残虐な暴力革命によって、王子たちや王室関係者すべてが、皆殺しにされた地です。(列王下10:6~14)。<イズレエル>という子への命名は、流血の上に築かれたイエフ王朝への裁きの預言であり、王朝の滅亡を暗示するものでした。このことは、ヤロブアム二世の子、ゼカルヤ王がエズレエルの谷で殺され、イエフ王朝は断絶したことにより、現実のものとなりました(列王記下15:10)。

 次に生まれた女の子を<ロ・ルマハ(憐れまれぬ者)>と名付けるように神は命じています。「わたしは、もはやイスラエルの家を憐れまず、彼らを決して赦さないからだ。」と主は言われています。

 三番目に生まれた男の子を、「<ロ・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。>あなたたちはわたしの民ではなく、わたしはあなたたちの神ではないからだ。>と主は命じました。

 三人の子らにつけた名は、当時のイスラエルの背信と腐敗に対する、神の思いが込められた名でした。

  二人目の子供の時には、<彼らを決して赦さない>と言っておられた主が、三人目の子供のときには、<わたしはあなたたちの神ではない>と<あなたたち>という言葉を使っています。ホセアを含む家族全員をも対象として、語ったのです。それまでは、主なる神に従っているとの思いがあったホセアは、この神の拒絶の宣言によって、彼の信仰や彼の神理解は、根底からくつがえされました。この挫折の中で、ホセアはバアルとは違う、真の神、ヤハウェに出会ったのです。

 2章1~3節で、イスラエルの回復が語られていますが、これはヤハウェがホセアに語ったことばと対立しており、ホセアの同業者であった預言者の口から発せられた偽りの預言を、皮肉をこめて引用したと考えられます。

 2章4節からは、妻ゴメルの裏切り行為が告発され、ホセアが離縁を通告しようとしたことが記されています。

  「告発せよ、お前たちの母を告発せよ。彼女はもはやわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではない。彼女の顔から淫行を、乳房の間から姦淫を取り除かせよ。」(2:4)

  結婚後も聖所に出入りしていた彼女が、夫を捨てて神殿娼婦の生活に戻ってしまったための告発と思われます。「彼女の顔から淫行を、乳房の間から姦淫を取り除かせよ。」は、バアルの聖娼たちが身にまとっていた刺青(いれずみ)や装飾品のことです。裁きがまず自分の家族において起こった今、ホセアの怒りが爆発し、神への怒りと不信の中で、彼の信仰は徹底的に覆されてしまったのです。だが、この悲嘆の涙の中で気付かされたのは、淫行のイスラエルに怒りながらも、見捨てることをしない主なる神の憐れみの愛でした。妻の裏切りを経験したホセアの悲哀は、真の神の愛を知る経験となったのです。

  2章16節から17節で、終末的な救済が預言されます。<わたしは彼女をいざなって、荒れ野に導き、その心に語りかけよう。>というのです。主は荒れ野で彼女に <ぶどう園を与え、アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える>というのです。

 <アコルの谷>とは、その昔、アカンが神にささげるべき品物を着服したため、一族が石打ちにされた場所(ヨシュア記7章)です。その<苦悩の谷>を<希望の門>としてくださる、というのです。

  この裏切る相手に、迫ってやまない主の愛にホセアは出会って、ホセアも愛と憐れみの人に変えられる新生を経験したものと思われます。この経験から、裁きと救済を語るホセアの預言は、常に愛の神を指し示すという特徴を帯びるのです。

  ホセア書2章21~22節に、わたしは、あなたととこしえの契りを結ぶ。わたしは、あなたと契りを結び正義と公平を与え、慈しみ憐れむ。わたしはあなたとまことの契りを結ぶ。あなたは主を知るようになる。とあります。イスラエルが終末時に回復される希望を、新たな婚姻関係で語ります。ここに神の不変の愛、真実の愛が示されています。この神の愛を、自分の結婚の悲劇を通してホセアは知ったのです。彼の「預言」は、イスラエルの罪を徹底的に責め、神に背いたイスラエルがやがて破滅に至ることを警告しただけでなく、それを赦し、受け入れられる「神の愛」を説き、人々がこの真実なる神に立ち帰ることを勧めたのです。

