富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「エサウとヤコブ兄弟の子孫の争い」 オバデヤ書1章10-18節

2014-09-21 22:47:17 | 礼拝説教

   ↑ ぺトラ遺跡は現在ヨルダンのユネスコ世界遺産になっています。

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

    日本キリスト教 富谷教会 週報

聖霊降臨節第十六主日   2014年9月21日(日)    5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  220 (日かげしずかに)

交読詩編   46(神はわたしたちの避けどころ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書   オバデヤ書1章10~18節

説 教 「エサウとヤコブ兄弟の子孫の争い  辺見宗邦牧師

賛美歌(21)513(主は命を)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

             次週礼拝 9月28日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

                  説教題  「終わりの日の約束」

                  聖 書   ミカ書4章1~8節

                 交読詩篇 18  讃美歌(21)351 460 24

本日の聖書 オバデヤ書1章10節~18節

10兄弟ヤコブに不法を行ったので

お前は恥に覆われ、とこしえに滅ぼされる。

11お前が離れて立っていたあの日

異国の者がエルサレムの財宝を奪い

他国の者がその門に入り

エルサレムをくじ引きにして取ったあの日に

お前も彼らの一人のようであった。

12兄弟が不幸に見舞われる日に

お前は眺めていてはならない。

ユダの人々の滅びの日に

お前は喜んではならない。

その悩みの日に

大きな口をきいてはならない。

13その災いの日に

わが民の門に入ってはならない。

その災いの日に

苦しみを眺めていてはならない。

その災いの日に

彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。

14逃げて行く者を殺すために

別れ道で待ち伏せしてはならない。

その悩みの日に

生き残った者を引き渡してはならない。

15主の日は、すべての国に近づいている。

お前がしたように、お前にもされる。

お前の業は、お前の頭上に返る。

16お前たちが、わたしの聖なる山で飲んだように

すべての国の民も飲み続ける。                                    

彼らは飲み、また呑み尽くす。

彼らは存在しなかった者のようになる。

17しかし、シオンの山には逃れた者がいて

そこは聖なる所となる。

ヤコブの家は、自分たちの土地を

奪った者の土地を奪う。

18ヤコブの家は火となり

ヨセフの家は炎となり

エサウの家はわらとなる。

火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。

エサウの家には、生き残る者がいなくなる」と

まことに、主は語られた。

          本日の説教

  オバデヤ書は旧、新約聖書を通じて最も短い、1章21節の書です。ちなみに新約聖書のフィレモンへの手紙は25節です。前半の1節~18節はエドムに関する預言で、滅亡とその理由を挙げています。後半の19節から21節はイスラエルの勝利とその領土の回復を告げています。

  成立年代はその内容などから紀元前586年のエルサレムの崩壊直後、エドムも滅びた頃とされています。

 1章1節に「オバデヤの幻」とありますが、預言者オバデヤが神から啓示された幻を記したものですが、オバデヤについての詳細は知られていません。

オバデヤ書は全世界が神の目的に向かい、神の支配と神の義が人間の歴史の中にあることを教えています。

  「オバデヤの幻。我々は主から知らせを聞いた。使者が諸国に遣わされ『立て、立ち上がってエドムと戦おう』と告げる。主なる神はエドムについてこう言われる。『見よ、わたしはお前を諸国のうちで最も小さいものとする。お前は、大いに侮られる。お前は自分の傲慢な心に欺かれている。岩の裂け目に住み、高い所に住みかを設け『誰がわたしを地に引きずり降ろせるか』と心に思っている。たとえ、お前が鷲のように高く昇り星の間に巣を作ってもわたしは、そこからお前を引き降ろすと、主は言われる。」(オバデヤ書1章1~4節)

   エドムと戦うようにと使者が国々に送られます。これらの使者を送ったのは主なる神です。エドムの傲慢な心をくじくためでした。エドム人は、「岩の裂け目に住み、高い所に住みかを設け『誰がわたしを地に引きずり降ろせるか』と心に思っている」(3節)、からです。

  エドムの古い要塞は(セイル山やペトラなど)が高い堅固な岩と砦であったので、彼らに高慢と誤った安全感があったのです。エドムはパレスチナの南南東、死海の南からアカバ湾に至る地域で、「セイルの地」(創世記36:30)とも呼ばれていました。エドムの二大都市は首都のボズラとペトラです。

