「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

恋猫の仮面ぬぎ捨て眠りをり 加藤信子

2021-06-24 18:30:21 | 日記
恋猫の雄叫びや形相に、猫も「けだもの」だったことを思い出す。「猫被り」という言葉があって、本性を隠しておとなしそうなふりをすることを言うが、掲句の「仮面」は反対だ。例えば子供がウルトラマンの仮面をつけてウルトラマンに成りきるような、そんな場面のように、仮面を脱げば本来に戻る。作者にしてみたら可愛い甘えん坊の猫が本来の姿で恋猫となって叫び、喧嘩をするのは仮の姿ということになる。何らかの決着がつき、何事もなかったかのように家に戻って眠っている猫が私にも見えて、ああ撫でたい、抱き上げたいと思う。そんな句だった。どうか猫ちゃんが亡くなったのではありませんように・・・。(博子)

堅香子の花やさわさわ沢の風 鈴木幸子

2021-06-22 04:18:49 | 日記
堅香子は片栗の花の古名で、山地の樹陰などに自生する。と言っても私は紅紫色の可憐な花の群生を見に来ている人たちと共に映るのをテレビで見るだけだが、「さわさわ沢の風」のリフレインがその場にいるような肌感覚を運んで来てくれる。恥ずかし気に春を告げるこの花の小さな揺れも人々に愛される理由かもしれない。(博子)

生きかはり死にかはりして朝寝かな 梨子田トミ子

2021-06-18 04:27:23 | 日記
重い言葉から始まり「朝寝かな」と、うつらうつらの中の事かと安堵した。この世にのびのび生きているからこその詠み。生きとし生けるものはみんな生まれ変わり、死に変わり、輪廻の中で生を繰り返しているという。一日の中にも、一時間の中にも、そんな事はあって、幸せだったりなかったりすることに似ているのかもしれない。私には春眠をむさぼっている時間はないが、俳句の時間を得るための早起き。稼業も家事も介護も一生の中のサイクル。うまく言えないが、「朝寝かな」の詠嘆に「人生いろいろあるもんね」と言われた気がした。「頑張らなくちゃ!」の力がフッと抜けたような気がした。(博子)

春めきて木魚の真似のひもす鳥 及川源作

2021-06-16 19:48:47 | 日記
立春を過ぎても、まだまだ寒い日がつづく頃。そんななかにも,目にする風物や肌に触れる大気に、だんだん春の気配が感じられるようになってくる。お経と一緒に聞こえる木魚だが、木魚は、かつて、眠る時も目を閉じない魚は眠らないものと信じられていた。そのことから、眠気覚ましの道具でもあり、魚の形を模して「木魚」と呼ばれるようになったそうだが、カラスが木魚の真似?と、にわかには信じられなかった。しかし驚くことにユーチューブに木魚の真似をして鳴く鴉がいた。犬の鳴きまねや人間の言葉を真似る鴉も・・・。作者の詠んだ鴉はお寺の樹の巣で生まれ育った鴉なのかも知れませんね。「鴉かな」とせず、「ひもす鳥」としたことで一日中鳴いていて、「聞き間違いではないのです」と、作者は言っているようです。こんな春めき、楽しいですね。(博子)