  「その日が来れば、わたしはこたえると、主は言われる。わたしは天にこたえ、天は地にこたえる。 地は、穀物と新しい酒とオリーブ油にこたえ、それらはイズレエル(神が種を蒔く)にこたえる。わたしは彼女を地に蒔き、ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ、ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって『あなたはアンミ(わが民)』と言う。彼は、『わが神よ』とこたえる。」(2:23~25)

  子供たちについても新たな救済のしるしが預言されます。<イズレエル>の語意は、「エル(神)が種を蒔く」という意味ですが、その日にはバアルのようなエル(神)が地に種を蒔くのではなく、天地創造の主が、地に種を蒔き、<ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)>を<憐れみ(ルハマ)>、<ロ・アンミ(わが民でない者)>を<あなたはアンミ(わが民)>と呼ぶ、と救いの日について、希望の預言をします。

  3章では、主との出会いを経験したホセアが、新たに神の預言者として出発しようとしています。                                         「主は再び、わたしに言われた。『行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。』そこで、わたしは銀十五シェケルと、大麦一ホメルと一レテクを払って、その女を買い取った。」 (3:1,2)

 神殿娼婦から奴隷に身を落としていたゴメルを、主がイスラエルを愛すように、ホセアに愛せと命じたのです。「干しぶどうの菓子を愛しても」とは、バアルへ捧げる食物のことです。ホセアは主の命令によって、奴隷一人分の高額な代価を払って、ゴメルを買戻したのです。

  わたしは彼女に言った。『お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる。』」

  バアルの祭儀に参与することが、<姦淫><淫行>と言うことばで告発されています(7:10)。この祭儀にかかわていた、ホセアもゴメルと同じ罪人であることが告白されています。共に不貞を犯さないようにしよう、語ったのです。 

  子供に対する親の尽きることのない愛情が、主の愛として示され、たとえどのようなことが起きようとも、主はその子を捨てない、と主は語ります。

  「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。わたしは、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」(11章8~9節)

  このみことばは、イスラエルの背信や罪にもかかわらず、滅ぼすことをやめるという、裁きの意志を撤回するみことばです。<憐れみに>胸を焼かれ裁きを撤回するのは、<お前たちのうちにあって聖なる者>だからと言っています。神の本質は不変の愛であり、その憐れみは、激しい憎しみと怒りさえもおし鎮めるのです。

  ホセアの預言では、<北イスラエル>を<エフライム>と呼んでいます(37回)。<エフライム>は、北イスラエルを代表する中心部族だからです(13:1)。 【<エフライム>と<マナセ>は、エジプトの宰相となったヨセフの子たちですが、ヤコブの養子とされ、シメオンとレビに代わって、12部族に加えられ、領地を与えられました。】

 <アドマ><ツェボイム>は、死海近くの町(創世記10:19、14:28)で、ソドム、ゴモラと共に滅びたと伝えられています。<エフライムを再び滅ぼすことはしない>という主のことばは、彼らが悔い改めることがなかったので、実現しませんでした。 

  ホセア書は、終章の14章において、悔い改めて主なる神に立ち帰るなら、彼らに対する怒りを取り去る、神は宣言します。

  ホセアの預言は、そむけるイスラエルの民にたいして、神の真実不変の愛を説き、愛ゆえの神の痛みと怒りを叫び、民がバアル礼拝から、愛なる神に立ち帰ることを求めます。神が裁かずにおかないのは、罪の状態を放置できず、愛するがゆえです。しかし、それは裁きで終わるのではなく、神の不変の愛ゆえに、赦されて、再び神の民とされる救いの希望が、美しい言葉で語られています。

  「わたしは背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。 露のようにわたしはイスラエルに臨み、彼はゆりのように花咲き、レバノンの杉のように根を張る。その若枝は広がり、オリーブのように美しくレバノンの杉のように香る。その陰に宿る人々は再び、麦のように育ち、ぶどうのように花咲く。彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。(14:5~8)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神の正義を叫び続けた預言者アモス」 アモス書5章1-7節

2014-07-02 20:39:22 | 礼拝説教

                                     ↑ 今日の説教に出てくる国名、地名、町名には、赤線を引いています。

聖霊降臨節第五主日    2014年7月6日(日)     5時~5時50分 

礼   拝 

               司会 永井 慎一兄

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   6(つくりぬしを賛美します)

交読詩編   34(どのようなときも、わたしは主をたたえ) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   アモス書5章1~7節