      ぺトラ遺跡は現在ヨルダンの世界遺産になっています。 新世界七不思議の一つになっています。

                            

 アブラハムの子イサクに双子、エサウとヤコブが生まれたが、そのエサウの子孫がエドム人です。 ヤコブは神からイスラエルという名を与えられ、その子孫がイスラエル人です。

  兄のエサウと弟のヤコブの確執は、母リベカの胎内にいたときから始まりました(創世記25章19~26)。エサウは生まれたとき赤かったので<エサウ>と名付けられました。ヤコブという名前は、出生のとき、兄の<かかと「アケブ」>をつかんでいたことから、「かかと」という意味のことばの原語「アケブ」にちなんで「ヤコブ」と命名されました。

  エサウが長子の権利をヤコブに譲ったのは、空腹のときヤコブの作った赤いレンズ豆の煮物と引き換えにしたためでした。「その赤いもの(アドム)を食べさせてほしい」と言ったことで、彼の名は<エドム>とも呼ばれるようになりました(創世記25章30節)。彼の子孫が「エドム」と呼ばれるようになったのはこのためです。

  エサウはその後、後悔して、ヤコブに殺意を抱きます。その兄から逃れて伯父ラバンの住むハランまで旅をしたのがヤコブです。しかし、二人は20年後、ぺヌエルで再会したとき和解しました(創世記33章)。エサウの子孫のエドムは、創世記36章によると大きな国になりました。

  その後、ヤコブの時代から500年以上も後のこと、エドム人は、モーセに率いられて約束の地に向かうイスラエル人が領土を通過することを拒み、戦争も辞さない態勢で対峙しました。(民数記20:14~21)。主は、荒野の旅をするモーセたちに対して、「エドムに立ち向かうな。エドムの地はあなたがたに与えていない。そして彼は兄弟なのだから、三代目のエドム人は集会に加えるようにしなさい。」と命じられていました(申命記2:4~5、23:7~8)。

  しかし、その後イスラエルとエドムの両民族の間に度々紛争がありました。イスラエルの最初の王サウルもエドムを攻めているし(サムエル記上14:47)、 ダビデ王もエドムを支配下においています(サムエル記下8:13~14)。 ソロモン王の時代にはエドムの反乱がありました(列王記上11:14~22)。

  ソロモンの死後も、エドムはしばしイスラエルの敵となり、ユダ王国のヨラム王の治世(歴代誌下21:8)、アマツヤ王の治世(歴代誌下25:11-12,23-24)、アハズ王の治世(歴代誌下28:16-21)、ゼデキヤの治世(歴代誌下36:11-21)に大きな略奪を繰り返しました。

  「お前と同盟していたすべてのものが、お前を国境まで追いやる。お前の盟友がお前を欺き、征服する。お前のパンを食べていた者がお前の足もとに罠を仕掛ける。それでも、お前は悟らない。」(7節)

  アラビアから侵入してきた遊牧民族のナバタイ人が、当時エドム人が居住していたペトラを拠点に生活していました。エドムはナバタイと組んで、一時マケドニヤの侵攻を阻止したようですが、紀元前168年にナバタイはペトラを首都とした王国を築きました。(ユネスコ世界遺産のペトラ遺跡はナバタイ人が築いたものです。)エドム人はナバタイによって追われ、ネゲブ砂漠へと移って行っていきました。エドム人が住むようになった地方は、イドマヤと呼ばれました。ヘロデ大王はそのイドマヤの出身です。

  「その日には必ず、と主は言われる。わたしはエドムから知者を、エサウの山から知恵を滅ぼす。(8節)

  神の裁きの時、学問が盛んであったエドムを滅ぼすというのです。 

  「テマンよ、お前の勇士はおびえる。彼らはひとり残らず殺され、エサウの山から取り去られる。(9節)

  <テマン>は、エドムの北部地域を指します。ペトラから少し東にあり、学術都市としての誇りを持っていました。テマンはエサウの息子エリファズの子の名前から来ています(創世記36:11)。ヨブと議論した友人の知者エリファズはエドム人でした。(ヨブ記2:12)

