「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

更地てふ朦朧体の日傘かな 石母田星人 「滝」8月号<渓流集>

2012-07-31 04:59:24 | 日記
 更地は東日本大震災の跡形だろう。「更地」と「日傘」だ
けでも佇むひとの心境を伝えるに余り有るが、朦朧体は描か
れたものの輪郭がはっきりしない絵のことで、日本の洋画の
基礎的となり、印象派の影響を受けているそうだ。「日傘を
差す女」が思い出される。「光の画家」との別称もあるモネ
は、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわ
たり追求した画家であった。掲句にも同じような目を感じる。
眼前に広がる果ての見えないほどの更地に、関わろうとして
いるのだろうか。季節が巡り、遮るもののない夏の日差しの
中に見える日傘は、「負」からの一つの回避の象徴として据
えられたようにも思えるのである。(H)

忽然と百の鶏頭消えてをり 菅原鬨也 「滝」8月号<飛沫抄>

2012-07-30 04:53:55 | 日記
 時間と空間が同列に扱われている不思議な句。消えてしま
ったというのに、鶏頭の力強く群れて咲いている様が見えて
くる。「をり」は、多くは今そのことが、そこで行われている
か、状態が続いていることを表す時に用いるが、「忽然」と切
り取って、この「をり」には?と!が付いている。それゆえ
に作者の困惑の中に連れて行かれてしまう。はかなげな花の
多い秋に、鶏頭の存在感を思えば、それに相当する何かに鶏
頭を置き換えたのかもしれない。鶏頭が鶏冠花と呼ばれるこ
とに関わる「鶏化して花となる」という民話が中国にある。
主人を守らんと死闘の末に命を失った雄鶏の話である。心を
通わせてきた何かを突然失ったと読める気がした。
「鶏頭花抜きたる穴の熱からむ 菅原鬨也」
鶏頭にある燃えるイメージ。何もない地面に、確かにあっ
た百の鶏頭の熱だけが残っている。まだ、思い出という静か
なものになり得ない心の有り様でもあろうか。(H)

花万朶出口にきっと落し穴 松ノ井洋子 「滝」7月号<滝集>

2012-07-29 05:15:29 | 日記
 花万朶と落とし穴の取り合わせにドキリとした。現実の情
景でも面白い句だが、心象の句だと思った。人生いたると
ころ落とし穴だらけ。この出口にもあるはずとわかっている。
だがやっぱり落ちるかもしれない。人生ってそんなものと達
観している作者なのかもしれない。 花万朶は特攻隊の部隊
の名前にもあった。生と死をイメージさせる季語を配し句に
深みがでた。(中井由美子)

叱られて蝌蚪の仲間となりにけり 中鉢益生 「滝」7月号<瀑声集>

2012-07-28 04:46:31 | 日記
 池田澄子の「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」を思い
出した。いろいろ想像を巡らすことができて楽しい童話のよ
うな句。愛情をもって叱られた少年時代が懐かしい作者は成
長してりっぱなトノサマガエルになりました。めでたし、め
でたし。(中井由美子)

新緑の風の抜け来し砦跡 梅森 翔 「滝」7月号<滝集>

2012-07-27 05:08:21 | 日記
 滝吟行会、会員の最高得点に輝いた句である。好天に恵ま
れた秋保天守閣自然公園での一句。江戸時代このあたりは仙
台・山形間の主要街道の郷だった。往来する人々を見張るた
めの、建屋の跡を崖の上に見た作者はしばしその時代に思い
を馳せた。新緑の風がその頃と変わらず人々を癒している。
歴史の重さと軽やかな新緑の風の取り合わせが魅力の一句と
なった。(中井由美子)