「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

新しきサンダルがあり小鳥来る 松ノ井洋子 「滝」11月号<滝集>

2015-11-22 03:29:02 | 日記
 サンダルは、家庭で使用する手軽な履き物、今日から新し
いサンダルにしようと、あえて色も形も若々しいものを選ん
だのである。早速縁側の踏み石の上に置いた。
 「新しきサンダルのあり」と、そのまま言った、このフレ
ーズに心のはずみが出ている。
 「小鳥来る」は、その心のはずみをさらに強くして明るい
情景が見えるのである。(庄子紀子)

流木の焚火に潮の匂ひ立つ 木村とみ子 「滝」11月号<滝集>

2015-11-21 04:47:52 | 日記
 焚火は、焚く場所によって焚火を囲む人もさまざまで、親
しみやすく心の和むものである。火という美しい色、あたた
かさのためであろう。
 この句は、海岸での焚火、流木は燃え上がりながら潮の匂
いを放っているという。海岸に打ち上げられた流木に海水が
しみこんでいるのである。焚火の塩の匂いと、日常的に漂よ
うている塩の匂いとが入り混じり、強く感じられたのであろ
う。この焚火を囲む作者や人々の笑顔が、灯に照らされて在
り在りと見える
 現代の都会の生活で、焚火の景を目にすることは皆無と言
っても過言ではない。それだけにこの句に遠い日の焚火の匂
いを思い起こし、懐かしさを覚える。(庄子紀子)

父かしら墓につく虫逃しやる 服部きみ子 「滝」11月号<瀑声集>

2015-11-20 04:30:09 | 日記
人は寺の境内などに入って行くと普段とは違った気持にな
る。まして墓の前となると、その感情は高くなる。
 お盆や彼岸などで久しぶりに墓前に膝まづいた。合掌して
自分や家族のことなどの近況を報告する。そしてこれからの
幸せを祈る。そんな日本人の変わらない墓参の風景が見えて
くる。墓参をしていると墓に虫がついている。父の身代わり
ではないか?「父かしら」という上五が平明である。さりげ
ない素朴さが伝わってくる。そして、その虫をある種の複雑
な気持ちの優しさでそっと逃がす。「逃がしやる」という優
しさが全てを物語っている。(鎌形清司)

新米や女ざかりを過ぎし指 佐藤千代子 「滝」11月号<滝集>

2015-11-19 04:59:38 | 日記
 美しい容姿をしていた青年のころ、身も心も充実していた
壮年のころ。そのころの女ざかりはもう過ぎ去って、今は
老年期の入り口にいる作者。
 台所で米を磨いでいたのであろう。米を磨ぐというこの所
作は、意外と指に力が入るものである。真っ白い新米の中に
老いのきざしのひとつである手の指のおとろえに気付くので
ある。手の老いは、そうかんたんにかくせるものではない。
しみじみと、おんなざかりを思い起しているひとりの初老の
おんなのつぶやきである。
 新米に老いのきざしを詠んで異色の作品となった。
(庄子紀子)


現役の時のネクタイ小鳥来る 芳賀翅子 「滝」11月号<滝集>

2015-11-18 04:18:00 | 日記
 久しぶりにネクタイして出かけることになった。現役の時
のネクタイ。人にあげたり処分したりしたが、それでもまだ
だいぶ残っている。洋服ダンスの中から。色や形、織り方も
そして今日の場所の雰囲気にも合わせなければならない。ど
のネクタイがいいか鏡に向かって思案している。しばらくネ
クタイを締めていなかったので結び方もうまくいかない。現
役の頃を思い出す。何度も結びなおしたりしている。鏡に向
かって悪戦苦闘していると、その鏡に映る庭の樹木に小鳥が
やって来た。明るい朝の風景である。
(鎌形清司)