 10節から15節で、エドムの滅亡の理由として、紀元前586年エルサレム陥落当時のエドムの行動を過去にさかのぼって糾弾(きゅうだん)しています。

  「兄弟ヤコブに不法を行ったので、お前は恥に覆われ、とこしえに滅ぼされる。お前が離れて立っていたあの日、異国の者がエルサレムの財宝を奪い、他国の者がその門に入り、エルサレムをくじ引きにして取ったあの日に、お前も彼らの一人のようであった。」(10、11節)

  「不法を行った」とは、エドムが、エルサレムが陥落した際に兄弟ヤコブ(ユダの民)に何のあわれみを施さずに、敵対者と同じ態度をとり傍観したばかりか(12節)、どさくさに紛れてユダの財宝をかすめ取り(13節)、他国人の攻撃を逃れて来る避難者をかくまわず、殺したり、敵の手に引き渡したり(14節)と卑劣な行為を働いたことを言っています。ヤコブの時代(B.C.1800年頃)から、エルサレム陥落(B.C.586年)までは、すでに1200年も経っていますが、エサウの子孫のエドムはヤコブの子孫のユダの民に対して兄弟民族としての親愛の情も憐憫(れんびん)もなく、敵対関係にあったと言えます。

  「とこしえに滅ぼされる」とあるように、エドム人は、山地からナバタイ人によって追い出され、ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世の時代、紀元前150年にイドマヤの滅亡、ユダへの同化で、絶滅しました。

  「兄弟が不幸に見舞われる日に、お前は眺めていてはならない。」と戒めたあと、七回も<……してはならない>と繰り返し、種々の戒めをしています。

  「ユダの人々の滅びの日に、お前は喜んではならない。その悩みの日に、大きな口をきいてはならない。その災いの日に、わが民の門に入ってはならない。その災いの日に、苦しみを眺めていてはならない。その災いの日に、彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。逃げて行く者を殺すために、別れ道で待ち伏せしてはならない。その悩みの日に、生き残った者を引き渡してはならない。」( 12~14節)

   17節から18節までは、エドムの運命逆転が語られます。

  「『しかし、シオンの山には逃れた者がいて、そこは聖なる所となる。ヤコブの家は、自分たちの土地を奪った者の土地を奪う。ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家はわらとなる。火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。エサウの家には、生き残る者がいなくなる』とまことに、主は語られた。」(17~18節)

  イスラエルがバビロニア軍によってエルサレムを破壊され、 住民がバビロンに捕囚として移送させられてから、エドム人は以前にもましてネゲブ砂漠、 さらにユダの山地へと移り住むようになり、弱体化したユダの町々や住民を襲い、悩ませました。このようなこともあって、聖書にはエドム人に対しては厳しい預言がなされたのです(オバデヤ1:1~18の他に、アモス1:11~12、エゼキエル25:12~14、エレミヤ49:7~22、哀歌4:21)。

「ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家はわらとなる。」とは、<火><炎>が神の顕現、特にここでは神の怒りを表し、神の民がわらに等しいエサウの家、エドムを燃やす、と主は語られたと述べています。

  19節~21節は、イスラエルの回復が語られます。「ヤコブの家は、その領地を所有する」(17節)は、以前自分たちのものだった土地が回復されることを語り伝えています。つまり、イスラエルは捕囚の民として連れ去られ、聖地は荒れるままにされていたが、イスラエルはエドムのように滅亡してしまうのではなく、自分の土地を回復し、さらには、「ペリシテ人の国」や「エサウの山」つまりエドムをも支配することだろうと、預言されています。

   私たちは憐れみを閉ざさないこと、たとえ自分の敵であってもその不幸を喜ばないことが大切です。自分の敵に災いが下ったら、それを自分の恨みを発散させて喜ぶのではなく、神の復讐のことを思って、かえって神を恐れるのです。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』(ローマ12:19)

 現在シリアにおいてアラブ民族同士の戦争が続いています。それに加わる<イスラム国>という名のテロ軍団の脅威が起きています。またそれに加わる外国人がいます。一日も早くこの国際紛争が終結し、平和な世界が実現することを祈り、願わずにはおられません。

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