説 教 「神の正義を叫び続けた預言者アモス」     辺見宗邦牧師

賛美歌(21)510(主よ、終わりまで)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                                         次週礼拝 7月12日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

                                        説教題   「預言者ホセアー神の愛による回復」

                                         聖 書   ホセア書3章1~5

                                         交読詩篇 33  讃美歌(21)436 218 24

                   本日の聖書   アモス書5章1~7節

  イスラエルの家よ、この言葉を聞け。わたしがお前たちについてうたう悲しみの歌を。

「おとめイスラエルは倒れて再び起き上がらず、地に捨てられて助け起こす者はいない。」

まことに、主なる神はこう言われる。

「イスラエルの家では、千人の兵を出した町に、生き残るのは百人、百人の兵を出した町に、生き残るのは十人。」

まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。

しかし、ベテルに助けを求めるな、ギルガルに行くな、ベエル・シェバに赴くな。

ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するから。

主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のように、ヨセフの家に襲いかかり、火が燃え盛っても、ベテルのためにその火を消す者はない。

裁きを苦よもぎに変え、正しいことを地に投げ捨てる者よ。 

              本日の説教

  「テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである。」(アモス書1章1節)

 アモスの出身地テコアは、エルサレムの南方17キロ、ベツレヘムの東南8キロのユダの荒れ地に位置する寒村です。海抜600㍍以上もある丘に囲まれたせまい峡谷の中にあり、死海を東に見下ろせる場所です。アモスは自分を、「家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者」(7:14)と言っています。

  アモスは家畜所有者なのか、雇われ番人なのか、いちじく桑の所有者なのか、雇われ労働者かは不明ですが、すぐれた預言文体と、するどい社会・祭儀批判から、相当の知的教養と宗教的基本的な考え方を所有していたことが分かります。

ア モスが召命を受け、預言者として活動したのは、紀元前八世紀、南ユダ王国のウジヤ王(治世:B.C.792~740年)の時代であり、北イスラエル王国の王ヤロブアム二世(治世:B.C.787~747年頃)の時代です。

 アモスがイスラエルに厳しい災いの預言をした二年後に、「あの大地震」(ゼカリヤ書14:5参照)がパレスチナで起きました。それは紀元前760年頃のことです。このことから、アモスは紀元前758年頃を中心に活動したと推定されます。

  アモスの語った言葉は記録されて「アモス書」という文書になって残りました。アモスは最初の「記述預言者」であり、アモス以前の預言者(サムエル、エリヤ、エリシャ)を前期預言者と呼び、アモス以後の預言者(記述預言者)を後期預言者と呼んでいます

  「アモス書」は、旧約聖書の「ホセア書」と「ヨエル書」の後に置かれていますが、実際は、アモスは、最も早い記述預言者で、これにホセアが続きます。

  アモスは、「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。…主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。」(7:14、15)と言っています。アモスは職業的な預言者集団の属さず、神によって立てられた単独の預言者です。

   アモスは、イスラエルの現状を深刻に憂い、このままでは必ず滅亡するに違いないと思っていたときに、神から幻を示されたものと思われます。アモスは五つの幻を神から示されました。(アモス書7章~9章)アモスは、次第に「神の口」である預言者としての自覚を抱き、そしてついに公の場で神の託宣を告げることになったと思われます。

  アモスの預言は、主として北イスラエル王国とその首都サマリアに向けられたものです。北イスラエル王国の首都サマリアや聖所のあるベテルにおいて語ったと考えられています。彼はこれまでにない厳しさで、北王国の支配層と祭儀を非難しました。単に王や王制を批判するだけでなく、王国それ自体の滅亡を預言した。神はこのアモスを通して、腐敗したイスラエルへの怒りを語りました。アモスは預言者の中でも、最も痛烈に神の裁きを説いた審判の預言者です。

  アモスが預言活動をしたヤロブアム二世の時代は、200年ほど続いた北王国(B.C.922~721)の歴史の中で最も繁栄した時代でした。イスラエルを悩まし続けていた北の隣接国アラム(シリア)は、アッシリアのシャルマナサル三世(B.C.859~824)による大軍の西方進出をくいとめるために必死で、イスラエルにかまう暇はありませんでした。また、南方のエジプトの進出の脅威もありませんでした。この間隙をついて、北のヤロブアム二世と南のウジヤ王の時代には、かつて奪われた領地を復帰させ、北はダマスコやレバノンの町ハマト(オロンテス河畔の町)から、南はアラバの海(死海のこと)まで領域を広げました。(列王記下14:26)

