「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

形代に車番を吹いて納めけり 池田智惠子 「滝」8月号<滝集>

2014-08-31 05:11:28 | 日記
 「形代」と「車番」の取り合せが面白い。形代という古い
物と、比較的新しい車番の対照。およそ似つかない物同志の
取り合せが良い。現代社会は、何処に行くのにも、自動車が
使われる。体年退職してから運転免許を取得する人が増えて
いるという。この句のポイントは、形代の車番です。安全運
転と家内安全を祈って、形代の車番に名前を書き、息を吹き
かけて、穢れを祓い、安全を祈るのである。「吹きかけて」
の表現は、単なる言葉ではなく、真体あるものになりきって
いる。
 隅々まで言わないことがかえって余韻をもっている。現在
では、ペットの形代もあるという。(及川源作)

笑ひけり妻の介護の汗の中 菅原 祥 「滝」8月号<滝集>

2014-08-30 03:43:15 | 日記
 奥様の介護をされている作者の「笑ひけり」に愛情がいっ
ぱいだ。「汗」から、一生懸命さが伝わって来る。考えてみ
れば私は看護される側になることを想像すらしなかったよう
な気がする。商店を営む忙しい日々のなかで、いつかは人並
みにゆっくり夫婦で過ごす老いの時を迎える日が来ることを
何となく思って、妻として行き届かない今の挽回をここで図
ろうと思っている自分の甘さに気付いた。健康でいなければ
叶わない事。市の健康診断すら受けないことを反省。そして
何よりずっと、ずっと、愛される妻でありたい。作者の奥様
のように・・・。(H)

帰省子や深き眠りの土不踏 遠藤玲子 「滝」8月号<滝集>

2014-08-29 04:07:18 | 日記
 土不踏から伝わって来るのは「歩み」。初めて歩いた感動
の日から、今に至るまでの、母親ならではの感慨が事細かに
見えてくる気がする。まだ母親の手の中にあった頃の、子の
顔や重さや感触が蘇ってくるが、大きな切れが、時間の区切
りのように使われて今が詠まれている。しっかりした歩みに
欠かせない土不踏が、母の前では頑張らない土不踏になって
眠っていることが嬉しい。(H)

からっぽの井戸のこだまや柿の花 佐々木博子 「滝」8月号<滝集>

2014-08-28 05:11:21 | 日記
 柿の木一本で、春夏秋冬を楽しませてくれる季題は、柿の
木以外はないと思っている。
 柿若葉、柿紅葉はひときわ目を引くが、この句の柿の花だ
けは、地味で見過ごされやすいし、淋しい花であるとともに、
「からっぽの井戸」を支えている大切な把握になっている。
この季題を上手に使いこなし、心ゆたかに詠っている。かつ
ては、農家の庭先には必ず植えられていた。柿の木の下の井
戸のある風景は、日本の原風景のひとつと言っても過言では
ない。いつの時代も、井戸あらば覗き込み、声をかけてこだ
まを楽しむのもこれまた、人間の性分のようだ。(及川源作)

昼顔のしぼめば暗い空があり 渡部潤治 「滝」8月号<滝集>

2014-08-27 03:44:34 | 日記
 昼顔は真夏の太陽を浴びて咲く花なのに、小さくて、薄桃
色の少し淋しい感じのする花。それでも萎んでしまえばその
可憐な花の存在が暗い空に残像となる明るさを持っていたこ
とに気付く。真夏の真昼という限りなく無音に近い白い時間
帯から「しぼむ」という事象に続く「暗い空」は、心に飛来
した暗さとも思え、私の入り込めないところに作者の心があ
るようです。(H)