  ヤロブアム2世は、ヨルダン川の東、ギレアドと東方とを支配して貿易路を確保し(アモス書6:13のロデバルとカルナイムの町)、莫大な利益を得ました。四十年にもわたるヤロブアム2世の治世は、一応成功して、軍事力による領土的な拡張とこれに伴う経済的な繁栄が北王国の国際的な地位を向上させました。経済的繁栄によってもたらされた富は、王宮の祭儀とこれを支える文化につぎこまれました。このために為政者たちは、イスラエルの民に本来与えられていたヤハウェ契約に基づいて、民に対して富を公正に配分することを怠ったのです。

  両王国のこのような政治的、軍事的成功は、国内には社会的不正義と道徳的腐敗を生み出しました。特に支配階級の腐敗は著しく、裁判は不正に行われ、収賄罪が横行し、富者は貧者から搾取しました。その根底には宗教的堕落が原因していました。特に北イスラエル王国においては、その中心的聖所ベテル、ギルガルで、盛んな礼拝祭儀が行われていたが、形式的になり、真の礼拝精神は空虚となり、淫行非道が横行しました。

  ヤロブアム二世について、「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を初代の王ヤロブアムの罪を全く離れなかった」(列王下14:24)とあります。また、ウジヤ王は、「主の目にかなう正しいこと」をことごとく行っていたが、晩年に、「彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。」(歴代誌下26:16)とあります。

  アモスの審判の預言は、イスラエルに対してだけでなく、周辺諸国にも及びました。1章から2章にかけて、イスラエルの民の周囲の諸民族に対する裁きの言葉が語られています。

  1    ダマスコについて(アラム人の首都)

「彼らが鉄の脱穀機を用い、ギレアドを踏みにじったからだ。…アラム(後のシリア)の民は、キル(アッシリアの地)の地へ捕えられていく。」

  2    ガザについて(ペリシテ人の住む都市)

「彼らがとりこにした者を、エドムに引き渡したからだ。…ペリシテの残りの者も滅びる。」

  3    ティルスについて(フェニキア人の港町)

「彼らがとりこをすべてエドムに引き渡し、兄弟の契りを心に留めなかったからだ。わたしはティルスの城壁に火を放つ。」

  4    エドムについて(イスラエルの南方の国)

「彼らが剣で兄弟を追い、憐れみの情を捨て、いつまでも怒りを燃やし、長く憤りを抱き続けたからだ。わたしはテマンに火を放つ。」

  5 アンモンの人々について(ヨルダン川の東側、北方

 の民族)

「彼らはギレアドの妊婦を引き裂き、領土を広げようとしたからだ。…彼らの王は高官たちと共に、捕囚となって連れ去られる。」 

  6   モアブについて(ヨルダン川の東側、南方の民族)

「彼らはエドムの王の骨を焼き、灰にしたからだ。…わたしは治める者をそこから断ち、その高官たちも皆殺しにする。」

  2章4節から18節において、南ユダ王国と北イスラエル王国への裁きが述べられます。

 ○ ユダについて(南ユダ王国の民)

「彼らが主の教えを拒み、その掟を守らず、先祖も後を追った偽りの神によって惑わされたからだ。…わたしはユダに火を放つ。火はエルサレムの城壁をなめ尽くす。」

 ○ イスラエルについて(北イスラエル王国の民)

  「主はこう言われる。イスラエルの三つのつみ、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない。彼らが正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で、売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている。父も子も同じ女のもとに通い、わたしの聖なる名を汚している。祭壇のあるところではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ、科料として取り立てたぶどう酒を神殿の中で飲んでいる。」…「お前たちはナジル人に酒を飲ませ、預言者に、預言するなと命じた。見よ、わたしは麦束を満載した車が、わだちで地を裂くように、お前たちの足もとの地を裂く。」(2:6~8)

 3章1,2節では、選民に対する厳しい裁きが告げられます。

  「イスラエルの人々よ、主がお前たちに告げられた言葉を聞け。地上の全部族の中からわたしが選んだのは、お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを、すべての罪のゆえに罰する。」

 3章9節から4章にかけて、イスラエルの罪について更にくわしく語り、北イスラエル王国の首都サマリアの滅亡を予言しました。

 5章1~3節で、アモスは、もしイスラエルの民が主のみ旨を拒絶し続けるならば、何が起ころうとしているか知っていたゆえに、彼は集まってきた礼拝者たちに向かて、イスラエル滅亡の哀歌を詠いました。祭りの祝福と歓喜を求めて集まった民衆は、アモスの葬式の歌を聞いて愕然としたに違いありません。

 次に、アモス書における唯一の積極的な勧告が告げられ

ます。

 「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」(5:4)

 「善を求めよ。悪を求めるな。」(5:14)

  審(さば)きがやってくるにもかかわらず、主はその民との和解の道を探し求める努力をまだ放棄していません。主を求めるということは、主の言葉に耳を傾け、応答しなければならず、主に帰らなければなりません。

  この二つの勧告の間に、イスラエルの罪が告訴されています。

  「彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う。お前たちは弱い者を踏みつけ、彼らから穀物の貢納を取り立てるゆえ、切り石の家を建てても、そこに住むことはできない。見事なぶどう畑を作ってもその酒を飲むことはできない。お前たちの咎がどれほど多いか、その罪がどれほど重いか、わたしは知っている。お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている。」(アモス5:10~12)

  裁きの日が、主の手によって臨むとき、イスラエルの全土に嘆き悲しみの声がみなぎります。

 「それゆえ、万軍の神なる主はこう言われる。どの広場にも嘆きが起こり、どの通りにも泣き声があがる。悲しむために農夫が嘆くために、泣き男が呼ばれる。どのぶどう畑にも嘆きが起こる。わたしがお前たちの中を通るからだと主は言われる。」(5:16,17節)

 アモスは、アッシリア帝国による北イスラエル王国の滅亡を予言しました。

 「わたしは、お前たちを捕囚として、ダマスコのかなたの地へ連れ去らせる。」

 この預言は、およそ30年後(B.C.722年)に実現します。

   ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの国王に人を遣わして、「アモスがあなたに背きました」と報告し、「ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられてその土地から連れ去られる。」と言っていますと伝えました。このままでは、アモスの命が危険です。アマツヤは、アモスに好意的な助言をしました。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」(7:12~13) 「ここでは預言するな。」と言われたアモスは、アマツヤ一族の上に、主の災いが下ることを宣言しました。(7:11)

  アモスを通して、イスラエルの滅亡を告げた神は、「ただし、わたしはヤコブの家(北イスラエルの民)を全滅させはしない」(9:8)と言われ、「残りの者」を残すことを約束しました。アモス書の終章の9章11節以下には、後の日の回復を預言します。

  主なる神が、幻でイスラエルに与える災いをアモスに示されたとき、アモスは執り成しの祈りをささげています。

  「主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう。」(7:2)

 二度目の幻のときも、「主なる神よ、どうぞやめてください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう。彼は小さいものです。」(7:5)

  神は二度とも、これを思いなおされ、「このことは起こらない」と約束されました。

 しかし、神のイスラエルの罪に対する裁きにより起こる、イスラエルの滅亡を、アモスは悲しんだのです。それが「悲しみの歌」でした。

 「イスラエルの家よ、この言葉を聞け。わたしがお前たちについてうたう悲しみの歌を。」(5:1)

 主が選び、主がいつくしみ育ててきたおとめイスラエルを、主はその手で裁かなければならないことは、主にとっても、深い悲しみです。讃美歌262番1節に、「十字架のもとぞ、いとやすけき、神の義と愛の、あえるところ」という歌詞があります。神の正義と、神の憐れみと、同時に示されているところが、御子キリストの十字架です。御子の十字架の贖いの死によって、父なる神の正義が貫かれ、御子の復活に、わたしたちをあずからせて、わたしたちの罪を赦し、神との交わりを回復させてくださることによって、神の愛と憐れみが示されました。ここに私たちの救いがあります。

 確かに、「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなく、とこしえに怒り続けられることはない」、方であります。(詩編103:8、9節、出エジプト記24:6)私たちは、この主に甘えてしまい、神をなめて、神の正義をないがしろにしてしまいがちです。アモスの叫んだ神の裁きの宣告は、このような私たちに喝を入れるものであり、改めてキリストの十字架にすがらなければならないことを示されます。

  
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする